リュカがユートに出会ってから、そろそろ一ヶ月が経過しようとしていた。
リュカにとって、ユートという少年は特別な存在である。しかし、どの辺が特別な存在なのかと問われると、とても一言では言い表せない。
ではユートとは、どのような人物なのか。時々突飛なことをしてリュカを驚かせることもあれば、ものすごく大人びて見えることもある。かと思えばリュカよりも子供っぽい面もあるし、何がなんだかわけが分からない。
一体、ユートは自分にとってどういう存在なのだろうかと、リュカは改めて考えてみた。
生まれて初めてできた同年代の友達。
危ない時に必ず助けてくれる、頼れる相棒。
また時には、教師のような人。
リュカの頭に、様々な言葉が浮かんでくる。
以前、リュカが「鳥は何故空を飛ぶのか」とサンチョに尋ねた時のこと。サンチョは「翼があるからですよ」と答えた。リュカは続けて「翼があると何故飛べるのか」と聞いた。サンチョは「それは羽ばたくからであって……」と口ごもってしまった。
しかし、ユートの答えは違った。別の日にユートに対して同じ質問をしてみたところ、彼は「鳥が空を飛翔する上での、航空力学と気流の関係」について熱く語ってくれたのだ。正直リュカには全く意味が分からなかったが、それでもユートが賢いということだけははっきりと理解できた。
それ以外にも、身近な疑問について質問すればすぐに答えてくれるし、リュカの知らないような話を面白おかしく噛み砕いてたくさん教えてくれる。だから教師のような存在でもある。
それだけではない。一緒にいると、まるで父親であるパパスといる時と同じような安心感もあった。パパスなどはユートのことを、まるでリュカに兄弟ができたようだと言っている。一人っ子であるリュカにとって、兄弟というものは今まで縁のないものだった。一応身近にはサンチョという人物もいるが、彼はリュカにとってはあくまでも優しい年上のおじさん。兄弟とはとても言い難い。
ならば、ユートに対して抱くこの感情は、パパスが言うように兄弟を相手に感じるようなものなのだろうか? それとも、別のものなのだろうか? よく分からないけど、兄弟ができるというなら嬉しい。リュカはそう思った。
そう思ったら、なんとなく楽しいような、くすぐったいような、そんな気分になった。
でも待てよ。リュカはふと考える。兄弟ということは、どちらが兄でどちらが弟なのだろうか。
少しだけ悩んだが答えはすぐに出た。どう見てもユートの方が兄という感じがする。
──今度、お兄ちゃんって呼んでみようかな。
そんなことを考えたリュカ。
無論、リュカの思いなどユートには知る由もないのであった。
◇
うららかな午後の日差しの中。サンタローズ村の広場には、俺とリュカの声が木霊していた。
「パッキャバラー!」
「おう」
「パッキャバラー!」
「……おう」
「声が小さい! もう一度! パッキャバラー!」
「……おう!」
「パッキャバラー!」
「おう!」
「パッキャバラー!」
「おう!」
「パッキャバラー!」
「……ねぇ、ユート。この遊び、どういういみなの?」
リュカが顔をしかめている。
「特に深い意味はない」
「……そう」
サンタローズ村は、今日も割と平和だった。
「しかし、暇だなぁ」
次は何をして遊ぼう。この村には娯楽がさっぱり存在しない。
俺は現代っ子である上に、中身は大人である。しかも、ものぐさでインドア派だ。外を走り回っていれば満足なリュカとは違って、できればあまり体を動かしたくないのが心情。ネットもゲームもテレビも使わない遊びを考えるというのは、なかなかに骨が折れる。ボードゲームの類は、まだリュカには難しいしなぁ……。
家に置いてきた昼寝中のゲレゲレを起こして、芸でも仕込んでみようか。お手と伏せくらいなら覚えるかもしれん。上手くすれば、それ以上も……。
なんだかやる気が出てきた。いずれはトップブリーダーも推奨するような、立派なペットに育ててみせようぞ。
