まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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【注意事項】


事前に注意をお願いします。

今回の話で、艦娘についに犠牲者が出てしまいます。
そういった話が苦手な方は、ご注意下さい。



第168話 死にゆく者への手向け

 

現れた戦艦は、なんの躊躇も無く、一直線に冷泉の搭乗する空母加賀に向かって突っ込んできた。

動力が停止したままの船体では、なすすべもない。

迫り来る巨大な船を見ているだけしかできない。

 

そして、轟音ととも加賀のp体左舷中央部に扶桑の船首が激突した。衝突すると覚悟していても、巨大船同士の衝突の衝撃は凄まじいものだった。船体は大きく歪んだのでは無いかと思われる程に異音を立てた。その衝撃で艦橋の窓が砕け散る。

必死に身構えていたはずの冷泉であったけれど、あっけなく吹き飛ばされて壁に全身打ち付けてしまう。激痛に思わず悲鳴を上げ、意識を持って行かれそうになる。

薄れそうになる意識の中で、慌てて駆け寄ってくる加賀を視界に捕らえる。

「提督、しっかりして! 」

余裕のない表情で心配そうに秘書艦が叫んでくる。大丈夫と答えたいが、うまく声にならない。

 

頭部を強く打ったため、視界が歪みぼやける。しかし、そんなぼんやりとした視野でも艦橋から見える巨大な戦艦の姿が確認できた。

額にやけに生暖かいものを感じて手で拭うと、真っ赤な血がべっとりと付着している。それを見て、再び目眩を感じてしまった。

 

それでも、時間だけは無情に流れていく。

 

目の前の戦艦扶桑の砲塔がゆっくりと動き始めたのだ。扶桑の第一および第二主砲が加賀の艦橋を狙っている!

 

時間の流れが急激に遅くなったように感じる。時間はいつも通り動いていて、ほんの僅かな時間であるはずなのに、色々な思考が沸いては消えていく。

 

明確になった扶桑の目的は、ただ一つだ。

それは、冷泉の命を取りに来ているということ。最後の最後に出てきたのは、領域内の敵深海棲艦を最後まで引きつけて、味方を逃がそうとしていたのだろう。それについては旗艦として立派だと本気で感心してしまう。

しかし、それもあっただろうけれど、本当の目的は、冷泉達の不意を突くためなのだろう。

 

恐らくは、加賀の位置を何らかの方法で大井北上が扶桑に伝えて誘導したのだろう。まずは通常海域に大井達が現れることで冷泉達を牽制し本当の目的から目を逸らさせ、更には行動を限定させたのだ。

 

こんな至近距離での砲撃を受けたら、さすがに無事では済まないだろう。防御障壁を展開できない現状、通常砲弾であろうとも戦艦の艦砲射撃だ。空母などひとたまりもないだろう。しかし、回避をしたくても空母加賀は動くことができない。ただ、訪れるであろう望まない未来を受け入れるしかない。

 

必死の形相で前方を見つめ、冷泉を庇うように抱きしめる。

「……この人だけは守ってみせる」

誓うように彼女は言った。

 

 

 

 

現在の各艦娘の位置関係図は以下のとおりである。

 

 

---------------------------------------------領域-------------------------------------

祥鳳千歳                             扶桑 

                                  ↓

          不知火→                   加賀(航行不能)

 

 

大井、北上              榛名      

 

伊8

 

 

                        金剛(動力切替中)               

                      高雄       

                          速吸(動力切替中)     

 

                                  神通(航行不能)

 

 

 

-------------------------------------------------------------------------------------

 

 

扶桑は思わず立ち上がる。目前の勝利に体が震えるのを感じていた。

「冷泉提督……私のために、ここで死んでください」

と呟く。

 

