深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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第79話です。スナイパー組の戦闘シーン。


第79話 黒の射手

「チッ……」

 

 リックは地面を転がり、素早く樹の裏に身を隠す。

 先の弾は正確に頭部の位置を射抜いていた。回避しなければ、あの場で死んでいただろう。敵は単体。距離にして目測で700m。

 異常だ、とリックは舌打ちをしながらハンドルを引き、次弾を装填する。

 

 初弾で、この距離を、単独で。

 それぞれの要素を見れば、決しておかしいものでは無い。

 

 27世紀の狙撃銃は昔のそれに比べれば弾そのものや火薬の性能も上がっており、風や重力といった誤差をある程度は軽減できる。

 700mという距離は軍の狙撃手としては特筆して長距離というわけでもない。

 観測手に頼らず単独行動をする狙撃手もいる。

 

 しかし、この全ての要因が一つに合わさっている、その事実にリックは鼓動が早くなるのを感じ取る。

 

 相手は卓越した技術を持っている。だが、狙撃手としては致命的な部分が一つある。それに対して、自身が圧倒的な不利でありながらもリックは恐れより怒りを覚えていた。

 

「――!」

 

 再び、周囲をレーダーの如く回転して索敵するリックの目に、影が立体化したかのような黒色の人型が映る。

 同時に、それが構える銃がこちらに向けられている事も。

 

 再び相手と自分の間に樹が来るように、素早く樹を周る。直後、右目が一瞬で通過する弾を捉え、直後に風を切る音。

 

「舐めやがって……いや……」

 

 相手は、余りにも目立つ格好をしていた。

 その黒衣は、夜戦であれば効果を見せた事だろう。

 しかし、今は昼間。周囲の緑を塗りつぶし映えるそれは、狙撃手として必須の隠密性を殺している。

 

 本来であれば、昼夜を問わない森林用の迷彩を使用すべきだ。

 かと言って、相手が素人なのかと言われると、これまでの2発の狙撃とその後の退避は明らかに熟練のそれだ。

 己の命に関わる最も基本的な部分と言える隠蔽は、スナイパースクールで最初に習う事の一つだ。

 そこをおろそかにするなど、普通では考えられない。

 

 ならば、相手の目的は。

 

「いいぜ、付き合ってやるよ」

 

 リックは懐から缶を一つ取り出し、足元に放る。

 そこから吹き出す煙が周囲を覆い隠すのに、そう長い時間は要さなかった。

 

 恐らく、相手はこちらの目を引くのが目的だ。わざと目立つのも、そのため。

 煙幕に乗じ、相手のいるであろう方向へと移動する。

 

 接近するほど正確な狙撃を受けるリスクは高まるが、今の距離でも頭に直撃する精度はありそうだ。

 ここから近づいても、そこまで変わらないだろう。

 相手の位置を予測し、樹を盾に距離を詰めていく。片足がほぼ機能していない状態だ、走るというには余りにも遅かったが、それでもMO手術による身体能力の強化と軍人としての訓練された動きは、森の中を駆け抜けていく。

 

 

 再び、相手は姿を現した。距離はおおよそ350mほど、半分ほど距離を詰めたリックの真正面の位置で銃を構えるそれに向けて、リックもまた銃を向け引き金を引き、同時に横に跳び身を隠す。

 

 当たらないのはわかっているが牽制で放ったそれの効果はあったようで、相手の射撃が遅れる。

 再び隠れた樹の裏でしゃがみこみ、MO手術の効果で大分スタミナは強化されているものの、それでも短距離での全力の移動は堪えたのか、荒い息を繰り返すリック。

 

 ここまで派手に移動して落ち葉を巻き上げていては、背景に溶ける自身の能力と己の銃もそこまで意味を持たない。

 だが、やられっぱなしではいられない、とリックは顔を出し、周囲を探る。

 

 姿勢を低くして移動する相手の姿は、すぐに見つかった。

 ここに例の卵が落ちてきていないのは幸運としか言いようが無かった。

 混乱し、つい先ほど連絡が途絶したらしい本隊からの連絡によれば、敵性的存在と思われる爆撃は完全な無秩序というわけではなくある程度場所を絞って落ちてきているらしかった。

