一曲目に何か歌えと友達に急かされました。
とりあえず『MELTY BLOOD』を歌いました。
92点取れました
これって高いんでしょうか?
「やれやれ、まさか殺し合いの後に上司から傷を負わされるとは思わなかった。ハハハ、曲がりなりにも医療機関じみた所に居座っている筈なのに傷が増えていくって一方ってのもどうかと思うね、まったく」
「どう見て全面的に貴方が悪いですよ。というかあの状態でよく咲夜さんのナイフから生き残れましたね」
感情の抜けた能面顔で愚痴る七夜に、鈴仙が呆れ目な表情で答えた。
七夜の見た目は昨日よりも更に痛々しい状態となっていた。
そのおかげで体中に巻かれている包帯の数は増え、入院期間が更に延びてしまった。
普段冷静な咲夜でも沸点を超えてしまったのだろう、阿修羅の如くブチ切れた咲夜からナイフ弾幕による応酬を受けた七夜。
だが七夜とて伊達に暗殺者などやっていない。
初撃の咲夜のナイフを掴みとり、そのまま己の武器として使用し、己の致命傷を与えるうるナイフだけを次々と弾いていった。
だがさすが全て弾くのは無理であったようで、結果この様である。
狙いが正確であったのが救いだっただろうか。
なんとか致命傷は避け、カスリ傷や刺し傷を増大させる結果に留まった。
「それにしても、まさか月兎がヒトの治療をするってのは今思えば奇妙だな。てっきり餅を付くことしか脳がないかと思っていた」
「……」
言われて、七夜の包帯を取り替える手を止めた鈴仙は考えた。
そう言えば、ココでは月の兎は餅を付くという伝承があるそうではないか。
あいにくそんな俗事などした覚えなどないが、それをネタにされてか巨大なボタ餅の上に落っこちるという罠に嵌められた事があった。犯人は誰かは言うまでもないが。
「ん、何か気に触るような事でもいったか?」
「あ、いえ、なんでも……」
ちょっとした苦い経験を思い出して作業を中断していたようだった。
いけないいけないと内心で呟きながら、七夜の腕の包帯を巻き直した鈴仙。
反対側の腕も同じように巻き直し、続いて胴体の包帯を取替え用として、既付の包帯を外したその時――――鈴仙の目が、そこへ釘付けになった。
それは、見るも痛々しい胸の刺し傷だった。
元々七夜は体中所々が古傷だらけだ。
化け物共を相手にその生身の人間の体の限界を駆使しながら渡り合ってきた男だ。
いくら人間を片足踏み越えたような体術を持っていようと、七夜は肉体的には普通の人間なのだ。
その身で修羅場に投じれば治りきらぬ傷は古傷として残ってしまう。
伊達に鈴仙も月で兵士をやってきた訳ではない。
例え常人が視認できないような古傷も嫌という程簡単に視認できてしまう。
七夜の場合は勿論、今まで見てきたどの人間よりもその古傷の数は多かった。
しかし、その古傷に言える共通点はその殆どが致命傷に至るものではなく、掠り傷とかそういった類である事。
鈴仙がこの刺し傷を見るのは一度目ではない。
初めて七夜がここに運ばれた時もその傷の存在を認めはしたが、あの時は治療に専念していたおかげで気に留める事がなかった。
だが、今にして見れば痛々しいにも程があった。
「あの……この傷どうしたんですか?」
故に、聞かずにはいられない。
こんな傷、唯の人間が付けられて生きているなど到底有り得ない。
目の前の男が死者である、という理屈からすれば辻褄も合うかもしれないが、何故かそれで片付けてはいけないような気が鈴仙はした。
「さてね」
「さてねって……こんな傷――――あ……」
言いかけて鈴仙は思い出した。
そういえばこの男、記憶喪失であるそうだ。
なんでもこの幻想郷にくる以前の事を思い出すことが出来ず、紅魔館に拾ってもらったという話ではないか。
「すいません。そういえば記憶喪失、でしたよね?」
「謝罪される謂れはない。むしろ俺があんたを感謝する立場だと思うがね」
