世界最悪の女   作:野菊

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世界最悪の女、アバンの使徒に出会う 6

洞窟で採取した草は、夜になると未だ鈍く光っていた。この光が全て失われるまで干し、磨り潰せば、リリルーラの粉が出来上がる。

「もう…無理っす…」

「まだまだ準備運動ですよ」

「そんなあ・・・・・・」

弟子入りしてから1週間。ポップは相変わらずで。

「昼間一日中歩いてくたくたです。無理、無理、明日するんで、飯にしましょう!!」

「全く、困った子ですね」

「慣れないうちはそんなもんですよ。先生、夕食の準備ができました」

「わーい、いっただきまーす」

堪え性がなくてすぐに弱音を吐き、少しでも辛くなると放り出す。ポップはそんな、普通の少年だった。

「うーん」

夜半。片付けや明日の準備を整え、そろそろ休もうかと、暖めておいた温帯石を布で包む。焚き火の近くに陣とって、ポップの寝顔を恨めしい思いで一瞥する。

「先生、まだかかりそうですか? 」

相変わらずの書き物をしながら、先ほどから何度も唸っている先生に声を掛けた。

「あ――ええ。ポップの修行のことでちょっと…」

「ポップの? 」

「はい…素質は充分あると思います。物事の理解も早いし、敏捷性もあるので、ゆくゆくは良い魔法使いになるはずなのですが――」

どうやらポップの教育で行き詰っているようで。出来るはずの課題を与えても、途中で投げ出してしまう。先生の歯がゆさはよく分かるのだが。

「まだまだこれからですよ。旅をするのだって初めてなんだし――それに、魔法はすごいじゃないですか」

初日、ポップにせがまれ、とりあえずメラの契約をしてみようということになった。何の修行もしていないこの状態では、呪文どころか契約すら出来ないだろう――先生も私も、そう踏んでいた。

しかし、契約は無事行えた。しかも驚いたことに、ポップはその場で小さな火の玉を放出したのだ。

呪文を契約するためには、まずある程度の魔法力が必要だ。呪文に見合った力がなければ、どんなに正確な魔法陣を描いたところで、反応しない。

契約が出来たとしても、すぐに呪文が使えるとは限らない。攻撃魔法であれば、魔法力を掌に集結させ、氷や炎に変換させる強いイメージ必要になる――私はここで頓挫した。

そして具現化した魔法力を、放出するのにも、また修行が必要ということだが、そこまで行き着いていないので詳細は不明。

とにかく、攻撃魔法については、ほんの一瞬で追い越されてしまったのである。

「確かに、カンは良いと思います。ただ、才能だけでは絶対に向上しません」

「うーん。とりあえず、はじめは瞑想を中心にしてみてはどうでしょうか? 魔法力が増えれば、もっともっと上の呪文を覚えたくなるだろうし。そうすれば、体力づくりにも身が入るようになりますよ。それに、日中これだけ歩いているんだから、それだけでも基礎体力は上がっているはずです」

「・・・・・・甘やかしすぎるのもどうかと思いますが」

「あんな子1人いても良いじゃないですか……ていうか先生、スカイを取られて悔しいだけじゃ? 」

マジックポイントが大好物のスカイの寝床は、このところ先生からポップに移った。この中では一番魔法力の少ない少年の近くに。

それがどういうことか、先生も分かっているから、楽しみで、悩んでいるのだろう。

師の思いなど知らず、蒲団を蹴飛ばす寝姿は、臆病で弱いただの人間だ。

 

「ポップ、遠慮せずどんどん投げちゃってください!!」

――いやいやいや、遠慮してよまじで。

私は目隠しされたまま、先生とポップに挟み撃ちにされ、石を投げられている。深刻ないじめの現場ではない、れっきとした空裂斬の修行風景である。

「っ――!!」

背中に石が当たる。軽石とはいえ、場所によっては大変痛い。早くクリアしたいのだが、どうやらムラがあるようで。

調子がいい時は、9割以上石を叩き落せる。だけど、日によっては全然駄目で。今日はまずまずだった。

「はい、そこまで」

何が嫌かって、この修行はすごく汚れるのだ。砕けた軽石の破片が粉々に飛び散って、汗をかいた体に張り付く。おまけに――。

「はははっ、パンダみてーだな!!」

目隠しを外すと、滲んだマスカラが、それはもうひどいことになる。するなといわれればそれまでなのだが、ベンガーナのデパートで買い貯めしてしまったのだから仕方がない。この世界にも、マスカラとビューラーがあったという事実に感動し、つい、5本ほど。新作が出るまでに使い切るためには、日々の小さな努力が必要とされるのだ。

