ドラゴンクエストV 天空の俺   作:az

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第20話

 ベラは俺を膝に抱えたままで、端正な顔を崩してまるで赤子のように泣きじゃくる。大きな目から溢れる涙は止まることを知らない。その姿からは、心の底から俺を心配してくれていたことが伺えた。

 

「ユートぉ……。本当に……本当に……生きてて、良かった……」

 

 何度もしゃくり上げながら、大粒の涙を流し続けるベラ。

 

「ベラ……」

 

 心配してくれたことはありがたいし、後頭部に感じる太ももの感触も柔らかいし暖かくて大変気持ちいいんだが……。

 

「あの、ベラさん」

「ぐすッ。な、何よ急に改まって?」

「その、大変言い難いのですが、涙やら鼻水やらが俺の顔に……」

「……え?」

 

 後頭部は気持ちいが、顔面の感触は激しく気持ち悪い。なんだこの複雑な感情。

 

 現在進行形で俺の顔面へと滝のように降り注ぐベラの涙と鼻水。よだれも混じってるやもしれぬ。感動の再会のはずが台無しだ。

 

 一応ベラの容姿は美少女にカテゴライズされるので、ある種の性癖の人からすれば垂涎物の状況なのか? しかし、俺にはそんな特殊な性癖はないので嬉しくもなんともない。

 

 ちなみに俺の頭はがっちりとベラの手によって膝の上でホールドされているので、逃げたくても逃げられないという。

 

「あ、ご、ごめんなさい!?」

 

ベラはようやく自分の状況に気付いたのか、俺の頭を膝の上から慌ててどけて──。

 

「ちょ、ベラ、待……」

 

 ああ無常。静止の声は届かない。ベラは俺を冷たい氷の床の上へと放り出した。

 

 慣性の法則に従って落下していく俺の頭部は、当然のことながら硬い床へと激突する。突然すぎて受身を取ろうという考え事態思いつかなかった。

 

 ゴン、という鈍い音。ハンマーで殴られたような衝撃と痛みが後頭部を襲った。

 

「すげぇ痛ぇええッ! そして冷てぇええええッ!!」

 

 目から星を出しながら、俺は頭を抑えて床の上を転がりまわるのだった。

 

「ああッ、ユートが!?」

「転がってたら更に冷たくて痛ぇええええ!!」

 

 色々あってこちらの世界に戻ってこれた俺だったが、幸先は締まらないものとなってしまった。

 

 ──まぁ、ある意味で俺らしいと言えるのかもしれないが。

 

 

 

 

 気の済むまで氷の床を転げまわった後、俺は起き上がるとベラと向かい合っていた。

 

「ほら、ハンカチ貸すから、いつまでも泣いてないで涙を拭いてくれよ」

「べ、別に泣いてなんかいないわよ。……ハンカチは借りるけど」

 

 ツンデレか? これが噂に聞くツンデレなのか?

 

「めっちゃ泣いてたくせに」

「何か言ったかしら?」

「いえ、別に」

 

 ベラは俺からハンカチを受け取ると荒っぽく顔をこすって涙を拭き、そして最後に止めとばかりに鼻をかんだ。

 

「ああ、すっきりした」

「おい……」

「あ、ハンカチ返すわね、ユート。どうもありがと」

「……どういたしまして」

 

 俺はべちゃべちゃでぐちょぐちょになったハンカチを返してもらった。

 

『ユートはエルフが鼻をかんだハンカチを手に入れた!』

 

 ……って、やかましいわ! 何の役に立つんだよそのアイテムは!

