双夜譚月姫   作:ナスの森

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パズドラの新しい降臨ダンジョン「ソニア・グラン降臨」に先程挑んできた所です。
8コンとか、初見でいった「サンダルフォン降臨」依頼のトラウマですよ、まったく……。
手に入れた光ソニは能力はあまり自分には使えそうにありませんでしたが、ビジュアル的な意味でも手に入れた価値はあるかも。


第二十夜 萃香と紅葉

 遥か、昔の話。

 幻想郷が博麗大結界に囲まれる前よりも、ずっと昔の話。

 まだ科学が発展しておらず、世界がまだ神秘で満ちていた時代。

 まだ非常識が非常識になる前の、魑魅魍魎が蔓延る妖怪たちがまだ常識から追われていなかった時代の日ノ本。

 日の刻は人間達の楽園となり、夜の刻となれば魔が騒ぎ出す。

 ……そんな、現代では御伽噺で片付けられている事が、世の常として当たり前のように、日常茶飯事のように起こっていた時代。

 妖怪――――日本の「魔」を代表する幻想種。

 人ならざる化物である「魔」。

 自然の法則にありながら必要とされず、総じて正当な流れにある者には邪に映る輩――――故に、魔であり必然として魔を嫌う「退魔」もまた生じた

 退魔が全盛を振るう時代があるのであれば、間違いなく魔が全盛を振るう時代に他ならない。

 魔が生じれば、退魔もまた生じる。

 魔が現れれば、退魔もまた現れる。

 魔が暴れだせば、退魔も退治しにやってくる。

 

 ――――妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。

 

 ヒトと妖怪という一種の犬猿を通り越して、ある種の絆を表す格言として成り立ったソレは、ヒトとある妖怪の種族の間で崩れ去りつつあった。

 否、絆そのものは崩れていない。

 ただ、絆の在り方が変わってしまった。

 「鬼」というモノがいた。

 妖怪の中でも飛び出て化け物と謳われる最強種族。

 彼らは酒と、喧嘩と――――人間が大好きだった。

 自分たちとは比べるべくもなく弱々しく、愚かで、貧弱。

 だがそれでも、彼らは人間を自分たちの喧嘩の相手に相応しいと認めていた。

 腕の立つ人間に勝負事を挑む。その人間はもちろんの事、鬼たる自分を楽しませてくれる。そしてその人間を負かし、攫い、食らう。

 それで終わるのか――――終わる訳がない。

 当時、腕っ節の強い人間は特に村人たちから慕われる傾向があった。

 ソレもそうだっただろう、退魔の技と術を身に着けしものは、唯一、自分たちを妖魔から守ってくれる存在だったのだから。

 だから、ソレが食われてしまった時――――今まで自分たちを妖魔から守ってくれた殻を奪われた時、彼らは二つに別れる。

 ――――一つは、恐怖に怯えるか、事実から逃避し続けるか。

 ――――二つは、後悔と憎しみの念を抱き、人間という『鬼』になるか。

 そう、後者が正に鬼の待ち望みし人間達である。

 ……ただ一人の猛者に任せきりにしてしまった事を。……その猛者が死ぬはずがないという過信を抱いておきながら死なせてしまったことを。……そして、その猛者に任せきりにしなければ生きていけなかった自分たちの弱さを。

 それら全てを悔いた人間たちは、立ち上がるのだ。

 たとえその『力』が自分達の足元にも及ばなく、比べることすらおこがましい力差であったとしても、失った仲間の無念や悔いを背負い、強くなる。

 その無念や悔いが僅かな強さの糧にしかならないとしても、塵も積もれば山となるという諺の如く、ソレはやがて大きな弾丸となりて自分達の脅威となる。

 ……ソレが、鬼たちには堪らなかった。

 ……ソレが、ヒトと鬼の絆だった。

 ――――少なくとも、鬼たちにとっては……。

 

「……不味い酒だね」

 

「そう思うのなら、酒屋さんに返してあげたらどうかしら? 盗みを働いた後味の悪さが付き纏っては、せっかくの酒も不味くなるばかりよ」

 

「いや、ちゃんと酒屋の用心棒と正面から挑んで打ち破ったよ。景品としてこの酒を譲り受けたのさ」

 

