「ん、だれ? 」
冷泉は、加賀の背後に誰かが立っているという事しか認識できていない。声の主の姿を確認しようと、首を左右に振る。
「……生田提督です」
と、加賀が答える。その声は、どこか苛立っているようにさえ聞こえる。
「全く……せっかく招待してやったっていうのに、会場で提督同士でいがみ合いを演じ、主催者に挨拶も無しで姿を消す。いくらなんでも常識がなさ過ぎるな」
ぼやくような、呆れるような声が聞こえる。
加賀の手により車椅子の向きが変更され、やっと彼の姿を確認できた冷泉。横須賀鎮守府提督に向かい合うと、おとなしく挨拶をし、謝罪する。
「せっかくの祝いの席だというのに、くだらない喧嘩をして醜態を晒してしまい申し訳ありませんでした。えっと、反省しています。……けれど、言い訳だけはさせてくれませんか。私は、……あそこであの女に言いっぱなしにされるのが耐えられなかったのです。私の事を批判するのは彼女の境遇を思えば、やむを得ない部分もあろうかと思います。けれど、艦娘は関係ない」
「言わんとすることは理解できる。けれど、君も大人なんだから、もう少し自制心を持たないといけないんじゃないのかな」
表情を全く変えることなく、見下ろす形で生田が話す。
「確かに、それは反省しています。お恥ずかしいところをお見せしました。それから、何の挨拶もせずに出て行った事も謝ります。……挨拶は、また明日にでも行こうかと思っていました」
「ふん……まあそれはいいか。済んだことをネチネチいうのも大人げないからな。謝ってくれたのだから、これ以上は問わないことにしよう。……ところで、うちから舞鶴に異動した、そこの艦娘はどうかな。我が儘放題で甘やかしていたから、ずいぶんと君や鎮守府の人に迷惑をかけているのじゃないか」
「いえいえ、とんでもないです。最初は、環境になじめなかったようですが、最近では他の艦娘ともわりと仲良くやっているようですよ。……なあ、加賀」
急に話を振られ、一瞬焦ったような顔をしたが、すぐに目をそらす加賀。
「むしろ、私のほうこそ彼女にはいろいろと迷惑をかけているんですよ。何せこんな身体ですからね。それでも、嫌な顔もせず、いろいろと手伝ってくれているので、感謝しています」
そう言って冷泉は屈託無く笑う。
「確か、そこの加賀を助けようとして、大怪我をしたと聞いていたが……。車椅子に乗っているということは、その怪我が原因で後遺症が残ってしまったというわけなのだろうか。それで、大湊のあれが君の姿を見てギャーギャー言っていたわけだね。ところで、回復の目処は立っているのか? 」
「……まあ、リハビリを続けていけば、たぶん、ある程度までは回復すると思います」
冷泉は曖昧な言葉を連ねて回答する。医師からは麻痺について何も言われていない。現在でも右腕以外については、なんの感覚も無い状態である。けれども、冷泉としては、何の根拠も無いものの、必ず治ると信じていた。
「そうか、……それは、きついな」
冷泉が加賀に心配させないように嘘を言っているのだろうと判断した生田は、少し辛そうな顔をした。
「まあ、焦らずにゆっくりとリハビリに取り組めばいい。思い切って休暇を取り鎮守府を離れて、そういった施設で治療的に集中すれば、もしかすると光が見えてくるかもしれないな。むしろそうした方がいいのではないかな」
「……提督は、もとに戻ります」
突然、加賀が口を挟む。
「きっと前のように動けるようになり、鎮守府を指揮を執ります。それまで私が出来る限り側にいてお世話をします」
「……お前なあ」
呆れたような口調で生田が加賀を見る。彼女を見る瞳に鋭さが宿る。
「どういう神経しているんだ? お前のせいで、彼はこんな体になったんだろ? 少しは反省したらどうだ? 反省しているのか? お前の身勝手さが横須賀でもみんなの輪を乱していた事を忘れたというのか! 舞鶴に行ってからも、相も変わらず同じ事をしていたと聞いていた。何を拗ねたままでいたんだ。そのせいでお前の上司はこの有様だ。……まったく、役に立たないくせに、不幸だけは運んで来るんだな」
「いや、そんなことは無いです。生田提督、加賀は何も悪くないんです。私がこんな風になってしまったのは、全てが私の不注意が原因なのです。そして、私の作戦指揮がダメだったからです」
