深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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番外編、ほのぼのとしていたり現段階では意味不明な話だったり。

前回の8話で時系列に矛盾が生じてしまっていましたので一部文章を修正しました。
ドイツがまだαMO手術の開発をスタートしてすらいないのにロシアが成功確率0.3%である事を知っているような文章になってしまっていました……申し訳ありませんm(_ _;)m


番外編 オフィサーの休日

 貸切られた宴会室で、和やかな空気が流れていた。だが、その空気はどこか重い。

 

 

 11人の男女が集うこの場所。机にはさまざまな料理が彩られ、本来ならドンチャン騒ぎが繰り広げられるはずのこの場所。

 

 

「第一回! 表裏アネックス計画幹部搭乗員親睦会!」と書かれ部屋前方のお立ち台の上に貼られた紙は、どこか悲しげな雰囲気を持っていた。

 

 

「み、皆もっと盛り上がってもいいんだぞ……?」

 

 前に立って乾杯の音頭をとっていたガタイのいい男性、『アネックス1号』艦長にして日米合同第1班班長、小町小吉が出鼻をくじかれた様子でその場に集まる面々に話しかける。

 

 

 今回の集まり、それは張られている紙に書いてあるとおり、表裏のアネックス計画実働部隊を率いる幹部搭乗員(オフィサー)達のために小吉が催した親睦会である。

 

『アネックス計画』の幹部搭乗員(オフィサー)達は以前に小吉が食事に誘い、親睦を深めるという目的ではそこそこの成功を収めたのだが、アネックス計画の戦力不安を払拭するために増援部隊が、しかも新たに各国そのための幹部搭乗員(オフィサー)が選ばれたという。

 

ならばもう一度、という事で今回の会合が開かれたのである。

 

 

お互いの事をよく知らないままに任務に臨んでも良い結果は出ない、そう考えた小吉の計らいによって開催されたそれは、開始直後から失敗の空気が漂っていた。

 

―――――――――日本

 

「剛大君、何かして欲しい事とかあるかな!? 俺、隠し芸でもなんでもやっちゃうぞ?」

 

「いえ、結構です」

 

―――――――――アメリカ

 

「お近づきの証に一杯いかがですか」

 

「いや、私は自分でするからいいぜ」

 

―――――――――ロシア

 

「……スマンな、おじさん最近の若い子に合う話はできないんだ」

 

「そ、そんな、わたしなんかのために無理してもらわなくても大丈夫です!」

 

―――――――――中国

 

「すいません艦長、彼、本国から召集かかってて来られないみたいで」

 

 

―――――――――ドイツ

 

「艦長、帰ってもいいですか」

 

「ふむ、ここを改良すれば完成のようだ」

 

―――――――――ローマ連邦

 

「それでねえ、うちの甥っ子が私の姿を見るなり腰を抜かしちゃって! その時のあの子の顔と来たら!」

 

「は、はあ……」

 

 

 各国から選りすぐられた精鋭達。

 アネックス計画の要石たる彼らの協力なしには成功はないだろう。

 だというのに、彼らは他国どころか自国のもう一人の幹部搭乗員(オフィサー)とさえも打ち解けられていない状況だ。

 

 

 必死で場を盛り上げようとする小吉と、それを遠慮がちにスルーする寡黙な青年、剛大。

 

 酒を注ごうとする赤毛の青年、裏アネックス計画北米第一班班長、『ダリウス・オースティン』。

 それを拒否して一人で黙々と飲み食いしている眼鏡の美女、アネックス計画副長にして日米合同第二班班長、『ミッシェル・K・デイヴス』。

 

 

 筋骨隆々の巨漢、豪胆な普段の態度は目の前のあまり接したことがないタイプの人間を前にひっこんでしまっているアネックス計画ロシア・北欧第三班班長、北国諸国では軍神と呼ばれている男、『シルヴェスター・アシモフ』とおどおどとしながらも食欲旺盛なのか、どこか幸せそうな表情で次々と料理をたいらげている銀髪の少女、裏アネックス計画ロシア・北欧第三班班長、『エリシア・エリセーエフ』。

 

 

 裏アネックス計画の幹部搭乗員(オフィサー)が不在のため一人ぽつんと食事をしている長身の男性、アジア・中国第4班班長、『劉翊武』。

 

 

 今にも席を立ちあがって出て行きそうな襟長の服を着た青年、アネックス計画ドイツ・南米第五班班長、『アドルフ・ラインハルト』。

 