「……そうですか」
七夜の返答に一瞬、呆気に取られた鈴仙だったが、すぐにそっけない返事で返した。
人殺の鬼、殺人鬼、ひとでなし。
卓越した殺人技術。
万物の脆い部分を映し出す眼。
記憶喪失であったにも関わらず、これらの事だけが何故か残っていた事から、目の前の男が如何に卓越した殺人鬼であるかを改めさせられる鈴仙。
博麗の巫女の腕を落とし、伊吹萃香さえも力を失う程にまで殺しかけた男。
殺しに関しては未遂であるとはいえ、目の前の男は間違いなく生粋の殺人鬼だ。それはもう疑いようがないだろう。
だが、鈴仙の七夜に対する評価は多少違うモノになっていた。
確かに、この男は生粋の殺人鬼だ。
記憶を失って尚、体に染み付いて離れなかった殺人技術。
如何に相手を殺すかを常に考えて戦う冷徹な思考。
何より一度獲物に定めた相手に対しては何がなんでも殺すという、殺すことに対しての並ならぬ執念。
だがこの男、そういう部分さえ除けば、少なくとも幻想郷の面々と比べればまともな人物なのではないだろうか。
本人も己の異常性をちゃんと認めているし、少なくとも人の話を聞かない類の者ではない。
何といえばいいのだろうか――――一言で言えば常識に囚われない常識人とでも言えばいいのか。
少なくとも『この幻想郷では常識に囚われてはいけないんですね』っと笑顔でたまうどこぞの巫女に比べればずっとマシな類の人物に見える。
……そう考えている内に、胴体の部分の包帯を取替え終わっていた。
「はい、包帯の取替え終わりましたよ。これからくれぐれもあのような問題は起こさないでくださいね」
「ククク、殺人鬼に殺しをするなって、息をするなと言っているのと同義なんだが……」
「咲夜さんにまた半殺しにされますよ?」
半目で睨む鈴仙。
「それはそれで面白そうだ。メイド長のあの陶磁器のような肌、特にあのそそられるような首筋は是非とも一度犯し尽くしてみたい」
「――――ッ!」
聞き流しならない言葉を吐いた七夜に、鈴仙は立ち上がって睨んだ。
もし数少ない自分の友人に手を出そうものなら、さすがに自分とて黙ってはいない。
「そう睨むなよ。少なくとも『役割』を果たすまでそんな事はしないさ。望まれぬ役者でもそれくらいは心得ているよ」
「……その役割とは、なんですか?」
「さあてね、特にハッキリしている訳じゃないんだが、強いて言うなら俺を呼び出した者を解体するって所かな」
目星はこれといって付いてないがね、と付け加える七夜。
まるで自分はそれだけの存在だと言っているかのよう。
一番危険なのはこの男の卓越した殺人技術でもなく、万物の脆い部分を映し出す眼でもなく、その精神性。
「……どうして、そう殺すとか、殺し合うとか、そういうのに拘るんですか?」
「それだけの存在だからさ」
「七夜さんは間違ってます。どうしてそう自分を捨て鉢にするような生き方しか出来ないんですか? そんなの、人間として、生き物として間違ってる」
「いや、俺にとっては全てが捨て石さ。だからその場その場の死合を楽しむ」
「そんなのおかしいです。自分を蔑ろにするなんて、そんなの……」
鈴仙は、この男の全てが理解できなかった。
平然と死にたがるこの男の思考。
平然と殺し合いを楽しむ嗜好。
元々鈴仙は地球の生き物たちが月へ攻めてくる事を恐怖して地上へ逃げ込んだ月兎だ。
無論、それは死を恐れての行為であり、自分が生き延びるために選んだ選択肢なのだ。
故に臆病な鈴仙は生への執着が人一倍強い。
だからこそこの男が余計に理解できない。
例え人間が儚い命だとしても、それすらもどうでもいいとするようなこの男の思考が理解できない。
「やれやれ、引っ込み思案な可愛らしい兎かと思えば、いやに突っかかるじゃないか。発情期か何かかい?」
「ちゃ、茶化さないでください!」