 そこは何もない丘。

 雲一つない夜空に浮かぶ月の下で、2人の女性が酒を飲み交わしていた。

 一人は幼き容姿の少女――――赤みがかった茶色のロングヘアー、魔の属性を象徴する紅い目、頭の左右からは身長と酷く不釣り合いな長く捻じれ曲がった角が生えていた。

 もう一人は黒髪の美女――――流れるような黒いロングヘアーに、少女と同じく紅い目をしており、頭の左右から短い三日月状の角が生えていた。

 頭から角が生えている――――それだけで、この2人がヒトから外れているか、もしくはヒトならざる化け物である事が伺えた。

 彼女たちもまた、鬼だった。

 

「なら盗みじゃなくて、強盗と言うべきかしら?」

 クスクスと妖美な笑みを浮かべながら、手に持った酒瓶でゆっくりと幼き姿のもう一人の鬼に酒を注いだ。

 

「……あんたはそんなに私を悪者にしたいのかい?」

 

 黒髪の鬼女から注がれた酒を自棄のようにグイ、と一気飲みし、酔いながらも口調だけはしっかりとしてその同胞を睨んだ。

 

「冗談よ、冗談♪ だけど萃香が正面から挑んだ人間だと言うのであれば、その人間だって中々だったのでしょう? なら、この酒だって必然的に美味しくなるのではないかしら?」

 

「逆だよ。私が命を取るに値する人間だったのであればそうだったんだろうけどね。……その人間はただ武器を構えるだけで、私の前で足腰を震わせながら棒立ちするだけだった。あまりに情けなくなってさ、命ではなく、その人間が用心棒をしている酒屋の酒だけで勘弁してやっただけさ……」

 

「――――そう。ならせっかくの美味しいお酒も、不味くなるわけだわ。……少なくとも貴女にとっては」

 

 妖美な笑みを崩さず、しかし幼き姿の鬼――――伊吹萃香の話を聞いた後にゆっくりと瞳を閉じた様は、何処か落胆しているようにも見えた。

 萃香もそんな鬼女の気持ちを感じ取ったのか、同様にため息を吐いた。

 ――――最近はいつもこんな感じだ。

 鬼と正面から向き合った人間は、恐怖のあまり気を失うか、逃げ腰の背中しか見せることしかなくなった。

 鬼が油断している時に罠にはめ、そこを大勢で滅多打ちにし、最後には強力な術式で仕留めるだけ。鬼を真っ当な方法で討ち取らんとする人間が急速にその数を減らしていっているのだ。

 萃香や目の前の黒髪の鬼女のように、鬼としても異端じみた能力を持ったような輩には容易にその罠から抜け出せるか、もしくは罠にかかる前に気付いてその人間達を葬れるのだが。

 

「そうそう、話は変わるんだけどさ――――」

 

「その顔からしていい話ではなさそうね」

 

「そう言わずに聞きなよ。私もあんたも異端児とはいえ同じ鬼である以上、知る義務はあるよ」

 

 萃香はお返しにと酒瓶を手に取り、黒髪の鬼女の差し出した盃にドボドボと酒を注いだ。

 

「異端児、か……。そう呼ばれるのはもう何回目でしょうね。貴女も鬼らしく喧嘩が好きだけど、その割には誠実さに欠け、どちらかといえば他者の反応や行動を見て楽しむ方よね。私も闘争は嫌いではないけれど、どちらかといえばこうやって騒がず静かに酒を飲んでいた方が性に合うわ」

 

「うぅ……誠実さにかけるってのは余計――――いや、否定しないけれど……――――とにかく話を戻そう。

 勇儀が――――やられたよ」

 

 ……一筋の風に、木の葉が舞った。

 その一言に――――黒髪の鬼女の口にゆっくり流し込んでいた酒をピタリと止め、しばらく微動だにしなかった。

 嘘かと思って、萃香の顔をみればそれは本気だった。

 黒髪の鬼女はゆっくりと盃を足元に置き、目を瞑りながら冷静に聞いた。

 

「……それは真っ当にやりあって? それとも嵌められて?」

 

