まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第236話 混濁

特にすることもないので、近くのベンチに腰掛けてぼんやりとあたりを見回してみる。

 

唐突に視界が歪み、そして滲んで見えてくる。見えているはずのものがはっきりとしなくなってしまう異変を感じた。

 

―――またか。

 

ここ最近、そういった症状がよく起こるようになっていたから、慣れてしまっているのかもしれない。

症状は急に視界が狭まり、滲みぼやけてしまうのだ。最初は動揺したけれど、しばらく安静にしていたら収まることが分かったので、重要視していなかった。

本当なら診察を受けた方がいいんだろうけど、鎮守府司令官だった頃は仕事に忙殺されて行く時間が無いし、時間ができたと思ったら、軍警に拉致されて自由が利かなくなってしまった。

安静にしていたら症状も押さえられたのかもしれないけれど、捕まってからは時々拷問に近い事もされたせいかもしれない、……頻度は増えているし、症状は悪化しているといっていいだろう。

一体、何が原因か? サラリーマン時代まではこんな症状なんてなったことがなかった。だから持病ではない。

もちろん、何が原因かは心当たりがある。けれど、それは仕方の無いことと考えて諦めている。

 

何かを得るための代償だと考えれば安い物だ……気持ちも軽くなる。

 

ただ、この状態は慣れないし、好きになれないのは間違いない。気持ちが……なんだか曖昧模糊としたものに取り込まれたようになってしまうんだ。自分のいる場所がはっきりしない不安な気持ちになっていく。普段より酷い状態かもしれない。これは身体的な不具合の発生に影響され、精神の方も調子を落としていために出てしまう症状だ。

体の調子が悪くなると、それに引っ張られるようにして、心の調子も悪くなるように。

一人にされたことによる孤独が原因なのだろうか? 意識を切り替えようとしても、叶わない。上手くできない。

 

そして、ふと思い出してしまうんだ。

……こちらに来る前の世界の事を。

 

……思い返しても、何ひとつ良いことの無かった世界。たまらなくつまらなく、自分の無力さに苛まれた時間。

しかし、それでも不幸なのは自分だけだった世界。今になって思うと、前にいた世界のほうがマシだったのではないか。

 

鎮守府司令官というこの世界の軍においてはほぼ最上位の地位を与えられ、一企業の平社員レベルの権限しかなかった自分が、一つの鎮守府の全ての権限を手にした。そして、周りは美少女ばかり、そのみんなから好意を寄せられ、ちやほやされうる漫画のようなポジション。……どれほど幸福なのだろうかと最初は思った。

 

しかし、現実は違った。

戦争のさなかの艦娘たちは、常に死と隣り合わせ。今日一緒だったとしても、明日はいなくなるかもしれないシビアな世界なのだ。自分は、常に大切なものを失うという立場になってしまっていたのだ。何もないサラリーマンだった頃は、失うものなんて何も無かった。

 

欲しいものを何一つ手に入れられない事をを思い悩む辛さと、大切なものを失う辛さのどちらが苦しいのか……今ならはっきりと断言できる。

失うくらいなら、何も無い方が幸せであるということ噛みしめている。

 

無駄だと分かっていても、ことある毎に考えてしまう。

帰れるものなら帰りたい……。

あれほど今の世界から全てを放り捨てて逃げたいと思っていたのに、今ほど苦しい事なんてないと思っていたのに、それ以上の苦しみがあるなんて。

 

人生とは分からないものだ……と思う。いや、思い知らされてしまう。

逃げ出したいという気持ちは強い。それは日に日に強くなっている。けれど、それ以上に逃げ出すわけにはいかない、全てを放り投げて逃げるなんてしたくないという強い思いがある。自分のためではなく、艦娘たちを守ること、部下たちを守ること。その責務は、任を解かれた今でも、自分にはその責務があるのだ。

自分のできること全てをやり尽くしていない状況で、逃げるわけにはいかない。まだ自分はすべてをやりきっていない。たとえ結果が見えていたとしても、足掻き続けないといけないのだ。

 

それが自分に課せられた使命なのだから。そう言い聞かせて、気持ちを奮い立たせる。まだいける、まだまだやれるんだ。しなければならない……ではなく、やりたいんだ。

そう思うことでなんとか意識を保つ。今はこれからどうするかを考えるだけだ。余計なことは考える必要は無い。

 

そう強く思うことで、ぼやけた景色がはっきりとしてきた。そして、自分のいる場所を再認識する。

 

艦娘側の勢力によって、一から作り出されたこの第二帝都東京。

街の中心に位置する場所に造られた駅舎は巨大だ。利用者に比して過大すぎるくらいに。

町並みは整然と整備されていて、日の光を浴びてキラキラしている。整備された道路を見慣れない車が行き来し、人々が忙しそうに動き回っている。

不思議なのは、兵士以外はまだ幼いといえるような少年少女が多いことだ。どうして年少の彼彼女たちが集められているのか、理由を冷泉は知らない。ただ許可された者以外は、第二帝都に入ることは許されないと聞いているから、優秀な若い人材ばかりが選び集められたというのだろうか?