眉毛はある。若返った私が10代の肌にファンデを塗るといった愚行を繰り返すわけがない。つまりマスカラさえあれば何も恐れるものはない。

「はいはい、もう一度目隠しをして。ポップ、次はこれで」

先生はそういうと、ポップにひのきの棒を渡す。

「ソウコはそこから動かないように」

「はーい」

「それではポップ、始めてください」

後ろに、振りかぶってくる気配。しゃがんで避ける。バランスを崩した背中を軽く押せば、前のめりに転倒したポップが、悔しそうな顔で再びひのきの棒を手にする様子が手に取るようにわかった。

私の修行の補助と銘打った、ポップの基礎訓練。投石により筋力を、この修行で剣術を磨いている。アバン先生の言うとおりカンは良いので、私に避けられながら、より効率的な体の動かし方やタイミングを、自分なりに工夫しているようだ。

お陰で最近は愚痴を言うこともなく、先生のカリキュラムをこなすようになった。

「あー疲れた」

「付き合ってくれてありがとう。お礼に林檎を切ってあげるね」

かつてアバン先生が大絶賛したウサギの林檎を、ポップは躊躇なく噛み砕いた。

「この後瞑想でしょう? 全部食べて良いから、居眠りしないように」

私は林檎を食べない。

だから、人が食べている姿を見るのが好きだ。食べるなら、絶対にウサギの形で。それ以外なんて考えられない。

 

ポップが瞑想をしている間に、こっそり行ったリリルーラの実験は大成功。まず、スカイに粉を掛けて、離れた場所まで飛んで行かせる。

私が試した時は上空を旋回している最中で、ついでに火事場のなんとやら、トベルーラも会得できた。

「上手くいきましたね、ソウコの協力のお陰です」

ロモスの古書店で、先生が購入した本にたまたま挟まっていた虫食いだらけのレシピ。そこに『リリルーラ』『ルラムーン草』という言葉がなければ、半信半疑のままだった。

古い言葉や誤字脱字を解読し、虫食い部分は推測して、ルラムーン草の情報を彼方此方で聞きまわってからはや半年。ようやく、ベンガーナに来た目的が達成された。

「先生、この粉が有れば、いつでも仲間に会えますね」

「はい」

その笑顔に、私は近づいてくる何かを予感する。

「この感覚が上手くつかめれば、いずれ粉が無くてもリリルーラを使えるようになりますよ」

でもきっと、それはまだまだ先。

ルーラの飛距離は少しずつ伸びてきた。隣の村までなら移動できるくらいには。ナイフ投げは向いているみたい。飛び回るスカイに括りつけた的に、7割5分の確立で命中する。大木でも、大地斬なら一撃。岩は大きさによりけり。ドラゴラムで襲い掛かる先生は、海波斬で攻略済み。空裂斬は多分無理だろう。光の闘気とか、そもそも私には無縁だ。攻撃呪文、回復呪文はとっくに諦めて、補助呪文もそろそろ行き詰っている状態だ。

つまり、まだまだ。私には学ばなければいけないことがある。

先生の下で、もっともっと力をつけなければ。

なのに――その日はやってくる。

 

「はいそこまで! ソウコ、ベリーグッドでしたよ」

先生はここ数日、様子がおかしい。ボーっとしているのかと思えば、嫌に優しかったり。突然基礎的な訓練を課せられたと思えば、急に私では到底無理な課題を言い渡す。

ポップの修行もまずまずだ。中級呪文まで契約し、魔法力も順調に増加している。基礎体力が身についていないので、実戦でどうこうというレベルにこそ至っていないが、習得のペースは目を見張るものがある。

