美鈴は花畑の中で倒れていた男を花壇の外まで運び出し、現在――――俗に言う“膝枕”というモノをしている。
運んだ感触で分かった事だが、その無駄のなく適度に筋肉が付いている事から体は相当に鍛えているようだった。
――――紅魔館への侵入者か?
と、疑いもしたが、そもそも先ほどから侵入してくる気配などなかったのでそうではあるまい。
例え彼女の目を盗んで紅魔館に潜入できたとしても、メイド妖精に撃墜されるか、メイド長たる十六夜咲夜にナイフのヤマアラシにされるだけである。
つまり、この青年は突如、紅魔館の庭に現れたと推測した。
そこからこの青年は外来人だと彼女は断定する。
紅い和服に黒いブーツという和洋折衷の出で立ち。和服ならともかく、ブーツのような西洋物の靴を履いている人間などは、人里にはいない。
顔は少し冷たい感じだが、十分美形で通る顔だ。
その寝顔は銅像か、もしくは死人を思わせるようなものだった。
一応、生きている『気』はあるので、生きているのだろうが、他のモノから見れば十分死んでいるようにしか思えない。
そして――――何より気になったのが――――。
紅色の和服の帯の色は青だ。
そしてその帯の後ろ部分にあったのは―――――ナイフだった。
ソレを確認した美鈴はおもむろに青年の帯に差されているナイフを柄から抜いた。
――――両端に金製の金属がつけたれた青色の柄。
――――刀身は六寸ほどあった。
かなりの業物に見えるし、それなりに頑丈に作られているようだが、術式も施されていなければ、概念武装という訳でもなさそうだ。
おそらく体術使いか暗殺者の部類かと美鈴は推測する。
「まあ、とりあえず返しておきますか」
まだ得体のしれないこの青年に、得物を持たせたままにしておくのは門番としてどうかとも思ったが、幻想郷で生活するにあたって護身武器も持たせないのはさすがにどうかと思ったからだ。
いくらスペルカードルールという不殺生決闘法があろうとも、妖怪の闘争心や人間を人を食べようとする欲求を根っから削ぐ事は不可能だ。
ましてやここは人里ほど安全な場所ではないので、この人間の命の為にも今はあえて持たせて置こうと美鈴は思った。
「とりあえず――――目が覚めるを待――――」
目が覚めるのを待とうと言いかけたその時、美鈴は男が眼を覚ました事に気付く。
――――その眼を見て、戦禍が走った。
男の目を見て、美鈴は確信した。
――――まるで研ぎ澄まされた刃物のような……『今すぐにでも目の前の獲物を解体したいと嗤う眼』
人殺しの眼だ、と美鈴は感じ取った。
美鈴も中国拳法の使い手としてそれなりの修羅場は潜っている。接近戦だけなら主たるレミリアとも張り合える自信はある。
自分でもそう自負している。
そんな自分が、あの眼を見て――――戦慄したのだから。
おそらくこの男は、相当な修羅場を潜っているだろうと美鈴は思った。
「……眠い」
眼を開いて間もない男は気怠そうに、そう呟いた。
「……眼、覚めましたか」
男は女性の顔を視界に入れ、認識する。
どうやら自分は膝枕をされていたようだ、と多少の恥を抱いたのは内緒だ。
とりあえず身体を起こし、男は美鈴に顔を向けた。
「ここは……俺がいた所と違うな」
男は呟き、自分の状況を整理した
――――目が覚めてみれば、そこは見知らぬ場所と、見知らぬ女。
――――名前は、思い出せない。
――――記憶は、自分は誇り高き退魔・七夜家の生まれ。その証として淨眼と、そこから派生した直死の魔眼。
名前は思い出せず、記憶のほとんどは抜けている。
……どうなっている、と男は考えたが、長くは思考しなかった。
わからない事は考えるだけ無駄なのだ。
とりあえず、淨眼、直死の魔眼、七夜の体術はちゃんと覚えているみたいだ。後は、日常生活に支障が出ない程度には残っているみたいである。
「……十分」
そう呟き、男は初めて薄ら笑いを浮かべる。
これだけあれば問題ないのだ。
場所はどうあれ、記憶がどうなれ――――自分は『殺す』ことに変わりはないのだから。
腰後ろの帯に差している得物もちゃんとある。……本当にそれだけで彼には十分すぎた。
「あの~~」
「――――ん?」
考え事が終わったのと同時に横から女性らしき声が聞こえたので、何だと、思いながら男は振り返った。
ああ、誰かと思えばさっきまで自分を膝枕してくれた人―――――いや……。
「魔、か……」
七夜一族の人間は人から『外れた』者に対して、理由もなしに殺害衝動が湧く――――俗に言う『退魔衝動』というモノである。
