「まったく、……もう」
扶桑の口から思わず愚痴がこぼれてしまう。
その声が聞こえたのか、隣に座った吹雪型駆逐艦の叢雲(むらくも)がピクッと反応したのが分かる。
うつむいたままこちらを見ようともしない。いつもの少し生意気ささえ見せる表情にも元気が無い。
まあ、彼女なりに反省しているんだろう。
一時間以上、みっちり説教しちゃったから堪えない方がおかしいけど。
外はもう真っ暗になっている。
舞鶴海軍病院から鎮守府への移動の車の中だ。
前後を同じような形のワゴンがこの車を護衛するように走っている。
そちらには完全武装した兵士が乗っている。
病院から鎮守府までの区間が治安が悪いわけではないけれど、鎮守府司令官と艦娘3人が移動するのだからこれくらいの警備は必要という訳だ。
鎮守府の兵士が運転するワゴン車の真ん中の列には提督と金剛が座り、三列目には扶桑と叢雲が座っている。
ちなみに助手席にも護衛の兵士が乗っている。
頭を包帯でぐるぐる巻きにした提督の後姿が痛々しい。
隣に座った金剛が心配そうにか面白そうか判別できないが彼を見つめ、何かヒソヒソ話しかけている。
しかし―――。
あの時、いきなり館内に悲鳴と炸裂音が響き渡ったのには驚かされた。
病院周囲は兵士たちが厳重に警備しているはずだから万全なはずの病院館内にありえない事態。
反体制派のテロリズムかと緊張が走った。
即座に戦闘態勢に入り、大急ぎで駆け付けた扶桑と金剛の前には、白目をむいて失神している提督と彼に馬乗りになって呆然としている叢雲の姿があったのだった。
テロリストとの戦闘を覚悟し、本気で緊張していた扶桑は、そのあまりに馬鹿げた光景に唖然とした。
まったく。
何やってるのこの子は。
そして、……何しているのよ提督は、と。
呆然としたままの叢雲を問いただしたところ、提督が意識を取り戻したことを知った彼女が、提督の様子を見に行こうと病室へ移動中にフラフラ歩いてきた提督と衝突し、勢い余って二人とも運悪く階段を転落したらしい。
そして、どうやら提督が彼女をかばったようで、叢雲は怪我一つしていない。提督は全身を強く打ったようだけど。
落下が原因かどうかわからないけれど、気がついた時には二人は口づけをしている状態になっていて、さらには提督の右手ががっしりと彼女の胸を掴んでいたとのこと。叢雲曰く、まさぐっていた状態らしいけれど。
彼女はぶつかった相手が誰か分からず、はっと気付いた時にそういう状態だったことからパニック状態に陥り、悲鳴を上げると同時に反射的に手加減なしのビンタを提督にしたのだった。
艦娘は人間の女性ような見かけはしているけれども、軍艦である。力は人間のそれを遙かに凌駕しており、加減無く人間を殴ったりしたら命の保証はしかねる程なんだけれども。
そんな一撃をまともに喰らったのに生きている提督、あなたは一体何者なんですか?
提督への疑念がますます強まっていく扶桑だった。
「まーまー、扶桑もあんまり怒っちゃだめデスよ。叢雲ちゃんだってビックリしただけなんだからー。これ以上責めたら可哀相だよー」
お気楽な口調で金剛が後ろを振り返る。
「私だって、いくら提督が相手だからっていきなりTPOをわきまえずにあんなことされたらびっくりするモン」
「いや、俺はそんなつもりがあった訳じゃあ……」
ぼそりと提督が前を向いたまま否定するが誰も反応しない。
「金剛、あなたの言うことは論点がズレまくりなのよ。手加減なしで人間を殴ったらどうなるのか、分からなかった訳じゃないでしょう? ただでさえ私たち艦娘は誤解を受けやすい立場にあることを忘れてはいけないの。私たちは兵器だけれども、人間の味方、人間の側にある存在であることを常々意識し主張していかなければならない。そうでなければ人間と私たちの共存を続けていくことなんてできないのだから。
人間たちは皆優しい。けれども、心ない人もたくさんいるのだから」
「そんなこと分かってるし、みんな分かってくれているじゃない。鎮守府の人たちはみんな優しい人ばかりダヨ」
気楽に金剛は言うが、現実はどうなのだろうか。
「とにかく、私たちは誤解されやすい存在なのだから、常々肝に銘じておけということよ。事実だけをみて、艦娘が馬鹿力で絞め殺そうとしたり殴り殺そうとしたって悪意ある人は利用する可能性があるのだから。そんな危険な芽は摘んでおかなければ……。
人間と艦娘の関係を引き裂こうとする勢力をいつも意識しておかないといけないのよ」
「心配性デスネ、扶桑は。でもさすが、まいちん艦娘のリーダー的存在デス」
「茶化さないで」
「分かってマス。今後は誤解を受けないように気をつけますヨ。叢雲ちゃんもそーだよね」
「あ、あたしは提督に怪我をさせるつもりなんてなかったもん! 吃驚しただけなんだから」
俯いたまま、涙声で訴える叢雲。
「それは分かってるから。あなたが反省していることもね」
姉のような優しい口調で答える扶桑。
「うん」
涙をぬぐいながら叢雲が答えた。
「そうそう。それでいいんだよ。俺も別に怒っちゃいないから、安心してくれ」
タイミングを計っていたように提督がこちらを振り返って笑った。
「あはっははは! 」
と、金剛が吹き出す。
こちらを振り返った提督の顔の左の頬は大きく腫れ、叢雲の手形が見事なまでに残されていたのだった。
それが薄暗い車内に時折入り込んでくる光で照らされ、とてつもなく不気味で不細工に陰影をつけていた。
「うぎゃー、提督の顔、凄いブッサイク!!」
「ヒッ」
扶桑もこらえきれずに吹き出す。
明るいところで見たときはなんとかこらえていたものの、さすがにこのシチュエーションで見てしまったら笑いを我慢できなかった。
殴ったことを反省しているはずの叢雲まで
「キモイ、こんなのにキスされたなんて、死にたい。あんた、どっか行きなさいよ」
とぼそっと呟いていた。
「ひどい、……ひどすぎるぞ。あんまりだろ、お前ら」
左頬をスリスリしながら、不満げに提督がぼやいた。
その言葉でさらに運転席と助手席の兵士も思わず吹き出す。
「やれやれだな」
呆れた提督まで照れ笑い。
おしまい。