まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第174話 提督と巡洋艦:神通

冷泉は、メガフロート基地内を移動していた―――。

 

かつては多くの人々で賑わったであろう巨大な施設に、人の気配は無い。電力も太陽光パネルにより供給される僅かな電力を有効利用するためか、廊下の証明は間引かれている。メンテナンスがほとんど為されていないためか、明滅を繰り返す蛍光灯があちこちにある。それを見るだけでもこの基地は、「敵」にとっては仮の居場所でしかなかったことが分かる。

 

奴らの本拠地は、どこなのだろうか? 

それが分かるなら今すぐにでも駆けつけて、そこにいる艦娘達の目を覚まさせてやりたい、救い出したい。……けれど、そんなことは叶うべくも無い願いだ。自分の無力さと無能さを十分に認識していたつもりだけれど、まだまだ認識が甘かった。それを最悪の形で思い知らされた戦いだった。

 

一人で気持ちだけが空回りをし続けるだけで、誰一人救うこともできずここにいる。悔しくて、空しくて、情けなかった。

不知火を死なせ、扶桑も救う事ができなかった。……自分の未来を想像するに、はたしてこの先、艦娘達を護る事ができるのだろうかと疑問だけがわき起こる。

そして、一人乾いた笑いをしてしまう。

「艦娘たちの事以前に、自分の先のことさえどうなるか分からないのにな」

と、独りごちる。

 

敵である永末たちを倒し、そして扶桑達を連れ戻す事ができれば、挽回のチャンスがあると思っていた。……それが最悪の結末だ。彼女達を連れ戻すどころか、死なせてしまった。さらに、麾下の艦娘達にも多くの負傷者を出してしまった。この責任を取らずにいることなどできないだろう。そして、自分を良く思わない連中がこの機会を逃すわけが無いだろう。

 

どの程度の処分が自分になされるのか。

 

最低でも鎮守府指令官の座からは、降ろされるだろう。その後どうなるかは分からないけれど、一度その座から降ろされたら、二度と復帰はできないのだろう。そうなると、もう彼女達と接することもできなくなるのか……。自分の能力の無さとミスが呼び込んだことなのだから、その責任を取ることはやぶさかではない。けれど、自分の権限が及ぶ内にできるだけのことはしないといけない。

 

そして、ふと先程の事を思い出す。……いきなり榛名に抱きしめられた事を。まだ顔に彼女の温もりを感じている。どういうつもりであんな行動に出たのかは分からない。彼女の言葉の真意も測りかねている。けれど、少なくとも自分のことを心配してくれている事だけは分かった。彼女から見ても、ずいぶんと落ち込んでいるように見えたのだろう。

うぬぼれでは無いけれど、こんな自分のことを慕ってくれている艦娘たちが他にもいる。かつていた世界では想像もできなかったことだけれど……。

そんな艦娘達を心配させてはいけない。虚勢を張ってでも構わない。彼女達のほうが不安なのだ。その不安を少しでも軽減させてあげないといけない。辛いのは自分だけではないのだから。励まされてばかりではいけない。むしろ、励ます側の人間なのだから。

 

「よし」

空元気でしかないけれど、自分に活を入れる。時間は残り少ないけれど、できるだけのことはやろう。

 

そして、冷泉はある部屋の前に立つ。

 

医務室である。

 

扉を開けて中に入る。テーブルと椅子が一つ、そして壁際にベッドが置かれているだけで一杯の小さな部屋だ。そして、ベッドには一人の少女が横たわっている。

 

神通だ。

 

彼女はあの戦闘の途中で意識を失い、そのままここに運び込まれたのだった。彼女は眠ったままで、ずっと目を覚ましていない。

 

ベッドの横に進むと彼女の顔を見つめる。神通は、改二改装を終えてすぐに冷泉の元に単身で救援にやって来た。その移動時間からしても、ほとんど限界に近い速度を出していたはず。そして、それどころではない。領域に突入し、敵艦隊を引き連れてやって来たのだ。敵の攻撃を回避しながら、かつ、ありえないほどの短時間で移動をこなしてきた。その事実がどれほどの負荷を彼女に与えたのか、想像さえもできない。改二となり能力が大幅に引き上げられたといっても、その許容できるレベルを遙かに超えていたのだろう。まるでショートでもしたように停止してしまっていたからな。

 

冷泉は眠り続ける神通の顔を見つめる。

「お前には本当に無理ばかりさせているな……」

それなのに、彼女は常に無理に無理を重ねている。それに甘えて、冷泉は止めることができないでいた。彼女の献身に甘えていたのだ。

 

