双夜譚月姫   作:ナスの森

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警告:萃香ファンは即座にブラウザをバックするように。ハッキリ言って霊夢の時よりひどいかも……。


第十九夜 キャラ崩壊とその経緯・後

 ザ、ザ、と歩み寄ってくる足。

 暗殺者であれば、本来足音すら立てずに獲物に歩み寄るものだが、それでも七夜は足音を立てて桜に歩み寄った。

 いや、足音を立てざるを得なかった。

 彼も萃香ほどではないとはいえ、重傷を負っている。

 その状態ではいくら幼いとは言え烏天狗たる桜に勝てる道理などある筈もない。

 ……それでも、桜はその足音が自分が死ぬまでカウントダウンにしか聞こえなかった。

 鬼との戦いで重傷――――というよりは霊夢と殺し合った時の傷が開いただけだが――――を負い、それでも七夜は桜に殺意を込めて歩み寄ってくる。

 萃香はもはや“殺された”のも同然の体であるために、鬼の威圧や迫力を失ってしまったが、七夜はまだ肉体の性能が大幅に低下して尚、その殺人鬼としての性が剥がれることがなかった。

 文字通り、“死”が、桜に歩み寄ってくる。

 

「――――ッ」

 

 七夜が3歩進んだ後、桜はようやく半歩下がる。

 そして、ふと、後ろに倒れている小さき鬼をチラ、と振り返る。

 ……そこには、かつて自分たちの社会を恐怖で支配した鬼の一角が倒れている。

 ――――逃げたい。

 元々、桜は臆病な性格である。

 状況的には有利であるのにも関わらず、七夜から漏れる静かな殺気だけでこの体たらくである。

 ――――だが、それでも……。

 逃げられない。いや、逃げる事は許されない。

 確かに烏天狗の速度をもってしてなら、この場から逃げることなど容易い――――が、ここで逃げてしまえば、自分が初めて慕ったであろう人間が、この鬼を殺してしまうだろうから。

 だから……

 

「――――行きます」

 

 突如、桜の目付きが変わる。

 ……姿勢を低くする。

 上半身を前に突き出し、両手を後ろへ真っ直ぐ引く。

 全体的に横向きにする事で空気抵抗を減らし、地面と平行する姿勢で漆黒の翼を広げ、低空を飛んだ。

 七夜の誇る最高速の数倍はあろう速度を持って、七夜の胴体に向かって一直線に突っ込む。

 ……が、七夜は身体を逸らし、躱す。

 動きを先読みして、躱した。

 瞬間、七夜の横を細く鋭く凄まじい風が通り過ぎ、烏天狗たる彼女の速さを物語る。

 

「っつつ……」

 

 七夜は全身の傷から出る流血に痛みを感じながら、自身の横切る風だけを感じ取った。

 ――――第二撃、上方向斜め前から一直線に風が突っ込んでくる……が、頭を逸らし回避。

 それだけの動作であるにも関わらず、全身に痛みが走り、ソレが七夜を蝕む。

 力そのものは先程の鬼と比べるべくもないが、持ち前の速さで必然と彼女の当身の威力は高くなる。

 もはや人の眼に映る速さではなく、横切る風だけが七夜にその危機を知らしめる。頼れるのは一寸先の先読みのみ。

 回りの竹々は先程の鬼が弾幕で根こそぎ持っていてしまったため、七夜の体術の真骨頂である立体的な戦闘術も使用不可。

 加えてコチラの体は立っているのもやっと。

 七夜の技もあと一回しか行使するのが限度。

 戦況は圧倒的に絶望的。

 ――――だが……

 

「――――!」

 

 七夜は虚空に向かってナイフを振るう。

 位置は自分の左の足元。

 あまりに無意味、無謀の刃。何のために振るわれたのか分からぬと思われたナイフは、確かに、何かを切り裂いた。

 

「――――え?」

 

 咄嗟に聞こえる、間の抜けたような声。

 ナイフを振るった虚空の位置には、僅かに切り裂かれた羽から舞い出た十数枚の羽。

 それが何を意味するのか言うまでもあるまい。

 七夜の先読みが、桜のスピードを上回ったという事実に他ならなかった。

 

「……そんな、どうして?」

 

「言っただろう、“密着取材”だって。口で聞かず、自分の体で理解した方がいいんじゃないのか?」

 

「――――ッ!!?」

 

