まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第163話 新たなる旅立ち

しかし―――。

事態は永末が望むようにはならなかった。心のどこかできっと間違いであってくれと願っていたせいか、しばしの間は認めたくなかった。……しかし、現実から逃れることはできない。

 

ついに、冷泉提督率いる舞鶴鎮守府艦隊の艦影が、永末達の潜むメガフロート基地から肉眼でも見える距離にまで接近してきたのだ。

こんな状況に至ってしまったら、もはや偶然で済ますことはできない。理由は分からないものの、冷泉は永末達がここにいることを認識しているようだ。

 

ただ、唯一の望みは、この基地全域に施された光学迷彩のおかげであろうか。偽装を施したエリアの中に艦娘達がいることは、今のところ冷泉は気付いていないらしい。冷泉の艦隊は、基地から一定距離を保って停止している。どこに潜むか分からない永末達を警戒しているのだろう。つまり、この基地に艦娘がいるという確証は無いのだ。

それでも、いずれは調査のために接近して来る。つまり、残された時間は少ないのだ。

 

永末は物陰に潜みながら双眼鏡で敵の様子を確認すると、慌てて司令室に戻る。

司令室からは、モニターで外の景色が一望できる。

すでに艦娘達が集まっていた。

「結局はこうなってしまいましたが、あくまで予想されていたことです。みなさん、何も焦る必要はありません。予定通り、敵艦隊と戦うしか道はありません。……扶桑さん、それから皆さん、よろしいですか? 大至急、戦闘配置についてください。私が艦隊の指揮を執り、冷泉率いる敵艦隊を迎え撃ちます」

永末は、覚悟を決めて戦闘態勢に入ることを司令する。

ついに自らが艦隊を率いて艦隊戦を挑むのだ。僅かながら緊張はあるものの、高揚感の方が大きく感じられる。先程までの焦燥感は、すでにどこにもない。

戦いに向け、良い意味での緊張感、高揚感に満たされ充実している。困難があればあるほど気合いが乗ってくる。これぞ指揮官の器だと、隠された自分の才能を確認でき自分でも驚いてしまう。

「みんな、大丈夫です。敵に対し、我々の方が数的優位を保っています。仮に何の策も無く敵艦隊と正面からぶつかっても、十分押し切れます。私達が冷泉ごときに新参者に負けるはずはありません。私を信じて指揮に従えば、必ず勝てます。真の舞鶴鎮守府艦隊の力をみせてやろうではありませんか! 」

学生の頃より兵法に興味があり、様々な戦いを研究してきた。机上の戦闘ではあるが、ほとんどの海戦は記憶し、その勝因敗因を分析している。そして、軍学校でのシミュレーション戦においても、永末は同期の連中には艦隊戦でほとんど敗北したことは無かったのだ。

故に、軍未経験者の頭でっかちである冷泉ごときに、自分が戦術でも負けるはずがないと確信していたのだ。

一度決意すれば、全力をもってそれに集中できることが自分の子供の頃からの自慢だった。

自分で名付けていた。それを「必勝モード」という。この状態に入った自分なら、負ける筈など無く、まず敵はいない。……そんな確信があった。

 

しかし、……永末の気合いの入った言葉に応える者は無かった。

何事かと思い、永末は艦娘達を見回す。

彼女達の表情には、何の反応も見受けられない。ぽかんとした、不思議そうな表情でこちらを見ているだけだ。

「な、何をしているのですか。敵艦隊は、すぐ側まで来ているんですよ。今すぐに迎え撃たなければならないでしょう? 奴らを倒さないと、我々の目的は……あなたたちの大切な緒沢提督の望んだ結末を達成できないでしょう。さあ、ぐずぐずしている暇はありません。さあ、皆さん早く! 」

彼女達に聞こえていないのかと不安になり、声を大にする。しかし、それでも何も反応を示さない艦娘達に、冷静さよりも苛立ちが勝ってくる。

どうして、動かないのか? こいつ等は、ここでこのまま傍観しているつもりなのか? 何のためにこんな僻地で今まで潜み、または鎮守府を裏切ってまで逃走したというのか?