「自分は、軽巡洋艦です。だから戦艦や空母の皆さんのように強くありません。彼女達に追いついて、提督のお役に立つには、並の努力では全然足らないのです。今やっていることですら、全然足りないと思っています。……軽巡洋艦が戦艦や空母のような活躍なんてできないことはもちろん分かっています。けれど、私はほんの少しでもいいので、提督のお役に立ちたいのです。提督にご恩返しをしたいのです。そのためなら、どんなことだってやります」

無理をし続けている神通に対して、暗に無理をするなと伝えた時に返ってきた彼女の言葉だ。分不相応な事を願うより、身の丈にあった成果を目指すのでいいじゃないかと伝えたかったのに、否定されてしまった。

あの時……領域での戦いで大破した彼女を見捨なかった時から、彼女は冷泉に対して恩義を感じるようになってしまったようだ。あらゆるものより最優先で冷泉の事を考えるようになっている。もともと努力家だった彼女だが、より強い目標を持ったせいで、さらに努力を惜しまなくなったようだ。そのせいで、彼女の部下である駆逐艦娘達も巻き沿いを食っているという話を良く聞いたけれど。超がいくつもつくようなスパルタ訓練を受けても、駆逐艦娘達は決して根を上げずに……もちろん文句は言っていたようだけれど神通について行っていた。それは彼女の人柄もあるのだろうし、自分たちに課すものよりも遙かに厳しい鍛錬を行っていた姿をずっと見ていたせいもあるのだろう。

 

「ん…んん」

苦しそうな表情を浮かべて、神通が呻いた。

悪夢にでもうなされているのだろうか? そう思い、冷泉は彼女の手をそっと握る。すると、彼女はその手を握り替えしてきた。

 

「大丈夫だぞ、俺はここにいる」

そう言って、両手で彼女の手を握り替えした。しばらくそのままでいると次第に落ち着いてきたのか、苦しげだった表情が和らぎ、彼女の呼吸が安定してきた。

ほっとため息をつくと、冷泉は右手で彼女の手を握ったまま、左手で彼女の頭を優しく撫でる。

いつもは少し怯えたような、それでいて真剣な眼差しで見つめてくる彼女の迫力に押されてしまい、まじまじと見た事の無かった神通の顔を見る。その寝顔は穏やかで、そして美しいと感じてしまう。

なんとなくおでこを撫で、続いて頬を撫でてしまう。すべすべで柔らかい。

 

「う、……うううん」

冷泉は驚いて手を引っ込めてしまう。

神通は身をよじるような動きをし、そしてゆっくりと瞼を開く。

寝ぼけているのか、最初は焦点が合っていないような眼であたりを見回し眼をごしごしと擦る。

「こ、ここは……」

そして、目の前に人がいることを認識し、確認しようとまじまじと見つめてくる。

 

「目が覚めたか? 」

と冷泉が声をかける。

 

「……て、提督? 」

まだ意識がはっきりしていないようで、声のトーンも普段とは違い、どこか甘えたような口調になっている。ヨロヨロとしながら体を起こす。意識がはっきりしていないのか、小首を傾げ、ぼんやりした瞳で見つめてくる。長時間、深い深い眠りの中にいたことが原因だろうか。いまだ現実と夢の中の境界にいるようにさえ思える。

普段の真面目で凛々しささえ漂わす彼女の姿の落差が大きすぎた事がおかしく、そして可愛かったから、思わず笑ってしまった。

 

神通の瞳の焦点が合うと、彼女は瞳を大きく見開いた。そしてまるで固まったかのように動きが止まる。次の刹那、その瞳からボロボロと涙が溢れ、頬を伝わって落ちていく。

 

「え? 」

思わず驚いて声を上げてしまう冷泉。

 

「て、ていとく……が。ていとく……てい、とく」

なんとか聞き取れたのはそれだけだった。いきなり顔をくしゃくしゃにさせ、神通は何かわけのわからない事を口走りながら、嗚咽する。

 

「あ、あ、あ。ご、……ごめん」

冷泉は何がなんだか分からずオタオタするだけで、謝るしかできなかった。すでに神通の嗚咽は泣き声に変わっていた。

「なんか酷い事いったかな、俺。ごめん、もし気を悪くしたんなら謝る」

神通はしばらくの間泣いていたが、少し落ち着いたのか慌てふためいたままの冷泉を見て、首を横に振る。それが冷泉の危惧を否定しているのであることに気付くのにしばらくの間を要した。

「お、俺が何か酷い事を言った訳じゃないのか? 」

その問いかけに神通は深く頷いた。涙で濡れた頬を袖でごしごしと擦りながら、もう一度彼女は頷く。今度は笑顔で。

「提督は、何も、酷い事なんて言ってません」

 

「じゃあ、どうして、いきなり泣き出したんだい」

 

