古代魔術師の第二の人生(修正版)   作:Amber bird

960 / 1001
第954話

 全速力で馬車から遠ざかる、クリスの姿が小さくなっていく。食材の調達は彼女に任せて、自分は夜営の準備に取り掛かる事にする。

 

 とは言え、今回用意しているのは宿泊可能な大型の特別な馬車なので特にテントとかを準備する必要は無い。上級貴族の遠出用に錬金した、実際は移動出来る家が正しい。

 

 空間創造から特別製の馬車を二台取り出し、移動用の馬車を収納する。馬車を中心に周囲30mの円形範囲に深めの溝を掘って地虫や動物の侵入を防ぐ。

 

 

 

 自国領内なので、ゴーレムを錬金して警備させれば、僕の存在が疑われるが見回す限り周囲に人の気配は無い。街道沿いではあるが、この時期にバーリンゲン王国に向かう連中は……

 

 軍属か関係者位だろう。エムデン王国側からも領民の移動の制限はしているのだが、そもそも好き好んで商売等でバーリンゲン王国に向かう連中は居ない。

 

 報告書によれば、エムデン王国の商人に対しての態度が悪すぎて商売として成立しないらしい。具体的には強引な割引に、酷い場合は商品を勝手に持って行って少額の代金を置いて行くらしい。

 

 

 

 それじゃ態々商売をしようとする商人なんて居ないよな。辺境の少数部族との取引も酷い内容だったし、何故に自分達が有利になる事を当然の様に強要するのか理解不能だ。

 

 

 

「クリスは食材を調達すると言った。つまり調理は此処で行うつもりなのだろう」

 

 

 

 即席の煮炊き可能な竈(かまど)と焼き場としても共用出来る焚火、それと鍋とフライパンという調理器具も用意。あと食卓も必要と思い、椅子やテーブルも錬金する。

 

 ちょっとした屋根無しの厨房と食堂だな。大分薄暗くなってきたが、雲はないので雨は降らないだろう。四方に篝火を焚いて明りを確保し、同時に野生動物の対策も行う。

 

 基本的に野生の動物は火を恐れる。逆にバーリンゲン王国領内で野営で焚火をすれば、野盗達が明りを頼りに獲物を求めて集まって来る。

 

 

 

 面倒臭いから基本的に地中に居住スペースを錬金して寝泊まりする。鬱陶しい程に、集まってくるからな。返り討ちで身包み剥げば、多少の利益にはなるが睡眠を邪魔される方が嫌だ。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 暫く待っていると、クリスが小型の鹿らしき動物を背負いながら走って来るのが見えた。小型だが二人で食べるには十分すぎる量が有るが、夕食分以外は保存食に加工だろうか?

 

 相当な距離を走っていたのに息も切らしていない。凄い体力、男として見習うべきだろう。ドサッと用意していた調理台の上に今夜の食材を乗せた。

 

 やはり遠目で確認出来たが、若い小型の鹿の雌(メス)だな。血抜きと内臓は取り除いて有る。内臓も食材として利用する場合も有るが、野生の場合は寄生虫とか怖いから基本は全て処分だね。

 

 

 

「申し訳有りません。猪が見付からず、肉の柔らかい若い雌の鹿を狩りました。鹿は猪と比べて脂肪が少ないのでパサパサですが調理方法でなんとかします」

 

 

 

「いや、鹿肉も美味しいよ。脂分が少なくてヘルシーだから、強火で焼くと身がバサバサになるよね」

 

 

 

 一応、貴族の嗜みとして動物を狩って料理を楽しむ事も有るので、最低限の知識は持っている。呑気に狩りとか楽しむ時間なんて無かったし、そもそも狩りが楽しいかと言われれば……

 

 野生動物やモンスターを狩る。そこには安全の為とか生活の為とか、経験値や収入の為とか、色々と理由は有るが楽しむ為には無いかな。

 

 なので狩った動物は責任を持って自分達で食べるなり、誰かにお裾分けするなりします。

 

 

 

「では調理を開始するので、暫くお待ちください」

 

 

 

 そう言って一礼した後に袖口から二本の短剣を取り出したが、調理器具の包丁でなく武器の短剣?多目的に使用出来るので間違ってはいないが微妙な気がしますよ。

 

 皮を剥ぐ迄はゴーレムに手伝わせたが、部位別に切り分けた後は『結構です。休んで待っていて下さい』と言われたので、近くに座ってお手並みを拝見している。

 

 最初はモモ肉を薄くスライスした後に短剣で叩き始めた。ミンチしていると思うが、リズミカルに二本の短剣で叩いている姿は楽しそうだな。塩と胡椒で味を調えて、成形している。

 

 

 

「一品目はハンバーグだね」

 

 

 

 ここまで来れば分かる。鉄板に薄く油をしいて弱火でじっくり焼くのだろう。どうしても夜営時の食事って『火力が正義だぁ!』みたいに強火でガンガン焼きそうなのだが、クリスは火の調整に気を配っている。

