世界最悪の女   作:野菊

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世界最悪の女、冒険をする 4

症状は改善できないこと、強い副作用があること、人に試したことはないのでこの投与自体が臨床実験になることは、事前に念を押している。

それでもいい、母のために出来ることがあるのならば――シーボルトさんは何度もそう言った。

いずれ誰かに試さなければいけなかったのだ――痛みを軽減する薬。この世界の薬効の速さなら、戦いの場で絶対に役に立つ筈。自分に言い聞かせ、老女の腹に触れる。

私は医者じゃない。が、確かにしこりがあった。顔色、症状――同じ状況の人は何人も見てきたからよく分かる。

――癌だ。余命は1月くらいか。

「あの子がこんなに若くて可愛らしいお嬢さんをつれてくるなんて」

「ちょ…お袋、失礼だろ!!」

いや、自分で言うのもなんだけれど、若すぎるだろ。

同席していたマリアさん――シーボルトさんの遠縁の方、介護を手伝っているそうだ――も、吹き出していた。

「ではこれを――朝と夜、12時間置きに飲ませて。症状は記録しておいて、何かあったらすぐに連絡を」

「はい、分かりました」

「それと、これ。お守りです」

「――まあっ!!」

手渡したブローチに、老女は大きく目を見開いた。シーボルトさんも息を飲んでいる。

昨日シーボルトさんを送ったあと、再び採掘場に行ったのだ。温帯石はすぐに必要だったので。

ついでに火炎ムカデを一掃した。といっても、スカイの息で足止めし、しびれ眠り薬で動けないようにしてからルカニを掛けた上で、たまたま落ちていた鉄の槍でプチプチしただけだ。

奥の方まで行くと、馬鹿でかいのが一匹いた。多分そいつが親玉だったのだろう。詳細は思い出したくもないので省略するが、悲鳴をあげながら、スカイの援護でなんとか倒し、巣の中の卵を燃やそうとしたところで、ブローチの存在に気付いたのだ。

「洞窟で見つけたて……話に聞いていたんですけれども、ご主人が落としたものじゃないですか? 」

「そう、そうよ!!間違いないわ! この瑪瑙のブローチよ!!見てごらんシーボルト、ほら、裏に傷があるでしょう。私が小さい頃つけた傷だわ!!」

天使の横顔が描かれたカメオのブローチを握り締める老女の横顔が、とても病人とは思えないほど輝いていたのは、決して薬が効いただけじゃないはずだ。

 

夜まで経過を診て、自宅に戻り、地下の植物を確認する。

芥子は既に茎を伸ばしていた。驚くぐらい成長が早い。この様子だと2,3日で収穫できるだろう。以前破邪の洞窟で摘み、それを薬にした分は、まだ手元にある。

収穫後乾燥させて出来る阿片から、成分を抽出したものが、老女に投与している薬品――モルヒネだ。

葛藤はある。阿片という取り返しの付かない獣を、この世界に持ち込むことに。

また、同じ事をしようとしているのかもしれない。目の前にいる人を助けるつもりで、善悪の判断をせず、やってしまう。繰り返しだ。

高校3年生の10月から、何も変らない。

 

おじさんは私の事を何も聞かなかった。いや、聞かれても適当にはぐらかしていたので、諦めたのだろう。

私の興味はおじさんではなく、おじさんの住む部屋だったように、おじさんも私に対して何も興味を持っていなかった。遠く離れた奥さんの代わり。いや、代わりですらない。

おじさんは誰でも良かったのだ。フーゾクでも、ダッチワイフでも、素性の知れない女子高生だって。誰でも同じなのだ、奥と子供さん以外は。奥さんと子供だけが大切で、それ以外はどうでもいいのだ。部屋に居てもいいし、居なくてもいい。会話をしてもしなくても。一緒に寝ても寝なくても。どうでもよかったから、奥さんが亡くなった時――死にたいと言ったのだ。

高校3年性の10月は、受験のことで頭がいっぱいで。大学生になって家を出ることだけが心の支えだった。お金がないので公立が絶対条件。

成績は良かった。おじさんの部屋で過ごすほとんどの時間を勉強に費やしていたのだから。テレビもラジオもない部屋だった。電子レンジと洗濯機――調理器具は私が買い足した。

そのくらい、どうでもよかったのだ。おじさんにとってあのアパートは、何の価値もなかった。私が居ても何の問題もない。だっておじさんの家は、あのアパートじゃないのだから。奥さんと子供が待つ家だけが、おじさんの家なのだから。

おじさんが玄関を開ける音で、私は久しぶりだということに気付いた。思えば、9月の下旬から顔を合わせていない。2週間近くこの部屋におじさんは帰ってこなかったのだ。それはお正月とお盆を除けば初めてのことで。

