まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第181話 交錯する想い

部屋を出た叢雲は、どっと疲れが出たせいもあり大きく息を吐き出した。

 

ネットリと重苦しいものが心の中に、まるで重しのように乗っかっている。

……今にも吐き出しそうだ。いや、違う。吐き出せばきっと楽になるのに、吐き出すことができない。胃の奥の方にタールのようなネットリとした物体が留まっている。それは留まるだけではなく、胃壁を食い破り、全身へと侵食していくようだった。

 

こんな時、この苦しみを誰かに聞いて欲しい。そして、できることなら励まして欲しい。

 

「ここには、そんな人は誰もいない……」

共に死線をかいくぐった戦友とは、もう完全に関係が切れてしまった。

戦いとは無縁の場所に来たけれど、むしろ舞鶴の方が心安らぐ……。生と死が背中合わせで存在する場所だったけれど、側にはいつも友がいてくれた。信頼できる仲間がいた。共に支え合うことができた。けれど、今は誰もいないのだ。

 

けれど、後悔なんてしちゃだめだ。

 

戦艦三笠さんは、約束してくれたのだ。

 

冷泉提督に降りかかるであろう火の粉の内、少なくとも致命的なものだけは取り除くと。それを信じるしかない。

自分ができることなんて、ほんの少ししかない。けれど、そんな小さなものでも、彼を護る手立てになれば……。それが叶うなら、自分の事なんてどうなっても構わないのだから。そして、影ながらではあるけれど、彼の役に立てるということだけが、今は唯一の希望になっているのだから。より一層、彼の力になりたいという思いだけが、叢雲を立たせる力となっている。

 

だからこそ、今は、ここで冷泉提督の役に立てることを探すのだ。

ここの事を知れば知るほど、彼の為になれることがきっとあるはずだから。この施設の事を知る者は少ない。どんな情報であれ、きっと彼の役に立つはずなのだから。

 

特に、一番の気がかりは不知火の事だ……。

何故、彼女がここにいるのか。……それを知ることができれば、秘密を暴く事ができたら、きっと提督の役に立てるはずだ。しかし、それを行動に移そうと考えた途端、頭の中で警報が鳴る。近づいてはならない秘密。きっとそこには、それが待っている。知ろうとすることだけで、とんでもなく危険な気がする。

艦娘としての禁忌に触れようとしているような、背徳感・罪悪感があるのだ……。きっと、艦娘という存在にもともと規程されているようなものが。

 

 

そんな事を考えながら歩いていると、いつの間にか港に出てしまった。

普段、このエリアの港にはほとんど船が着くことは無い。ここを訪れる貨物船や客船は、ここよりだいぶ離れた場所に外来専用として造られた港に誘導されることになる。

 

ここに入港できる艦は、ごくごく限られた者だけとなる。ここにはドッグがいくつか設置されていて、基本、大規模改装のために艦娘がやってくるだけだ。しかも、入渠制限が設定されていて、少なくとも同時期に二人も入ることは無いように調整しているとのことだ。

 

巡洋艦神通もごく最近入港している。

叢雲と長波も一緒にこの港に入ったが、改装が行われる少し前に違う港に移動させられた。

 

叢雲は、港に入港して来る艦影を発見する。艦は、たった一人で、港へと入ってくる。

「珍しいわね、ここに来る艦がいるなんて」

三笠の話によると、大規模改装のためにやってくる艦娘は、月に一人来るかどうかという稼働率のはずだった。神通が出てすぐに新しい艦がやってくるなんて、一体何事か、どうしたのだろうと疑問が起きてしまう。

港には多くの作業員が集まっていて、入港のための準備を行っている。普段は人気のない港に活気が戻ってきている。

 

目を凝らして艦を確認しようとする。

「え! 」

その艦が誰かを確認した叢雲は、思わず驚きの声を上げてしまう。

 

そこにいた艦は、戦艦金剛だったからだ。何故、金剛がここに来ているのか? 港には彼女の艦影しかないが、一体どういった用事でここに来たのか? この港に入るということは、大規模改修を行う予定なのだろうけど、そんな話は叢雲は聞いた事が無かった。しかも、舞鶴鎮守府が大変な時に、戦艦クラスの艦娘が鎮守府を留守にするなんて……