そんな彼に構う事なく机の上の料理を横にどかし、何かの図面を広げて見ている眼鏡に白衣といった出で立ちの男性、裏アネックス計画ドイツ・南米第五班班長、『ヨーゼフ・ベルトルト』。

 

 

 ミッシェルの所に行こうとしているが服の裾を凄まじい力で掴まれて動けない美青年、ヨーロッパ・アフリカ第六班班長、『ジョセフ・G・ニュートン』とその袖を掴んで上機嫌で話をしている、ジョセフ以上の長身を持つ老婆、裏アネックス計画ヨーロッパ・アフリカ第六班班長、『エレオノーラ・スノーレソン』。

 

 

 彼らは反応こそまちまちなものの、全体的に見て一方通行なコミュニケーションかそもそもお互いに興味が無いという二つに分かれてしまっていて、親睦など望めそうに無い状態だ。

 

 

「ミッシェルさん! 僕と一緒にお食事を……」

 

 小吉がどうしたものかと考えこんでいる間に、エレオノーラに拘束されていたジョセフがわずかな隙を掻い潜り、まるでゴキブリのように床を這ってミッシェルの下に向かう。

 

 

「……ゲスが」

 

 それを見ての凍りつくような目と非情の一言。ジョセフは崩れ落ち、頭を床に付けてさめざめと泣きながらも、止まる事はなかった。顔を床にこすりつけながらも向かってくるジョセフにどん引きした表情を見せるミッシェルだったが、その表情は自分に突き刺さる殺気ですぐに不機嫌なものへと変わった。

 

 それをミッシェルに放っていたのは、ジョセフを追う事もせず座ったままのエレオノーラ。

 元から皺の寄っている額に更に皺がより、こちらもあまり機嫌が良さそうではない。

「あらあらー……ローマ連邦(ウチ)の大切な切り札(ジョセフ)ちゃんを泣かせて、ただで帰れるなんて思ってないでしょうね、『一人目(ファースト)』さん?」

 

 

 完全なジョセフの自爆なのだが、エレオノーラはそんな事は問題では無いと言った風に立ちあがり、ミッシェルに近づいていく。

「アナタのお父さん、ドナテロさんでしたっけねえ……」

 

 

「私達がこれから行く火星で無駄死にしたそうで、本当に残念だったわねえ」

 

 安い挑発。だが、彼女は知っていたのだ。ミッシェルを最大限に怒らせる言葉を。

 それをエレオノーラが言い終わるか言い終わらないかという内に、ミッシェルが無言のまま周囲の膳をなぎ倒し、一直線に突進する。

 

 

 

「まずい! 誰でもいい、ミッシェルちゃんを止めてくれ!!」

 小吉が慌てて叫ぶが、この状態ではどうしようもない。

 ミッシェルは親のモザイクオーガンとバグズ手術が遺伝したという『奇跡の子』。

 その存在は各国の注目を一身に集め、アネックス計画にも大きな影響を与えたという。

 そして、彼女は『薬』を使っていない状態でも生来の能力、最強のアリ『パラポネラ』の力を発揮する事ができた。そして今、感情が昂っている彼女は、その制御ができていない状態だ。

 

 この状態では、変態をしなければ止めようがない。ここに集まったメンバーの中で最も素で強いと思われるアシモフですら力づくで止める事はほぼ不可能だろう。そして、アリのMOベースによって強化された筋力から繰り出される拳をただの人間が受ければ、耐えられるわけもない。

 

 

 

 

 

「へえ……流石ね」

 

 

 

 

 目の前の光景に、小吉を始めとしたアネックス計画の幹部搭乗員(オフィサー)達は驚愕で言葉を失った。パラポネラの力を持った拳が、やせ細った老婆の左手に受けられたのだ。

 

 当然エレオノーラも全く衝撃が無かったというわけではなく、数歩後退したものの、その体

には傷というものは全くついていない。

 

 

 

 そして、その左手は黒色に、手の付け根の近くは淡い赤色に染まっていた。形状も心なしか人間から離れたものになっている。

 

「人為変態……だと?」

 

 

 その言葉を漏らしたのは、小吉。エレオノーラは別に体自体はただの人間であるし、ミッシェルのように先天的なM.(モザイク)O.(オーガン)を持っているわけでもない……はずである。

 

 それが、体の一部分とはいえ変態を行っている。

 