 

 臭み消しにスライスした大蒜(にんにく)を周りに散らしている。周囲に漂う間違いなく美味しい匂いに、知らずと自分のお腹が鳴っている事に気付いた。

 

 馬車に乗って移動するだけで、身体は殆ど動かしていないのだがお腹は空くんだな。若い身体って素晴らしい。転生前の身体だったら、こんな空腹感は無かったと思う。

 

 

 

「はい。主様の大好物なのをイルメラさんから聞きました。本来教えて貰ったハンバーグは『口の中に入れるととろける』という表現になります。ですが鹿肉の場合は『噛み応えが有り、噛むごとに味わいが広がる』でしょうか?」

 

 

 

 二品目に取り掛かるのだろう。背ロースの部分をスライスして、キノコ類に敷き詰めたフライパンの中に敷き詰めている。肉と野菜の炒めものだろうか?

 

 オリーブオイルを取り出して、おぃおぃ大量に入れ過ぎじゃない?並々とオリーブオイルを入れたけど、それじゃ炒めじゃなくて揚げじゃない?

 

 

 

「二品目はアヒージョです。オリビアさん謹製の調味料を入れて味を調えます。この『魔法の塩』が味の決め手です。焼きと違い揚げなので、そこまで火力に気を付けなくて済むので柔らかい肉を楽しめます」

 

 

 

 アヒージョ?初めての料理だが、オリーブオイルに浸かったままの鹿肉やキノコを食べるのか。それと『魔法の塩』とな?マジックなソルトって事だろうか?

 

 知らない料理だが、オリビアが関係しているならば問題無いだろう。彼女の料理の腕や知識は王宮勤めの料理人でさえ舌を巻く程だし、実際に何を食べても美味しいんだ。

 

 未知の料理を野外で食べれるとは、不思議な感覚だね。

 

 

 

「アヒージョは薄くスライスして焼いたパンの上に乗せて食べるのが一般的だそうです。手掴みで食べる事になるので、こういう野営の時でしか楽しめませんが……」

 

 

 

「マナーの問題だね。確かに手掴みで料理を食べるとか、レジスラル女官長辺りにバレたら説教だろうな。上級貴族としての心構えが足りないとか?まぁ美味しくて手軽な事が野外の料理に求められる事だよね」

 

 

 

 アヒージョ、楽しみが一つ増えたぞ。だが二品とも肉がメインだから重い、食べ切れるだろうか?

 

 

 

「スープは申し訳有りませんが、作り置きのカートッフェルズッペ(ジャガイモのスープ)です。これは私が、イルメラさんに教えて貰い一人で作りました」

 

 

 

「うん。美味しそうだね。定番だけど、暖かくて優しい味なのが見た目で分かるよ」

 

 

 

 全ての料理が完成する頃には、丁度良い感じで陽が落ちて暗くなっている。篝火の揺らめく明かりが、嫌でもこれから美味しい料理を食べれると言う期待を煽る。

 

 ああ、野外での食事も良いものだな。見上げれば満天の星空、目の前には美少女の手作りの美味しい食事。惜しむらくは妻でも恋人でもない、大切な人の括りの中には入っている仲間。

 

 これが、イルメラ達だったら、また違う感情が溢れ出るのだろうが……今はそんな失礼な思考など、放り投げてしまおう。この状況を楽しもう。

 

 

 

「では、乾杯」

 

 

 

 折角の手料理だが任務中の為にアルコールは厳禁とし、オレンジの果実水で乾杯する。任務中は建前で雰囲気に飲まれて、クリスの魅力に負けない為に素面で居る為だ。

 

 彼女は、イルメラさんの許可の元で妾待遇を容認している本人曰く『都合の良い女』を目指しているらしいので困るんだ。普通に美少女に迫られたら、我慢するのにも限界は有る。

 

 この転生後の若い肉体の欲望を甘く見ると、とんでもない失敗をしそうなので鋼の精神力でやり過ごす。勿論だが寝る時の馬車は別々だし、見張りはゴーレムに任せるから馬車に入れば朝までぐっすり寝るだけだ。

 

 

 

「うん。この鹿肉のハンバーグも美味しいね。弱火でじっくり焼いたからか歯応えもあるし、噛めば噛む程に肉本来の味が楽しめるね」

 

 

 

 柔らかくはない。逆に普通なら少し焼き過ぎで固いと思う食感だが鹿肉の場合は違う。噛めば噛む程に肉本来の旨味というか味わいが楽しめる。若干の臭みは大蒜が消してくれて、良いアクセントになっている。

 

 付け合わせのジャガイモとアスパラガスは事前に用意していた物だと思うが、なにも味付けしていないので口の中に残る若干の肉汁を消してくれる。

 

 鹿肉のハンバーグ、初めて食べたが気に入った。惜しむらくは屋敷の料理人に同じものを頼む事は出来ないだろうな。この任務中に何度か味わってお預けになるのかな?