「おい! 貴様等、聞こえないのか? 早くしろと言っているだ。ここに突っ立ったまま……このまま冷泉によって撃沈されるつもりなのか? こんなところでずっと息を潜め身を寄せあって隠れていたのに、それがすべて無駄になってしまうぞ! 貴様等、何のためにこんな事をしていたっていうんだ。何の為に鎮守府を裏切ったっていうのだよ。……私の命令を聞いて、戦う準備をしろ。さっさと動け、敵はすぐ側だぞ。戦え、戦うのだ」

苛立ちのあまり、思わず大声で怒鳴り散らしてしまう。しかし、艦娘達が沈黙したままであることに驚き失望し、そして我に返り、次の句が言えずに黙り込んでしまう永末。

 

艦娘達も言葉を発さない。

 

―――沈黙。

 

「……何を言ってるの、この男は」

突然、冷たい声が静まりかえった部屋に響く。誰が喋っているかは分からない。

「提督でもないのに、何を勘違いして偉そうに」

 

「本当……一体、何様のつもりなのかしら」

 

「勝手に乗り込んできて、偉そうに命令するなんて」

 

艦娘達が口々に言葉を発する。それはすべて永末を否定する言葉であり、恐ろしく冷たい言葉の羅列だった。

 

「貴様等、何を言うんだ……。私がどれほど労力を払って、この状況を作り上げたと思っているんだ。どうやって、鎮守府の艦娘達を連れて来たと思っているだ。この! この恩知らずどもめ。ちっ……もういい、お前達になんて期待しない。……扶桑さん、あなたからも言ってくれませんか? あなたなら協力してくれるのでしょう? 祥鳳、羽黒だってそうだろ? なあ、お前達、なんとか言ってくれよ」

少なくともメガフロート基地でずっと隠れていた艦娘達は、永末の言う事を聞いてくれそうもないので、共に鎮守府を離脱した仲間に助けを求める。

少なくとも、扶桑だけは自分の味方だ。

縋るような視線を彼女に投げかける。

 

しかし、扶桑と目が合うと、彼女は慌てて目を逸らしてしまう。驚いて他の艦娘に救いを求めるが、皆冷たい視線を返すだけだ。

「なあ、扶桑さん。どうしたっていうのですか? 」

 

「……永末さん、残念ですが、私達はあなたのご指示に従うことはできません。何故なら……あなたは、私達の提督として登録されていません。特例措置にも該当する要件は、認められません。指揮官として登録認証された提督以外が、私達に対しての戦闘指揮を行う権限が与えられていません。よって、権限の無い方の命令は、私達艦娘としては、聞くことができない決まりです」

扶桑から恐ろしく冷たい答えが返ってきた。

 

「い、いや……舞鶴から脱出する時に、私の指示をあなた達は聞いたじゃないですか。鎮守府に対して攻撃もしたでしょう? あれは、明らかに私からの指示だったはず。じゃあ、あれはどういうことなのですか? ……どういうことだ!! 」

 

「あれは、緒沢提督のご指示を実行するために認められる範囲の事でしたので、私達は行動しただけです。過去に緒沢提督よりあらかじめ為されていた命令を実行するために行動しただけです。ですので、あなたが命令したから行動したという訳ではありません」

と、扶桑にあっさりと否定される。

扶桑の言葉に続けて、祥鳳が追加説明を行う。

「永末さん、誤解しないでいただきたいのですが、私達は、あなたがこの場所に私達を連れ出すきっかけとして使えると判断したから利用しただけで、決してあなたの為に動いたわけではないのです。すべては、かつて出された緒沢提督の命を実行したのみなのですよ」

 

「な、なんじゃそりゃあ! くっ、お前等、俺を謀っていたっていうのか。この俺を、利用したっていうのかよ。大人しそうで清純そうな顔しやがって、裏で俺を笑っていやがったんだな、このクソ売女めが!! くそくそくそ。てめえ等、艦娘の分際で、人間様に逆らうっていうのか? 立場を弁えろ。お前等は、もう裏切り者でしかないんだぞ。そもそもだなあ、緒沢なんて奴は、もうこの世にはいねえんだよ。あいつは好き勝手なことをやるだけやって、惨めにおっちんだ糞野郎じゃねえか。そんな死んだ奴の為に、お前等は馬鹿みたいに動いてたのかよ。本当に馬鹿じゃね? ハン! もうどうでもいいや、惨めに死んだ馬鹿の事なんてな。けど、俺の命令に従わないと、お前等、何もできねえぞ。敵は……あのクソ忌々しい冷泉は、すぐ側まで来ているわけだ。戦わなければ、やられるだけだ。お前等、黙って死にてえのかよ。お前達に命令する存在は、誰もいないんだぞ。もう俺以外いないんだ。これまでの暴言や生意気な態度はこの際だから許してやる。非常事態だからな。だから、さっさと馬鹿な事言っていないで、俺に従え、従うんだよ」