 

様々な疑問が脳裏をよぎる。叢雲は、慌てて彼女の元へと駆けたのだった。

 

しばらくすると入港作業が完了した。タラップを俯き加減で歩いてくる巫女姿を発見する。

 

金剛だ。

珍しく何か考え事でもしているせいか、近づく叢雲の存在には、まるで気づいていないようだ。すぐ側まで近づいても、まだ、反応がない。その表情は俯き加減のため分かりづらいけれど、何か真剣に思い詰めた表情だった。声がかけづらくなるほどの雰囲気を醸し出している。

 

「金剛……」

戸惑いながらも叢雲が声をかけると、彼女は条件反射のように笑顔に戻り、反応する。

 

「OH! 叢雲、久しぶりデース」

急に笑顔になった彼女は、しゅたっと両手を挙げ、ハイタッチを要求してくる。

 

「……アンタ、いっつも元気ね」

そのいつもの変わらない態度にホッとすると同時に、いつも通りに呆れてしまう。どうやら思い過ごしだったようで、金剛はいつもの金剛でしかなかった。

 

「それが、元気がワタシの力の源ネ」

変わらない元気そうな彼女を見ると、少しだけ元気がもらえるような気がした。しかし、今はそんなことを話している場合ではない。

 

「ねえ、アンタ、どうしてこんなところに来てるの? 」

そうは思いながらも、いきなり本題に入ることができず、別の気になる事を問うてしまう。他にも聞きたいことはあるのだけれど、まずはそこへと逃げてしまう。

 

「こんな所って! 酷いデスね。叢雲だって、ここに来ているじゃないデスか」

 

「私は、舞鶴からここに異動となっただけよ。……でも、金剛、あなたは違うでしょう? 第二帝都東京に用事がある艦娘なんて、ほとんどいない。あるとしたら……」

ここ、第二帝都東京は、新しい艦娘が各所属へと派遣されていく場所だ。そして、この港は、大規模改装を行うためにやってくる場所なのだ。

 

「大規模改装をする艦娘じゃないと、ここには用事が無いはずだけれど」

それ以外でこの港を訪れる艦娘など、聞いた事がない。例外が叢雲であり、艦娘側よりの要請でこの港にいる。しかし、それは例外中の例外でしかない。普通に考えれば、金剛は大規模改修の為にやってきたということになる。

 

「叢雲の言う通り、ワタシは改装の為にここに来たのデース。凄いでしょう! 」

両手でVサインを示しながら、金剛が宣言した。

 

「え? アンタが改二になるっていうの? けど、いつの間にそんな練度が上がっていたの? ……っていうか、鎮守府にそんなに資材があったの? ただでさえ貧乏な舞鶴は、神通さんの改装のために、苦労して資材をかき集めて捻出したって聞いたんだけど……ね。鎮守府に、まだそんな隠し資材がうちにあったなんて……。うちの提督もなかなかやるわねえ」

思わず「うち」と言ってしまった事に叢雲は思わず驚いてしまう。もはや自分は舞鶴鎮守府とは何の関係もない艦娘なのに……。未だに舞鶴の艦娘気取りだなんて、馬鹿みたいだと思う。冷泉提督だって、もう二度と関わることの無い人なのに。

 

しかし、戦艦の大規模改修となれば、巡洋艦を改装するよりも遙かに膨大な資材と資金が必要なはずだ。そんな余力なんて、叢雲の知る限り舞鶴にはそんなものあるはずが無かった。一体、どうやってそんな費用と資材を捻出したのだろう?