今でも書類上は、冷泉提督は扶桑の上司であることに変わりはない。いろいろあったけれども、彼にはいくつもの恩を受けている。彼はいつでも優しく、温かく、愚かではあったけれども艦娘に対しては常に真摯で誠実だった。少しだけエッチではあったけれども、殿方であればそれくらいの事は誰しも持っている。それを非難するほど扶桑は初心ではない。全てをひっくるめて、信頼でき尊敬できる人だったと思う。実際に多くの艦娘が彼を信頼し、それどころか好意さえ持っていたことも知っている。

 

もしも、出会う時、出会う場所、出会う立場が今と異なっていたなら、きっと扶桑も彼のことを信じて認められたに違い無いだろう。

それは、確信。

けれど運命とは非情なもの。わかり合えるはずの人とこんなに敵対することになるなんて……。実に悲しいことです。あまりに嘆かわしい事だ。

 

―――けれど仕方がないのです。

 

私には冷泉提督よりも大切な人がいて、私はその人のお役に立ちたいのです。そして、守りたい仲間もたくさんいるのです。そのためには、たとえかつての仲間を犠牲にしてでも、やり遂げなければならないのです。そうしなければ、これまで自分がしたことがすべて無駄になってしまうのだから。これまでの自分をすべて否定しなければならないのだから。

 

「緒沢提督は、こんな私でも愛してくださる。けれど、私は許されざる罪を犯してしまったのです。提督に対する許されない背徳……。提督の信頼に泥を塗るような事を、たとえ寂しさにつけ込まれ、薬物を使われたとはいっても、薬に溺れ肉欲に溺れ、それを愛だと思い込んでしまっていた。……提督から与えられていた本当の愛を裏切ってしてしまったのです。本当なら、私は許されない存在。けれど慈悲深い提督は、私にチャンスをくださった。罪を償うために、贖罪を求めるというのなら、提督の最大の敵である冷泉提督の命を捧げよ……と。提督は私にチャンスとそれを為すための兵力を与えてくださった。……そして、今。真の敵を討つ絶好の機会がそこにあるのです。冷泉提督、……あなたの命、いま刈り取らせていただきます」

 

突然、彼女の中で走馬燈のように冷泉提督との会話が思い返されていく。いつでも彼は優しく、艦娘みんなのことを考えてくれていた。自分の事は二の次で、いつも艦娘を優先していた。自分の能力の及ばないようなことも、無理をして必死に為そうとさえしていた。できないことは理解しているはずなのに、それでもどうにかしようと足掻いていた。

 

本当に、無謀で愚かな人。でも、彼のことを考えると心が温かくなっていた……。彼の事を思うと、過去に大切な物を失った悲しみや喪失感がゆっくりではあるけれど、癒やされていく感じがしていた。彼の側にいて、彼の笑顔を見ているだけで、何故か自分まで嬉しくなり、彼が怒っている姿を見ると自分の事のように腹が立ったりしていた。常に彼の側にいて、彼とともに歩みたい……。いつしかそんな気持ちになっていた自分が思い返される。

 

ああ、冷泉提督……。

 

突然、頭にズキリと刺すような痛みを感じたと思うと、再び「冷静な思考」が蘇って来る。そして思い知らされる。今頭の中をよぎった妄想、これが冷泉提督が施した、軍部の洗脳の効果というものなのだろう。この期に及んでもこんな影響力をもたらす邪悪な施術。危うくこの場に及んでも飲み込まれてしまうところだった。本当に紙一重だったと言っても良いだろう。

 

ダメだダメだ。こんな負の連鎖を、今すぐ断ち切るのだ! 全てを消し去るのだ!!

 

稼働する火器の照準を合わせる。

目標は、冷泉提督のいる艦橋。旧式の兵器とはいえ、この至近距離であれば、まず外れることはない。そして、加賀は動力が完全停止している。つまり、防御障壁を展開することは不可能なのだ。おまけに動くこともできないのだから回避すら不可能。

 

艦橋の奥に冷泉を抱きかかえるようにして、こちらを見ている加賀を確認する。

 

この状況下では、冷泉も加賀も死を覚悟しているのだろう。視界に捕らえた加賀の表情からは、明らかな怯えの表情が見えていた。普段感情を見せないクールな艦娘も、大切な人の危機を感じとっているのだろうか。どうにもならない絶望感にうちひしがれているのだろうか? 