「無論、後者だよ。その首謀者の人間なんだけど、どうやらその人間にとって勇儀は母方の怨敵だったそうだ。ソイツと一緒に酒を飲んでいたら奇襲を食らって、次々と加勢に来た人間にメッタ斬りにされて、終いには鬼退治用の陰陽術式まで叩き込まれたらしい」

 

「……自分を憎んでいる人間と盃を交わそうだなんて如何にも勇儀らしいわね。……おそらく、宿敵としての誓いか、自分の首はその人間だけのモノだという誓いで交わしたんでしょうね。……少なくとも、勇儀にとっては」

 

「ああ、その通りだよ。確かに勇儀はその人間になら首を譲ってやってもいいと思っていたんだろう。だけど、ソレは正面から勝負で打ち取れたらの話だ。あくまでソレを誓うような盃の場で不意打ちされるのは不本意だっただろう。……自分が憎いなら、何故正面からその憎しみをぶつけないってね……。

 他人の勝負事に介入する程、私は野暮ではないけれど、毎度の事ながら私はこう思うよ」

「――――アイツ等は、わたし等を何だと思っているんだっ。私たちは騙される為に勝負事をしているんじゃないだぞっ……!! 正々堂々と私たちを討ち取ってこそ、誉れだっていうのにっ、最近の奴らはっ、私たちをただいいカモとしか見ないっ!!

 鬼を名乗る者として――――これ以上の屈辱などあるものかっ!」

 

「……」

 

 今までただ酔顔でいた筈の萃香が急に、その幼き顔を鬼の憤怒のそれへと豹変させ、叫んだ。

 なまじ鬼の中でも、鬼の『格』にこだわる程に鬼としての誇りを持つ彼女にとっては、怒るのも尚更の事だったのだろうか。

 黒髪の鬼女はただ小さき鬼の慟哭をただ黙って聞いているしかなかった。

 そしてその憤怒の瞳は、その鬼女本人にも向けられた。

 

「そして、ソレをどうとも思わないあんたもだよっ。我らが、あれ程好きだった人間に裏切られ、罠に嵌められ、大勢にメッタ斬りにされ、鬼とヒトの絆は崩れ去ろうとしているっ。

 ……なのに、なんであんたはそんな平静と静かに酒を美味そうに飲んでいられるんだい――――紅葉っ!!」

 

 まるで吐き出すかのような口調で萃香は、黒髪の鬼女の名を呼ぶ。

 紅葉と呼ばれた鬼女は、萃香のとっさの叫びに、不意に盃を手から離し、萃香の方へ顔を向けた。

 ……盃に注がれた酒は、彼女の顔を水月としてその水面に映していた。

 

「……勇儀は、その後どうなったのかしら?」

 

「……結果的に勇儀は助かった。手酷くやられてはいたけれど、元より勇儀が人間の作った三流の罠を前にくたばる訳がないからね。最後の最後に地力を出して、周囲の土地ともども巻き込んで人間達を一人残らず消し飛ばしたそうだ。

 最後に、勇儀が認めた筈の人間の肉片だけがひっそりと残って、何を思ったのかソイツの墓を作ってやったそうだ。ただその人間を自分に振り向かせる為だけにその人間の母を遊戯感覚で食べてしまった事に、多少なりと罪悪が芽生えたんだろう。

 ……卑怯を働いたとはいえ、その卑怯を働いた原因は自分にもある、と。そんな形で無理やり納得しようとしたんだろうさ」

 

「……」

 

「因みに、他の鬼たちにはこのことは知れ渡っている。いや知れ渡らない筈がない。それを知ったアイツ等が、どんな屈辱的な気持ちになったか。

 知らないのはあんただけだよ、紅葉っ!! 勇儀だけじゃない。あいつと同じ目に遭って、卑怯なやり方で首を獲られていく鬼たちは今も増えている。

 なのに――――どうしてあんたはそんな平然と酒を飲んでいられるんだいっ!!」

 

「……私を酒に誘ったのも、態々そんな事を言うために?」

 

「ああそうさっ! 他の鬼が知っていて当然の事を、あんたはさも当然かのように知らない。そして現に私がこうして伝えに来ても、あんたは表情をほとんど変えないっ!