 

それでも、戦艦金剛が改二となれば、舞鶴鎮守府にとっては大きな戦力アップであることは間違いないだろう。それくらいの支出をしたとしても、充分取り返せるはず。そうなれば少しは、戦局が有利になる……はず。

 

その問いかけに、金剛の瞳が一瞬ではあるが、曇ったように感じた。

「……叢雲、あのね」

 

「? 何よ、そんな深刻そうな顔して」

いつも笑顔で鎮守府のムードメーカーだった金剛に元気が無くなっている。そして、珍しくというか、今まで見たこともないような深刻そうな顔になっている。それは、違和感しかない。聞きたくも無い知りたくも無い事を言われそうな予感。

 

「ワタシね、……もう舞鶴鎮守府の艦娘では無いんダヨ」

 

「は? 」

言っている意味が理解できずに、思わず声が出てしまう。

 

「ワタシ、横須賀鎮守府の艦娘になったんだよ」

 

「それどういうこと? 何でそんな事になるっているの? 戦艦のアンタが舞鶴を出て行ったら、鎮守府がまわっていかないじゃない」

誰がそんな事を決めたんだ? まるで鎮守府の現状が理解できていないド素人の判断としか思えない。

 

「この事は、冷泉提督も承認済みなんだよ」

あっさりと彼女は言った。ただ、その時の金剛の瞳は、色を失ったような無気力なものであった。

 

「何で、あいつがアンタを手放したりなんてするはずないでしょう? 大切な戦艦なのよ。それを何の代償も無く認めるだなんて、あり得ない。それに、提督のアンタに対する気持ちもあるんだから……」

認めたくは無いけれど、提督の加賀と金剛に対して向ける視線は、他の艦娘に対するものとは異なることを気づいていた。もちろん叢雲達に対しても愛に溢れた態度で接してくれる。けれど、二人に対しては、特別だった。それは客観的に見ても間違い無いと思っていた。

「戦艦としてだけじゃなくて、艦娘のアンタをあいつが手放すなんてありえない」

 

戦艦と空母という艦種の戦略的重要性だけでは割り切れない提督の感情に、気づかない叢雲ではなかった。

 

「……ワタシが舞鶴を出たいって、テイトクにお願いしたの」

 

「嘘でしょう? アンタ、そんなことおくびにも出していなかったじゃない」

 

「ワタシは、もっともっと大きな戦場に出て、……戦果を上げたかったのデス。たくさんの艦娘と協力して、より多くの深海棲艦を斃したかった。もっともっと人の役に立ちたいのデース。けれど、舞鶴ではその夢が叶わない。戦闘以外の事ばかりに時間を取られ、出撃の機会がほとんど無かったじゃない。何にもできないまま、鎮守府の資材や資金が減り、疲弊するだけで何もできない所にいるのが耐えられなかったヨ。ジリ貧で追い詰められ、まともに戦闘もできないなんて、ありえない」

 

「そ、そんな身勝手な事……。アンタ、自分の立場を考えて言いなさいよ。アンタは戦艦なんでしょう? アンタがいなくなったら、舞鶴鎮守府はどうするの。ただでさえ、あんな事があって、たくさんの艦娘がいなくなったのに、その上アンタまでいなくなったら……」

 

「ワタシがいなくても、加賀がイマース。それに高雄や神通がいるネ。彼女達がテートクを支えるネ。ちょっと数が少なくなったけど、ワタシなんかがいなくても、大丈夫デスよ。それに……本当に困るんだったら、テートクが引き留めたはずダヨ。けれど、ワタシが横須賀に行きたいってお願いした時、テートクは何も言わなかったネ。今更ダケド、やっと分かったノ。ワタシはテートクにとって、もう必要の無い……あはははは、違うね。ワタシは好きなように夢を追いかけるだけデース」

いつもの痛々しい言葉使いが、余計に痛々しく感じる。無理して笑顔を作って話しているが、彼女の本音は言葉通りでは無い事くらい、叢雲にも分かるのだ。

 

「嘘でしょう? 」

 

「本当ね! 」

声のトーンを高めて金剛が否定する。

 

「そんなことで、アンタが提督の側を離れるわけないわ。提督のことをいつも大好き大好きって言ってたでしょう? あれは嘘だったの? 提督の事よりも大切なものなんて、アンタにあるの? じゃあ、言ってた事はみんな嘘だったの? 」

 

