双夜譚月姫   作:ナスの森

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第三話と投稿です。
もう旧作とはまったく別のストーリーと見ていいです。


第三夜 死者

 汗が流れる。

 とても――――冷たい汗だった。

 

 殺気が周囲を圧し、その空気にいるものは普通ならばそれだけで戦意喪失に陥る。

 そう――――”普通であれば”、だが。

 恐怖するものは前へ進めない。

 確かに、それも一理あるだろう。

 だが、恐怖を捨て去ってしまえば、ソレは生き物とは言えまい。

 かつて生き物たちはその原初で生き残るには、その強かさと恐怖を持ち合わせた者が多く生き残る。

 

 美鈴は感じる。

 今自分のこの肌に流れる冷たい汗は……恐怖しているのだと。

 

 だが、この恐怖心に助けられた事もあるのもまた然り。

 先達の『修羅』の体現者たちは、ただその修羅場で戦うばかりではない。時には、相手と己の実力差を感じ取り、ならばこそ退かずにどうやって格上の相手をねじ伏せ、勝利を勝ち取るかを考えるのだ。

 その実力差を教えてくれるのが“恐怖”という人間――――否、生物として持って当然の感情以前の本能である。

 

 ――――それは、七夜にしても同じ事である。

 七夜から見て、目の前の妖怪は確かに自分に恐怖しているが、それでも眼に宿る闘気に体さえも圧されそうな錯覚に陥る。

 殺し合いに恐怖しない者などいないのだ。

 ……しかし、それでも七夜は笑っていた。

 

 ――――そうだ、それでいい、と……。

 

 この恐怖、この昂揚……まさしく自分は生きているのだと実感できる。

 これから自分達は死合うのだという“恐怖”と、それ以上に満たしてくれる“昂揚”。

 脳は熱くなり、まるで美女に恋焦がれているような感覚と似ているような……。

 

 ――――そして、男は宣告した。

 

「その首、俺が貰い受ける」

 

 男は一瞬で美鈴の視界から姿を消した。

 

 無拍子――行動の際の予備動作を消し去り、相手に動くタイミングを掴ませない、彼に出来る最高の体術。そして四足で走る獣のごとき、地を這うような低姿勢で、最初の一歩で最速に乗せる。これが七夜の奥義とも言える戦闘移動法。たとえどれだけ強力な「魔」でも、容易にその動きを捉えられるものではない。

 

その出鱈目さに美鈴は驚きこそするも、動揺する様子は一切見られなかった。相手を見失ってなお、その闘気は真っ直ぐに七夜本人へと向けられている。

 ……眼を瞑った。

 

 この“恐怖”と自慢の“気探り”を頼りに――――七夜の殺気を感じ取った。

 

「――――疾っ!!」

 

 ソレを感じ取ったとほぼ同時――――銀光の凶刃が彼女の足元を薙ぐ。彼女は力も入れずにふわり、と軽く跳躍し、最低限の動きで、七夜の攻撃を回避。

 続いて繰り出される七夜の足払い。

 これは躱せそうにないと判断した美鈴はわざと“ソレ”を受け入れた。

 足に衝撃が入ると同時に、すぐさま片手で受け身をとる美鈴。

 無論、その隙を逃さぬ七夜ではない。

 地面のすぐ上に浮く美鈴の後頭部に刺突を見舞うが、美鈴は地面につけた片手を軸に体を回転させ、その斬撃を流した。

 

「ちっ」

 

 七夜の舌打ちとほぼ同時――――体勢を立て直した美鈴は、一歩――――七夜に踏み込んで拳を突きだす。

 一直線に、素早く放たれた妖怪の拳を人間の七夜が受け切る術など持たない。

 なので、ナイフで受け流しつつ、身体を右に逸らして回避したが――――

 

「ぐぅっ……!!」

 

 すぐさま、美鈴の左拳のよる裏拳が飛んでくる。

 後ろの身を退いたことにダメージこそ半減させたものの、それでも人外の拳は重かった。

 衝撃が体中を駆けまわり、体中が痙攣しそうになった七夜はその痛みを我慢し、何とか持ち直すが、そんな七夜にお構いなしに美鈴はラッシュをかけてきた。

 

 まず一発目の蹴り――――後ろに飛んで回避。

 