折角、悲しい運命から救い上げて貰ったのに、また地獄の底に突き落とされてしまう未来しかない加賀を可哀想だと思うけれど、これも冷泉という最悪の悪党を好きになってしまった自分を呪うしかないのよ。……すべて因果応報、自業自得だから諦めてもらうしかない。

 

けれど、大丈夫。今すぐ楽にさせてあげるから……。大好きな冷泉提督と一緒に向こうに行かせてあげるから。この先も続く不幸な運命から、あなたたちを解き放ってあげるわ。

 

かつてはその背中に憧れに似たようなものを感じ、信頼を寄せていた対象を自らの手で屠る事には罪悪感を感じてしまう。彼に想いを寄せていた子達が、悲しむ姿が目に浮かぶ。許してほしいとはとてもじゃないけど言えない。でも、きっと自分が正しい事をしたのだと分かってくれるはずだ。すぐには無理だろうけれど、きっとみんな分かってくれるはずなのだ。そして、どれほど長い時間がかかろうとも、彼女達への説得は続ける義務が自分にはあると認識している。

 

「さようなら、冷泉提督。……いいえ、違うわね。さようなら、冷泉さん」

 

そして、まさに砲撃を開始しようとした刹那。

 

凄まじい衝突音と同時に、艦の側面にもの凄い衝撃が襲ってきた。いきなりの衝撃で不意を突かれ、弾かれるように扶桑はあっけなく吹き飛ばされ、艦橋内を転がってしまう。壁に思い切り激突してなんとか止まる。起き上がる時に、ねっとりとした感触が頬を伝うのを感じた。

 

「な、……何事なの」

全身の痛みを堪え、なんとか立ち上がると状況を確認する。

眼前には正規空母加賀。その側面に扶桑の艦首が突き刺さってたはずなのに、今は扶桑と加賀の船体の間に一隻の軍艦が割って入っていたのだ。

 

 

瞬時には、そこにある艦が誰か分からなかった。

 

自艦と比べれば、半分程度しかない程度の大きさの小さな船。

小さな艦橋、二本の煙突。

 

衝突の激しさを物語るように、その船首は潰れてねじ曲がってしまっている。それどころかよく見れば船体全域に衝撃による歪みが発生していることが分かる。減速などまるで考えずに、そして、どれほどの損害が自艦に出るかなどまるで考慮しない行動であったことがそれだけでわかる。

さらに衝突の影響で、あちこちから炎が上がっている。

 

「……し、不知火? 」

思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

「何を馬鹿な事を……」

 

扶桑は、第一第二主砲を一斉斉射したが、丁度そのタイミングで不知火が激突したため、船体が大きく左へ向けられてしまった。そのために必中だったはずの攻撃を外してしまった。ほぼゼロメートル射撃というのに、……なんと言うことだ。しかも、衝突後、さらに勢いあまって不知火の船体が扶桑の船首に乗り上げている状態である。艦が乗り上げるなんてあり得ない事態だ。波が影響したのか、それとも彼女の強い意志が奇跡を起こしたのだろうか。

 

しかし、感心などしている場合ではない。

 

運の悪い事に、扶桑の射線上には不知火があるのだ。彼女が邪魔で、このままでは砲撃ができない。そして、さらに最悪な事に、彼女との衝突のダメージで、第一主砲は大破してしまい、第二主砲も射撃不可能となっているのだ。

 

糞! なんということをしたのだ、この艦娘は。扶桑は怒りで頭がショートしてしまいそうだ。

 