 

深海棲艦との初期の交戦及びその後の攻撃によって、本当に多くの命が失われた。少子高齢化が進んでいた日本において、深海棲艦との交戦によって、更に働き盛りの層の人間がごっそりと削られたのだ。このため、日本国の人員構成は多くの高齢者と若年層で占められることとなり、社会生活の中心として国を動かす人材の不足が深刻だった。そんな状態だというのに、これからの日本を背負って立つ若者の中で優秀な人材が艦娘側に取り込まれしまう事は、今後の日本国にとって重大な損失。けれど、それについて逆らう力は、日本国には無かったようだ。否、決定権を有する層にはそういった考えすら無かったようだけれど、すでに一線から退いたはずの高齢層が再び呼び戻され、プラスごく少ない盛年層だけでは回すことができないため、学生を動員せざるをえない……そんなアンバランスな人員配置が軍だけでなく社会全体を構成するようになっていた。

 

全ての人員構成はいびつだ。

数が多いだけの老人たちに牛耳られる事になった軍に、命運を任さざるを得ない日本国の将来を憂う者も多い。そしてさらなる不幸は、本来であれば老人にも盛年にも優秀な人材が多くいたのだが、初期の戦争においてその貴重な優秀な人材は、深海棲艦との戦闘に根こそぎ投入され、その命を散らしてしまったのだ。結果、残ったのは自身をよく見せることだけに特化した無能で狡猾なだけの年寄りと、自己評価だけが高いが能力の不足した盛年ばかりということになってしまった。それは、冷泉も実際に軍に所属してだけに、このことは痛いほど実感している。特に上層部やエリート層と呼ばれる階層にそういった輩が多かった。

 

優秀な人間だけが死に、狡猾さや老獪さ、立ち回りだけが上手い人間だけが生き残ってしまい組織を牛耳っている……。それが今の日本軍であり日本国なのだ。

そして、たとえ優秀な人材がいたとしても、そういった連中に潰されるか懐柔されるかして高貴な目的はいつしか擦り切れ消えていく者がどれほど多いことか。

強大な深海棲艦という勢力と戦わなければならないというのに、無能な指導者たちによって足を引っ張られている状況でどのようにしてこの状況を打開するというのだろう?

 

それをどうにかしたいと考え、冷泉は一生懸命行動したつもりだったが、所詮、能力不足という点では冷泉も同じだった。結局、たいした成果を上げることなどできず、逆にジリ貧となり現在に至っているのだから。

もはや笑うしか無い。もう少しでも同じ想いを持つ者がいてくれたら、少しはマシな道筋が立てられたかもしれないし、自分の意思を継いでもらい、艦娘たちを任せることができたかもしれない。けれど、すべてはままならないものだ。

 

また気分が滅入ってきた。そして、突然、ズキリと刺すような痛みが胸の奥に走る。

それは刺すというより、えぐり貫くような痛みだ。冷泉は慌てて胸ポケットを探り、錠剤が入ったケースを取り出す。

これは第二帝都で手術を受けた後、三笠から定期的に送られてくる鎮痛剤だった。体に異変を感じた場合には速やかに飲むように指示されている。……できれば、そういった症状が起こる前に、と。

 

加賀を救い出す際に負傷し、全身麻痺となってしまった冷泉に、唐突に三笠から持ちかけられた誘惑。

原因不明、よって対処不能。ゆえに治療不能とかかりつけの軍医もさじを投げた麻痺を解消する方法がある……。艦娘の医学は今の人類の千年先を行っている。その医学に頼ることができれば冷泉の麻痺を全てなくすことが可能だというのだ。

自分のために冷泉が全身麻痺となったことを気に病み、責任を感じたのか甲斐甲斐しく世話をしてくれている加賀を、拘束から解き放ちたい。救いたいとずっと思っていた。

 

加賀は彼女の成すべき事をなさねばならないのというのに、冷泉の世話に追われるようでは、何もできなくなってしまう。彼女は自身の責任を感じ、それを誰かに任せるという選択肢は絶対に認めない。彼女の全てをまずは冷泉の世話に費やしてしまう。そして、頑固だから絶対に誰かに頼ろうとしない。全身全霊を持って貫徹しようとする。