 七夜の冷たい返答に、桜は口を歪めた。

 ここだけの話ではあるが、七夜はただ単純に桜の動きを先読みしたのではない。七夜が読んだのは桜の動きではなく、“思考”。

 まず、桜から殺気を感じない。……つまり、ソレは己を決して殺しには来ないという事だ。

 それだけでも、桜の動きは必然と変わってくる。七夜を殺しに来るのではなく、あくまで七夜の戦力を削ぐために動く。

 速度こそは手加減していないだろうが、七夜の戦力を削ぐのに一番身近になりうる方法があった。

 ……先程、七夜が投げ捨てたナイフだ。

 七夜の戦力を削ぐであれば、まず彼の足元の地面に刺さってあるナイフを回収しつつ、攻撃すれば一石二鳥の意味で戦力を削ぐ事になる。

 確かに、一番思いつきやすく、そして効率的な方法ではあったが、それを予想できない七夜ではない。

 だから七夜は桜の動きを予測できた。

 自分の左足元近くの虚空に向かってナイフを振るったのも、丁度自分が投げ捨てたナイフが刺さっている位置だからだ。

 殺し合いにおける頭脳では誰よりも上回る七夜だからこそ、できた芸当である。そうでなかれば、鬼の四天王とまで謳われた伊吹萃香にあそこまでの致命傷を負わすことなど到底叶わない。

 

「なら……これならどうです!?」

 

 しかし、その事実を桜が知ることはない。自分の思考が読まれたのではなく、ただ単純に動きだけを読まれたと勘違いした桜には、それを理解する術などない。

 宣言と共に、桜は動きを変えた。

 

舞符「散り際の水桜」

 

 その水流と散り桜の魅力が合わさったソレは今、体現されようとしていた。

 まず空中に静止したような状態で現れるのは、桜の花びらを模した妖力の塊。まるで散っている桜がそのまま静止したかのよう。

 

「……ほう」

 

 七夜は、一瞬だけ感心したような笑みを浮かべる。

 これは中々に幻想的だ、と。

 だが散る時こそが美しい筈の桜の花びらを態々静止させるのは頂けないな。桜は散る瞬間が美しいのではない。

その一瞬に映る、散る様こそが美しいというのに。

 そう嘲笑うかのように、七夜の周囲に現れた桜の花びらのみ、自分のナイフの届く範囲で死をなぞっていった。

 ……そんな、七夜の失望を打ち破るかのようにソレは体現される。

 そんな桜の花びら達を覆い隠すように、青い半透明の大きめの弾幕が姿を現す。ソレが横向きに川のように流れて桜状の弾幕を運ぶようにして七夜に襲いかかる。

 更には横向きから徐々に縦向き、そして180°回転するようにして流れが逆向きになってゆく。そしてまた流れが元の向きに戻ってゆく。

 それはまるで桜の花びらを運ぶ水流のようではないか。

 ……ああ、なんて風情があって、幻想的なのだろうか。

 博麗の巫女の弾幕も幻想的で派手な美しさがあったが、アレはそもそも美しさではなく殺傷力を重視した弾幕であったが故に、その美しさも自然と薄れていた。

 一方、烏天狗・桜の放った弾幕には、派手さではなく風情的な美しさがある。

 美しさという一点においては、後者の方が七夜好みだった。

 故に……。

 

「コチラも魅せないと、失礼だよなあ?」

 

 立つのもやっとの七夜は自身に迫る弾幕を体を僅かに逸らす事で回避し、それでも避けきれないモノは、手元のナイフを振るい、死をなぞり弾幕を消してゆく。

 今の状態ではそれだけが精一杯……だが、むしろ七夜にとってはこの方が都合がいい。

 これほどの疲労が客観的に見ても表れない筈がない、ソレを相手が見てくれれば必然と油断がしてくれるものである。

 ……無論、その相手が殺し合いの心得を知らぬ、真っ当な精神の持ち主であればの話だが。

 ――――チャンスは、一度きり!

 七夜は咄嗟に、ナイフを上へ掲げた。

 ソレは、七夜一族の奥義を放つための構え。

 そして低姿勢でしゃがむと同時にナイフを投擲。

 ナイフは弾丸の如き速さで、七夜の上斜め右方向へ、桜の放った弾幕の死を貫きながら真っ直ぐ飛んでいった。

 

「――――え」

 

 咄嗟に聞こえる声。

 投擲されたナイフが、烏天狗の小さき漆黒の翼を貫いた。

 先程、七夜が弾幕を対処している間にも、桜は七夜の周囲を飛び回っていた。……が、いくら人の眼には映らぬ速度とはいえ、弾幕によって苦戦する七夜の様子をみれば自然と油断ができ、動きに無駄が生じる。