 

「ユート、変な顔してどうしたの?」

「いや、もういいです……」

 

 とりあえず道具袋にハンカチを格納(隔離?)すると、改めてベラに向き合う。

 

「それで、話を聞かせてくれないか。俺はてっきり死んだと思ったんだけども」

「死んでたわよ。すごい量の血が出てたし、心臓も止まってたし」

「……え?」

 

 呆けた声で返してしまった。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は本当に死んでたのか? いや、そもそも雪の女王はどうなった? あれ? そういえばリュカとベラもやられてなかったか?」

「質問が多いわねぇ。落ち着きなさいよ」

「ご、ごめん」

 

 ベラに諌められた俺は、大きく深呼吸をした。冷たいが新鮮な空気が肺を満たしていく。うん、少しだけ落ち着いた。

 

 やはり自分が死んでいたとはっきり告げられると、分かっていたとはいえショックだな。

 

「落ち着いた?」

「ああ、悪かった。もう大丈夫だ。とりあえず順を追って話してくれないか?」

「分かったわ。そうね、まずはユートがやられた後だけど、簡単に言うとリュカが怒ったの」

「つまり、やられた俺を見てあいつはキレたのか?」

「そうとも言うわね」

「またか……」

 

 レヌール城の時もそんな展開だった気がする。あれ、あの時は俺が煽った結果だったか? あんまり覚えてないんだよなぁ。

 

 にしても、ピンチになると覚醒するとか、どこの主人公だよ……って、リュカは正真正銘の主人公か。

 

「本当に凄かったわよ。私なんて動けるようになるまで時間がかかったのに、リュカは倒れたユートの姿を見たら、あっという間に立ち上がって一方的に猛反撃して。こう、ビュンって走って、杖でビシーッってやって!」

 

 大げさな身振り手振りでベラが語ってくれる。

 

「なるほど。確かにあいつならやりかねん」

「それで、そのまま戦いながら別の部屋に行っちゃったわ。あ、それとあのキラーパンサーの子供も動けるようになったらすぐにリュカを追いかけて行ったわよ」

「そうか……」

「見た感じ、リュカの方が優勢だったから雪の女王を任せて、私はユートの治療をすることにしたの」

「そこだよ。そこが聞きたかった。俺はどうなったんだ?」

「どうって……。だから、死んでたわよ」

「いや、そうじゃなくて。そこからどうやって俺は生き返ったんだ? もしかして、ベラは蘇生呪文とか使えるのか?」

 

 ザオラルとかザオリクとか、もしくはエルフなだけに精霊の歌的な。

 

「私は蘇生呪文なんて高度な魔法は使えないわ。使ったのは、世界樹の葉よ」

 

 ベラの口から出た単語は予想外のものだった。

 

「え? 世界樹の葉……って、あの有名な?」

 

 世界樹の葉。それはドラクエ世界でも有名なアイテムの一つである。使えば確実に死んだ仲間を蘇らせることができるが、その特性故に希少価値が非常に高い。まさか、ベラがそんなとんでもアイテムを持っていたとは。

 

「有名かどうかは知らないけど、ユートの想像通りの物で間違いないと思うわよ」

「なんでベラがそんな物を持ってたんだ? 俺はよく知らないけど、高価な物なんだろう?」

「我が家の家宝みたいな物よ。先々代の……先々々代だったかしら? とにかく、ずっと昔に、ポワン様よりもずっと前の代の女王様に頂いた物らしいわ。何かあった時のために、お守り代わりに持ってたの」

「そんな家宝を使わせてしまって、申し訳ない……」

「別にいいわよ。偶然持ってるのを思い出して、物は試しとやってみただけだから」

「物は試しって、そんな実験台みたいに言わなくても」

「仕方ないじゃない。何度ホイミ使ってもユートは起きないし、それしか方法がなかったんだから」

 

 そりゃまぁ、完全に死んでたらホイミは効果ないよなぁ。ベラの家宝に感謝しなくては。

 

「それにしても、効果があったってことは本物の世界樹の葉だったのねー」

「本物って……。ベラの家の家宝だったんだろ?」

「だって昔から家にあったけど、エルフは争いごとなんて嫌いだから使うような機会もないし」

「それはそうかもしれないが……」

「まぁ、ユートが無事だったんだから細かいことはいいじゃない。ユートが生きててくれるんなら、家宝なんてどうでもいいわ」

 

 そう言ってベラははにかみ、一瞬、見惚れてしまいそうな笑顔を見せる。

 

 不意打ちすぎだ。なんて笑顔しやがる。

 