俺は密かに決意を固めたのだった。
アルカパの町から戻ってきて、すでに三週間が過ぎていた。戻ってきた当初こそ、パパス宛てにラインハットから手紙が届いたり、それを読んだパパスが難しい顔をしていたりしていたが、それだけだ。ゲレゲレに関しても「責任を持って飼うなら文句は言わん」と言っただけ。
俺はすぐに妖精の国へ行くことになるかと思っていたのだが、杞憂だった。相変わらず村では謎のいたずら事件が続いていたが、リュカはまだ妖精と遭遇していない。村へと戻ってきてから、リュカが一度も宿屋に足を踏み入れていないというのがその理由。妖精の国へ行くきっかけとなるのは、宿屋の地下にあるBARで妖精のベラと出会うのが条件である。だが、リュカは村ではほぼ常に俺と行動しているので、特に用もない宿屋の地下に行く機会など全くなかったのだ。
俺はBARへ行かなければイベントが進まないことを、すっかり失念していた。一体いつ妖精の国へ行くイベントが起こるのだろうとか、夕食は肉が食いたいなとか、たまには味噌と醤油の味付けが恋しいなとか、そんなことを考えながら俺はこの三週間を過ごしていた。
ちなみに、三週間ずっと遊んでいたわけではない。今日でこそパパスが出かけているのでこうして遊んでいるが、手の空いている時はリュカと一緒に剣を教えてもらったりもしていたのだ。
自分で言うのもなんだが、少しは強くなったと思う。サンタローズ周辺に出没する魔物相手なら、一対一ではそうそう遅れをとることはないだろうと自負している。頭の中では、もう何度も魔物との戦いをシミュレーションしてみた。
その結果はというと。
スライム相手なら余裕で勝てる。
ドラキー相手だと、ちょっと涙目になるけど勝てる。
いっかくウサギが相手なら、相打ち上等でまだ勝てる。
くびながイタチ相手の時は激闘になるが、かろうじて勝てる。
ダンスニードルが相手の場合は、瀕死になるけど勝てる……はずだ。
とまぁ、俺はそのくらい強くなったのだ。それってあまり強くなってないんじゃね? という説もあるが、本人が強くなったと言い張っているのだからそれでいいのだ。
まぁ、肝心のレベルは1のままなんですけどね……。だって洞窟入るのも村の外に出るのも禁止だから、魔物と戦えないんです。
泣きたい。でも泣かない。我慢する。だって男の子ですから。むしろ漢です。漢と書いて「おとこ」と読むんです。
「あ、そうだ」
「どうした、リュカ?」
リュカが何か思いついたように、声を上げた。
「さっきシスターがね。教会の前にすてきな人がいたって、言ってたよ」
「素敵な人?」
「うん。シスターがいつもとはちがって、なんだかそわそわしてて、へんだった」
「へぇ……?」
「もしかして私に気があったりして、とか言って、体をくねくねしてたよ。シスターどうしたんだろう? ユートにはわかる?」
「いや……」
「ユート、どうしたの?」
「なんでも、ない」
自分でも思っていた以上に、固い声が出てしまった。
「でも、へんな顔してるよー?」
リュカが訝しんでいる。きっと、俺はよっぽど形容し難い顔をしていのだろう。
まさか……素敵な人とやらは未来の……? 頭の中で疑問が渦を巻く。いや、決め付けるのは早計だ。まずは自分の目で見て確かめよう。
「リュカ。その素敵な人とやらを見に行ってみるぞ」
「うん、わかった!」
俺はリュカを引き連れて、教会へと走り出した。小さな村である。教会にはすぐに到着した。
「だれもいないね」
「そうだな」
教会の周りには誰もいなかった。一応、扉を開けて教会の中も覗いてみたが、目的の人物らしき姿は見えない。
「入れ違いになったかもしれないな」
「そっかぁ。もう帰っちゃったのかな?」
「さて、どうかな……」
俺は言葉を濁した。
「会ってみたかったのにね」
「ああ、そうだな」
