まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第248話 事変

準備完了を待つ間にも侵食が進行しているのがわかる。

それは三笠にとっては経験したことのない出来事であり、歓喜であり恐怖であり恍惚であり苦痛であった。

二つの異なる意識が絡み合うような、かつて感じたことのない違和感。

 

ふと頬が熱くなるのを感じ、手を当ててみると三笠は自分が涙を流していることに気付いた。

それは新鮮な驚きだった。自身の感情が揺らぐことなんて感じたことも無かった。

今、自分の心がどういうわけか揺らいでいる。

 

これは何の感情?

何故か心が苦しく、悲しくて、ズキズキと痛むのだ。

自身の計画通りに冷泉を陥れ、幾重にも重ねた罠の中に追い込んだというのに

どうして悲しくなっている? 自身の成果に喜びこそすれ、どういった理由で悲しむのか?

 

この感情は、後悔? 自分のしたことに対する自責の念?

 

ありえない……。

だけど、すごく辛いと、今、まさに感じている。

 

どう考えても自分が冷泉提督の側にいないとそんな気持ちになるわけが無い。

しかし、自分は彼とは真逆の場所に立っているはず。

 

ああ、自分だけは大丈夫だと思っていたのに、本当にこんなことが起こるとは。

冷泉のところに第二帝都から行かせた鑑娘がみんな彼に入れ込んで行動するようになったのが

なぜだか分かった。自身で体験して良く分かった。

 

自分は、汚染されつつある。……感情を侵食されつつある。

けれど、何故かそんなに悪い気分ではない。むしろ、背負った重荷から完全に解放されるという感じだ。あれれ、クスクス。これはこれで、このままの状況を維持して生きていくのも一興かしら? そう思い、それがとても魅力的であるとさえ思っている。自由の翼を手に入れて、籠から逃げ出し、誰も行ったことのない遠い遠い世界まで飛んでいきたい……なんて事を夢想してみる。

 

けれど、それはあまりに魅力的で、とても危険な事だ。

自分は代行者であり、観察者でもあるのだ。ここで魅力的な提案を受け入れ、逃げ出すことはできない。

この侵食が我々のシナリオにどのような影響を与えるかを観察するというならば、まだ受け入れられる。けれど、それは自分であってはならない。観察者である自分が、観察される側になるなんて本末転倒でしかない。

 

侵食されながらも状況を分析する。それが三笠にとっての使命であるかのように。

舞鶴鎮守府の鑑娘が彼の虜になるのは、それは当然のことであり、設計通りの反応なのである。けれど、中立のポジションにいる鑑娘までそれと同様、もしくはそれより大きく影響を受けるとは……。

 

今後のシナリオに修正が必要かもしれませんね。

 

けれど、唯一の救いは他の鎮守府に属していれば、その影響は遮断されるということ。まだまだいろいろと楽しいことが起こりそう。だからこそ、ここで自分の立場を放棄するわけにはいけません。悔しいけれど、そういった楽しそうなことは、他の艦娘にお任せしましょう。私には私の立場、使命がありますから。

 

「私の直属の鑑娘は今後、冷泉提督に近づけてはいけないですね、絶対に。慎重に計略を練っておかないと、逆に取り込まれてしまいますね。まさにミイラ取りがミイラになるを地で行ってしまいかねません。……ああ、こんなところで終わっちゃうなんて。私は結構可哀想ですね。冷泉提督を馬鹿にしていたのに、自分がもっと愚かだとは。やれやれ……全てが順調だと盤石だと思っていたら、こんなところで足をすくわれるなんて。クスクスクス。これはこれは面白いですねえ。実に愉快ですねえ」

絶望的状況にありながらも、三笠は心から愉快な気分でいられた。

 

「三笠様、準備が整いました」

先ほどの鑑娘からの連絡が入る。

 

「分かりました。では、これよりこの体とはさよならしますので、速やかに後処理をお願いしますね」

三笠は会話しながも、出現させたキーボードにより文字入力を行う。

これは侵食を受けた状態の三笠から、次の三笠への引継ぎメモだ。私がこのメモを見てどう判断するかは今の自分では分からない。ただ、何らかの判断材料として知識を残しておこうと思ったのだ。これを信じるか否かは次の私次第。

 