永末さんの投与したクスリのせいで頭がおかしくなっていたとはいえ、とりあえずは自分の役割だけは理解し、緒沢提督の作戦指揮に従っていたと思っていたのに……。何をしている、どうしたというのか。なぜ、この後に及んでこんな愚かな事を。

 

冷泉提督への歪んだ感情のせいで、不知火はおかしくなってしまっているに違い無い。本来為すべきことを理解できずに、すべてを曲解して行動しているに違い無い。不知火は、すでに壊れてしまっているのだ。だから、私の行動の邪魔をするのだ……そう理解した。

 

「不知火、……今すぐそこから退きなさい」

苛立ちを込めた強い口調で彼女に訴えかける。何度も呼びかけるが、彼女からの反応が無い。

「聞こえているのでしょう? さっさとそこからお退きなさい。私達の作戦の邪魔をするようなら、例え仲間であろうとただではおきませんよ。そもそも、あなたは命令に背くような子では無かったでしょう? すぐにお退きなさい! 」

 

「……て、提督を死なせたりなんて、しない。絶対に、そんなことはさせない! 」

苦しそうな声が聞こえてくる。衝突の衝撃で負傷したのか、それともクスリが切れてしまったのか。残念ながら、どちらとも分からない。

けれど、明確に理解できる。感じる事ができる。

 

―――こいつは、敵だと。

 

「私は、冷泉提督をお守りします。たとえ、この命に代えても」

 

「ば、馬鹿なことを。あなたは、既に日本国に背を向けた事を忘れたの? あなたは冷泉提督を裏切り、敵に回した存在なのよ。もう日本国のどこにも戻る場所は無いの。今更何を馬鹿な事を言っているの? あなたは今の指令官の命令に従うべきなの」

 

「……いかなる命令よりも、冷泉提督が私には大切なのです。どんなに強制力のある命令でも、その想いの前には無意味です」

 

馬鹿か!

こんな物わかりの悪い馬鹿な子だったのか?

扶桑は呆れ果ててしまう。そして、自分に残された時間がどんどんと無くなっていくことに焦りを感じていた。こんな不毛な議論をしている時間などないのに、なぜ説得なんてしないといけないのか。

せっかく奇襲に成功したというのに、眼前の不知火が邪魔をして時間を大幅にロスしている。そもそも、こんな無駄な会話など不要なのである。

 

すでに重巡洋艦高雄が回頭を始めている。戦艦榛名は待機状態のままだが、恐らくは大井達を牽制しているのだ。

向こうは、動力切替を完了している艦だ。そして、こちらはそれができていない状況なのだ。いかにこちらが攻撃したところで、全ての攻撃は防御障壁で完全に阻まれてしまう。その逆に、向こうの攻撃を防ぐ手段などこちらにはない。敵のあらゆる攻撃は、たとえ戦艦である扶桑の装甲でさえも紙のように撃ち抜いて行くだろう。まともにぶつかりあったら、万に一つも勝ち目などない。

今、扶桑が無事なのは、榛名達との射線の間に加賀が入っているために撃てないだけで、離れてしまえば、一気に攻撃が扶桑を襲うだろう。

 

早くしないと冷泉を討つチャンスを失ってしまう。

 

彼を仕留めないと、緒沢提督のところに戻ることができなくなってしまうのだ。彼の信頼を、愛を取り戻すためには、どんな手段を使ってでも彼の命令を完遂させなければならないのだ。

……もう二度と大切な人を失いたくない。ひとりぽっちになるのは嫌。あの人の悲しむ姿なんて見たくない。

 

「あなたが何を考えようと愚かしい行動を取ろうとも、構わないわ。けれど、私の邪魔だけはしないでちょうだい」

 

