双夜譚月姫   作:ナスの森

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明けまして、おめ――――
七夜「遅すぎるんだよ!」

遅れましたが、明けましておめでとうございます。
合計文字数25700文字以上、終始シリアス&殺伐のとんでも話となってしまいました。

そんな私の血生臭いお年玉を読んでくれるのであれば、どうぞ


※この小説の題名はついに「東方」の名を捨て、原作が東方Projectであるだけの何かになりました。


第十七夜 鬼と退魔・下

 鬼、とは何であろうか……。

 一見、単純明快に答えられるように聞こえるこの疑問。

 

 伊吹萃香は間違いなく“鬼”である。

 人の恐れこそがその誕生の原初とも言える存在――――妖怪の中でも最強種族と呼ばれ、まだ妖怪、はたまたその他の幻想種がまだ幻想とならずに世に蔓延っていた時代――――日本の魔の頂点に立った豪族。

 人は愚か、妖怪にすらその存在を恐れられた。

 ――――その怪力は人知を凌駕する。

 ――――その強力な異能は他の妖怪も凌駕する。

 酒飲みで豪快で仲間想い――だがそれでいて横暴で自分勝手で危険な存在。

 仲間想いである一面も、それは自らが認めた者に対してのみ見せる一面。

 弱者であれば見向きもせずに潰すし、たとえ強者であっても己と相容れぬ外敵であれば容赦なく潰す。

 そして妖怪の餌であり、また天敵である人間に次々と勝負事を仕掛け、負かしては攫い、負かしては攫う。

 一見理不尽とも取れるこの行為に文句を付けるものがいるであれば、彼らはこう答えるだろう。

 ――――『相手が弱かった。ただそれだけの事』

 自分(鬼)が強者で、相手(人間)が弱者だったから。

 ……彼ら自信は、その行為に何の悪意もなかった。

 昔、とある平行世界で大凡人知を超える数の人を切り殺してきた明治の剣客はこう言ったという。

 所詮この世は弱肉強食――――強ければ生き、弱ければ死ぬ。どんな綺麗事で覆い隠そうともそれがこの世の絶対不変の摂理だと。

 彼の理念は確かに今この現代社会においても当てはまらなくはない。

 会社を経営するに当たっても、その経営する能力は個人によって違い、そして経営する能力によって会社の経営具合も変わってくる。

 会社の社員になるにしても、そこの会社に入るだけの能力と実績がなければ入ることはできない。

 そして例え会社に入ったあとでも、同じ社内でとりわけ何かしらの能力に長けたものが多くの給料を貰え、自らが生きる糧を多く得ることができ、能力が平凡なモノには必要最低限の給料しか貰えなく、そして能力が乏しいモノはクビにされる。

 まさしくこれも、『強ければ生き、弱ければ死ぬ』の法則に当てはまるが、前者で言ったような『弱肉強食』に当てはまるかは微妙な所だ。

 何故なら、これには前者でいったものとは決定的な違いがある。

 前者――――『弱肉強食』は強い者が弱い者を食うというもの。弱い者は肉となり強者の糧となりて、強者は生きる為に弱者を食う。

 後者は、例え能力に乏しい弱者が失敗しても、強者に食われることは絶対にない。要は命のやり取りというものモノが存在しないのだ。

 だが、如何に根本的な違いがあれど、強い者が上に立つという点においては共通している。

 後者で言ったような、能力を持ちかつ実績を出せるような強者になるにはどうしたらよいか――――用は『仕事中毒者』になればいい。

 そして、こういうのは俗に『仕事の鬼』とも呼ばれることがある。

 このように、弱肉強食、またはソレに似たような摂理の中で上の立ち位置に属する者の事を、『鬼』というのもあながち間違いではないのかもしれない。

 ――――だが、それだけで〈鬼〉の定義を決め付けるのは些か早計だ。

 

 伊吹萃香ような『鬼』は即ち――――『妖怪の鬼』。つまりは妖怪の中でも更に化け物じみた者達という意味ももちろんある。

 

 また、心を鬼にして断行する、と言うようなときに使われる『鬼』という言葉には比較的悪い印象を感じない。

 他にも吸血鬼、殺人鬼、食人鬼、復讐鬼――――これだけ上がれば、用は人ならざる化け物、もしくは肉体または精神状態などが一般常識でいう『人』からかけ離れてしまった者、といったイメージが湧いてくる。

 だがよく考えれば、吸血にしろ、殺人にしろ、食人にしろ、復讐にしろ、絶対にできない行為という訳ではない。

 それこそ、心を“鬼”にして実行すれば、あっさりと出来てしまうものだ。

 そして、吸血、殺人、食人、復讐といった行為はその対象に“情け”というモノを持ってしまえばそれを実行するのは難しい。

 そして心を鬼にして断行する、という言葉は自分、もしくは相手の為にあえて自分の感情を無視して“非情”になるという事。

 ここまでの事を踏まえて考えれば、『鬼』というのは心を非情にして、普通の人間が敢えてやらない事を――――あっさりやってのけてしまう存在の事を言うのかもしれない。

 彼の〈七夜〉の最高傑作が、人としての『情』を持たずにただ殺戮技巧を研究、鍛錬していった結果、人の身で『鬼神』と呼ばれるようになったのも、また然り、だ。

 

 これだけ考察すれば、〈鬼〉の定義というのも必然と浮かんでくる。

 ――――一つ目は、人知を超えた人ならざる化け物。

 ――――二つ目は、その分野において化け物じみた技術、能力を持った者の事。

 ――――三つ目は、心を非情にして普通の人間が敢えてやらない事を、平然とやってのける存在の事。

 

 

 

 

 

 

 ――――そう考えれば、幻想郷に限らず、『鬼』なんてこの世にたくさんいるものだ。

 

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 死の肉の檻に押し込められた怨念の傀儡達は、2人の女性の肉を前に、その食欲を丸出しにしながら、2人へと迫った。

 そのスピードは並の人間を遥かに凌駕しながらも、獣の速さには程遠かった。

 ――――故に、咲夜と鈴仙にとっては止まっているも同然。

 背を向き合った二人はお互いを振り向く事なく、お互いを心配する事なく死者を迎撃する体勢を取る。

 ……振り向く必要などない。

 ――――自分の背中は、彼女が守ってくれる。

 お互いにそんな見識を埋め合いながら、2人はお互いの背中を任せ合った。

 

『――――――――ッッッッッッ!!!!!!』

 

 呻き声が竹林中に響き渡る。

 その殺意とも、悲鳴とも、慟哭とも聞こえるその呻き声に2人は、若干表情を歪ませながらも、飛びかかってくる死者を迎撃する。

 

「行くわよ、鈴仙」

 

「はい!」

 

 瞬間、鈴仙の背中にいた咲夜の姿がまるで瞬間移動したかのように消えた。

 ――――いや、瞬間移動ではない。

 実質的に瞬間移動に等しいだけ。

 むしろ瞬間移動よりも質が悪かろう。

 彼女だけの世界を渡り歩いて、上空へ移動するなど。

 もし死者たちに正常な思考があるとするならば、その理不尽さに嘆いているに違いなかった。

 飢えた人型は咄嗟に起こった不可解な現象を理解せず、標的を鈴仙のみに定めた。

 相棒の突如の失踪により、背中を守る後ろ盾を失った鈴仙はただ数の暴力によって蹂躙されるのみ。

 ……そう思われた。

 

「――――」

 

 だが、死者の魔手が鈴仙の身体へ届く前に、その異変は起こった。

 鈴仙の瞳が大きく見開かれる。

 ……そこから覗かれたのは、紅い瞳だった。

 吸血鬼が持つような魅了の魔眼でもなく、魔の属性を表す朱でもなく――――それよりも更に禍々しい『狂気の瞳』がそこにはあった。

 一方の標的が消失した事で、死者たちの獲物は一方に限られるため、必然と死者達は鈴仙のみを標的に定めざるを得なかった。

 ――――それこそが、2人の狙いである。

 

(既に狂わざるをえない状態にある貴方達には酷だけど……)

 

 顔を上げる鈴仙。

 その狂気の瞳には死者の群れをしかと捉え、集中する。

 ……そこから彼女自身の、そして彼女しか見えない、紅い狂いの波長がまるで蝙蝠の超音波のように鳴り出た。

 紅くて、激しくて、それでいて不可視なこの魔の波長を視る事ができる存在を上げるとしたらソレは、淨眼持ちの人間くらいだろう。

 

(すぐに楽になるから……少し我慢して!!)