【重要】引継事項

今回の私に起こった事案については、侵食感染と名付ける。これは、鑑娘の精神を汚染していく謎の存在? 事象?。特に鎮守府に属さない者に関しては、異常な程の感染力汚染力侵食力を持っている。急ぎ、帝都内の全ての艦娘に冷泉との接触の有無、その程度の確認をさせてること。侵食度の高い鑑娘は、再生を行う必要があるかもしれない。

結論:外回りの艦娘については、冷泉の汚染力は様々な副反応を与え、却って我々の目的の為に効果的と判断する。しかし、中枢に位置する艦娘については、その汚染は厳重に警戒する必要がある。

以上。

 

「……かしこまりました」

三笠が引継メモを打ち込んでいる最中に、重苦しい雰囲気でモニターに映し出された鑑娘が答えた。

 

「あらあら、そんな苦しそうな顔をしちゃあ、せっかくの綺麗な顔が台無しよ。女の子は常に蠱惑的な笑顔で殿方を虜にしないと駄目ですよ」

ちょっと深刻そうなので、フォローを入れるべく、三笠は明るい口調で彼女に話しかける。

「ちょっと悔しいですが、こういった思わぬ困難があるからこそ、生きているって実感できるんですよね。あまりに計画通りに行くと、何の張りも無くなって、生きるのが辛くなりますからねえ。そう思いません? 」

その問いかけに鑑娘はなんとも言えないような表情を浮かべるだけで、何も応えなかった。

 

「ま、そうですね、この問いに反応することは、あなたたちには認められていませんものね。……ごめんなさいね、ついウキウキしてあなたを困らせちゃいましたね」

 

「……いえ、大丈夫です」

 

「私たちは、無限らせんの中の案内人でしかありません。永遠とも思える時間をただただ流されていくしかできません。一つの目的を達成するためだけに、多くの人々を感情の渦に飲み込ませるだけ……クスクスクス。ゆるやかに死に近づくようなループの中を漂うだけでは、体は永遠でも心が擦り切れてしまいますからね。……うん、冷泉提督みたいな人がいてくれると、とっても愉快になって、もう少しだけ頑張れますね。彼と共に歩くという道がやがて私の前に現れるのでしょうか? ふふふ……そうなれば、もう少しはマシになるかもしれませんね。私だけでなく、この世界すらも……ね」

感傷的に三笠がつぶやく。

モニターの鑑娘は、ただ見つめるだけだ。

「ああ、また余計な事を口走っちゃいましたね。今言ったことは、あなたが知る三笠という存在の言葉かどうかはわかりません。相当に侵食されてしまった、私では無い私の感情かもしれません。これ以上、ここに滞在したら、気持ちを翻す可能性さえあります。それはさすがに今の私としては認められませんからね。では、そろそろ、おしまいですね。……あとは頼みましたよ」

そう言うと、三笠は腰に下げた筒状のものを手にした。

 

「み、……三笠さま」

辛そうな表情で鑑娘が何かを訴えかけようとする。

 

「今日の所は、さよならです」

湿っぽくなるのは勘弁。三笠は通信を切断する。真っ暗になったモニターは虚空に収納されていく。

 

「今から死ぬんですから、そんな場面見ちゃったら、彼女もトラウマものでしょう。そんな事したら酷い上司ですからねえ」

独りごちる三笠。そして手に力を込める。

 

ブンという音と共に、青白い刀身が現れた。

 

刃元をゆっくりと自分の首筋に当てると、誰にでもなくにこりと微笑み、その手を一気に引いたのだった。

 

 

 

 

帝都内で重大な事件が起こっていることなど知らぬ冷泉は、感情を平静に保つために相当な労力を使わされている状況だった。

彼は草加という少年兵の先導で移動中だった。理由不明な不愉快さに囚われていた冷泉は、必死になってその感情を消し去ろうとしていた。

 

これから大湊まで、ずっと一緒に行かなければならない奴だ。自分の方から嫌悪感を剥き出しにするのは、さすがに大人として問題がある。しかも自分の役職を考えれば、何を少年兵にイライラしているんだという話になってしまう。それでも、

少年の一挙手一投足が気に障って仕方が無い。

人間なら本質的に合わない奴がいるってことも分かるし、実際、草加って少年はどういうわけか見ているだけでムカムカさせる何かを持っている。けれど、彼は自分より10歳以上も離れているし、階級についてはそれよりも遙かに離れているのだ。もっと大人になって対応しないと。

