ぼくの かんがえた さいきょうの ひきがやはちまん 作:納豆坂
帰りの車内、俺はなぜか行きと同様に助手席に座っていた。
別にいいけどな。考えたいこともあったし。
考えたいこととは、ぶっちゃけて言えば雪乃のことだ。後で話し聞くとはいったものの、結局その機会はなくボランティアは終了した。
俺としては聞いても聞かなくてもどっちでもいいのだが、話を聞く可能性がある以上はある程度考えをまとめておいたほうが効率がいいだろう。そう考えたわけだ。
とりあえず俺のもっている雪乃の情報はこうだ。
・雪乃は姉の背を追いかけている。
・陽乃さんはわざと嫌われる態度をとっている。
・母親の干渉を支配とか管理と受け取っている。
他にもあるが重要そうなのはこんなもんだ。そして、これを適当につなぎ合わせ、間を俺のもつ知識でうめてやると一つの仮説が浮かび上がる。
雪ノ下家は雪乃が姉の背を追いかけるのを良しとしていない。
陽乃さんが嫌われようとするのは雪乃に自分とは違う道に進んでほしいから。
母親の干渉を支配とか受け取っているのは、雪乃にとっては姉の背を追いかけるのが自分で決めた道なのに、母親はそれを認めてくれないから。他の道を進ませようとしてくるから。
こんな感じで納得のいく説明がつく。
だが、まだピースが少し足りない。これでは「なぜ雪ノ下家がそうするのか」が見えてこないのだ。
あと少し、例えば陽乃さんが雪ノ下家でどういった立場なのか、とか。そんな情報があれば答えがでそうなのだが……。
「どうしたんだ? 難しい顔をしてるが、なにか考え事か?」
「ええ。まあ、少し」
考えうなる俺に平塚先生が話しかける。
「……昨日のことか? 今回は……少し危険な橋を渡ったな。少し間違えば問題になっていたかもしれない」
「スタンフォード監獄実験をまねしてみたかった。とかじゃだめですかね」
「……だめに決まっているだろう」
「ですよね。……平塚先生、ほんとうにすみませんでした」
平塚先生は俺たちの監督という立場だ。俺がどう頑張ってもさすがに彼女の責任を無くすことはできない。
大人の世界というものは、知らなかったから、ではすまされないのだから。
「別に責めてはいない。そうせざるを得なかったのだろう。むしろ、時間がない中でよくやったと思っているよ」
「集団心理を利用して、ちょっと風を入れ替えてやっただけです」
「集団心理、か。比企谷。君は少し、人の心を機械的にとらえすぎじゃないか?」
「自分が例外すぎて、機械的にとらえないと普通の人の心が理解できないだけですよ」
みんなの輪に入ることを嫌う俺は、それだけで他人と違う。だからこそ、俺は多くの人が当てはまる学問を通してしか人の気持ちが理解できない。
「だが、そんな君だから誰よりも人を見ようとするのかもな。機械的に見ながらも決して間違えないように。なかなか貴重な資質だ」
「……平塚先生もそれ言うんですね」
平塚先生の言葉は、奇しくも昨日雪乃に言われたことと同様のものだった。
「ともあれ、ご苦労だったな」
運転席から片手を伸ばし、平塚先生は俺の頭を撫でてきた。
つーか、あぶねーよ。生徒の命預かってんだから片手運転とかまじ止めてほしい。それに……子供扱いされてるみたいでなんか恥ずかしいし。
「……寝ます」
言って、俺は目を閉じる。子供扱いしてくるんだ、寝てしまって平塚先生を一人にしても咎められはしないだろう。
「みんな、ご苦労だったな。家に帰るまでが合宿だ。帰りも気をつけるように。では、解散」
平塚先生のドヤ顔が若干うざい。つーか、合宿じゃなくてボランティアだし。家に帰るまでがボランティアじゃ語呂が悪いから合宿にしたんだろうがな。楽しそうだから何も言えないけど……。
「お兄ちゃん、どうやって帰る?」
「京葉線でバスかな。帰りに買い物して帰ろうぜ」
「あいさー!」
小町は元気よく返事をする。寝起きのはずなのに元気なことだ。
「お姉ちゃんも、一緒に帰ろー?」
「そうね、一緒に帰りましょうか」
小町が雪乃に抱きつき、雪乃はそんな小町の頭を撫でてやる。
つーか、その姉妹設定まだ続いてたのかよ。小町を取られたみたいで少し寂しい。
それぞれに別れの挨拶を交わしていると、どこか見覚えのある黒塗りのハイヤーが俺たちの目の前に横付けされた。
前なのに横ってなんか違和感を感じる不思議。日本語的にはあってるはずなんだがな。
運転席から老紳士が降りてきて、後部座席の扉を開ける。
中から出てきたのは陽乃さんだった。
「はーい、雪乃ちゃん」
「姉さん……」
「ほぁー、似てる……」
小町が呟くと、結衣や戸塚もそれに同調する。
「雪乃ちゃんてば夏休みにお家に帰ってくるようにって言われてたのに全然帰ってこないんだもん。お姉ちゃん心配で迎えに来ちゃった!」
そう言うと、陽乃さんは周囲をくるりと見回す。そして、俺と目が合うとにっこり笑って突撃してきた。
「あ、比企谷くんだ! デート? デートだったの? ついに付き合っちゃたの? 報告してくれないなんて、お姉さん悲しいぞ! このこのっ!」
「またそれですか……。ただ、部の合宿で一緒だっただけですよ」
雪乃を煽るためにわざとやっているのだろうが、俺に対してワンパターンすぎやしませんかね? 肘でうりうりーとか前にあったときもやってたような。
「あ、あの。ヒッキー嫌がってますから」
結衣が俺の腕を引き、陽乃さんから離した。すると、陽乃さんの動きが止め結衣を不思議そうに流し見る。その視線には一瞬だけ鋭いものが混じっていた。
「えーっと、新キャラだねー。あなたは……比企谷くんの彼女?」
「違います! ヒッキーはゆきのんのですから!」
おい。おい。いつ俺の所有権が雪乃に譲渡されたんだよ。どこ情報? それ、どこ情報?