 続いて、もう一方の足による足払い――――しかしその動きを読んでいた七夜はそれよよりも先に足払いを繰り出し、ソレを阻止。

 美鈴の体術はパワーこそあるものの、ほんの――――ほんのわずかに予備動作がある。対して、七夜の体術は攻撃力こそ美鈴のソレに劣るが、まったくと言っていいほどにその予備動作を必要としない。

 ……だからこそ、できる芸当でもある。

 

 動きを先読みされた事に美鈴は驚きつつも即座に足払いの動作を中止し、上に跳躍して七夜の足払いを回避。

 

「せぇええいっっ!!」

 

 そこから拳の力を込めて降下――――七夜を潰さんと凶拳が迫る。

 

「ク、ハハハ……」

 

 七夜は嗤う。

 ――――さすがにこれを受けたら、本当に死んでしまうな、と……。

 そう判断した七夜の行動は早かった。

 あの勢い――――おそらく地面に数メートルぐらいのクレーターができそうではある。

 七夜は右方向に一足で六メートルもの移動し、それを避けた。

 

 ――――左方向から、大量の土埃が七夜に覆いかぶさる。

 

 おそらく美鈴の渾身の拳が地面に激突にしたことによる衝撃で飛んできたのだろう。

 

「ク、ククク……アハハハハ……っっ!! まさか開幕からこんなに盛り上がるとはね……いやはや、本当に楽しみだよ……この世界は……!!」

 

 七夜は笑いながら、事後の余韻に浸るがそれもすぐにやめる。

 土埃によって見えなくなった相手だが……それでもその闘気は未だ、刃となって七夜にそれだけで圧せられるような錯覚に陥らせた。

 だが、彼は歓喜する。

 

 ――――楽しい。

 

 それ以外の感情などなかった。

 土煙はまだ晴れていない。

 奇襲するには絶好のチャンスだが、果たしてソレがあの女に通ずるモノか……おそらく相手が『魔』でなければ、気配を読む術はコチラよりも向こうの方が高い筈である。

 だからと言って、正面からのタイマンなど人間の身としてみれば論外である。

 

 だとすれば、答えは決まっている。

 

 七夜はナイフを逆手に持ち直し、土煙の中へと突っ込んでいった。一切の予備動作を見せず、低姿勢で地面を這うかのように駈ける。

 徒手の人間は体の構造的に、腰から下の存在に対しては攻撃し辛い。

 美鈴には拳の他にも足技もあるので、死角などは見つからないが、こんな土煙の中、気配を読むだけならまだしも、視界が不安定な状態で、しかも腰から下の奇襲に応じる事ができるのか。

 

 七夜は音すら立てずに、気配を頼りに美鈴の周囲を地面を這うようにして疾走する。気配で大まかな位置は分かるが、それでもそんな不確かな勘だけでは相手の虚と弱点を突くことなど出来るはずもない。

 

 ――――うっすらと美鈴の姿が見えた。

 

「……十分だ」

 

 七夜はその速度を更に加速させる。

 直線移動ではない。

 左右に逸れながら、それでいて速度を落とさずに美鈴の懐へと疾走した。

 

「――――っ!! そこっ!」

 

 七夜の確かな気配を感じ取った、美鈴は振り返って一歩踏み込み、渾身の一撃を放つ――――が、その一撃は低姿勢を放つ七夜の上を空ぶってしまった。

 ただでさえ、最初から低姿勢であったのに、その状態でさらに下方向に逸れては、回避されるのも仕方ないのだろう。

 七夜はそのまま美鈴の喉元を見据えた。

 

 ――――一撃で、殺す!

 

 そう念じて、美鈴の喉元にその凶刃を走らせた。

 銀光の凶刃、美鈴の喉元へ迫る。

 しかし――――

 

「甘いですよ」

 

「なっ!!?」

 

 美鈴は見透かしていたように、七夜のナイフの持っている右手を掴む。

 その凶刃は美鈴の喉元を切る寸前のところまで――――いな、首にわずかに切れ込みが入っており、血もわずか滲み出ていた。

 

「本当に危ないですね。私を殺す領域に踏み掛けるなんて……本当に、死ぬかと思いましたよ」

 

 美鈴は引き攣った笑みで七夜を見る。

 本当に直前まで「死」を覚悟していたのだ。

 

「ハハハ……、今のも駄目かよ……いや、ホントに下手だねえ……俺って」

 

「下手なんかじゃありませんよ。貴方は強い。一歩間違えれば、死んでいたのは私ですから……」

 