 頬が熱くなったのを感じた俺は思わず、気恥ずかしくなってそっぽを向いた。

 

「ユート、どうしたの?」

 

 小首を傾げて、少しだけ不安そうな目で俺を見るベラ。くそ、結構可愛いじゃないか。そのポーズは反則だぞ。

 

「そ、そうだ。俺はもう大丈夫だから、リュカの加勢に行かないと!」

 

 俺は照れを誤魔化すように、話の矛先を変える。

 

「そうね。リュカも気になるし、合流しましょうか」

「ああ。戦いは水物だし、優勢だった場合でも簡単にひっくり返ることも多いしな」

「そうなの? リュカが圧倒してたような気がしたけど」

「それでも、あいつはまだまだ子供だよ。何があるか分からない」

「なるほど……って、そういうユートも子供でしょ!」

「まぁ、一応は」

「一応って何よ」

 

 実は中の人は大人です。

 

「そもそも、ベラだって見た目は子供と変わら……」

「な・に・か、言ったかしら!?」

「いえ、なんでもありません!」

 

 ベラの背後から怒気による黒いオーラが見えたような気がしたので、俺はそれ以上言うのを止めた。藪をつつくような真似は危険だ。蛇より怖いものが出てきそうだ。

 

「ほら、何をぐずぐずしてるの? 早くリュカの元へ急ぐわよ」

「へーい」

 

 急かす声に促され、俺はベラのすぐ後ろに続くようにして部屋を移動した。

 

「それにしても、すごいなこれは」

「リュカったらあんな小さな体のくせして、激しい戦い方をするのねぇ」

 

 移動中に館を見回してみたのだが、壁から床までそこら中に戦いの傷跡らしき物がちらほら。ツルツルだった氷の床は小さなクレーターだらけ。壁には亀裂が入り、隙間からは外の雪が舞い込んでいる。リュカよ、お前はどこぞの戦闘民族か。

 

「んー?」

 

 ふと俺は、足元に違和感を感じて立ち止まった。小枝を踏み潰したような感触が足の裏にあったのだ。

 

「ユート、どうしたの?」

「いや、なんか踏んだような」

 

 靴をどけてみると、そこには根元が砕けた細長いつららと、その破片が。よくよく見ると、リュカが戦いの最中に雪の女王の攻撃を防いだのだろうか、辺りには折れ曲がった小型の氷柱が散乱していた。

 

「本当にとんでもないな。あれを防いだのか」

 

 俺なんて防ぐどころか、一発刺されただけで文字通り昇天してしまったというのに。

 

 弱いなー、俺。スペランカー先生並だよ。今に始まったことじゃないが、レベルはいつ上がるんだろう。

 

「いや、待てよ……?」

「ちょっとユート?」

 

 脳裏に天啓がひらめく。

 

 俺は一度死に、そして奇跡的に復活を果たした。古来よりそういった者には新たな力が宿ることが多い……らしい。

 

 つまり、俺にも主人公的なパワーが!? その可能性は高いはずだ、うん。

 

「おいおい、ようやく俺の時代が来たのか。むしろ、時代がやっと俺に追いついたのか」

「ユート、さっきから立ち止まったまま何をブツブツ言ってるの? ねぇ、私の話聞いてる?」

 

 今まで魔法が使えなかった俺も、今日からついに使えるように? それとも特技のような感じで、手から真空の刃を出したりとか? おおう、楽しみだ。夢はどこまでも広がっていく。

 

「フ……フフ……」

「ユ、ユート? 今度は笑い出してどうしたの……?」

 

 まずは実験だ。

 

「波あッ!!」

「きゃあッ!? な、何よ、急に大声出さないでよ!?」

 

 俺は両腕を勢いよく前に突き出して叫んだ。

 

 ……しかし、何も起こらなかった!

 

 真空の刃も、電撃も、いてつくはどうも出なかった。しかし、まだ俺には魔法がある。

 

「メラ! ギラ! バギィィイイ!」

「何よ、なんなのよ! 何がしたいのよ!?」

 

……しかし、何も起こらなかった!