 

 大雑把ではあるものの、それは生物を狙って起動を修正しているきらいがある、というのがこの切迫した状況での推測だ。

 

 何を基準に標的を決めているのかは定かではないが、チャーリーの付近には数発落下しており、自分の周囲には落ちてきていない。

 辺りを火の海にされると狙撃の際に大きなずれが生じるため、できれば避けたい状況だった。

 狙う側から狙われる側になってしまったリックの身としては、何とも言えないが。

 

「!?」

 

 そんな事を考えながら、二発目で当てるつもりで駆ける相手に照準を合わせていたリックは、相手がこちらに鋭い目を向けたのをスコープ越しに確認し、声を出さないまでも驚いていた。

 

 本人だけでなく銃までもが完全に背景に溶け込み、極力動く事なく狙いを付けていた。

 だが、それが先ほどまで移動に集中していた状態から一瞬で位置を知られた?

 そこではっとリックが気付き、スコープを手で塞ぐ。

 

「オイオイ冗談だろ!?」

 

 いやこれじゃダメだと判断したリックがスコープから顔を外したのと、相手が一瞬で自身のスコープを除き弾を放ったのはほぼ同時だった。

 

 瞬間、リックのスコープが砕け散り、頬を銃弾が掠める。

 相手はリックの迷彩を見破っていたわけでは無く、スコープの反射光を認識しそれで場所を把握していたのだ。

 それに気づいた瞬間、リックの脳内を撤退の二文字が占める。

 今更気付いた話でもないが、分が悪すぎる。

 

 それに、こちらを認識してから反撃に転じた速度。

 まるで、一切体のブレが無いかのような、一瞬で姿勢を整えての反撃。

 これは逃げた方がいいな、うん。一度そう考えるが、即座に却下。

 

「俺が逃げりゃ、皆がやべぇ」

 

 相手は自分を引きつけているようだが、それでも自分という障害がいなくなれば即座にU-NASA側の支援に移るだろう。そうなれば、隊長やチャーリー達は無事では済まない。

 今戦っているチャーリーとその相手の実力は拮抗している。だからこそ、支援を加えて勝てると踏んだのだ。

 そこに自分が戦っているコイツが加われば、総崩れだ。

 

 次にヤツが姿を見せるのはどこか。その瞬間に、自分の命脈が断たれるのだろうか。

 スコープが壊された。射撃戦での勝ち目はゼロに等しい。

 

 逃げ出したい。今すぐ白旗を上げたい。狙撃手なんて選んだのも、銃弾が飛び交う前線よりも安全だと思った、その程度でしかない。

 命が惜しい。怖い。

 

 そして、リックは一度銃を下し。

 

「あーあ、俺ほんとバカだわ」

 

 自身を守る樹を抜け、一直線に駆けだした。

 失ってもっと惜しいと思うものがある。怖いと思うものがある。

 自分の命を賭してでも、時間を稼ぐだけという釣り合わない結果を得たい、そう思えるだけのものがある。

 

 

 一瞬、リックは常に自分を観察しているかのように感じられた敵の目が揺らいだように感じた。

 恐怖をかき消すように大声を上げ、先ほどの敵のいた方向へ力の限り進む。

 

 さあ出てこい。殺してみろ。獲物がここにいるぞ。

 リックのそのような意思が届いたのか、敵は再び姿を現した。

 

「……ほう」

 

 それは、リックの真正面だった。黒衣の老人。

 近寄って初めてわかる自身を上回る体躯に、外套で隠れているものの老いを感じさせない肉体。

 その瞳は、嗜虐的な好奇の色を含みリックを見つめていたが、それは即座に憑き物が落ちたかのように消えた。

 

「良い目をしておりますな」

 

 そこには、老人を比喩する枯れた、などという表現とは程遠い、ただ目の前の敵を見据え勝利を得んと戦いに臨む戦士としてのそれでは無く、戦い甲斐のある敵を目の当たりにして猛る、戦闘狂と呼んだ方が近い貌があった。

 

 

 