もし、その相手が「未来のリュカ」だとすると、俺はなんとしてでも会いたかった。どうしても聞きたいことがあったからだ。
未来では俺という存在はどうなっているのか。リュカは無事なのか。パパスは無事なのか。俺は生きていられるのか、誰かと結婚しているのか。はたまた、すでに現実の世界に戻っていたりはしないのか、それとも……。
「ところでリュカ。お前、ゴールドオーブっていうの持ってないか?」
「ゴールドオーブ?」
「えーと、なんか金色に光ってる宝石みたいなの……かな?」
「あれ? ユートどうしてしってるの?」
「いや、まぁ、あれだ。とにかく、持ってるのか?」
「うん、もってるよ。レヌール城で、お化け退治した時にもらったんだ」
「そうか……」
それなら、まだ探し人は村の中にいるかもしれないな。その相手が「未来のリュカ」だとすれば、目的はゴールドオーブのすり替えである。リュカとの邂逅を果たしていないとなると、まだ目的は達成していないと見ていいはずだ。つまり、諦めるのは早いということだ。狭い村だし、少し探せばすぐに見つかるかもしれない。
「あ、いいこと考えた」
不意に、俺の脳裏に天啓がひらめいた。
「いいことって?」
「ゲレゲレを使おう」
「ゲレゲレを?」
リュカが首を傾げる。リュカにはまだ分からないか。
「ゲレゲレの野生の力を頼るんだ」
詳しく言うと、ゲレゲレの鼻を使うのだ。警察犬のように匂いを追跡させてみようと、俺はそう考えた。
探す相手が「未来のリュカ」だからこそできる反則技。同じ匂いの持ち主であるリュカがここにいるので、村の中で同一の匂いを発している者を辿らせればいい。我ながらいい考えである。ゲレゲレは名前はアレだが、なかなか賢いので、匂いを辿るくらいならできるはずだ。
「とにかく、ちょっとゲレゲレを連れてくる! リュカはここで素敵な人とやらが来ないか見張っておいてくれ。じゃあな!」
「え? え? ちょっと、ユート? どういうことなの?」
未だ理解が追いつかずに首を傾げているリュカを置いて、俺は家を目指してその場から走り去った。
全速力で走り、着いたら家の前で急停止。やや乱暴に扉を開けて中に入ると、水場で洗い物をしていたサンチョが俺に気付いて手を止めた。
「おや? ユート坊ちゃん、お帰りなさい」
「あ、サンチョ! ゲレゲレはまだ寝てるかな?」
「はい、まだ寝ておりますよ。さっき見たら、ユート坊ちゃんのベッドにいたような……」
「ありがとう!」
俺は返事もそこそこに、自分のベッドへと向かう。サンチョの言葉通り、ゲレゲレは俺のベッドの上でぐっすりと眠っていた。丸まって眠るその姿は、なるほど確かに猫そっくりだ。
「ゲレゲレ、起きてくれ! 緊急事態だ!!」
「……ふにゃあ?」
寝ぼけた声を上げて、ゲレゲレが目を覚ました。前足を舐め、次に億劫そうに大きく伸びをする。その姿は猫そっくりというよりも、猫そのもの。……ベッドの上が毛だらけだ。あれは俺が掃除しなければいけないのだろうか。
「起きたな? よし、行くぞ!」
「ふ、ふにゃあああ!?」
俺は有無を言わさずゲレゲレを抱き上げると、家を飛び出した。腕の中で暴れるゲレゲレをがっちりと抱きしめ、教会へと向かってひた走る。
「フー! フー! グルルルル! ふにゃあああ!」
ゲレゲレの泣き声が聞こえたような気がしたが、幻聴ということにしておこう。さぁ、これで準備は万端。俺の明日はどっちだ。
◇
教会の前では、リュカが一人ぽつんと立っていた。つまらなそうに下を向いている。
「リュカ、お待たせ!」
「ユート!」
リュカがぱっと顔を上げた。
「ユート、おそいよ~。僕、ずっとまってたんだからね」
「悪い悪い。これでも急いだんだ」
いじけているのか、リュカは俺を見て頬をふくらませた。俺は少しぐったりとしているゲレゲレを地面に降ろすと、リュカに尋ねる。
「それで、やっぱり誰も来なかったのか?」
「ううん。きたよー」
「そうかそうか。……え?」
今なんと?