アンタのそのどうでもいいような顔が―――――私は気に入らないんだよっ!」

 

 射殺すような眼で紅葉を睨んだ後、萃香はハァ、と息を吐き、深呼吸を一回した。

 気づけば、盃に注がれていたはずの酒がなくなっていた。

 癇癪を起こして当たりへぶちまけてしまったのだろう。

 ……いい酒ではあったが、こんな気分ではいい酒も酔える筈もなく、ただやりきれない虚しさと憤怒が空回りするばかりだ。

 しばらくして、少し気持ちを落ち着かせた萃香は、ゆっくりと紅葉の顔を見て。

 

「……ごめん。少しムキになりすぎた。アンタは、ただアンタらしく生きているだけなのに……」

 

 謝罪した。

 確かに萃香は本心から紅葉に憤った。

 だが、自分でもここまで憤慨してしまうとはさすがに思わなかったのだろう。良くも悪くも彼女は相手にも、そして自分にも嘘をつけない性格なのだ。

 ソレを分かっていたのか、紅葉はそれに対しては特に責める気もなかったし、何より彼女の言う事は最もだった。

 

「謝る事はないわ。貴女の言ったことは紛れもない本心なんでしょう? 四天王とまで謳われる鬼に対してこういうのも何だけど、適当に取り繕って話されるよりはマシだわ。

 ほら、盃を出しなさい――――注ぎ直してあげるから」

 

「――――はいよ。

 ……アンタは、やっぱり変わらないね。昔からそうだった。私もあんたも異端児と言われているけれど、私はあくまで鬼の中の異端児と言われていた。だけど、アンタはそもそもが鬼らしくないという事で『異端児』と呼ばれていた。唯一、私や他の鬼と共通している事があると言えば――――酒好きと嘘嫌いな所くらいだった」

 

「……そして、その酒好きの趣向も他の鬼たちとは合わなかったわ。私はあんなうるさくどんちゃん騒ぎしながら飲みまくるのは御免よ。こうしてゆっくりと、静かに酔い浸った方が好みね」

 

「おまけに度が強い酒は苦手と来たもんだ。初めてアンタを見たときは本当に私と同じ鬼かと疑ったくらいだった。だけど、アンタとこうして酒を飲んでいる内に、こういう飲み方も悪くないとは思ったよ」

 

「それは何よりだわ」

 

 萃香の悟ったような言葉に微笑みで返し、紅葉は再び盃を手に取り、酒を少量、口に流し込んだ。

 同時に、萃香も盃を口にゴクゴクと豪快に流し込んだ。

 そんな2人の様子は、遠くからみればさぞかし対照的に映るだろう。

 

「まあ、アンタを誘ったのは他にも話しておくべき事があるからなんだ。さっきのは私の私情に過ぎないからね。いや、鬼たちの気持ちを代弁していたようなモノではあるけどさ……」

 

「何かしら?」

 

 先程まで口に付けていた筈の盃を地面に置き、萃香は上半身を乗り出す姿勢で紅葉に話しかけた。

 萃香はよほどの事がなければ酒を手から離すことはない。

 顔は相変わらず陽気に笑っているが、眼が真剣そのものだったので、紅葉も盃を地面に置き、萃香を見た。

 

「我ら鬼は闘争、勝負事こそが全てだ。いや、もう本能とすら言っていい。そしてその勝負事の相手はもちろん人間だ。人間は強い。例え我らと力の差があってもそれを乗り越えて強くなってくる。

 ……だが、最近のやつらはそんな事はなくなった。鬼と聞いただけで震え上がり、逃げ出すものばかり。……鬼に真正面から挑むモノはいなくなり、ただ鬼を策謀へ嵌める卑怯者だけが勇気あるものとしてみなされるばかりの世の中になくなりつつある。そうなってしまえば我らがもう、ここ(現世)にいる意味などない。我らの望む修羅場など存在しないのだから……」

 

「……」

 

「そこで異界に、私たちの新しい修羅場を求めて移住しようという鬼たちが増えている。既に何人かの鬼たちはもう異界へ潜っている。……まあ、一部の者はまだ人間の可能性を否定しきれないのか、残る所存の奴らも多少いる。……だけどソレも少数派だ。我らはここから次々とその姿を消していくだろうさ、これからもな。

