「よう俊輝……随分といい就職先見つけたじゃねぇかよ……」
「まあ、色々あってな」
それは、偶然再会した友人同士の会話、程度の調子をもって語られていた。
だが、明らかにそれとは異なる点がいくつも重なっている。
周囲が火の海……という程に燃え広がっているわけではないのだが、先の爆撃により所々に火が付いており、このままでは大規模な山火事に発展する恐れがある。
そして、再開からの談笑と呼ぶには明らかに凶悪に、両者は、お互いの凶器をお互いに向けて振っていた。
俊輝の刃。チャーリーの爪。互いのそれが、情け容赦無く人体の急所、喉へと向けて振るわれる。
お互いに、相手を殺したいというわけではない。
第一班と第二班、その副官と呼べる立場であり、個人的な親交もあり、何よりあの火星の地獄を生き抜いてきた戦友でもある。
命を奪わないという選択肢があるならば、それを選びたい。
だが、二人共が同時に理解していた。
息の根を止める覚悟で行かないと勝てない相手だと。そして、命が潰えるまで止まらない相手だと。
チャーリーの、ダリウスに対する信頼。俊輝はそれを知っていたし、今この瞬間、U-NASAを敵に回す事をわかりきっていてその上でダリウスに付くという選択をした時点で、それが揺るぎないものであると改めて理解した。
俊輝の、第七特務という立場。
U-NASAの後ろ暗い任務を担う、裏の部隊。それに就き、今目の前に立っているという事実。
チャーリーが俊輝と再会した瞬間にその素性を察する事ができたのは、ごく単純な状況証拠からだった。
今この山には、軍の航空機の重要部品が落下したという名目で一般人の入山規制が行われている。
今場所にいるのは、ダリウスとそれを捜索するU-NASAと陸軍の合同部隊、それだけだった。U-NASAにも軍の作戦参加者の名簿にも、その名前は無かった。ならば、おのずとその所属は参加者名簿にも記せない人間である事がわかる。
尤も、今のこの状況、第三勢力の介入の可能性が考えられる。さらには、先ほどの爆発のような音。そこから、それが敵対的存在なのだとしたら、それは恐らく、ダリウスの―
「お前の同僚、暴走してたぞ」
「……部下だなそれ」
「はっ、出世してんな」
第七特務、それも一般の所属では無く、少なくとも部下を持てる立場。その情報から、交戦での相手の技量から、チャーリーは警戒心を強める。
速い、というわけではない。反応速度も体術も、地球に戻ってから鍛練をしている事は想像がつくがそこまで大きく変化しているわけではない。
むしろ、原因はわからないが右方に対する反応の遅れを見るに、そこに関しては弱体化していると言っていいくらいだ。
だが、明らかに以前の俊輝と異なる部分がある。
それは、攻撃に対する遠慮がほぼ消えている事。
地球で訓練をしていた時、同じランキング上位で近接戦闘が主体という事でチャーリーは俊輝と幾度も模擬戦闘をしていた。
その際の俊輝という戦士の評価は『軍属経験も武術の経験も無いのにやたら強い一般人』だった。この一般人というのは、単に技量が足りていないという事を表現し卑下したものでは無い。
根本的に、相手を殺傷しようという意思が弱いのだ。
別にだから悪いという部分では無い。実際、軍人であろうとも加害、特に命を奪う事については及び腰になる人間が殆どだ。……というよりも、人間というのはそもそもそういう生物なのだ。
軍で『人を殺す抵抗を和らげる訓練』というものが存在する時点で、それを持ってしても実戦の後に心を病み軍を去る人間が多数存在する事から、それは国も認め軍の教育に組み込むほどの本能に根差した当然の感情だという事がわかる。
如何にして情け容赦の無い動きができるのか。相手に致命傷を与える動きができるのか。
自分の命がかかっているとわかっていても、人間はそれを避けてしまうのだ。
チャーリーも、訓練を重ねてはいるが自分がその本能の一切を省いて戦えるかと言うと、首を横に大きく振る。
相手を殺す躊躇を無くす訓練というのは人の心を削り捧げる行為だ。
軍というのは一般人を守る為にある。民が安らかに日々を過ごせるように、自分達は人として当然のものを削り取って銃を持つのだ。
チャーリーはその覚悟でいたし、軍人で全てを埋める事ができず一般人がそれをしなければいけない裏アネックス計画について憤りも感じていた。
だから、俊輝を見て少し安心していた。こんなに強くても、まだ彼は健全な人間として生きているのだと。
しかし、目の前の俊輝からは、かつてのそれの大部分が削れているように思えた。
命を奪う一撃に一切の容赦無し。殺害という行為に最適化された動き。
それが、他の部分ではそこまで強くなっていない彼を、理由は不明だが単純な身体機能では弱体化しているとまで言えるその武練を一段階違う別格の動きへと変えている。
先の一戦、同じ第七特務のカローラでさえも、自分やダリウスを明らかに殺すつもりであったものの、微かではあるが明確に仕留めるのはそこまでたどり着ける事が尊敬できる程の無意識のレベルではあるのだが躊躇しているように思えた。
今の俊輝の動きは、チャーリーが唯一見た事のある、完全にその本能が擦り切れた人間のそれに近づきつつあった。
「っ!」
俊輝の刃、その根本である手首を掴み、足を払い距離を取る。