どうしたのかは、聞かなかった。

何かあったのだろう。

明らかに様子がおかしくて。

原因は分かる。何かあったのだ。おじさんの家族に。だからこんなにも――。

「妻と、子供が――死んだ」

その場に崩れ、死にたいと繰り返すおじさんを、私は抱きしめる事しか出来ず。

おじさんのことは、好きだった。決して恋愛感情ではないけれども。初めてこの部屋に来た日、4万円くれた。2回目に来た時、何度もお金を渡せないと言われたので、毎月6万円もらえれば構わないと言って、そのお金で参考書を買ったり、予備校に通ったり、友達とカラオケに行った。大学の入学金を払うこともできた。住むところを提供してくれて、焦げ付いたシチューを、笑いながら平らげていた。

「もう、死んでしまいたい」

「――いいと思うよ、それも」

おじさんのことは好きだった。だから、ひとつぐらい、おじさんのために何かしてあげたいと思った。

化学の成績は特に良くて、先生とも仲がよく、冗談半分で手作りで毒薬を作る話なんてしたこともあった。

掃除の時間化学室から盗んだ薬品と、家庭用洗剤。スーパーで手に入る食材、園芸店に売っている肥料、ドラックストアの薬。混ぜて飲めば、苦さを我慢するだけで、あとは楽になれると説明した。おじさんはそれをお酒に混ぜて飲んだ。私は服を着ながらその様子を見守り、事切れたかを確認して、アパートに永遠の別れを告げる。

遺体は2日後、無断欠勤を心配した同僚に発見され、遺書があったので自殺で片付いたと、地方新聞の片隅に7行掲載された記事で知った。

 

冷室の温度は保たれていた。ハーブも萎びていない。念のため、雄花から花粉を採取しておく。

まだ、この世界の誰も知らない。私だけ。だから引き返せる。

この花と芥子を異種交配させることで、新種の植物が出来る。雄花からは草丈の高く、天に突き出すようにひとつだけ花を咲かせる――『アダム』が。雌花からは生い茂った草の中心にぽってりとした花を幾つも咲かせる――『イブ』が。

アダムの実にはたくさんの、イブの実には左右にひとつずつ、それぞれ種を作る。その種が、私を世界最悪の女にした。

アダムの種には、強い毒素が含まれている。飲んだ瞬間気を失い、それから一生目覚めることのない。

イブの種は、強い幻覚作用が。飲むと至極の夢を見る。もう二度と、現には戻りたくなくなるほどの。

それぞれの乾燥させた種を磨り潰し、絶妙の配分をして、出来上がったものが『エデン』。服用すれば、天にも昇る気持ちで、極上の死を迎える。

私のいた世界で、2000人を殺した薬の話だ。

だけど、手に入ってしまった。

一番初めの森の中には、初期のレベルアップに必要なモンスターと、私が使えば充分武器になる植物が『配置』されていた。私の手には武器と、初期装備を整えるに充分な金があった。たまたま一番初めに入った定食屋で耳にしたカンダタとアバン先生の名前。カンダタを倒し、暫く待っていると現れたアバン先生。旅の途中、アバン先生から教えてもらった芥子の存在。更に旅を続け、耳にした白い花。全てが書割どおりなのだ。

私が再びエデンを作り出すことは。

いや、違う。選択したのは私だ。一番初めの町で職を探し、冒険に出ることなく一生を終えることも出来ただろう。カンダタを殺さず、先生を待つこと。薬の知識を一切披露しないことも、出来たはずだ。

だけど――。

 

勇者を1人にしない。

 

勇者に出会うためには、勇者と共にあの場所に行くためには、力が必要で。あと1年ほどで戦いは始まる。私のスペックでは、それまでに大幅なレベルアップは見込めない。それでは死の大地に足を踏み入れることすら許されない。

これがただの成り行きなのか、私の意志なのか、神の意図なのかは分からないけれど。手に入る中で一番大きな力、それがエデンだった。

 

食事は流動物を日に5回。1日の大半は眠っているけれども、覚醒時の意識ははっきりしている。嘔吐感はなし。便秘が酷く、食物繊維を多く含んだ食事と、腹部へのマッサージ、保温で対処。下剤や浣腸は患者の体力を考えたうえ、使用せず――シーボルトさんの話を、集まった医師たちは真剣に聞いていた。

マリアさんに介護を任せ、ベンガーナの小さなバーを訪ねた。スカイは病人の寝床に潜り込んでいる。シーボルトさんにつれてこられたその店は、週末になると付近の医者が集まるサロンに様変わりする。わざわざ遠くの町から何日もかけてこの店を訪ねる医者も居るそうで、この店で酒を飲みながら医療の情報交換をすることは、ベンガーナ周辺の医者にとって一種のステータスのようだ。