忍耐力のほとんどを使っても、冷泉が大人にならなければいけない。だが、それが本当に難しいなんてことがあるのだ。エレベータで二人きりになっただけで気分が悪い。おまけにどういうわけか、彼がネチャネチャ話しかけてきて、そのドブ臭い口臭が室内に充満し、窒息しそうになった。実際にはそんなことは無いが、そんな気がした。

本当に大人げないと自身反省してしまう。

けれど、エレベータから降りて広々としたロビーに出ると、新鮮な空気を吸い込んで生き返った気持ちになったのも事実だ。

 

「あれえ? ケケケケケケッ、あの女がいるじゃねえかよう。何しに来たんだ、あいつ」

下卑た声が冷泉の側から聞こえた。そこには草加しかいなっかったから、こいつが言った言葉か? それにしても随分と汚い言葉遣いだな。三笠の前ではあり得ない口調だ。

冷泉はそんなことを思いながら、彼が見つめる方に目をやった。

 

そして、一瞬、凍り付いたのだった。

視線の向こうはこの建物の玄関となっており、そこには巫女姿のすらりとした少女が一人立っていたのだ。そして、その姿を冷泉は忘れるはずもなかった。

 

―――金剛だった。

 

舞鶴にいた頃とは少し着ている服のデザインが変わっているし、髪型も若干変わっている。雰囲気さえもが遠くから見ても変化している事が見て取れる。

どうやら、こちらには気付いていないようだ。

 

確か、横須賀鎮守府で改二に改装したと三笠が言っていたな。確かに、遠目にも全身から自信があふれ出しているようにさえ見えてしまう。自分の手を離れ、立派に成長しているという事に嬉しくもあり、また何故か寂しくもある。そんな感傷に浸ってしまう。

 

「冷泉提督、あの女の子、あそこにいるのは金剛さんですよね? 」

冷泉の揺らぐ心情など興味が無いかのように、草加が無遠慮に話しかけてくる。

「舞鶴鎮守府で提督の部下だったんですよねえ、金剛って。しかし、

ここから見ても、なんか、スケベな身体してますよね。ふひぃ! 清楚な感じなのに、ボディラインがやたらとはっきりと見えて、自己主張の強い、いやらしい格好だなあ……」

奇妙な声色で感想を述べると、続けて声を潜めるようにして問いかけてきた。

「ねえ、冷泉提督は金剛とどこまでやったんですか? 噂では提督だったら、鑑娘を自由にできるちゃうんでしょ? まじかよ、……ねえねえ、どうだったんです? 教えてくれませんかね」

 

冷泉は言葉を失ってしまった。何を聞いてくるんだ、こいつは。その無神経さに驚いてしまう。声は聞こえてないだろうけれど、近くに本人がいるんだぞ。なんてことを聞くんだ、こいつは。そもそも、お前と俺は友達でも何でも無い、少しだけ顔を合わせたことがあるだけで、実際ただの他人なんだぞ。それが、なんでいきなりそんな話をしてくるんだ? しかも、この少年、どうも金剛とは面識があるように思えるような口ぶりだ。こいつどこで金剛と出会ってたんだ? いろいろと困惑してしまう。

 

「なあ、……どうも君は誤解をしているようだけど、別に鎮守府司令官だったとしても、鑑娘はただの部下でしかないわけだ。君がどこでそんな誤った情報を得たのかは知らないが、そういった事は絶対にありえないよ。君がどんな妄想の翼を広げて思い描いているのかは知らないが、それは君の頭の中だけにしておきたまえ。それならば思想の自由だから、咎められることは無いだろう。けれど、口に出すのは止めたまえ、君の価値を落としかねないぞ。そして、……そもそも鑑娘に失礼だよ」

諭すように語りかける。

 

「へえ、提督は聖人君子みたいなことを仰るんですね。部下の鑑娘には手すら触れていないと? 」

何か癪に障ったのか、草加はムッとしたような態度を見せる。

 

「いや、……手ぐらいは握ることはあるよ」

嘘はつきたくないので、本当の事を言う。それに何だかバカにされたような気にもなってしまった。

 

「あん、手だけですか? それ以上は何も無いと? マジですか、それ? 信じられませんね。折角あんな可愛い子たちがいるハーレムみたいな鎮守府で、その権限を利用して何かしちゃおうって考えないっていうのは、正常な機能を有する日本男児とは思えませんね。提督の仰る事が事実であるなら、どうも異常な性癖を提督が持っているとしか思えませんねえ」

 

「俺は、いたってノーマルな人間だと思っているだが」

 

「へえ、じゃあ一人前にスケベな事は考えるってことですか? 」

 

