第一夜 幻想入り
――――そこは深い森の中だった。
大凡人が通れるように植物を撤去された後はなく、あるとすればそれは獣道を呼ばれるものくらいだ。
……だからこそ、例えこの山奥に人が住まう里があるなど、誰が想像できようか。
七夜の隠れ里
古くから人でない者との混ざりものの暗殺を専業とし、近親交配を繰り返すことによって一代限りで終わるはずの超能力を血で伝えることに成功した一族。
その一族が住まう隠れ里を覆う森には、幾多の罠――――俗に言うトラップと言うモノが仕掛けられている。
それもその罠の一つ一つが並の人間を即死させるものであったり、一つの小さい罠に連動して次々と大小さまざまな罠が発動される物も数えきれない。
ここは、並の人間――――否、この世界には『魔』と呼ばれる人から外れたモノが数多く存在しているが、そういう者達ですら生き残る事は難しいだろう。
――――だからこそ、この森の中枢に見える少女少年が只者でない事は察しがついた。
単に迷い込んだだけなのでは、と思う者も少なくないだろう。だが先程も言ったとおり、ここは文字通り罠の巣窟なのだ。
森の外から入ったとして、この罠地獄の中枢まで生きてやって来れるのだろうか、と聞かれれば答えは否だ。
つまり、そういった者はまともな輩ではまずない。
少女と思しき子供が――――正にそうだった。
彼女に備わっている技量はもちろんの事。……更には彼女の能力がそうさせていたからだ。
――――『時を操る程度の能力』
文字通りの意味だ。彼女が時を止めようと思えばいつでも止められ、遅らせようと思えば、遅らす事もできる。
まあ時間回帰は――――さすがに不可能ではあるが。
そしてもう一人の少年。
彼がこの森の中にいるのはこの森の中にある里に住んでいる者であり、こういった環境には慣れている。
さらには少年自信も人からかけ離れた体術を有しているため、この森など彼にとっては庭に過ぎない。
つまり、この場においてはある意味少女よりも常よりかけ離れているという事になる。
……最も、そんな事など彼らの間では瑣末な問題であったようだ。
少女は戸惑っていた。
目の前の少年を除いて、自分にこんな風に笑いかけてくれた人間など誰一人としていない。
先ほどのようにこの二人は異常者である事は述べたが、少女にとっては目の前で自分に当たり前のように接し、当たり前のように笑ってくれる少年こそが真の異常であったのだ。
少女は人との触れ合いはなくとも、他人と他人が触れ合う光景ならば幾度だって見たことはあった。
中には少年のようにその他人に笑いかけている所を見た事もあったが、それを直に受けた事のない少女はその“笑顔”と言うものがどういうモノかを知る術などなかったのだ。
それどころか、周りは彼女を徹底的に嫌った。
周りの人も、友達も、みんな彼女を“化け物”、もしくは“悪魔の子”と呼んだ。
彼女の能力ならば、自分達が“止まっている間”に何かをしているかもしれないからだ。
それは些細な悪戯であったり、大げさな事であったりと……。
実際、彼女は時を止めた事は何度かあったとして、そんな事は一切していない。それでも“止まっていた”彼らはそんな事を知る術もいない。
故に、周りは彼女を嫌い、人間として扱わない。
――――オマエは化け物だ。悪魔の子だ。生まれたはならぬ忌み子だ。何故生きる事を望む。貴様にとって世界など“止まっているだろう”。何故われわれに近づく。それ以上近づくな、化け物。ここから出て行け、そして死ね。
自分の事をそう罵った人たちは皆、自分を他所に、互いに笑い合い、そして互いに助け合っていた。
――――そう、彼女を外において、だ。
故に、少女にとって少年の“ソレ”はあまりにも眩しすぎた。
心の底で望んでいながら、一生手の届かない物と言っても過言ではない程に――――。
そして少女は戸惑いと共に確信を持った。
目の前の少年はきっと、自分のような異常者でありながらそれでもこんな風に笑っているのは、きっと周りが少年を受け入れてくれるからだ。
そもそも少年の家柄がまともでないだけに、当たり前といえば当たり前なのだが、周りの人達が“まとも”であったが故に、受け入れられなかった少女にとって、目の前の少年は憧れであるかもしれないと。
だけど、それでも未だに理解できなかった。
異常者同士は相容れるのかと問われれば、それは嘘だ。
むしろ異常者同士こそ、相容れぬといってもいい。
彼女が生きてきたのはそんな世界だ。
