それは火星から帰還した翌日の事だった。脱出ポッド内部の医療設備では完治は望めない重傷を負っていた俊輝と静香は当然、U-NASAの病棟に担ぎ込まれたが、その重傷者の俊輝に本部への出頭命令が下った。
ここで、何となく俊輝は察していた。
当たって欲しくなかった予感は見事に的中し、俊輝を待っていたのはローマ連邦幹部搭乗員の殺害に関する追及だった。
どこからそれが漏れたのか? あの場を見ていたのは当人である自分と静香、エレオノーラ以外にはいなかったはずでは? そのような疑問の答えを得る事はできないまま、どこからかそれが撮影されていた映像を見せられ、言い逃れなどできず。
俊輝にできる事と言えば、自分が静香に命令して無理矢理戦わせた、という自白をする事くらいであった。
映像こそあったが音声のやり取りまでは記録されていなかったため、この自白は無事通った……と言うよりは、責任を取るのが誰か、というだけでどうでもよかったのだろう。
ローマ連邦幹部搭乗員、エレオノーラが乗ろうとしていた脱出ポッドは元々日本の宇宙艦のものであった事、俊輝と静香がこの場所を逃せばもはや次の脱出ポッドや宇宙艦に辿り着く前に衰弱、もしくはテラフォーマーの襲撃で命を落としていたであろう、という事情も慮られたものの、それでもそれは彼に対して命を以て償え、という罰への免罪符になるほどのものではなく。
ヘタをすれば日本とローマ連邦の国際問題だ。
そもそも、ローマ連邦がこの事を知っているのか、それもよくわからない。
まあ、自分の命で済むのなら、他に追及される人間がいないのなら、とそれで一度は納得した俊輝であったが、そこで助け船が。
『お前の友人が命がけで助けたお前の命を、こんな所で捨てていいのか?』
厳粛な会議の場で俊輝に、火星で彼が叫んだのと同じ言葉で語りかけたのは、査問会議に参加していた1人だった。
会議の末席に、明らかにあり合わせで何とかしました、という様子の安物のパイプ椅子に腰かけた、見るからに屈強そうな壮年の男。
支部とは呼ばれているがその所在はU-NASA本部にある第七特務の隊長だというその男は、俊輝を引き取りたい、と提案したのだ。
幹部搭乗員をその手にかけた重罪。それは裏を返せば、『裏マーズ・ランキング』最上位に君臨する強者を戦いにおいて上回った、という事に他ならない。事実、証拠となる映像を見ても、両者大きく消耗しており『8位』の助けこそあったものの、ランキング4位、能力を抜きにした素の実力であればほぼ最強を誇るエレオノーラを相手に切り結び、勝利を掴み取ったのだから。
ここで失うには惜しい、というのが男の意見だった。
男に対して、会議の参加者たちは露骨な侮蔑の目を向けていた。だが、同時に納得もしている様子だった。
男が自分を引き抜きたいと言った理由も、男が周囲からそんな反応をされた理由は俊輝にはわからず。
彼は第7特務の事自体は火星への出立前から知っていた。
U-NASA本部付きで広報活動と雑務を担う部隊。そんな部署の彼が、こんな軍法会議のようなものにかけられている俊輝をこのような場でヘッドハンティングをしようとしているのか。
何故このように煙たがられていると同時に、どこかで一目置かれているような反応を周囲のお偉いさん達にされているのか。
とにかく、そのような事を深く考えるよりも先に、俊輝は男の提案を受ける事にした。
友に救われた自分の命。それを捨てないで済む選択肢があるならば、それ以外を選ぶ理由などあるはずもないのだ。
こうして、俊輝の就職先は決定した。U-NASA本部という、病棟の静香の様子を日常的に見に行く事ができ、他の第1班の仲間達とも簡単に会える。針の筵から一転して、良い職場ではないか。人間万事どうとやら、とは言ったものだ。
「おや隊長……またどこかから拾ってこられたのですか?」
「わぁ……強そうだね!」
「……はじめまして。これから共に頑張りましょう」
「へー! この人が新入り! すごいねすごいね!」
期待と共に案内された部署で、俊輝はこれから共に仕事をする仲間達と顔を合わせた。
見るからにキャリアウーマン、と言った風貌の、眼鏡をかけた女性。煤で汚れた白衣を着た女の子。
少し暗い雰囲気ではあるが、一番まともに挨拶をしてくれた少年。少年の隣で興味深そうに俊輝を見ている、煌びやかな服を着た少女。
他にも、十数人の職員に自己紹介をして回った。年齢性別、人種もバラバラな、バリエーションに富んだ彼らは、皆俊輝の事を歓迎してくれた。
一見すると何の問題もない、むしろとても良いのではないかと思う雰囲気の職場。
俊輝のその認識が、希望に溢れたそれが一転したのは、勤務初日、新入りの彼の世話役を任された女の子と施設を回っていた時の雑談だった。
「えーっと、ノンナ……さん?」
「呼び捨てでいいよ! どうしたの?」
「この部隊の部隊章って……アリ? 働き者、みたいな?」
新しい職場の上司? であるノンナ、研究者というかメカニック然とした格好をしている彼女に対して共通の話題が思いつかなかった俊輝が指を指したのは、自身の制服の胸の部分だった。
第七特務所属である事を示す部隊章。機械的な角ばったデザインになっているが、虫の頭部を元にしているような意匠に思えたのだ。
ノンナが知っていても知らなくても話が続くだろう、とお手頃な話題だと考えてのものだったが、その回答は彼にとって聞き覚えのある、ここでは聞きたくなかった言葉を含んでいた。