陰のある声音で厭らしい事をいう七夜に、鈴仙は顔を少し赤くしながら怒鳴り返した。
この男はセクハラという言葉を知らないのか。
「ようは真っ当であるか真っ当でないか、それだけの違いだろ。なら俺は真っ当じゃない奴で、あんたは真っ当な奴であるだけの話だよ。
そんな奴らの間に理解も糞もないだろうに」
「……」
至極正論。
至極簡潔。
だが、鈴仙にとっては納得できるモノではない。
医師の弟子として鈴仙は多くの患者を治療してきた。
中には命の危険に関わる病や傷を持った患者もいたが、鈴仙は彼らを積極的に生かそうとした。
だって、生きたという気持ちが伝わってしまうから。
寿命も真っ当せずして死ぬなんて無念すぎるだろうから。
理不尽な死に方なんてしたくないだろうから。
用は鈴仙は、自分が手がけてた患者の一人である七夜に自分を蔑ろにしてもらいたくないのだ。
「おかしいです、あの鬼も、七夜さんも。ただ強さや殺し合いで優劣を付けようとするなんて、絶対におかしいです! せっかく師匠が、七夜さんを助けてくれたのに、また同じことを繰り返すようじゃ――――」
「一つ言っておく。優劣で殺し合いの結果が決まるくらいなら、俺は今頃ここにはいないよ」
鈴仙の言った言葉を遮るように、七夜は冷たい声で言い放った。
今まで飄々としていた口調とは違う、ただそれだけを淡々と述べるかのような。
「七夜、さん?」
「それに――――」
七夜は鈴仙から視線を外し、天井を向く。
その何もかもがどうでもいいと言ったかのような表情は、見るものによっては解脱しているようにも見えた。
「例えば、さ。俺の手は殺すだけもので、お前の手は人を治すためにある。この場合、優劣はどちらにあると思う?」
「……」
その言葉に、鈴仙はどう答えればいいのか分からなかった。
『殺す』という一点においては確かに七夜の方が遥かに優れている。
だが人を『治す』という点にはおいて七夜はその心得すらないのだ。
一方、鈴仙は『治す』一点において並以上の技術があり、更には死にたくないという人間の気持ちに理解がある。
「優劣を競うのなら、俺は最初からあんたに負けているさ。あんただけでなく、あの巫女にも、鬼にも、メイド長にもな」
それはまるで、殺す事を楽しんでいるというよりは、他の生き方を諦めているかのようにも、鈴仙には見えた。
人でなしの殻の中にある何かが、鈴仙は一瞬見えた気がした。
結局、この会話は咲夜が部屋に入ってきた事で中断する形となった。
◇
■ ■ ■
鬼は蜘蛛に食われた。
なんていう話を誰が信じようか。
事実そんな事は有り得ない。
まず体格差からしてそんな事は有り得ないだろう。
その気にならなくともナニカの拍子で鬼は蜘蛛を踏み潰してしまうこともあるし、たとえ蜘蛛の牙が鬼の皮膚に届いたところで何の意味も為さない。
そもそもお互いの存在が違いすぎるあまり、相手にしない。
蜘蛛が捕食できるのはあくまで同格の生き物だけで、鬼が相手をするのは自分の同等の力を持つ者だけだ。
そんな鬼と蜘蛛が殺し合い、食い合い、果てにソレに勝ち残ったのが蜘蛛の方だと言われて誰が信じるだろうか。
だが、考えてみればたった一つの『事』が加わる事でソレが覆ってしまう事は多々ある事だ。
例えば、厚さ0.1mmの紙に鉄のような硬度が加わればそれこそ名刀さながらの切れ味になったりだとか、鋼のような硬い物質がそのままガラスのような透明さを持てば最強の防弾ガラスになったりだとか、豹に馬並みの持久力が加われば誰にも止められない最速の獣になったりだとか、そんな感じにだ。
今回にもそれが言えたこと。
ただ、踏みつぶせばそれで済む筈のちっちゃい蜘蛛に、獣のスピードと、何でも殺せる毒が加わっただけの事。
たったそれだけの事が、鬼と蜘蛛の食い合いの結果を覆してしまった。
たったそれだけの事だったのだ。
■ ■ ■
「ハハ、お笑い物だねこれは」