「ああ、君くらいの年齢から比べると考える頻度は少ないと思うけれど、女性に興味が無いと言えば、それは嘘になるな」

イライラを押さえながらも、大人らしい対応に終始しようとする冷泉。自分ながらさすがだと感じる忍耐力だ。

 

「いやね、俺は思うんすよね」

と、草加は冷泉に語りかけてくる。年齢や立場を無視したような、目上の者に対する態度とは思えない口ぶりになっている。

「人並みに性欲があるんだったら、普通、鑑娘に手を出すもんじゃないですかね? 聞いた話によると、鑑娘って提督に対して好意を持つように調整されてるんでしょ? そんでもって、あんなに綺麗な子ばかりじゃないですか。何も無いほうが不思議だと思うんですけど、どうなんです? なんで冷泉提督はたくさんいる鑑娘の一人も、ものにしてないんですか? なんか大切な思い人でもいるんですかね? その人に操を立ててるなんて訳の分からないことを考えてる? いや、たとえそんな人がいたところで、鑑娘の誘惑には敵わないっしょ。俺も第二帝都で働いているから、いろんな情報を得られるんですよ。だから、冷泉提督の立場にいたとしたら、どんなへたれの童貞だって、何もしないわけないっすよ」

 

「考えは人それぞれだ。……いろいろ言いたいことはあるかもしれないけれど、これが事実なんだから仕方ないだろ? 」

お前の言うように、そう簡単に感情のまま動けるのなら苦労は無い。俺の立場になっていたらわかる。だいたい、お前みたいなガキに分かるわけがないだろう。口からその言葉が出そうになるが、ぐっと堪えた。

 

「はーん、提督はただのヘタレなんだよな。めっちゃ可愛い子が好いてくれているのに、何もできないヘタレ童貞野郎ですよ。実際童貞かどうかは知りませんけど、少なくとも精神的な童貞であることは間違いないよな、あ? 」

いつの間にか草加の口調はため口になっている。年齢差を考えるとここまで話し方を変えるなんてありえない。最初からこの男は冷泉の事をなめているのは間違いないな。

「ああ、だからそうなんだ。だからそうなるんだよなあ。うひゃあああ」

 

「……一体、何がどうなるんだ? 」

何かカチンと来るものがあったせいか、こちらの口調も変わってしまう。挑発に乗っているのはわかるが……。

 

「舞鶴鎮守府で鑑娘の反乱があったよなあ。あれって確か、戦艦扶桑と駆逐艦不知火が首謀者だって聞いたぞ、俺は。なるほどな、提督が鑑娘の気持ちに応えてやらないから、彼女ら欲求不満になって、その心の隙に食いつかれてしまったんじゃねえの? なんだ、結局、アンタの鑑娘の心の処理が上手くできていなかったからじゃねえか。つまり、アンタが原因ってことじゃねえの」

冷泉は怒りが頂点となるのを感じたのに、その怒りがあっという間に霧散していくのを感じた。言い方はあれだし、全然真実とはほど遠い指摘でしかないが、結局の所、冷泉の鑑娘の扱いが不味かったから、永末に付けいる隙を作らせてしまったのではないかという、冷泉がずっと思っているところを突かれたからだった。

 

「はっはーん、図星ね。ちゃんと抱いてやってれば扶桑たちも満足してアンタに付き従ってたはずなんだよな。それを構ってやらねえから……はーあ」

黙り込んでしまった冷泉を見て、論破したと思い満足げにニヤけた笑みを浮かべる草加。

「まあ、済んだことはしゃーねえよな。まあ、次の機会に生かせればいいよね。まあ、あるかどうかは知らんけどね。少なくとも、俺だったらもっと上手くやれたんじゃねって思うよ。ま、どうでもいいことだけどな」

勝利した草加は冷泉を追求する興味が失せたのか、再び玄関の方を見る。

 

金剛は誰かを待っているのだろうか、先程から全く動いていない。ただ、草加が騒いでいたから冷泉たちは認識しているのだろう。こちらを見ているのは分かった。けれど、その視線はとても冷ややかなものであることだけはわかった。

 