姿勢を崩しながら脇腹に向け振るわれた刃を間一髪で避け、チャーリーは肝を冷やす。
そのいっそ機械的とも言える動きから、チャーリーはかつての裏アネックス合同演習を思い出す。
単騎でダリウスを除く自分達第一班15人を鏖殺し、息一つ切らさず笑うその姿を。戦いに笑い燃え狂う、その姿とは対照的に寸止めするとはいえ絡繰のように何の感情も無く冷酷に最適化された死を振るう魔物の表情を。
『良い動きだったわ。でも、もう少し相手を殺す気でかからないと実戦では生き残れなくてよ?』
まだその領域には至っていない。だが、着実に近づきつつある。地球に戻り第七特務に所属し、どれほどの戦いを経験すれば、そこまで削れてしまうのだろうか。
「……待った」
何とか拮抗している。だが、このまま時間を稼いだ場合、恐らくカローラが追撃してくる。
そうなればもはや勝ち目は無い。
リックも、相手の狙撃手からの妨害が入ったようでそちらへと向かっている。
リックが負けるとは思いたくないが、相手は第七特務の狙撃手だ。潜って来た場数が違う。どうなるかわからない。
そんな、明らかに不利なさ中、ストップをかけたのは意外にも俊輝の方だった。
両の手のひらを突き出し、この状況には似合わない呑気にも見える様子で、俊輝は戦闘を中断しようとした。
慌ててチャーリーも足を止める。
「どうも、なんかヤバいみたいだ」
語彙の足りていないそれに怪訝そうな表情のまま、チャーリーは俊輝の次の言葉を待つ。
正直な所、戦闘を中断できるというのは単純にダリウスが退避する時間稼ぎの意味を持つため、話がどう転ぼうが都合は良い。
「もうわかってるかもしれないが、捜索本部からの通信が途絶してる、そんでもって……」
「そんでもって、何だよ」
「……ああ、合流できるか? え、もうすぐそば?」
これまで落ち着いて話をしていた俊輝の表情が、間抜けな形に崩れる。
それと、樹上から人影が一つ飛び降りてくるのは同時だった。
「くっ……!?」
「……っ!」
それに対し、チャーリーは構え、その人影も同時に怒りに近い表情で懐の凶器を取り出す。
「カローラ、落ち着け」
だが、その剣呑な空気は、俊輝の一言で収まった。チャーリーを今度こそ始末する、という怒気を込めた空気だった人影、カローラが、俊輝の言葉で一歩下がる。
「……とにかくだ、交渉をしよう。ドンパチは一時中断だ。ダリウスさんを呼んで来いとは言わないから、取りあえずお互いにスナイパー連中を引上げさせよう」
――――――――
これが、先の交戦から少し前の出来事である。
「ほほう! 話がわかりますな! その腕前も惜しい、よければ我々と共に」
「いやー遠慮しときますわー」
それぞれの上司の命令により帰還した老人、クロヴィスとリック。
お互い無言に耐えきれずおずおずと言葉を交わした結果思いの外話が合い急ぎながらも談笑していた二人が見たのは、申し訳程度に消火活動をしているお互いの上司と同僚の3人の姿だった。
「リック……これ、消火はムリだ」
「遅かったなクロヴィス……」
そりゃそうだろうとは言えなかった二人である。
「率直に言うぞ。今現在、U-NASAに対して敵対的な集団が出現。捜索本部との通信が途絶えた。たぶん、壊滅だろうな」
「……俺の方にも今入って来た。各分隊が襲撃を受けて混乱状態みたいだ。敵はU-NASA所属では無い隊服を纏っている」
俊輝とチャーリーの言葉。それは、第三勢力、それも敵対的な存在の出現をはっきりと示していた。
先の、ダリウスとは逆方向から聞こえてきた爆発。空からの爆撃。
それはつまり。
「……つまり、だ。僕の目的は目の前という事だね。チャーリー、俊輝君」
「……何で!」
背後から響いてきた声。それに、チャーリーは思わず大きな声を上げてしまう。
そこに立っていたのは、ダリウスとそこに怯えながらも寄り添うアシュリーだった。
「お久しぶりです、ダリウスさん。剛大班長も、また会いたいと言っていました」
半ば反射的なものか、殺気を放つクロヴィスとカローラを手で制し、俊輝はダリウスに向けて軽く頭を下げる。
「班長、何で戻ってきちまうかなぁ」
リックも、呆れているがどこか嬉しそうにダリウスを見る。
この状況で、ダリウスが姿を現した事に対し、第七特務の三人はそれほどまで驚いた様子は無いようだった。カローラとクロヴィスの先の敵意はダリウスが敵対的な存在であるという前提での威嚇であり、相手にその態度が無いと理解した後は動向を見守っている。
「たぶん、まともに今動けるのは俺らと第一班の皆さんだけです。で、俺ら第七特務は正直アンタらより追い詰められてるまである」
俊輝の渋い顔は、それ謙遜でも何でもない事を示していた。
MO手術戦に関して、この山に派遣された人員の中で最も長けている第七特務の役目は、被害を極限しつつダリウスを無力化する事だった。
だが、この被害は看過できない。それがたとえ、ダリウスとは関係の無い敵の襲撃による被害であったとしても。
この大混乱の中でさらにダリウスを逃したとなれば、言い訳をしたところで恐らくU-NASAのお偉方はこう言うだろう。
――こんな事態は想定していない。
――……想定していない? 殺ししか能の無い貴様らが、鬼ごっこに興じて敵対者を見逃した、と?