 それに先程とは違い、距離が離れているがゆえに、ほんの僅かではあるが七夜には桜の動きが見えない訳でもなかった。

 弾幕を対処している間に、周囲を注意深く観察していた七夜は、朧げながらも桜の動きを掴み、動きを先読みしてナイフを投擲したのだった。

 

「――――」

 

 翼をナイフで撃ち抜かれ、訳も分からず地へ落ちてゆく桜。

 ……が、これで驚くには些か速すぎた。

 桜は見てしまった。

 自分が地面に落ちる寸前、自身の弾幕と地面の間――――大凡ちゃぶ台よりも少し低めの高さの隙間から、這い出る蜘蛛の姿を。

 到底信じられぬ光景だった。

 二本足の人間が、四足を付き、ちゃぶ台よりも低い低姿勢で、獣の如き速さで移動するなど。

 ……その奇怪かつ奇跡的な動きに、度肝を抜かれぬ筈がなかった。

 距離は七メートル。

 そのくらいまで縮んだ途端、蜘蛛は瞬時に猛獣へと姿を変えた。

 両足をバネに前方へ跳躍、低空を平行するように跳び、地面に落ちた桜の身体にそのまま乗りかかった。

 

「――――あ」

 

 先程の一戦で状況は確実に自分の方が有利であったと思っていた彼女は、それをあっけなく覆された状況を把握できず、言葉さえも失った。

 翼で羽ばたこうにも、片翼に風穴を開けられたせいで風をうまく起こせず、四肢は七夜の手足に拘束され、身動きが取れない。

 そして、七夜の左手に握られているのは――――

 

「や、やめ、て――――」

 

 ナイフ。

 得物を投擲した事によって武器を失ったと思われた七夜であったが、地面に刺し立ててあった――――先程桜が回収し損ねた彼のもう一本のナイフが握られていた。

 月光を反射して輝くソレを目の当たりにした桜は、怯えるような掠れた声で、命乞いをする。

 だが、七夜はそんな言葉に興味などない。

 七夜はナイフをそのまま突き下ろし。

 

 いつかと、何か、似ていた。

 

「――――え?」

 

 驚きの声は桜と、七夜自身の物だった。

 七夜は――――桜の喉元まで迫っていったナイフを、ピタリと止めてしまった。

 

「な…………」

 

 訳も分からず、七夜はナイフを握った左手に力を込める。

 ……が、ナイフは桜の喉元を突きつけるに留まり、その一線を越える事は決してなかった。

 何故だ、と脳表で呟く七夜。

 獲物に情けでもかけたか、蜘蛛よ?――――否、そんな事は有り得ない。

 〈七夜〉は百代にも渡って魔を殺すための技を鍛え上げてきた一族、その血族の鎖ゆえ、体は今にも目の前の彼女を殺したいと騒いでいる。

 いや、そんな事は関係なしに、自分はそもそも“殺人鬼”だ。

 獲物を眼前にして手を止める道理などどこにある?

 

 道理――――あの時と、どこか、似ていたから。

 

「――――?」

 

 瞬間、七夜の脳表に、ある光景が映った。

 ソレは覚えのない、しかし途轍もなく懐かしい光景だった。

 ……血濡れの、路地裏だった。

 無残にバラバラにされた死体が、まるでボロ雑巾のように転っている。

 そんな無惨な惨状の奥で、二つの人影があった。

 一人は、男。

 ……紅い単衣ではなく、シャツの上に青いジャケットを羽織った青年。

 もう一人は、女性。

 ……首元まで伸びた金髪のショートヘアー、赤い眼をした美女。白いハイネックに紫のスカート、黒いパンストにハイヒール。

 そんなのは問題でない。

 問題なのは、自分が金髪の女性にやっている行為。

 

“いっ……や、ふざけ――――”

 

 嫌がる女性。

 そんな女性に構わず、青年は女性の衣服をずらしてゆく。

 

“落ち着いて! ソレは貴方の意思では――――”

 

 女性は男性に話しかける。

 ……が、男性はソレを意にも介さない。

 ただ彼女の■■が、欲しかった。

 ――――涙も唾液も。

 ――――罪も罰も。

 ――――血も肉も。

 ――――欲望も焦燥も。

 彼女の全てを、奪いたかった。

 

“……ッッ!!”