「そんなおだて……言われても何も感じないがね。殺せなきゃ意味がないっていうのに……」

 

「……少し、眠っててください」

 

 瞬間――――七夜の体に強烈な衝撃が走り、断末魔を上げた彼は、そのまま門の前へと吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

「終わり、ましたか?」

 

 拳に感じた手応えの余韻に浸りながら、そう呟いた。

 ――――自分の肌を、触ってみた。

 冷たい汗が所々に流れている。

 

 ――――本当に、紙一重の差だった。

 

 美鈴は自分の首元を触ってみる。

 確かに切れ込みが入っていた。

 

 そして触った手を見たら、血が滲みついていた。

 

「アハハハ……」

 

 自分が――――生きている事が未だに信じられなかった。

 あの瞬間――――本当に死を覚悟してしまった。

 己の命を刈らんとする凶刃――――一瞬、死神の鎌に錯覚してしまった程にだ。

 

 ガクン、と先ほどの緊張感が解けた美鈴は突然、膝を付いた。

 ……無理もない。

 

「本当、殺されるかと思いましたよ……」

 

 地面に手を付き、己の汗が地面にポタリと落ちていくのを美鈴はしばらく眺めた。

 そしてすぐに立ち上がり、七夜が吹き飛ばされた方向を見る。

 ……門の出口の前に、七夜は俯きに倒れていた。

 見る限り、ピクリとも動かぬ様子はなく、まるで死体のようである。

 

「生きて、いますよね?」

 

 一応、死に掛ける程度の打撃を与えただけで、死んではいない筈である。

 

「とりあえず、館内に運んで治療しましょうか」

 

 そう結論づけた美鈴は、すぐに七夜へと駆け寄った。

 そして、倒れていえる七夜の傍まで近づいたその時―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――七夜の姿が、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――え?」

 

 一瞬、美鈴には何が起こったのか分からなかった。

 

 それは一瞬の出来事だった。

 いや、そこには一瞬すら存在しなかった。

 そこには――――予備動作の一瞬すらも存在しなかった。

 それは彼の体術であるからこそ成せる極限の無拍子。

 俯せの体勢から四肢の同時連動だけで宙高くまで跳ぶ。

 美鈴がそれに気づく間もなく、蜘蛛は門の壁を音もなく蹴り、宙を飛んだ。

 美鈴の上を通り過ぎると思いきや、空中での慣性を無視し、急に、急速に直下する。

 背後から影が差し掛かってきていると美鈴が気付いた時には既に遅く。

 

「遅い」

 

 ――――ザシュンッ、と無惨にも美鈴の背中は右肩から左腰に掛けて大きく切り裂かれてしまった。

 ……まるで空から雷の刃を受けたような感覚。

 その正体が七夜のナイフによるものだと認めたとき、美鈴の反応は僅かに遅れた。

 

「な……――――ッッ!!!」

 

 ピシャーン、と大量の血が噴き出る。

 つい先程まで美鈴の体内の体温に触れ、生暖かい液体が両者に降り注ぐ。

 殺人鬼と華人小娘は赤い鮮血を浴びた。

 

「紅咲き舞うは鮮血の華――――あんたへの手向けの華だ。よく似合っているぞ」

 

 見惚れてしまうほどにな、と背後から付け加えられるような声が聞こえた。

 突如聞こえたその声に振り向けば、そこにはナイフを逆手に持った殺人貴の背中があった。

 

「そん……な……どうし……て……」

 

「どうしても何もな、どうせやるのなら中途半端に殺してくれるなよ。そうでないと、こうして化けて出てきちまう」

 

「勝負は……さっき……ので……着いた、じゃ……」

 

「悪いね。別に俺はあんたに勝とうなんて思っていない。殺せれば――――それでいいのさ」

 

 何の事だか分からなかった読者には説明しておこう。

 確かに七夜は美鈴の一撃を受けて、門の出口の前まで吹き飛ばされた。その衝撃と言ったら、腹を突き破られたかのような錯覚を感じてしまったほどだ。

 受けてしまった直後は、肺の空気は全て搾り取られ、まともな呼吸すらままならなく、全身を突きつけた痛みに体中が悲鳴をあげてるような状態であった。

 しかし、美鈴は七夜に歩み寄るまでに、動ける状態まで回復するには十分すぎた時間でもある。

 やがて、五体が満足である事と、自分の殺意を感じ取った七夜は、呼吸を最低限にし、それで気絶しているふりをしていたのだ。

 そして案の上、こちらを心配して歩み寄ってきた美鈴の隙を見て、俯きで倒れている状態から、一気に体を起こし、最高速まで加速させて、門の壁に跳躍して、ソレを蹴り、空をかけたのだ。