 

 

 

「アヒージョ、オリーブオイルで煮込んだ鹿肉とキノコ類を薄切りのパンに乗せて食べるのか……」

 

 

 

 手掴みのパンの上にフォークを使いフライパンから直接、肉や野菜をすくって乗せる。普通なら鍋やフライパンから直接料理を食べるとか、貴族としては許されざる暴挙だろう。

 

 油っぽいかと思えば、そうでもない。『魔法の塩』という、オリビア謹製の不思議調味料が味を引き立てている。この『魔法の塩』は他の料理にも使えるぞ。

 

 普通に肉に振りかけて焼いただけでもイケそうだな。流石は、オリビア。良い仕事をしている。今度、御礼に何か珍しい食材を渡す事にしよう。

 

 

 

「パンと食べると、油っぽさが無くて良質のバターみたいな感じ?になるね。これも美味しいね」

 

 

 

「鹿肉は個人的には背ロースの部分が一番美味しいと思っています。一頭から2kg程しか取れない貴重な部位なのですが、気に入って貰えて嬉しいです」

 

 

 

 うーん、部位か。モモ肉・背ロース・アバラ骨周辺のバラ肉・背骨の腰部分のヒレ肉・ふくらはぎ部分のスネ肉が一般的な所かな。

 

 細かく分ければ、モモ肉も内モモ・外モモとかバラ肉も内バラ・外バラとか、ハラミとか有るけどね。あと内臓系は、心臓や肝臓はね。ちょっとハードルが高いかな。

 

 気が付けば、全ての料理を完食してしまった。御礼に食後のデザートは、僕がストックしているものを出す事にする。

 

 

 

「バイエリッシェ・クレームという、ローラン公爵家発祥のデザートだよ。ミルクと卵黄、砂糖とクリームを使った濃厚クリームをゼラチンで固めたものらしい。食通で知られる、ローラン公爵のお勧めだから期待出来るよ」

 

 

 

 本来はフルーツのソースを添えて食べるらしいが、僕はそのものも味も気に入っているので、そのまま提供する。流石は食通、珍しい料理を食べたい為に毒殺されかけた程に食への執着は強い。

 

 スプーンで掬って一口食べる。満腹でも問題無くスプーンが進む、口当たりも良く甘さも控え目。クリスも美味しそうに食べているので、気に入ってくれたみたいで嬉しい。あとで少し分けてあげよう。

 

 小食の僕としては珍しく、全ての料理を完食しデザートも残さず食べれた。御馳走様でした。

 

 

 

「さて、風呂に入って寝ようか」

 

 

 

 なんと、特製の馬車には風呂とトイレを完備しているのだ。これは、メディア嬢の意見を参考にして苦労して魔法で浴槽に湯を張れるようにした。水や湯が出るマジックアイテムを一から考えて錬金したんだ。

 

 多少の魔力が有れば、操作は可能。動力源の魔石さえ交換すれば使い続ける事が出来る。制作も修理も自分しか出来ない流通させるには問題の多い品だが、王家からも数台の発注を貰っている。

 

 リズリット王妃からは、こんな便利な物が錬金出来るならばネクタルの複製も頑張って研究しろって意味を込めた無言の圧がね、強かったよ。流石にネクタルの複製は無理、ドロップアイテムとして入手した方が効率的だって。

 

 

 

「では、背中を流します」

 

 

 

「狭いから無理っていうか、未婚の淑女が異性の背中を流すとかさ。はしたないから、止めなさい」

 

 

 

 拗ねる彼女を何とか宥め透かして、特製馬車に押し込む。施錠をしっかりと確認してから、風呂に入る事にする。制作者が利用状況を確認していなかった、反省。

 

 結果的には狭いが機能的には問題は無い。だが、高貴な身分の淑女が一人で身体を洗うか?となると、微妙な感じがする。本来は使用人が全てを行い、本人はされるがままなのが普通だよな。

 

 だが狭い浴室内に二人は無理、動けない。これ以上、広くすると馬車としての行動に制限が掛かる。浴室専用の馬車とか万能タイプではなく、用途別に特化した馬車も考えるか。

 

 

 

 例えば、移動厨房みたいな大型特殊馬車があれば、野外での催し物の幅が広がるだろう。戦場や被災地などでも大量の煮炊きが出来るならば活躍の場は十分に有るが、コストが掛かり過ぎるかな?

 

 運用は金持ちしか出来ないとなると、開発の優先度は低くなると思う。だが廉価版を今回の王命に利用するのはどうだろうか?移動可能な簡易施設って、需要が有るのは間違いないぞ。

 

 ふふふ、夢が広がるな!なんて浴槽に浸かりながら考えていたら、警戒網に反応が有った。どうやら、クリスが浴室に特攻を仕掛けて来たらしい。

 

 

 

 無事に撃退出来たので、今回は不問としよう。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。