少年は、ゆっくりと歩み寄ってくる。まだ義足に慣れていないのか、その動きは時折不自然になる。
長波の側まで来ると、彼女に抱かれた艦娘の顔を覗き込み、そして呟く。
「遅かったか……」
その声は僅かではあるけれど、悔しさを滲ませていた。
「なんと哀れな……。あんなに綺麗だった女の子が、こんなに薄汚れたみすぼらしい姿になってしまって」
それは叢雲の今の状況を言っているのか、それとも身なりについて指摘しているのか?
かつての叢雲を知る者なら、彼女の身なりはみすぼらしいと言う他無かった。彼女が絶対にしないような地味でセンスの無い服装だったのだから。けれど、それは仕方が無い。追っ手から逃れるための偽装工作だったのだろうから。
「遅かったか……」
と、再び呟く少年。
「ふ、ふざけたことを言うな! お前が、いや、お前らが叢雲を」
声を荒げ、挑むような瞳で睨み付ける長波。
草加たちが叢雲を追って来たのは間違いない。何が原因かは分からないけれど、彼女はそれから逃れるために、手を尽くしてここまで逃れてきたのだ。彼らは、冷泉提督や舞鶴鎮守府の艦娘に接触される前に彼女を捕らえようとしていたのか。いや、そうに違いない。叢雲の体にあった銃創はこいつ等に撃たれたものに違いない。
「お前らは叢雲をアタシ達に会わせないために追って来ただけだろう? 何が可哀そうだ。お前らが叢雲をこんな目に遭わせたんじゃないか。アタシはこいつから聞いたんだ」
そう言うと、長波は叢雲から聞いたことをそのまま草加にぶつける。隠蔽しようとした情報が漏れたいたことを知り、少年がどういった反応を示すなんてどうでもよかった。もし、自分まで消そうとするのなら、いい度胸だ。こちらは艦とのリンクは確立されている状態だ。少し遅れて複数人の武装兵士達が駆けてくるのをすでに捕らえている。
ふふふ……面白いじゃないか。
ニンゲン如きが、たとえ何人集まろうとも、一瞬で消し炭にしてやろう。否、叢雲が与えられた痛み苦しみを少しでもこいつら下種どもの体に刻み込み、地獄の中息絶えさせてやろうじゃないか。
艦娘としての禁忌が発動する? そんなこと知ったことじゃない。叢雲を殺した奴等に慈悲などかけない。たとえこの体がどうなろうとも、成し遂げてみせる。
全身が熱くなるのを感じる。
「……ふう」
状況をまるで把握していないのか、草加が大きなため息をついた。
「それにしても、ずいぶんと無茶苦茶な話を聞かされたんですね」
と、呆れたように呟いた。
「嘘をつくな! アタシはちゃんとこいつから聞いたんだ。叢雲が嘘なんてつくわけないだろう! 」
親友が嘘をつくなんてありえない。そう、アタシ達は親友なんだ。
「三笠様が、艦娘を洗脳して操り、そして冷泉提督と敵対させる? それに逆らった金剛さんを殺した? 更に叢雲さんまで殺そうとした? なんと……あまりに荒唐無稽、ありえない話ではないすか。教えてください。そんなことをして、三笠様に何の利益があるというのですか? 考えてみてください。そもそも、三笠様と冷泉提督との間に対立状態があったのですか? まあ仮にあったとしましょう。ではなぜ、金剛さんや叢雲さんを洗脳して冷泉提督と戦わせる必要があるのでしょうか。そんな面倒な手間をかけなくても、三笠様が艦娘に命令すれば、彼を討つなど容易。すべての艦娘の上位に、三笠様がいるのですからね。彼女の命令であれば、艦娘は従わざるを得ない。そして、そんな強引で乱暴な手法をとらずとも、三笠様の力をもってすれば日本軍を動かすことなど造作もない事。政治的圧力をもって、彼を鎮守府司令官の座から放逐すればいいだけのことでしょう? 」
「そ、それは」
長波は、続ける言葉が出てこない。
「確かに、叢雲さんが死んだということは事実です。しかも殺された。死の淵にある叢雲さんから聞かされた事を信じてしまうのはやむを得ないでしょう。どうやら、あなたにとって彼女はとても大切な存在のようだ。そんな状態では、……冷静な思考ができないのは当然でしょう。そして、そんなあなたに、辛いことを伝えなければならない。信じることなど今のあなたにはできないかもしれません。けれど、冷静になった時……もう一度考えてもらえばいいと思うのです」
草加は、第二帝都東京で起こった事件について語り始めた。
それは、改二改装のために滞在していた金剛と、第二帝都東京へ異動となった叢雲による艦娘に対する反乱だった。
ある日、叢雲が係留中の自艦を起動し、帝都施設への砲撃を開始したのだ。これにより帝都の警備の目をひきつけた。それと絶妙なタイミングで呼応するように、研究施設で改装中だった金剛も行動を起こす。同じ施設にいた三笠を襲撃したのだ。
普段であれば、常に複数の武装兵士が護衛にあたっていたが、叢雲による施設破壊活動に動揺した混乱をつかれたのだった。