眼を覚ました萃香はゆっくりと呟いた。
自分が何をされたかを忘れている訳ではない。
ただ、思ったとおりの事を口にしただけ。
嗚呼、食われ損なったな。
ため息を吐き、萃香は愚痴った。
果たして、今の自分は鬼と呼べる状態か。
少なくとも、かつて妖怪の山の頂点に立った鬼の四天王を名乗る事はもう出来まい、許されまい。
鬼の社会とは力が全てだ。
今このような状態でかつて天狗共を支配したお山の大将などと名乗る事などおこがましい。
――――ああ、恨めしいな。
あの八意の医師によると自分の力はもう戻らないそうだ。
何故なら、自分は倒されたのではなく、『殺』されたのだから。
殺されたモノが今更戻ってくるわけがない。
萃香はあの殺人鬼が憎かった。どうしようもなく憎かった。
別に殺し合いに負けた事を恨んでいる訳ではない、それは自分の慢心、そしてあの人間にそれが出来る実力があったからだ。
ならば霊夢を傷つけられたことか、それも勿論あろう。
だが、元々その怒りを理由に正面から殺し合いを仕掛けて、自分は負けたのだから、文句は言えない。
ならば、なぜあんなにもさの殺人鬼が憎いのだろう。
憎むのなら、あの殺人鬼にではなく、肝心な所で邪魔をしてくれたあのチビ烏天狗の方ではないか。
正直、あの天狗も憎い。
だけどその憎々しさも結局はあの殺人鬼に対するモノには及ばない。
ならば、何の理由で自分はあの殺人鬼を憎んでいるのだ。
――――ふと、萃香は顔を俯け自分の体を見渡した。
普通に動く分にはまったく問題ない。
ただ、腕力、妖力、その他全ての能力が大幅に低下している。
『疎と密を操る程度の能力』は短時間しか使用できない程に弱まっている。
詰まる所、今の自分は並の鬼以下か並の妖怪以上の力しかない。
鬼の誇りたる二本の禍々しい角をとうに縮小し、近くで見ないと分からない程になってしまった。
……それでも、あの殺人鬼を恨む理由には足りえない。
常人ならば恨んでも憎んでも足りないくらいモノであるが、鬼である萃香は仕方ないとソレを受け入れる。
なのに、あの殺人鬼がどうしようもなく憎いのは何故だ?
分からない。
分からない分からない
分からない解らない判らないワカラナイわからない……!
「ああ、もう……!」
混乱する頭を抑えて、萃香は叫んだ。
分からないなんてことはないだろう、ああそうだ、本当は分かっているんだ。ただ、少し飲み込めないだけでさ、まったく、鬼らしくないったらありゃしない。
……鬼ってのは、基本的に嫌われ、恐れられる存在だ。
それでいい。
鬼とは恐れられてナンボだし、その恐れこそが人を立ち上がらせ、自分達に立ち向かってくるのだ。
それは鬼としてはこれ以上にないくらいの誇りなんだ。
だけど、あの殺人鬼は違った。
――――『あんたとの時間は、たとえ二分間の刹那でも、今までの人生じゃ到底及ばない――――“最高の時間”だったよ』
恐れられたのではなく、自分との時間が楽しかったと、あまつさえソレを人間に言われた。
昔に見限った筈の人間に、自分を負かした人間に、そう言われたのだ。
それはある意味鬼の誇りを傷付ける発言であったかもしれない。
恐れられなくなった鬼はもう鬼じゃない。
鬼と一緒にいて幸せだとか最高だとかいう人間はいない。
鬼という恐怖と戦ってそれを乗り越え、打ち負かす姿こそが、鬼が人間に魅入られた理由だ。
ただ楽しいだとかそんな理由で鬼と殺し合うなどよほどの狂人しかいない。
だけど、それでも――――
「ああ、ようやく、ようやく分かったよ紅葉、あんたの気持ちが――――」
細く笑い、肉薄する。
かつて同族から理解されない幸せを手にして死んでいったかつての盟友を萃香は思い出す。
自らを恐れる人間と争うのではなく、自らを愛してくれる人間と殺し合う幸せ。
他の鬼が決して手にする事ができなかった形の、歪んだ恋心を成就して死んでいった檻髪の鬼。