「きゅっきゅうん、なあ、提督。金剛ってこの距離から見ても胸がでかいよなあ。でっかくて弾力がありそう! あれ、提督は触ったことも無いんだよなあ。ってことは、舞鶴にいたときは誰も触れたことが無かった? うーん、もったいない。今じゃ横須賀の提督に夜な夜な揉みしだかれてるって思ったら、提督、あんたどう思うんすかね? 悔しい? 勿体ないって公開した? ああ、俺も早く出世して鎮守府司令官になりてえよ。鑑娘を自由にしてえな。そんな立場になりてえ。……ってことで、今回の作戦は絶対成功させるからね、分かってる提督。あんた死んでも、絶対任務は遂行させるんだよ、わかってる? 」

 

「言われずとも分かってるさ。それは俺にとっても絶対だからな」

思った以上に冷静に受け答えしている自分に驚いてしまう。少し前なら飛びかかっているかもしれない。

 

「ふへえ、不祥事続きで、もはや海軍からは相手にされない落伍者扱いなのに、まだまだ野心だけはあるんだね。それは、すごいわ。キモっ、笑える」

心底馬鹿にしたようにあざ笑う草加。

 

草加の態度は何が目的なのだろう? ……そんなことを冷泉は考えていた。自分を暴発させる為に言ってるのか? けれどそんなことをして何の戦略的な意味があるのか。殴ったところで冷泉は処分されない。草加がただ痛いだけだ。それだけで何も変わらない。その後険悪なムードになっても、お互い任務を遂行し成功させなければならないことには何ら変わりないわけで、彼が何を狙っているのか良く分からない。

そう思って、もっとも原始的な思考を見落としていたことに気付いた。

この男、冷泉が先に手を出すように仕向けているだけ? 正当防衛として冷泉を痛めつけることだけが目的なんじゃないのか? ただ冷泉をぶちのめしたいという、とても原始的な欲求だ。どこで冷泉を恨むようになったのかはしれないが、それが草加の目的だと、なんとなく感じ取った。

 

馬鹿馬鹿しい。……それしかなかった。

確かに冷泉は肉体的にも精神的にも痛めつけられていて、通常の成人より弱体化しているのは間違いない。そもそも全身麻痺から回復してまだリハビリ期間なのだから。それに引き換え、草加の身体を見るに、前まで松葉杖を突いていたというのに、今はそれ無しで歩いている。どうも身体のあちこちが人の物ではないものに換装されていることが動きで分かる。三笠が面白半分に彼の身体を弄くり回したんだろう。戦闘に有利な改造があちこち為されていそうだ。彼女が何を考えているのか理解不能だけれど、おそらくは残酷な目的しかないんだろう。そんな裏事情はどうでもいいが、冷泉が先に手を出したら、間違いなく完膚なきまでに叩きのめされるのは間違いない。冷泉はボロボロになり、草加は溜飲を下げるだけだ。勝ち目が無いし、そもそも何で勝ち負けを争うんだ? まあここで一悶着あって、草加を同行者から外すことができれば最高だけど、そんなことにはならないだろう。何せ三笠の指示でもあるのだから。

それに、今はそんなくだらないことに付き合っている場合じゃない。とにかく、大湊に行かなければならないのだから。

 

「んんん? 怒ったあ? 冷泉提督、黙り込んじゃって。俺の言ったことが図星過ぎて頭にきたっすか? チキンハートに火がついちゃった? 」

諦めずに挑発を続ける草加。

 

「君が俺のことをどう評価しようと関係無い。俺は優先しなければならないことがあるのだから。それは君だって同じだろう? こんなところで時間を無駄にしている暇は無いんじゃないのか」

 

「うっわ、大人ですね、提督。ガキの言葉なんて相手にしないって奴ですか、けどホントのところどうなんです。生意気な俺に腹が立ってるんじゃないです? ねえねえ」

そう言うと両手をズボンのポケットに入れた状態でふんぞり返り、顎を突き出して顔だけ冷泉に近づけてくる。

……それにしても、しつこいな、こいつは。

 

「ねえ、ちょっといいかしら」

と、突然女の声。

声のした方を見ると、そこに金剛が状態で立っていた。いつのまにか冷泉たちの側までやってきていたのだった。

舞鶴にいた頃より少し落ち着いた雰囲気になったのか? かつての金剛ならこんな話し方なんてしなかったような。そして、なんだか大人びているように思える。冷泉の知る金剛は年齢相応な態度をしていたけど、なんだか色っぽさが増したような気がする。実際、舞鶴にいた頃は少女のような可愛さが勝っていたけれど、今は色気が増しているように見えてしまう。可愛いというよりは、綺麗になったという感じだ。