感情が一気に高ぶり、普段気をつけている言葉使いも乱れてしまうが、そんなこと気にして何ていられない。

 

「ふふふ。……鎮守府指令官でもなく、いわんや。もはや軍関係者でもない、ただの一般市民からの命令をきくことなどありえると思っているのですか? あなたは、確かにかつては軍人でしたが、今はただの一般市民でしかありません。しかも、国家に対する重大な反逆行為を行っただけの……ね」

あざ笑うように答えが返ってくる。

 

「誰だ今偉そうなことをぬかしやがったクソは! 指揮官無しでどうやって戦うんだ、こん畜生どもが! 指揮官がいなければ、お前達はただの古くさいポンコツ鉄船だろ。いや、泥舟だよ。人間様に偉そうな事ぬかすな、雌豚共が。何だって言うんだてめえら、こらクソが」

汚い言葉で罵る永末。

「扶桑さん、黙っていないで、あなたからこいつらに言ってください。この馬鹿どもを説得してください。……そうだよ、私とあなたのために。私達の未来のために!! 」

もはや、永末には扶桑以外に縋る所はない。

 

そう!

 

扶桑と自分の関係は、至高だ。究極の愛で結ばれた、何人たりとも穢すことのできない美しく尊い関係だ。二人の清く繋がった魂の結びつきは、本物だ。何人たりとも侵すことなどできるはずがない。そう、彼女だけは、自分を裏切らないはずだ。彼女こそ、そして自分こそが、互いに最愛の人なのだから。

 

「ご……ごめんなさい」

理解不能な言葉が、ありえないほどの冷たい声で返って来た。

「永末さん……あなたは、私にとってとても大切な人であることは、今も間違いありません。けれど、あなたは、私の指令官ではありません」

 

「な! 何を言っているんですか? この状況を良く見てください。理解してください。あなたからみんなを説得して貰わないと、どうにも分かって貰えないんですよ! 」

必死に彼女を見るが、申し訳なさそうに目を伏せるだけだ。

「扶桑さん、あなた、まさか私を裏切るというのですか。……私がどれほどあなたのことを想っているのか……分かってくれないのですか? 」

必死に訴える永末に、扶桑は何も答えない。

「……く、糞糞糞。どういうことだよう、なんでだよう。なんで返事してくれないんだよう。く……お前等、このままで何もしないで、冷泉に沈められるつもりなのかよう? お前達は、誰かの指揮無くして、敵艦隊と戦える訳がないだろう。そんな事もわかんねえのかよ。お前等、このままじゃ死ぬんだぞ。せっかく生き残っているのに、反逆者として惨めに死ぬのかよう。お前等のために言ってやってるんだぞ、なんで分かってくれねえんだよう」

失意の内に、永末はへたり込んでしまう。こんなにみんなのことを思って必死になっているのに、誰も分かってくれない虚しさが全身を虚脱感で満たしてしまう。

何よりも、愛している扶桑が自分の味方でいてくれないという事実が衝撃的だった。

 

「フッ、そんなことは無いさ。……艦娘達は、死ぬ事はない。私の指揮の下にいるかぎりはね」

突然の声。

 

「な、……なんだって! 」

永末は、ありえないはずの声を聞いてしまい、呆然とする。このメガフロート基地には、永末と艦娘以外存在しないはずなのに、どういう訳か、男の声が聞こえて来たのだ。そして、それどころではない事実を声色で感じ取ってしまい、愕然とする。まさか、まさか……。混乱が永末を襲う。

 

声の主に反応し、すぐさま、先にメガフロート基地にいた北上たち艦娘が声のした方に向かって跪いた。

そして、彼女達が跪く方向から、何者かが、……一人の男が歩いて来たのだ。

「ま、まさか、まさかまさか! ままままま、むあああああ!! まさかまさかまさかぁああ」

永末の顔から、みるみる血の気が引いていく。

 

「! 」

変化は、共に舞鶴から永末と共に逃げて来た、扶桑達の顔にも速やかに現れる。

信じられない光景にまず驚愕が現れ、続けて歓喜の涙が彼女達の瞳から溢れ出したのだ。それはあまりにも激しい喜びの爆発のような化学変化だった。

「お、……緒沢提督! 」

扶桑は、蹌踉めきながら彼の側に駆け寄り、喜びの表情を浮かべて彼を見つめ、他の艦娘と同じように跪いた。他の艦娘達も同様に涙を流しながら駆け寄り跪く。しかし、不知火だけは床にへたり込んだままで惚けた表情のままだが。