 そこには一瞬の予備動作もなかったために、美鈴には何が起こったのか分からなかったのだ。

 そして上から、七夜の移動法の一つである慣性を無視した急降下で、一気に上から美鈴の右肩から左腰にかけて、一気に切り裂いたのだ。

 右肩に限っては、ナイフが骨まで食い込んだために、美鈴は右肩がまともに使えない状態になったのだ。

 お分かりいただけたのなら、話を戻そう。

 

「ククク、惜しかったなぁ。あの時、俺を殺すつもりでやればよかったものを……最後の最後で情けを加えるなんて……あんたらしくもなかったな」

 

「クッ……!!」

 

 歩みよって来る殺人貴。

 美鈴にはもう立つ力など残っていない。

 間違いなく、あの一撃は致命傷だったのだ。

 妖怪の身である彼女とて、時間があれば回復するのだろうが、そんな猶予を与えてくれる相手ではない。

 

 ――――自分は、殺される。

 

 美鈴は己の軽率さを後悔した。

 

 ――――あの一撃で、仕留めるべきだったと。

 ――――情けなど、かけるのではなかったのだと。

 ――――最後まで、気を抜くべきではなかったのだと。

 

 コツ、コツ、コツと歩み寄るは己を見下す無慈悲な殺人鬼。

 

 首に、にナイフが突きつけられた。

 

「さて、このまま殺しては無慈悲にも程がある。何か言い残したいことでもあるかい?」

 

「……」

 

 ――――言い残したいこと、あるにはあるが……。

 

「少なくとも、貴方に言い残す言葉はありませんよ……」

 

「そうかい。ならここでさよならだ、紅美鈴。 もし来世というモノがあるのなら、そこでまた殺し合おうぜ?」

 

「……」

 

 七夜の言葉を美鈴は黙って聞いていた。

 いや、聞き流していたというのが正しい。

 ――――だって、自分はただ「死」を待つだけでいいのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、いつまでたってもナイフは自分の首を刎ねなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――と、言いたい所だが。やれやれ、どうも浮世はそう思い通りにはさせてくれんらしいね……」

 

「――――ッッ!!」

 

 突然何を言い出したのかと思った美鈴だが、やがて周囲の異常さに気付く。

 

 

 

 

 

 

 ――――囲まれている。

 

 

 

 

「そんな……ッッ!! 私達に気付かれずいつの間に……ッッ!!?」

 

 さっきまでそんな気配などなかったのに、自分達に気付かれずに、囲むという異常さに美鈴は声を上げるが、七夜は至って冷静だ。

 

「おそらく転移魔術か何かだろう。俺達に気付かれずにこんな大がかりな事をするとは……術師も相当イカレタ輩のようだな」

 

 彼らを囲む人影たちは、この幻想郷では見ないような服装を着た者達ばかりだった。しかし、それでも普通の人間とは決定的な差があった。

 顔に表情はなく、虚ろな視線がはっきりと危険な物を感じさせた。

 

 しかし、七夜は一歩前に踏み出る。

 口に浮かばているのは薄ら笑い……いや、狂気笑いと言った方がただしい。

 

 

 

 

「此度は、この殺人貴と華人小娘の舞をご覧いたただき、有難うございます。お客様」

 

 

 

 

 ナイフを逆手に持ち、その鋭い眼光で、『死者』たちを見つめる。

 

 

 

 

「しかしながら当方、無断のご来場は禁止しております。そこを御理解いただけたら幸いです」

 

 

 

 ――――『眼』を蒼くし、七夜の視界は『死』に覆い尽くされる。

 

 

 

「つきましては、無断のご来場の罰として、お客様からは強制的に入場料金を支払っていただきます」

 

 

 

 

 

 ――――殺気が周囲を覆い尽くす。

 

 

 

 

 

「入場料金は――――あんたらの“首”だ」

 

 

 

 

 

 ――――直死の魔眼は、そこにあった。

 

 

 

 

 

 

 




七夜の口調……結構頑張ったつもりですが、どうかな?

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