プロローグ
「しっかし、裏切り者ってのも発覚してないのに、気が早すぎませんかね」
とある一室で筋トレをしながら、ぼやく青年が一人。
短い黒髪に、体型は細めながらも付くところには付いている筋肉という、ちょっと鍛えた一般人、という風体の彼は、同じようにトレーニングをしている隣に話を振る。
「そもそもいるかもわからんしなぁ」
それに答えるのは、同年代くらいの青年。
黒髪の青年よりも若干細いが、体格としてはそこまで違いは無い。
それがごく普通の日常であるかのように会話を交わす二人。
しかし、この茶髪の方の青年は本来この場所にいるべき人間ではない。
―――
「そういえば拓也、お前って中国班じゃなかったっけ?」
今現在二人が搭乗しているとある乗り物が目的地に向けて出発した直後に、黒髪の青年はもう一人の青年、拓也に尋ねた。
それに対し、拓也は一瞬黒髪の青年の方を向き、すぐに目を逸らす。
青ざめた顔。体調を心配する青年に、拓也はぽつりと言葉をこぼしたのだった。
「やべぇ、乗るヤツミスった」
―――
これが、実に滑稽で悲しい、拓也がここにいる理由である。
名前こそ日本のそれだが、拓也は日本生まれ中国育ち。そのため、国別で所属が分けられているこの計画では人員が十分だった日本と米国では無く、中国に配属されていた。だが、そんな計画責任者の配置は一発で無駄になったようだ。
さて、そろそろ詳しく彼らの今置かれている状況を語るとしよう。
簡潔に結論から明かせば、彼らは2620年現在、宇宙を旅している。
『テラフォーミング計画』。火星にとある黒い生物と苔を放ち、火星を人間の住める星に改造するという、人口過多や環境汚染といった様々な問題が首をもたげ始めた地球で提唱され、実行されてきた計画だ。
まず最初に、その黒い生物と苔をばら撒き。
苔が十分に広がり火星の地表が緑に染められた現在、その第二段階として二十年前にも火星に人類は派遣された。総員20名の人員を送り込むその計画によって、いよいよテラフォーミングは次の段階に進むかと思われた。しかし結果は生存者二名、他全員死亡という凄惨なものとなった。
それの失敗により計画は凍結されていたのだが、意外な所で人類にその計画は牙を剥いた。
火星は新天地にはならなかった。長年の努力と多額の費用は無駄となった。それだけで被害が済んだのならば、どれだけ幸せだっただろうか。
新たに生じた問題。それは、火星の生物由来と思われる謎のウイルスが地球で人間に感染、ある特殊な性質により研究は困難を極めるそれは、ついに死者が出るまでに発展したというものだった。
これを重く見た各国は、再び計画に手を伸ばす。
新たな計画の名。それは『アネックス計画』。
火星を開拓するためでなく、火星に住まうある生物をサンプルとして捕獲し、ワクチンの研究を進めるために。
その為に作られた、人類の最新鋭技術の結晶である大型宇宙艦、『アネックス1号』。
そこに乗り込むのは、日本、アメリカ、ロシア、中国、ドイツ、ローマ連邦。世界の大国が選りすぐった、特殊な手術を受けた100人の搭乗員達。彼らは人類の希望を背負って火星に向かい、任務を遂行する、はずだった。
しかし、ある心配があった。
それは、各国でまことしやかに囁かれていた噂。
「この計画には、裏切り者がいる」
さて、どうしようか。表向きはみんな仲良く協力して、艦内の設備でウイルスを研究してワクチンを作って人類のため頑張ろう! といった調子である。
だが、裏では大国の陰謀が渦巻くドス黒い駆け引きが行われていた。
どの国が、最も甘い汁を吸えるか。例の『手術』は、兵器足りえるものなのか。
どこの国にも、完璧な信用などない。
20年前に前科がある日本か。
計画を主導しているアメリカか。
黒い噂の絶えない中国か。
世界の覇権国家へ返り咲く事を狙うロシアか。
例の『手術』の本場、ドイツか。
密やかな野心を燃やす新興国、ローマ連邦か。
そして、各国は決意する。それぞれ独自で増援部隊を派遣し、表向きは各国の戦力の不安を解消するため。
裏では、裏切り者を始末し、……あるいは、裏切り者を援護し、各々の計画を成功させるため。
アネックス1号の裏で、それは進められた。だが、ある日事件が起こる。
U-NASA、彼らが宇宙へ旅立つための本部である国連宇宙局が、国民にはただの陰謀論と言われていたその計画を公開し、世論を煽ったのだ。アメリカが、それを計画している。だったら、自分の国は? 各国は、対応に追われる事となった。
もしそんなものは無い、と言っても国民は信じないだろう。アメリカは人員を増派するのに自国はしないとは、乗組員を見殺しにするつもりか、という意見も出てきかねない。
そしてまんまとアメリカに引き摺られ、各国は計画を公表、結局アネックス一号と同じく各国共同での計画となった。