 これを彼の隊長や同僚が見たら、さぞ驚く事だろう。第七特務の拷問官、味方や一般人に対する紳士的な態度の裏側に隠れた嗜虐癖。敵対者に対する一方的な加害を好む悪意を塗り固めたようなこの男が、このような表情をするのか、と。

 

 

 その手に握られた銃を心底大事そうに撫で、行くぞ相棒と言わんばかりに構える。

 リックの目は、こんな状況であるのに一瞬その銃に奪われた。

 

 見た目自体は先の戦闘でも見た通りそれこそ600と数十年前の、骨董品と言っていい銃だ。

 性能はリックの専用装備であるそれと遜色ないように感じられたため、恐らく新鋭のものにガワを被せているのだろう。

 ガンマニアなのだろうか。これが平和な時であったなら、きっと趣味が合ったに違いない。

 

 しかし、リックが思わず目を向けてしまった本当の理由。それは銃床の部分に彫られた短い英文だった。正確に言えば、その英文が重要なのでは無く、英文が彫られている部分が上から執拗に刃物でずたずたに傷つけられ、さらには念押しと言わんばかりに赤の塗料で大きなバツが振られていたという部分。

 英文が彫ってある、というのがやっとわかるほどに傷つけられ塗りつぶされたそれ。大切に扱っているはずの銃に、憎しみや怒りが向けられているような痕がある。

 

 

 だが、そこで銃が自身に向けられ、それに関して深く考えている暇は無くなった。

 後十歩も駆ければ手が届く距離。もはやスコープが無くとも外す事も無い。

 

 リックもまた同時に銃を構え、迷いなく引き金を引く。

 体を右に傾けるリック。外套を翻す老人。弾丸はお互いに当たらず。

 

 そして、両者の距離が無くなる。

 

 

 迷いなく銃を放り捨て、リックは懐のサバイバルナイフを振り抜く。

 大振りのそれに、老人の目が動き、回避動作を取ろうとする。

 

「シャアッ!」

 

 だが、避けようとしたその腹に、リックの口から放たれた一撃が突き刺さる。

 カメレオンの舌。その加速力が自然界でも一角の物であると言う事はあまり知られていない。

 

 その速さ、停止状態から時速90キロに到達するまでに、僅か0.01秒。

 

 本来得物を絡めとるため、しかしMO能力によって得たそれは、致死的な一撃でこそ無いものの対人戦に置いて反応すら困難な武器だ。 

 

「……良い」

 

 事実、老人は回避できずそれを腹に受け、骨を軋ませる。

 その瞳と歪んだ口元からは、抑えきれない獰猛さがにじみ出る。 

 

「っ……」

 

 一撃を当てた。だが、動揺したのはリックの方だった。

 

 本来であれば、受けて初めて気付くほどの速度の一撃。だが、相手は微かに反応していた。

 片目でナイフの軌道を捉えながら、もう片方の目が一瞬、舌を追うように動いたのだ。

 さらに、相手は間に合いこそしなかったが重心を後ろに傾け、威力を殺そうとしていた。

 

 

「貴方のような戦士がいれば軍も安泰なのでしょうな。その戦意に敬意を表し……」

 

 瞬間、リックの目が剥き出しになっている老人の左腕の微かな変化を認識する。

 白の体毛。それが、ガラス細工か何かのように透明に変わり、さらには曲線がぴんと伸び直線となる。

 

 そして、それの一部がサイズを増していく。

 

 透明の、観察すれば中空となっている鉛筆の芯ほどの長針へと成長したそれを抜き、老人ははっきりとリックを見据える。

 

 

「本気でお相手させていただきましょう。苦痛を贈って差し上げ……」

 

 老人がそれを言い終わろうという部分に差し掛かった瞬間だった。

 

 二人の通信機が、同時に音を発する。

 突然の横やりに戦意をくじかれたのか、両者無言の一歩後退。

 

 二人に向けた通信、それはそれぞれお互いの上司からのものであり、伝えられた内容もまた同じものであった。

 

 

「戦闘中止して戻ってこいだぁ……?」

 

「隊長、私決め台詞を言っておりましたのに中断させられると大変恥ずかしいのですが」




観覧ありがとうございました!
次回、会話パートメインちょいバトルくらいとなります

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