第21話
鎮守府提督、冷泉は艦長席に深く腰掛け、おもむろに宣言した。
「……我が青春のアルカディア、……発進する」
そして、一瞬の間があった。
隣に立った秘書艦・金剛を見上げると、不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「あのーテートク-。何訳わかんないこと言ってるんデスか? そもそも私の名前は金剛ですよ~。……もう、妻の名前を忘れるなんて、ほんと、うっかりさんなんだからー」
そんなうっかりさんいるのか? などと思ったが声には出さなかった。
「いや、一度言ってみたかっただけっす。すみません」
と謝る。
「ふふ。テートクは言葉ひとつひとつが意味ありげでなんだかミステリアスですネ。……そんなところに惚れちゃったんデスけどね。うん……出撃の号令は私に任せてくださいネー」」
などと良く分からない事を言いながら彼女は冷泉の座った席の机に飛び乗る。
そして、おもむろに、左手人差し指で前方を指さし叫んだ。
「金剛型一番艦・金剛、抜錨するネー」
冷泉は何気なく机に立ち上がった秘書艦を見上げる。
そして、その瞬間、視界に見てはならないものを見てしまい、驚きで思わず目をそらしてしまう。
「格好いいでしょ、提督? ……あれ何で俯いてるんですかー」
何故か俯いたままの提督に不信感を感じたのか金剛が質問する。
「……」
冷泉は答えられない。机の上に立ち上がったままの艦娘から目をそらすようにしてるだけだ。
「どうしたの? テートク。こっち向いてヨー」
仕方なく金剛を見上げる冷泉だが、立ち上がった状態の彼女を下から見上げる状態であることに着目されたい。そして秘書艦金剛はミニスカートであることに注視せよ。このシチュエーション、何がどうなるかは想像するまでもない。
彼はなんとか彼女の顔だけを見ようとするが、意図せずとも下から覗き込むような体勢である。どうしても彼女の足のすらりと伸びた白い脚に視線が吸い込まれてしまうし、意識せずともどうしても視界に飛び込んでくる彼女の白い下着に目が吸い寄せられてしまう……のだった。
理性と本能のせめぎ合い。
これは仕方がない。
「どうかしたのー? テートク、顔が赤いよ~。……ハッ!! もしかして体の調子が悪いの? 」
不自然な提督の態度に金剛は体調の異変と判断し、心配そうな顔で彼の顔をのぞき込んでくる。
「いや、いや……体調が悪いわけじゃないんだ……よ」
「No! 無理しちゃダメだよ。やっぱり、まだ病み上がりだから出撃なんて無理なんダヨ!! テートクがまたダウンなんかしたら鎮守府にとって大変な事なんだから。……ううん、私が困る。ホントに困る。調子が悪いんならこんな出撃なんて取りやめたっていいんだよ。だから、だからネ、無理しないで」
あまりに真剣に冷泉の事を心配している金剛。
なのに、上手く誤魔化すような気の利いた台詞が出てこない。これは正直に話すしかないと判断した冷泉は顔を赤らめながら答えた。
「いや、その。ごめん。……実はね」
「な、何なんですカ? 」
真剣な眼差しの金剛。
「あのね……金剛。実は……パンツ見えてるよ」
消え入りそうな声で冷泉は指摘した。
「え? 」
一瞬停止してしまう金剛。
そして彼の位置と自分の立ち居位置。冷泉の視線等を確認する。彼女の視線が冷泉と彼女の間を何度か往復する。
……そして事実に気づいた途端、その色白の顔が真っ赤に染まる。
「テ、テイトク……見たんです、……か?? 」
金剛の問いに恥じらいながらも頷いてしまう冷泉。
「な、な……、ギャーーーーース!! 提督のエッチィー」
叫んだと思った次の刹那、冷泉の視界に金剛のヒールの裏が光速で迫ってくるのを感じたような気がしたが、それを確認するまもなく猛烈な衝撃が冷泉の顔面を襲い、爆発するように赤い液体が宙に舞ったかと思うと、宙を舞う感覚とともに意識が吹っ飛んだのだった。
おまけにゴキリ、という何かが折れるような音を聞いたような聞かなかったような。
そして全てが暗転した……。
どれくらいの時間が経過したのだろう?
それは数日のようでもあり、ほんの一瞬のことだったのかもしれない。
冷泉は意識を取り戻した。
瞼を開き、中空に視線を彷徨わせると、金剛が心配そうな顔をして彼を見つめていた。
なんか、この光景?
