――アメリカ合衆国 コロラド州 某所
さく、さくという、落ち葉を踏む小気味良い音が、観光地からは程遠い深い山林で静かに響いていた。
しかし、その音の主の表情は楽し気なものとは程遠かった。
いつもは整えられている暗い赤の髪は湿気と泥に汚れ、その目には疲労の色が濃い。
「……ふう、しかしまあ、随分と……早まってしまったな」
周囲を見回し、耳を澄まし、何もいない事を確認した後、その青年は木にもたれ掛かり、懐から水筒を取り出す。
これまた汚れたレインコートに身を包む彼が、かの火星開発計画、その背中を守るために派遣された部隊で最強を誇っていた猛者であろうとは、この光景を見て誰が信じるだろうか。
ダリウス・オースティン。『裏マーズランキング』1位にして、戦場で最も近寄りたくない人間に数えられる男である。
そんな彼が、なぜ薄汚れた格好でこのような場所を歩いているのか。そして、お尋ね者として命を狙われているのか。全ては、火星から帰還した後のあの日が原因だった。
お役目を終えた兵器。そのまま廃棄されると思っていた。その覚悟で、地球に戻って来た。
そんな彼に与えられたのは、このコロラド州の田舎、U-NASAの有する邸宅での軟禁生活だった。
結果から言えば、ダリウスの扱いは保留となり、審議される事となった。それが決定するまでの、暫定的な処置だ。
人道を外れた罪を積み続けた重罪人。しかし、紛れも無い、広域制圧という点ではこれ以上は考えられない、極めて強力な能力。
意思を持つ、それもいつ暴走するかわからない狂気を底に秘めた核兵器があった場合、それをどう扱うべきなのか。解体すべきだ。いや、処分してしまうにはあまりにも惜しい。
その議論は進まず、それに合わせてダリウスの生活も長引いた。
それに関して、ダリウスに不満などあろうはずも無かった。
元々即座に死を受け渡される事を覚悟していたのだ。
外出こそできなかったが、必要なものは揃っていたし、望むものは頼めば用意された。
屋敷の使用人たちも、ダリウスの経歴を知って最初こそ怯えていたものの、時間が経つにつれてその態度は和らぎ、最後にはとても仲良くなった。
そんな和やかな生活に、むしろ火星に行く前の獄中生活と比べればよっぽど恵まれている、と考えていた。
しかし、それはほんの一瞬で粉々に壊れてしまった。
ある日の朝、そこに立っていた一人の少女。ダリウスの先祖を名乗るその少女は、ダリウスに会いに来たのだと言う。
困惑しながらも話を聞いていたダリウスに、少女は料理を振るまおうとした。
……屋敷の従業員、その中でも特にダリウスと親しくしていた、お手伝いさんの肉を。
そこからの時間は嵐のように過ぎていく。少女を仕留めんと襲い掛かったダリウスは自身と同種の能力を持つ少女に一瞬の攻防ではあるが押し負け、そのまま少女は屋敷を去っていった。
茫然としていたダリウスが正気を取り戻すのに、どれだけの時間がかかっただろうか。最初にした事は、屋敷の中を歩く事だった。他の屋敷の人々はどうなったのか、大丈夫だろうか。
MO能力を使った爆音と激しい破壊。それを聞きつけて、誰も駆け付けてこない時点で、わかりきってはいた。だが、藁にも縋る思いでダリウスは屋敷の部屋を巡った。
結果得られたのは、激しく損壊した、しかし野生動物に食われたのとは全く違う、まるで調理のために可食部位だけを切り取られた全員分の遺体だった。
そこから、ダリウスの記憶は薄れている。なんと酷い事を。一瞬、それを考えた事はまだ覚えている。だが、即座にその言葉は反転して自身に突き刺さった。それはかつて、自分が散々行ってきた事ではないか、と。
そして気が付けば、ダリウスは山岳に立っていた。
『薬』は没収されている。だが、ダリウスの施術、αMO手術は薬を用いなくても能力を使用できる。脱走しようと思えばいつでも脱走できる力を持っているのだ。
そのため、U-NASA本部へ毎日定時連絡が行われ、それが途切れた際には即座に調査が行われると聞いていた。
だから自分は急いだのだろうか、とダリウスは思う。
U-NASAが詳細に調査すれば、ダリウスが冤罪であるという事はわかるだろう。しかし、その身を狙う未確認の、それもダリウスと同種の能力を宿した敵対者が存在していると知られれば、ダリウスは厳重に管理された施設の深奥に隔離されるに違いない。
それが嫌というわけでは無い。自分が犯した罪にはその処遇が当然であるし、屋敷での生活は甘すぎる、とも考えていたのだから。
