天ヶ瀬は、空っぽになってしまった港を見て、大きな溜息をついた。
「本当に誰もいなくなってしまいましたね」
かつては、戦艦金剛、扶桑そして榛名。空母加賀、祥鳳、巡洋艦高雄、羽黒、神通、大井、夕張。駆逐艦叢雲、不知火、島風、村雨、三日月、初風、漣、給油艦速吸がいた……。
いまはもう、誰もいない。
夕張と島風はこちらに向かっているとのことだけれど、……今はいない。
「一体、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。冷泉提督が戻られたらどう言えばいいのかしら」
そう思うだけで頭が痛くなる。
鎮守府を離脱した艦娘の事は、もはや仕方ない。沈没した扶桑と不知火と同じく、他の艦娘も最初からいなかったものと思うしかない。次に再会するときは、明確に日本国の敵となるのだから。
金剛は、横須賀鎮守府に異動となった。本人の希望であり、こちらについては冷泉提督も承認済みとのことだった。
そして、残された艦娘のうち、叢雲と長波は第二帝都東京に残ったままだ。神通が強引に出立してしまったため、事後処理をさせられているとのことだ。
残る加賀、榛名、高雄、神通、速吸は修理及び護衛のために、大湊警備府に行ってしまった。
ちなみに艦娘である長門も、加賀達に同行している。彼女は鎮守府に配属されているわけではなく、冷泉提督に従う存在であるから、冷泉提督がいない鎮守府には何の感心も無いのかもしれない。
大型艦の損傷ゆえ、修理にはだいぶ時間がかかるだろう。しばらくはこちらには戻ってこないはずだ。
それに、少し気になることを葛生提督が言っていた。
「今後は大湊警備府をメインにして作戦を練らないといけないって仰っていたけれど、どういうことかしら。……確かに、冷泉提督の処遇がどうなるかで、何もかもが変わってしまうけれど」
今は葛生提督が舞鶴と大湊の両方の司令官を兼務している。様々な事務処理を考えると、どちらかを拠点にしなければならないのは理解できる。
事務処理の決裁だけでも説明が必要なものについては、大湊まで出張っていくか、彼女が舞鶴に来たときにまとめて行う必要がある。それだけでも随分と時間がかかってしまう。不合理といえば不合理だと思う。
「当然、今、自分がいるところを拠点にするわよね。住み慣れているし、部下とも関係性がきっちりと構築されているわけなんだから。おまけに設備も舞鶴は破壊されたりしていて使い物にならないから、大湊の方が充実している。そして、艦娘の数も向こうが多いものね」
それは別に構わない。
けれど、今のままでは舞鶴鎮守府が大湊警備府に吸収されてしまうのではないかという気がして仕方がない。考え過ぎかもしれないけれど、すべてがそのために周到に仕組まれていたのではないかとさえ思ってしまう。
そんな疑念の信憑性はともかく、機能をどちらかに集約したほうが葛生提督もやりやすいはずなのは間違い無い事実。
……葛生提督は舞鶴鎮守府の司令官になりたがっていたのは周知の事実。そんな野心を持っているなら、こちらに乗り込んでくるのだろうけれど、武装勢力の襲撃の結果、設備の破壊が思った以上に酷い事を見て、考えを改めたのかも知れない。
既に舞鶴鎮守府の艦娘のメンテスタッフは大湊へ出向扱いだし、艦娘の整備に必要な資機材のほとんどを運び出していたし。
今、舞鶴は補給基地レベルの設備しか無い状態だ。着々と物事が進められている。
「何を考えてるの。提督がそんな野心など持っているはずが無いじゃないの。彼女は、舞鶴のことを思って行動して下さっているのに。スタッフや機材の件だって艦娘の事を考えての事。そもそも、あくまで代行でしかないのだから。やがては葛生提督以外の、誰かが派遣されてくるに違いないのだから」
そんなことを考えて、ふと我に返る。
すでに自分が冷泉提督が戻ってこない事を前提で、物事を考えていることに……。
「いいえ、きっと冷泉提督は帰ってこられる。そのことを信じられずに、どうして提督の部下でいられるのでしょうか」
自分に言い聞かせるように言う。
……いずれにせよ、葛生提督の動きには気をつけておいたほうがいいとは思う。
冷泉提督が捕らえられて以降の行動は、贔屓目に見ても、舞鶴鎮守府の為にやっているとはとても思えない。
舞鶴を切り捨てて、すべてを大湊に移そうと考えているようにしか見えない。
もちろん、一鎮守府の司令官が他の鎮守府の処置を決定するような権限は無いのは分かり切っている。けれど、今のところ彼女の行動に対して、どこからも異論は出ていない。もしかすると、事は葛生提督がどうこうという次元より更に上で進められているのかもしれない。
国家として舞鶴鎮守府の解体を考えているのか? とさえ勘ぐってしまう。
国家に謀反の意志ありとして提督が処置された鎮守府。
国家に知られること無く、密かに所属艦娘を隠匿した司令官がいた鎮守府。
多数の裏切り者を出した鎮守府。
これだけの不祥事を起こしている鎮守府への批判を抑えきれるほど、実際のところ、現政権は盤石ではない。
軍の支持を得ているとはいえ、軍隊は一枚岩ではない。そして、海軍内部ですら、派閥闘争が行われているのだ。