改二改装中であったことから、艦とのリンクが切断されていたことが三笠側にとっての幸運だった。リンクが残されていたなら、戦艦による砲撃を受けただろう。防御設備の内部での砲撃に施設が耐えうる保証は無い。帝都は半壊状態にまで追い込まれただろう。
人間では艦娘を止めることはできない。金剛は執拗に三笠の命を奪おうと攻撃を続けた。彼女は死などまるで恐れることが無いように、とにかく三笠を殺そうとした。もはや、金剛を止めることは三笠にしか不可能だった。そして、たとえ彼女であっても、金剛を止めるには彼女を殺すしかなかったのだ。
そして、三笠はやむを得ず金剛を殺害した。そして、速やかに次の行動を取った。それは、駆逐艦叢雲と艦娘叢雲のリンク切断だった。リンクが切れれば、もはや軍艦は動かすことができなくなる。大規模な破壊活動は止められる。
リンクを切られた叢雲は、金剛の失敗を知っただろう。守備隊の攻撃により艦は大破状態となり、彼女は艦を捨て、逃亡せざるをえなくなったのだ。
「それでアイツを殺そうとしたんだろう? アイツを撃ったんだろう? 」
「……違います。それは明確に否定します」
「嘘をつくな! 現に叢雲は撃たれているじゃねえか」
「三笠様は、金剛さんを自らの手で殺めなければならなかったことをとても後悔されていました。とても悲しんでいました。この上、叢雲まで手にかけることなどできるはずもありません。……ですから、三笠様は我々に一切の銃撃を禁止されました。重大な反逆行為を行った彼女でも、命までは奪いたくなかったのです。もし彼女に逃げられるのなら、それもやむを得ないとまで仰られました。だから、彼女はここまで逃げることができたのです。もし、殺害許可が出ていたなら、止めることができたでしょう。彼女の攻撃により、多くの人が犠牲になった。私の仲間もたくさん。けれど……そんなことはどうでもいいのです。我々にとっては、三笠様の言葉が一番重要なのですから。そして、三笠様は命じられました。全力を持って叢雲さんを追い、そして保護せよと」
「……何だそれは? 」
長波には三笠の考えが良く分からないでいた。
「まるでお前らが叢雲に危害を加えていないような言い草は」
「叢雲さんの銃創を調べれば全てが判明するでしょう。彼女を撃った銃が我々のものではないことがすぐに。三笠様は叢雲さんを保護しろと命じられました。我々にとって彼女の命令は絶対です。そんな我々が叢雲さんを殺そうとするなどありえないのですから」
そう言って草加は反論する。その表情は真剣そのもので、怒りさえ滲ませていた。
「じゃ、じゃあ、なんで叢雲がこんな目に遭ったんだよ。誰に殺されたっていうんだよ! 」
「三笠様が叢雲の保護を命じたのには、理由があります。まず第一には彼女を捕らえ、事件の全容を明らかにすることでした。そして第二には、今回の作戦が失敗に終わったことを知った真犯人店…つまり三笠様暗殺を彼女達に命じた者によって、口封じの為に消されることを防ごうとしたのです」
と、少年はにわかに信じられないような話を続ける。
「そもそも、艦娘にとって三笠様は上位の存在です。尊敬や憧れころすれ、敵意を持ったり……ましてや殺そうなどと考えるはずがありません。そして、軍艦で街を砲撃するなんてことはありえません。それは長波さん、あなたにも分かりますよね」
「当然だよ。三笠さんはアタシ達にとってとても大切な存在だ。人間で言うところの姉に近いだろうな。とても優しくて暖かい。嫌ったり憎んだりなんてするはずねえ。まして、殺そうなんて考えが出るわけないんだ」
三笠達は艦娘の憧れでもある。艦娘より上位の存在。そして、人へ危害を加えることに対する禁忌よりも更に強い制御がかけられている。それは、絶対服従といったものに近い。もっともそんな抑制効果が無くても、艦娘たちは彼女を慕っているのだが。
「金剛さんだってそうだと思います。長波さんたちよりも付き合いが長いはずですからね。けれど、彼女はそれを為そうとした。それが何故だかわかりますか? 」
と、草加は問いかけてくる。
「そんなこと分かるわけねえだろ」
吐き捨てるように言葉を返した。
当然ですね、と草加は頷く。
「けれど、答えは実に簡単なのです。……艦娘の三笠様に対する想いよりも、大きな影響力を持つものが存在したのです。三笠様を殺害することにさえ躊躇をさせないほどの強制力を持つ存在が、あなた達のすぐ側にいたのですから」
「意味が分からないわ」
そう言いながらも、長波の言葉は震えてしまう。続けて少年が発する言葉を聞きたくない。
「艦娘の意思に反して、行動を強制することができる存在。金剛さんや叢雲さんが命を投げ出しても行動させる影響力を持つ存在。……舞鶴鎮守府司令官冷泉という存在が」
「そんなわけあるか! 」
即座に長波は否定した。
「そうでしょうか? 」
「あったりまえだ。提督がそんな命令なんてするわけが無い。アイツがそんなことするわけがない」