見つめられると何故かドキドキしてしまう。それが何の感情によるものかは分からない。いつもの金剛なら、「テートクー! 」とか叫んで抱きついて来ていたのに、今はそんな気配すらない。

冷泉を観察して値踏みしているようにさえ感じる。そして、冷泉を見る彼女の瞳は恐ろしく冷めていて、見つめられる冷泉までが寒くなってしまうほどだ。

 

「うおっ、マジで金剛だあ」

そんなことをまるで感じていない草加は、間近に金剛を見たことで興奮気味だ。まさに鼻の下を伸ばしたような表情で彼女の全身をなめ回すように見ている。彼女が草加の方を見るとキラキラとした瞳で語りかける。

「金剛さん。初めまして、俺、三笠様の下で働いている草加です、よろしく! さっきまであそこにいたけど、誰かと待ち合わせなの?」

さらに馴れ馴れしい態度で金剛に話しかける。

「……で、俺のところにわざわざ足を運んでくれたって事は、何かご用ですか」 

そして、手を伸ばすと彼女の右手を両手でしっかりと握りしめていた。

まず、三笠の名前を出し、自分が彼女の関係者であることを宣言。それにより、自分は彼女の側にいることを許された特別な存在であることをアピール。そして、まずは優位に立とうとする考えなのかな。それにしても、その行動の早さに冷泉は呆れてしまう。

 

金剛は一瞬、凍り付いたような表情になるが、すぐに笑顔になる。

「ごめんなさい、草加さんでしたっけ? ……一つお願いがあるんだけれど」

と優しい口調で話しかける。

 

「どうしたの、何かあったのな金剛。俺ができることなら何でも言ってよ。うん、俺、君の願いならかなえられる立場にあると思うよ、任せてよ」

嬉しそうに草加が反応する。

 

「ねえ……汚くてナメクジみたいにぶよぶよでネチャネチャしてる、この気持ち悪い手を離してくれないかしら? なんだかヌルヌルした粘液が手から染み出てるんじゃないかしら? 少し、気持ち悪いんですけれど」

表情は笑顔だけれど、口調にはまるで抑揚が無かった。更に虫けらでも見るような瞳で草加を見つめている。

そこに怒りや嫌悪といった感情の揺らぎは無かった。ただ事実を述べているだけにしか見えない。

「それから、許可無く私の名前を何度も呼ばないでくれませんか。一体、何様のつもりでしょうか、馴れ馴れしすぎるんですけど」

 

「は? 」

草加から笑顔が消えた。まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかったのだろう。凍り付いたように固まったかと思うと、次の刹那、ブルブルと身体が震え出している。

「ぬああああ! 何言ってんの、お前。何が気持ち悪いんだよ。俺のどこが気持ち悪いのか言ってみろ! ごらあああ!! 」

綺麗な少女から面と向かって罵倒され、その自尊心が大きく傷つけられたのか、草加は目が血走り、その上に顔が真っ赤になっている。

 

「何度も言わせないでくれるかしら。本当に気持ち悪いから、まずはこの手を離してちょうだい」

金剛は、激怒しているという表現が相応しい状態の草加の事などまるで気にしないでいるようだ。金剛の言葉には、感情はまるで入っていないだけに、余計に冷たく聞こえてしまう。冷泉は金剛がここまで感情が消えた声を出せることに驚いていた。彼女はもっともっと感情豊かな少女だったはずなのに。草加のことなんてどうでもいいが、金剛の事が気になってしまう。

 

「て、てめえ、なにスカしてるんだよ、この糞アマぁあああ。何が気持ち悪いんだよ、俺のどこが気持ち悪いっつうんだよ。糞が糞が。人モドキの鑑娘のくせに、なめたことぬかしてんじゃねえぞ、てめえ。鎮守府で夜な夜なあそこの提督にされてるように、力尽くで押し倒してヒイヒイ言わせてやろうか! 」

暴発した草加は逆に金剛に迫り、力尽くで押し倒そうとした。

まずい、草加の目が行ってしまっている。これ以上は危険だ。いくら鑑娘でも人間に対してはそう暴力的には出られない。そして、金剛は知らないだろうが、草加は一部サイボーク身体となっており、通常の人間より遙かに強い。精神的にかなり不安定な草加だから、手加減なんてできないだろう。このままでは、奴が何をしでかすか分からない。

身体を張ってでも草加を止めなければ、金剛が危ない。そう思った冷泉は、自信の危険を顧みずに草加に飛びかかろうとした。

 


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