 

 荒ぶる波長を鳴り出す狂気の瞳を大きく見開きながら、鈴仙は死者達の牙が自分に届く前に、身体を舞うように回転させ、自分の視界に入る限りの死者たちの虚ろな瞳に、その波長を注いだ。

 

『―――――――――ッッッッ!!!!??????』

 

 一瞬のブレ、一瞬の停止。

 自分の放った狂気の波長に当てられ、飢えの狂気に蝕まれていた食人鬼達は今度は別の狂気に蝕まれ、更なる苦しみのどん底に落とされる。

 その様は、満月を見ると狼に変身してしまうというオオカミ男の様と何処となく似ていた。

 

「――――ッ」

 

 そんな彼らの姿を見て、良心が痛んでしまう鈴仙だが、敵に情けをかける事は戦場においては致命的な弱点となる。

 ……そんな事は彼女自身が誰よりも理解している。

 だが、そんな苦しみも束の間。

 狂いという苦しみに蝕まれた彼らを次に待っていたのは、月光を反射して銀色に輝く銀のナイフの嵐だった。

 

『―――――――ッッ!!???』

 

 ……上空には満月の月を背に、ナイフの軍勢を率いた銀髪の美女がその紅い眼を輝かせていた。

 鈴仙の周りに集まった数十体もの人型。

 月光に反射しながら輝くそれらは、容赦なく、むき出しの殺意のように、一斉に殺到した。

 時間の境界を乗り越えて無数に現れたナイフは、死者達の四肢、五体、胴、胸、腹、脇腹、背中、アキレス健を次々と精確に射抜かれ、やがてその殺陣は串刺しから細切りという域にまで昇華する。

 一週間以上前に彼らと一度戦った事のある咲夜は、彼ら人体で言う急所の一つや二つを突き刺した所で、止めることが出来ないと悟ってか……紅魔館の庭で戦った時とは比べ物にならない程にナイフを水増しにしていた。

 ……実を言うと、彼女はあの四人の中で比較的、死者を仕留めた数が少なかったりする。

 対して、直死の魔眼という死者や吸血鬼に対しての天敵とも言える玩具を持っていた七夜は、四人の中でも彼らを確実に仕留める手段とその手段を最大限に使いこなす体術を持っていたために、実は仕留めた数が一番多かったりするのだ。

 だが、何よりその差を決めたのは殺す事に対する覚悟であろう。

 七夜は他人を殺す事に何の呵責も躊躇いも持たないが、七夜と比べて人としての情が深い咲夜はそういう訳にもいかなかったのだ。

 故に、前回の事を反省した咲夜は、一撃の元に急所を確実に狙い、楽に殺すという手段を捨て、一度に水増しされたナイフの弾幕で痛みを感じさせる暇もなく細切りにするという手段を取った。

 能力の濫用は己の体に負担がかからない訳ではないが、それを考慮してもそっちの方が死者を仕留めるには効率が良かった。

 

「見事です、咲夜さん。……けど、正直後一ミリ右にズレていたら当たっていました」

 

「ごめんなさいね。出来るだけ正確に狙ったとは言え、貴女と彼らの位置が少し近すぎたから」

 

「いえ、あの量のナイフを寸分違わず狙い通りに投げるなんて流石です。……ただ、少し心臓に悪かったです」

 

「私も、彼がここに来てからは心臓に悪い思いしかしてないわね」

 

「あははは……」

 

 咲夜が零した何気ない愚痴に鈴仙は引きつった笑いを浮かべながらも、死者を迎撃する体勢を崩さなかった。

 ……辺りを見回せば、先程死者達を細切りにして地面に刺さっていた大量のナイフはいつの間にか消えていた。

 おそらく咲夜が能力を使って回収したのだろう。

 

「今ので大体何体くらいでしょうか」

 

「ざっと34体かしら。一体に付き十七本のナイフで狙い、そして使ったナイフの総本数は518本だから。多分それくらい」

 

「仕留めた敵の数よりも使ったナイフの本数を覚えているとはこれ如何に……」

 

「気にしないで頂戴。それよりも――――来るわよ!」

 

 2人が会話している間にも、死者達はその飢えた食欲をむき出しにしながら、2人へと襲いかかる。

 数が多い上に、一週間前の時とは違い、あの時は四人で迎え撃った上に面子が面子であった為にあっさりと片付いたが、今回は話は別だった。

 鈴仙とて咲夜も認める実力者ではあるが、さすがにレミリアには及ばないし、ましてや七夜のように接近戦が得意な類では決してない。

 咲夜とて七夜には遠く及ばないものの、体術は中々の部類ではある――――が、彼女の体術はあくまで彼女の能力によって真価が発揮されるもの。

 ……つまり、直死の魔眼の効力を最大限に引き出すイカれた体術こそが真骨頂である七夜とは正反対。

 詰まる所、二人共接近戦があまり得意な類ではないという事だ。

 ……無論、ソレは他の面々と比較しての話ではあるが。

 だからこそ――――お互いの能力の性質を理解し、そしてソレらそれぞれを補い合う必要があった。

 

 

 

 

 

 

 そして、この戦いを長引かせれば不利になるのは自分達。だから――――多少無茶をしてでも、一度に多くを葬り去って決着を付ける!

 

 

 

 

 

 

 ――――無時限・フォーカスキラー

 

 ――――狂眼・凶弾増殖(モルトプライウェーブ)

 

 咲夜の手から放たれた一本のナイフ。

 たかが一本のナイフがどうしたのだろうか――――そもそも咲夜の弾幕の脅威は時の能力による「何処から現れるのか分からないナイフ」が無数の束となって襲いかかってくる所にある。

 時の壁による法則を無視して、未来から己のナイフを複数呼び寄せる事で、投げたナイフの量を倍増させる事によって、成り立つのが咲夜の弾幕だ。

 それがたかが一本のナイフで何をしようというのか――――いや、そのナイフに、纏っている空気と迫力が今までと比べ物にならないのは何故だろうか?

 

 ――――だが、そんな疑問を抱くのも束の間。

 

 放たれた尋常ならぬ空気を持つナイフが、今度は無数に増殖した。

 鈴仙から放たれた波長により、ナイフに篭っていた時の力が暴走し、狂い、それを最凶最悪の弾幕に変えた。

 咲夜の『時を操る程度の能力』と鈴仙の『波長を操る程度の能力』が合わさり、おそらく彼の本物の「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」にも勝るとも劣らぬ威力と規模になったソレは、鈴仙と咲夜の眼前とその遥か奥に群がる死者の群れを竹林ごと蹂躙した。

 

 無時元・フォーカスキラー――――戦闘における咲夜の能力の使い方は、未来から自分の得物を多数呼び寄せ、倍増させ、ソレを弾幕として放つもの――――この技はその応用。未来から無数のナイフを呼び寄せるのではなく、一つのナイフに未来の自分が投げたナイフの威力を、能力の限界まで集中させ、一撃必殺の威力を持たせた技だ。

 

 狂眼・凶弾増殖(モルトプライウェーブ)――――この技によって、咲夜の投げたナイフに篭った「未来のナイフの威力の結晶」に狂いの波長を送る事で、ナイフに篭った時の力を暴走させ、その限界を超えさせる。これによって、フォーカスキラーのナイフにこもる威力を分散させ、それを無数のナイフに変えるが、それだけではない。その無数のナイフの一つ一つが元となったフォーカスキラーのナイフの威力を多少犠牲にしながらも、一つ一つが爆発的な威力を持ったナイフの弾幕へと姿を変えたのだ。

 

『――――――――――――――――ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!??????????』

 

 ……声にならぬ絶叫を上げ、塵となってゆく死者たち。

 理不尽の塊とも表現しがたい虐殺の弾幕は方向を変えながら、咲夜と鈴仙の前方だけでなく、周囲にいる死者の群れすらもその威力、規模、余波に為すすべもなく塵になっていった。

 

 

     ◇

 

 

 ――――その頃、事の一大事さを理解せずに殺し合いに興じている『鬼』が2人。

 

 萃香の拳に異様ならぬ空気が纏った。

 外側からの要因ではなく、内側から彼女の能力によって拳の密を高め、それが尋常ならぬ熱を帯び、まるで高熱を纏った鉄槌のようなモノを七夜に思わせた。

 ……そんな様を見て、戦禍しない七夜でない。

 

「行くよ!!」

 

 掛け声の元、一直線に七夜へとかける萃香。

 相手が動いてから避けては、人間である七夜には到底避けれる速さではない。

 単純で、強力で、凶悪な拳がまるで鉄槌の如く七夜に襲いかかった。

 ……が、その軌道の先には既に七夜はいない。

 まるで蜘蛛が獣のスピードを得たかのような動きで避ける。

 しかし、先程も言ったように、獣程度の速さでは萃香の攻撃を避ける事は不可能。

 しかし、それでも七夜は避けてみせた。

 萃香が攻撃する前の僅かな間に見せた予備動作から、萃香の動きを先読みし、萃香が動くわずか前に、そのタイミングを見極め、避けた。

 

(へぇ……)

 

 その光景に、萃香は心底驚いた。

 アレは妖怪でも、神でも、幻想種でも、はたまた陰陽師の類でもない。

 何の霊力も、魔力の扱いさえ知らない普通の人間だ。

 その人間が、霊力や魔力といった身体強化を一切行わず、ただ実戦のためだけに鍛え上げたその技のみで、この鬼の逆鱗を避けたのだ。

 見事だ、と萃香は賞賛を送る。

 初撃の月光を利用して欺いての一撃の衝撃も萃香はちゃんと覚えている。

 ――――人の身で、よくぞここまで磨き上げたと。

 ……だから。

 ……だからだろうか。

 ――――こんなに残念な気持ちになるのは……。

 いくら技が洗練されていても、彼はその技の使い方を誤った。

 いくら彼の技が殺すためだけに磨き上げられた物であったとしても、他の誰に手を出そうとも、彼女にだけは――――霊夢にだけは、手を出してはいけなかったのだ!