何故ここで彼女の事が思い出されるのかと考えれば、そういう事だった。
――――ああ、憎たらしいくらいに、あの殺人鬼が……。
だけど、それはもう叶わぬ願いだった。
もう自分に、先のような力は残されていない。
次、彼と殺し合ったら、まずい血と吐き捨てられバッサリと斬られてしまうに違いないから。
力が戻らない自分はもう……あの殺人鬼と同じ土俵にすら立てないから。
「ああ、あんたが、あんたが羨ましいよぉ、紅葉」
今は亡きかつての同胞の幻影に向かって萃香は呟く。
最後に想い人と一緒に尽きるまで殺し合って冥土へ旅立った彼女が、心底羨ましかった。
私も、自分を見てもらいたい相手が見つかったんだ。
蒼い、綺麗な眼をした男だったさ。
そいつは今までの人間にはない戦い方をしてさ、とにかくひたすら私を殺しにかかってきたんだ。
強かったよ。
人間のくせに、いや、あれはまさしく人間という『鬼』なんだろうね。
いや、殺人鬼だから結局は鬼に変わり無いか。
だけどさ、だけどさ……こんな状態の自分はもう、彼に獲物としてすら認識されないだろうから……。
「嗚呼……畜生ぉ……」
嗚呼、鬼は蜘蛛に食われた。
いや、食われ損なった。
こんな思いをするくらいなら、いっそ最後まで食ってくれれば良かったのに……。
◇
十六夜咲夜は今、無性に腹が立っていた。
もちろん、その怒りを表に出さないよう努力しているものの、隠すには程遠い程にその悪鬼のような空気は漏れていた。
表情はには出さずとも、七夜をして阿修羅と言わしめたその怒気は周囲に霧散していた。
少しでも自らの怒りをはぐらかさんととするために永遠亭の台所にて、輝夜、鈴仙、てゐ、永琳、萃香、霊夢の六人分の食事を作っていた。
はて、七夜の分はと言えば――――知らない。
そんな奴知らない。
あんなひねくれ者の事なんて知らない。
あんな狂犬の事なんて知らない。
あんな殺し合いジャンキーの事なんか知らない。
あんなダメ殺人貴の事なんて知らない。
そう、あんなダメ殺人貴の事なぞ知るか。
コチラの都合で彼を紅魔館の執事として引き入れたとはいえ、初仕事早々に従者としての矜持を捨て去り、博麗の巫女と殺し合う。
結果、自分の制止すらも振り切って興じあい、死んでもおかしくない程の重傷を負った。
それだけでも自分は心臓が凍るような思いをさせられた。
そしてもう自分の心配をさせないと約束した矢先、鬼の勝負事の誘いにノリ、結果霊夢と殺し合ったときの傷が開いてしまい、更に三日の養生が必要になった。
これが何を意味するのか想像も容易い。
七夜が意識を失ってから眼を覚ますまで一周間。萃香が七夜に勝負を挑むまで二日間。そして七夜の養生で三日間。
一周間と五日間――――つまり約二週間の間、自分達は紅魔館を留守にしているのだ。
つまり、自分は紅魔館へ帰ったら、その約二週間分の穴を埋めなければならないのだ。
そこらの妖精メイドが役に立つはずもなく、精々副メイド長とその他の賢い類の者たちだけ。
かろうじて男手一つが増えたところで、その男手は未だ従者としての才が未知数な殺人貴だ。
……前途多難だ。
たとえその問題が片付いたとしても、自分はこれからこの幻想郷で起こっている異変と、そしてあのひねくれ者と一緒にやっていかなくてはならないとでも言うのか。
……そう思うと頭痛がする。
……心臓なんていくつあっても足りたモノじゃない。
内から湧き上がる苛立ちに心臓と脳みそが破裂しそうだった。
「バカ」
思わず鍋の取手から手を離し、呟く。
「……バカ、バカッ!」
次第にその声は大きくなり始め。
「バカ、もうすごいバカ、ありえないくらいバカ、信じられないくらいバカ、許せないくらいバカ――――宇宙一の、バカッッ……!!」
叫んだ。
目の前に立ちはだかる紅い和服の青年の幻影に精一杯罵倒した。