「ポップ、こちらに」

岩場に着くと、先生はポップを一角ウサギ大の岩に座らせた。そして私に目隠しを宛がい、そのまま10歩下がれだとか、回れだとか、不規則に動くよう指示する。

今までにない修行に、どんよりとした不安が広がった。

案の定先生はとんでもない事を言い出す。

「ポップが座っている岩を、投げナイフで割ってください。ナイフは5本まで使用できます」

「!!」

「はーーーーーーーあ!?」

いや、無理だし。方向感覚も、距離感も全くつかめていない状態で。いくら小型ナイフといえども、万が一当たり所が悪ければ――。

「ソウコ! 」

断るべきだ――目隠しに手を掛けた私を制する、先生の声。

「よく考えなさい」

 

唾を飲んだ。

心臓の音が苦しい。よく考えろ、やらなければ破門――そういうことだろうか。

出来るわけがない。万が一当たり所が悪ければ、ポップの命は・・・。それでは元も子もない。この甘ったれな魔法使いの存在がなければ、勇者は勇気をなくしたまま、大魔王に勝つすべもなく――それでは私がここにいる意味がないのだ。

「クソっ、なんだこれ、動けねえ!!」

どうやらポップは拘束されたようで。これでは、万が一のことがあっても逃げられない。

断るために、再び目隠しへ手を掛けたとき、ポップの声に閃いた。

「――先生!!」

「なんでしょう? 」

「使用していいナイフの数は5本。それで岩を割ればいい、条件はそれだけですよね」

「はい」

 

――よく考えなさい。

 

岩は割れないかもしれない、だけど――。

「ポップ!!」

「っ、なんだよ!!」

「方向、合ってる? 」

「はぁ!?――ってソウコお前、やる気か? ふざけんな、人の命を何だと思ってるんだ」

「死にたくないなら教えなさい!!」

ポップは諦めたのか、私に向きを指示する。――もっとも、声の方向で大まかな位置はつかめていたが。

「もうちょっと右……そう、そこ」

「今まっすぐ向き合ってる? 」

「ああ」

「距離は!?」

「あ? 」

「距離、どのくらい??」

「そんなん、分かるかよ! 」

「――スカイ!!」

「アーウ」

頭上から、羽の音。まっすぐ向かって34回。スカイは私と並んで飛ぶ時、私が4歩あるくたびに一度、羽ばたく。

私の歩幅が60センチだとすると、ポップまでの距離は大体75メートルといったところか。私のスカラが届く距離ではない。

「ポップ、今スカイはどこ? 」

「オレの前でケツ向けて寝てやがる!!なんだってんだこんな時に!!!!」

「――レミラーマ」

唱えれば、スカイの首輪――コールブレスのある場所が、瞳の向こうに青く光る。このすぐ下を狙えば。距離、方向、角度は大体分かった。後は匙加減だけ。

私は目標の10メートル手前あたりを目標に、1投目を投じた。

「今、どの辺」

「こっ、ここと、そこの、真ん中ぐらい」

慎重になりすぎている。目標から少し右側を目指し、2投目。

「ひっ!!!!!!」

「距離と角度、合ってる!?」

「ああ、ああ……」

3投目再び、青い光に向かって

「ひっ、わあああ――!!」

「ポップ!?」

「あっ、頭の上、飛び越えた…」

高すぎた。深呼吸して、感覚を何度も何度もなぞりながら。4投目。

 

――キン!!

 

岩に当たったナイフが跳ね返る音。

「あ…当たった、当たったけど」

「分かってる。次で最後だね」

深呼吸して。

先ほど見た岩の形をイメージする。このナイフで割れるかどうかは分からない。でも…何度も何度も、シュミレーションした。どこに当てれば、一番効果があるのか。まるで人間の急所を探るように――。

 

「――!!」

 

五投目。自分の出来ることは全部やった。すべて先生と出会って覚えたこと。体の動かし方、武器の性質、対象物へのアプローチ。全部、全部、先生に教えてもらったこと。

――大丈夫、きっと出来る。

ナイフを放つ。風を切る音がした。ポップの声よりも大きく。見えないはずの視界に、ナイフが岩の中心へ、吸い寄せられていく光景が広がる。

 