 

「失敗か……」

「意味分かんないわよッ!!」

 

 顎に手を置き、ニヒルに呟いた俺の後頭部をベラの手刀が襲った。手刀で叩いたのに、何故かスパーンという小気味のいい音が鳴った。

 

「……痛いじゃないか」

「うるさいわよ! あなたさっきからわざと私のこと無視してたでしょう!?」

 

 あ、バレてた。 

 

「いやー。なんか生き返ってからシリアスな雰囲気が多かったから、緊張をほぐそうかと。ごめんごめん」

「なんかムカつくわね……」

「そう怒らないで。あーあ。それにしても、やっぱり俺は魔法は使えないままか」

 

 どうせ魔法も特殊能力も、そんな都合よく使えるようになるわけないしなー。一応実験的にお約束通りのノリでやってはみたけれど、結果は失敗だったし。

 

「ユートは子供っぽいのか大人っぽいのか、時々分からなくなるわ……」 

「俺は子供だよ。中身がどうであれ、本当の意味で大人になりたいと思ってる限りは、まだまだ子供だと思うよ」

「また意味分かんないこと言ってるわね」

 

 本心を言ったつもりなんだが、ベラには意味が通じなかったようで怪訝な顔をしている。どうも煙に巻いた形になってしまったらしい。

 

「でも、やってることは無茶苦茶でも、前よりは少しだけ落ち着いた感じがしないでもないわね。気のせいかしら?」

「そうなのかな? 自分ではよく分からないけども」

「ま、いいわ。今度こそさっさとリュカと合流するわよ」

「ああ、了解」

 

 さすがに寄り道が過ぎたのを自覚した俺は、ベラの言葉に素直に頷いてその場を後にした。

 

 

 

 

 戦いの跡を辿っていくと、ほどなくしてリュカに追いつくことができた。

 

 できたのだが──。

 

「グググググ……! ああ、身体が熱い……。ぐはあッ!」

 

 局面はすでにクライマックスを迎えようとしていた。

 

 氷床の上にその身を横たえ、断末魔の声を上げる雪の女王。そして、それを冷たい目で見下ろすリュカと、その傍らで毛を逆立てて低く唸るゲレゲレの姿。

 

 一目で理解できるような、勝者と敗者の図がそこにはあった。

 

「グ……。おのれ、人間……風情、が、この、私……」

「──バギ」

 

 相手の言葉を遮り、ポツリとリュカが呟く。その手に掲げた樫の杖の先から、空気を切り裂く風の刃が飛び出した。

 

「ギャアアアアアアアアアアッ!?」

 

 美しかった顔を醜く歪め、雪の女王が激しく身を震わせた。豪奢なドレスはずたずたに引き裂かれ、深雪のように白かった肌は赤く染まる。

 

「私、は……」

 

 もはや虫の息という体だが、それでも怨嗟を込めて雪の女王は声を上げる。そこにあるのは、女王と自負する己への矜持か、それともただの悪足掻きなのか。

 

 リュカは、何も答えない。

 

「私は雪、の……女……王」 

 

 雪の女王は何かを掴むように、何も無い宙に向かって震える手を伸ばそうとして──。

 

 そして、途中で力尽きたのか緩慢な動作で腕を下ろした。

 

「あぁ……」

 

 溜め息のような、呟きのような声。それが雪の女王の最後の言葉だった。一体何を言おうとしていたのか。いや、もしかすると言葉に意味などなかったのかもしれない。

 

 ぴくりとも動かなくなった雪の女王の身体は、やがて雪解けの水のようにさらさらと音もなく崩れていった。

 

 その様子を無言で見守っていたリュカだったが、

 

「ユート、かたきはとったよ」

 

 唇をかみ締め、搾り出すようにして声を出した。まるで、そこにいない誰かに話しかけるように──。

 

 黄昏たその背中は、少年から青年へと成長している途中のようにも見えた。

 

「いやー、お疲れさん」

 

 そんな全ての空気をブチ壊して、俺はリュカに背後から声をかけたのだった。

 


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