同じく地下一階の施設で療養中の扶桑の部屋を訪ねる。
まだ少し心臓がドキドキしている。
大井があんなに取り乱すなんて想像もしていなかったからだ。彼女にどんなことがあったかは会話の中での断片的なことしか知ることができなかった。そして、おそらくあれ以上は彼女も冷泉には話さないだろう。
司令官として、上司として、そして人として彼女の心の傷を癒してあげられれば良いのだろうけれど、今のところはどうすることもできなさそうだ。時間をかけて彼女との距離を縮めていくしかないのだろう。
しかし―――。
そんなことにさえ気づかなかった自分に今更ながら嫌悪感すら感じてしまう。
ここは冷泉がかつていた世界とは異なるのだ。
人類は異形の敵と全面戦争の最中であり、そしてその最前線に立っているのが彼女たち艦娘なのだ。
あまりにあたりまえすぎることだけれども、ゲームとは違うということを失念してしまっていた自分に。
そんなことを考えていたせいか、扶桑の病室を見つけるのに少し時間がかかってしまった。
名札を確認してから、ノックをする。
すぐに返事がある。
冷泉はドアを開ける。
「どうぞ、お入り下さい」
冷泉が来るのを察知していたのか、ベッドの中ではなく、椅子に腰掛けた状態の扶桑がいた。いつもの巫女衣装で迎えてくれる。
「扶桑、大丈夫か? 」
「大丈夫ですよ。私は軽い怪我ですから。私のことはお気になさらずに。……それよりも大井となにかやりあったんですか? 」
「ウッ……何か聞こえたのか」
慌てて答える。
「いいえ。ここの病室は結構防音加工してますから、少々の声では聞こえてきませんよ。ただ、大井の心の乱れが感じ取れたものですから。……あの子の性格上、提督と何か言い合いになったのかなって」
「いやいや、そんなたいしたことじゃないさ。すごく……些細なことだよ」
そういってうやむやにしようとする。
「想像するに、今回の戦いで神通を見捨てずに撤退戦を行った事で言い合いになった……ってところですね」
「え、いや、その」
「あの子は姉妹と言っていいほどの艦娘を領域から撤退する際においていかなければならなかったという過去があります。命令であったからそれは仕方の無いことなのですが、彼女にとっては、大切な家族を見殺しにしてしまったという罪の意識にずっと苛まれていたのでしょう。そんな中での今回の事案です。提督がしたことについて、釈然としないところがあったんでしょうね。どうせ、提督が無神経に発言して彼女を怒らせてしまったんでしょうね。そして、さらには泣かせてしまったんでしょ? 上着に彼女の涙のようなシミがありますよ」
……そこまでお見通しか。何も言ってないというのに。
「その件については、俺と部下である大井の私的な会話だから、たとえ君であっても話すことはできないんだ。ごめんな」
冷泉が言うと、扶桑は何故か優しげな視線で冷泉を見る。
「ふふふ。提督らしいですね。その件については私も問い詰めるつもりなんてありませんよ。あるとするならば、どさくさにまぎれて大井に何かいやらしいことをしたことくらいですかね」
「そ、そんなのするわけないし」
「冗談ですよ。提督はそんなことをするようなド変態でしょうけど、弱っている女の子の心理につけ込んでまでそんなことを実践するようなアンフェアな人ではないでしょうから」
慌てて否定する冷泉にさらに酷いことを言う。
「それって結構人格否定されているような気がするんだけど」
「褒めているつもりなんですけれど。でも……」
一拍おいて、真剣なまなざしに切り替わる。
驚いて緊張してしまう。
「提督、今回は作戦としては成功しましたが、あの提督の決断は余所から批判を浴びる可能性があります。これまでも撤退において大破等した艦がある場合は、その娘をうち捨てて、その娘が時間稼ぎをすることにより撤退の成功率を上げてきました。同様の状況においてはまずはその戦法に出るのが定石。それを無視した提督の判断は、すでにネットワークを通じて上に報告がいっているはずです。追撃艦隊に想定外の損害を与えた上に、全員無事に撤退させた手腕はお見事ですが、そんな結果になったから余計に上はそんな風には取ってくれないはずです。たまたま運良く逃げ切れただけで、通常なら損害が大であったはず。貴重な艦娘を危険にさらした鎮守府提督の判断が正しかったかどうか検証を行う必要がある。まず間違いなくそう思われているはずですよ」
「そんなに捻くれた連中しか……いや失礼。そんなに厳しいのか」
「よーくお考え下さい。提督がどうお考えになられているかは分かりませんが、鎮守府提督という立場は提督が思っている以上に皆が羨むポストなのです。隙あらば足を引っ張ってやろうという輩がどれほどいるかしれたものではありませんよ」