「嫌です。冷泉提督を死なせたりなんてさせない! 」

クスリ漬けにされて苦しんでいた彼女を哀れんだ自分が腹立たしいと扶桑は考える。目の前の艦娘は自分の邪魔をしている。愛する人に頼まれた事をしようとしているだけなのに、嫌がらせをしてくる。なんて性格の悪い子なんだろう。きっと、私が緒沢提督と結ばれる事に嫉妬しているに違い無いんだ。私だけが提督の特別の地位に就くことを許せないんだ。だから私を、そして緒沢提督を困らせようとしているんだ。

 

「早く引いて頂戴。でないと、あなたを討たないといけない」

 

「扶桑さんこそここから引くべきです。提督を撃つなんて愚かなことはやめて……やめてください! 」

 

「提督? 愚かな? 」

何を言っているのか分からない。

「提督とは誰のことを言っているの? あなたにとっての提督は、忠誠を誓う存在はただ一人でしょう? 少なくとも私達の敵である冷泉では無い! 」

感情を抑えようと必死になるが、上手く制御できない。焦りだけが高まって行くのだ。視界には、次第に近づいて来る敵艦の姿がはっきりと見える。連中は不知火ごと自分を沈めようとしているに違い無い。

早く……早くしないと全てが水の泡になってしまう。

 

緒沢提督に嫌われてしまう! ただでさえ、彼には誤解されてしまっているのに。そのせいで私は、今、彼に試されているんだ。彼への忠誠心を。彼への愛が本当かどうかを。

 

だからこそ、自分は冷泉を殺さなければならない。彼を殺せば、きっと緒沢提督は喜んでくださる。彼は、私を昔のように愛してくださると約束してくれたのだ。あの日だまりの中にいるような安らかな日々が戻ってくるのだ。そのためなら、何でもしよう。

 

なのに、この子は私の邪魔をする。邪魔ばかりする。

私が緒沢提督に嫌われるように、見捨てられるように仕向けようとしているんだ。

 

……そうだ、あの時もそうだった!

 

あの永末に薬を仕込まれ手篭めにされた時も、結局、不知火が硬直した思考しかできずに愚鈍で間抜けだったせいで、結果、私はあんな目に遭わされてしまったのだ。あたかも私が悪者になったかのように追い込まれ、何が何だか分からない状態にされてしまい、否応なく望まぬ愛を受け入れさせられてしまったのだ。

 

そして、今。

再び不知火が邪魔をしている! 冷泉を討つ邪魔をしている。何でこの子は、私の足を引っ張ってばかりするの? 私を苦しめてばかりいるの! 

 

許せない、許せない。

……このままじゃ、緒沢提督に捨てられてしまう! 何も悪いことなんてしていないのに、ただただ提督だけを愛しているのに、理不尽に捨てられてしまうじゃない!

 

そんなの嫌。嫌、嫌、嫌。

「絶対に、嫌」

混乱と動揺で冷静な思考が途絶えていく……。

 

視界に重巡洋艦高雄が猛スピードで接近したのが確認できた。

 

今、彼女とまともに戦ったら、勝ち目なんてあるわけ無い。

もう残された時間は、無い。

 

もたもたしてなんていられない。とにかく急がないと!

 

失敗したら、きっと捨てられる、捨てられる。また、…また、ひとりぼっちになる。何も無い世界で、たった一人だ。誰も自分を救ってくれなくなる!

それは、恐怖として扶桑の心を急速に汚染していく。

 

「そうだわ、そうなのよ。みんな壊れてしまえば良いのよ。そうよ、何もかも排除して、冷泉を殺せば済むこと。……殺さなければならないのよ。ふふっ、簡単なことよ……あははは、ただそれだけなんだから」

悩むことなんて元々何も無かったのだ。変に考え込んでしまうから、袋小路にはまってしまう。

 

全ては、シンプル。

 

主砲は使えなくても、例え機関銃でも、艦橋を狙えば冷泉の命を取ることがことはできる。

 

重巡洋艦高雄の接近が、すべてのスイッチを起動させる。もはや不知火を説得し射線から移動させる時間など無い! その必要すら感じられない。

 

