ドラゴンクエストV 天空の俺   作:az

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第7話

 時刻は夜。

 

 見上げれば空には満点の星。真っ黒なキャンバスに、光輝く宝石を散りばめたような星空。空の中央に鎮座している黄色い月は、わずかに円の端が欠けている。

 

 遠く小さく聞こえてくる、涼やかな虫の音がBGMだ。こんな光景はスモッグと人口の光に溢れた、騒がしい日本の都会では味わえないだろう。異世界情緒とでもいえばいいのだろうか。どこまでも澄んだ夜の冷気を吸うと、思わず感動がこみ上げてきた。

 

 今夜は、風情たっぷりのいい月夜だ。何か不満があるとすれば、それは寒さだけ。肌を刺すような冷気に、体が少し震えてしまう。この寒さは、夜というからだけではない。もうすぐ夏だというのに、未だ春という季節が訪れていないためだ。

 

 静寂に満ち溢れた平原には、今のところ魔物の影は見えない。月明かりの下、アルカパの町を出た俺達一行はまっすぐレヌール城を……目指せずにいた。

 

「なぁ、リュカ。どこだここは? ちょっと俺に教えてくれ」

「え? ユート分かってて歩いてたんじゃないの? 僕はしらないよ」

「もしかしてわたしたち、迷子になっちゃったの……?」

「あー……」

 

 辺りを見回してみる。

 

 まずは右。山がある。

 

 次は左。森がある。

 

 前と後ろには草原だ。全ての地形に見覚えがない。

 

「どうも、迷子になっちゃったみたいだな。うん。こいつは困った」

「どうするの、ユート?」

「どうするのよ?」

「どうしよう……?」

 

 俺達は、絶賛迷子中だった。

 

「えーと、確かアルカパの北にレヌール城があるんだったよな」

「ええ、そうよ」

「北ってどっちだ? いや、そもそも俺達はどっちから来たんだっけ?」

「……わたしに聞かれても、わからないわよ」

「そ、そんな! ビアンカは地元の人間じゃないのか!? てっきり、いざとなったら余裕で道案内できるとばかり思ってたぞ!?」

「そんなこと言われても、わたしは遠出なんてしたことないもの。レヌール城っていうお城が北にあるのはみんなから聞いて知ってたけど、それだけよ。今まで行ったことがある場所だって、サンタローズの村だけだし……」

「ガッデム! 今まさに神は死んだ!!」

「ユートは時々、むずかしい言葉をつかうよねー。がっでむって、どういういみ?」

「リュカ、お前は気楽でいいな……」

「えへへ。ありがとう」

「褒めてねぇー!」

 

 だめだ。リュカもビアンカも当てにならん。こうなったら、俺が何とかしなくては。ちびっ子達を遭難させるわけにはいかない。こんな時こそ年長者の知恵と経験を役に立てよう。星の位置から、方角や現在位置を大まかに割り出してみよう。現在位置はともかく、方角くらいなら分かるはずだ。

 

 えーと、割り出……せません。無理です。現実世界の星空と違いすぎます。北極星すら見つかりません。そもそも、俺が今いるこの星は地球なのかすら不明です。

 

 せめて包囲磁石でもあればと荷物を探してみても、誰も持ってない。進退ここに窮まる。俺の大冒険・完。

 

「いや、まだだ! まだ終わらんよ!!」

「うわぁ、びっくりした! ユートどうしたの?」

 

拳を握り締め、天に向かって叫んだ俺に、リュカが驚いて目を丸くしている。

 

「リュカ! ビアンカ! こうなったら勘で進もう!」

「勘でって、それは当てになるの? 不安だわ……」

「心配いらん! 城の一つや二つ、俺が余裕で見つけてやる!」

「ユート。見つけるお城は一つだけでいいんだよ」

 

 リュカがツッコミを入れてくるが気にしない。ガンガン行こうぜ! 行けば分かるさ!

 

「とにかく行くぞ。城はあっちだ。間違いない。俺の野生の勘がそう告げている」

「本当かしら……?」

「間違いない! さぁ、俺に着いて来いリュカ!」

「おー!」

「あ、ちょっと! わたしを置いていかないでよ! 本当にそっちでいいの!?」

 

 ビアンカの疑いの眼差しを跳ね除け、俺は足の赴くままに歩き出した。山を越え、森を越え、川を越えの強行軍。向かうはレヌール城。一切の迷いを捨て、俺達は振り返らずに進む。

 

 その結果──もっと迷った。

 

「ここはどこだろうか、リュカ?」

「だから僕に聞かれてもしらないよ」

「なら、ビアンカは?」

「わたしにわかるわけないでしょ」

「ならば、前進あるのみだ!」

 