「あ、やっぱり比企谷くんは雪乃ちゃんのなんだ。雪乃ちゃんのこと邪魔する子だったらどうしようかと考えちゃった。わたしは雪ノ下陽乃。雪乃ちゃんのお姉ちゃんです」
「ご丁寧にどうも……。ゆきのんの友達の由比ヶ浜結衣です」
「友達、ねぇ……」
顔は笑顔のまま、声だけがやけに冷たいものだった。
「そっか。雪乃ちゃんにもちゃんと友達いるんだ。よかった。安心したよ」
言葉も口調も普通なのに、どこか棘を感じさせる。そんな陽乃さんの態度に、ちょっと笑ってしまいそうになる。
彼女の態度には意味がある。だが、それは別に結衣個人に何らかの思いを抱いて行われるものではない。ただ彼女は心配しているだけなのだ。ひたすら雪乃のことを。
雪乃にとって女子とは絶えず雪乃を排斥する側だった。だから雪乃の女友達である結衣を見定めようとする。そして少しだけ、わかるかわからないか微妙な棘を滲ませることで雪乃たちの敵として認識させようとする。雪乃にわざと嫌われ、その友達も自分を嫌いになれば二人の意見は一致するのだから。俺が千葉村で鶴見たちにしたように、敵を作ってやることは集団の団結力を高める簡単な方法だ。
ちなみに、俺への対応が結衣と違うのは、俺が男だからだ。異性は雪乃に好意を向ける側だっただろうからな。あれ、そう考えると俺別に陽乃さんに認められてないじゃん。姉が認めてくれているって認識させることで、雪乃への対応を擁護する側に固定させようとしてただけじゃねーか。やべぇ、すげぇ恥ずかしい。
「陽乃、その辺にしておけ」
「久しぶり、静ちゃん」
「その呼び方はやめろ」
漫画版ではしずちゃんですね、わかります。
「先生、雪ノ下さんとは知り合いなんですか?」
「昔の教え子だ」
恥ずかしい自分の勘違いなど押し殺し、増えた情報を分析する作業に思考を向ける。
必要なピースはまた少し増えた。だがそれでも足りない。あと少し……。
「じゃあ、雪乃ちゃん。そろそろ行こっか。お母さん、待ってるよ」
お母さん。その言葉に雪乃がピクリと反応し、表情を消す。
……またその顔か。昨日の俺を殴ってやりたい衝動にかられる。ちゃんと昨日雪乃と話していれば、あんな顔させずにすんだかもしれないのに。
「小町さん、せっかく誘ってもらったのにごめんなさい。あなたたちと一緒に行くことはできないわ」
「は、はぁ……。おうちのことならしかたないと……」
どこか形式ばった雪乃の態度に、小町は同様を隠せない。さっきまで姉妹ごっこしてたんだし、急にああなられたら対応できないわな。
「……さようなら」
消え入りそうな声で雪乃は別れを告げる。
「雪乃っ!」
そのまま車に乗り込もうとする雪乃の背に声をかける。
ピースはまだ足りてない。だが、あの顔のまま雪乃を行かせるわけにはいかない。
たぶん、雪乃は母親の反対を押し切りこの学校に、陽乃さんの母校に進学した。ここまでは正しいと思う。
俺の仮説が正しいのなら、雪乃の進学先としてこの学校は相応しいものではないのだから当然だ。
じゃあ俺はどうすればいいのか。どうすれば雪乃にあんな顔をさせずにすむのか。
……答えはもう出ている。雪乃は、自分でそれを選んだ。
「大学のこと、母親に話してみろ。たぶん、それだけでいい」
振り返った雪乃にそう告げる。
雪乃は俺をみて少しだけ微笑むと、車の中に入っていった。
「比企谷くん。今のどういう意味かお姉ちゃんとしてちょーっと気になるんだけど。でも今は時間ないからまた今度聞かせてね。ばいばーい」
雪乃と陽乃さんを乗せたハイヤーが出発する。
情報の足りない、不確かなことを言ってしまった。雪乃にあんな顔をさせたくない、それだけのために期待を持たせるようなことを言ってしまった。
もし俺が言ったことが間違っていたのなら。雪乃に希望を持たせてしまって、それが誤りだったとしたら。
「自分のやったことは自分の責任」が俺の信条とは言え、俺はどうやって雪乃に償えばいいのだろう。
走り去るハイヤーの背を見ながら、俺は自分の言ってしまった言葉の重大さに打ちひしがれていた。