世界最悪の女   作:野菊

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世界最悪の女、アバンの使徒に出会う 3

今までで一番長い海路だった。

甲板に出た私は、帽子が吹き飛ばされぬよう抑えながら、潮風を感じ、ぼんやりと目の前の風景を眺める。空は青く、雲は緩やかで。

先生は始終上機嫌。

原因は分かっている。ロモスからベンガーナへ向かう定期便の、乗客の殆どがロモスの商人で、彼らは口々に王女の噂をしていた。

流産の直後、目に見えて沈んでいた王女だが、最近では以前より中睦まじくなった夫と庭園を散歩することが増えた。体も順調に回復され、少しずつ丸みを帯びていくにつれ、笑顔が多くなったとの事だ。

食事の改善や、出来る限りの運動、夫婦間のスキンシップを増やすよう進言したことが、少しでも関係しているのであれば嬉しい。

ベンガーナの港でも、王女の話は時折耳に入り、宿に着くといつも以上にスカイをもふもふしてしまう。

お陰でスカイは逃げるように先生のベッドに潜り込み、寒々しい一夜を空けた翌日、ベンガーナの中心部にあるデパートへ向かう。

到着するなり別行動を提案されたのだが、お陰で1日掛けてゆっくりと、ワンフロアずつ探索することができた。

基本的に買い物は異性とするものではないという持論が私にはあるのだが、多分先生も同じ考えなのだろう。宿に戻った私の、両手一杯の紙袋を見て、何か言いたそうにしていたが、気にしないことにする。

世の中にはどうしても分かり合えない価値観があるのだ。

大量に買い物をしたといっても、必要なものしか買っていない。

例えば、カール王国の侍女に頼まれた保湿クリームやサプリメントを入れるためのボトル類。昨夜スカイに振られた腹いせに、手持ちの材料で加工できるだけ加工したのだ。これらを郵送するための梱包品。高値で購入してくれるため、そういったことにも気を使わなければならないのだが、多分先生に言っても分からないだろう。ちなみに、料金は到着後振り込んでくれることになっている。ルーラさえ習得できれば、もっと楽になるのだが、魔法力を放出する感覚が未だにつかめないでいた。

ブーツは冬物を新調した。先生は今までのものとなにが違うのか分からないといっていたが、素材もデザインもヒールの高さも全然違う、むしろ長さと色しか共通点がないのだ。違いが分からないという意味が分からない。ちなみに今まで履いていたブーツは、どうせ来年になればまた履くので、取っておくつもりだったのに、売却するよう命じられ、しぶしぶ従った。

後は、いろいろなものを小分けしたいので、ポーチをいくつかと、何かと使えそうなので購入した大きな布。布に関しては今のところ確たる使い道があるわけではないけれども、このサイズの布は色々なことに利用できるので、あればあるだけ便利だ。

聖水がまとめ買いでお得だったので1ダースと、エンジ芋粉を1キロ購入。

食料品は町を出る直前に購入すればいいので、こんなものだ。どれも必要なものを最低限しか買っていないのだから、先生にとやかく言われる筋合いは全くない。

先生こそ、どこで見つけてきたのか知らないけれども、いかにも安物の剣を買ってきて。勇者なのだから、もっとものすごい伝説クラスの武器をいくらでもいろいろな手段で入手できるはずなのに。わざわざお金を出して、二束三文の剣を購入する理由が分からない。

もちろん、それを口に出しはしないのだけれど。

 

その夜は、遅くまで薬品作りをしていた。

旅の道草で手に入れた材料はたくさんある。ロモスの医師や、レイラさんに教えてもらった調合を、自分なりに試してみる。

先生も、分厚い本に書き物をしていて。

「マァムにあげたネックレスって、何か特殊効果があるんですよね? 」

集中力が途切れたあたりでお茶を出し、ついでに気分転換のおしゃべり。話題は、ずっと気になっていたアバンのしるし。

初期からでてくるキーアイテムだけれども、漫画の中では、先生の家系に代々製法が伝わる輝聖石であるということ、魂の色に反応して光るということ、所有者のお守りとして機能するということがフローラ女王の口から簡単に語られる程度で、その全容は不明だった。

というか輝聖石って何? 飛行石とは違うの?