 だとしたら、この突然の変態は何なのか。考えこむ小吉だったが、それは睨みあっている二人が起こした次の動作に目を取られたせいでどこかへ行ってしまった。

 

 

 拳を受け止め受け止められたままの体勢で硬直している二人だったが、突然ミッシェルが怪訝そうな顔をして拳を引っ込めて引き下がる。

 

 そして、両者の戦闘態勢が解けた次の瞬間、エレオノーラが動作を見せる。

 また何かやらかすつもりか、とその場にいるアシモフ、小吉、剛大といった武闘派の数名が構えるが、それは杞憂に終わった。

 

「本当にごめんなさい、ミッシェルさん。貴女の実力を見るためとはいえ、貴女の何よりも大切なものを汚すような事を言ってしまって」

 

 エレオノーラが、ミッシェルに対して深々と頭を下げたのだ。

 それに対して、再び構えをとったミッシェルも面喰らい、手を下げる。

 

 突然の出来事に、アドルフでさえも硬直して動けなくなっていたが、ミッシェルがこれ以上の追求をしない所を見るにこれ以上の悪化はしないだろう、と考え、各国の幹部搭乗員(オフィサー)達は再び平静を取り戻しつつあった。

 

「では私はこのあたりで失礼させていただきますわ、小町艦長。この謝罪は改めてしますので、今は私がこの場を去るという事で矛を収めてくださいませ」

 

 ただ一言言い残し、エレオノーラは部屋を去っていく。

 嵐が過ぎ去ったようにひっくり返された膳と、立ちつくすミッシェル。

 それぞれがそれぞれの顔を見まわし、どうするんだよこれ……という表情を浮かべている。

 

「ま、まあトラブルはあったが……みんな、仕切り直しといこうじゃないか! 何か食べたいものとかあるかな?」

 

 小吉の一言で、全員が救われたようにほっと息をつく。

 この中で一番偉い人間が場を仕切り直している事により、拒否する人間もいなければこれ以上なにか行動を起こそうとする人間もいない。言葉こそないものの全員が『仕切り直し』に賛同し、各々の希望を言い始める。

 

「あの、クラゲとか……ありますか?」

 

「か、変わったものが好きだねエリシアちゃん……」

 

 

「料理は十分にいただいたので何か甘い物をお願いできれば……」

 

「OKだ剛大君!」

 

 

「私は……生魚が食べたいな。艦長、日本料理は生魚が美味いと聞くが、頼めるかな?」

 

「もちろんですよ博士! ウチの連中の健康診断や裏の方の装備品の研究お疲れ様です!」

 

 

「僕はホットケーキとか食べたいです。メープルシロップがたっぷりのを」

 

「合点承知だダリウス君! よかったら今度君の料理も食べさせてくれ!」

 

 もちろんです、と苦笑するダリウス。一応裏の方の幹部達の事情も知っている小吉は、彼らと仲良くなるための計画をしっかりとこの場に持ってきていた。彼らが興味を持っている話題。食い付きそうな話。それらの情報は、本来とは少し違う事になったがしっかりと役立っている。

 

 

 なぜかすっかり接待する側となっている小吉の姿に、アネックス計画の幹部達も笑いを漏らす。

 

「艦長、僕、ラーメンが食べたいです」

 

「おっ、いいねえ劉さん!」

 

「じゃあ僕もご一緒しましょう」

 

「いただこうか」

 

 劉の希望に、ジョセフ、アシモフも乗り、だんだんとにぎやかになってきた。

 

「……そろそろ帰っても」

 

「お前も一緒に食うぞアドルフ!」

 

「……」

 

 

「ミッシェルちゃんも一緒に……って大丈夫!?」

 

 劉達と談笑していた小吉。当然流れでミッシェルにも声をかけたのだが、その手を見て声が震える。

 

 

 ミッシェルの右手、パラポネラの能力が発現したそれに、ヒビが入っていたのだ。

 

「なんだこりゃ……」

 

 小吉が思わず呟くが、ミッシェルは当然、自分の手が傷を負った理由を理解していた。

 

「あのまま拳を離さなかったら、いや、無理やり振りほどかなかったら、握りつぶされてたな」

 

 その言葉に、小吉は寒気を覚える。

 

 

 あの老婆は、本気でミッシェルと相対していたのだ。ミッシェルを試す、という言葉からは自分のお眼鏡にかからなかったら潰しても構わない、というエレオノーラの意思がにじみ出ていた事を小吉も理解し、冷たいものが背中を這いまわる感覚を覚えた。