 やけっぱちになって、また歩く。そして時々思い出したように止まって、場所を確認。でも誰も現在位置が分からないので、また歩く。その繰り返しだ。

 

 迷走はどこまでも続いた。散々迷い続けた末、リュカが地図を持っていることを思い出したのが明け方前。結局その夜はレヌール城には行けず、そのまま町に戻ることとなった。続きはまた明日ということで、宿屋に入ってすぐに解散。

 

 俺は倒れ込むようにしてベッドへ突っ伏した。

 

 あんなに歩いたのは久しぶりだ。次回はちゃんと最初から地図を見よう。歩き損だ。魔物と遭遇しなかったことだけが、せめてもの救いだったな。にしても、リュカもリュカだ。地図を持っていたのなら、最初から出せというのに。最近分かってきたが、あいつはもしかして天然属性の持ち主なんじゃなかろうか。

 

「あー、しんどかった……」

 

 しばらくベッドで横になっていると、すぐに眠気が襲ってきた。ちらりと隣のベッドを見れば、リュカはすでに寝息を立てている。更にその隣のベッドでは、うなされながら眠りについているパパスの姿。この分だと、パパスはまだ数日は寝込むことになりそうだ。

 

 俺が眠いのはたくさん歩いて疲れたからだが、リュカは単純に睡眠不足だったからだろう。部屋の前で別れたビアンカも元気そうだったし、お子様パワー恐るべしである。これが若さか……。

 

 それにしても、異様に体がだるい。想像以上に疲労が溜まったのか、手足が鉛のように重い。さっさと俺も眠ってしまおう。寝て起きれば、今夜もまた冒険の続きがあるのだから。

 

 

 

 

 夢を見た。

 

 いや、今現在リアルタイムで夢を見ている。これは夢だと、おぼろげに認識できる。俺が、日本のアパートで暮らしていた頃の夢。いつだって記憶の海を辿れば、すぐにでも浮かんでくる光景だ。

 

 俺の目に映っているのは、懐かしき我が部屋。汚れ放題の狭い室内には、敷きっぱなしの布団と、ネットに繋ぎっぱなしのPCがあった。

 

 大学を単位不足で中退した俺は、フリーターをやりながらその日その日を刹那的に生きてきた。定職に就いたこともあったが、色々あって辞めてしまった。それでも生きていくのには困らなかったし、選り好みしなければいつでも再就職できる。少ない貯金をやりくりしつつ、それなりに楽しく毎日を過ごしていた。

 

 それが、何の因果か今俺がいるのはドラクエ世界。まだあれから一週間も経っていないはずだが、もうずいぶん昔のことのように思える。もしドラクエ世界に飛ばされていなければ、いつも通りネット三昧の日々が続いていただろう。

 

 ──そこで、はたと考えた。

 

 俺が今まで現実だと思って過ごしていた世界は、果たして現実だったのか。もし、今いるドラクエ世界が真に現実ならば、これまで現実だと思って過ごしていた世界は夢に過ぎないのではないのかと、そんなことをふと思った。

 

 夢が夢でなくなる時、虚構と現実の壁は呆気なく崩れる。普段なら一笑に付すような胡蝶の夢も、今の俺にとっては紛れもない『現実』なのだろう。俺は、何故ドラクエ世界に来てしまったのだろか。何か意味はあるのだろうか。

 

 全ては、まどろみの中に。

 

 夢を見た。

 

 夢を──。

 

「……ト。ユ……ト。お……て……」

 

 遠くから、誰かの声がする。電波の悪いラジオのように、ノイズ混じりで聞き取り難い。でも、この声は──聞き覚えのある声だ。

 

「ユート、おきて」

 

 あー、この声はリュカか? 俺を呼んでるのか? 呼ぶ? どうして? 呼ばれて飛び出てコンニチハ?

 

「おきてよ、ユート!」

「うぼぁー」

 

 変な声が出てしまった。薄っすら目を開くと、そこには俺を心配そうに見守るリュカの顔。それも至近距離に。

 

「うぉッ!? リュカ! 顔! 顔めっちゃ近い!」

 

 一体何ごとですか!? ドッキリ? もしかしてドッキリなの? 寝起きドッキリ!?