 

「まさか、まさか、まさか。あんた、……お、緒沢提督なのですか」

永末だけが現実を把握できず、呆然と呟くしかできない。全身全霊を持って、目の前の事象を否定したいけれど、決して否定する事のできない現実に精神が揺らいでしまう。両手で頭をガシガシと掻きむしる。

「あんた、殺されたはずじゃ」

 

「永末……か。ハン! 君は、よくもまあ、こんな大それたことをしてくれたものだな、本当に、全く分不相応な事を、自分の立場も弁えずにぬけぬけと……」

見下すような視線で永末を睨み、永末の問いに答えることもなく、彼は吐き捨てるように呟いた。

 

その瞬間、永末の心の奥底で長く長く潜んでいた激情の炎が、一気に燃え広がる。それは怒りと憎しみにまみれた、どす黒い怨念であった。

「て…てめえ! どの面下げて俺の前に出てきやがったっていうんだ。てめえのせいで、俺がどんな酷い目に遭わされたか! どれほどの煮え湯を飲まされてきたか。お前は、殺されたから怨んでも仕方ないって諦めていたのに、のうのうと生きていやがったのか。クソクソクソクソ野郎。てめえだけは、絶対許せねえぞ、ボケが」

自分の人生をメチャクチャにした男が、のうのうと生きていった事。そして、そんな男が未だに艦娘に対する司令権を持ったままいられること。その上、あろうことか永末の行動の邪魔をすることに猛烈に腹が立った。捕らえた永末に対し拷問を施し、死よりも苦しい地獄を与えた香月に対するよりも、実は緒沢提督の事を憎んでいることを初めて認識してしまう。

 

殺す!

 

瞬間的に体が動いていた。理性よりも早く本能が反応していたのだ。こいつの両目をくり貫いてやる。耳を引き千切ってやる。鼻を叩きつぶしてやる。歯を根こそぎ引き抜いてやる。そして、首をへし折って殺してやるんだ。ずっとずっとため込んだヘドロのように沈殿した恨み。これを晴らすためには、この男を殺さずにはいられない。

「きえええええええええええええええ! 」

奇声を上げながら襲いかかろうとする。

 

刹那、銃声が響き渡り、永末の左膝に激痛が駆け抜けた。

「うぎゃああ」

予想していない痛みと衝撃に悲鳴を上げ、永末は床に転倒する。倒れまいと手を突こうとするものの失敗し、そのまま顔面を痛打した。鈍い音が響く。

「ぐえっ」

鼻を痛打したのか生暖かいものが顔を伝い落ちていく。

 

「あーあ。相変わらず詰めが甘いなあ、君は」

と、緒沢提督は妙にのんびりとした口調で語る。

 

永末は、必死の形相で立ち上がると、目の前の男を掴もうと両手を伸ばす。撃たれた足を引きづりながら、蹌踉めきながらも近づこうとする。怒りで痛みを忘れてしまっているかのようにさえ見えるものの、左足は自由に動かせない。

 

再び、銃声。

 

今度は、右膝を打ち抜かれてしまう。両膝を撃ち抜かれ、もはや踏ん張る事ができずに、永末は再度、転倒し床に伏してしまった。続けざまに容赦なく続けて発射された数発の弾丸は、俯せに倒れた彼の体を背中から貫いていく。

永末は呻くように、そして情けない悲鳴を上げてしまう。

 

「やれやれ。やり方は下手くそだし、本当に詰めが甘い。あれだけ注意してあげたのに、ちっとも改善されていないな。まだまだだね、永末君。君は、昔からちっとも変わっていないんだなあ。だから、君は上に立つような人間になれないのだよ。せっかく目をかけてあげてたっていうのに、期待に全く応えられないんだから。……けれどなんだ、まあ一瞬ではあるけれど、艦娘達を従えることができて、いい夢が見えたんじゃないかな? 君なんかでは一生なれないはずの鎮守府指令官になった夢を見られたんだから、君にとっては幸せなんだろうね。端から見たら……あまりにも馬鹿だけれどね」

側までやって来てしゃがみ込むと、苦痛と屈辱に顔を歪ませて睨む永末をのぞき込むようにして、緒沢提督は嘲るように笑った。

 

