まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第164話 その先にある絶望

場所を本来の司令室に移した緒沢提督は、集まった艦娘を前に語りはじめる。

 

「皆、ご苦労だった。そして、みんな……待たせて済まなかったね。鎮守府に残したままで何の連絡もできず、不安で辛い思いをさせて済まなかった。みんな、よくここまで来てくれたね。そして、ここでずっと待機してくれたみんなにも礼を言う。君たちがいてくれたから、私もがんばることができた」

緒沢提督はそう言いながら、艦娘達を見渡す。みんなが嬉しそうな表情を浮かべて彼を見つめている。

それを確認し、満足げに大きく頷くと、彼は言葉を続ける。

「ついに、……今ここに懐かしい仲間達が勢揃いしたわけだ。うん、残念ながら、舞鶴にいるすべての娘達が揃う予定にしていたのだけれど、永末君のおかげで予定より少し早くなってしまった。来られなかった子もいるわけだけれど、嘆いたところでどうにもならない。アクシデントはつきものだからね。……時は、来たのだ。今、私はここに宣言する。再び、私が舞鶴鎮守府艦隊の指令官として、指揮を執る。そして、我が目的を成就するために戦うことを誓う! 」

高らかに宣言する緒沢提督。艦娘達は、喜びの雄叫びを上げる。

「今、諸君等に問う。私のために、皆、戦ってくれるか? 」

その場にいる全員が賛同の声をあげる。興奮が彼女達を取り巻く。自分への反応を確認し、満足げに頷く緒沢提督。

 

唐突に。アラーム音が鳴る

どうやら、隠匿回線を使用した通信が入ってきたらしい。

 

素早く動いた最上が、機器操作を行い通信回線を開く。

 

司令室に設置された大型モニタに、一人の男の姿が映し出される。そこには、呉鎮守府高洲提督の姿があった。

 

形式張った挨拶もそこそこで、彼は話し始める。

冷泉提督が舞鶴鎮守府を出撃し、そちらへ向かっているとの連絡をしてきたのだ。

 

「ええ、もうすぐそこまで来ていますよ。光学迷彩のおかげでしょうかね、なかなか動けずにいるようです。こちらの動きを待っているのかもしれませんが」

高洲提督が、年齢でも軍経験でもだいぶ先輩であるため、緒沢提督は丁寧な言葉使いをする。。

 

「まあそんなところだろうな」

二人は気楽な感じで会話を続けている。

北上達のように、最初からこの基地にいる艦娘にとってはごく当たり前の光景に見えているようだけれど、舞鶴鎮守府より離脱してきた艦娘にとっては、ずいぶんと違和感を感じる光景に見える。扶桑でさえ、会話する二人の提督を怪訝な表情で見つめるしかない。彼女達から見れば、ずいぶんと親しげに、しかもいつもしている事のように当たり前に自然な会話を続けていることが、あまりに不自然にしか見えないのだ。

「まるで高洲提督は、緒沢提督とずっと連絡を取り合っていたようにしか見えないんですけど」

扶桑のとなりにいた羽黒が小声で話しかけてくる。

 

「確かにそうですね」

彼女も怪訝な表情を浮かべる以外、何もできない。聞かれても何も知らないのだから。自分たち以外にも、舞鶴から来た艦娘達は違和感を感じるしかないのだ。少しざわついてしまう。

 

「緒沢君、……どうも君の新しい仲間達が不思議そうな顔をしているよ。彼女達に何も説明してないんじゃないのかね? 」

と、高洲提督が緒沢提督を促す。

 

「あ! ……ああ、確かにそうですね。失念していました。私の死が偽装であったことを知る者は、ここにいる艦娘だけだと思っているはずですものね」

扶桑達の表情を見、初めてそのことに気付いたようだ。彼は、そう言うと、扶桑達に語り始める。

「高洲提督は、最初から私が殺されていないことをご存じだったのだよ。私が軍に対する不審感を募らせ、艦娘達を偽りの轟沈による隠匿を行い始めた頃からすでに私と同じ考えを持つ頼れる同士だったからね。いろいろと陰に日向に助けて頂いているのだ。提督のお力がなければ、軍部による私への粛正を偽装することもできなかっただろうし、この基地の存在から軍の探索の目を逸らすことはできなかっただろうからね。本当にお世話になっているんだ。みんなも高洲提督への感謝を忘れないでもらいたい。彼がいなかったら、今の我々は無かったはずなんだからな」

 