 ――――紅葉、アンタはどうする気だい? アンタは他の連中とは気が合わないし、積極的に闘争を求めるような性格でもないけどさ。こんな所に居ても、もっとつまらなくなるばかりだと私は思うんだけど……」

 

 アンタはどっちを選ぶんだい、と聞いてくる萃香。

 ……紅葉はその言葉に何を感じたのか、口元に浮かべていた笑みをなくし、少し寂しそうな表情で俯いた。

 彼女の心情がどんなであるかは、それは萃香であっても察する所ではない。

 

「――――さっき、何故私がこんなにも平然と美味しそうに酒を飲んでいるかって聞いたわね……」

 

「……?」

 

「貴女の言うとおり、私はヒトの鬼の絆とかそういうのは心底どうでもいいわ。……もちろん、思う所がないという訳ではないのだけれど。今まで私を一篇たりとも理解してくれなかった奴らの絆なんて知ったことではなかった。

 ……つい、最近まではね」

 

「……紅葉」

 

 紅葉の少し暗そうな表情に、萃香もまた表情を少し曇らせた。

 思えば、異端児というただ一つの共通点で、唯一紅葉と接点を持った同族が萃香だった。

 それに紅葉も、萃香も、それに何も感じぬ筈がない。

 

「だけど最近、その鬼とヒトの絆というものが、少しだけわかった気がするのよ。だから、私はここに留まり続けるわ」

 

「――――ハ?」

 

 その言葉に、萃香は耳を疑った。

 ――――あの闘争を積極的に好まない紅葉が?

 ――――あれほどまでに、同族達から遠ざかっていた紅葉が?

 ――――あれほどまでに、他人と関わることを避けていた紅葉が?

 鬼とヒトの絆を少し理解した程度で、ここに留まる選択をするのかと聞かれれば、大抵の鬼は否だ。

 理解した所で、ソレが崩れ去っているというのであれば、ここに留まる意味などないのではないか?

 いや待て。

 もしソレを理解して、ここに留まる意味もあるのだとしたら。

 

「あんた。面白い人間でも見つけたのかい?」

 

「……ええ、そうよ。強くて、不器用で、そして――――唯一、『私』を見てくれる人」

 

 内心興奮して身を乗り出しながら聞く萃香に、紅葉は愉快げに、優雅に笑いながら答えた。

 紅葉がこんな笑い方をするのを、萃香は見たことがなかった。

 

「さっきも言ったけど、どうでもよくはあるけれど、別に思う所がない訳ではないの。それだけなら確かに、酒は不味くなったかもしれないわ。現に貴女は不味そうだったし……。

 だけど、その不味さを埋めてくれる余りあるヒトが私にいるとしたら、貴女はどう思う?」

 

「おいおい、自分だけ歓酒に浸っていたのかい。こっちは自棄酒だっていうのに、随分といいご身分じゃないか」

 

 コイツこんないい性格していたのか、と思いながら萃香は半目で、静かに興奮している紅葉を睨んだ。

 通りで自分と違って美味そうに酒を飲んでいた訳だ。

 だが――――。

 

「だけど紅葉。その人間から離れた方がいい。いや、そもそも人間と勝負をするべきじゃないんだ。そのまま付き合っていたら、アンタもいずれ勇儀の二の舞になるよ?」

 

「――――何も知らない分際で彼を語らないでくれないかしら?」

 

 ――――その冷たく、凍りつくような声音に、萃香は押し黙ってしまった。

 紅葉は鬼の四天王ではない。

 ソレに匹敵するかもしれない力はあるが、それでも呼ばれるに至るほどの力はあるかどうかは疑わしい。

 純粋な腕力や力では、勇儀や萃香にも劣る筈の紅葉が、迫力だけで萃香を黙らせた。

 

「初めて彼と会ったのは、十年前だったわ。当時、人間たちはまだ私の性格をそんなに理解していなかったから、他の鬼から孤立し、闘争を好まない私に遠慮なく退治しにかかってきた……大勢でね」

 

「……」

 