 

 言葉にならぬ喘ぎ声を出す女性。

 その喘ぎ声を聞いた青年はある事実に興奮、高揚した。

 ――――あれほど強靭な命が、いまやこの腕一本すら解けずに、自分の思うままになっているという事に……。

 女性の体を犯しゆく青年。

 ――――殺しても殺し足りない程、コイツは……。

 

“――――あ、……ん”

 

 喘ぎ声をあげる金髪の女性。

 だが、それでも男性に必死に呼びかける。

 

“……ぅや……めて。■■は、私の……事が好きじゃない……のに……”

 

“――――ウルサイ”

 

 しかし、そんな女性の声すら目障りであるかのように、青年は女性の喉元を押さえつける。

 ――――勝手に囀るな。

 ――――その音色すらすら俺のモノだ!!

 

“……っ!!”

 

 苦しそうに、青年の腕を振り解こうとする女性。

 しかし、体にうまく力が入らないのか、それすらもままならなかった。

 ――――そんな女性の瞳から流れる、一筋の涙に、青年は何故かそれから眼が離せなかった。

 女性は、泣いていた。

 

「何だ……これ、は――――」

 

 脳裏に走るその光景に、七夜はただ疑問の声を上げた。

 ……ズキ、と頭が痛んだ。

 まるで何かを掘り起こされるような錯覚。同時に感じる嫌悪感。

 覚えのない光景なのに、何故か懐かしく、嫌悪の刺すあの路地裏での出来事。

 ――――その女性の泣き顔が、何故か、頭から離れなかった。

 

「な、な、や、さ、ん……」

 

 ふと聞こえた声に、七夜は意識をソチラへ戻される。

 ――――泣いていた。

 ヒトより、遥かに超越した種である筈の烏天狗が、殺人鬼を前にして、泣いていた。

 その状況と、泣き顔が、あの日の彼女と重なって。

 

「――――下らない」

 

 吐き捨てるように、呟く七夜。

 まるで自分じゃない自分がいるような錯覚を、めざましきものと捉えた七夜は、心の中でソレを一切に切り捨てた。

 手を止める道理などない。

 獲物はもう眼前にあるのだから、一気に殺ってしまえばいい。

 先程見た覚えのない光景はきっと、ほんの気違いで見た幻に違いない。

 そう結論づけて、七夜は桜に突き付けたナイフを、そのまま喉元に押し込もうとして……。

 

「――――っ!!?」

 

 桜の顔に、血液が飛び散った。

 ソレが何を意味するのかは言うまでもなかった。

 七夜のナイフが、桜の喉元を突き刺し――――……アレ?

 

(私――――生きて、る……?)

 

 いつまでも自分の意識が途切れない事に違和感を覚えた桜。

 ……手足を動かしてみる。

 自分の手足を拘束していた七夜の力が弱まっていたのか、すぐに解けた。

 ……そして、自分の顔に飛び散った返り血が、自分のモノでないと気付いたとき、桜は咄嗟に七夜の方へ顔を向けた。

 

「……ちっ」

 

「七夜、さん?」

 

 七夜の体から、多量の血が流れ始めた。

 今までは開いた傷口から少量がにじみ出ているだけであったが、七夜の体術を限界まで酷使した反動で、体にガタが来てしまった。

 いや、ガタが来た程度ならまだ可愛いものだったかもしれない。

 元々ガタが来ている状態で尚、あの動きをやってのけたのだから、いい加減限界の限界まで来てしまうだろう。

 

「やれ、やれ……ちと、はしゃぎ……過ぎた……、か」

 

 途切れ途切れの声で呟く七夜。

 左手にはもうナイフを握る力は残ってなく、右手もまた同様だ。

 手放されたナイフの刃先は桜の喉元へ突き立てられるが、この至近距離からの落下力で妖怪の喉元を貫ける筈もなく、ナイフはカランと、桜の顔面のすぐ横の地面に横たわった。

 同時に、七夜の体もまた、己を支える力すらなくなったのか、まるで燃え尽きたかのように桜の横にそのまま横たわってしまった。

 

「……ったく、極……上の、獲物……を……用意して……くれた、かと……思えば……次々と……邪魔が……ハ……ハ……、浮世ってのは……存外、意地が……悪い、な……ぁ……」

 

「な、ナナヤ、さん!!」

 

 もはや体液を出すことしか出来ぬ蜘蛛と化した七夜に、桜は慌てて彼の名を呼ぶ。

 片翼の風穴から来る痛みを我慢しながら、己よりも遥かに重傷の男に呼びかけた。

 

「七夜さん。どうして、どうして――――!!」

 