……余所者の家の家具に当たらないのはさすがと言ったところか。
今なら平行世界にて同じ人物に苦労する白猫の使い魔とも意気投合ができよう。
今の彼女の苦労を理解する者がいるのならその白猫の使い魔以外にいまい。
……まあ、そんな奇跡も第二魔法の使い手が現れない限りは実現しないだろうが。
「はぁ……」
言って、咲夜はため息を付いた。
こんな事で憤慨するとは自分も未熟、か。
ナニも憤慨するべき対象は彼だけではないだろうに。
そもそも引き金を引いたのは霊夢だ。
いや、正確には『七夜』という引き金を霊夢が引いてしまったのが正しいというべきか。
そのせいで事情を知らなかった萃香が七夜に殺し合いを挑み、両者とも重傷を負ってしまった。
結局の所、最も被害者たりうる筈の人物が、最もの加害者になってしまったという結果であっただけで、逆の結果であれば七夜は一方的な被害者になっていた。
加害者という名の被害者になるか、それとも一方的な被害者になるか。
七夜に狭められていた選択肢はその二択であったのだ。
だが、それでも自ら嬉々としてその状況を楽しむ狂人は、狭められる前に自らその煉獄に身を投じた。
その“加害者という名の被害者”となれる可能性すらゼロに近い程の力差があったにも関わらず、彼はただその殺すためだけに鍛え上げた体術と、死神にも等しい魔眼――――つまりは何の魔術も法力も使わず己の特異性のみでそれを成し遂げたのだ。
……それが、とてつもなく悲しかったのだ。
『殺す』というただその一点において特化した七夜の特異性。
彼は七夜一族だ。
兼ねてから混血の暗殺を生業としてきた一族の生まれであるし、殺しに特化した術を身に付けたっておかしくはない。
それだけならまだよかった。
問題なのは、本人がソレを受け入れてしまっている事だ。
『殺す』事しかできないから何だというのだ。
それしか出来る事がないのだったら、他に出来る事を作ればいいだけの話じゃないのよ。
腹が立つ。
最初は七夜が本当にあの七夜志貴であるかを確認するために七夜を紅魔館の執事にしようと決めた咲夜であったが、今ではその動機が別のモノになりつつあった。
純粋に『殺す』事しか考えないあの殺人貴に、さも自分は『殺す』事しか出来ないように振舞うあの殺人鬼に腹が立ったのだ。
紅魔館の従者の仕事は多種多様だ。
それこそ殺し以外の仕事なんてたくさんあるし、殺し以外の技能だって身に付いてくるだろう。
あわよくば、彼が殺人鬼から足を洗う事だって……
「そんな、都合がいい事はないか……」
そうだ、そんな事であの殺人貴が殺しをやめる道理はないだろう。
一応、まだギリギリのラインで彼は殺しをしていないが、実際はかなりまずい。
というのも、殺しかけた相手が問題なのだ。
博麗霊夢、伊吹萃香。
伊吹萃香が殺されれば地底の者たち(特に鬼)は黙っていないだろうし、博麗霊夢が殺されれば七夜は幻想郷に敵対するにも等しい状態になる。
そんな絶望という言葉すら生ぬるい状況の中でも、彼は楽しんで逝くに違いなかったから。
そんな事が容易に想像できてしまう自分にもまた腹が立った。
昔、志貴から聞いた事があった。
七夜一族の人間は元々退魔衝動という魔に対しての殺害衝動を持ち、それによって化け物を前にして萎縮する事を克服した一族であると。
だけど、七夜は見るとソレは本当に、魔に対してだけであろうか?
七夜は萃香だけでなく、人間である霊夢に対しても尋常ならぬ殺害執念を見せた。
もし七夜が歴代の七夜一族の者達よりも遥かに強い退魔衝動を持っていたとするならば。
そもそも七夜一族がソレを会得するに至ったのは、近親相姦を繰り返す事によってヒトとしての純度を高めた所にある。
それはつまり、ヒトとしての純度が自分より比較的低い普通の人間に対しても、もしくは何かしらの特殊な能力を持った人間にも反応してしまうのだろうか?