冷泉提督は常に艦娘のために行動していた。たとえ自分の身を危険にさらしても、立場を悪くしようとも艦娘の事を思って行動してくれていた。そんな姿をずっと見てきた長波だから分かる。馬鹿がつくほどまっすぐなその気持ちに嘘なんてありえない。
「しょ、証拠を見せてみろ。そんなこというくらいだから、何か根拠があるんだろう? いくらなでもそれは許せねえぞ」
「おっと。そんなに声を荒げないでくださいよ。私は事実を検証し、そこから導き出された結果だけをお伝えしているだけなんですから。……落ち着いてください。これはあくまで推論でしかありません。けれど、あなたにも責任があるんですよ。あなただって、何の証拠もなく三笠様が叢雲を殺した犯人のように言うから、ついこちらも言い返してしまったのです。これについては、謝罪しますが」
まるで反省などしていないくせに、草加がしれっとした表情で返してくる。
「たしかに私の推論でしかありません。けれど、適当なことを言っているつもりはありません。私の推論を覆すような反証が見当たらないのは事実なのですから。冷泉提督であれば、金剛さんや叢雲さんを動かすことができます。司令官の絶対命令権発動でなくとも、彼女達の想いを利用すれば、彼女達は提督の意のままに操ることなど不可能でないでしょう? 」
と笑った。
そんなことありえない。そう返したかったけれど、言い返せなかった。
叢雲が提督の事を好きだったことを思い出したからだ。言葉には出さないけれど、態度でバレバレだった。いつも彼女は提督の姿を目で追っていたし、いつも彼のことを心配していた。彼の役に立ちたいけれど、立てない自分に悶々としていたことも知っている。それを恋というのかは長波には分からない。けれど、提督に命じられるのでなく、請われれば彼女は何でもしたような気がする。たとえすべてを敵に回すものだとしても。
「それでもすべては推論でしかありません。けれどこういった考えもあるということをお知らせせずにはいられませんでした。舞鶴鎮守府の艦娘たちは冷泉提督への依存度が高いですからね。少し盲目的な部分もあります。一度、冷静になって一歩下がって状況を見直したほうがいいかもしれません。……私としてもこの推論が正しいかどうかを再検討します。あなた方のためには間違いであったほうがいいのでしょうけれどね」
複数の駆け足の音が聞こえてきた。
どうやら兵士達がやってきたようだ。草加と同じ軍服を着た兵士達の登場だ。
「さて、おしゃべりが過ぎたようですね。そろそろ私も本来の任務に戻りますね。……さあ、叢雲さんのご遺体を回収しろ」
やってきた兵士に指示をする草加。どうもても彼よりも年上の兵士達にてきぱきと指示を行う。
兵士達は長波の側まで歩み寄り、腕に抱えた叢雲に手をかける。
「触るな」
咄嗟に声を上げてしまう。
「汚い手で触るな」
殺意を込めた言葉に兵士達が驚いたような表情を見せ草加を見る。
「構わん。速やかに艦娘を収容しろ」
と、草加が命令する。
「何を」
「それ以上の言葉は慎んでください。これは、三笠様の命令です。艦娘のあなたが逆らうことは許されません」
逆らおうとする長波の機先を制して草加が言う。
「大人しく叢雲さんをお渡しください。さもなければ、あなたも連行することになるかもしれません」
それは警告だった。逆らえば本当に実力行使に出るだろう。
「叢雲をどうするつもりなんだ」
「どうもしません。通常の手続きどおりに物事を執り行うだけです。彼女の死因を確定させ、そして、コアより記憶を回収し事実を確認するだけです。三笠様は今回の事件の真実を究明することを最優先されています。我々はその目的達成の為に動くだけです。ゆえに、それに歯向かう者は排除するだけです。こんな大それた事件を起こした真犯人を見つけ出し、それ相応の報いを受けさせるために。それは長波さん、あなたにとっても大事なことでしょう? 叢雲さんを殺した真犯人を許すことはできない。それは間違いないでしょう? 」
「そ、それはそうだ。絶対に許せない」
いろいろと複雑な感情に揺さぶられるけれど、その件についてだけは間違いない。長波は親友を殺した奴を絶対に許せない。見つけ出して、この手でぶっ殺してやりたい。
叢雲は兵士達に回収され、遅れてやってきた車へと積み込まれていく。その様子をぼんやりと長波は見つめていた。
頭がぐちゃぐちゃに混乱している。怒りの矛先をどこに向けていいかわからない。悲しみでどうにかなりそうなのに、どこか物事が勝手に進んでいることに耐えられない。
それ以前に、草加が言った事が心を掻き毟る。
「それでは我々は撤収します」
そういうと草加たちは去っていく。彼らの乗った車が見えなくなっても、しばらくの間は長波は立ち尽くしたままだった。
何をどうしていいか分からなかったからだ。
「なあ提督。あの男が言っていたことは本当なのか? アンタが叢雲達に命令したのかよ? そんことありえるのか? どうなんだよ」
答えを返す者など存在しないというのに、問いかけずにはいられない長波だった。