しかし、それはとある事を意味している。
「俺の手で、絶対に殺す」
ダリウスの中で燃え盛る、怒りの炎。仇を取るのだ。自分のような人間に暖かく接してくれた、あの人達の。そして、あの怪物を仕留めるのは、同じ罪を負った自分でなければならない。
これまで沢山の人の命を奪い、それを喰らってきた。しかし、そこにあったのは、人間に対する得体の知れない好意だった。だが、アレに対して感じるのは、ただただ身の内を焦がす怒りと憎しみ、そしてある種の使命感だった。
だから、逃げ出した。やはり危険な兵器だ、始末しようという決定が下される事が確実だとしても。
自分の事を善良な人間だと信じてくれた屋敷の人々の想いを裏切る事になるのだとしても。
自分が、自分の手でやらねばならないのだと。
相手の所在はわからない。何かに属しているのか、それすらもわからない。あまりに無鉄砲。だが、ヤツは言っていた。"今度会う時には"と。
ならば、再び向こうから接触してくる。
そう考え、ダリウスはこの山林で時間を過ごしていた。
追撃の手はまだかかってはいない。しかし、それも時間の問題だろう。
交戦はできる限り避けねばならない。ダリウスの能力は数的不利をものともしないが、その能力は使用しただけで非常に目立つ。その場しのぎはできるものの、その後非常に不利となってしまう。
「……!」
そこまで考え、ふとダリウスは顔を上げた。少し遠く、なだらかな斜面によってダリウスからは見えない位置であるが、足音が聞こえる。そしてそれは、みるみる内にこちらに近づいてくる。
人数は三人。どうする。身を隠すか。いや、明らかにこちらの場所を認識している。
判断を迷っている余裕は無い。
周囲を見回す。
奇襲ができる場所の目途を立て、警戒を怠らず。
ダリウスはその足音と気配に真正面から向き合い、構える。
正面からの迎撃。それが、ダリウスの選んだ答えだった。
邂逅の瞬間を、動悸を収めながら待つ。
先手を取り、一人か二人を無力化する。そこから戦闘を続行するか逃走するかは状況次第だ。
そこで、ダリウスは首をかしげた。
統率の取れていた相手の歩調が、乱れたのだ。
一人だけが明らかに速く駆けだし、突出した。
……何故だ。もしかしたら、こちらの無力化を前提とした訓練されている人間では無く、捜索に携わっている一般人の可能性。
それに思い当たり、姿が見え次第の攻撃は控えた方がいいのでは、とダリウスは考える。だが。
民間人にしては、速すぎる。というか、一般的な軍人と比較しても遥かに速い。
決して足場のよくないこの場所でこの速度を出せる、一体何者か―
何者なのか。何故各個撃破の危険を冒して突出しているのか。その答えを、ダリウスは直後に知り、そして深く納得する事となる。
「……っ!」
「……ああ、成程……」
斜面を駆けあがり、その相手はダリウスの目の前に立った。同時に、部分的変態により形成された毒針を繰り出そうとしていたダリウスはその手を下す。
軍服に身を包んだ男だ。しかし、それより重要なのは、明らかに人間のものではない毛に全身が覆われている、という部分。
全力で駆けてきたのか荒く息を吸って吐きながらダリウスを見つめるのは、嘆き、怒り、焦燥と様々な感情がない交ぜになった複雑な表情。
「なん……で、聞かせてくれ……隊長!」
よく響く大声で、怒鳴りつけるかのようにダリウスに問う男。
それに対し、気まずさで頬をかきながら、ダリウスはU-NASAの時と同じ、努めて軽い調子で言葉を返すのだった。
「久しぶり……体はもう大丈夫かい? チャーリー」
――――――
「しかし、だよ? アイツの探すものがこんな場所に落ちているのかね? 不思議だね」
それは、彼らの邂逅より少し後の事だった。
U-NASAのそれと違う隊服を纏った十数人の一団が、山道を進んでいた。
その先頭に立つのは、暗い色の赤を基調としたきらびやかな衣服を身に着けた少女。
疲れた様子は伺えず、機械的な歩調で先頭の少女に合わせて歩みを進める。
そこで、少女が呟いた言葉。それに、敏感に反応し、内の一人が少女に話しかける。
「……エスメラルダ様、もう少し発言には」
「黙れ」
苦言を呈したのは、少女、エスメラルダの数歩後ろを歩いていた隊員。
その回答は、足を貫通し地面に突き立った。槍の如き大きさのフォークだった。
「……っ……あっ……!」
苦痛に身を震わせ、しかし足を地面に縫い付けられているためのたうち回る事もできず、隊員はただ顔を歪める事しかできない。
「ンン……やっぱり、人が多いなあ……」