「へへー。叢雲だけには言うネ。ワタシ、テートクに告白したんだヨ。でもね、断られちゃった。テートクは、加賀の事が一番大事ね。いつもいつも加賀の事ばかり見ていて、ワタシなんかに興味無いんだって知っちゃった。……振られちゃったんだ。だからネ、もう提督の側にいられないし、いたくもないんだ。いても辛いだけダヨ。それが一番の理由。だから失恋を吹っ切るために、横須賀に行くことにしたの。だって、一緒にいたら、お互い気まずいでショ。これは、お互いの為でもあるから、提督も拒否はしなかったね。それに、向こうの生田提督は、ワタシの異動希望をとても喜んでくれて、できるかぎりの事はするから、是非来て欲しいって言ってくれたの。だから、改二の費用も資材も、全部準備してくれたんだよ。それに艦隊を任せてくれるんだって。あんなに強い艦娘が一杯いる鎮守府で、艦隊を任せてくれるだよ。どー? 凄いワタシに期待してくれているでしょう。そんなところに行けるんだから凄い幸せな艦娘ダヨね、ワタシ。あんな貧乏くさくて辛気くさい舞鶴で燻ってなんていることが、いかにバカバカしい事か分かるでしょ? ワタシの未来は、やっと開けたのデース! 」

自慢げに語る金剛。

 

言葉通りに受け取れば、あの日本最強最精鋭の横須賀鎮守府に、好待遇で迎えられるようだ。艦娘にとっては、最高の待遇かもしれない。確かに、金剛は幸せなんだろう。艦娘としては最高だろう。それは叢雲も思う。

 

けれど、……金剛は見ていて、ちっとも幸せそうに見えない!

 

「本当にそれで良かったの? 」

その言葉は金剛への問いかけだったけれど、自分への問いかけでもあった。

 

「……これ以上の幸せなんて、あるのカナ? 」

どういう訳か、少し怒ったように金剛が答える。

 

「横須賀に行く代わりに、金剛、アンタは何を代償に捧げたの? 何を捨てたの」

 

「何も失ったりしていないじゃない。ワタシは、栄光ある未来を手に入れただけ。捨てたとしたら、柵だけ。何の役にも立たない情だけ。腐れ縁だけ。ただの心の重荷だけよ」

いつになく強い口調で言い返してくる金剛に、少し驚いてしまう。口調もいつもの馬鹿そうなものとは異なる。

 

「舞鶴の艦娘との思い出も、ただの柵でしか無かったの? ……提督との出会いや思い出までも、そう言い切るの? 舞鶴の事は何もかも無意味な物だったって言い切るの」

まるで自分に対して言うかのように、叢雲は言葉は放つ。それは、あまりにも辛辣だった。

 

しばらく黙っていた金剛は、

「あんたに……」

叢雲の問いかけに、いつもとは全然違う、呻くような声で金剛が答える。

「あんたなんかに、私の気持ちなんて分からない……分かるはずないじゃない。私の気持ちが分かったふうに、偉そうに言わないで」

 

「え? 」

恐らく初めて金剛が見せる姿だったはず。見慣れた彼女とは全然違う本音を露わにした金剛に思わず気圧されてしまう。

 

「……」

金剛は急に我に返ったかのように驚いた表情を浮かべると、思わず両手で自分の口を覆ってしまう。

「は、はははは、冗談デース。叢雲、驚いたデスか? ちょと驚かしちゃった?? へへー。みんな冗談ですよ。横須賀に行けるって事でちょっと、テンション上がりっぱなしなの。……ゴメンね、叢雲。ワタシ、ちょっと変デース。きゃははははは」

 

急激な表情の変化、感情の変化。鬱から躁状態への急激な変化。叢雲は、かつての盟友の状況に混乱するしかない。

 

「へへー。ちょっと無駄話し過ぎたデース。ワタシ、三笠さんのところに行かないといけないから、この辺で失礼するでアリマス。……じゃ、またねー」

普段と変わらない雰囲気に変わった金剛は、一気に捲し立てるとそのまま歩き去っていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 


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