しかし、共同計画になった事による計画の修正などで、計画は大きく遅れる。
どう考えてもアネックス一号の出発には間に合わない。
さて、どう対処すべきか。
結論は簡単なものだった。後追いして追いつけばいいのだ。
計画は変更され、各国がそれぞれ食料や水などの必需品と居住区だけの小型超高速な宇宙艦を作り、アネックス一号を追ってほぼ同時に火星に到達するようにする。
そこからは、アネックス一号と合流し、共同で任務をこなせばいい。
とんとん拍子に計画は進み、任務に適応した新たな幹部搭乗員も選抜され、ついにその計画は実行に移された。
そして今、一日ほどの遅延はあったものの、六機の宇宙艦はほぼ同じタイミングで火星に到達しようとしていた。
「これより着陸態勢に……!? 大変です艦長! 機関部に異常が!」
それは突然に訪れた。機関室から、悲鳴が響く。それと同時に、各国の宇宙艦から通信が入る。
「あああのごめんなさい! ロシア・北欧第三班機、機関部異常で目的地点に着陸できそうにないです!」
雪のように白い肌のロシア帽を被った長髪の可憐な少女がモニターに映し出される。
年齢はまだ高校生くらいだろうか。別に誰に怒られる訳でも無いのに、顔を真っ赤にしてしきりに頭を下げている。
「おっ、かわいこちゃんだな」
「バカ、状況的にあの子ロシアの……」
急ごしらえな上にアネックス1号を上回るスピードを要求されたこの宇宙船は狭い。
そのため、トレーニングルームと指令・操縦室は隣り合わせ。
二人は機体の揺れで開いたドアから、司令室の様子を眺めていた。
その姿に、緊張感というものはみじんも感じられない。
……表面上は。
「こちらヨーロッパ・アフリカ第六班です。あらあらまいった事。機関部の異常でちょっと大変みたいね」
その隣のモニターには、やせ細っているがそれを見る人間の本能に恐怖を感じさせる、穏やかな顔で微笑んでいる老婆。座っている椅子の大きさを考えると、かなりの長身である事が伺える。そんな彼女は、この状況に全く動じていない様子だった。
「……ご老人が戦えるのか?」
「同感だな」
筋トレをやめ、揺れる艦内でなんとか服を着ようとする二人。
周りでは急いで司令室に集まる音がするが、二人は呑気に着替えをする。
「ドイツ・南米第五班だ。恐らく君達と同じ状況だよ。なんだか困った事になったな、諸君」
次に映されたのは、瘦せぎすに白衣を身に纏って丸眼鏡をかけた、科学者と言われてイメージするそのもの、という風貌の男。
椅子に悠然と座り、腕を組んで口の端に皮肉げな笑みを浮かべるその姿は、気むずかしげで嫌味な人格を彷彿とさせる。
「あの人俺が中二の時の理科教師に似てるわ……」
「へんな煙立ててるフラスコ持って笑ってそうだな……」
「中国・アジア四班。艦長代理だ。これはまずい事になったな、皆、力を合わせ生存しようではないか」
4班のモニターには、筋骨隆々の明らかに武人、といった壮年の男性が映される。
落ち着き払っていて、余裕すら感じさせているその男は歴戦の軍人といったオーラを醸し出し、一際存在感を放っている。
「なんで艦長じゃなんだろう」
「さあ」
自分達が乗っている日本組の艦長の怒号が響いているため、いそいそと用意をする二人。
「北米一班。まさか全ての班がこうなるとはね……。設計のミスかな? とにかく、今は生存する事を考えよう」
きりっとした若々しい、しかしどこか不安を感じさせる整った顔の赤毛の青年が、静かに告げる。
だが、彼も含め各班の大多数はこう思っている事だろう。
(
すでに各機は成層圏に突入している。このまま帰るのは無理な状況。
彼らは、考えるべきだったのだ。いや、それは考えていただろう。だから、もっと対策を講ずるべきであったのだ。『裏切り者』が、裏切り者を始末するための計画に素直に参加するわけがないと。破壊工作を仕掛けてくるのが普通だと。
だが、時すでに遅し。今できる事は、無事着陸できる事を祈るばかり。
幸い、故障のタイミングが遅かったので、各班の予測不時着地点はそこまで遠くない。
無事に降りられさえすれば、距離だけを見れば合流は容易だ。
しかし、それは更なる絶望の幕開けだった。
「馬鹿な、アネックス1号の着陸地点と大きく離れているぞ! どういうことだ!」
何故、このような事態になっているのか、果たして、彼らの火星での戦いはどうなるのか。
「山野俊輝!
「イエッサーーー!」
「ごめんなさい、ホントごめんなさい」
そして、この二人の青年は、どのような運命を辿るのか。
『アネックス1号計画』。100人の選ばれし戦士達による、黒い絶望に立ち向かう、人類の存亡を賭けた戦い。深緑に染まった争いの星で繰り広げられる陰謀と意志の激突。
これは、その裏で密やかに巻き起こった、もう一つの戦いの物語である。
観覧ありがとうございました。
よろしければ今後のお話にもお付き合いいただけますと幸いです。