「どうだ、加賀。良い上司だな。お前のせいで殺されかけたっていうのに、……お前のせいで、一生全身が麻痺したまま生きていかないといけないかもしれないのに、こんなにしてまでお前を庇ってくれるんだ。……一体、どんな色仕掛けをして彼を籠絡させたんだ」
「私と提督は、そんな関係じゃ無い! 」
加賀が叫ぶ。
「そうか。ふーん、まあそれなら別に構わん。だが、一つ教えて欲しい。お前はこれから、冷泉提督にどうしてやるつもりなんだ? 彼の身体の状況が改善しないのなら、指揮官としての任務を果たすことは不可能だ。そう遠くないうちに彼は提督の職を解かれる事になるだろう。そして、戦時下のご時世だ。障害者は軍に留まることさえできないだろう。彼はこんな状態で鎮守府を放り出され、路頭に迷うことになるだろう。聞いた話だが、彼には身寄りが誰もいないらしいしな。宿舎住まいだから、退官後は住む場所すらないだろう。仕事も無く、もちろん金も無い。自力では何もできない人間が生きて行くには、今の時代はあまりにも厳しいぞ」
「そ、それは……」
加賀が言葉を詰まらすが、きっぱりと宣言する。
「私が、提督の側でずっとお世話をするわ」
「わははははは、それは傑作だ」
突然、生田提督が笑った。それは堪えきれずに笑ってしまったと言っていい。腹を抱えて笑った。肩を揺すって笑った。
「……ふざけるな! お前は、自分の立場というものを忘れたのか? 強力な兵器とリンクしている艦娘が軍を離れて生きることなどできるはずも、許されるはずも無いだろう。そして、一民間人でしかない彼の為に行動することも許されるはずのないことを。お前にはもう何もしてやることなどないんだよ。そして、何もできない。全てはお前の我が儘、自分勝手さが呼んだ結末だろう。お前のせいで、彼はこんな状態になった。そして、彼は全てを失うのだ。文字通り、何もかもな。愚かな一人の艦娘の為にな。もはや、お前ごときが責任を取れるような状況じゃないことも分からないのか? この愚か者め! 」
「それは、……それは」
何かを言おうと、必死で何か反論しようとするが言葉が出てこない加賀。
「私は、私は」
「いいんだ、加賀。お前は、何も悪くない」
遮るように冷泉が言葉を発する。
「これは俺が望んでやったことだからな。お前は何も気に病むことのない事なんだよ」
そう言って、加賀に微笑みかける。
「けれど、提督……」
いつしか彼女の瞳から涙がこぼれ落ちている。
「生田提督、申し訳ありませんが、それ以上加賀を責めないでやってくれませんか。横須賀でどういった事があったかは私は知りません。提督も思うところがあるのかもしれません。けれど、加賀一人が悪いような言い方はしないでください。本来なら、私がもう少し上手にやれれば良かったんです。けれど、私の能力ではこれが精一杯だっただけなのですから」
「冷泉提督、君はこの結末で構わないというのか? 満足なのか? 君がいいというのなら、それでいいかもしれない。しかし、君のこれからの人生を思えば、そう余裕をもっていられる状況ではないと思うのだが」
「はっきり言っておきます。私は、あの時、深海棲艦の攻撃に晒されていた加賀をなんとしても救いたかっただけなのです。戦争だから、死から逃れられない事は理解しています。けれど、親友を失い、悲しみの底に沈んだままの彼女は自ら死を選ぼうとしていた。そんな状態のままで彼女を死なすなんて絶対にできなかった。何もかもに絶望したままなんて、あまりに辛すぎますからね。そして、なんとか助けることができた。加賀は戦火に沈む事無く、今もここにいてくれます。私の側にいてくれます。それだけで私の望みは満たされています。これでも充分満足なのです。それ以上、何を求めるというのですか」
「だが、君は障害を負ってしまい、このままだと除隊させられる可能性だってあるのだよ」
「加賀の命と引き替えだったら、いつでも私の命を差し出しましょう。安いものです」
冷泉は、あっさりと答えた。
「実際には、私まで生きて戻ってこられたのですから、結果で言えば、むしろ幸運とさえ思っています。それから加賀を救う事は、もちろん、私の望みでありましたが、それだけではありません。……加賀、お前にも言ってなかったかな」