「……く、くそがあ」

それ以上の言葉は出ない。どれほどの恨み言を言いたいか。けれど言葉が出てこない。ただただ痛くて苦しいだけだ。撃ちこまれた弾丸のうち、いくつかが急所を捕らえているようだ。流れ出る血で自分の命運がすでに尽きたことを知る。志半ばで死ぬことが辛く悲しい。理不尽な結末の訪れに、発狂しそうだ。

「ぐへっうげえげえ」

咳き込むだけで吐血してしまう。ほんの少し体を動かすだけで、激痛が全身を貫き視界が霞んでくる。意識を保つのも難しくなってきている。

死にたくない。助けを求め、永末は必死に愛する扶桑の姿を求めて這い回る。

 

「やれやれだな。身の丈にあった生き方をできないヤツは、こうなる……」

冷め切った視線で緒沢提督が救いを求めて這い回る彼を見下す。

「能力以上の地位を求めるなどという愚かな真似をしなければ、もう少し長生きできたのに。まあ、それでも、……やり方は30点以下だけれど、ここまで彼女達を連れて来てくれたことだけは感謝しよう。かつての上司として礼を言おう。ご苦労様、そしてありがとう、永末少佐。そして、永遠にさようならだ」

それだけ言うと、もはや興味を無くしたように彼は、背を向けて去っていく

「さあさあ、みんな作戦準備だ。舞鶴艦隊を迎え撃つよ。これから忙しくなるよ! 」

ぱんぱんと両手を叩いて合図をする。

 

「提督、永末さんはどうしますか? 」

一人の艦娘が問いかける。

 

「いいよいいよ、こんなのは放っておきなさい。この基地は、どうせ最初から捨てるつもりだった場所だからね。死体が一つ混じっても問題ありません。片付ける必要もないから」

 

「わかりました!」

 

「じゃあ、行こうか」

そして、彼の声に合わせ、艦娘達が場を後にしていく。

 

そんな中、永末は、ついに視界に扶桑を捕らえた。

「ま、まってください」

必死になって声を上げる。声を張り上げた。

「扶桑、……さん」

 

驚いたように扶桑が立ち止まり、彼を見る。どうやら、永末に気付かれないように去っていこうとしていたようで、焦っているようにさえ感じられる。

 

「お、お願いです。私も連れて行ってくれませんか、いえ、連れていってください。そして、すぐに私の治療をしてください。今なら、今ならまだ間に合うはずです」

掠れる声を絞り出すようにして、必死になって懇願する。

 

何度も何度も、愛を語り合い体を重ねあった二人だ。その関係性は一時の欲望だけによるものじゃない。自分が本気で彼女を愛しているように、彼女も永末の事を愛してくれていた。その事実だけは間違い無いのだから……。

きっと扶桑なら永末を助けてくれる。彼女は自分を見捨てたりなんてしない。。

「もう復讐をするなんて、どうでもいいんです。扶桑さん、あなたが側にいてくれるなら、いてくれるだけで、もう何もいらないんだ。そうだ……一緒に逃げましょう。何もかも捨てて、こんな汚い世界から二人で逃げるんです。戦いなんて無い、嘘も裏切りもない、誰もいない場所に二人で逃げて、私達二人だけで暮らしましょう。私は、きっとあなたを幸せにしてみせますから。愛しているよ、扶桑さん……神に誓います」

助けて欲しい一心で、言葉をはき出す。それでも、その言葉は、すべて本心であり、望むことでもあった。

「だから、俺と一緒に逃げてくれ。二人で未来を作ろう。こんな世界とは無縁の平和で愛に満ちあふれた場所を探そう」

 

扶桑さえいれば、他に何もいらない。彼女だけいてくれれば、すべての負債を無かった事にできてしまうだろう。

扶桑さえ、この腕の中にいれば。

 

彼女は、震えるようにしばらく彼を見つめていたが、やがて決意したように

「ごめんなさい」

それだけ呟くと、背を向けて歩き去ろうとしたのだ。

 

「ちょ、なんでだ、なんでだよ。どうしたっていうんだ!! あ、あんなに愛し合った俺たちじゃないか。なんで俺を無視しようとするんだ……よ。なんで俺を置いて行こうとするんだよ。ぐ……扶桑さん、撃たれた所が痛いんです。本当に痛い、痛いよう。痛くて我慢できない。扶桑さん、頼むから助けてくれ、ください。血が止まらないんです。このままじゃ、俺は死んでしまいます。とにかく、何でもいい、なんとかしてくれ。治療を、助けてくれ。お願いだから、……頼む、見捨てないでくれ。見捨てないでください。死ぬ、このままじゃ死んでしまうよ。いやだいやだ、死にたくないよ、助けて扶桑さん。俺を可哀想だと思うなら、助けてください。痛い痛い痛いよう」