シーボルトさんもマリアさんも、とても熱心に介護をしていたのだが、あまり根を詰めすぎるのも良くない、介護するほうが参ってしまう。そこで、週に少なくとも1日はあの家を出て、買い物なり食事なり、自分の時間を楽しむようアドバイスした。

今日はシーボルトさんが休みの日というわけで、以前から話に聞いていたこの店につれてきてもらったのだ。

「なるほど。そこまで効果のある鎮痛剤とは――それで、粉薬と錠剤を同時に呑む理由は? 」

「体内に吸収される時間が違います。粉薬は飲めばすぐ胃から吸収され、錠剤は少しずつ溶けていきます。吸収される時間に差を持たせることで、投薬の回数を減らすことになります」

医師の間で私の名前は知れ渡っていた。ロモスの堕胎薬については公表されていないけれども、それでも狭い業界だ。カールで考案したハンドクリームも、医学会にかなりの衝撃を与えたらしい。

そこにアバン先生の弟子という七光りが加わって、なんかすごい少女がいるという噂が広がり、張本人がのこのこやってきて、シーボルトさんが鎮痛剤の話を吹聴してくれたお陰で、質問攻めにあってしまったというわけだ。

「その鎮痛剤は、キアリー系の呪文とは違うのでしょうか? 」

「キアリーの上位呪文キアリクは、マヒの治癒が可能です。これは、自然治癒力を一時的に促進させているに過ぎません。現に、キアリクを使用せずとも時間が経てばマヒは回復しますので。私が調合した鎮痛剤――モルヒネは、脳の中の、痛みを感じる機能を低下させるものです。肉体的な痛みはあるけれども、痛いと感じなくさせます。ただ、脳の機能を薬によって調整しているため、使用量を間違えれば、副作用があります。例えば眠気、嘔吐感、気力の低下。そして何より問題なのが、強い依存性――」

医師たちは詳しいレシピを知りたがったが、現在臨床実験中であること、取り扱いに充分な注意が必要なこと、どのような副作用が出るのかわからないという事を口実に、断った。

製造の過程でどうしても必要な阿片は、これから始まる戦いで、疲弊した人々がどのように受け入れるか不安がある。世界中の価値観を変えうる薬品の公表をする勇気は、今の私にはない。

――また、過ちを繰り返したくないから。

私の答えに、しぶしぶ納得してくれたのは、カールで貰ったライセンス料の事を知っているからだろう。痛みを取り除くなんて夢のような薬、売ればどれだけの金になるか――それで納得してくれたようだ。

「それにしても、錠剤にすることで、吸収時間を遅らせるとは――確かに、呪術に使われる薬は、一部丸薬にして使用するらしいが」

「私としては、ここまで医療と呪術の学識に乖離があることが不思議でなんだけど…」

「それはですね、呪術は基本的に呪文の使用が前提となり、医術は呪文が使えないことが前提となるからです――呪文が使えないわれわれでも使用出来るように体系化されたものが、医療です。そのため、医療と呪文は相反したものという考えが、一般的です」

「確かに。怪我の回復であれば、魔法力による治癒や、特殊アイテムによるもののほうが、はるかに効果的です」

「だけど――呪文による回復は、生命力を一時的に活性化させるものです。症状によっては悪化が促進してしまうものがあります。例えば、シーボルトさんの母上の病気は――」

 

この世界の夜は星がよく見える。

旅を始めた頃、いつまでも夜空を見る私を、アバン先生は不思議そうに見ていたものだ。

「すっかり遅くなっちゃいましたね――」

少し酔っていた。そのせいか、ルーラで到着したのはアスクラスの入り口。酔い覚ましも兼ねて15分ほど歩くことにした。

「マリアさん心配しているんじゃ? 」

「そうですね。いつも世話を任せてばかりで」

マリアさんはすごい。ハタチそこそこで、食事から下の世話まで、いやな顔ひとつせず。

「シーボルトさんだって頑張ってるよ。カルテを見ればよく分かる。いくら実の親でも、なかなか出来る事じゃないと思う」

中央の広場には、大きな噴水が。街頭はないけれども、星があれば充分だ。

シーボルトさんは立ち止まり、ポケットから小さな箱を出した。

「――結婚を、申し込みたいんです」

箱の中には、シルバーの指輪。小さな宝石が埋め込まれている、とても素朴で、上品な。

シーボルトさんはそれを私に見せて、どう――と尋ねる。

「うん、いいと思う」

「……歳も離れているし」

「本人同士が良ければ、大したことじゃないって」

「僕は世間知らずで――病人を治すことしかできません」

「素晴らしいお仕事です」

「城を辞めたので、職もない」

「この町で、ふたりで診療所をやったら、きっと上手くいくよ」

「――じゃあ」

 

「マリアさん、きっと喜んでくれるよ」


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