――派遣部隊を守る為に戦った。標的を逃すのは、優先順位の関係上仕方の無い事だ。
――それで、最終的な結果として大きな被害を追い、さらには目標を逃した、何も成果を得られずすごすごと帰ってきたと?
「うん、それで、交渉と言ったかな? 君たちは僕に何を望む?」
わざわざ、自分達の窮状を馬鹿正直に話す必要も無いだろうに。
チャーリーは俊輝に、変に律儀な所は変わっていないな、と甘いと思いつつも安心感を覚える。
それは状況から把握できていたため、結局チャーリーから突っ込んでいた部分だ、言おうが言わまいが結果は同じようなものだったが。
「先の爆発音、今回の敵対者。ダリウスさん、恐らく、貴方が追い求めていた相手だ」
「……」
俊輝の言葉に、ダリウスは無言で応じた。
第七特務、ひいてはU-NASAは、どこまで自身の事情を把握しているのか。
それを図りかねる。
「この事は、俺達の独自調査です。U-NASA全体には知られていない」
「ああ、わかった」
ダリウスの納得と、無言で頷く俊輝。
「乱入してきた敵の始末をこっちに押し付ける、終わった後での隊長の身柄の引き渡し。代わりに、それが終わる
まで邪魔しない事と隊長の弁護、ってか?」
「何から何までその通りだ」
話に割って入ったチャーリーの言葉を、俊輝は肯定した。
ダリウスの目的を果たさせてやる。代わりに、できる限りの弁護はするがダリウスにはU-NASAに出頭してもらう。それが、俊輝の、第七特務の出した条件だった。
「……お前達が約束を守る保証が無い」
「それはお互い様ですとも」
チャーリーの言葉にクロヴィスが答える。この交渉は互いに確約ができないものだ。
邪魔者を始末させた後で第七特務がダリウスと第一班を一方的に捕えないという保証は無い。
逆に、第七特務が目的を果たした後で、もしくはその前にでも逃げ出さない保証もまた無い。
「しかし、お互いが約束を守れば我々がお偉方から受ける追及は最小限になりますし、貴方方は燃え尽き症候群のダリウス殿を少しでも救いの芽がある状態にする事ができるのですぞ」
クロヴィスの、チャーリーに、ダリウスに目線を移しながらの言葉。それに、チャーリーは気味の悪い、内心を見透かされているかのような感覚を覚える。
知られている。ダリウスが、目的を果たした後は自らU-NASAへと身を捧げるつもりなのだと。その後の死すら、受け入れているのだと。
「……僕の事はどうでもいい。何だったら弁護も必要無い。代わりに、一つ条件を追加してほしい」
「聞かせてください」
ダリウスが、神妙な、しかし俊輝に向けて鋭い目を飛ばす。
「一時的にとはいえU-NASAを裏切った僕の班員達に、責が及ばないよう配慮してもらいたい」
「それで約束していただけるなら、喜んで」
言葉を交わした後、ダリウスが、俊輝が、無言で一歩踏み出す。
「良かった。それを受け入れてもらえない上に最悪の結果になったら、ここで『能力』を全力で打つところだった」
「……剛大さんが言ってた通りの人だ、貴方は」
お互いが差し出した手を、ダリウスは穏やかに微笑みながら、俊輝はダリウスの言葉に隠しきれない動揺を覚えながら、それぞれ握る。
第七特務側が交渉を反故にして捕えに来るリスクを踏んでまでわざわざ標的であるダリウスが姿を見せた理由。
それは、彼が無鉄砲だからでも愚かだからでもない。
自分は別にいい。だが、部下に手を出すという態度を取るなら皆殺しだ。
お前らにとって僕の部下はどうでもいいだろうが、自分の命は惜しいだろう、と。
その意思をひしひしと感じ取り、俊輝は唾を飲み込む。
こうして、互いの危うい天秤の元、この事態の解決に向け同盟は結ばれたのだった。
観覧ありがとうございました!
今年中に1章の終わりまで行ければいいなぁ……と……いう感じなので恐らく今後数話は更新早めになるかと思われます。