 

(もし、霊夢の件さえなければ、私達は友になれたかもしれないね……)

 

 未練がましく心の中で呟く萃香。

 無論、そんな事を口にしていたら、当の七夜は嘲笑っているに違いなかったが、それさえも今となって些事である。

 時はもう既に遅し。

 ――――故に、あんたはここで死ぬ!

 ――――他の誰があんたを許そうと、私はあんたを絶対に許さない!

 心の中でそう呟き、地面に食い込んだままの拳を抜き、萃香は再び立ち上がった。

 

(はっ――――想像以上に、想像以上の相性の悪さだよなぁ、こりゃ……)

 

 常人では回避不能の一撃を、動きを先読みして難なく回避した七夜は、冷や汗を流しながら心の中で悪態を付いた。

 おそらく、ここが竹林という障害物の多い舞台でなければ、自分はとっくのとうに地獄行きだ。

 ――――見ろ、その証拠に……

 彼女が拳を突き立てた地面には――――半径十メートルくらいのクレーターが出来ていた。

 似たような光景は七夜が初めて幻想郷に来た時に目にした。

 そう、紅魔館の番犬――――紅 美鈴と殺し合った時に、彼女の拳によって地面に半径五メートル程のクレーターが出来ていたが、今回はその4倍の大きさだ。

 美鈴は七夜が幻想郷に来てから初めて殺し合って、見事彼を打ち負かした妖怪だ。最後の最後でその甘さが命取りになり、七夜に形成を逆転されていたものの、七夜は彼女を一人の殺し合い相手として、一人の武人として敬意と賞賛を抱いていた。

 自分が生きるか死ぬかという極限の状況の中で、七夜の一撃を冷静に対処してみせたその技量には七夜も感嘆した事だろう。

 ――――だが、あの鬼は何だ?

 何の体術も、何の法力も、何の魔術も、何の魔法も使わずに、ただ純粋な力のみであの惨状を生み出したのだ。

 しかもそれだけではない。

 密を高められて高熱を帯びたその拳は、巨大なクレーターを作るだけでは飽き足らず、クレーターの範囲内にある全ての地面を黒焦げにしてしまった。

 ……その光景を見て、理不尽だと嘆かぬ者など存在しないだろう。

 

「ククク……」

 

 七夜は笑う。

 元より〈七夜〉は純粋な魔とは相性が悪い。

 如何に人間の体を限界まで酷使する体術をいとも容易く使いこなす技があろうと、所詮は人の域を出ない。

 〈七夜〉はあくまで混血を専ら専門とする一族だ。

 故に、『退魔師』ではなく『殺し屋』と呼ばれている由縁であるのだが……。

 ――――そんな事は、充分に承知していた筈なのだが……。

 いくら何でもこれはないだろう。

 自分と相手の性能の差を突き付けたれたその現実に、七夜はいっそヒュ~、と口笛を吹きたくなる気分になった。

 

「……楽しいなぁ」

 

 しかしその口に浮かべる笑みは、恐怖でも、自棄でも、見せかけでもない――――正真正銘の歓喜の笑みだった。

 狩場に君臨する蜘蛛は、その死を視る淨眼を、己の殺すべき獲物に定めた。

 その殺意には、一篇の慢心も一切存在しない

 ―――相手が純粋な魔だからなんだ?

 そんな理屈――――〈七夜〉には罷り通っても、七夜には罷り通らない。

 人間? 混血? 魔?――――そんなものは関係ない。

 ただ極上の獲物が視界に存在する。

 ……彼が動く理由などそれだけで充分だ!

 ――――さあ、俺に生きている『実感』を与えてくれ!

 心の中で獲物にそう懇願した狩り人は、獣以上の速さで、蜘蛛の動きを持って、この竹林の中を跳び回った。

 

「集え、この密」

 

 虚空へ向かって放たれた萃香の言葉。

 静かに、無機質な発音で言われたその言葉には、ただならぬ迫力と嫌な予感を感じさせた。

 そして、それは異様な光景となった。

 先程、萃香の拳によって砕かれた地面、およびその周りの竹々の残骸が、まるで生きているかのようにざわめき始めた。

 

「……ッ?!」

 

 影からその動きを見張っていた七夜は、突如、ある違和感に襲われた。

 ――――退魔衝動のざわめきが、より一層激しくなった。

 衝動の“質”ではなく、衝動の“数”が……。

 新たなに感じた衝動そのものの“質”は萃香とは比べ物にならぬ程小さいが、感じる衝動の“数”が圧倒的に多くなった。

 ――――一体、どうなっている?

 そんな七夜の疑問などお構いなしに、その異様な光景を七夜は見せつけらた。

 ざわめき始めた萃香の周囲の残骸はやがて萃香の頭上に集まり、やがてそれは一つの大きな物体となった。

 『塵も積もれば山となる』とは正にこの事だろう。

 

(なるほどね……)

 

 七夜はこの殺し合いが始める前の萃香のいった言葉を思い出す。

“ここにいるのは私という百鬼夜行ただ一人”

“鬼の染まる所に人も妖怪も居れない”

 最初は何かの比喩表現かと疑っていた七夜であったが、それが正に言葉通りであったという事に七夜は気付いた。

 ……まあ、そもそも彼女は遠回しな言い方が嫌いで、思った事は率直に言う性格であるのだが、それを七夜が知るはずもなし。

 七夜が感じた違和感の正体――――それは、萃香が“萃”めた地面や竹の残骸が皆、“妖怪化”しているのだ。

 一人で百鬼夜行とはこういう事。

 元々、意思などが宿っていない物体だからこそ、彼女自身も染めやすいのだろう。

 その証拠に――――淨眼を通してそれらを見れば、僅かに紅く染まっている。

 つまりは魔の色に染まった証である事に他ならなかった。

 だが、問題はそこではない。

 問題なのは――――わざわざそんな事をしてどうするつもりであるかであった。

 

(まあ、予想は付いているがね……)

 

 先程の残骸の集まり方――――何となくだが、七夜が萃香と出会った時に、彼女が霧から個体へと姿を変えた様とよく似ている。

 そして、自分の初撃を自らの身体を個体から霧に変える事で避けてみた様を見るに、逆を行うことも彼女には造作もない模様。

 つまりは――――。

 

 ――――萃香の頭上に集まった大きな物体は、妖力という殺傷力を得て、辺りへ爆ぜた。

 

(やはり……弾幕とやらか……!!)

 

 辺りへ散らばった残骸はそのまま空中で静止。

 そのまま妖力のエネルギーを纏い、一つの意思で統率された百鬼夜行はそのまま七夜へと襲いかかった。

 一つ一つの弾の威力は魔を殺すには不十分だが、人間の体を消し去るには充分な威力を持っていた。

 ナイフで受けてしまったら、おそらくその衝撃は体中に伝わり自由を奪う程の威力を持ったそれは、明確な殺意を持って七夜に向かってくる。

 空を飛べぬただの人間にとっては、それはどうしようもない理不尽。

 ――――対して、七夜は動いた。

 上方向に七メートル程跳躍し、そのまま背後にある竹に張り付き、蹴る。

 逃げるのでも、避けるのでもなく、自殺行為を選んで弾幕群に正面から突っ込む。

 ――――そして、眼前で百鬼夜行が一人の人間を蹂躙しようかという距離で、横切る筈であった隣の竹を蹴り、急降下。

 空間を立体的に扱う獣の急な動きについて行けず、弾幕は七夜の髪を数本掠めるだけでその役目を終える。

 ――――が、まだ全ての弾幕を撒ききった訳ではない。

 先程避けたモノよりも後続の弾幕が地上にいる七夜を蹂躙せんと襲いかかる。

 第一群の弾幕を避け切った反動で隙ができ、七夜はそのまま第二群の弾幕に押しつぶされる……訳が無い。

 静の状態から瞬時に最高速へと姿を変える。

 静と動のメリハリの激しいその動きに弾幕はまたもやついて行けず、迫り来る百鬼夜行を突破した獣はそのまま跳躍。

 地面だけでなく、竹林中の竹、またはその枝を足場とし、まるで獣のスピードを得た蜘蛛の如き動き。

 空間を立体的に扱うその様は正に巣を張った蜘蛛そのもの。

 瞬時に最短かつ死角になりやすい場所を計算し、獲物を確実に仕留めるために疾駆する。

 人の域であるにも関わらず、しかし人の域とは思えぬその動きには呆れるの一言。

 確実に獲物を仕留められる状況にまでたどり着いた蜘蛛は、そのまま萃香の死角からその“死”を穿たんと迫る。

 音も、気配も、殺気さえも感じさせぬ死神の牙は――――

 

「……ッ?!」

 

 咄嗟に迫り来る獣に勘付いた萃香の腕によって防がれた。

 気付いて防いだのではない、とっさの勘行動が間に合っての防御。

 もしこれが並の鬼であるのであれば、とっくにあの世逝きだ。

 萃香の腕に生温い衝撃が走る。

 

(まさか、空も飛ばすにアレを突破してきたのかい!!?)