別に――――『退魔衝動』そのものは七夜家の特権ではなく、近くにいるものを人か魔かを判別するために、他の退魔の家にも微量の退魔衝動がある。
しかし、七夜家の人間はソレを本能レベルまで奥底にソレが刻み込まれおり、本来「人」か「魔」を識別するだけのモノが、積極的に魔を狩ろうとする体質になってしまう。
それは衝動という域を超えて“呪い”と言っても過言ではなかろう。
――――まあ、ソレに負けて理性を失くす程、彼の精神が弱くないのは不幸中の幸いと言った所か。
彼の目の前にいる女性はその魔の類であるのだと、彼は己の内に抱える退魔衝動でそう感じ取った。
「(すぐ殺しにかかりたいが、まだ状況がいまいち掴めん。とりあえずはこの女から情報だけでも引き出しておくか……)
ええっと……あんたが俺を看護してくれたのかな?」
男はとりあえず殺しにかかりたい衝動を抑え、目の前の女性に問うた。……まあ、彼としては最低限できる友好的な接し方である。
「はいっ!! 私の名前は紅美鈴と言います。美鈴って呼んでくださいね。『美鈴』って……」
やたら『美鈴』という自分の名前を強調してくるのは何でだろうか……。
その思考を男は一秒たらずで破棄した。
―――――所詮は他人事。そんな事など瑣末事に過ぎないのだから。
まあ、とりあえずわざわざ向こうから名乗り出たとあらば、こちらも名乗らなければ礼節に反するというものだが、如何せん名前が思い出せない。
――――何か適当に名乗る事にしよう。
「……七夜」
とりあえず名前が思い出せないので男――――七夜は苗字だけ名乗っておく事にした。七夜一族の人間である事には違いないので、間違ってはいない筈である。
「――――え?」
「七夜。俺の名だ。それ以上でもなければそれ以下でもない」
本来、下の名前でないのにも関わらず、まるで昔からこういう名前だと言わんばかりであるが、彼にとっては己の名前なども瑣末事であるのかもしれない。
「――――ふむ……、分かりました。七夜さんですね」
美鈴と名乗った女性は、七夜から名前を聞けた事に満足をし、笑顔を向ける。
その可愛らしい笑顔は、男性であるのなら、ほぼ百パーセントの確立で胸を打たれるだろう。
「――――さて、自己紹介が終わった所で……」
……相手が七夜でなければ。
「ここはどこだ? 俺がいた所とは違うようだが……」
記憶は戻っていないが、なんとなく空気で今自分がいる場所は今まで自分がいた場所とは別であると認識できる。
そもそも空気に異常に清潔で、しかしそれでありながら尋常ならざるナニカが漂っているような気もする事から、そもそも異世界なのではないかと錯覚してしまうくらいに……。
そんな七夜の疑問を予想していたのか、美鈴は迷う事もなくそれに答える。
「ここは幻想郷という所ですよ」
「……幻想郷?」
幻想――――一般的には、現実にありうる事のない事をあるかのように感ずる想念の事を指す。
それが文字通りの意味であるとしたら――――。
「ハッ!! 如何にもまともじゃない奴らがうようよいそうな地名だな……」
だとしたら――――面白い、と男は嗤う。
まだ地名を聞いただけであるが、どうやら退屈はしなさそうだと七夜は思った。果たして自分がここにきてしまったのは運命という奴か、はたまた他の奴らが自分を呼び出したのか――――。
今となってはどうでもいい事だ。
そんな――――男の眼を見て、美鈴にまたもや戦禍が走る。
この世全てを自分の獲物として見るような――――言うなれば狩り人もしくは殺人鬼の眼だ。
しかし美鈴はソレを振り払って、男に向き直る。
相手も自分の状況を把握したいようだし、自分はこの男の事は何一つ知らないのだ。
「で、どういう場所なんだ?」
そんな美鈴の様子を無視して、幻想郷の詳細を聞く。
大方の予想は付くものの、所詮は推測の域を出ない。できればこの世界について自分より詳しい人物から確実な答えを聞かねばなるまい。
「ここは――――現実世界から忘れ去られた存在が集う。文字通り――――幻想の郷という事です」
ふむ、と七夜は納得した。
どうやら推察通りであるようで――――となると、自分は忘れ去られたのか? いや、何か違うような気もするが、考えた所で仕方がない。
「ここは一種の異世界で、現実世界と幻想世界を隔たる境界とも言うべき結界――――博麗大結界というのですけれど、それによって現実世界とは隔離され、そして認識されない――――というモノらしいですよ?