大事の前の小事。大の虫を生かすために、小の虫を殺す。

 

手段を選んでいる時間などどこにも無い。

たとえ不知火を犠牲にしてでも、宿敵を討たねばならない。撃たなければ、私の居る場所が無くなってしまうのだから。

 

そう思った途端、落ち込んでいた筈なのに、みるみるうちに気持ちが軽くなっていく。

 

「あはははははははははははは! 」

凄く愉快な気分でうきうきしてきた。そうなのだ、心赴くまま、緒沢提督の為だけに行動するだけでいいのだ。余計な事など何も考える必要は、無いんだ。

 

扶桑は、前方に向けて撃てる銃器をすべて使用し、砲撃を開始した。

その砲撃は、射線上にある不知火の艦橋へ、船体へと吸い込まれていく。

 

集中砲火を浴びては、駆逐艦などひとたまりもない。不知火の艦橋は瞬時に蜂の巣状に撃ち抜かれる。それでも扶桑は砲撃を止めない。その向こうにある空母加賀を破壊しなければならないのだから。更なる攻撃に、駆逐艦不知火の艦橋は、ずたぼろに引き裂かれ、爆発炎上しながら吹き飛ばされていく。

 

扶桑の砲撃は更に続く。弾丸は不知火の艦本体を貫き、向こうにある空母加賀にも着弾していく。加賀を沈める必要は無い。ただ、冷泉のいる艦橋のみを破壊できればいいのだから。勝利は目前だ!

 

しかし、唐突に異変が生じる。

 

駆逐艦不知火に、変化が生じ始めたのだ。

 

特定の部位にエネルギーが集まり始めるのがセンサーを使わずとも分かる。艦のあちこちで引火と小爆発が発生し、熱エネルギーがどんどん集約されていくのが分かる。

 

扶桑の頭の中でチリチリと何かが焼けるような感覚が起こる。本能が危険を知らせているのか。

 

いけない! 設置された爆発物が爆発する!

その事実を認識し、全身に悪寒がするのを感じる。頭が真っ白になりそうになる。このまま打ち続けて加賀を壊し、冷泉を殺す。しかし、このままでは自分の身が危ないことを悟った扶桑は、現実に意識を展開する。すぐさま行動に移し、猛スピードで船体を後退させ始める。

 

防御障壁を展開できない状況で、不知火に仕掛けられた爆薬の爆発にどこまで耐えられるかは、推測がつかない。けれど、とにかく、できる限り距離を取る必要があることだけは認識した。

 

唯一の望みは、領域内での爆破を想定していた緒沢提督であることから、爆発物についても時限装置も含めて全てが旧式のものばかりを使用したはずなのだ。となれば、この海域全土を消滅させるような威力は無いはず。だからこそ、少しでも距離を取ることができれば生き残るチャンスがあるということなのだ。

扶桑は、並行思考をしながらも、艦を後退させていく。方向転換している暇など無いのだ。

 

空母加賀は、航行不能状態。そして、至近距離に不知火がいる状況。つまり、不知火の爆発の影響をもろに受けるはずだ。たとえそれが旧式の火薬であろうとも、防御障壁を展開できないのであれば、無事で済むはずが無い。

 

とにかく、もう少し、もう少し距離を取らないと……爆発はもう少しだけ待ってくれと願いつつ後退を続けていた矢先!! 