 私を殺さなかったのですか、と桜は泣きながら七夜に問う。

 確実に、自分を殺せた筈なのに、それでもソレをしなかった殺人鬼に、桜は問いかける。

 ――――戯け。

 ――――そんなのはこっちが聞きたいくらいだ。

 心の中でそんな悪態を付いた七夜は、途切れ途切れの声音で、ゆっくりと。

 

「かん……ちがい、する……な……、メイド長……との……約束、を……思い出した……だけ……だ…………」

 

 自分でも答えの分からぬその疑問に、七夜は適当に思いついた理由で誤魔化した。

 ――――まったく、今夜はなんて厄日だ。

 心の中で、せめて愚痴る七夜。

 せっかく極上の獲物をバラす寸前までいったのに、直前で邪魔され、その邪魔者を殺そうとしたら今度は訳の分からぬナニカに阻まれる始末。

 己の不手際で招いた結果だったとしても、今回ばかりは自分の境遇を呪わざるを得ない。

 ――――人でなしに相応しい未練にしても、こればかりは頂けんよなあ……。

 そんな悪態を最後に、七夜の意識は途切れた。

 

 

     ◇

 

 

 あの後、どうなったかと言えば、結果的には誰にも死なずに済んだ(七夜に殺し合いを仕掛けた鬼に関してはまだ分からないが)

 急いで現場へ到着した咲夜と鈴仙がそこで見たのは、意識を失った鬼の伊吹萃香と、片翼に大怪我を負った桜と――――全身から血を出し、無様に倒れふしていた七夜の姿だった。

 唯一、意識のあった桜は、自分が何をすればいいのか分からずただ泣いていて、到着した私たちを見た途端、彼女は咲夜たちに縋ってきた。

 自分はどうしたらいい。

 自分はどうすればよかったのだと、泣きながら縋ってきた。

 ただ、それ以上に我を失ってしまったのは多分、咲夜であっただろう。

 動かぬ有象と化した鬼と、片翼に風穴を開けられた桜。

 おそらく皆七夜の手によって負わされたものだ。

 そして、当の七夜は全身にあった霊夢との殺し合いで負った傷口が開いてしまい、更には伊吹萃香の時に殺し合った分も相まって、結果的にまた最大の加害者にして最大の被害者となった。

 ……憤りと安心を覚えた。

 自分との約束を破ったが、何とか最後の一線を超えずに踏みとどまった七夜に対する怒りと安堵。

 そして、七夜が死なずに済んだことに対する安堵。

 そして、そんな七夜を二度も止められなかった私。

 そんな複雑な感情が絡むに絡み合って、自分でもこの気持ちをどうすればいいのか分からなかった。

 ……だが、それでも眼前にある自分たちのやるべき事まで見えない訳ではない。

 意識不明の状態だった七夜と萃香。

 桜も烏天狗の命たる翼をやられていたため、空での機動力を活かせず、手間を三度かけなければならぬ状況だった。

 しかし、空いている手数は咲夜と鈴仙の2人のみ。

 とりあえずは最も命の危険性の高い七夜と萃香を永遠亭まで運ぼうという結論に至り、咲夜は七夜を、鈴仙は萃香を担ごうとした時、思わぬ助っ人が現れてくれた。

 永遠亭のかぐや姫――――蓬莱山輝夜。

 輝夜曰く、迷いの竹林のホームレス――――藤原妹紅。

 騒ぎに感づき駆けつけてくれた2人のおかげで、無事全員を永遠亭へ運ぶことができたのだ。

 ちなみに妹紅だけ手数あまりであったため、桜が落とした買い物袋を持ってもらった。

 そして今、私たちは永遠亭の病室にて、ベッドの上で意識を失ったまま眠っている伊吹萃香の容態を看ていた。

 ……永琳の診療で。

 

「……どうなのよ、永琳。見かけでは傷なんて一つもないけれど、貴方がそこまで深刻な顔をするようでは、そう気楽にはしていられないわ」

 

「気楽にすること自体どうかと思いますが、姫様? そもそも普段引き篭もりニートである筈の姫様が外に出ること自体が不思議なのですが……」

 

「ひどい言い草ね。……否定はしないけれど。妹紅を誘って部屋でテレビゲームをしていたのだけれど、中々勝負が付かなくて、勝ち越せなかったのよ。だからタイマンで決着を付けようという事で外に出たのだけれど、途中で凄い音が聞こえたから面白そうだと思ってそこへ向かったのよ。

 そうしたらそこの鬼と、あの吸血鬼の所の執事が倒れていた訳」

 