 

 己の意表を付いて奇襲を掛けてきた事に対してもそうだが、萃香は何よりその事実に驚愕した。

 何という出鱈目。

 目の前の男は何の法力も魔術も使わずに自分の拳を躱すだけでは飽き足らず、自身が殺意を込めて放った弾幕すらも、ただ己が鍛え上げた体術のみで躱しきった。

 これを出鱈目と言わずして何という。

 驚愕していただけに反応が僅かに遅れてしまったが、それでも萃香は自分の腕に突き立てられているナイフを振り払う。

 対して力が込められていないソレも、人の身である七夜にとっては致命傷になりうる一撃だ。

 七夜はその一撃を体を捻を捻ることで回避。

 一度ひねったその体勢は七夜にとって不利な状況に持ち込むと思いきや――――七夜はそのままの体勢で萃香の腕を足で蹴り、再び竹々の間を蜘蛛の如き動きで移動し始めた。

 

(なッ……あんな体勢から!!?)

 

 体勢を崩してしまうという行為は、勝負事においては致命的な失敗となる。

 それは喧嘩にせよ、殺し合いにせよ、弾幕ごっこにせよ変わらない。

 空を飛んでいる者であっても、一度体勢を崩してしまえば、立て直すまで結構時間がかかってしまう。

 頼りになる足場が存在せず、己の感覚だけにしか頼れない状況であるのならば尚更の事だ。

 ――――だが、あの人間は何だ?

 地に足がついていない状況から萃香の拳を体を捻って躱すだけでも見事であるのに、更にそこから体勢を立て直すことなく、そのままの体勢のまま萃香から距離を取ったのだ。

 ただ敵の攻撃を避けたというだけの動作であるにも関わらず、それは神業だった。

 

「なるほど……」

 

 萃香はため息を吐く。

 

 ――――決して呆れているからではない。

 むしろ、先程の弾幕で決着が付くと思っていた自分を殴りつけたくなる気分であった。

 

「あんたには……」

 

 咄嗟に、片手に持っていた伊吹瓢を捨てた。

 拳に力が篭り、それは激っているように見えた。

 

 ――――だが、あの殺人貴は、自分の予想の斜め上を言った。

 ただ己の鍛え上げた体術と人外と渡り合ってきた経験のみで己の殺意の込めた弾幕を躱し、あまつさえ傷を負わせていないとは言え、この伊吹萃香の体に刃を届かせた。

 

「こんなモノ(弾幕)よりも……」

 

 袖を巻き、そこから年不相応の幼き肌を覗かせる。

 

 ――――だから、自分も応えなくてはいけなと思う。

 霊夢や魔理沙、咲夜といった自分が知っている人間とはまた違った強さを持つこの相手に、鬼としての闘争本能が揺さぶられぬ訳がなかった。

 

「コッチ(拳)の方が、面白そうだね……!!」

 

 拳をボキボキと鳴らし、その戦意をさらけ出した!

 

 ――――ならば、応えよう!

 向こうが己の体で全力でぶつけてきているというのに、自分がソレをしないのは不公平だ。弾幕ごっこならぬ……久々の殺し合いだ!

 私を失望させてくれるなよ、人間!!

 

 そんな萃香の熱意に、反応したのか。

 それとも余韻に浸って興奮している萃香に隙を見出したのかは定かではない。

 だが、影が飛び出してきた。

 空間を最大限利用した動きは、変幻自在、かつ予測不可能。

 その存在を誇示するかのように、萃香の周りをその動きで跳び回った。

 

「その意気や良し!」

 

 ――――しかし、下手だねぇ。どうも……。

 そんな自分の行動に、七夜は心底自嘲した。

 自分は確かに殺人鬼だが、同時に暗殺者でもある。

 美鈴の時も、霊夢も時もそうであったが、暗殺とは本来一撃で決めるモノである。

 ソレを外して戦闘に持ち込んでしまえば、不手際以外の何者でもない。

 殺し合いができるのであればソレに越したことはないのだが、七夜とて“七夜一族の誇り”というモノがないわけではない。

 一度は死に、己の名を忘れ、記憶はなくし、それでもなお体から染み付いて離れなかったこの七夜の暗殺術。

 誇りに思わない訳がないのだ。

 ……そんな自分が今、相手の誘いに乗って宴を興じようなどと思っているのだから、これを下手と言わずして何と言おうか。

 いや、もしくは”七夜一族の誇り”故に、こんな真似に出たのかもしれない。

 さっきから脳表に――――あの“隻眼の鬼”が浮かび上がる度に……自分の中の、何かがせり上がってくる!

 

 七夜のナイフが死角から萃香を狙う。

 音も、気配も、殺気すら感じさせぬ暗殺者の刃が萃香の死を狙う。

 だが、そもそも初撃の失敗の時点でそもそも暗殺は失敗している。

 それでも暗殺の刃と呼ぶことができるのは、単に七夜の暗殺術は正面からの暗殺にも特化しているという事だ。

 

 刃が細い腕(かいな)に防がれる。

 並の魔であれば、脳天を串刺しにしているであろう力で振るわれているにも関わらず、その肌には一ミリも刃が食い込んでいない。

 防がれるのであれば腕の“線”をなぞってしまえばいいと思える程の余裕など存在しない。

 

 ……七夜の頭蓋を潰さんと魔手が迫る。

 鬼の腕力によって振るわれたソレは、防御も回避も不可能の威力と速さをもっていた。

 

 ……が、七夜はソレを躱す。

 相手の筋肉の動きから次の攻撃を予想し、相手の眼をみて自分の何処を狙っているかを先読みし、紙一重で躱した。

 

 躱すと同時のカウンター。

 一切の工程を介さず、瞬時に繰り出された刺突。

 

 ……が、防がれる。

 

 だがそれだけでは終わらない。

 刺突が防がれると同時、七夜は腰後ろの帯びに差したナイフをもう一本抜き、そのまま萃香の首に走る“線”へとそのナイフを走らせる。

 

 敵が得物をもう一本持っていた事を予想していなかった萃香は慌ててもう一方の腕で防ぐ。

 

(二刀流……そうか、ようやく本気になったって訳かい……! いいねいいねぇ、本当に面白いよ、お前)

 

 かつて七夜の最高傑作が二本の撥を使用して隻眼の鬼と戦ったように、彼もまた両手に二本のナイフを持ち、密を操る鬼と乱舞を繰り広げる!

 

 萃香は両腕に突き立てられた七夜のナイフを振り払った。

 ただ振り払うだけの動作であるにも関わらず、それは暴風の如き衝撃を放つ――――が、そこに七夜は既にいない。

 動きを先読みし、また躱した。

 

 萃香から距離を取った七夜はそのまま、四脚を付き、そして地を這うような低姿勢で萃香へと接近した。

 人の域で見れば速いが、萃香からしてみればその動きは赤子同然の速さ。

 

「遅いよ!」

 

 確実に潰せるであろう状況の中で、萃香は七夜とは比べ物にならない速さで接近し、その拳で七夜を押し潰さんとする。

 

 ……が、七夜の姿が消えた。

 ――――否、加速した。

 静と動のメリハリの激しいその動きに、萃香の眼はついて行けず、萃香は七夜の姿を見失った。

 

「寝てな」

 

 閃鞘・八穿。

 萃香の上斜め後ろに現れた七夜は、そのまま萃香の背中に走る“線”へとナイフを走らせる。

 

「このぉッ!?」

 

 舌打ちと共に、七夜の奇襲を防ぐ萃香。

 そのまま後ろにいる七夜に向けて裏拳を繰り出す。

 鬼の腕力によって繰り出されたそれは、人の身である七夜には、回避も、防御も不可能な攻撃。

 

 ……だが、動きを先読みし、躱す。

 

 

 

 

 

 

 ――――斬る。

 

 ――――防ぐ。

 

 ――――殴る。

 

 ――――躱す。

 

 ――――斬る。

 

 ――――防ぐ。

 

 ――――殴る。

 

 ――――躱す。

 

 ――――斬る、躱す。

 

 ――――防ぐ、殴る。

 

 ――――斬る、防ぐ、殴る、躱す。

 

 ――――躱す、斬る、防ぐ、殴る。

 

 ――――殴る、躱す、斬る、防ぐ。

 

 ――――防ぐ、殴る、躱す、斬る。

 

 

 

 

 

 

 大凡、四十回近くにも及ぶその攻防。

 己の“死”を狙う蜘蛛の牙を防ぎ続ける萃香。

 己を潰さんとかかる鬼の魔手を躱し続ける七夜。

 

 伊吹萃香は冷や汗をかきながらも、死角から来る七夜の牙を防ぎ続けた。

 ――――何だろう、この恐怖は?