「ごめん、もう一回言ってくれないか。誰が来たって?」
「んー、だれかはよくわからないけど、たぶん、シスターの言ってた人かな?」
「ちょ、おい!? リュカ、その人と何を話した!?」
俺は間に合わなかったのか!? くそッ! もっと急ぐべきだった!
「リュカ! 教えてくれ!」
「ユ、ユート……。なんだかこわいよ……」
「……と、すまん」
リュカが怯えている。俺は掴みかからんばかりの勢いで詰め寄っていた。
興奮しすぎだ。リュカから距離を取り、目を閉じて大きく一度深呼吸。……よし、落ち着いた。
「ごめん。話を続けてくれ。その人は、何を言ってた?」
まずはリュカの話を聞いてからだ。それから判断しても遅くないと自分に言い聞かせ、続きを促した。
「えーとね……。ゴールドオーブだっけ? あれをちょっとだけ見せてほしいっておねがいされたから見せてあげたんだ。それからね、お父さんとユートを大切にしてあげるんだよって」
「……そうか。それだけか?」
「えーとね。えーと、えーと……」
リュカは、うんうん唸りながら思い出そうとしている。
「あ、そうだ。あと、どんなにつらいことがあっても、負けちゃだめだって。ユートと二人ならがんばれるからって」
「俺となら?」
「うん、そう言ってた。あれ? でも、どうしてあの人はユートのことしってたんだろう? 僕ユートのことは何も話してないのに。へんなの」
「……そうか」
間違いなく、相手は未来のリュカだろう。だが、これでは肝心なことは何も聞けなかったのと同じだ。俺が知りたかったのは、今後どうなるかについての情報だったのに。
「ちなみに、その人はどんな格好してた?」
「うーんとね。そういえば、服が僕のとちょっと似てたかも。マントも似てたかな」
「なるほど。そんなに似てたのか……」
「うん。あ、ほら。やっぱり似てる。ユートもそう思うでしょ?」
「……え?」
俺の背後をリュカが指さした。釣られて目をやる。
村の入り口方面に向かって歩く、一人の人間の後ろ姿があった。遠目な上に後ろ姿なのではっきりとは見えないが、マントの色がリュカと同じなのは分かる。特徴的な紫のマントは、見間違えることはない。
「あれは……! リュカ、ちょっと行ってくる!」
「え? ちょっと、ユート? どうしたの!? さっきからへんだよ!」
俺は慌てて「大人リュカ」を見失わないように駆け出した。突然走り出した俺の足音に驚いたのか、足元にいたゲレゲレが身を竦ませて硬直する。慌しく去った教会の方からは、リュカの不満気な声。だが、今はどちらにも構ってはいられない。
「待て! 待ってくれ!」
村を出て行こうとする、その直前。俺はなんとか「大人リュカ」の背に声をかけることに成功した。
「────あ」
小さな声を漏らしながら、その人物はゆっくりとこちらへ振り向く。逆光のため、姿は全体的にぼやけていて曖昧だ。それでも──目だけは何故かはっきりと見える。
どこか憂いを帯びた、見慣れた色の瞳が俺を射抜いていた。深く黒い瞳だ。その中に今映っているのは、きっと俺の姿。俺の全てを見透かしているような、そんな瞳が俺を見据えている。
時が止まったような気がした。
木漏れ日が差す穏やかな光の中、俺との間で視線が一瞬だけ交錯する。
そう──ほんの一瞬。
束の間の邂逅は、すぐに終わりを告げた。言葉を交わす暇などなかった。悲しそうに目を伏せて再び踵を返したそいつに、俺は、
「ちょっと、待──」
声は、届かない。
まるで最初からそこには何も存在しなかったように、人影は村の入り口から消えた。
俺は何も聞くことも、伝えることもできなかった。
「なんで……」
問いに答える者はいない。
これでは……あんまりではないか。心の中にぽっかりと大きな穴が開いたような、激しい虚脱感が襲ってくる。俺の頬を冷たい風が撫でていった。
見張りの兵士の人が声をかけるまで、俺はじっとその場で立ち尽くしていた。