故に、少女は戸惑う。
自分の能力を知っても尚、しかも少年の命を狙って襲ったのは自分であるのにも関わらず、目の前の少年は自分に笑いかけ、そして当たり前のように自分を受け入れる。
かつて心のどこかで望んでいた――――欲していたモノをずっと自分に向けてくる。
「志貴……?」
目の前の少年に言葉に、少女はそう呟く。
「うん! 僕の名前!! 君の名前はなんていうの?」
まただ、と少女は目を逸らす。
自分が心のどこかで欲していたモノ。
目の前にソレがあったから。
そして、それを自分に向けていたから――――故に、少女は目を逸らす。
それでも――――、とちゃんと顔を少年の方へと向け、答えた。
「ジル……」
少女は呟く、己の名を……。しかし、少年には聞こえなかったようで、少年は首を傾げる。
「ジルよ……。それが私の名前」
今度こそ、少女は、はっきりとは言わずとも少年に聞こえるように言った。そして帰ってきた言葉は―――――
「ふーん……なんか綺麗な名前だね!」
初めて、そんな事を言われたのだ。
胸が高鳴るを少女は感じ取った。気付けば頬も赤くなり、少女は俯く。
「そ、そう……ありがとう」
「……どうしたの? 突然顔を赤らめて」
赤らめているという自覚はあったものの、まさかに他人に分かるまで赤らめていた事には気付かなかった少女は慌てる。
……こんな風に感情を表に出したのも何時ぶりだろうか、と思いながら――――。
「な、何でもないの!! で、で貴方の名前は何ていうの!!?」
「う、うん。僕の名前は……」
「名前は?」
蒼に輝きし淨眼をもった少年は間をおき、その名をいった。
「七夜……七夜志貴」
◇
懐かしい夢を見た。
自分がまだ紅魔館のメイド長――――十六夜咲夜でなかった頃の自分――――ジルにとってはあの時だけ、確かに自分は救われていたのだと実感していた。
初めて“笑顔”というモノをくれたあの少年。
今でも朧げながら思い出す事ができた。
あの日を境に、私は壊れた自分から抜け出す事ができたのかもしれない。
誰からも歓迎されず、非難され、誰からも受け入れられず――――殺し、壊すことしかできなくなった私に温もりを与えてくれたあの少年。
あの少年と出会い、別れた所から『私』という時間は始まり、そして今があるのだ。
「……ありがとう」
届く筈ない言葉を、口にした。
「……そういえば」
何かを思い出し、ふわふわの布団から出て、ベッドから離れる。部屋の端にあるクローゼットに目をやった。
一番上の段に――――ソレがある筈だった。
それを思い出した時にはもう行動していた。
机の椅子をクローゼットの手前まで運び、踏み台の代わりとする。
引き出しを引き、ソレを探した。
その中は、殺風景な彼女の部屋とは矛盾した――――完全に彼女の趣味の品でいっぱいだった。
そして――――その中にで異質な存在を放つソレがあった。
「見つけた」
一つ息を吐き、そう呟いた。
――――「七ッ夜」と刻まれた黒い鉄の棒。
そしてその端の側面に小さなボタンのようなモノがある。私は何に躊躇したのか、ボタンを押すのをためらっていたが、それでも決心をしてそのボタンを押した。
――――シャキ、と刃渡りが五寸ほどの刃物が飛び出してくる。
あの時、私があの少年と別れた時に、形見としてもらった飛び出し式ナイフだ。
それはナイフというよりは飛び出し式ナイフの短刀版といった所か。
割と古い物のくせに、飛び出し式という仕様は私の中でも未だに疑問だった。……後、その異常な頑丈さも含めてである。
――――”この短刀、あげるよ。僕はずっと君と一緒にはいられない。だから、せめてお守りとして、持っててくれるとうれしいかな”
――――”いいの? これ、志貴の大切な物なんじゃ……”
――――”いいのいいの!! ジルちゃんは僕の友達なんだから、大丈夫”
――――”友達、か……。うん、有難う、志貴。………………”
――――”…? どうしたの?”
――――”ねえ、また……会えるかな?”
――――”……会えるよ”
――――”本当に?”
――――”うん!!”
――――”じゃあ約束。 いつか必ず――――ここに来るわ。その時に、この短刀返すから。その……待ってて……くれる?”
――――”分かった!! ずっと……待ってるから。だけど待ち切れなかったら……こっちから会いに行くかもしれない”
――――”ふふふ……なるべく早く来るわ。……だから、待っててね”
――――”うん!!”