 

 だが、ミッシェルは笑っていた。

 

「全くトンでもないババアだな。父を侮辱した事も許せないが、今日は争いに来たんじゃないんだ、私も付き合うぜ、ラーメン」

 

 穏やかな春の日、そんな日に行われた幹部搭乗員の親睦会。この親睦会がもたらした計画への影響はわからない。だが、決して悪い方向には向かわなかった、それだけは確かである。

 

 

――――――――――――――――――――

 

「ちょっとやりすぎちゃったかしら」

 

 

 通路を歩く一人の老婆。先程ミッシェルとひと騒動起こした張本人、エレオノーラ。

 

 彼女は自分の部屋に帰ろうとしているところだった。

 

 

 

 

 ヒビを入れられた自分の左手を治療するために。

 

 

 

 人為変態のおかげで出血こそしていないものの、決して軽い傷では無い。 

 

 

 早く帰ろう、と歩調を早めた時、声をかけられる。

 

 

「こんにちは!」

 

 パジャマを着た少年である。年齢は中学生くらいだろうか。柔道着を着たマスコットを持っている。

 なかなか元気そうで、自分にはない若さを持つこの少年を、エレオノーラは微笑ましく思いながら見た。

 

 だが同時に、こんな場所にただの子どもがいるはずがない、という考えも浮かぶ。

 そして、その理由もエレオノーラには簡単に想像がついた。

 

 恐らくこの子は、例の病気だ。自分達が火星に行く最大の目的である。

 

「あらあら、どうしたの、こんな時間に」

 

 話しかけられたのは日本語だが、幸運な事にエレオノーラは自身の仕事の関係で日本語をマスターしていた。恐らくこれが話せなかったら会話は成り立たなかっただろう。

 

 

「ねえ、おばあちゃんって『神様』なの?」

 

 唐突にかけられた質問に、目を丸くするエレオノーラ。

 内容もあまりに突飛である。

 

「あれ、違った? じゃあ、『お父さん』?」

 

 

 さらに不可解な質問である。

 

「あ、あのね? おばあちゃんは神様じゃないし、女の人だからお父さんでもないのよ」

 

 謎の質問に少し動揺しながらも、エレオノーラは必死に言葉を選んで返答していた。

 意味のわからないまま突然謎かけをされる、偶然スフィンクスの前を通りかかった旅人のような心境である。

 

 

「なんでそんな事を聞くの?」

 

 

「えー、だっておばあちゃんの部下だっていう人が話してたんだよー」

 

 瞬間的に全てを理解したエレオノーラ。

 

「ごめんなさいね、おばあちゃん、用事ができちゃって。マタネー」

 

 最後の一言はカタコトになりつつも、少年とお別れしエレオノーラは歩を進める。

 彼女の考えている事はただ一つ。

 

 

 

「あいつら、あとでおしおきね」

 

――――――――――――――――――――

 

「今日はいい天気ですー……」

 

 親睦会終了後。U-NASA敷地内の中庭、温かな空気と太陽という絶好の日光浴日和。

 そんな場所の芝生の上に、寝転がる少女がいた。

 

 太陽光を反射して輝く銀髪に、常に身に着けているロシア帽。

 小柄ながら整った容姿の彼女は、服に芝が付くのも気にしない様子で日光浴を満喫していた。

 

 エリシア・エリセーエフ。裏アネックス計画、ロシア・北欧第三班班長にして、

 マーズランキングに対応してこちらの計画でも作られた『裏マーズランキング』3位の実力者だ。

 

 彼女も最初はアネックス計画の方に送られ、『マーズランキング』88位という壮絶な結果を残したという経験がある。それもそのはず、二つのランキングは、審査基準が違うのだから。

 

『マーズランキング』は『火星環境下におけるテラフォーマー制圧能力』の格付けである。

よって、対テラフォーマーに優れたベースを持つ人間がランキング上位に名を連ねる傾向がある。

 

 一方の『裏マーズランキング』。

 裏アネックス計画の任務、それは、『裏切り者の始末』である。

 当然対テラフォーマーの能力もある程度は評価の対象なのだが、重要視されるのは対人戦能力の高さ。

 

 そしてエリシアのベース、『ムカデミノウミウシ』の能力はテラフォーマーには通用しないものの、

 対人戦においては無類の強さを発揮する。そんなわけで、アネックス計画で下位だった彼女は裏アネックス計画では最上位ランカーの一人として名を連ねているのだ。

 