 

「ユート……やっとおきた……」

 

 潤んだ瞳に、熱を帯びた吐息。どこか憂いのある顔で、じっとリュカが俺を注視している。まだ六歳の子供が相手だというのに、ともすれば心が吸い込まれてしまいそうな雰囲気だ。魔物使いという、天性の才によるものなのか。それとも──。

 

「あ、その、えーと? お、おはよう? あ、こんばんはか?」

 

 昼から仮眠とって寝てたってことは、今は夜だしな。それはともかく。

 

「えっとね、リュカ? さっきも言ったけど、顔が近い」

「あ、ごめんね」

 

 リュカがようやく俺から離れ、隣にあった自分のベッドの端にちょこんと座った。

 

「……もしかして俺、寝過ごしたか?」

「そうだよー。さっきからずっと呼んでたのに、ユートったらぜんぜんおきないんだもん。あんまり大きな声を出したらお父さんがおきちゃうだろうし、僕すごくこまったんだからね。それに、ユートはうなされてたみたいだし、心配したんだよ……」

「そうか。迷惑かけて悪かったな。何か変な夢見ててなー。あれ? ビアンカはどうした?」

 

 首だけ起こして部屋を見回してみるが、部屋にはビアンカの姿はなかった。

 

「ビアンカは先に行っちゃったよ。宿屋の前でまってるからって」

「なら、急がないとな。俺もすぐに──」

 

 ベッドから出ようと思い、体を起こそうとした俺は違和感に動きを止めた。

 

「ユート、どうしたの? 首だけじゃなくて、早くちゃんと起きてよ」

「あー、その、な。リュカ。非常に言い辛いんだが」

「うん、どうしたの?」

「体が動かん」

「え……?」

 

 必死に腹筋に力を入れてみるが、腹に伝わる前に力が拡散して抜けていく。何度トライしてみても、結果は変わらない。それに、間接の節々が痛い。いや、間接だけじゃない。

 

「頭が、すげぇ痛い……。あと、喉も」

「えー!?」

 

 頭痛、関節痛、喉の痛みと三連コンボだ。どう見ても風邪です。本当にありがとうございました。

 

「こりゃ、どうもパパスさんに風邪を移されたみたいだな」

 

 参ったな。同じ部屋で寝てるんだし、こうなる可能性も考えておくべきだった。パパスもパパスだ。風邪ひいたんなら、部屋を移動するとかしてくれたらよかったのに。おかげで俺に移ってしまったじゃないか。風邪はホイミでも治せないから、リュカに頼むわけにもいかない。

 

 こんな時、あの薬さえ手元にあれば……。成分の半分が優しさでできていると噂される、日本古来より伝わる伝説の薬さえあれば!

 

 ま、こうなった以上、今更文句言っても仕方ないが。風邪薬はパパスと同じものを後々宿の人から分けて貰うとしよう。さて、さし当たって今からはどうしたものか。

 

「リュカ。ビアンカを呼んできてくれ。レヌール城に行くのは、明日に変更を……」

「ううん。僕は今からレヌール城に行くよ」

 

 首を横に振って答えるリュカ。はっきりとした拒絶の言葉に、俺は少々面食らってしまった。

 

「どういうことだ?」

「こうしている間にも、猫さんはいじめられてるんだ。だから、早くたすけてあげなきゃ。僕とビアンカだけで、なんとかがんばってみるよ」

 

 聞き返した俺に、そう言ってにっこりと微笑む。口調は穏やかだが、あくまでも決意は硬そうだ。まだ短い付き合いだが、こうなったリュカは頑固であることを俺は理解していた。普段は俺に意見を求めてくることが多いが、ここぞと自分で物事を決めた時のリュカは違う。どこまでも自分の意思を貫き通すのだ。俺が止めても、焼け石に水だろう。なら、今の俺ができることはただ一つ。快く見送ってやることだけだ。

 

「……気をつけてな。無茶はするなよ。危ないと思ったらすぐに逃げるんだぞ」

「うん、わかってる。ユートも、ちゃんと寝てなきゃだめだよ? サンチョが言ってたけど、風邪はひきはじめがかんじんなんだって。いつの間にか重い病気になることもあるって。それに……」

「あー、分かった分かった。俺はしっかり寝てるから気にしなくていい。ほら、そろそろ行かないとビアンカが怖いぞ?」

「そうだった! じゃあ、行ってくるね! ユートは寝てなきゃだめだよ!」

 

 リュカは腰掛けていたベッドから立ち上がると、慌しくドアを開けて出て行った。階段をバタバタと駆け下りる音が聞こえてきた後、ようやく部屋には静けさが戻る。

 

「行ったか……」

 

 騒がしいやつだ。パパスが起きたらどうするんだ。あいつ、絶対パパスのこと忘れてたな。詰めが甘いというか、何というか……。行動力はあっても、やっぱりまだまだ子供なんだなと実感する。

 

「では、お言葉に甘えて寝かせてもらいますか」

 

 リュカを見送ったら、一気に気が抜けてしまった。どの道風邪で動けないんだし、今は素直に眠っておこう。目を閉じると、すぐに強烈な睡魔がやってくる。意識がまどろみの中に消えていく寸前、最後に俺が考えたのはリュカとビアンカの無事を祈ることだった。

 


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