まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第254話 甘い接吻

柔らかく温かい感触が唇から全身に伝わっていく。それは甘美であり危険なものであった。

とろけるような気持ち、そして全身が熱くなる感覚。

冷泉は冷静さを取り戻そうと必死になる。

 

すぐ傍に目を閉じて冷泉と唇を重ねている金剛がいる。

かつては自分の部下でいつでも傍にいて笑顔を見せてくれていた少女。

今はての届かない遠い遠い場所に行ってしまったはずの少女。

 

同時に金剛の舌が冷泉の口の中に滑り込んできた。そして、冷泉の舌に絡まってくる。

一瞬の動揺の後、冷泉は驚きよりも欲望が上回り、むさぼるように応えていた。

 

金剛が、今、自分の腕の中にいる……。高まる感情の中、冷泉は金剛を抱きしめていた。

 

あの時言えなかった言葉、伝えられなかった想いがあふれ出しそうになる。

もう二度と離したくない。叶うことの無いはずの願いを願ってしまいそうになる。

 

愛おしい……。

ずっとそう思っていたのに言葉にできないままだった。目を背けていた感情だった。

金剛を失ってしまったせいで、その喪失感が……失ったものの大きさが抑圧していた冷泉のどろどろとした感情の蓋を開けさせてしまったのだろうか? 

できることなら、このまま金剛を奪い去って……。

 

すべてから逃げ去りたい。

 

刹那―――。

冷泉の脳裏を舞鶴鎮守府の艦娘たちの姿が横切った。

 

それは暴走しそうになる冷泉の感情に冷水を浴びせかけたのと同じ効果をもたらす。

 

強く抱きしめていた冷泉の両手の力が失せていく。

 

瞳を開くと、金剛と目が合った。

 

冷泉を見る彼女の瞳は恐ろしく冷たく感じられたのはなぜだろうか。

金剛は冷泉の襟首を掴んでいた力を弱めると、彼を突き放す。その力はやはり艦娘のものであり、人間とは思えないほどの力だった。

 

冷泉は激しく壁に背中を打ち付け、うめき声をあげて床にへたり込んでしまう。呼吸を求めてみっともなく咳き込む。

 

「……つまらない」

声が聞こえ顔を上げると、心底つまらなそうな表情をした金剛が、袖で唇を拭っているところだった。

冷泉は床に這いつくばった状態で彼女を見上げている。彼女の体の凹凸が強調されるアングルであったため、直視できずに目を逸らしてしまう。

 

「なんて本当に、つまらない」

もう一度、彼女が言う。

 

冷泉は何のことか分からずに彼女を再度見上げる。その表情が彼女にとって間抜けに見えたのだろうか? 金剛は蔑むような表情になる。

 

「もっと何かがあるんだと思っていた……」

冷泉にではない誰かに言うように金剛が呟く。

 

「こんご、ゲホ、……金剛、一体何のことを」

咳き込みながらもなんとか彼女に声をかける。

 

「……冷泉提督、私ね、横須賀に来てからもずっともやもやした気持ちをも持ったままだったの。何かよく分からない感情が自分の中にあって、どうしてもそれを理解できなかったの。何だかわかるかしら? 」

 

「いや、……俺にはわからない」

その問いかけに答えを持ち合わせていない。

 

「私ね、横須賀鎮守府に着任しても、ずっと冷泉提督、あなたのことが気になっていたの。もはや上官でも何でもない存在のはずだというのに。司令官の切り替えがきちんとなされたはずなのに、なんで提督の事が気になるのか明確な回答が得られなかったの」

金剛の言うことは、おそらく艦娘は所属する鎮守府の司令官に対して好意を持つように調整されている……ということなのだろう。

もちろん、冷泉はそんなことは無いと思っている。しかし、冷泉の考えにも何の根拠も無い。実際のところ、冷泉は舞鶴鎮守府の司令官の任に着いた際に前任の提督からの切り替えが各艦娘にされていなかったという事実があったから真偽を確かめようもなかったのであるが。

もし、金剛の言うようにそういった調整ができるのであれば……それが冷泉が鎮守府司令官になった際になされていたのなら、舞鶴鎮守府の艦娘による反乱も無かったのだろうけれど。

 

しかし、それが艦娘にとって幸福なことかどうかは冷泉には結論が出せないでいた。

 

「喉の奥に刺さった棘……という言い方が正しいのかしら。とにかくそんな感情があったの。もはや他人でしか無いあなたのことがいつも心のどこかにいて、あなたのことを考えている自分がいた。それは艦娘としてとてもおかしいとだと思わない? 」

 

「それについて俺は答えを持ち合わせていない」

確かに舞鶴にいるときには金剛は冷泉に懐いていた。好意を隠すことなく冷泉に接してくれていた。客観的に見れば、金剛は冷泉に好意を持っていたといっていい。自惚れではなく、それは確かに認識していた。けれど、彼女の好意は自分へのものでは無く前任の司令官へのものだと思っていた冷泉は応える事ができなかった。それどころか彼女を突き放す選択をせざるをえなかった。

