あんまり話は進んでいませんが、過去回想その二と新キャラ(?)の登場回です。
ウミウシ、と聞いてあなたはどのようなイメージを思い浮かべるだろうか。
実物を見たことがないのなら、恐らく“海に居るナメクジっぽい生物”程度のイメージしかないだろう。
しかし、実際のウミウシはナメクジとは違い、体型はともかくその色はさまざまなバリエーションが、その身に付いている装飾品にはさらに多くのバリエーションがある。
その美しい姿は人間にも愛され、水族館などではあまりメジャーとはいえないものの、見に来た人間の目を楽しませている。
だがしかし、その中のどれほどの人間が知っているのだろうか。
かの生物の、常軌を逸した生態を。
敵を喰らい
その全てがただ一つの目的のために完成され、不落の要塞として機能している。
細胞という住人を住まわせ、生産施設を持ち、外敵から身を守る防衛施設を有する。この優美な海の獣は、一つの『都市』なのである。
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自分は、自分である事に価値を見いだせなかった。
隣にいる妹(いやもしかしたら姉なのかもしれない)も、自分と全く同じ顔をし、同じような性格で、同じように苦痛を受けていた。
毎日が同じ事の繰り返し。味の無い何かを口に入れ、白衣の人達に体をいじくりまわされ、少しばかりの休息を取る。
日によっては銃を持たされたり運動をさせられたりもしたけど、それは楽しい、なんて感情とは程遠かった。
自分がなんなのかもわからない。本で読んだけど、『親』という存在も自分達には存在しない。
自分はなんで生まれて、なんで生きているんだろうか。そもそも、自分は本当に生きている存在なのだろうか。わからないまま、ただ流されるように生きていた。
でも、そんな繰り返しだったとある日。
「こんにちは! あなたのお名前は?」
休憩時間に本を読んでいた時、声をかけられた。わたし達は考えている事も話し方も似たようなものだったので、会話という行為に楽しみを見出せなかった。だから、わたしは本当に驚いてしまったのだ。
声をかけてきたのは、わたしよりも成長している個体。でも、その顔はわたしが鏡を見た時とほぼ同じものだろう。
「……3726番ですが、何か用でしょうか?」
名前? わたしにそれにあてはまる物があっただろうか。どう答えていいかわからなかったけど、とりあえずいつも研究者がわたしを呼ぶ時のものを答えてみた。
それを聞いて、わたしと同じ顔をした彼女は、困ったように笑っていた。
「ダメダメ、ですよ? そんな機械的な番号じゃなくて、もーーっとちゃんとしたいい名前を、ね?」
正直、彼女の言っている事の意味がわからなかったです。
だって、わたし達に名前なんて意味がないものだし、数字の名前で十分に事足りてましたから。
「あなたは……そう、エリシア、エリシアって名前の顔してます! 今からあなたの名前はエリシアです!」
同じ顔だろうに。なぜあなたにたくさんのクローンからわたしを見分けられたんですか?
「……わたしに名前なんていりませんよ、番号で十分です」
「私はナターシャって言うんです、よろしくね、エリシア!」
「……」
なんだかよくわからないうちに、わたしの名前が決定した。
当然、それを使うつもりなんてわたしには無かったけど。
その後も0024番(研究者から聞いた彼女の『名前』だ)はわたしにしつこく話しかけてきたし、私の日常は変わらなかった。どうやら彼女は私達量産型が生み出される以前に造られたプロトタイプのようで、番号が若いのもその都合らしい。そしてこの施設では古株なので、名前とかいろんな事を知っているし感情表現が豊かなのだろう。
「ねーねーエリシアー、遊ぼうよー」
「いえ、わたしはいいです……0024番」
「む、私の事はそれじゃなくて名前で、そしてお姉ちゃんと呼びなさい!」
「わかりましたから離れてください……お姉ちゃん」
「違う違う、わんもあぷりーず!」
抱きつかれてとても暑いです。ただでさえこの施設は機械の放射熱がどうとかで温度が高いのに。
「ナターシャお姉ちゃん、はい言いましたよ離れてください!」
「だめだめー、可愛い妹を離すもんですかー」
気弱で臆病な性格として造られているわたし達、彼女もそれは同じはず。でも彼女はどこか明るかった。