「そこまでは私もしていないよ。ほとんど緒沢君が計画し実行したことだ。私は、彼のただお手伝いをしただけさ。なーに、私にもメリットがあるからやっただけだから、感謝されるような事は無いから気にしないでくれよ。それに私だけでなく、佐世保のアイツも協力してくれたからこそ、上手くいっているんだからねえ」

好々爺のような笑みを浮かべながら謙遜する高洲提督。

そして、戦艦扶桑の存在に気付くと、

「ふむふむ、これだけの艦娘が我々の下に帰って来る事ができたようだし、計画は上手いこと行ったようじゃないか。……扶桑も提督と再会できて良かったな」

と扶桑を見、優しそうな笑みを浮かべる。

 

「いえ、本当はもっと時間をかけて、舞鶴の艦娘全員をこちらに向かい入れるつもりだったのですが、思わぬ邪魔が入ってしまい……。本来なら、金剛や高雄、神通も引き込みたかったんですけれどね。あの三人を手に入れられなかったのは、残念であります」

少し悔しそうに、緒沢提督が答えた。

確かに、戦艦1、重巡洋艦1、軽巡洋艦1の数的にも質的にも逃した物は大きかったといえる。数字だけでは語れない彼女達の戦力の事を緒沢提督は言っているのだ。それぞれの艦種の中でも上位に位置づけられる艦娘であり、舞鶴でも主力であった金剛達。これが上手くいっていれば、今、眼前に現れている艦隊も質量共に落とすことができたのに……。と、扶桑は自分の不甲斐なさを感じてしまう。ただ同時に、加賀は除いたとしても、金剛と高雄は、特に冷泉提督に懐いていたから、はたして扶桑達の説得を受け入れてくれただろうか? 緒沢提督を前にしても、信頼の意を示すことができるだろうか? ……という不安も同時にあったのだけれど。

 

「……ああ、永末君かね。彼の暴走には困ったもんだけど、仕方ないかね。あのお調子者は、自分が利用されるとも理解できずに、香月の手先として行動させられていたんだろうなあ。それにしても、香月君達がここの乗っ取りを考えていたという事は驚きだったけどね」

言葉の節々に永末を嘲るような雰囲気で高洲提督が語る。自分たちの計画の障害になる危険を冒した存在に対して、思うところがあるのだろうか。

 

「はい、少し余計な行動でしたが、それでも、永末のおかげで香月は処分できたようです。永末は無い頭を絞っていろいろ考えたのか、香月がまだ生きていると軍関係には思わせているみたいです。今のところはそれは発覚していないみたいですし。ばれるまでの間に、取れるだけの資材を取り上げてやろうと思っています」

 

「ほうほう。なかなか彼もできる存在だったのかなあ。私の見込み違いで実は優秀だったのかもしれんな。……あれ、そういう永末君はどうなったのかな」

画面をのぞき込むように、見回す。

 

「ああ、彼は用が無くなったので地下で眠って貰っています。もう目を覚ますことは無いでしょうけれど」

と、淡々と事実を述べる緒沢提督。

 

「ふむ、なるほど。もっともな事だな。そりゃそうだよなあ……あんな男に、君の大切な扶桑君が……ゲ、ゲフンゲフン。……いや、なんだ、すまんすまん、今のは気にしないでくれたまえ。はっはっはっは! まあ、被害者意識が強くて野心だけが強いだけの何の役に立たない男を生かして置いても、我々には何ら益にはならないからな。まあ、仕方ないからね」

そう言いながらも、いやらしい目で扶桑と緒沢を交互に見る。

 

ゲスな視線に対しては、何も気付かないふりをする緒沢提督。しかし、彼の顔は僅かではあるが引きつっている事が傍目にも解ってしまう。それを見て、扶桑は心が沈んでいくのを自覚する。自分のせいで提督が恥ずかしい想いをしている……。高洲提督にいやらしい目で見られる嫌悪感よりも、そちらのほうが精神的にきつかった。

 

「ま、まあ永末には、しばらくは生きている体でいてもらおうと思っています。私の存在を軍の連中に知られる訳にはいきませんのでね。奴らにとっては、すでに始末したはずの存在であり、まだ私が表舞台に出るには速すぎますからね。それに、そちらのほうがいろいろと都合が良さそうですからね。冷泉提督は、今回の争乱が全て永末が起こした物だと思っているようですし……すべてのヘイトを彼に被って貰っておいた方が物事がスムーズに進むでしょう。ここで私が表に出たら、すべての元凶が私だと誤解され、いらぬ恨みを買ってしまいそうですからね。何の縁もゆかりもない私が、責められてはたまらんので」