彼女との別れの状況からすれば、どちらかといえば、恨まれていると思っていた。

 

「ふふふ、相変わらず鈍いままなのね」

どこか寂し気な口調で金剛が呟く。

「客観的に分析すれば、私の感情は人間でいうところの「恋」だわ。冷泉提督のことを考えていると心がざわつくし、ドキドキしていた。もう提督の傍にいられない現実を受け入れられない自分がいる……と思っていた。それだけじゃないわ。きっと私は提督の事をまだ好きなままだったの。そして大好きな提督に抱きしめてもらいたい、……口づけを交わしたいなんてことを本気で思っていたのよ」

告白のような言葉を続ける金剛だが、その口調は淡々としたものであり表情には何の変化も無い。

 

「でも……はっきりしたわ」

 

「それは? 」

思わず口にしてしまう。

 

「私は提督に抱きしめられた。そして、キスをした」

 

「……」

 

「……けれど何も感じなかった。ただ、事実としてキスをして、抱きしめられた。それだけしかなかった。私の心は何も感じなかった。完全な無風だった。私の疑問は、ただの妄想だったってことがわかりました」

淡々と事実を述べるように金剛が話す。

冷泉はそれを聞いているしかできなかった。

 

「これで安心して任務につけます。そのためにどうしてもあなたに会わなければならなかったのだから」

宣言するような言いぶりで金剛は冷泉を見る。

 

「金剛、お前は……何をするつもりだ」

何をするかなど分かっているのに、あえて聞いてしまう。

 

「すでに横須賀鎮守府艦隊には指令が出ています。大湊警備府艦隊及び舞鶴鎮守府残存艦隊に国家反逆の動きあり。速やかに敵勢力を排除せよ……と。私はその艦隊の旗艦としての責務を果たすこととなります」

 

「任務だから当然だが……降りることはできないのか? 」

 

「なぜそんな愚かなことをいうのか、理解できませんが」

 

「お前が戦う相手は同じ艦娘なんだぞ」

 

「日本国に対して反乱を起こした勢力です。しかも、深海棲艦との共闘の疑いまであります。放置するなんてありえないでしょう」

 

「しかし、相手の中には舞鶴鎮守府の同僚だった艦娘もいるんだぞ。あいつらをお前は殺せるのか? 」

艦娘として任務に背くなんてできることがないのを知っていながらも聞かずにはいられなかった。

 

「当然のことでしょう? こちらに銃口を向けるというのであれば討たない理由がない」

 

「俺はお前にかつての仲間と戦わせたくないんだ。だから……」

 

「愚かなことを……またあなたはくだらない私情に流されて更なる間違いを起こそうとしている。何度同じことをすれば気が済むのでしょう。あなたは常に間違った選択を続け、より状況を悪くするしかできない無能な司令官のままですね。……いえ、もう司令官の任は解かれているんでしたか。どうせ何にもできないんですから、安全な外野から勝手に一人で好き勝手な妄想を喚き続けてればいいです」

そう言うと金剛はもはや冷泉に興味を失くしたのか立ち去ろうとした。

 

「待ってくれ金剛」

慌てて冷泉は立ち上がると、彼女の手を掴んだ。

 

「何ですか、この手は」

 

「行くな、金剛。俺はお前に仲間と戦わせたくないんだ、だから」

次の言葉を言うより早く、衝撃が冷泉を襲う。

冷泉は金剛に突き飛ばされ、再び壁に体を打ち付けていた。

 

「汚らしい手で私に触れないでください。私は横須賀鎮守府の艦娘です。あなたのようなどこの誰だか分からない人に触れられたくありません。本当に気持ち悪いです」

汚物を見るような目で金剛は冷泉を睨みつけた。

 

背中の痛み、そして後頭部にも痛みがあるが、それでも冷泉は必死に立ち上がる。立ち上がらなければならない。

「金剛、行くな。行っちゃだめだ。お前が戦う必要なんてない。お前が悲しい思いをする必要なんて無いんだ。だから、だから」

そこで激しくせき込み、うずくまってしまう。

咳き込んだ時に口に当てた手を見ると、べったりと血が付着していた。

 

「こんご、う」

縋るような目で彼女を見る。

ほんの一瞬だけ表情に変化があったように見えたが、すぐに平静な表情に戻った彼女は、冷泉に対して何も言わずに背を向けると立ち去って行った。

 

必死になって手を伸ばそうとするが、再び咳き込んでしまい、床に倒れこんでしまう。

「だめだ金剛、……行くな、行かないでくれ」

冷泉の想いは、彼女には届かない。

 

自分の無力さを何度も何度も痛感させられ、それでも立ち上がろうとするのに……やはり駄目なのか。

届かないというのか……。

 

 

 

 


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