 あの人間の一撃は、自分の肌を傷つけてすらいないというのに

 ――――何故、こんなにも、“死”を感じるのだろう?

 

 七夜は己の体を限界まで酷使しながら、萃香の魔手を躱し続けた。

 ――――凄まじいパワーだ。

 相手に能力を使わせる暇を与えていないからいいものの

 ――――この攻防で仕留めきれなければ、自分は即あの世逝きだ!

 

 お互いにそんな焦燥を抱きながら、2人の『鬼』は舞う。

 

 

 

 

 

 

 ――――だが/――――だが

 

 

 

 

 

 

 ――――そうでなくては/――――そうでなくては

 

 

 

 

 

 

 ――――殺し甲斐がない!/――――喧嘩し甲斐がない!

 

 

 

 

 

 

 小さき身でありながら、大地をも揺るがす力、他の妖怪、鬼からすらも恐れられる力と身体能力のみで戦う萃香。

 動きに無駄が多く、攻撃は大振りで、しかしその攻撃の威力とスピードはまさしく四天王に数えられる鬼。

 

 人の身でありながら、己の肉体を限界まで酷使する体術をいとも容易く扱う殺人鬼、七夜。

 その動きに無駄はなく、本来有り得ない姿勢からの攻撃、一足で最高速に達し、スピードは獣かそれ以上。

 純粋なスピードなら萃香より劣っているが、静と動のメリハリの激しい動きで、止まったと思ったら動き、動いたと思ったら止まっている。

 単純明快さを無視したその動きは正に、稀代の殺人鬼というべき技。

 

 人と鬼。

 男と女。

 技と力。

 何から何までもが反している2人。

 しかし、そんな事はお構いなしに2人は、笑い、楽しみ、愉しむ。

 どれだけ反していようと、所詮お互い『奪い合うことしかできない生き物』であることに変わりはない。

 技と力がぶつかり、それが殺し合いや喧嘩という域を乗り越え、2人の『鬼』の戦いを神秘的なそれをへと昇華する。

 もし、この聖戦に観客がいるとすれば、誰もが感嘆し、驚愕し、そして憧れたであろう。

 

 

 

 

 

 

 ――――が、その『聖戦』は突如、終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

「――――ッ!?」

 

 ほんの一瞬、七夜の眼前の景色が歪んだ。

 それはほんの刹那の瞬間。

 これが通常の殺し合いであるのであれば、こんなモノ、支障の内に入らないだろう。

 ……だが、今回に限っては話は別だった。

 この極限の状況の中では、そのほんの一瞬こそが命取りになってしまう。

 そのミスを、あろう事か七夜自身が犯してしまったのだ……。

 

 “死”の象徴たる魔手が迫る。

 

 ――――ほんの微かに、その魔手が、数ミリ程掠ってしまった。

 

 ただ、それだけなのに、体中に衝撃がひし渡る。

 ……あの時食らった美鈴の拳と、同等の衝撃が襲った。

 その強い衝撃が、七夜の体を蝕んだ。

 

「がぁっ!!?」

 

 それでも七夜は痛みを我慢し、己の体の限界まで酷使して萃香から七メートル程距離を取った。

 そのまま片膝を付き、苦渋の表情を浮かばながら萃香を見つめた。

 

「限界か……」

 

 そんな七夜を見つめ、萃香は息を吐いた。

 

(何だ、どうなっている?)

 

 七夜は即座に自分の体を確認し

 ――――体中の所々から、少量の血がにじみ出ている事に気付いた。

 ……一週間前に霊夢と戦った時の傷が、開いてしまったのだ。

 霊夢と戦った時の傷は確かに、“ほぼ”完治していた。

 だが、元より七夜の体術は人間の体を限界まで酷使する暗殺術。

 それを長時間使用した事により、“ほぼ”完治していた筈の傷口が、ほんの少し開いてしまったのだ。

 今はまだ大事に至らないが、このまま続けていれば無事では済まさないだろう。

 

「ぐっ……!!」

 

 それでも、ただ殺し合いという渇望のみで立ち上がる七夜。

 両手にもったナイフをしっかりと離さず、未だ殺意に満ちた蒼い瞳で萃香を見た。

 しかし、そんな七夜を見かねてか、萃香は口を開いた。

 

「もう、やめにしようか……」

 

「……何?」

 

 その発言に、普段は滅多に憤慨する事のない七夜は、密かに、訝しげに眉を潜めた。

 ――――こんな、楽しい殺し合いをやめろとでも言いたいのか、この鬼は……?

 そんな七夜に構わず、萃香は言葉を続けた。

 

「私は、あんたの事が心の底から憎いさね。霊夢の左腕を落としたあんたを今更許すつもりも、助けるつもりもない。

 ……だけど、同時にあんたにこれ以上のない敬意を評している」

 

「……」

 

「これ以上続けるのは、人の身には酷だ。敬意を評した相手が、死ねずに苦しんでいる姿なんて……私は見たくない」

 

 

 

 

 

 

 ――――ドクン。

 

 

 

 

 

 

 その発言を聞いた途端、自分の中の何かが、弾けそうになるのを、七夜は感じた。

 

 

 

 

 

 

 ――――このまま、終わり?

 

 

 

 

 

 

 ――――このまま終わったら、あの“鬼”は何処へ行く?

 

 

 

 

 

 

 ――――何処へ消える?

 

 

 

 

 

 

 ――――……“消える”?

 

 

 

 

 

 

 ――――消えるのか、また、“あの夜”のように……

 

 

 

 

 

 

 ――――亡霊のように、消えやがるのか!!!

 

 

 

 

 

 

「……どうかな?」

 

 己の中に込上がってくる感情が何なのかを理解できずに、それでも表に出さずに七夜は口を開いた。

 

「何?」

 

「『生き物』としては、あんたの方が上でも―――」

 

 七夜はナイフを構え直す。

 

「それが『殺し合い』なら――――」

 

 殺意がそのまま形になったような鋭利な眼で萃香を睨み……

 

「俺の方が、優れている」

 

 静かに、しかし堂々と宣言した。

 

 両者の間に、静かな風が舞った。

 月光は2人の姿をよく映し、七夜の手元にある二本のナイフはその月光を反射して美しく輝く。

 ……だが、両者は微動だにしない。

 しばらくの静寂の後、先に口を開いたのは……

 

「ク、フフフ……」

 

 何を思ってか、萃香は込上がってくる笑いを押し殺し、やがて……

 

「フ、ハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハッッ……!!!!」

 

 やがて、堪えきれなくなったのか、その幼き声を竹林中の響かせ、周囲を圧した。

 

「ハハハ、いや、本当に面白いな、人間。今まで幾度と変わり者の人間を相手にしてきたつもりだったが、これ程愉快な奴は初めてだよ!!」

 

 まるで、面白い玩具を見つけたような、子供のような笑みで言う萃香であったが、その眼は笑っていない。

 次の瞬間、彼女の、鬼としての本性が覗かせた。

 

「あんたの方が私より優れている……だと?

 呆けるのも大概にしろよ、殺人鬼。お前のような脆弱な身ではソレが限界だ。嘘が大嫌いな鬼の前でそれを言うとは……覚悟は出来ているんだろうな?」

 

「知らないよ、そんなもの。俺はただ『殺す』だけ。そして殺すべき獲物は目の前にいる……それだけで充分だ」

 

「そうかい……」

 

 自らの殺気に臆することなく、平然と答えた七夜に、萃香は眼を瞑り……

 

「なら、身を以て教えてやる。

 これが、私(鬼)と、お前(人間)の、差だ!!

 

 

 

 

 

 

 ――――“霧散”」

 

 その瞬間、萃香の様子が一変する。

 ……七夜の淨眼にはハッキリとソレが映った。

 萃香の体、徐々に消えて、それは紅い霧へと姿を変える。

 『密を操る程度の能力』――――この能力を用いて、彼女は自らの体の密を薄め、自らを“霧”へと変えた。

 ……七夜の周囲に漂う、紅い霧は正に萃香そのもの。

 その霧の中に君臨するのは、袋の中の鼠と化した蜘蛛のみ。

 

『あんたも私と出会った時に見ただろう? 私が霧が個体となって姿を現すのを……』

 

「……」

 

 どこからもなく聞こえてくる萃香に対し、七夜は表情一つ変えずに、その声に耳を傾けていた。

 

『密という物は高まれば温度が上がるが、逆に下がれば“霧状”になる! 霧となった私にはもはやどんな攻撃も無意味! この勝負、もらった!』

 

 瞬間、七夜の周りの世界が……変わった。

 周囲に見える光は正に、彼女の殺意そのもの。

 ――――ああ、数えるのも馬鹿らしくなる。

 

「弾幕、か……」

 

『そうだ。いくらあんたでも、私の弾幕を延々と躱し続ける事は出来ないだろう。鬼は嘘が大嫌いだ。自分の発言に責任が持てないなのなら――――“死”を以て全うしな!!』

 

 萃香自身である“霧”の範囲内に出現した、大量の光弾が、殺意を持って七夜に襲いかかる!