とにかく叫ぶ叫ぶ。必死に叫ぶ。

痛みで声が出てるかどうかなんて気にしていられない。ここで彼女を行かせてしまったら、もう自分は死ぬしかないんだから。助けてくれるとしたら、扶桑しかいないのだから。縋るのは彼女しかいないのだ。どんなに情けない言葉でも言おう。恥なんて気にしている場合じゃない。それで死を免れるなら。生きていくことができれば、必ず逆転のチャンスがやって来る。けれど、ここで死んでしまったら、それで終わりなんだ。どんな言葉でもいい。何でもいい。とにかく彼女を引き留めるんだ。引き留めることができれば、そこから先は、きっとなんとでもなるはずだ。

 

「たすけてくれ、たすけてくれ、俺は死にたくない、こんなところで、ひとりぽっちで死ぬなんて、ありえねえよ。扶桑さん、なんとか言ってくれよ、扶桑さん。俺を見捨てるっていうのか? そんな冷たい事をしようとしてるのか? 扶桑さん、俺を見捨てないでくれ。お願いしますお願いします。……痛い、痛い痛いよう。撃たれた傷口が痛いよう。扶桑さん、なんとかしてくれよ。なんとかしてくださいよう、扶桑さん、扶桑さん」

 

その声についに扶桑が振り返った。

永末は、ついに想いが彼女に伝わったと確信した。きっとこれで助かると思い、喜びの表情を浮かべた。やはり、二人の愛は永遠だ。

 

「……」

しかし、振り返った扶桑は、まるで汚いモノをみるような目で彼を見ていた。嫌悪、失望そんな感情が蠢いているように見えた。そして、それがすべてだった。

予想もしていなかったその表情に永末は唖然とし、出かかった言葉も失ってしまう。ただただ救いを求めるように手を伸ばした。

 

扶桑は何かを言おうとしていたようだが、一度だけため息を付くと彼に再び背を向けた。そして、歩き去っていく。そして、今度こそ彼女は二度と振り返る事は無かった。

 

瞬間、頭が真っ白になる。

「かぁああああ! 扶桑、て、てめえええええええ! 俺を裏切るのかよう、俺を見捨てるのかよう。あんなに愛してるって言ってくれたのは、ありゃあ嘘だったのか。クソ、この女、騙しやがったな。のこのこ緒沢が戻ってきたら、即、乗り換えっていうのか? もう俺は用無しっていうのか? なんだてめえ、くそったれ。尻軽女、この売女がっ。相手構わず誰にでも股開いて、ひいひい喚いて腰振るだけの淫乱女め。ふらふらと男を乗り換える、意地汚い雌豚め。お前にはきっと天罰が下るぞ。神様はきっと見ているんだからな! 罪深き淫乱裏切り糞女には、地獄の苦しみが降りかかるに違い無い。おいコラ! 聞いてるのか……何とか言えよ、この野郎。くそうくそうくそうくそう……てめえ、一生呪ってやるからな。てめえ、絶対に許せねえ。絶対にだぞ。地獄の果てまで追い詰めて、罪を償わせてやるからな、畜生め。お前だけじゃ無い。みんなみんな、何もかも呪い殺してやる。末代まで祟ってやる。おらろおららどらららら! 」

捨てられた絶望から、ありとあらゆる罵詈雑言が永末の口から吐き出される。しかし、それに答える者はなく、やがて静寂が訪れる。

永末は必死に、全身の力を振り絞り、怨嗟の言葉をまき散らす。全てを呪う言葉を吐き出す。

 

しかし、どれほど叫んだところで答える者など誰もいなかった―――。

「まじかよ……くそったれ。げほっ」

口から、そして鼻からどす黒い粘ついた液体が吐き出される。苦しくて痛い。

 

どうしてなんだ? 途中まで上手くいっていたはずなのに、どこで何を間違ったのか。何がいけなかったんだ。

「俺が一体、どんな罪を犯したっていうんだ? げええ。俺は必死にがんばっただけなのに。何で俺だけこんなに不幸にならなきゃならないんだ、何でだ? お願い、た、たすけて……」

永末は一人、薄れゆく意識の中で足掻くように必死に答えを求めるが、その解は出ることなく、先に彼の意識が消えていったのだった。

 


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