草加という少年が、耳元で囁いた言葉。
叢雲が持つ疑問へのヒントがそこにある、と彼は言った。
どうしてうち捨てられたはずの人間の一人でしかない草加という少年が、叢雲が知らない……そして、三笠が教えてくれない事を知っているのか?
彼の言葉を信じるとするならば、彼がドックで働いていた……若しくは、それに関連する業務に従事していたのだろう。そして、その中で秘密を知ったということなのだろう。
一度、第二帝都東京に入ったら二度と出られない。出る時は死体としてしか不可能と噂されている施設だ。実際、負傷して働く事のできなくなった彼等は外に出されることもなく、ここで生きながらえている現実。あながち嘘ではないのだろう。ならば、そういった高レベルの秘密に触れることもさほど難しくないのかもしれない。
もちろん、叢雲も手に入る情報をそのまま信じるほどお人好しではない。
どう考えても、タイミングが良すぎる。
……あからさまな情報提供であり、これは罠と考えていいだろう。
ここの吹きだまりみたいな場所に棲む人間達は皆、薄汚れて汗臭い臭いが漂ってきそうな服装をしている。身だしなみなど二の次のような、みすぼらしい姿である。なのに、草加の着ていた服は汚れたようには見えたけれど、それはわざと汚したような汚れ方であり、染みついた汗や垢など全く無かった。何よりも体臭は感じられず、洗剤の香りが残っている状態だったのだ。髪ぐしゃぐしゃにしていたけれど、生え際はきちんとカットされていた。髭も全然伸びていなかった。……急遽、準備したとしか思えない、とてもレベルの低い偽装だったし。
わりと人を見る癖がついているのだ。簡単には騙されない。
それでも……。
全てが分かっていたとしても、今はそこに飛び込むしか手はないのだ。叢雲は覚悟を決めていた。恐れるわけにはいかない。このままでは、横須賀鎮守府へ着任した金剛は、冷泉提督討伐に向かうだろうから。好きだった人を喜々として討とうとする金剛をどうしても止めたい。彼女は三笠たちに何かをされて、きっと記憶を失ってしまっているのだ。そして、全然違う記憶を埋め込まれてしまっているに違い無い。
金剛が提督を殺そうとするなんて、そんな場面を想像なんてしたくなかった。何よりも、そんな場面に出くわせば、冷泉提督がきっと悲しむはずだ。そして、あの馬鹿な彼は、金剛が望むなら、自らの命さえも差し出すだろう。
記憶を書き換えられた金剛は、その未来に満足するのかもしれない。
けれど、提督の死を叢雲は受け入れられるはずがない。受け入れられる筈が無い。金剛がどうして変わってしまったのかを知ることは、自分の為でもあるのだ。三笠達によって、何かをされたというのならそれを突き止めるんだ。そして、それを提督に伝えるのだ。何をどうすれば問題が解決するかなんて、自分では分からない。けれど、提督なら、きっとどうにかしてくれる。金剛を救おうと必死になるはずなのだ。安易に彼女の為に無条件に命を差し出すような真似だけはしないはずだ。
叢雲の想いは、ただ一つ。彼には死んで欲しくない。彼の悲しむ姿なんて見たくない。だから、たとえどんな罠が待ち構えていようとも、そこに飛び込むしかないのだ。
そして、―――夜。
叢雲は、警備カメラを警戒しながら部屋を抜け出す。
毎日、同じ行動をしていたから、警備の兵士の行動も完全に把握している。そして、彼等も叢雲が決まり切った行動を繰り返すことに慣れてしまい、イレギュラーな行動をしないと思い込んでいるはずなのだ。
そこが狙いだ。街に設置されたカメラの場所はほとんど把握している。そして、そのすべてのカメラの死角も把握済みだ。漠然と生きていたわけではない。いろいろと先を考えての行動をしてきたつもりだ。それが、今、生かされる。
第二帝都東京は、第1区から第35区という無機質な名前を付けられて区切られている。