いや、そうなると彼が自分に殺しにかからなかった理由が付かないだろう。
……そこまで考えて、咲夜は己の無能さを嘆いた。
「なんて、無知」
――――結局私は、志貴の事も、七夜の事も、そして私自身の事も何一つ分かっていない。
火を止め、咲夜は鍋の蓋を開けずにしばらく俯いた。
「お嬢様、私は――――どうすればいいのでしょうか?」
今この場にいない自分の主に向かって咲夜は呟いた。
「ねえ――――」
「私は、どうすればいいの――――志貴」
ポケットの中にある七ッ夜を手に取りながら、哀しげな表情で咲夜は呟いた。
◇
博麗霊夢の人生というモノは、それはもう常人と比べれば虚ろと呼べるものだっただろう。
先々代の巫女であった実の母をまだ物心が付かぬ間もなく亡くし、彼女と霊夢の間を補う形で次代に選ばれた巫女が、後の霊夢の義母だった。
ここで詳しく語るべくもないが、唯一霊夢に親身に接し、愛情を注いだ霊夢の義母さえも“ある異変”をきっかけに亡命してしまった。
唯一、『空を飛ぶ程度の能力』を持つ虚ろな心の少女に語りかけてきた義母すら失った霊夢は、本当の意味で空を飛ぶようになった。
唯我独尊――――彼女を形容するのならまさしくこの言葉が当てはまる。
人間妖怪問わず惹きつけ、あの『境界を操る程度の能力』を持つ八雲紫ですら成し得なかった種族間の境界を取り払い、かつてない程まで人間と妖怪の距離を惹きつけた人物だ。
もちろん、その和の中心には必ずと言っていいほどに彼女がいた。
……だけど、その中心にいたとしても、彼女自身がその和に入ることは決してない。
いや、もしくは浮いていたが故に中心にいる事が出来たのかもしれない。
故に、彼女は他人を腐れ縁や友人と認識する事はあっても、『仲間』とみなす事は絶対にない。
『空を飛ぶ程度の能力』とは能力そのものを指している訳ではなく、まさしく彼女自身の人間性を指していると言っても過言ではない。
彼女の起源は『■■』。
まさしく博麗の巫女にふさわしい資質そのものを持って生まれてきたのだ。
何物にも囚われない、何事にも拘らない、何者にも頼らない。
周りに誰が寄ってこようとも、回りとの距離がどれだけ短ろうとも、彼女は常に一人だった。
彼女はそれで幸せだったのだ。
……ただ一つ、母親の喪失という虚無を除けばの話だが……。
母を失った“あの異変”の時も、死者が次々と現れた。
母を失った異変だ、霊夢の脳裏には嫌でも焼き付いている。
だから、今回の異変、霊夢は自分から積極的に動いた。
それは異変解決に向かう巫女というよりは、ある焦燥に囚われたどこにでもいる少女だったのだ。
思えばこの時から、博麗の巫女としての彼女は崩れたのだ。
唯一、彼女を振り向かせる事ができるのは母が関連するモノのみだ。
故に、あの時と同じ光景がチラついた霊夢はその焦燥に従うままに動いた。
気付いたら、霊夢は博麗の巫女ではなく、『霊夢』というただ一人の少女に戻っていたのだ。
そして、あの殺人鬼と出会った。
その殺人鬼は今までの的とはワケが違った。
『力』は間違いなく霊夢が戦ってきた相手の中でも最弱だろう。
だが、その最弱こそが霊夢にとってのジョーカーだったのだ。
そして彼は、『浮いた』自分に切りつけた。
今まで誰もが彼女に触れられなかったその能力、いや彼女自身を象徴するその能力を見事に破ってくれた。
今まで彼女を形作っていたモノの象徴であったモノが破られたとき、霊夢はもう、命乞いをする、普通の少女に戻っていた。
あの日、母の膝に寄りすがり、眼を瞑っていた少女に戻りきってしまったのだ。
憎んだ。
猛烈にあの殺人鬼を憎んだ。
アイツさえいなければ、自分は壊れなかったのだと。
アイツさえいなかれば、自分は博麗の巫女として幸せであったのだと。
その殺人鬼に対する憎悪とそれ以上の恐怖を抱きながら霊夢は永遠亭の畳の上で過ごした。
考える事は何もない。
ただ、とある単語が耳に入るたびに思考は現実へ戻らされた。
蒼い眼、ナイフ、蜘蛛、殺人鬼。
ある日、あの殺人鬼が眼を覚ましたとか。
ある日、殺人鬼が萃香を殺す直前まで追い込んだとか。
ある日、あの殺人鬼がまた倒れたとか。
ある日、あの殺人鬼のせいでメイド長が阿修羅の如く憤慨したとか(ちなみにあの叫びは霊夢の耳にもしっかりと届いていた。普段の彼女からは想像も付かない憤慨っぷりだと思った)
とにかく、あの殺人鬼の事を耳にするたびに霊夢の中にあるナニカが鼓動するのが分かった。
そして気がついたら彼女は、あの殺人鬼の事しか考えられなくなっていた。
我ながら久しぶりに書く文章は色々と酷いですね。
何か咲夜が七夜一族に詳しすぎるような気がしなくもない。