「動機が凄まじく不純で情けないですが、まあ姫様が外に出ただけでも良しとしましょう。……今問題なのは、ソコではないですから」

 

 呆れた眼で、己の主である輝夜たちを見る永琳。

 その視線は妹紅にも向けられており、ソレに気付いた妹紅は慌てて輝夜の方を指差し、弁解し始めた。

 

「わ、私は違うからな? ちゃんと深刻な問題だと思って慌てて駆けつけたんだから、コイツと一緒にされては困るぞ?」

 

「人を指差してコイツはないでしょう、竹林の年中もやしホームレスさん?」

 

「お前にだけは言われたくないな、永遠亭の年中だらけニートさん?」

 

「ふ、2人とも、落ち着いて……」

 

 いがみ合う妹紅と輝夜、そしてソレを諌めるようとする鈴仙。

 ここまでならいつもと何ら変わらない光景であるのだが、だからと言って今この重い空気がどうこうなるわけでもなかった。

 いがみ合う2人を他所に、咲夜はただ一人、永琳に問うた。

 

「それで、どうなのですか? 伊吹萃香の容態は……」

 

「……とりあえず、命の保証だけはするけれど、容態だけを言うのなら絶望的と言ったところかしら」

 

「……絶望的? 見たところ回復はしているようですし、そう見えませんが……」

 

「ええ、確かに。回復はしているわ。回復はね……」

 

 永琳は深刻そうな表情を変えずに、しかし口調は淡々とソレを告げる。

 

「何か含みのある言い方ね。回復しているのならソレで上々じゃない?」

 

 妹紅と取っ組み合いの姿勢を取りながら、永琳に問う輝夜。

 妹紅も輝夜に合わせて同じ疑問を持ちながら、永琳を見つめた。

 

「確かに医者としてならソレで上々なのですが、状況的にはそうも言えません。見てください、コレを――――」

 

 そう言って、永琳は鬼の角に頭に巻かれていた包帯の端を手に持つ。

 角から額にまでにかけて巻かれたソレを手に取り、器用な手つきでそれを外していった。

 ――――?

 この時、この場にいる永琳以外の全員が違和感を感じただろう。

 萃香の角の長さ、形状――――包帯の巻かれていた範囲。

 包帯を外されたソレからは角が見えず、ただ包帯だけが角の形状となるように巻かれていたみたいだった。

 ……そして、本体がようやく下まで取れていった時――――ソレは、現れた。

 

「――――ッ!!?」

 

「ちょ、これって――――」

 

「ど、どういう事だよ!?」

 

「えっと……」

 

 それを見たそれぞれは三者三様。

 咲夜は言葉すら出ないかのように黙り込み、鈴仙は口元を押さえ、妹紅は疑問を口に叫び、輝夜は何を言っていいのか分からないかのような様子だった。

 そんな四人の反応を予想していた永琳は表情を一つ変えず、淡々とその事実を述べる。

 

「見ての通り。鬼の証である筈の角が、手のひらサイズまでに縮小しています。これが何を意味するのか、姫様達なら、分かるでしょう?」

 

 そう、四人が目にしたのは、もはや近視しなかれば見えぬ程に小さくなった萃香の角。

 頭の左右から生えたソレは、本人の頭上から突き出ぬほどまでに小さくなり、鬼の誇りであるソレは失いつつあった。

 

「鬼の証たる角が小さくなり、そしてソレに比例して回復してゆく。つまり――――」

 

「鬼の力と引き換えに、自身の体を治癒している、という事ですか?」

 

 永琳の言葉に続けて、咲夜が萃香の体が回復してゆく訳を答えた。

 ……が、その答えに永琳は若干首を横に振った。

 

「……その認識でも問題はないけれど、“治癒”というには語弊があるわね。正確には“再構成”しているというのが正しいわ。

 そもそもこの鬼の体は、外傷はなんともないけれど、内側にある内蔵のほとんどが殺されていた。脳を除くほとんどの内蔵組織が、一周間以上前に運ばれた貴女の所の執事の脳みそと同じかそれよりひどい状態だったと思っていいわ。

 ここまで内蔵が完璧に死んでしまえば治癒などでは到底追いつかない。そもそも治癒で済むのなら鬼の力までを犠牲にする必要もない。

ほとんど死んでしまった体を蘇生させるために、鬼の力と引き換えに体内構造を再構成させているのよ。

 命は保証できるでしょうけれど――――少なくとも“鬼の四天王としての伊吹萃香”はもう完璧に“殺された”わ」

 

『…………』

 