 

「がっはっはっは。確かにそうだね。がーっはっはっはっは。逆恨みされたら、堪らないわな。まあ永末君も香月君も死んでしまったようだし、得られるであろう情報を有効に利用し彼等の遺産はきっちりと我々が吸収してあげないといけないな。利用できるものは徹底的に利用しつくしてあげないと、死んだ彼等も浮かばれまい」

 

「ふふん、そうですね」

と、同意する緒沢提督。そして、思い出したように問いかける。

「しかし、よく分からないことがあります。……冷泉がどうしてここを嗅ぎ付けてきたんでしょうか? ……何の手がかりも無いはずなのに」

それは、扶桑も疑問を感じていたことである。完璧な証拠隠滅を行い、追跡は不可能だと思っていたのに、いとも簡単に扶桑達を追跡できたのか。

 

すると、高洲提督が答える。

「いや、半信半疑な話ではあるのだがね。……舞鶴に行かせている榛名からの話だと、冷泉は艦娘の反応を検知する特殊能力があるらしいんだよ。あれの話によると、艦娘がどの辺にいるかを相当離れた距離であろうとも、検知することができるらしい。まあ眉唾でしかないんだろうけれど、自分の指揮下にある艦娘であれば、ほぼ確実に、相当離れた場所にいても検知できるんだそうだ」

 

「は? そんなのありえることなのですか? そもそも、そんな力が人間にあるのですか? 超能力者じゃああるまいし」

驚いたように問いかける緒沢提督。

 

「私も信じている訳じゃ無い。君の疑問はもっともだ。しかし、そうは言うけど、実際に彼は扶桑達を追跡して来ているじゃないか。艦娘達は、領域を抜けたりして追跡ができない航路を通ったというのに、彼はそこまで来ているのだからね」

そう言われて、扶桑も納得してしまう。

 

「つまり、冷泉は要注意人物ということですか。もしも、その能力が本当だとしたら、いくら隠れても探知されてしまう。これは、不味いですね。今のうちに排除して置いた方がいいかもしれませんね。しかし、皆、私を慕っていてくれる、とても可愛い部下ばかりなのですが……。みんな、心当たりはないかな? 」

思い詰めたような表情で、緒沢提督が艦娘達に問いかける。

 

扶桑達艦娘がざわつく。

それを見て、緒沢提督は怪訝な表情になる。

「ま、まさかこの中に……冷泉の手の中にある艦娘がいるというのですか? 」

怯える扶桑達を見て、ある推論にたどり着き、声を上げてしまう。

 

「いや、これも榛名からの情報なんだが……。扶桑とかは、すでに冷泉の影響下を離脱しているようで、反応ないらしいよ。冷泉が探知しているのは、不知火とか言ってるようだ。榛名がわざわざその時の冷泉の語りを物まねをして教えてくれたよ。これが実に傑作なんだけれど、「不知火が泣いている。あいつの声が聞こえるんだ。何としてもみんなを、叶わないなら不知火だけでも助けたい」とか涙目になって、アホみたいに叫んでいたそうだよ」

 

その言葉を聞いた瞬間、ほんの一瞬だけではあるが不知火の瞳に生気が戻ったように感じられた。しかし、緒沢提督と目が会った途端、再び死んだような瞳へと戻ってしまった。

 

しかし、その一瞬で緒沢提督はすべてに気付いてしまったようだ。彼の顔から笑みが消えた。

「そうか。みんな私の指揮下に戻ったと思っていたのに、一人だけ、私を拒否する愚か者がいるのか。どうりで……なんか基地が惨めったらしい雰囲気になっているって思っていたんだ……」

汚い物を見るような視線になる。

 

「ま、待ってください。不知火さんは、永末さんに薬物を投与されて、自由な意思を奪われてしまっているだけなんです。決して提督の事を拒んでいるわけではありません」

と扶桑は彼女を庇おうと声を上げる。

 

「なんだと? ……薬物を打たれただと? 」

緒沢提督の顔が引きつる。

「糞、永末! あの男め、なんて酷い事を。やはり殺して正解だったけれど、もっとっもっと苦しめて、自分の罪を後悔させてやるべきだった」

吐き捨てるように緒沢提督は死者を責めたてる。

 