好きでなった訳じゃない、いやそれ以前に問答無用に決められていた立場だけど、そこにそれほど執着する人間が存在すると言うことは、こちらの世界の住人でない冷泉にとっても想像に難くない。
誰しも出世欲はあるだろうし、艦隊司令官ならどれほどのチカラを動かせるか。魅力的ではあるのだろう。
「近々、まず間違いなく提督は査問委員会に招聘されるはずです。そこで今回の作戦についての詳細な説明をさせられるでしょう。その結果によっては軍法会議行きとなる可能性もあります」
「そうなのか? まるで犯罪者なみの扱いなんだな」
「鎮守府司令官だから、間に査問委員会を挟んでくれるのですよ。今のお立場でなければ定石に反した作戦を指揮したというだけで相当なマイナス評価ですから、そこに一気につけ込まれて失脚させられてしまうでしょう。提督は運がいいのです。まあとにかくそこで上手く説明できなければ、提督とは短いおつきあいでしたってことになっちゃいますけどね」
「おいおい、もうクビなの? 」
「すみません。驚かせすぎましたね。これはあくまで最悪のシナリオの場合です。提督は艦娘を誰一人犠牲にせず全員無事で帰還させたという実績があります。その手腕は評価せざるをえないでしょうし、戦時下にある海軍にとっても切り捨てるには惜しいと考えるはずだと思います。たとえ軍紀に違反していると結論づけられたとしても、この事実がある限りはそうそう攻められないでしょう。たぶん」
「そうか。少し心配してしまったよ」
「でも、あまり無茶をしないでください。私の懸念は決して考えすぎではないと思います。目立ちすぎる行動は提督の立場を危うくするだけです。せっかく私たちにとってすばらしい提督が来てくださったのに、いなくなってしまったら辛いですからね」
「お、扶桑、心配してくれるんだ」
なんかうれしい。
「またすぐ都合のいい解釈をしますね。残念ながらそういった意味での好意を持っているわけではありませんので、あしからず」
「そっか、むーん残念」
「でも、提督がいなくなったら悲しむ子があっという間に増えてしまいましたからね。現実に提督がいなくなるような事があれば、舞鶴鎮守府が本当にダメになってしまいます。それが心配」
「え! 本当か? そんなに想ってくれる子がいるなんて」
「あらあら。すけべえな提督にしては鈍いんですね。あまりにモテなさすぎて女の子の好意が何なのか分からなくなっているのかしら……? 」
「それすごい酷い言ってる上に、上官に対する態度とは思えないんだけれど。凄く辛いです」
と、冗談めかして言うと、扶桑はけらけらと面白そうに笑った。
「誰が提督に想いを寄せているかは、実際に自分で探してくださいな」
どうやって確かめたらいいのか聞きたかったが、ソレを言うとまた馬鹿にされそうなので冷泉は堪えた。
「とにかく、みんなの顔を見られて良かった。全員無事に帰還させられて良かった」
感慨深げに呟く。
「そうですね。すべて提督のおかげです」
「あれ、ずいぶんとあっさりと認めてくれるんだね」
「当然です。何はともあれ誰一人失うこと無く帰ってこられたんですから。あの状態であんな作戦を立案し実行するなんてこれまでに無かったですから」
「そっか。とりあえず鎮守府提督としては及第点をもらえるのかな? 」
「そうですね。まあ【可】は出せると思います」
「ふう。厳しい評価だなあ」
「これからのご活躍に期待を込めての評価ですよ。これなら評価は上がるしかありませんよ」
「よーし。なんとか頑張ってみるよ」
「期待していますよ。……でも提督」
「ん? なんだい」
「私達の命、すでに提督の物です。提督の思うように私達をお使い下さい。そして、勝利を手にして下さい。提督がどのような作戦を実行しようとも、私達はそれに従います」
急に真面目な顔で扶桑が言うから、冷泉は驚いてしまった。真面目な話をされたら、こちらも答えるしかない。
「俺は誰も死なせない。そして勝利を掴む。これだけは絶対事項だ。俺はお前たち誰一人として、悲しませることが無いようにする。夢想主義者だと笑われるかもしれないけれど、これだけは譲るつもりはない」
「そうですか……」
扶桑はそう答えるが、どこか悲しげだ。
「そのお考えは素晴らしく、否定するつもりはありません。けれど、その想いに囚われすぎないでください。現実とはままならぬもの。提督や私達艦娘の意志に関わりなく唐突にその時が訪れます。その時、自らの理想の為に道を見失うことのなきように……」
彼女の言わんとすることは当然ながら冷泉でも理解できた。だけど理解はしたくなかった。
「そんなことにならないよう、最大限の努力、いやそれを遙かに上回る努力をするつもりだよ。……絶対に。……俺は。誰も泣かせない」
自分に言い聞かせるように、誓うように言った。