そう言って背後を振り返る。意味が分からず首を横に振る加賀。
「加賀を救うことは、彼女の盟友であり親友の赤城の願いでもありましたら。だから、赤城の願いを叶えるためにも、なんとしても助けたかったんです」
「赤城の願い? はあ? どうしたんだ、君はまた意味の分からない事を言うのだね。赤城とは面識があったというのか? ……いや、そんな機会は君にはありえないはずだが」
赤城という言葉にすぐに反応を示す生田。そして、彼の言葉から、冷泉がこの世界の住人では無いということを知っているらしい。
「私が生死の境を彷徨っていた時に、彼女に出会い、そして話をしたのです」
冷泉の言葉はこの場にいる人にとってはあまりにも荒唐無稽な話だっただろう。真面目な話の中で空気を読まない冷泉の発言に、一瞬戸惑いの雰囲気が漂う。
「な、なにを突然」
「生田提督、あなたに赤城からのメッセージを預かっていますよ。……加賀、お前にもあったぞ。それはまた教えてやるからな」
「言うに事欠いて、そんな君の妄想など聞きたくもない。……馬鹿じゃないのか? 赤城は既に轟沈し、この世界には存在しない。そして、君が赤城と会うチャンスなど無かったはずだ」
「確かに、普通に聞いただけでは妄想と思われても仕方ありませんよね。だけど、決定的な証拠があります。少し、お耳を拝借」
そう言って、冷泉は彼を手招きする。怪訝そうな表情をしながらも、生田提督は冷泉の方へと顔を近づけた。
「内密な話なのですが。○×△▽□●×▲▼■○×△▽□●×▲▼■……」
冷泉は、小声で囁く。時の狭間で赤城から聞いた彼女と生田との秘密の話を。
「な! 」
これまで、ほとんど無表情で淡々と対応していた生田提督の顔に明確な動揺が表れた。明らかに不意を突かれたような形で、顔がみるみる赤く染まっていく。
「な、なんで、そんなことを君が知っているんだ」
「だから、赤城から聞いたんですよ。この話は提督と赤城しか知らない話だって言ってました」
得意げに冷泉が話す。
「ま、まさか。そんな事なんて」
「これで、私の話を信じてくれるでしょう? 」
そう言うと冷泉はニコリと笑った。
動揺が収まらない生田は、背を向けて何度も何度も深呼吸をする。そして、顔を両手で何度も叩くと、こちらを振り返る。
「納得はできないが、事実と認めるしかない」
と言った。
半信半疑かもしれないが、冷泉の言葉を否定する証拠が無いため否定できないのだろう。
「では、赤城からあなたへ伝えたかった言葉を預かっているので、お知らせします」
そう言うと、一端言葉を切る。少し深呼吸をすると言葉を続けた。
「あなたの選択は決して間違っていなかった。あの時、最良の選択をしたのだと。そして、私は決して、あなたの事を恨んでいません。今でもあなたを誰よりも愛しています……。ですから、私の事には拘らず、あなたの理想を、あなたの進むべき道をお進みください……。これが、赤城から生田提督への伝言です。きちんと伝えましたよ」
生田提督は少しの間、黙ったままだった。うつむき加減で何かを考えているのだろうか。微動だにしなかった。
そして、暫くすると
「そうか……」
と呟いた。そして、また少し間をおくと
「冷泉提督……」
「はい、何でしょう」
「ありがとう」
とだけ生田提督は言った。
「了解です。約束は果たしましたよ。……それから、話を元にもどしますが、私は今回の事では何も後悔をしていない事だけは分かって下さい。たとえ、この先どうなろうとも、私は後悔することはありません。……加賀、それはお前も同じだぞ。変に考え込むなよ」
「……君がそこまで言うのなら、最早、私がどうこういう話ではない」
納得はしていないのは明らかだが、生田提督はそう返答する。
「では、私はこれにて失礼します」
冷泉は頭を下げる。
「冷泉提督」
突然、呼び止められる。
「何でしょうか? 」
「問題なければ、加賀と少し話をさせてもらいたいのだが」
生田提督の意図が分からなかった冷泉だが、
「それは構いません。では、私は先に宿舎へ戻ります」
と答える。車椅子は電動なので、介助が無くても進むことができるのだ。
「それでは、失礼します。お休みなさい」
右手でレバーを操作し、冷泉は車椅子を発進させた。