「それは……」

少し俯いて、また顔を上げる。

「それは、嬉しかったからです。……提督が、提督がご無事だったことが……分かったから、分かりましたから。私、私、本当に嬉しかったんです。よかった、……本当によかった」

そう言うとまた感極まったのか、涙ぐむ。冷泉は慌ててポケットからハンカチを取り出して、彼女に手渡す。彼女はそれを受け取ると涙を服でもなく、両手で大切そうに持ったままだ。

 

改二改造を終えてすぐに、三笠から舞鶴鎮守府の異変を知らされたそうだ。そして、冷泉達が扶桑の属する艦隊との戦いに向かったことを知らされた彼女は、いてもたってもいられない状況で彼女に出撃を懇願したのだった。

艦だけでなく、艦娘自体にも手を入れている改装工事である。通常ならしばらくは安静にしなければいけないと拒否されたらしいが、それでも拝み倒してなんとか出撃許可を得たらしい。許可が得られたかどうかは怪しいと思うが。

その後はとにかく全速力で移動し、冷泉のいる海域へと向かったそうだ。ただ、艦隊の状況が悪いことを三笠から聞かされ、どうすればいいかを問うたら領域を抜けて戦闘海域に突撃する策を教えられたのだった。

 

「そんな無茶な事を、どうして承諾したんだよ」

と、思わず批判的な言葉が冷泉の口から出てしまう。それは、あまりにもリスクの高い事を提案した三笠に対してであり、またそれを承諾した神通に対してもだった。それ以前に、改二改装という大手術を行った艦娘に与えるべき情報では無かったはずだ。改装自体がどれだけ艦娘に負荷がかかるか全く分からないけれど、術後すぐに艦隊戦に派遣なんてことはありえないだろう。

 

「すみません。……けれどそれしかないと私も判断しました。私一人が駆けつけたところで、戦況を変化させるなんて不可能です。ならば一か八かに賭けてみるのも一つの手だと思いました。三笠さんも二対八の確立で成功すると保証してくれましたし」

全然確立的に分の悪い提案だと呆れる冷泉に神通が応える。

「20%でも勝算があるのなら、それで十分でした。仮に失敗しても、私が死ぬという事実が追加されるだけでしかありません。けれど作戦が成功したならば、深海棲艦を敵に擦り付けて戦場を混乱させ、提督の勝利の為に役立つことができるのですから」

 

「失敗したら、お前は死んでいたんだぞ」

あまりにもあっさりと答える艦娘に呆れ気味に冷泉は問いかける。

 

「私が生きていても、提督の身にもしもの事があったら、何もかもが意味を無くしてしまいます。三笠さんのお話では、戦況は深刻な状況とのことでした。私が休んでいる間に、もしも、考えたくもありませんがもしもの事があったら……もう私の存在意義など無くなってしまいます。改二改装を完了したことも、いいえ、この先の艦娘としての人生も、……私がこれまで生きてきた事さえも。何もかも無かった事と同じになります」

全くの曇り無い瞳で彼女が答える。

そんなことはない。お前なら俺なんかがいなくても艦娘としてやっていける。艦娘にとっての幸せの定義は良く分かっていないけれど、、俺の部下じゃなかったほうが、ずっとずっと幸せな日々を送ることができたはずだ。……そう言おうと思ったが、彼女の顔を見たら言えなくなってしまった。彼女にとってはそれが正義であり真実である。そんな迷い一つない瞳で見つめられたら、窘めることなんてできやしない。

 

「そっか。……わかった。とにかく、最初に言うべき事を言い忘れていたよ。お前が急に泣き出したりするからびっくりしてしまってな」

 

「す、すみません。提督のご無事な姿を見て嬉しくって」

 

「神通……」

 

「はい! 」

 

「ここに駆けつけてくれて、ありがとう。お前のおかげで俺は、……いや、俺の艦隊は最悪の事態を免れることができた。お前が来てくれなかったら、多くの艦娘を失うことになっただろう。司令官として言う、本当にありがとう」

 

「はい! お褒めの言葉ありがとうございます。そのお言葉をいただけただけで、本当に嬉しいです。この神通、提督のために、これからもっともっとがんばります。この命に代えて、提督の期待にお応えします! 」

嬉しそうな笑顔で艦娘が答える。

 

「そして、冷泉朝陽としてお前に言うよ」

と、続けて冷泉は言う。

「もうこんな無茶はしないでくれ。……命がけだとか、命に代えてもなんて事は絶対にしないでくれ。俺は、お前を失いたくない。俺は、お前を犠牲にして生きながらえたくなんてないんだよ。お前だけじゃ無い。誰かを失うなんて事は、もう絶対に嫌だから……な」