「ははは、流石ですね、気付いちゃいましたか? 」

「まあ――先生が何もないものを人にあげるとは思わないので」

本当は漫画を読んで知っていたのだけれど。

「……いえ、ただ。あの子達がそう思って、大切に持っていてくれれば。いずれ私の教えを受けた者同士が出会ったとき、目印になりますよね」

「――」

はぐらかされた。なんでもったいぶるのか分からないけれども、まあ、私に関係のある話でもないので、深くは立ち入れない。

「あの子達――というのは、以前、教えを授けた子供がいました――」

私の態度をどう解釈したのか知らないが、先生は一番初めの教え子の話をはじめた。

 

魔王ハドラーとの最終決戦で、地獄の騎士から託された少年。先生を父の仇と勘違いした少年は、憎しみを抱きながらも、先生から戦士としての手ほどきを受けた。

やがて戦士として成長した少年に、先生は卒業を言い渡す。アバンのしるしを受け取った少年は、そのとき初めて、自分の本心を打ち明けた。

誤解したまま襲い掛かった少年の技を受け流すことが出来ず、とっさに反撃し、少年はそのまま川に流され――。

「強く正しい戦士に育てて欲しい…本当の人間の温もりを与えてほしい」

地獄の騎士の遺言は果たせぬまま、今尚少年の行方は不明。

もっと自分に、指導者としての力があれば――未だに悔やまぬ日はないと、遠くを見る瞳には、悲しみと、後悔と、そして少年を気遣う深い愛情があった。

 

「そりゃあまあ、仕方がないですよ」

話し終えた先生に、私は率直な感想を告げる。

「だって先生、勇者といえども当時10代だったんですよね。まだまだガキ。そりゃ、こうすればいいよかったとか、ああしてあげるべきだったとか、第三者が後からドヤ顔で言うことは簡単だけれども。でも、そのときその子を助けてあげたのは、先生なんだから。世の中にこれだけの人がいる中で、先生だけが、その子に手を差し伸べたんですよね」

上手く言いたい。だけど私には、名言スキルなんてなくて。だから言葉を重ねる。

「ですが――もっと、ちゃんと伝えてあげていれば。何も言わなくても分かってもらえているだなんて思わず、言葉にしてあげていれば、あんなことにはならなかったと、思わずにはいられません。あの子のお父上の気持ちを伝えるチャンスは、いくらでも有ったのに――」

「そんなの結果論です。その子にだって、先生に確認するチャンスは有ったのに」

「ですが――」

先生の気持ちは分かる。だけど言葉を重ねる。

地獄の騎士に育てられ、剣と共に育った、およそ言葉少なかった少年がしなかった分も。

「どうして自分を育ててくれているのかと、一言聞けば、先生は説明してあげましたよね? その子の父親に託されたからだと。そうすれば、その子は自分の父親が、最後まで自分を気にかけてくれていたということを、知って――それだけでその子は救われた。もう、敵討ちなど必要もないくらい――それができなかった。先生にも、その子にも。だから今度は、ちゃんと伝えればいいだけです。先生にとってその子はどんな存在なのかを」

先生は、はいといいえでしか答えられない勇者ではないのだから。

少年は、勇者が2択で答えられるように誘導できるような、キャラクターではないのだから。

ここは全ての条件をクリアしないと、イベントへのフラグが立たないような世界ではないのだから。

「また会えますよ。そのために、アバンのしるしを渡したんですよね? 」

問うと、先生は眼鏡の淵に触れ、そしてそれは少年のような顔で。

 

「はい」

 

勇者らしく、そう答えた。

 