 スペルカードルールに基づいて放たれたものではない、すなわち終わりのない永久の耐久弾幕。

 一つ一つの威力は弾幕ごっこ用に加減されたモノではなく、七夜を葬るためだけに練り上げられた妖力エネルギーの塊。

 ……それらが一切に、七夜を囲み、襲った。

 しかし、これしきでやられる七夜ではない。

 周囲の竹を利用し、空間を最大限利用した動きで躱す。

 

『さすがに、あの弾幕を突破してきただけの事はあるね。なら――――これならどうだ!!?』

 

 萃香の掛け声の元、その弾幕に込めれた殺意は更に増す。

 弾幕の数も、弾幕の質も、今度は先程よりいっそう強化されたモノが、七夜に襲いかかった!!

 ……が、当たらない。

 その体はとうに限界が来ているにも関わらず、蜘蛛は萃香の予想を上回る動きで躱してゆく。

 ――――これでも当たらないか!!

 心の中で、七夜を賞賛した萃香は、更に弾幕の質と数を高める。

 よもや“殺し合い”ではなく、“蹂躙”の域となった舞台でも、蜘蛛は楽しげに、愉しげに笑いながら避けていく。

 

『ならば――――!!』

 

 更なる脅威。

 またもや弾幕の質と数が増え、その理不尽さを一層増してゆく。

 もはや破壊の塊と化した弾幕は、七夜の足場となる筈の竹々を根こそぎ取られてゆく。

 

「――――ッ!!」

 

 だが、それでも蜘蛛には当たらない。

 もはや隙間がどこであるかすら分からないこの極限の状態の中で、七夜は蜘蛛の巣より複雑難解な生命道を迷わずに駆ける!

 

『まだまだぁ!!』

 

 しかし、そんな七夜をあざ笑うかのように、弾幕は更なる質と数を増す。

 空でやってこその弾幕を地上でやれば被害甚大。

 地上に最早、逃げ場など存在しない!

 

「――――」

 

 それでも、蜘蛛は生き延びた。

 まだ最後の最後で使っていなかった奥の手――――幻想指輪(イリュージョン・リング)。

 空中に仮想の足場を作り、足場の有無を関係なしに、七夜は蜘蛛の如き動きを見せて、萃香の弾幕を避けていく!

 

『ハハハ、凄い凄い! あの暴言もあながち嘘のつもりで言ったみたいではなさそうだね。……だが、それもこれで終わりだ、殺人鬼!! せめて最期くらいは極彩と散って見せろ!』

 

 そして、その世界はついに煉獄へと姿を変える。

 妖力のエネルギーの発する光に染まった。

 本来は美しさを競う為に生み出されたスペルカードルールが、この舞台ではみる影もない。

 破壊の化身と化した一つ一つ弾幕は七夜に襲い掛かり、もはや理不尽という域では済まさない。

 所詮は蜘蛛。

 いくら足掻いても、その牙は、鬼には届かない。

 ――――これではもう逃げ場がない。

 巣を壊され、無様な孤立無援状態となった七夜は、ここで果てることしか道はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――そんな理不尽を体現したような“煉獄”の中で……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――殺人貴は、その蒼い瞳に“死”を捉えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

「わ、我らながら派手にやりましたね……」

 

「そ、そうね……」

 

 鈴仙と咲夜は、自分達が作り上げたその惨状に、ただ息を呑むしかなかった。

 お互いに指示して出した技ではない。

 ましてや、お互いに出した技なんて知らない。

 ただ2人の間に存在した『信頼感』だけがその惨状を作り出してしまったのだ。

 ……竹々は根こそぎ薙ぎ倒され、辺は焦土とも言うべき光景が広がっている。

 以前、七夜に、未熟な忠犬が成し得ない荒業も、狂犬となれば成し遂げしまうと皮肉った咲夜であったが、まさか今度は自分達がソレを実践するとは思わなかった。

 

(まあ、アレよりはマシ……よね?)

 

 思い出すのは、一週間以上前に見た光景。

 自分と鈴仙の能力を組み合わせることによってやっと作り上げたこの惨状であるが、コレよりももっと大馬鹿を仕出かした男を咲夜は知っている。

 博麗の巫女との殺し合いの最中、その男はたった一本のナイフを地面に突き立てただけで、コレ以上の地獄絵図を作り上げていた。

 ……あれに比べたら幾分かマシだろう、と現実逃避を選びたかった咲夜だが、それは無責任も程があった。

 

「今更こう言うのも何だけど、周囲にいた兎達は大丈夫かしら?」

 

「あ、それは大丈夫だと思います。兎って臆病な生き物ですから……危機察知能力が非常に高いんです。戦っている途中で周囲にそれらしき波長は一つも感じませんでしたし……おそらく死者たちの来訪を察知して遠くへ避難したかと……」

 

「そう……良かったわ」

 

 そうと分かれば、もうここに用はない。

 

「鈴仙、さっきの二つの波長とやらは……?」

 

「……」

 

「鈴仙?」

 

 だんまりしてしまった鈴仙に、咲夜は嫌な予感して再び鈴仙の名を読んだ。

 ……まさか、もう間に合わないなんて事はないだろう。

 それに――――こう言ってはもう一人の方に失礼だろうが、あの一週間前の体験からして、殺し合いで彼が負ける姿など正直想像が付かないのだ。

 

「鈴仙!」

 

「……波長が、二つとも止んでいます」

 

「……」

 

「そ、そんな顔しないで下さいよ! 波長の届く範囲はその激しさに左右されるんです。まだ彼が死んだと決まった訳ではありません!」

 

 表情には出してなかったが、若干目が暗くなった咲夜を、鈴仙は慌てて慰めた。

 ……慰めではあるが、同時に鈴仙が言ったことは事実である。

 まだ彼が死んだと結論を付けるのは早すぎる――――という以前に、彼が死んだという前置きをまず捨てるべきである。

 そう考えた鈴仙は、マイナス思考になりがちな咲夜は慰めた。

 

「……そうね。有難う、鈴仙」

 

 鈴仙の言葉になんとか持ち直した咲夜は、静かに礼を言った。

 そんな咲夜に鈴仙は静かに微笑み……

 

「さあ、行きましょう。何事も前向きに、です!」

 

「貴女の口からそんな事が出るなんて夢にも思わなかったわ」

 

「あ、それは、その、えっと……と、とにかく行きましょう! うん!」

 

「フフ……そうね」

 

 咲夜が悪意もなく本心から言った皮肉に、鈴仙は慌てて話をはぐらかした。

 自分から積極的に人と関わろうとしない鈴仙から、そんな口が出るとは夢にも思わなかったのだ。

 その場の勢いで言っただけかもしれないが、彼女には何故か似合わない言葉である。

 鈴仙にもそんな自覚があったのか、その場の勢いで言ってしまった自分らしからぬ言葉に、しまった、と思った事だろう。

 そんな彼女が何故か可愛く見えて、少しであるが笑ってしまった咲夜。

 

「有難う。少し、気が軽くなったわ。行きましょう」

 

「はい」

 

 そう言って、2人は歩み始める。

 ……とは言っても、前には先程自分達が作り出した焦土が広がるのみ。

 竹林と言える領域に入るには少し歩く必要があろうか……。

 

「……」

 

 ふと、咲夜は後ろを振り向いた。

 前を後ろを向いても、そこには同じような風景が広がっていた。

 そもそも考えても見れば、自分達が倒した……否、殺した死者の数は何人に上るのだろうか。

 あの数を見る限りでは、一週間前に紅魔館の庭に現れた数すらも上回っていた。

 それだけは確かだ。

 現に、自分たちが作り出したこの焦土の範囲が、死者の数が如何に多かったことかを証明していた。

 

「――――ッ!!」

 

 それを考えた途端、咲夜は歯を噛み締めた。

 やがて、再びを前を向いて、前を歩く鈴仙に続いて咲夜は歩み始めた。

 分かっている……“アレ”はもうヒトではない事くらい、充分に承知している。

 ……なのに、何故こんなにも胸が痛む。

 いくら一週間前の反省を踏まえているとは言え――――

 

「……いえ」

 

 気にしてはいけない。

 自分は誇り高き吸血鬼、レミリア・スカーレットに仕えし従者であり、自分はその主の為ならば、いざとなる時には人としての情を捨てなければならない。

 ……無論、こんな事を主の前で言えば、レミリアはまずは自分の情を大切にしろとお叱りになるだろうが、そこだけは咲夜も譲れなかった。

 尊敬? 崇拝? 畏敬? ……そんな情だけを抱いているようでは彼女の従者など今頃やっていない。

 ただ単純に……“大切”なのだ。

 だから……、だから……

 

 ――――こんな事で、罪悪感を抱くな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“あら、自分の犯した罪から逃げるつもりなのかしら?”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ッッ!!?」

 

 突如、咲夜の背後から、何かが聞こえた。

 何の声かは分からない。

 後ろから聞こえるのは確かに分かる。

 その言葉が、自分に向けられている事だって分かっている。

 ただ……

 

 

 

 

 

 

 ――――ただ、その何故か懐かしい声に、振り向くのが怖くなっただけ。

 

 

 

 

 

 

 ……“怖い”?