軍内部には、政権政党だけではなく、野党との関係が密な勢力も多い。そして、軍隊の指示を得ている政府に対する嫌悪感を持つ国民も相当数いるのだ。
そして、そういった勢力を押さえ込めるほど、日本国は余裕が無い。
本来の敵は外にある。
深海棲艦である。そのメインの敵と戦いながら、内部でも闘争を繰り返している。そんな混乱時であるからこそ、政権がひっくり返るという事も十分にありうるのだ。実際に、それを企てようとする勢力も存在すると聞く。
それほど不安定なのだ。混沌としているのだ。
存亡の危機にありながらも、権力闘争を行う愚かな人間達。そんな連中達で日本国は作られ、守られてている。
まだ深海棲艦との戦争に勝利の目処すら立っていないのに、こんな愚かな闘争を繰り返している。なんという愚かな国家なのだろう。
愚かな人間たちなのだろうか。
誰が敵で誰が味方か……。
舞鶴鎮守府は、現在、非常に不安定な状況にある。日本国においても、勢力バランスを崩す原因になりかねない場所となっている。ここを誰が取るかによって、パワーゲームの順位が変動する恐れが出ているのだ。最初に手を出した者が勝利のチャンスを掴むのか、大やけどをするのか。それは分からない。手を出したくても出せない。互いに牽制しあう状況……。ならば、そんな鎮守府そのものを無くしてしまえば均衡は保てる。現在の状況は、そんな無意識の意志が働いたかもしれない。
また、冷泉提督が海軍の中では、煙たがれている存在であったことも影響しているかもしれない。密かにそういった動きが軍内部でもあった可能性も否定できない。彼ごと舞鶴を消し去る……。
「ああ、なんて不幸なの。なんでこんな時期にこんな所にいるのかしら。そして、なんで、責任者の一人にされちゃったの」
と、思わずぼやきが出てしまう。
自分としては、それなりにキャリアを積んで、それなりの地位を確保し、優しくて頼りがいのある人を見つけて結婚するつもりだったのに。
必要以上にキャリアだけは手に入っているけれど、他は何も無いじゃない。バランスが悪すぎ。
「本当なら、何もかも放り出して逃げちゃいたいけど、……冷泉提督と約束しちゃったしなあ。あーあ、逃げ出したいよう」
またぼやきが出る。
「お給料以上の仕事なんてしたくないよう、週休二日は死守したいよう。けど、無理っぽい。妙なところで葛生提督に気に入られちゃったし。……こき使われそうだわ。おまけに秘書艦の加賀さんも連れて行かれちゃったし。せめて長門さんがいてくれたら、絶対楽できるのに、一緒に行くんだもの。酷すぎ。
……ああ! 冷泉提督が帰ってこなかったら、ホント、過労死しちゃうじゃない。恋愛もする暇無いじゃないの。ちくしょー。さっさとお見合いして結婚してたら良かったわ! 」
冷泉提督、なんでもいいから、とにかく帰ってきて下さいよう。
祈りにも近い叫びを天ヶ瀬は天に向かって上げるしかなかった。
そして、翌日。
鎮守府の守備の要として軽巡洋艦夕張、駆逐艦島風が帰投した。
早速、天ヶ瀬達が彼女達を出迎える。
「おかえりなさい、夕張さん、島風さん」
「ただいまです、天ヶ瀬中尉」
と、元気そうに夕張が答える。隣の島風も笑顔で頷いている。
「向こうの暮らしはどうだった……」
現在の舞鶴鎮守府の状況については、彼女達も知らされているはず。
「そうですねえ。子供達が良く来てくれていろいろとお話してました。ね、島風」
「うん、いろんな人と直接お話して、楽しかったですよ。提督には内緒ですけど、子供達をお船に乗せて、海に出たりもしていました」
二人とも楽しそうに向こうでの生活を話してくれる。
提督から命じられた時は嫌がっていたのに、それなりに楽しんでいたことを知ってホッとする。そして、しばらくは世間話を続ける。本題に入るのを避けるかのように。けれど、それを先送りすることもできない。
「そう、よかったわ。……でも、ごめんなさいね。いきなり呼び戻す事になっちゃって」
「いいえ、全然問題ありません」
と夕張が答える。その顔は真剣そのものだ。
「私達がこの鎮守府を守らないといけないのですから。……私達だけで。もうその覚悟はできています」
「うん、私も出来ていますよ。みんなが帰ってくるまで……、提督が帰ってくるまでは、舞鶴鎮守府を絶対に守り通して見せますから」
島風もいつになく気合いが入っている。
二人とも実際に戦闘に巻き込まれたりしたら、戦う以前に船体が保たないという不安を抱えている。けれどそんな状態であろうとも、覚悟を決めている。そして、その上にたった二人しかいないという状況でも全力を尽くそうとしている。
艦娘としてその使命を全うしようとしているのだ。迷いは感じられない。
こんな理不尽な状況下でも一切の不平を言わない。……ちょっと前までは、他の艦娘達に依存し冷泉提督に甘えてばかりだった子達なのに、危機的状況で強く成長したのだろうか。
艦娘達がこんなに覚悟を決めているのに、自分が弱気ではダメだ。彼女達には今、指揮官がいない。頼れる艦娘もいない。
私達人間が、彼女をサポートしてあげないと。
みんなの力で守るんだ。
天ヶ瀬中尉は強く自分に言い聞かせ、そして、艦娘達に微笑む。
「ええ、私達も一生懸命頑張るわ」
と。