「合格です」

 

次に聞こえたのは、先生の声。

 

人が悪すぎる。

目隠しを外すと、砕けた岩の残骸。上空浮かぶスカイ。その真下には、アストロンを掛けられたポップ。

「いやー、念のために掛けておいたのですが、その必要は無かったようですね。さすがソウコ!!まさか成功するとは」

投げたナイフを拾い集める。5投目のナイフを確認したが、刀身に零れは見当たらない。

「ポップ、大丈夫だった? 」

「動けねえ――」

「心配ナッシング、間もなく効果も解けるでしょうから」

まだ、ふわふわしている。5投目の時のあの感覚。腕の力で投げたのではない。ただ、ナイフが飛ぶのを後押ししただけとでも言うのだろうか。

あんな力が自分にあるなんて。

「見事な空裂斬でしたよ」

「く――れつ、斬…? 」

私が? ありえない。だってそれは、光の闘気を使う技。私にそんなものがあるわけがない。

「ただ、残念なことに、アバンストラッシュの習得は難しいでしょう。ちからが足りません。向き不向きもありますので。だけどあなたには、それを補って余るものがあります」

先生の話は私を置いてどんどん進む。

やだ、いい。まだ――。だけど、そのときは既に来ていて。

「あなたには、与えられた情報から状況を整理し、自分の能力を客観的に見詰めた上で、自分が取るべき道を選択する力があります。そしてそれを実行に移すための行動力が」

そうなのかもしれない。先生が言うのならば。だけど、違う。

私はずっと出来る事をしてきた。出来ることだけを。だけど、そこには常に欠けている。決定的なものが。

「だから、これをあなたに」

目の前には、ネックレス。知っている。マァムの首から誇らしげに下げられていたそれは、アバンのしるし。それと同じものが、今目の前にあった。

「――いただけません」

振り絞れたのは、たった一言。

だってそれは、証なのだから。正義の使者であるという。

先生が一番教えたい『正義の心』が、私には致命的に欠けていて。だから出来たのだ。思いついた中で、一番確実な方法を。いつだって。

 

だって私は――世界最悪の女と呼ばれた死刑囚なのだから。

 

たくさんの命を奪った。

そこに悪意はなかった。それが正しいと、それが誰かのためになっているはずだと信じて。だけどそれは間違えだった。法も、倫理も、世論も私を許さず。

極刑を与えられた私は、それでもひとつだけ罪を隠していた。

だからここに来た。

法的にも、倫理的にも、社会的にも、常識的にも、文化的にも、医学的にも、宗教的にも許されない罪を償うために。

贖罪は終わっていない。

まだ、何も。物語は始まってすらいないのだから。

そんな私が正義の使途だなんて、許されるはずがない。

「だから、あなたなのです」

先生はネックレスを私の首にかけた。振りほどく力は残っておらず。

「助けてあげてください、私の愛弟子たちを。それは、あなたにしか出来ないことです――あなたが経験したことは、その中で培ってきた感情は、きっとこれからあなたの力になることでしょう。あなただけが持つ力に」

アバンのしるしは目印。先生の教えを受けた者たちが出会ったときの。

そのとき誰かは、自分に何が出来るのか迷っているのかもしれない。誰かは、己の過去を悔やんでいるのかもしれない。誰かは、どうしようもない劣等感に悩み苦しんでいるのかもしれない。誰かは、たった1人で地上から消えようとしているのかもしれない。

「その時は側にいてあげてください――彼らを1人にしないでください」

その時、私は初めて理解した。先生は知っているのだ。理解していたのだ。

いずれ先生の力が及ばぬ、強大な敵が地上を脅かすということを。そしてそのときの勇者は、先生ではないということを。

私が出会うべき勇者は、先生ではないということを。

 

「はい」

 

最後に先生の真似をした。

首元を飾るネックレスは、肌に触れると冷たくて。

羨ましくて、嫉妬して、マァムを傷つけた。自分の手には、絶対に入らないものだと思っていたから。

ネイル村も、レイラさんも、アバンのしるしも、全部が。

 

握り締めたら、同じ形の感情が零れた。


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