 何が怖いのだ。

 後ろに敵がいるのであれば、切ればいいし、そもそも耳を傾ける必要がないのではないか?

 何を躊躇する必要があるというのだ?

 ――――背後にいる者が、自分の敵だというのであれば……やられる前に殺すだけ!

 そう思い、時を止めようとして――――

 

“あの日の雨の中、貴女は……あの少年から貰ったナイフで……”

 

“人を■したじゃない”

 

「……え?」

 

 その言葉に、咲夜は完全に動きを停止した。

 誰が?

 何を使って?

 何をした?

 

「貴女……誰?」

 

 振り向かずに問う咲夜。

 いや、振り向いている所か、その視線はまるで後ろにいる“何か”から逃げるかのように前を向いていた。

 しかし、そんな咲夜の質問にはお構いなし、後ろにいる何かは言葉を続けた。

 

“なら、ちょっとだけ思い出させてあげる♪”

 

 

 

 

 

 

 ……その瞬間、咲夜の視界の……世界が変わった。

 

 

 

 

 

 

 ……何処かの田舎町のようだった。

 まるでイギリスの絵本に乗ってるかのような、のどかで、美しくて、それでいて人々の生活感を思わせる建物が並んでいた。

 ……が、そんな豊かな街の様子は何故か見る影もなかった。

 

 道中には、血を流した“ナニカ”がまるで粗大ゴミのように転がっていた。

 ……それは紛れもないさっきまで“生きていた”血肉以外の何者でもない。

 

 そんな血だまりを洗い流すかのように、曇天の空から雨が降っていた。

 それはまるで大惨事の後の、余韻を象徴しているようにも見えた。

 

 ――――そんな赤い池の中心に、ポツリと立っている少女が一人。

 

 体中は血に濡れ、その鮮やかだった服の染色は、今や見る影もなく、赤い血に染まっていた。

 そして……

 

 

 

 ――――そして、右手には、“血に濡れたナイフ”を持っていた。

 

 

 

 ――――そのナイフは西洋のモノを思わせぬ雰囲気を放っていた。

 

 

 

 ――――何の装飾もなく、その柄にはただ二文字……

 

 

 

 ……“七夜”と掘られていた。

 

 

 

 

 

 

「ウソ……ナニ……コレ……」

 

“何って、貴女がやったものでしょ? 他の何者でもない、貴女が――――”

 

「……違う」

 

“違わないわ。これは間違いなく貴女が――――”

 

「違う!!!!」

 

 

 

違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う……ッッッ!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

「あ…ああ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーー……ッッッッ!!」

 

 

 

 

 

 

「さ、咲夜さんッ?!!」

 

 突如、自分に続いて歩いていた咲夜の豹変に、鈴仙は驚愕した表情になる。

 その悲しみとも、恐怖とも、嘆きとも聞こえるその絶叫は、この焦土中に響き渡り、空をも穿っているようだった。

 

「咲夜さん、どうかした――――なッ……?!!」

 

 鈴仙は絶叫をあげる咲夜から出ていたその異常な波長を見て、吐き気すら感じた。

 何だ、この波長は?

 何だ、この波質は?

 何だ、この見たこともない乱れは?

 

「あ、あぁ……ッッ!!」

 

「咲夜さんッ!!」

 

 鈴仙は心配そうな顔で咲夜に駆け寄り、咲夜の体を抱き止め、その顔と見合わせた。

 

「咲夜さん、しっかりしてください!!」

 

「あ、あ、あああぁぁぁぁ……ッッ!!」

 

 駄目だ!

 声がまるで届いてない!

 このままこんな波長を出し続ければ、何の要因かは分からないが彼女が壊れてしまう!

 

 ――――ならば、と鈴仙は思い付く。

 

 自分のこの“眼”で、彼女を正気に戻すしかない!!

 彼女の眼は本来ならば相手を狂わす為にあるものだが、逆に言えばそのアベコベを実行することも不可ではない

 

「咲夜さん。私の眼を見て……早くっ!!」

 

「ア、 アあぁぁぁァッッ!!!」

 

 なんとか咲夜の眼を視界にいれた鈴仙は、すぐさま“静”の波長を自分の限界まで、送り込んだ。

 もうこれしか手段はない。

 ――――お願い、何とかなって!!

 そう懇願した鈴仙は、必死に咲夜の眼を見て、その能力を行使する。

 

「ア、 あぁ……」

 

 それが功を成したのであろうか、咲夜の様子が段々穏やかになってゆき、それに連れて波長も少しずつだが収まってきた。

 やがて……。

 

「あぁ……鈴、仙……?」

 

 やがて、咲夜の眼はようやく鈴仙の姿を認識し、そして彼女の名を読んだ。

 

「咲夜さん……よかったッッ……!!」

 

 彼女が正気に戻った事に、安堵した鈴仙はそのままヘナヘナと地面に座り込んでしまった。

 要因は二つ。

 ――――一つ目は、能力の行使のしすぎによる負担で、体が疲れてしまった事。

 ――――二つ目は、咲夜が元に戻ってくれた事によって、安堵のあまり腰が抜けてしまったこと。

 

「鈴仙、私……」

 

 未だ息が整まらないまま、咲夜は鈴仙の名を呼ぶ。

 自分の身に何が起こったのかをうまく把握できていない咲夜は、何をしていいのか分からない表情で地面に座り込んでいる鈴仙を見る。

 

「咲夜さんが……急にすごい波長を出しながら、大声を上げたので、急いで逆の波長をぶつけて正気に戻したんです」

 

「……ッッ!?」

 

 言われて、咲夜は先程の事を思い出した。

 

 ――――突如……背後から聞こえた謎の声。

 ――――そして、突如見せられたあの”映像”

 

 それを見てから……おかしくなった自分。

 

「……そう」

 

 全て思い出した咲夜は、そう言って眼を瞑り俯いた。

 やがて……

 

「……鈴仙」

 

「はい?」

 

 

 

 

 

 

「……有難う」

 

 

 

 

 

 

 お礼と共に言われたその笑顔は、間違いなく、紅魔館のメイド長としての彼女ではなく、唯の少女の、彼女の素の笑顔が覗かれた。

 

「どう致しまして」

 

 そんな彼女を見て、鈴仙も釣られて笑ってしまった。

 

 咲夜は眼を瞑り、再び俯く。……その笑顔を浮かべたまま

 

 ――――本当、この頃彼女に助けてもらってばかりね……。

 

 自分を必死に助けてようとしてくれた友人に、咲夜は嬉しい気持ちで一杯になり、涙が出そうになったが、今は堪えた。

 

 ……今は、こんな事をしている場合ではない。

 

「急ぎましょう、咲夜さん」

 

「ええ、そうね!」

 

 そう言って、2人は立ち上がり――――空高く飛んだ。

 彼の元へ急ぐ為に……。

 

 

     ◇

 

 

「カ、ハ――――」

 

 突如、己に襲ってきた未知の感覚に、萃香はその姿を“霧”から元の姿へ戻してしまった。

 否……戻ってしまった。

 ……気がつけば、周りには自らの弾幕で竹々が根こそぎ薙ぎ倒され、それは跡形もなく消し尽くされ、正に地獄絵図のようだった。

 仰向けに倒れた萃香は、自分の体を起こそうとして――――。

 

「ナ、二――――?」

 

 起きなかった。

 否……起こせなかった。

 体に、力が入らない!

 いや……それ以前に感覚そのものを感じない!

 辛うじて動く首と頭を動かして、自分の体を観察する。

 ――――見る限りでは外傷も負っていないし、ナニカをされた形跡もない。

 なのに……まるで体中が“死んだ”ように動かない!

 

「くそ……!」

 

 ――――一体、何が起こったのだ?

 まさか、あの殺人鬼が自分に攻撃を加えたとでも言うのか?

 いや……ソレは絶対におかしい。

 霧となった自分にはそもそも攻撃が通らない筈だし、例え通ったところであの人間の力では自分の肌に傷一つつけられない筈。

 それなのに……

 

「何故だ……なぜ動かない……!!」

 

 ……いくら動かそうとしても、動かない。

 手も、足も、胴体も、指も、全てが動かない。

 

 何故だ。

 

 何故だ。

 

 何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ……ッッ?!!!!

 

「何を、したぁ……殺人鬼ッ!!」

 

 そして、未だ原因が分からぬ事に痺れを切らしたのか、萃香は己ができる限りの声の大きさで叫ぶ。

 おそらく近くにいるであろう、自分の殺し合い相手に、必死に叫んだ。

 叫んだと同時……覚束無い足音で歩いてくる、一つの影が迫るのを、萃香は見上げた。

 ここで誰かと聞かれて答えられぬ者はいない。

 紅い和服、蒼い帯び、両手に二本のナイフを持つ殺人鬼――――七夜。

 

「答えろ……殺人鬼ぃ!! 一体、私に何をしたッ!!?」

 

「……殺した」

 

 己を見上げるその憤怒の視線に、七夜は一言、そう答えた。

 

「“殺した”……だと!!?」

 

 その訳の分からぬ回答に、萃香は驚愕の表情で七夜を見上げた。

 辛うじて動く、首と顔だけで、七夜を力強く睨みつけた。

 

「そう吠えるなよ。いらぬ煩悶を抱いては黄泉路に迷う。だからこそ死ぬ時は無知であるべきだろう?