 その、突きつけられた事実に、一同が黙ってしまった。

 その様子を見た永琳はやがて、ハァ、とため息を付いた。

 ……正直、呆れを通り越して憤っている。

 自分の忠告を受けておきながら、僅か数時間後にそれを清々しいほどに無視してくれたあの殺人鬼に対してもそうだが、何より仇討ちという理由だけで考えなしの行動を取ってくれたこの鬼に対してもだ。

 憤る気持ちは分かる。

 だがあの男は殺してしまう事は少なくとも幻想郷にとっても最善ではないだろうし、何より自身の身に何かあった後の事を考えなかったのだろうか。

 いや、そもそも相手が人間出会ったがゆえに生まれた慢心ゆえなのかもしれないが、それでも考えなしにも程があるのではないだろうか。

 ……そう考えていたら、突如、咲夜が一同から背を向けた。

 

「……すみません。少し、先に失礼させて頂きます」

 

「……」

 

 永琳も、一同も、その背中を見届けた。

 ……やがてドアの所まで辿りついた咲夜はゆっくりとした動作で、ドアの取っ手を掴み、そのままドアを開けて部屋から出てしまった。

 

「……無理もないわね」

 

 項垂れて呟く永琳。

 次々と殺到してくる問題に、頭を痛める永琳だが、こんな事で頭を痛めてはならないと心の中で自分に言い聞かせた。

 一番頭を痛め、心臓に悪い思いをしているのは他でもない、たった今部屋を出て行った銀髪のメイドなのだから……。

 彼女はきっとこれからも、自分の部下の事で頭を悩ませていくだろう。

 ……あのメイドと青年の間に、何があったのかは自分の預かり知らぬ所であるが……。

 

「直死の魔眼、か……」

 

 永琳の呟きは、他の一同には聞こえてなかった。

 

 

     ◇

 

 

 痛む頭と胃を引きずりながら、咲夜はある永遠亭のある部屋を目指していた。

 ……今回の件について頭を悩ましながら。

 七夜とあの鬼の件だけではない。

 ――――あの時、自分の意識に介入してきた謎の声。

 聞き覚えがあった。懐かしみすら感じた。だが覚えていない。

 あの声――――知っているのに、知らない。

 まるで自分の触れていはいけないパンドラの箱に呼びかけるような声。

 そして見せられた――――あの“光景”。

 ……そしてその光景の中心に立っていた、銀髪の幼き少女。その手に握られた血濡れの七ツ夜。

 

「――――ッ!!?」

 

 ズキ、と頭が痛んだ。

 あの光景を見せられ、あそこまで壊れてしまった自分が理解できなかった。

 ――――何故、あそこまで壊れたのか?

 あの光景に覚えがあったからなのか、それとも別の要因があるのか、ソレは彼女にも分からない。

 

「……やめましょう」

 

 途中で、咲夜はその事について考えるのをやめた。

 考える時間は後でいくらだってあるし、今はそれよりも行くべき所がある。

 咲夜は足音を立てず、しかしどこから気怠げな足取りでその部屋へと向かって。

 やがてその部屋の引き戸の所まで着いた咲夜は、ゆっくりとその戸を開けた。

 落ち着いた畳の部屋が目に入った。

 ……そこにいたのは、布団に入って未だ意識を取り戻さぬ七夜と、幼き烏天狗の姿があった。

 

「貴女、こんな所にいたの?」

 

「咲夜、さん?」

 

 部屋に入ってきた咲夜を目にした桜は、ゆっくりと彼女の名を呼んだ。

 その背中から生えた烏の翼の内の片方が、包帯で巻かれており、ソレが咲夜には痛々しく映った。

 

「七夜はまだ目を覚まさないのね」

 

 言いながら、咲夜は桜の横に正座し、桜と同じように目を覚まさぬ七夜を見つめた。

 全身に包帯が巻かれており、まるで銅像のような寝顔をしながら眠っていた。

 

「……あの時」

 

「……?」

 

 咄嗟に口を開いた桜に、咲夜は疑問符を浮かべて耳を傾けた。

 

「あの時、七夜さんが私に取材の約束をしてくれた時、すごく嬉しかったんです。私は臆病で、恥ずかしがり屋だから、とても記者には向かなくて、取材の切り出しが遅くて、いつも呆れられるばかりでした。あの時、人里に買い物に出ていた七夜さんと咲夜さんを追って、七夜さんが一人になった所をチャンスとばかりに取材しました。まだ初対面なのに、怖い人だと思いました。目付きは刃物のように鋭くて、気怠げで暗い雰囲気を漂わせて、爽やかだけどどこか陰のある口調で、今まで見たことのないタイプの人間でした。私は怯えつつも、彼に取材しました。