それぞれの用途事に区画が分けられており、面積は一定ではない。用途に必要なエリアをまとめて区としている。最も広いのが艦船を停泊させる港およびそれに付随する施設である第8区。もっとも小さいのが三笠がいる制御区画である第1区となっている。草加達がいたエリアは第35区であり、これからすると数が少ないほどランクが高い場所といえるのだろう。
叢雲が住んでいる区画は、艦娘用に作造られた施設である第3区。ほとんどの艦娘は、鎮守府に派遣されるために様々な設備が整えられた場所とはいえ、普段は閑散としている。今でも叢雲以外に誰もいないんじゃないかと思うくらい静まりかえっている。……とはいえ、金剛と不知火がいるはずなのだから、他にももっといるのかもしれない。
草加という少年が伝えてくれた場所、それは第29区と呼ばれる場所だった。今まで行ったことも無い所だ。第8区に隣接しているものの、高い塀で仕切られた海に面した場所だった。いくつもの倉庫のような物が建てられているが、普段は、人の気配は無い。
施設には港が設置されているものの、そこに軍艦が停泊することは無い。定期的に輸送船のような船がやって来て、何か分からないけれど、荷物を積み込んで出港していっている。船の到着に併せて、他の場所から車両と共に作業員がやって来て、倉庫から荷物を運び出すのだ。不思議なことに、船から荷物は降ろすことはない。
叢雲は闇に紛れて、草加に言われた施設へと忍び込む。倉庫にはナンバーが振られており、彼は42番倉庫の二階2-5のナンバー5に知りたい事への解答がある……と教えてられていたのだ。施設は当然施錠されているものの、艦娘にとっては雑作無く解錠することができる程度のものでしかなかった。艦娘の能力はまだ使える事に安心し、周囲をサーチする。人の気配は無い。警備システムの情報も入手完了だ。
叢雲は、五感を使って人の気配を確認しながら、そっと忍び込む。
電子キーを簡単に解錠すると、警戒を怠ることなく二階へと移動する。監視カメラの存在も無力化できていると思う。……もちろん罠で無ければ、だけれど。しかし、見付かったときは見付かった時とすでに覚悟を決めている。
2-5のナンバーが振られた部屋は、灯りが点いてる訳では無く、窓も無い。そのため、完全な暗闇だ。照明を点ける必要は無い。能力の数値を普段より数段上げた叢雲にとっては、たとえ暗闇であろうとも昼間と大差無い状況まで改変できる。
そこは、無機質な壁。冷たさのみしか感じさせない床。
壁には四角く銀色に光沢を放つ扉が二段に設置され、横に10列並んでいた。つまり、20個の扉が並んでいたのだ。扉には取っ手が付いていて、それを動かせばロックが解除され扉が開くよう見えた。
「これって……」
叢雲は、こんな場所を見たことがある。……それは死体安置所だった。
どうして死体安置所に自分の知りたいことがあるというのか? まるで意味が分からない。とはいえ、あの少年がわざわざ伝えたということは、ここに何かがあるのだろう。ここに彼とその背後の存在が見せたいモノがあるのだろう。
薄暗いとはいえ、艦娘にとっては全く支障の無い明るさ。照明をつけずとも十分に見通せる。
「とりあえず……ここに何かがあるのかしら」
見ると名札のようなものがそれぞれに付けられている。そして、明らかな人の名前と日付が書かれている。その関連性は分からないけれど、ほぼ全ての場所に名前が表示されている。どう考えても遺体が安置されているだけなのだろうけれど、開けてみるしかない……のか。
「考えても仕方ないわ」
口に出すことで気力を振り絞る。手近な扉の取っ手を掴むと、ロックを解除する。
ゆっくりと扉が動くと軽い力だけで開いていく。同時に白い煙と共にひんやりとした空気が流れ出してくる。ドライアイスかなにかで冷やしているのだろう。
中をのぞき込むと、見るんじゃ無かったと後悔する。
そこには裸足の足をこちらに向けて一人の人間が入れられいるのが分かった。……明らかに死んでいる。
白い衣服を着せられているようで、足からも想像できるが、比較的小さい人間が入れられている……らしい。