ふと、私は思った。
何故――――今頃になってあんな夢を見たのか。
今ここにいるのは■■という薄汚い殺人姫などではなく、吸血鬼レミリア・スカーレットに仕える従者――――十六夜咲夜の筈なのに……。
そう思って、ふと七ッ夜の刀身に映った自分の顔を見ていた。
……後悔していない顔ではなく、後悔がない訳でもない。
そんな顔だった。
「ふふふ……バカみたい」
そんな自分を私は嘲笑した。
今更、ジルであった頃の未練を抱くなんて、私もまだまだ己の過去から吹っ切れていないのだと……己の未熟さを痛感した。
それども……
――――あの少年は、今でも待ってくれているだろうか。
――――こんな約束の一つも守れない女を、待っているだろうか……。
「ホント……莫迦みたい」
◇
紅美鈴は花が好きである。
まだ咲夜がいなかった頃、紅魔館のメイド長は彼女が務めていたが、メイドとしての才は咲夜の方が突出していた為にあえて門番という立ち位置にいる。
しかしあえて言おう。
ただ待っているだけという程、退屈な仕事もない。
そのせいで、時折……というよりはほとんどの時は門の横の壁によりかかって熟睡している。
が、熟睡しないために眠気をまぎわらす趣味として花の世話がある。
最初はほんの趣味でそれも自分が寝ないようにするためであったが、しばらくやる内に“花”という自然の芸術品にいつの間にか我を奪われていたりする。
咲夜がメイドとして頭角を現し始めてからは、門番の仕事が多くなってきた美鈴。
たまにしかメイドの仕事をこなさなくなった美鈴は、最後のメイドの仕事として駆り出されたのが御使いだった。
普通の御使いとなんら変わらなかったのだが、その頃は人里に花屋ができたという噂を聞き、美鈴は興味本位でその店に寄ったのだ。
どうやらそこの店主は外来人であるようで、外の世界にある花の種やらをたくさん売っていた。
話によると、これから幻想郷の花の種を売っていくそうではあるが。
美鈴は花と言うものが一目で好きになった。
別段花を見た事がないわけではないが、それでもあの時みたいに直に花と触れ合う機会などなかったからだ。
おまけにメイドとしての仕事に忙しく、花ごときに気を配ってはいられないと思いもしていたが、そんなかつての自分を美鈴は後悔したほどだった。
それでついに、花の種を多めに購入し――――
「~~~♪ ~~~♪」
鼻歌を歌いながら花畑にある一つ一つの花に丁寧に如雨露で水をかける美鈴。
まあ言わずもがな、殺風景でただ馬鹿広いだけだった紅魔館の庭はすっかり花の庭園と化してしまったのである。
「ふう、お花たちもすっかり元気になってよかったです」
あの時は―――――本当にはひどかった。
“マスタ~~……スパーーーーーーーーークッ!!!”
“夢想封印ッ!!!”
「――――ッッ!!!」
嫌な声が美鈴の中で脳内再生され、途端に顔を苦ませる美鈴。
そう、紅霧異変の時である。
幻想郷を紅い霧で覆い尽くし、主人であるレミリア・スカーレットが幻想郷を支配しようという、他の類を見ない大異変であった。
レミリアの友人であるパチュリーはレミリアの野心に興味がなく、読書に没頭していたためにもちろんレミリアを止めようとは考えなかった。
レミリアに完璧の忠誠を誓う咲夜はレミリアが幻想郷を支配することに大賛成だった。他のメイド妖精もそれに従うしかなかった。
レミリアの幻想郷の支配計画に唯一反対したのが、美鈴だった。
美鈴はとにかく人間関係が超友好の、言うなれば”いい妖怪”である。
そもそも美鈴がレミリアに忠誠を誓うのは、もちろんレミリアという存在に魅了されたからだ。
吸血鬼として強大な力を持ちつつ、その力で他者をねじ伏せる姿は圧巻であり、それが理由の一つでもある。
しかしそれだけではなく、レミリアは吸血鬼の癖をしながら、多量の血は飲めないという少し特殊な吸血鬼である。
外の世界にある死徒という吸血鬼たちとは異なり、妖怪としての吸血鬼である彼女は別段、血を吸わなかったところで力が弱まってしまうわけではない。
――――ちなみ、死徒というものは人間から吸血鬼になったものたちの総称である。彼らも吸血鬼として相違ない強さと驚異さを持っているが、所詮その元の器は“人間”である。