 

「なんでわたし、日向ぼっこが好きなんだろう……」

 

 ふとした疑問がエリシアの頭の中に現われる。

 エリシアはクローン、それも大量生産された内の一人だ。

 改造手術を受けてある程度は強くなっているものの、本来なら紫外線を含む太陽光に当たるのは好きではないはず。

 

 だが現に彼女は日向ぼっこを楽しんでいる。自分でもそれはわかっていない様子だ。

 

 

「ん? 君は……ロシアのエリシア君かね」

 

 突然の来客、しかも意外な人物に、エリシアは目を丸くしていた。

 丸眼鏡に白衣の男性。その姿は自分に苦痛を伴う手術を強制した研究者達を思い起こさせてあまり好きではない。

 

「こんにちは、ヨーゼフさん」

 

 ドイツの幹部搭乗員、ヨーゼフ。科学者であり研究者である彼は、何故か用が無いと通りがかるわけがない場所にあるこの中庭にやってきていた。

 

「ここに何か用なんですか……? サンプルの採集とか?」

 

「いや、ちょっと寝転んで日にでも当たろうと思ってね」

 無難なエリシアの質問に対して、その回答は予想外のものだった。

 彼もまた、日向ぼっこの魅力を理解する者なのか。

 

 意外な人間と趣味が合い、少し嬉しい気分になるエリシアだったが、それでも体勢は寝転んだままである。

 そして、ヨーゼフも隣に寝転んでいる。

 

「ヨーゼフさんも日向ぼっこ、好きなんですか?」

 

 

「ああ、私も昔は暗い所が好きだったんだけどね、8年くらい前からかな、例の手術を受けた後から何だか楽しめるようになってきたんだよ」

 

 

 研究者と実験材料。相反する二つの立場の共通点。

 それが二人ともどこかおかしく感じ、知らない間に笑顔になっていた。

 

「ねえ、一つ聞いてもいいですか?」

 

「なんだね」

 

 エリシアの質問に、ヨーゼフは珍しくも聞く姿勢を見せる。

 

「ヨーゼフさんは、研究とかしてて後悔した事とか、清算したい過去ってありますか」

 

 だが、それっきりだった。エリシアの質問には少し含みがあったものの、ヨーゼフは遠慮なく答えを返す。

 

 

「清算したい過去……? 馬鹿馬鹿しい、そんなくだらない言葉は嫌いなんだ」

 

「そうですか……」

 

 そして、会話は途切れる。しばらくの沈黙。

 

 

 

「……ひょっとして」

 

 意外にも、次の会話を始めようとしたのはヨーゼフの方だった。だが、その言葉はエリシアの方を見て止まる。

 

「寝てしまったか……」

 

 穏やかで温かい陽気、そんな状況で無言の状態が続き、エリシアはすっかり夢の中に入っていた。

 その寝顔を見て、ヨーゼフは少し自分の過去を思い返す。

 

「全く、人間という生き物は勝手なものだ」

 

 

 思考に入ろうとしていたヨーゼフだったが、ある事に気が付いてそれを止めた。

 エリシアが、寝たまま涙を流していたからだ。

「ナターシャお姉ちゃん……わたし、強くなったよ……」

 

 小さな声の寝言に気が付いているのか気が付いていないのか、ヨーゼフは空を見上げ、一人ぼやいた。

 

「曇ってきたな」

 そして、数少ない幸せな過去か、辛い過去か、ヨーゼフはその涙の意味を理解していなかったが、

 そっとその頬に手を伸ばしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな所で何をやっているんだ、博士?」

 

 突然の新たな来客に、ヨーゼフは振り向く。そこには、怪訝そうな顔をしてこちらを見ているミッシェル。

 ヨーゼフは己の頭脳を総動員し、この表情の意味を考えていた。

 

 ここは、人っけの少ない中庭。

 自分は、エリシアに手を伸ばそうとしていた。

 エリシアは、まだ成人していない少女である。

 そして、彼女は、横たわって涙を流している。

 

 

――――――――――――ドイツ人男性がロシア少女に無理やりいかがわしい事をしようとしているという事案が発生

 

 

 

 

「ちょっと待ちたまえ、誤解だ! 私は何もしていない!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 この事件(?)の後、ヨーゼフに対するアネックス計画搭乗員(主に女性)の好感度がガタ落ちした事は言うまでもない。




観覧ありがとうございました。

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