フォークを引き抜き、木々の切れ間から少しだけ見える青空を眺めながら、エスメラルダはその手に持ったものを一口齧る。
水気が滴る赤色のそれを咀嚼しながら、恍惚にその目と表情が歪む。
「まあ、いいけど。あの子は人気者だね」
満足したのか、一度齧っただけのそれを放り捨て、真っ赤に濡れた手を舐める。
「さて、そろそろ本格的に探そうか……でも、その前に、邪魔者の排除から、かな。山狩りってヤツだね。懐かしいなぁ……まあ昔は私がやられる側だったけど」
唐突な思いつき、といった調子で一つ頷き、エスメラルダは腰に差した注射器を首に差す。
それを見た隊員達の間に、動揺が走る。
背からは脈の走った半透明の薄い翅が生え、右腕からは鋭い針が伸びる。その体は黒の体皮覆われ、所々に緑と赤の模様が浮かぶ。
「お、お止めください!」
「ン? ああ、このままじゃ君達を巻き込むから、だろう? わかっているとも」
慌てて制止した隊員に対し、正気の色が薄い笑みのまま、エスメラルダは言葉を返す。
広範囲の破壊。敵味方の選択などできるはずも無いそれは、一度解放されれば周囲に味方ばかりのこの状況でそれを使う事は、凄惨な自爆行為に他ならない。
実際はそれに加えて、そのあまりに目立つ一撃によって今この一帯を捜索しているU-NASAの部隊に所在が知られ、遭遇しないためでもあるのだが。
「さてさて、じゃあソレを開いておくれ」
「了解です……?」
一先ず、この狂人にもいきなり能力を使わないだけの分別はあったのか、と安心した隊員であったが、次の指示に疑問を覚える。
エスメラルダが指を指したのは、隊員が運んでいた棺桶のような形状の箱。
何が入っているのかは知らされていなかったし聞く事もできなかったが、かなりの重量物でここまで運んでくるのに相当の苦労を必要とした。
指示に従い、開かれた箱。そこにぎっしりと詰まっていたのは、握り拳大ほどの大きさの、楕円形の機械のような物体だった。
それを確認し満足げに頷いた後、エスメラルダは左手をひょいと空に向ける。
その動きに呼応するかのように、無数の楕円形の物体が半分ほど、ふらふらと弱弱しく、まるで殆ど残っていない力を最期に振り絞っているかの様子で宙に浮かびあがる。
さらに、物体はエスメラルダにふよふよと近づいていき、周囲を取り囲み、渦を巻き始めた。
「うん、良いね」
口を歪め、エスメラルダは笑う。何をしようとしたのか、隊員達にはわかった。しかし、それを止める隙は無く。
――――!
エスメラルダの腹部が、激しく振動した。彼女の能力、その予備動作。
隊員達は、そこで死を覚悟した。
しかし。
それが止まっても、いつまで経っても破壊の嵐は吹き荒れない。
音こそ多少はあったのもの、それは鼓膜を破壊するわけでも、物理的な破壊をもたらすわけでもない。
エスメラルダはその左腕をまるで指揮棒を振り上げる指揮者のように掲げる。
そこで、初めて隊員達は
エスメラルダの体内から伸び左腕に巻き付いた、五線譜のような金属の糸を。
その体内で鈍い光を放つ、機械のような何かを。
「……フフ、美しいだろう? 私の可愛い子孫の為に作られた装備の試作品……らしいよ。フリッツの奴に貰ったんだ」
自慢げに天に翳された腕。
それに呼応するかのように、これまで死にかけの魚のようだった楕円の機械が、息を吹き返したかのように高速で天に向かって渦を巻きながら昇っていき、木々を超えて上空までたどり着いた数百はあろうかというそれは、四方八方に散って行く。
そして。
無数の激しい爆発音が、森の、山の、所々に響き渡る。
「クク……アハハ、アハハハハ! ああ、良い、良いね! 悲鳴を聞けないのが残念でならないよ!」
狂ったように笑うエスメラルダと、その様子を唖然と見つめる隊員達。
結果はその音を聞くだけでわかるのに、その原因、原理がわからない。
「まあ、コレで死ぬ程度だったらそこまでだろうし……楽しませておくれよ、私の可愛い子孫!!」
駆けだしたエスメラルダ。その後を、隊員達は慌てて追いかける。
この惨劇が起こるまで、あと一時間ほど。
観覧ありがとうございました!
なんかヤバイ武器、何となくわかるでしょうがヒント:単行本最新刊
8/22追記
既に変態後の外見の描写が当小説内でされているあるベース生物について調べた結果、外見的特徴が異なる事が判明したため、一部改稿を行いました。ベース生物の予想をしてくださっていた読者様方、申し訳ありません……
詳しくは活動報告に書いてあります。