“人間”の器でその力を持ち続けるのは極めて困難で、その為に彼らは“元”同族である人間の血を吸う。
しかも長い時を生きた死徒ほどその質は悪く、長い年月をかけて強められた能力に比例して、その力を維持し続ける量の血も必然と多くなるわけだ。
まあ、それを止めるために聖堂教会やら代行者やら埋葬機関やらが存在している訳だが、その話は除外しておこう。
レミリアは高貴な吸血鬼だった。
その圧倒的な力を持ちながらも、人間からは最低限の血しか吸わず(正確にはその量しか吸えないのだが)、他者の在り方を尊重し、あえて殺さない。
その高貴で誇り高い姿こそが美鈴がレミリアに惹かれた一番の理由である。
死徒のような吸血鬼たちとは違う、その手は牙は血に汚れながらも、決して穢れることのない彼女の魂。
それを主として持つのは美鈴としてはとても誇り高い事であった。
しかし、先ほども述べた紅霧異変にて彼女は変わってしまう。
幻想郷を紅い妖力の霧で包み、幻想郷を支配。
全妖怪を配下としておき、か弱き人間どもは皆殺し、という普段の彼女からは考えられない暴挙。
彼女の誇りに惹かれて従者となった美鈴は、レミリアが自分自身の誇りに背いた事に怒りを覚えたのだった。
しかし、彼女が全力を出したところで主たるレミリアにかなう筈もなく、もう一人の従者たる咲夜を相手にやっとといった所であろう。
だから、美鈴は待つことにしたのだ。
これから来るであろう博麗の巫女を待ち――――いや、博麗の巫女でなくても構わない。
自分の主人の眼を覚まさせてくれる程の人格者と強さを兼ね備えた者を、待つことにした。
自分の主人を守るという建前で、異変解決に来るであろう人物が自分の主人に仇名すに値する者であるかを試すために、紅い霧が立ち寄る中で門の前に立つ。紅い霧によって、いまやその生気すら耐えようとしている花達を見守りながら――――。
――――お望みの人材は来たといえばきたのだが……
“夢想封印ッッ!!!”
“マスタースパークッッ!!!”
「――――ッッ!!!」
またもや嫌な声が美鈴の中で脳内再生される。
そう確かに異変を解決するに値する人物が二人来たのだ。
しかし、自分が話しかけようとする前に、先制攻撃をを容赦なく叩きつけられたのだ。
まず初撃として、博麗の巫女の『夢想封印』。大きな威力を持った七つの大玉が執行に敵をホーミングする完璧に初見殺しの技だった。
躱したつもりが、ホーミングしてまた向かってくるので結局全弾美鈴の体に命中し、そして怯んだ所に、白黒の魔法使いの『マスタースパーク』。
強大な魔力をマジックアイテムに集中させ、極太の光線を放つ技であり、その技で美鈴は花壇にある花達ごと吹き飛ばさたのだ。
結局、その後も『弾幕ごっこ』という名の『フルボッコ』を受け、花達も巻き添えに――――。
「――――――ッッッ!!!!!」
思い出しただけで腹が立つ美鈴であった。
結局、異変そのものは事なきを得て、主人たるレミリアも元に戻ってくれたが、あの異変は自分の心を深く抉った出来事だったのだ。
まあ自分の主が元に戻ったと考えれば、辛うじて少量のおつりが帰ってくるだろう。
しかしその苛立ちも花達の元気な姿を見れば、自然と癒されていく感じだ。
美鈴は気を取り直して、花壇の花達に水を与え続けた。
「おや、水がなくなっちゃいましたねえ……」
如雨露が軽くなったのを感じ、そう呟く美鈴。
紅魔館の台所から注いできた予備の水もバケツの中を除けば空っぽだ。
「仕方ないや……また台所へ――――あれ?」
その時――――美鈴の視界に変なモノが移った。
花畑の花達に隠れていてよく見えないが――――紅い何かだった。
何だろうか、と思った。
妖力を使った低空を飛んだ。みすみす花畑の中を歩いて、花達を潰すわけにはいかないからだ。
――――紅いナニカの正体が露わになっていき、やがてそれが人影である事を美鈴は確信した。
そして更に近づいていき――――。
「―――――ッ!!」
そこには――――――
――――――紅い和服を着た青年が仰向けに倒れていた。
旧作の一話目と随分違いますね……。