それは心から思っていたことだ。命の価値は等価。替えのきく命など存在しない。何かを守るために命を捨てる……。美しい響きだけれど、残された者の気持ちを考えれば、どれほど酷か考えたことがあるのだろうか。自分の為に誰かが命を散らせたというのなら、それが大切な人ならより一層、罪の意識だけが残ることになるのだから。死ぬくらいなら生きてくれ……そう思うのが人として当然なのだから……。

とはいえ、冷泉といえ艦娘の為なら自分の命などいくらでも捨てられると考えているという矛盾をはらんでいるのだけれど。冷泉はもちろんそのことは認識している。けれど論理破綻していないつもりでいる。何故なら、自分だけは例外だと思っているからだ。そもそもこの世界に存在しなかった人間。だから、たとえいなくなっても、プラスマイナスゼロだと考えているからだ。それ以外にも、自分の命の価値を低く見積もっている部分もあるのだけれど。

 

「そ、そんな」

一瞬凍り付いたように静止した神通は混乱したように声を上げる。

 

「約束だぞ。どんなことがあっても、命を対価に差し出すな。どんなことがあっても生き延びろ。これは命令だ」

そう言いながら、彼女を見る。困ったようなそれでいて納得していないのはその態度を見るだけで分かってしまう。これはちゃんと念を押しておかないと、また同じ事をするな。そう思った冷泉はさらに言葉を続ける。

「おまえ、まだ納得していないな。だったら、逆の事を考えてみろ」

 

「はあ。逆の事といいますと? 」

 

「お前の命を救うために、俺が死んだらどうする? 」

 

「そ、そんなこと絶対あってはならないことです。そんな事態には絶対にさせません。そんなことになる前にあらゆるものを排除します」

声を荒げて否定される。

 

「いや、仮の話としてだよ」

思わぬ剣幕に気圧されながらも、冷泉は言葉を続ける。

 

「仮に……あってはならないことですが、そんなことがあったとしたら、私は絶望して嘆き悲しむでしょう」

 

「だろう? だからそんなこと……」

と言葉を続けようとする冷泉を遮るように神通が声を上げる。

「提督のいらっしゃらない世界には、何の意味もありません。私もすぐに提督の後を追って死にます」

 

「いや、そうじゃなくて」

 

「私の居場所は、提督がいらっしゃる場所です。私は常に提督のお側で、提督の為に働きたいのです。……ですから、提督が冥界に行かれるのでしたら、お供いたします。それがたとえ地獄であろうとも、私の立ち位置は変わりません。ですので、どこへでも着いていきます」

一切の曇り無い瞳で、真剣な表情で神通は答える。そこに冗談の要素は全くない。全て真剣で本当の事を言っている。

 

……だめだ。

神通には説得というものは通じないということに、今更ながら気づく。

 

「ああ、もう……なんていうか。お前の気持ちはよく分かったよ」

少し投げやりに言う。

「だから、命令だ。お前は絶対に俺の為に命を捨てるような真似をするな。命令だぞ。分かったな。これを破ったら、お前を俺の部下としては絶対に認めないからな」

こうやって強く言わないとダメなタイプなんだな、神通は。そして、どうも彼女の価値観の中心には自分がいるようで、それを基準に動いているようだ。どういう論理かは不明だけれど。だから、冷泉の為以外に命を投げ出すような事はしないだろう。だったら、シンプルに一つだけの命令をしておけばいいのだろう。

 

「……提督がそう仰るのでしたら、私はそれに従います」

思ったより素直に神通が答える。

なんだ、最初からこういう言い方をしたら良かったのか。

 

「まあ、そういうことだ。お前には感謝してもしたりないくらいの事をしてもらっていることは、ちゃんと分かっているんだから……な。けれど、命は粗末にしないでくれ。俺の役に立つつもりなんだったら、とにかく、生きて生き抜いてくれ。これだけは忘れないでくれよ。俺はお前の笑顔を見ていたいんだからな」

その言葉に神通は頷く。本当の所、納得しているかは分からないけれど、少しは自重してくれると信じるしかない。

 

「提督のご命令に従って、命は大事にします。あ、……あの、それから」

何かを言いだそうとして戸惑うような素振りを見せる神通。

「あの、その」

 

「どうかしたのか? 」

彼女が何を言おうとしているのかは、推測は立っている。できればあまり触れたくない話題ではあるけれど、避けて通る事なんてできない話だ。

彼女の仲間であり、部下でもあった艦娘も関わっていた事案なのだからな。彼女も全てを知りたいだろう。

 

「はい……。今回の鎮守府を離脱した艦娘達の事を教えて下さいますか。そして、彼女達がどうなったかを」

覚悟を決めたような真剣な表情で神通は切り出した。

 


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