「この時、私は今まで以上にこの世を恨んだわ。同族である鬼たちも、人間たちも、誰も私を理解してくれないと、そんな憤りと虚しさが空回りしていた。私は視界にいれた人間達を殺す一歩手前の所まで『奪って』やったわ。退治屋たちは私の前に為すすべもなく倒れた。……その中には、彼もいた」

 

 萃香は押し黙ったまま、紅葉の話を聞き続けた。

 

「その時、私は彼に見向きもしなかった。当たり前よね、あの中にいた人間の一人が、私をここまで変えてしまうなんて、思いもしなかったから。

 それから数年後、彼は私の前に再び立ち下がってきた。あの一件でもう懲りたと思っていたのに、彼だけがまた立ちふさがっていのよ。

 闘争を好まない私は、また奪ってやった。だけど、彼もあの時より随分と腕を上げていて、一筋縄に奪うことはできなかった。それでも私は彼を地に伏せさせ、見下してやったわ」

 

 段々と憎々しい顔つきなりながら語りゆく紅葉。

 だけど、その表情は急に静まり、一転してまた穏やかになり、語り続けた。

 

「――――だけど、私は気付いたのよ。彼が私に向けている視線は、憎しみでも、怒りでもなかった。まるで一つの事しか――――純粋に私の事しか見えていないような純粋な輝きを宿して私を見ていた。

 それに気付いて苛立った私は彼に怒鳴りつけたわ。何故自分を憎まない。……私を一篇たりとも理解していない貴方が、何故私をそんな目でみるのかって……」

 

「紅葉、アンタ――――」

 

「彼は答えたわ。あの一件、私に叩きのめされた退魔師の集団の中に、自分もいたという事を、私の能力の前に次々と倒れふしていった中で、彼だけが僅かに意識があったみたい。

 彼は、こう言ったわ――――確かに、仲間を次々と奪ってゆく貴女を心底恨んだりした。だけど、そのおぼろげの意識の中で、自分は見た。貴女が寂しそうな表情をしているのをって」

 

「――――ッッ!!?」

 

「その言葉を否定しようとして、私はふと黙ってしまったわ。あの時、自分はどんな表情をしていたのかって。そして確かに、寂しそうな顔をしていかもしれないと、この時ハッキリ自覚した。

 彼は言った――――あの時から貴女の事しか考えられなくなっていた。だから自分は強くなろうとした。貴女と対等に向き合える力を手にするためにって」

 

 その事実に、萃香は内心驚愕した。

 ――――まだ、そんな人間が残っていたのかと。

 ――――まだ、そんな面白いヤツが残っていたのかと。

 ――――そして、その人間が、闘争を好まなかった筈の紅葉の宿敵だと。

 

「結局、あの後、彼の言葉に何も言えなくなった私はあのまま彼を気絶させたわ。

 ……だけど、彼は何度も私の前に立ちふさがってきた。鬼としての私ではなく、『遠野紅葉』という私を見る純粋な目で、私に挑んできた。その度に、少しずつだけど彼は強くなっていて、私も段々と隠し事をする余裕がなくなってきたの」

 

「……」

 

「そして、ある時、気付いてしまったわ」

 

 紅葉という鬼女は、一層笑みを濃くした。

 いつの間にか黒であった筈の長髪は、鬼のような紅に染まり、ソレが彼女の興奮を十二分に表していた。

 

「――――彼と一緒に奪い合える時間が、楽しいって。

今まで一方的に奪う事しかできなかった私。その行為はとてもツマラナイ事なのに、奪い合う行為がこんなにもタノシイだなんて思わなかった……っ!