「緒沢提督、注意しておいたほうがいい。永末から何人かはクスリを打たれてるみたいだから、一度落ち着いたら、きっちりとクスリを抜かさないと、今後、同じような問題が出るかもしれん。軍が開発したのか艦娘側から供与されたのか分からんが、得体の知れないクスリを香月から渡されているみたいだからな。どんな副作用が起こりうるかを確認する必要があるだろう」

 

「ご忠告ありがとうございます。冷泉が何を検知しているか断定はできていませんが、まあ何となくはわかりました。どちらにしても、彼の能力は我々の妨げになることだけは認識しました。……まあその力を逆に利用することもできるというわけですからね。どちらにしても、冷泉は生かしておくわけにはいかない存在のようです」

確認するように緒沢提督は答える。

 

「確かにそうだな。あの男を生かしておいたら、今後、我々の目的達成の障害となる可能性は十分ありうる。……とはいえ、決して無理はしないようにしてくれたまえ。そこにいる艦娘たちは、我々にとっても貴重な子達なのだから。冷泉の艦隊も弱体化したとはいえ、正規空母1戦艦2重巡洋艦1の強力な布陣なのだからな。油断は、禁物だ。それに、できることなら加賀や金剛を捕らえたいとは思わないかね? うまいこと生け捕りにできれば最高なんだけどねえ。……冗談はともかく、まあ本当にまずくなったら、私から榛名に命じて冷泉をなんとかできるとは思うのだ。最悪の場合は、私に言ってくれよ。私も少しは役に立ちたいからね。……それに、放っておいたって、君たちの艦隊を拿捕できなければ、彼に未来は無いんだから。うまくやり過ごし逃げ切るだけで、我々の勝利は確定なんだから。冷泉が責任を問われるのは、間違いないのだからね。早晩、彼は艦隊司令官の座から追われることになる。だから、無理して得体の知れない能力を持つ奴とは、正面切っては戦わないほうがいかもしれん。それだけは肝に銘じておくのだよ」

 

「もちろん、それは承知しています。けれど、個人的な興味でしかないのですが、私の後任がどんな奴かは興味があります。軍が私の首を切って挿げ替えた奴がどれほどの奴なのか。とりあえず、後任の提督の艦隊運用能力も見てみたいですし、できることなら今すぐ自分の手で始末したいですからね。……それに、私の大切な子達に奴がどんな事をしたか、考えたくもないですからね」

そんなこと……。冷泉提督は、そんな事をするようなゲスな人ではありません。そう否定したかったけれど、自分の今の立場を思い、口にできなかった。もはや敵でしかない人を弁護するなんてありえないことなのだから。

 

「ふむ。君がそういうのであれば、了解した。しかし、絶対に無理はいかんぞ。今後の戦略に支障があるようなことだけは避けてくれよ。君の艦隊は君のものであるけれど、私や佐世保の奴の艦隊でもあるのだからね」

戦いへと向かおうとする提督に、釘を刺すように高洲提督が言う。

 

「もちろん。そのために私は艦娘を隠したり、わざと殺されたようにしてやったりしたんですからね。その努力を無駄にするような馬鹿ではありません」

 

「ははっは。分かってくれていたらいいよ。何かあればまた力になるよ。我々の目的の為に! 」

そう言って高洲提督との交信は切れた。

 

「ちっ、五月蠅いじいさんだな」

と通信が切れるなり、緒沢提督は毒づいた。

「さて、と」

緒沢提督は、不知火へと近づいていく。無反応なまま、よどんだ瞳で彼を見つめる不知火。

 

「不知火よ、……私が見えるか? 」

彼女は力なく頷く

「ならば問う。お前の指揮官は誰かと? 」

 

しばしの沈黙。

「お前の指揮官は、誰だと聞いているんだ。お前のボスは誰だ? 今すぐ答えろ」

無視されたと思った緒沢提督は、顔を彼女のすぐ側まで近づけると、声を荒げた。

 

不知火はゆっくりと顔を上げ、提督を見る。

「はい……私の従うべき人は、冷泉提督ただ一人です。そして、決して、あなたではありません」

弱々しいが、しっかりとした口調で彼女は宣言した。

瞬間、緒沢提督はニタリと笑みを浮かべると、いきなり彼女の顔を引き寄せると強引に口づける。続けざまに舌を無理矢理押し込んで激しく口づける。

自由にならない体で抵抗する不知火。しかし、男の力には抗うことができない。長い長い時間、二人は口づけあっていた。

 