この時わたしに感情とか心とかはあんまりなかった気がするけど、きっと温かいものを感じていたんだと思います。
それからは騒がしかったけれどちょっと楽しい日々が続きました。
わたしと同じく、彼女に名前を付けられた子達が集まって、みんなで何かをしたり、他愛もない話をしたり。
この日々ができれば続いてほしかった。でも、それは叶いませんでした。
ある日、彼女は休憩時間に研究者に呼び出されました。
その時はわたし達は特に何も思いませんでしたが、少しだけ嫌な予感がしていました。
そしてほぼ一日経ってようやく彼女は帰ってきました。
わたしは薄々感づいていたのです。わたし達量産型の思考に影響を与える存在である彼女は、排除されてしまうのではないかと。
彼女が帰ってきてその考えは間違いだったと安心した私でしたが、その日を境に彼女から明るさが消えてしまったのを見て、それは再び確信に変わりました。
みんな、もちろんわたしも心配はしていたのです。つっけんどんな態度をとったりはしていたけど、ナターシャお姉ちゃんの事、わたしもみんなも大好きでした。
でも、それから数日してお姉ちゃんはいなくなってしまいました。
研究員の人に聞いてみると、他国の研究所にサンプルとして売られたとか。
そんなストレートな言葉でわたしに伝えたのは、きっとわたしが感情も心も無い人形だから安心、とでも思っていたからでしょう。
それからの日々は地獄そのものでした。
なんだか研究所の様子が変わり、これまでとはレベルの違う痛みを伴った実験が繰り返され、わたしの姉妹達は次々と帰らぬ人になりました。
でも、わたしはそれに耐え続けた。そう、全ては姉を追いやった研究者達に復讐するために。
わたしはくたばるわけにはいかなかったのです。
そして、最後の手術。まるでベルトコンベアーを流れる商品のようにわたし達は順番に手術室に入り、出てくる人はいません。わたしの番が来た時、姉妹と一緒に生き残ろうねと話した時、わたしは何を考えていたのでしょうか。それは、もう思い出せません。
「手術お疲れさまだった、3726番。君にはこれからロシア国民として暮らしてもらう事に……」
そして、気が付けばわたしは、部屋で男の人と向かい合って二人きりでした。
その話の内容は、わたしが、わたしだけが手術で生き残った事と、わたしが今度行われるという火星に行くという計画に参加する事になった、というものでした。
だから、私は言ったのです。それに素直に従う条件を。
「一つだけお願いがあります」
「なんだね? できる限りの事は叶えてあげよう」
「あの―――の――-を全員―-してください」
それを聞いて一瞬固まった男の人でしたが、少し考えてから快諾してくれました。
そして私は確信を得たのです。こんな無茶な要求を呑むほどの価値が、私にはあるのだと。
最後に男の人は言いました。それは、私にとっては甘くもあり苦くもある記憶を思い起こさせるものです。
「君に名前をプレゼントしたいと思う。といっても慣れないものだろうから、我々の方で決めるという事になるが……」
そして、これだけは譲れないのです。
「――――でお願いします」
「……?」
「わたしの名前はエリシア、です。どうぞよろしくお願いします、スミレス大統領」
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「ひい、ひい、なんだありゃあ……! 完全にバケモンじゃねえか……! こんな話聞いてねえぞ!」
一人の男が、暗い部屋に身を隠していた。
地中からの突然の強襲。それは、自分達の別働隊がロシア班を奇襲した手口そのものだった。
意趣返しなのか、その手口をそのままそっくり返され、今度は防衛側である自分達が壊滅状態だ。
しかも、たった一人の少女によって。
彼は偶然部屋の隅でトランプをしていたので助かった。
だが、他の仲間達は。ある者は何か糸のようなものに触れた途端に崩れ落ち、またある者は少女に触れられた途端に目から光が消えた。
最初はたかが女一人、簡単に始末できると思って次々と彼らは突撃していったのだが、その能力に気が付くのが遅すぎた。撤退を判断する頃には最初は28人いたその数は6人にまで減ってしまい、今更撃退できたところでこの前線基地を維持するのは不可能な状態に。