詳しい事はわかりませんが……」
どうやら美鈴もそこまで詳しくはないようだった。自分は幻想郷の歴史については詳しく知らないし、自分に聞くよりも、人里の人達に聞いた方が、詳しく聞けるはずだと美鈴は思う。
それでも美鈴は自分が言える限りの――――幻想郷の詳細を話す。
「幻想という名の通り、ここでは現実世界の常識というモノが通用しません。
ここには人でない者達――――主に妖怪ですね。そんな妖怪たちと人間の共存を目的とした地でもあります。
もちろん、妖怪だけではありません。
妖精、魔法使いに神だってこの幻想の地ではいてもおかしくありません。……というか実際にいます。
つまり――――」
「現実世界の常識は殴り捨てろってか? なら問題はない。自分で言うのも何だが、俺自身――――そんなまともな輩ではないしな……」
まともではない。
そんな男の言葉に美鈴は内心でそうだろうな、頷く。そもそも七夜に纏っている空気が他人とは違うのだから、その時点で十分に常軌を逸しているのだろう。
「となると――――あんたもその妖怪とやらって奴か?」
「ええ、そうですけれど……よく気付きましたね」
そうか、と七夜は内心で呟く。
『魔』である事は分かっていたが、まさか妖魔の類であるとは……。
「ならさ――――」
「……?」
「こうしても――――構わないよな?」
七夜は帯の後ろに差したナイフを抜いた。刃渡り六寸もの――――刀というよりは刃そのものの凶器を。
その凶器は一直線に美鈴の喉元へと向かう。
「―――――ッッ!!?(早いッ!!)」
美鈴は状態を後ろにそらしてソレをなんとか回避。さらにその体勢から体を縦の上に回転させ、サマーソルトを七夜の顎に見舞おうとしたが、七夜もソレを横に飛んで回避。
そのまま美鈴の背後に回り、心の臓を貫かんと、ナイフを一直線に突く。
しかしその一撃も美鈴は体を左に九十度回転し、腕を上げる事で、その突きは美鈴の脇の下を通る。
その体勢のまま美鈴は後ろの3歩ほど後退しすることで、七夜の背後を取る。
そのまま渾身の蹴りを見舞うが。
「―――遅い」
七夜はソレを背面飛びで回避、そしてそのまま美鈴の後ろに飛び、美鈴の首後ろを切り付けようとするが――――。
「――――クッ……!!」
美鈴は腕を首後ろの回して、その一撃を防ぐ。
腕を切り付けられた事により、少量の血が噴き出るが、美鈴はその痛みを我慢し、身体を反転させてからの飛び蹴りを七夜に見舞うが、七夜は後ろに跳躍し、ソレを回避した。
――――一足で十数メートルもの距離を取って。
その人間とは思えない身体能力に美鈴は驚いた。
唯の人間が、霊力や魔力による身体強化も施さずにこれほどの瞬発力を見せる。間違いなく、異様だった。
「いきなり、何をするんですかっ!!」
美鈴は怒鳴る。下手したら死んでいたかもしれないのだ。
それも喉元や、首後ろ、心臓などを狙ってくるあたり、間違いなく目の前の人間は確実に自分を殺しにきていた。
美鈴のような輩だからこそよかったものの、これが人間であれば間違いなく反応できず、初撃の時点で瞬殺されていた。
「何、ちょっとした準備運動みたいなものさ。あんたのような美女には“美しき鮮血の花”がよく似合いそうなもんでね……」
七夜は邪悪な笑みを浮かべながら美鈴を見る。
殺気はおおよそ人が放つモノではない。
その殺気を浴びた者をある恐怖に陥るだろう。
すなわち――――狩られる恐怖。
美鈴の胸にナイフが刺さった。
――――否、実際に刺さった訳ではない。ただ強烈な殺気が形となって、ソレが美鈴にそう錯覚させただけだ
『気を操る程度の能力』
その能力を持つ美鈴は、『気』という概念に関しては人一倍敏感である。故に、七夜の強烈な殺気が、美鈴にそう錯覚させたのだ。
――――認めよう。目の前の人間は自分よりも“殺し”に特化した存在である事を。
しかし、美鈴はその恐怖を振り払い、まっすぐと七夜の眼を見る。
“死”を覚悟した眼ではない。
その眼は闘気に満ちる。
相手が自分を殺す気でいるのなら、ソレに答えないのは武人としては得てして失礼というもの。
単純に武人として、目の前の相手の先ほどの技に敬意を抱く。
ならば今自分は、『修羅』となりて、目の前の敵を打ち破ろうではないか。
「いいでしょう。人間に手を上げるを気が引けますが――――そっちがその気なら。紅美鈴、貴方のその殺意に応えて、こちらも全力で相手をさせてもらいますっ!!」
「ハっ、いい眼だ。それでこそ殺し甲斐がある」
さあ――――
――――殺し合おう。
同じく旧作の二話目と全然違いますね……。