 

閃光とほぼ同時に耳をつんざくような轟音を伴い、大爆発が起こったのだ。

 

一瞬の間を置いて、衝撃波が襲ってくる。

その衝撃は艦橋の窓ガラスが吹き飛ばし、損壊していた砲塔を吹き飛ばす。爆発による高波が発生し、船体は大きく揺さぶられ傾き、船体が折れるのではないかと思うほどの軋み音が艦内に響き、その凄まじさに恐怖すら感じた。

ガラス片の一部が体を斬りつけ負傷をしたものの、運が良いことに致命傷ではない。爆発による艦へのダメージは大きいものの、まだまだ動ける。確認すると、後部の一部砲塔は、まだ使用できそうだ。

 

「まだよ。……まだ行けるわ! 」

必死になって自分を鼓舞し、気合いを入れ直す。まだ、終わりじゃないのだ。

 

全速力で後退し、不知火から距離を取れたはずの自分でさえ、これだけの損傷を受けたのだ。爆沈した不知火の側にいた空母加賀は、無事で済んでいるはずがないだろう。運が良くても大破。悪ければ轟沈している状況だろう……。

 

「提督、やりました。私は、任務は果たすことができましたよ」

瞳を潤ませて自分の戦果を確認しようとする。犠牲を出してしまったことは痛恨の想いだけれど、それでも目的を達成することができたのだから、不知火の魂も浮かばれるだろう。仲間を犠牲にしてしまったが、勝利の為の尊い犠牲と思えば、彼女も浮かばれるだろう。

 

吹き上げられた海水が雨のように降り注ぎ、やがて視界を遮っていた黒煙が晴れていく……。

うっすらと景色が形作られて行くにつれ、扶桑の笑顔が次第にこわばっていく。

 

「な! 」

思わず声を上げてしまう。

 

そこには、なんと正規空母加賀の姿があったのだ。あれほどの爆発に至近距離で巻き込まれたというのに、爆発前と変わりない姿でそこに佇んでいた。爆発前まで存在していた駆逐艦不知火の姿はそこには無かったというのに。不知火は凄まじい爆発により、跡形もなく消し飛んだようだ。

 

扶桑の突撃による損傷は残っているものの、あの大爆発のダメージは一切みられない。

 

「な、何で? ……何で何であいつは無事なの? 無事に私の前に立つというの! 」

呆然とする扶桑であったが、すぐにその原因が分かった。加賀のすぐ後ろに重巡洋艦高雄がいたからだ。

「く……あいつが、あいつが防御障壁を展開したのね、ぐぐぐ、忌々しい高雄め! 何で私の邪魔ばかりするの? 私に何の恨みがあるというのよ」

恨めしそうに、加賀の後ろにいる高雄を睨む。

彼女が不知火が爆発するのを承知の上で一気に加賀との距離を詰め、……恐らくはぎりぎりのタイミングだったと思うけれど、防御障壁を最大範囲まで拡大して展開し、加賀を爆発から守ったのだ。

 

現在、高雄からの反応はまるでない。防御障壁の展開は、彼女に相当な負担をかけたのだろう。エネルギー消費は凄まじいようで、その影響だろうか全機能が落ちているようだ。恐らく、しばらくは高雄は動くことができないと思われる。

 

「ぐぐぐぐぐ……何よ何よ。許せない、許せない」

知らず知らず歯ぎしりをしている。自艦が無事であったなら、加賀に対して追撃を駆けられるのだけれど、今の自分にそんな余力はない。それが悔しくて苦しい。

 

僚艦の大井達は、すでに動力切替を終え、撤退を開始している。仮に応援にかけつけようにも、無傷の戦艦榛名が牽制する位置にいて、迂闊に接近などできない。更に良くない事に、金剛と速吸も再起動完了している。扶桑を含めた現有戦力同士の戦いでは、まず勝ち目がないだろう。空母2隻いるとはいっても、通常海域では航空機は仕えない。搭載するプロペラ機など、対空ミサイルの餌食でしかない。対艦攻撃をするにもミサイルを撃つことだけしかできないので、戦力としてはほとんどカウントできない。

 