「うん! アリだよ! 隊長の手術ベースだね!」
「えっ」
「ん?」
いやいやいやいや。ちょっと考える時間をくれ、と両手のひらをノンナに向けた俊輝と、首を傾げて疑問符を浮かべるノンナ。何とも言えない空気が、狭い通路に漂う。
手術ベース。アリ。隊長の。少なくとも俊輝は、手術ベースという言葉を一般的に使う場面を聞いた事がない。
それが使われる場面、というか分野。それは、彼も受けているMO手術に関する事だ。
言うまでも無く、MO手術は一般には機密とされている技術である。バグズ、アネックス計画の総本山であるここU-NASA本部には彼らバグズ・MO手術被術者の訓練施設や医療設備があり、そこに勤務する職員であれば知っている人間がいても不思議ではないだろう。
しかし、第7特務は広報活動と雑用を主な業務とする部隊だ。
そんな彼らにMO手術の情報がもたらされているとは考えにくいし、そもそも。
隊長がMO手術を受けている?
広報活動のどこにMO手術が必要なのか。この時点で、暗雲が立ちこめてきている。
「そうだ、俊輝くんは何のベース生物なの? やっぱり虫? だったら僕と一緒だね!」
からの追い打ちである。
隊長は諸事情あって元バグズかMO手術を受けていてそれをうっかり話してしまったけどまだ小さいノンナはそれをよく知らずに言葉だけ使っているんだそうに違いない、という脳内を高速で流れる現実逃避はノンナの次いでの一言で一刀両断される。
MO手術の被術者が最低二人集まる職場。いや、この流れであれば、隊長とノンナだけではなく。
「あ、俊輝君は何をやらかしたの? 僕はねー……」
俊輝が答える間も無く立て続けに質問され、混乱の極みである。ベース生物。さらには、何かをやらかした? 俊輝君"は"?
続く言葉を受け入れ、その意味を理解し、返答する。それをするには、ここを平和で穏やかな職場と信じていた地獄帰りの青年の精神のキャパシティは足りなかった。
「オウ、俊輝、ノンナ、ご苦労さん」
そんな2人に、段ボール箱を三つ抱えた男が話しかけてくる。
「ど、どうも、隊長」
「おはようございます!」
ぎこちなく返答する俊輝と、手を挙げて元気に挨拶するノンナ。それに対して男は、今昼過ぎだけどな、とノンナの頭をぽんぽん叩きながら笑う。
彼の名はギルダン・ボーフォート。この第7特務の総責任者、即ち隊長である。階級としては支部で最も偉い人間……という事になるのだが、この第7特務は支部というには小さいものであるため、その権限は火星派遣の際の実戦部隊の隊長、即ち剛大と同程度だ、と俊輝は事前に聞いていた。
「ん、挨拶周りは終わったか? じゃあ、アジトの方に案内しようか」
疑問は尽きず、一つも解決していない。そんな俊輝に、アジトなる不穏極まりないワードが投げかけられる。
こうして、哀れな生還者の地球での日々は始まった。
そこからの日々は目まぐるしく過ぎていった。
U-NASAから車で数時間の、山林に秘匿された施設。そこで俊輝を待っていたのは、先ほどまで挨拶をして回った和やかな職員さん達とは打って変わった数十人の荒くれ者達。
第七特務が広報活動を担当しているというのは表の顔で、裏では世界に広がった裏社会のMO手術を抹殺する為に動く部隊であるという事。
とある戦場で派手に暴れたせいで雇い主の敵対勢力にマークされてしまい指名手配を受けたから、それとU-NASAの医療設備を使わせてもらう必要があるから、という事情を語った元傭兵、ギルダンの率いる、罪人の中でも腕の立つ人間にMO手術を施した影の精鋭部隊。
宇宙飛行士や元スポーツ選手と言った、U-NASA本部付きのエリートな出自の精鋭MO手術被術者を送り込むにはリスクの高い任務に最優先で放り込まれる尖兵。
その任務は言うまでも無く命を懸けた戦いだ。勿論、俊輝はその正しい任務を友人達に語った事は無い。
本部から軽んじられる人間の集まりと言え、それを差し引いても給料は恵まれていたし、何よりも。
「俊輝くん、また装備壊したの!?」
「ごめんなさい」
「いえーい! 今夜はライブだ! 皆寝かせないよ!」
「いや寝かせてください」
「遠慮せずもっと飲めって!」
「も、もう無理だ隊長!」
本来なら死を受け渡される罪人達。アクの強い人間ばかりであったが、そこには、火星で戦いを共にした仲間達と変わらない暖かさがあった。
…………
身を躱し、その剛腕を、直撃すれば即死の、戦場で最も頼りになった男の一撃を回避する。
"隊長、きっと、運が悪かっただけなんだよ……"
視界が、脳が、熱く熱を持つ。それは、今相対している男のせいなのか、記憶のせいなのか。いいや、同一のものなのだろう。
"死んだ皆も、隊長の事を恨んでなんか……"
過去から現在に記憶が再生されるにつれて、鮮明になるはずのそれはぐずぐずに腐っていく。
"すまねえ、お前ら……俺は、とんだクズだ"
あの汚いながらも笑いの耐えなかったアジトでは無く、綺麗に清掃された、しかし何も無いU-NASAの部隊室で。
"許してくれ、なんて言わない……恨んでくれ……だから、お前ら……"
あの場所にいた46人の中でただ1人生き残った彼は、別の任務で外に出ていた、生き残っていた自分達35人は。
"死んでくれ"
一体、何を間違ったのだろうか?