 奪った『彼』は私の中に入ってきて、奪われた『私』は彼の中へと入ってゆく。そう思うと、これ以上にないくらい、興奮してくるの。いえ、もう『心』の方は既にお互い完全に奪われているのかもしれないわ……私も、彼も」

 

 それは果たして、今まで闘争を好んでこなかった紅葉であっただろうか。

 今まで、ヒトは愚か同族も避け、一人でいる事を望んでいた鬼女であっただろうか。

 いや、萃香は知っていた……他者から理解されず、他とは馬が合わなかった彼女は――――本当は、寂しがっていたのだと。

 今まで自分を理解してくれる、自分を見てくれる者がいなかったのに、突如その存在が現れたその時から、彼女は壊れたのだ。

 だが、その愛情を真っ当な方法で受け取る術を知らなかった彼女は、こうして彼と闘争を繰り広げている。

 結局、どんな異端児と蔑まされようと――――彼女もまた、『鬼』である事に変わりはないのだ。

 

「――――あら、もうこんな刻ね。行かなくちゃ……」

 

 ふと、月の位置を確認し、スッと優雅に立ち上がった紅葉は、萃香へと背を向けた。

 

「――――何処へ行くんだい?」

 

 聞くまでもないと分かっても、萃香はあえて紅葉に聞いた。

 紅葉は、まるで先にある遊戯に今か今かと待つような子供のような様子で、静かに興奮いした笑いで答えた。

 

「決まっているでしょう? 彼との約束の時間――――月が昇り切る手前の刻で、草原にて待ち合わせをしましょうってね♪」

 

 紅葉は一度、萃香に振り向き、お酒美味しかったわ、ありがとう、と一言言って暗闇の中に消えていった。

 その消えゆく背中は二度と萃香に振り返る事なく、これが彼女と萃香の最後の邂逅となった。

 

「ヒトと鬼の絆を少しは理解できたような気がする、か――――。残念だけど紅葉、ソレは私達が思ってきたようなヒトと鬼の絆ではないよ。

 アンタとその人間の関係はそんな絆じゃなくて」

 

 

 

 

 

 

 ――――歪んだ愛情と言うんだよ。

 

 

 

 

 

 

 月明かりの元で囁かれた萃香の一言は、暗闇に消えた背中には聞こえていなかった。

 

 

     ◇

 

 

 その後、紅葉はその人間と相打ちになって、互いに命を落としたらしい。

 その人間の想いは彼女には届ききれていなかったが、ある意味ではもう既に届いていた。

 自分を見てくれた、理解しようとしてくれたヒトに、奪い、奪われながら、一緒に死ねるというのは――――ずっと孤独で寂しい思いをしていた彼女にとっては、幸せな最後だったかもしれない。

 結末を聞いて知った私はこの事実を異界に潜った仲間たちに伝えようと思って――――やめた。

 最後まで彼女を理解しなかった同族たちにこの事を伝えたって、彼女は決して喜ばないだろうと思ったからだ。

 誰にも見られず、たった二人きりで逝けたという幸福に彼女は満足しただろうから。

 

 結局、私はあの後、他の鬼たちと同様、異界に潜るという選択肢を――――取ったかと言われれば微妙だった。

 確かに異界には潜った。

 そこは嫌われ者が集う場所で、鬼がその腕力を振るうには最適な場所だったが、そこに彼女の姿はない。

 もし私が、彼女を完全に理解し、彼女と同じ趣向を持って、酒にいつも誘っていたのなら、彼女はまた別の形の幸せを得られたかもしれないと、ふと思いながらその異界で過ごした。

 だけど、その異界にも何故か満足できなかった私は地上を回り、時には異界に帰ったりを繰り返した。

 ――――謂わば、流れ者という奴だ。

 鬼が人間を見限ってゆく中で、最後の最後に闘争を好まなかった筈の彼女が、鬼らしいとも、そうとも言えぬ幸福を手にして死んでいったのだ。

 ソレは、真っ当な鬼としての幸せはなく、紛れもなく彼女自身の幸せだった。

 彼女を完全に理解しきれていなかった私は、その幸福が何なのかを知るために流れ者になったのかもしれない。

 ――――そして、その幸福を、少しだけ理解する事ができた日が来ようとは思いもしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――あの殺人鬼に、出会うまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回、主役のヒーローヒロインの出番はなし。
萃香の回想が主でした。

Q.紅葉って誰よ?
A.本名は遠野 紅葉。
 月姫読本に、「昔、遠野には紅葉という鬼女がいた」との記述があったので、半オリキャラ化して登場させてみた。
 遠野の直接の祖ではないが、月姫の遠野秋葉の起源は彼女あたりにあるのかもしれないとの事。

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