……前にもあったような気がする。でも、今は置いておく。
「俺は……一体? 」
意識を取り戻した事に気づいた金剛はほっとした安堵の表情を浮かべる。
「な、……なんかデスねー、提督が急に卒倒したからビックリしたんだよー。えーとね、想像するにー。私と二人っきりになったから、変な妄想をして興奮して血圧が急上昇したんですネー。鼻血ブーブー」
「う、そうなのかな。なんか白い三角形の布を見たような気がするし、その後、何かが顔面を直撃したような記憶もあるんだけど」
金剛の話す言葉にまるで真実味がないんだけれど、冷泉にも気を失う瞬間の記憶がないからなんともいえない。
「OH! 提督、それは、テートクお得意の記憶の混濁ネ。たぶん。……きっと夢と現実がごちゃまぜになってるんですよ。テイトク、……あなた疲れてるのよ」
金剛が不自然なまでに慌てて否定する。
「そ、それにですね。……だって提督、どこも怪我をしてないですヨー」
言われて体のあちこちを触ってみるが、確かにどこも痛みはない。
しかし、純白の軍服の胸元全面に赤黒く染まっているのは何故なんだろう? それに顔の周りを手でなでてみるとなんだかがさついているし、ボロボロと茶色い粉みたいなのが落ちるし。
金剛の言っている事は本当なのか……。
冷泉の記憶と彼女の言葉にはかなりの齟齬があるように思うが、強く頭を、いや顔面を打ったような事態発生の影響なのだろうか、数瞬前の記憶が完全に欠落しているようでそれ以上反論することができなかった。
そもそも、この軍服に染み付いたものが出血であったとしたら、この出血量でこんなに平気でいられるはずがないのは間違いないし。そもそもこんな短期間で回復できるような怪我のレベルじゃないし。
事実関係から想像するに、金剛の言うことが事実と判断せざるをえない。
ではでは、やりなおし。
冷泉の横に立った金剛が彼を見る。今度は机の上には上がらないようだ。……そもそも金剛が机の上に上がるようなはしたない真似するわけないもんね。そんなことしたらパンツ見えちゃうデース。
「提督、指示をお願いするネ」
「よし。……舞鶴鎮守府第一艦隊、出撃する」
「いえっさー。みんな聞こえたー? 全艦、発進するよ」
空間に画面がポップアップし、それぞれの艦娘の顔が現れる。
「了解しました」
と扶桑。……なんか半笑い。
「ちっ。めんどく……いえ、大井、発進します」
「了解です。発進します」
「了解しました」
艦娘の声が聞こえてくる。
「じゃあ提督、私も出撃するね。……反重力リアクター稼働。金剛、出撃する」
音もなくそして振動もほとんど無い。滑るように、200メートルを越える巨大な戦艦が動き出した。
なんか今、聞き慣れない言葉を聞いたような気がするけど。
この艦の動力は蒸気タービンとかじゃないのか? 今なら原子力なんだろうけど。外から見たときは煙突があったように思うけど。
そんな疑問に対する回答は全くなし。聞くこともできないし。
金剛は港内で方向転換を行い、静かに前進を始める。
その他の艦船も金剛の進行を待っていたようにその後に続くのが艦橋からおよび艦内のモニターから見えた。
確かにどの艦も煙突から煙出ていない。
一体どんなテクノロジーなのですかねえ。
舞鶴港は周囲を高さ10mに達するほどの高く巨大な壁によって外洋と遮られている。
ちなみにその理由は現段階では知らないし、聞けない。今度扶桑に聞いておかないと。
今、その中央部に設置された幅20mのゲートがゆっくりと上へとせり上がり始めていた。
唐突に艦内に女の子の声が響き渡る。
「先陣は私に任せてー」
刹那、直ぐ側を艦影が通り抜ける。
「な? 」
艦橋からその船を見た時に思わず驚きの声を上げてしまった。なんと艦橋の上に一人の女の子が立っていて、こちらに手を振っているのだ。
風に靡く茶髪、うさみみヘアバンドに赤白ボーダーのニーソックス。
「こら、島風! 勝手に行かないで!! 」
追いかけるようにもう一隻が駆け抜けていく。
「あっはははー。叢雲おっそーい」
「馬鹿! アンタがスピード出し過ぎなのよ!! 港の中で馬鹿みたいに飛ばすんじゃないわよ!! 死ぬわよ? 」
「島風に叢雲? お前たち何で」
「外洋はワタシたちの管轄下にあるけど、たまに潜水艦や魚雷艇がいたりするんだよね。編成によっては対潜水艦能力のある艦船がいなかったりするから深海棲艦の領域手前までは援護用の艦艇も同行してるのを忘れたんですか? 」
当然のように金剛が答える。
「い、いやそうだったな」
慌てて誤魔化す。
「あいつらと通信は繋がるかな?」
「音声は各艦とは常時つながっているから話せばみんなに伝わりマスヨ」
「なるほど。テステス。えー……島風、叢雲、聞こえるか」
「なーにー提督」
「何よ、何か用なの」
二人の駆逐艦娘が答える。
可愛い島風、ツンツン叢雲。
「いや、その、ありがとう。道中頼むよ」
「うん! 島風に任せてくれたら大丈夫だよ」
元気そうに答える島風。
「な……べ、べつにアンタのためにやってる訳じゃないんだから! に、任務だからやってるんだからね! か、勘違いしないでよね、馬鹿!!」
思わず微笑んでしまう冷泉。
相変わらずのテンプレ通りのツンデレ。叢雲可愛いなあ。
そんなこんなで、やっと冷泉朝陽提督率いる舞鶴鎮守府第一艦隊は、外洋へと出撃することになったのであった。
次回予告
ついに深海棲艦との戦闘が始まった。
初めての実戦に衝撃を受ける冷泉。
そして戦いの中、彼は重大な決断を迫られることになる。