緒沢提督が手を離すと、這うようにして不知火は彼から距離を取る。二人が離れる刹那、口からは何か糸を引くようなものが見えた。

彼女は口を必死で拭い、咳き込みながら何度も唾を吐き出す。彼女の吐き出した唾液は紅く染まっている。

 

「ふん……作戦は決まったよ。不知火、君には目一杯活躍して貰うよ」

そう言うと緒沢提督は口を伝い落ちる血を拭い、怒りを堪えた表情で宣言する。

続けて、他の艦娘達にもを準備を始めるように指示をする。もちろん、不知火もだ。彼女は他の艦娘に抱きかかえられるようにして司令室から出て行った。

 

そして緒沢提督は、一人残された扶桑を司令室の隣にある自分の部屋に来るように促す。

 

「提督」

扉が閉められた途端、秘書艦としての立場もあり、ずっと堪えていた彼女は緒沢への感情を表す。

生きていてくれた事、ずっと思い続けていたこと。今、とても幸せであることを。喜びに満ちあふれ、潤んだ瞳で彼を見つめる。そっと、彼に寄り添おうとする。

「ずっとずっと……提督の事を思い続け、待っていました」

 

次の刹那。

 

パン!

 

頬にありえない衝撃を扶桑は感じる。そして、その勢いで床に倒れ込んでしまう。一体何が起こったのか?

 

彼女は自分が思いきり張り飛ばされ、転倒した事に気付くまでしばらくかかってしまう。

そして、彼女は呆然とした状態のまま、緒沢提督に馬乗りになられ、見下ろされながら怒鳴り散らされることとなる。最初は彼が何を言っているのかさえ分からなかった。ただ、激高した様子で何かを喚き散らしているのだけが感じ取れただけだ。

 

やがて、彼が何を言っているかが理解できるようになった時、殴られる以上の衝撃を感じてしまう。

 

緒沢提督は、扶桑が永末に股を開いたこと、彼の女になっていたことを激しく責めたててくる。言葉だけでは収まらず、何度も何度も殴られてしまう。

「許してください! 」

何をしていいか分からず、とにかく必死になって許しを請うが、彼の怒りは収まることなく許してくれない。

 

逆に売女め! だとか汚い言葉で罵られる。あんなに優しい瞳をしていた筈の提督は、顔を真っ赤にして唾を飛ばしながら叫んでいる。目はつり上がり、恐ろしい形相になっている。彼が本気で怒っている事が分かり、体を丸め、ただただ謝るだけで荒れ狂う嵐が通り過ぎるのを待つしかできなかった。

体中のあちこちを殴られ、恐怖と恐慌状態で呆然とする扶桑。うわごとのように許しを請うしかできなかった。

 

しかし―――。

次の刹那、突然、緒沢提督が泣きながら彼女にしがみついてきた。

「ごめん」

彼からぽつりと出た言葉は、堰を切ったようにあふれ出す。

「ごめん、扶桑。……こんなに血だらけになって、痛かっただろう。ごめんな。けれど、俺の心は、もっともっと痛かったんだよ、苦しかったんだよ! この世の何よりも大切に思っていたお前が、あろうことか他の男に抱かれるなんて、……そいつの女になっていたことが許せなくて辛くてどうにもならなかったんだ。俺はずっとお前の事を信じていたのに、どうして分かってくれないんだって。……お前が好きだからだから、大好きだから、どうしても許せなかった。ごめん! ごめん! 許してくれ。ああ、こんなに顔を腫らして、血もいっぱい出てる。痛かったよね、ごめんね。俺はお前の気持ちなんてちっとも考えることができずに、自分の事ばかりに囚われてしまっていた。こんな馬鹿な自分勝手な俺を許してくれるか? 殴ってすまなかったよ。でも、本当にお前を愛しているから、こんなに怒ってしまったんだよ。誰にも渡したくないって思っているから、裏切られたと思って、止められなかった。ごめんねごめんね。許してくれるかい? ずっとずっと本当に愛しているよ、扶桑。だから俺の側にずっといてくれるよな? もう二度と、他の誰かを好きになったりしないでくれ。俺だけを好きでいてくれ、俺だけのために、働いてくれるよね……」

懇願するように、許しを請うように、弱々しい笑顔で扶桑の答えを待つ緒沢提督。

扶桑は、彼の言葉に頷いてしまう。

こんなに自分のために怒ってくれる人を裏切ることなんてありえない。緒沢提督は自分を必要としてくれている大切な人なのだ。自分がいなければ、緒沢提督はダメになってしまうのだ。自分が彼を支えてあげなければ……。