それでは何のために加賀を救い出したのか。冷泉が彼女の足を引っ張るようでは本末転倒なのだ。そんな想いに囚われていた冷泉にとって、その三笠からの誘惑は願っても無いものだった。

そして、それがもたらすリスクを深く考えもせず、治療を承諾した。何か裏があるということは分かっていたのに、あえて見えないふりをしていたのだ。

三笠という艦娘がそんなに優しい存在でないなんて分かっていたのに。

 

実際、第二帝都東京に招かれ、手術をした事により冷泉の全身麻痺は人類の医学では奇跡的に解消されたが、冷泉はそれ以上のものを失うこととなった。

遺伝子治療といった類いの治療をなされらしいが、実際はどんなことをされたのか分からない。しかし、冷泉にとりついた病巣は取り除くことはできず、その活動を弱める程度の力しかないようだ。冷泉の体の中では病巣が全身のあちこちに転移し、あらゆる場所に巣くって破壊を繰り返す。それに対して、埋め込まれた因子がそれを破壊しつつ再生をする。その繰り返しが毎日行われているらしい。

破壊と再生を繰り返すという、その攻防は当然ながら肉体に激しい痛みとダメージをもたらすこととなる。確かに、それを押さえ込むために作られた鎮痛剤を摂取することで、その痛みを緩和することができた。しかし、痛み止めというものに永続的な効果は求められず、次第に一度に摂取する錠剤の量が増えていくのだった。そして、やがて効果がなくなっていき、より強い薬を必要とするようになっていく。まさに依存症の典型的なパターンだ。そして、普段は前もって摂取することである程度押さえ込むことのできる痛みも、時々、鎮痛剤の効かないレベルの痛みをもたらすことがある。その際には、更に強力な薬品を注射することになる。その効果は劇的だが、数日の間、まともな思考も行動もできなくなるという凶悪な副作用をもたらすのだった。  

 

もはや、冷泉は三笠から与えられる薬品なしでは、ほぼ生きていけない状況までになってしまっていたのだ。

 

こんなことが起こった時には、艦娘たちには見つからないようにどこかに隠れ潜む必要があった。それにかなか大変だ。

うまく隠し通すことができているつもりだったけれど、ある日、偶然に加賀に見つかってしまい、彼女にめちゃくちゃ泣かれた……。幸い、彼女は冷泉が薬物依存になったと勘違いしたみたいだったので、これ幸いということで、その話にのっかって美味く誤魔化したのだけど。うまくごまかせたかどうかはわからないが、それ以降、加賀に問われることがなかったから、うまく行けたのだと思っている。

司令官というストレスから、薬物に走ったという設定にしておいたほうが楽だし。

 

 

―――。

ふいに、ブンという妙な音が聞こえたのでふとそちらを見ると、いつの間に近づいたのか一台の車が冷泉の側に停車するところだった。

セダン型の黒い車だ。

当然ながら冷泉の知る車種ではない。かすかにエンジン音は聞こえるから電気自動車では無く内燃機関の車らしい。けれどガソリンでもディーゼルでもない聞いたことの無い音色だった。人類の科学で作られたものでは無いものなのだろうなと思う。見た目は冷泉の知る車と形は変わらないが、中身は全く異なるテクノロジーで作られているはずだ。

そんなことを考えている間に、兵士が車から降車してき、冷泉を車内へと誘導された。そしてそのまましばらく走り、高い塀で囲まれた大きな施設へと連れて行かれた。

 

過去に訪れた事のある施設。三笠のいる施設。第二帝都東京の心臓部と言われる場所だ。すでに迎えが待っていて、小さな会議室のような場所へと連れて行かれる。白を基調とした部屋には4人掛けのテーブルと椅子が置かれ、壁面には大きなモニタが埋め込まれている。通路側の壁はガラス張りとなっていて、廊下は丸見えだ。時折、兵士が行き来している。

エレベータに乗ったりして移動してきていたが、窓からは整然と整備された町並みがよく見える。

先程飲んだ薬の効果が出てきたのか、痛みも我慢できるレベルになっていたし気持ちもだいぶ落ち着いてきた。けれど疲労感が大きかったため、椅子に腰掛けてぐったりしてしまう。

 

ぼんやりと待機していると、廊下を一人の艦娘が通り過ぎていく姿を視界の片隅に確認した。

 

グレーのブレザーに薄いピンク色の髪を後ろでひっつめた髪型。

一瞬であっても見間違うはずも無い、忘れるはずも無い姿だった。

 

まさか……!

 

ありえないと思いながらも体が勝手に動き出し、冷泉は廊下に飛び出したのだった。

 


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