 ……とは言っても、あんたは納得しないだろうな」

 

 仕方ない、と七夜は咳き込む。

 そこからは少量の血が吹き出ており、紅い着物に隠れて見えないが、体中からは血が所々からにじみ出ていた。

 ただでさえあの状態で、そしてあの極限の状態の中で、ただでさえ人間の体を限界まで酷使する七夜の体術を、する所まで酷使しすぎた反動であろう。

 今の彼は、立っているのがやっとだ。

 外傷だけを見るのなら、七夜の方がよほど見るに耐えなかった。

 

「俺には直死の魔眼というモノがあってね、あの月兎と同じで特別製でさ。……まあ、あんたら風に言うのであれば、差し詰め『死を視る程度の能力』と言ったところかな……」

 

「死を……視る……?」

 

「ああ……」

 

 律儀にも答えようとする七夜。

 

「死は……万物の結果。あらゆる存在は発言した共に死を潜在する。そこに……ナイフを通しただけだ」

 

「……?」

 

 萃香は七夜の言っている意味が分からなかった。

 死は万物の結果だと、この男は言った。

 何だそれは?

 この男は何を言っている?

 そんな事は有り得ないし、その理屈はおかしい。

 『死』とは『生』があってこそ成り立つ概念だ。

 生きてすらいないモノに『死』があるなんて事はおかしいだろう。

 萃香の思考は、七夜の言うとおり、“黄泉路に迷って”いた。

 

「ああ、悪い。あんたには分り辛いか。……まあ、簡潔に言っちゃあ、ありとあらゆるモノに存在する、物理的な法則を無視した概念的な『弱点』が視える、と言えば分かり易いか……。無論、たとえ“霧”となったあんただって例外じゃあない。

 とりあえずそれで納得できるか? というか納得しろ。出来なかったら知らん」

 

「出来ないね」

 

「そうか。なら知らな――――」

 

「そこじゃないよ」

 

「何?」

 

 なら知らない、と言おうとした七夜の台詞を、萃香が遮った。

 ……そうだ、今の話を聞いた限りでは、納得できない疑問点がもう一つ湧いてくる。それは……

 

「とりあえずさっきあんたが言った事は納得した事にする。……だが、仮にそうだとして……何故、初めからソレをしなかった?」

 

「初めから……とは?」

 

「私があんたの挑発に乗って“霧”になった時だよ。あんたの言うことが本当なら……なぜ最初からその『弱点』とやらを斬らなかった?

 何故……わざわざ私に弾幕の密度を高めさせてまでしてから、ソレを行使したんだ?」

 

「……」

 

 そう、萃香が感じた一番の疑問。

 霧となった自分にすら『ソレ』が視えるというのであれば、最初からそうすれば良かった筈。

 さすがの七夜であっても、“驕り”などという理由でそんな真似はしないだろうと直感したからだ。

 それが人間であるのなら、尚更の事である。

 

「最初は、あんたが“霧”になった時は、“死”なんてこれっぽっちも視えなかった。……いや、あんたの能力から考えるに、あんた自身の“密”が薄すぎるせいで、たとえあったとしても細かすぎて“見”えなかったんだろうな」

 

「……まさか、お前――――!」

 

「ああ、後はあんたの察する通りだよ。あんたが弾幕を濃くする度に、徐々にではあるが“死”が見えるようになってきた。いや、正確には“死”が収束して視えるようになったんだろうな。ここからは仮説の域を出ないが、おそらく弾幕の密度を高める為には、あんた自身の“密”も濃くする必要があったんじゃないのか? 密が濃くなれば、“霧”自身の体積が小さくなり、収束していく。それに比例して、あんたの“死”もまた収束していくという訳だ」

 

「……」

 

 萃香は、何も言えなかった。いや、言い返せなかった。

 七夜が言っていた仮説は、全くもって的を射ていたからだ。

 

「最も、この仮説も、あんたの弾幕を避けている内に確信に変わったがね……」

 

「……何?」

 

 萃香は体が動かずとも、表情で七夜に突っかかった。

 これ以上……何があるというのだと。

 

「あんたさっき言ったよな、“密”というモノは高まれば熱を帯びるが、逆に下がれば“霧状”になると。あんたの弾幕を避けている最中に、ほんの僅かずつではあるが、温度が高まっているのを感じた。湿気がほんの少し上がっていくくらいの違いだが、確実に上がっていた。最初はあんたの弾幕の熱気に当てられて空気が熱くなったのかと思ったが――――どうにも“霧”自身の温度が上がっているみたいだった。

 だから確信に至った――――こいつは徐々に自身の“密”を高めている、とな……」

 

「ハ、ハハハ……」

 

 萃香はもう、笑うしかなかった。

 この殺人鬼は――――そんな些細な違いで、自分の能力の実態を見抜いたとでも言うのか?

 あんな極限の状況の中で、自身の身を守るのが精一杯な状態にありながら、それ以外の事にこんなにも気を配れたとでも言うのか?

 ……だとしたら出鱈目を通り越して呆れてくる。

 

 ――――ああ、そうか。

 

 萃香は思う。

 こいつは虎視眈々と待っていたのだ。

 まるで木陰で獲物を待ち構える獣の如く、待っていたのだ。

 自分に降りかかる弾幕の雨――――一発でも当たれば死んでしまうような弾幕の雨の中で、それでも身を低くしながら待っていたのだ。

 萃香が自身の“死”を曝け出してしまうまで……。

 案の定、萃香の“死”をその魔眼に捉えた七夜は、即座に動きを変えた。

 最高密度の弾幕が辺りを蹂躙しきってしまう前に、萃香の“霧”に走っている“死の線”を次々となぞっていったのだ。

 “死”をなぞる度に、萃香の身に異常が生じ、その度に少しずつであるが弾幕が弱まっていき、その度に“死”をなぞる難度も下がってゆく。

 これをある程度繰り返せば形成はもう逆転するだろう。

 “霧”の外側に走る“死”をなぞられた訳ではないので、外傷はなんともなくても、内側から“死”を次々となぞられれば、それは内蔵の殆どが殺されてしまうだろう。

 その為、萃香の体は見た目はなんともなくとも、その実、治癒不可の致命傷を負ってしまったのだ。

 

「あんたのミスはただ一つ――――俺を殺したければ、あんな挑発なんかに乗らずに、あのまま攻防を続けていればよかったんだよ。だが、直情的なあんたは、それに乗ってしまった。

 結果、自分の“喉元”を晒しちまったんだよ――――最も晒しちゃいけない相手にな……」

 

「ハハハ、何だい何だい。手玉に取ったつもりでいたのに、実の所、手玉に取られていたのは私の方だったのか……。

 まったく――――どっちが『鬼』か分かったもんじゃないよ」

 

「言っただろう――――『生き物』としてはあんたの方が上でも、それが『殺し合い』なら、俺の方が優れているとな」

 

「全く以て、その通りさね……」

 

 ――――ああ、あの時言われた挑発が、まさか本当の本当になってしまうなんて、嘘を嫌う鬼の四天王と謳われた私も墜ちたモノだね……。

 萃香は心の中で、そんな自分を嘲笑った。

 

「さて――――俺から言える事はあらかた言い尽くしたが、“憑き物”は落ちたかい、お嬢さん?」

 

「ああ、落ちたよ。霊夢の仇を取れなかったのは少し残念だけど、あんたがそんなに強いのも、何故私が負けたのかも――――全部、納得したよ」

 

「――――そうかい。なら、そろそろ頃合いだな。あんたとの時間は、たとえ二分間の刹那でも、今までの人生じゃ到底及ばない――――“最高の時間”だったよ」

 

 

 

 

 

 

 ――――そう言って、男は両手に持っている内の、左手に持っているナイフを地面に投げ刺した。

 そんな体では、得物を二本持っていては私を仕留めるには不自由だからだろう。

 

 

 

 

 

 

 ――――男は、ナイフを振りかぶる。

 刀身に反射して美しく輝く月光は、おそらく私にとっての、最期の酒の肴になるに違いない。

 

 

 

 

 

 

「じゃあな、お嬢さん。地獄に落ちたら、閻魔によろしく言っておいてくれ」

 

 

 

 

 

 

 そして男は、私の首筋に、ナイフを振り下ろした。

 

 

 

 

 

 




 ……何か、七夜ってこんな律儀に説明してくれる性格だっけ?


余談:書いてから気付いた事だけど、この「鬼と退魔・上~下」の三話を通して黄理ぱぱの話をしなかった回がない。やっぱり型月において鬼、混血、七夜を語る上で黄理パパの話は外せませんね……。

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