「アアアァァ!!」
絶叫し、俊輝はギルダンに対してカウンターの一撃を放つ。相手の武器は俊輝と同じように、腕から生えた大顎。そして、硬度こそ甲虫の甲皮に劣るものの、ただでさえ総合的に高い能力を持つその類の生物、その中でもMOベースとして最強クラスの種を宿しているが故の強靭な筋肉は、例え刃であってもそう易々と致命傷を与える事はできない。
左腕は折られた。ギルダンの戦闘技能は自分の遙か上を行く。相手はかつて『無双』と称えられ、畏れられた歴戦の傭兵なのだから。
正面きってのインファイトでも、小細工を弄した戦いでも勝ち目は無い。ならば、今自分がするべきは、相討ちになってでも、何としてでも時間を稼ぐ事だ。
あの日のあの時、自分と今の仲間達は何とか生き残った。だが、次は無い。皆が逃げるだけの時間だけは確保しなければ。
「……そう熱くなるなって」
しかし、その祈りに近い意思は届かない。俊輝の一撃は軽くいなされ、ギルダンの一撃は、一発、また一発と俊輝に迫っていく。
決して大振りの一撃では無い。しかし、それですら受ければ戦闘を続行する事が困難となる重傷は避けられない、と思わせる強烈なものだ。
防戦一方、ですらなく、何とか回避して命を繋ぐ事しかできない。
生半可な一撃で戦闘能力を削げる相手でない以上、うかつなタイミングの反撃はその隙を突かれて致命傷を負わされる最悪の展開に繋がりかねない。
「……ん」
だが、その猛攻は、ぴたりと止まった。
ギルダンの胸ポケットで、気の抜けた電子音が鳴る。
それを受け、ギルダンが取り出したのは、携帯端末だった。
戦闘中に、何を。そう言える余裕は、今の俊輝には無かった。
「おう……わかった」
幾度かの受け答えの後、端末を再び懐に仕舞うギルダン。
その視線は、再び目の前の俊輝へと移る。
「……帰還命令だ、悪ぃな。終わりだ、なんてカッコつけて恥ずかしい限りだが、ここまでだ」
「……っ……! 何を……!」
ただそれだけを言い、背を向けたギルダンに対して俊輝は荒い呼吸の中で何とか答えを返す。逃げるのか。帰れると思うな。そんな威勢のいい言葉が、喉の奥で絡まり、つかえる。
去っていくギルダンを、俊輝は見送る。
歯が砕けるのではないか、という勢いで噛み締め、躍りかかろうとする体を押さえつける。仲間達の仇を前に、震えるだけかこの臆病者め、と叫ぶ内心を必死に抑え込む。逃げるのか、だと? 相手に命を見逃されたのはどっちだ。帰れると思うな? このまま戦っていれば帰れないのはどちらだった?
飛びかかった所で、むざむざ命を捨てる結果に終わる。
ギルダンの姿は通路の奥に消え、戦闘の疲労からか俊輝は壁にもたれかかる。
骨折の苦痛が何とか意識を繋ぐ中耳に入ってくるのは、敵が施設からいなくなったのを確認した、というエリンの声と、空からの襲撃が止んだ、というクロヴィスの連絡。
重要施設に被害は出さず、職員に死者は出ず。犠牲は見回りの数人のみ。
防衛戦はほぼ完璧な勝利と言えるだろう。
君達は立派にお役目を果たしたんだ! おめでとう、おめでとう! そう、何かが暗闇の奥底から拍手しながら嘲笑している。
俊輝は、そんな感覚を覚えた。
観覧ありがとうございました!
第二部、その敵との前哨戦となる戦いはひとまずこれで終わりとなります。守り切ったけど後味が悪い。うっすらと出てきて明かされなかった第七特務勢のベースは今後回収されていくのでご予想しながらお待ちいただければ幸いです。
次回更新は結構早い予定です。