「扶桑さん、私達どうしたらいい? 」

と問いかけてくる仲間達。

本当なら全艦で加賀を撃沈するのに協力して、と言いたかった……。けれども、それは絶対にできない。大損害を、覚悟で彼女達を戦闘に追い込むわけにはいかない。彼女達は、緒沢提督から預かった大切な大切な戦力なのだから。勝ち目の無い戦いで、無駄に失わせることなんてできない。彼女達はこれから先、ずっと、私と共に緒沢提督を支えていく貴重な仲間なのだから。

 

「全艦、速やかに撤退をしてください。合流先は、すでにお伝えした通りです」

そう答えるしか無かった。

 

「扶桑さんはどうされるのですか? 」

もっともな質問が帰って来た。

自分は損傷した状態で、動力切替もできていない状況だ。しかも敵艦隊のただ中に単艦で存在している状況である。この状態で、逃げ切るチャンスは極端に低いと判断されても仕方ないだろう。

 

「……大丈夫よ、私には秘策があります。この状況でも確実に逃げおおせて見せます。だから心配は無用です」

自信たっぷりに仲間に返答する。その答えに根拠があると信じたのだろうか。仲間の艦娘はそれ以上質問を返すことなく、「ご武運を」とだけ残して撤退を継続する。

 

「ここまで追い込んで……撤退しないといけないなんて。何て事なの、……悔しい悔しい」

必死に悔しさを噛みしめながら、扶桑は撤退を決意せざるをえなかった。作戦は失敗に終わったけれども、きっと再戦の機会は訪れるはず。その時に名誉を挽回すればいいのだ。

 

そのためには、確実にこの窮地を逃れる必要がある。まともに通常海域を移動すれば、確実に怒り狂った冷泉達に沈められるだろう。艦娘大好きのヘタレ提督であっても、さすがに目の前で艦娘を殺されたのだ。不知火を沈めた張本人である扶桑の事を、絶対に許しはしないだろうから。

 

絶体絶命?

いいえ、そんなことは無い。この状態でも十分逃げおおせて見せるわ。

 

扶桑は、再び領域に突入する事を決意していた。

 

とにかく、生きて帰るんだ。優しい緒沢提督の元へ。

きっと提督はみんな無事に帰ることを願ってくれている。どんな状況であれ、生きて帰投することが緒沢提督が一番喜ぶ事だと知っている。そう、提督はそんなお方なのだから。

 

作戦は失敗したけれど、みんなを逃がすことはできた。そして加賀を大破させた。金剛にも損傷を与えた。神通も、高雄もしばらくは動けないだろう。それだけでも及第点なのではないだろうか。

 

そして、ふと思いをはせてしまう。

 

不知火を死なせてしまった事はショックだけれど、どのみち彼女は今回の海戦で死ぬ予定だったのだ。あんな形での幕引きを望んでいたとは思えないけれど、生きている事が本当に辛そうだった彼女。その苦痛から解放されたのだから、少しは浮かばれるのだろうか。手を下した事を許してくれとはいわないけれど、彼女ならきっと諦めて、許してくれるだろうと信じる。

 

「少し待っていてくれれば、すぐにあなたの元に愛しい冷泉提督を殺して行かせてあげるからね。そして、そこで二人仲良く暮らしなさい」

 

あなたの死を無駄にはしないわ。……それが私にできる、あなたへの手向けなのだから。

それは現実から目を逸らすための言葉かもしれない。かつて友として戦場を駆け抜けた仲間を、自らの手で殺めてしまったという罪から逃れようと出た言葉かもしれない。

 

そうなのかもしれない。自分はとんでもないことをし、大切なものを失ってしまったのかもしれない。

けれど、それは済んでしまった事。……今更、時のページをめくり返すことなどできないのだから。

 

そう、罪は罪として受け入れるにしても、それはここから脱出できてこそだ。今、自分は為すべき事を行うのだ。

 

そして、今為すべき事は、生きて緒沢提督の元に帰る事だ。

 

彼はきっと、私の帰りを待ってくれている。喜んで迎えてくれるはず。

愛する提督の元に返るのだ! なんとしてでも……。

 

 

 


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