「――ありがとうございます」

「気にしないでください、私も、飲みたかったので」

湯気で眼鏡が曇っている。伊達メガネだということが、もう私にばれているのだから、宿では外してもいいのに。まさか賢くなるとでも思っているのだろうか。

「いえ、お茶じゃなくて」

お茶を飲んだら、道具を片付けて、そろそろ眠ろう。明日からはまた野宿。たまのベッドを、ゆっくりと満喫したかった。

「さっきも、ロモスの王女の時も――マァムの時だって」

「はあ…」

「ソウコ、あなたは、一番言いたくない言葉を口にする」

「そうですか……まあ、私も考え無しのガキですから――っていうか、ちょっと苦くないですか? お砂糖入れてきます」

いたたまれず、私はその場を離れた。そんなんじゃない。

そんなんじゃないのだ。

感謝されなくていい。バカな、我侭な言い分だと思ってほしかった。

今も、マァムの時も、ロモスでだって――ただの感情で喋っているだけなのだから。

 

母は自分の命と引き換えに私を生んだ。父は――理由は分からないけれども、裁判で聞いた言葉が正しいのであれば、男手ひとつで私を育てる自信が無く、私は子供のいない夫婦の養子となった。

養父母は、私を可愛がってくれた。弟が生まれるまで。

ずっと待ち望んでいた実の子供だ。全力で愛するのが当然だろう。他人の子供なんて、目に入らないくらい。

それでも、3度の食事を与えてくれた。塾にも通ったし、学校帰りにコンビニでアイスを帰るくらいの小遣いは貰っていた。

愛されていないことは分かっていたけれど、嫌われても、見放されたわけでもなかった。

 

第二次性徴を迎えた私の部屋に、養父が訪れたあの夜までは。

 

養母は、止めることも、咎めることもせず。ただ不潔なものがそこにあるかのように、私の事を徹底的に無視した。

退屈で、ありふれた話だ。

だから王女に堕胎を勧めた。それが胎児のためだと信じて疑わず。自分の感情だけで。

だから今、先生は悪くないといった。

伝えそびれた言葉のせいで、すれ違い、傷ついたことがあったとして、伝えなかったことが罪だとしても、償いようが無い。

あの夜、養父が去った後、すぐに養母へ泣き付けば――翌日いつもと様子が違う私を気遣った担任に事情を話せば、帰り道に偶然あった近所のおばさんに言いつければ、誰かは助けてくれたはずだ。世の中には子供の事を気にかけている大人がたくさんいるのだから。

そういう大人に、何度も出会って、チャンスはいくらでもあったのに、私は決して口外しなかった。

それは私が、どうにもならないくらい子供だったせい。

 

「私、もう寝ます。先生、火、ちゃんと消してくださいね」

「はい、お休みなさい」

「お休みなさい」

眩しさにかこつけて、蒲団を頭までかぶった。

スカイは先生の膝の上。今日も一緒に寝てくれないようだ。シーツは洗い立ての匂いがして、冷たい肌触りが心地良い。

私の言葉の動機も、私の過去も、先生に告げる気はない。それは前の世界の話なのだから。告げるべき前の世界の人々には、ちゃんと話したのだから。

司法の場で私の半生は余すとこなく伝えられ、報道され、知るべき人の知るところとなったのだ。

私が殺した人の死を嘆く遺族や、友人知人。そして私の存在を許さず、事件の解明を強く求めた世間の人たちに。

告白し、与えられた罰は受けた。人の世界で。

だけど、ただひとつ、告白しなかった罪。償うために、神は私をここに連れてきた。

 

勇者を1人にしない。

そのために。

 

何度も、何度も自分に言い聞かす。

忘れないように。流されないように。自分はいい人ではないということは、私が一番知っているのだから。

――マァムへの言葉は、ただの嫉妬だった。

 

あの少年とは全く逆で、それを問わない先生が、私にはありがたい。

 

「先生――」

今日の最後に、私は少年の名前を尋ねた。

先生は一度間をおき、そしてどこか誇らしげに。

 

「ヒュンケルです」

 

兄弟子の名を教えてくれた。


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