アネックス計画搭乗員のように教養のある軍人や優秀な民間人の割合が多いならともかく、彼らは地球では落ちこぼれや死刑を待つだけの存在だった人間達。一応最低限の技術者は『依頼人』から用意されていたのだが、ここに配備されていた貴重な彼らはもう全滅してしまった。
男はエリシアが侵入してきた穴から一番遠い場所に居たので逃げ果せる事ができたものの、ここを破られるのも時間の問題だ。
そして、今男が隠れているこの場所は倉庫。人為変態を行う為の『薬』こそいくらでもあるものの、彼のベースでは、あの悪魔のような生物に対抗できそうもなかった。
『アカウミガメ』。
偶然にもエリシアが偽装していたベースと同じ生物である。
「甲羅があるから味方の盾になれるんじゃね?」という適当すぎる理由で選ばれたベースの彼は、恐らくはアネックス計画幹部であろう少女を倒せるなどとは思っていなかった。
恐らく侵入者の少女のベースはクラゲか何かだ。攻撃面で見られるものは何も無いこのベースに、あの糸、無数の触手を掻い潜って仕留められる可能性は無い。選抜された理由である甲羅は何の意味も無いだろう。
だがしかし、ここに食料はほとんど無い。ここにあるのは、この前線基地を作った時に使用した掘削機や対テラフォーマー用の近接武器が少しあるだけだ。なぜ銃火器が置いてないのかと思った男だったが、テラフォーマーに奪われると面倒な事になるため、そもそも本部にもないという話を聞いたのを思い出し、素直に諦める。
もう自分が助からないのはわかりきっている。ひきこもっていてもいつかこの扉は開けられ、奴らが侵入してくるだろう。そうなれば、対抗する手段はない。
……本当にないのか?
どうせ死ぬなら、最後に一発賭けをしてみてもいいんじゃないだろうか?
自分はこれまで負け組の人生を続けてきた。ここ一番という賭けではいつも失敗し、気がつけばもう後戻りできない泥沼の中にいた。
だからこそ、こんな場所にいるのだ。どうせ今回も失敗するのだろうが、最後に一発、やってやろう。
決起した彼は、倉庫にあったある物を手に取る。
さあ、人生最後の賭けといこうじゃないか。
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「制圧終わり、でしょうか。皆さんを呼んで調査をお願いしましょう」
エリシアは部屋にいた連中をあらかた始末し、穴に戻って巻き込まれないように待機していた班員を呼び出そうとしていた。
と、その時。
「うおおおおお!!」
背後からの大声に、エリシアはびくっと体を震わせ、振り向く。
その目に映ったのは、時代遅れも時代遅れの武器、刀を持って自分に突撃してくる男の姿だった。
突然の攻撃に少し驚いたものの、素早く自分の専用装備を起動し、『キロネックス』の触手を展開する。
猪突猛進で突っ込んできた男の体は、当然のごとく触手の束に飲み込まれる。
体中を刺されれば、当然即死という状況。ほっと一息ついたエリシア。だが、直後、彼女は己の眼を疑った。
男が、触手に包まれながらも突撃してくるのだ。
アネックス計画搭乗員としてMO手術を受けた人間は、手術ベースの生物に関して学ぶ機会が与えられる。
自分の武器を知っておくのは、言うまでもなく重要だからだ。
他者とは違い自分のベース『ムカデミノウミウシ』だけでなく他の刺胞動物の能力を利用するエリシアは、当然ながらそれらの生物についても知識を得ている。どの生物がどのくらいの毒性を持ち、どのような症状がどのような時間で出るのか。
そして当然、それが通用しない生物に関しても。
だからエリシアは知っていたのだ。キロネックスの毒が通用しない生物を。
だが、半ばヤケクソで奇襲をかけてきた男のベースが偶然にもそれであると予想できるわけもないし、成功率0.3%の手術を潜り抜けてきたとはいえ、肉体自体はちょっと訳アリとはいえただの16歳の少女。動体視力もそこまで優れているわけではない。
遅かった。敵のベースを判断し、それに通用する生物を判断し、その毒を放つには。
突撃し、その無敵ともいえる触手の防衛戦を打ち破った、賭けに勝利した男は、とっさの防御姿勢をとったエリシアの肩口からその小さな左腕を切り離していた。
感想ありがとうございました。