「提督」

 

「なんだい? 」

 

「私を許してくださいますか? 」

 

「もちろんだ。俺にはお前が必要なんだ。ずっとそばにいてくれるかい? 」

扶桑は心が幸せに満たされるのを感じた。自分が求めていたのはこれなのだ。そう確信でき、彼に頷いたのだった。そして、緒沢提督の腕の中にいられる幸せを噛みしめるのだった。

 

 

―――そして、数時間後。

 

冷泉艦隊は、いまだ警戒しているのか、こちらに近づいて来ない。もしかすると、こちらから動くのを待っているのか。そんな心理戦を展開しているように、見かけ上は平穏な状況がしばらく続いている。

 

すでに緒沢提督は、出撃艦隊を編成を完了させていた。

 

まずは不知火を先行させ、領域へと突入させる。彼女は冷泉にとって大切な存在らしいから、きっと助けに行く。そこへ待ち伏せしてた伊8が雷撃する。まずは、加賀を狙う。制空権を取るためだ。その後、艦載機による空爆。金剛をやる。速吸もできれば潰しておきたい。榛名はこちらの手にある艦娘なので、形式的に攻撃をするだけだ。最後に扶桑を近づけ、艦砲射撃で冷泉を殺す……これが基本作戦だ。

 

緒沢提督は、ついに指示を出した。すでに出撃する六人の艦娘達が分割表示されたモニターに映し出されている。

緒沢提督は、一般的な提督が指揮をするように、艦娘には乗艦して指揮は執らない。すべては、あらかじめ作戦行動を入力しての艦隊戦となる。

 

戦艦扶桑、軽空母祥鳳、軽空母千歳、軽巡洋艦大井、軽巡洋艦北上、潜水艦伊8。

 

「作戦を発動する。すでに先行した伊8は、待機を完了している。不知火、出撃準備はいいか」

 

「発進準備、完了しています」

抑揚の無い口調で返答がある。瞳から光は消え去っている。かろうじて指揮権を冷泉提督から取り上げることに今のところ成功しているようだ。

彼女の体は白銀の鎖で縛り付けられていて、体にきつく食い込んだ姿が痛々しい。

 

「少し窮屈な思いをさせてすまないな。けれど、君は冷泉の影響下にある疑いが晴れていないからな。申し訳ないが、しばらくは念のために拘束措置を取らせてもらうよ」

 

「すでに私の意思は、提督の強制命令権によって自由を奪われています。こんな鎖などせずとも、私にどれほどのことができるのでしょうか」

 

「はははっはは。与えられし提督の権限で、意志力などねじ伏せているはずなのに、それでもそんな偉そうな口をきけるんだね。さすがに気が強いというか、なんというか。……まあ、お前には十分活躍して貰うよ。冷泉を領域に引きづりこむための、生き餌としてね」

面白そうに笑う緒沢提督。

「いろいろと楽しいドラマを見せてくれたまえ。華麗に踊ってくれたまえ。楽しませてくれたまえ、君も楽しみたまえ」

そんな彼を無表情なまま不知火は見つめている。その瞳の奥に何があるのかは、まるで読み取れない。完全に感情が無くなっているのか、それともまだ意識があるのだろうか。ただ唇を強く噛みしめたせいか、僅かに口元から赤い血が流れ出ていた。

「踊らされると考えてはいけない。むしろ自らその流れに乗って、華麗に舞うんだ。美しく、そして華やかに」

 

どちらにしても、緒沢提督が何をしようとしているかを恐ろしくて聞く事ができない扶桑だった。ただ言えることは、何の為に使用するのか分からない大量の爆薬が駆逐艦不知火に積み込まれた事。そして、彼女が逃げ出す事ができないように、艦橋の柱にきつく縛り付けられているということだけだ。彼女を縛り付けた鎖は、専用の器具をもってしても切断には相当な時間がかかるという。

緒沢提督が何を考え、不知火に何をしようとしているのかは、想像したくもなかった。

 

「出撃艦隊は行動開始せよ。……不知火は直ちに出航。彼女が領域侵入後、冷泉艦隊の動きに合わせ、その他の作戦行動対象艦は行動を開始する。他の者は私の指示を待って、この基地を離脱する。……以上だ」

 

ついに戦端の幕が切って落とされたのだった。

 

 

 


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