 彼に抱いた印象もあって、ただでさえ質問の切り出しが遅い私の取材は更に怠いものとなりました。

 ――――ああ、これは呆れられたな。私は心の中でそんな自分を殴りたくなりました。きっといつものように呆れられ、もうお前の取材は受けないと断られると思いました。

 ……けど、彼は違ったんです。落ち込む私の頭にそっと手を置き、あまつさえ再取材の約束をしてくれたんです。

 ……その時、私がどれだけ救われたのか」

 

「……貴女」

 

「だけど、さっき会った七夜さんはまったく別人でした。あんな暖かい手を自分の頭にポンとおいてくれた人が、あんな殺気を放つ人だなんて――――あの鬼さえも打倒しうる卓越した殺人鬼だなんて、信じられませんでした。

 だから、それが許容できなくて、止めたんです。

 案の定、彼は私に襲いかかってきました。決着はあっという間でした。

 スペルカード発動中の私の一瞬の隙を付いて、七夜さんは形成を瞬く間に逆転させて、私は殺されかけました」

 

「……」

 

「だけど、彼は、私を殺しませんでした。

 いくら鬼との戦いで体にガタが来ていたとはいえ、あの距離ならば私を殺す事は充分にできた筈なのに、彼は急にナイフを止めて、少し様子がおかしくなったんです」

 

「……七夜の、様子が?」

 

「はい。よく分からないんですが、まるで私だけが見えない何か阻まれたみたいで。……まるで、ソコには彼ではない彼がいたかのような……」

 

「……」

 

「そして彼は、そこで力尽きて、倒れました。私は泣きながら必死に七夜さんに問いかけました――――何故殺さなかったのかと。

 彼はこう答えました――――メイド長との約束を思い出しただけだって」

 

「――――ッッ!!?」

 

 桜のその言葉を聞いた途端、今まで表情を変えず、ただ黙って桜の話を聞いていた咲夜は初めて驚愕の表情をした。

 メイド長との約束を思い出した――――ソレは、自分との約束のために最後の一線を超えなかったという事。

 たったそれだけの事が、咲夜にどれだけの希望をもたらしたかは、彼女のみぞ知る。

 

「咲夜さん。私は、彼に取材できるのでしょうか? 彼の、殺人鬼としての本性を見てしまった私は、また彼に、いつもの情けない自分を晒し出してしまうのでしょうか?

 せっ……かく、私の取材に……あそこまで、付き合うと……言って、……くれた人に……向き合えるんでしょうか?」

 

 朧げで、今にも泣きそうな声で咲夜に話しける桜。

 その表情は、まるで行き場をなくした子供のようで、それが咲夜には少し哀れに見えてしまった。

 ……だからだろうか。

 咲夜は、あの時七夜が彼女にしたのよ同じように、また桜の頭上にポンと手を置いた。

 

「咲夜、さん?」

 

「大丈夫よ、貴女は強い。七夜を……あの殺人貴を止めようとした貴女は、それだけで彼と向き合う資格があるのだから。

 資格がないのは……むしろ私の方よ」

 

「え……?」

 

 そんな咲夜の言葉に桜はただ呆気に取られたような声を出した。

 ……何故だ?

 一番、彼に近しい筈の彼女が、何故そんな事を言うのか?

 

「私は、止められなかった。あの時も、そして今回も。このバカの凶行を止められなかった。本来、止めるべきなのは私である筈なのに……止めらなかった。

 だけど、貴女は止めた。このバカがやろうとした過ちを、ちゃんと防いでくれた。

 ……貴女は――――十分、この男と向き合える強さがある」

 

「私、が……」

 

「桜、さっきまで気が混乱して言えなかったけれど……七夜を、この馬鹿を止めてくれて――――ありがとう」

 

「――――っ!!?」

 

 それは、本心から出た、感謝の言葉だった。

 その言葉をきいた桜は咄嗟に咲夜の方を向く。

 ……普段、クールな筈の彼女が、自分に……混ざり気のない純粋な笑顔を向けていた。

 そんな彼女の表情に釣られて、桜もまた。

 

「えへへ♪ はい!」

 

 彼女もまた満面の笑顔で返した。

 それは、どこにでもいる子供の無邪気な笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから一日たっての夜、七夜は再び目を覚まし、そして冒頭へ戻る。

 

 

 

 


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