まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第143話 提督の真意

永末の申し出に対して、扶桑は頷き受け入れることにした。それは、永末の期待に応えたいという思いがあったからだ。命令に逆らう事のできない彼の現在の境遇を哀れんだ部分も確かにある。軍を除隊したとはいえ、結局、似たような組織で似たような事しかできない彼が可哀想だった。思うようにならない人生を嘆きながら、望むべき明日が来る事に縋って生きるしかできない……。もう、かつて地位に戻る事など叶わないというのに、それを忘れることができないでいる彼が哀れだった。すべてを捨ててしまうことができれば、今彼を苦しめている柵のすべてから解放されるというのに……。

けれどそれは仕方ない事。妄執といっていいほどのものに取り憑かれてしまうほど、彼は理不尽なまでにすべてを奪われ、酷い目に遭わされたのだから。

 

そんな哀れに思える彼に対して、自分が持つ感情……。それは同情なのだろうか? 不幸な者同士、ただ単に惹かれ遭っただけなのかもしれない。

 

「消された記憶が戻るというのなら、……真実に近づけるのであれば、少々の危険は覚悟の上です。心配しないでください。私には仲間がいます。そして、……あなたも。何も恐れるものはありません」

少しだけ感情を彼に表明する。もっとも、その表現は控えめなものでしかなかったけれど。もっと正直に気持ちを表せば良かったのだけれど、心のどこかにモヤモヤと引っかかるものがあったせいで、それ以上踏み出す勇気が出なかった。

 

扶桑の本音……。それは、真実を知りたい。もちろんそれが第一だけれど、提督の無念を晴らしたい。それが一番大きかったからだ。

 

早速、彼より支給された薬品を手に取ってみる。ごくごく平凡な見た目の白い小さな硬カプセルだ。透明なそれの中に青白色の粉が詰まっているのが見える。その青の毒々しさに躊躇する。この薬品がどんな作用をもたらすのか分からない。そして、永末に何かあった時の姿を見られたくなかった。だから、一人で個室に籠もることにした。彼は心配そうに見つめるだけで何も言わなかった。反応が無かった事を同意の合図と判断した扶桑は、彼を置いて一人部屋の中へと消えていく。そして、扉にしっかりと閉めて鍵を掛ける。大きく深呼吸し、覚悟を決めてカプセルを飲み込み水で一気に流し込む。

飲みこんでほんの数旬、唐突に一度体が沈み込むような感覚。そして、次の刹那、急激な悪寒と目眩が襲ってきた。衝撃が全身を貫き、立っていられないほどの作用があった。体のバランスを保つことができず、そのまま床に倒れ込んでしまう。知れず喘ぐような声を出してしまい、全身が痙攣したと思うと、意識が消えていく。

 

そして、夢を見た。

 

扶桑は、記憶に無いものを見た。知らないはずの光景、感じた事の無い優しく頬を撫でる風、聞いた事の無い言葉を聞いた。

 

それは夢のようであり、しかし、どこか既視感を感じるものだった。

 

小さな島の白い砂浜。空に雲が浮かび、あまりにも平和すぎる光景。

 

そして、砂浜には懐かしい緒沢提督の姿があった。遭いたくて遭いたくて仕方なかったのに、遭えるはずもなく。それどころか、彼を思い出すことすら、ほとんど無くなっていた事実を知らされて衝撃を受けたのだった。

 

夢のようでありながら現実としか思えないものは、更なる事実を示してくる。提督だけでなく、沈んでいった艦娘達も元気な笑顔で扶桑を迎えてくれたのだ。

 

瞬間、あふれ出す涙が止まらなくなった。

 

やっと戻るべき場所へと戻ってきた……。そんな気分になった。泣き崩れ、立ち上がれなかった。

頬に触れる暖かい感触。それが提督のものだとすぐに分かった。

見上げると緒沢提督の優しい笑顔がそこにある。時に厳しい時もあったけれど、いつも優しい目で扶桑を見つめてくれていた。そのままの彼だった。

「て、提督……」

涙でぐしゃぐしゃになりながらも、なんとか声に出すことができた。

 

提督は指先で扶桑の涙をぬぐうと

「お帰り、扶桑。やっとその時が来たようだね。……その時が」

その言葉を聞いた瞬間、凄まじい勢いで映像が全方位で高速再生されていく。

 

今まで忘れていた、否、忘れさせられていた記憶が一気に回復していくような感覚だった。それは、感動と言って良いほどの衝動・衝撃を扶桑に与えて来たのだった。

その興奮で夢の中だというのに、気を失ってしまう。

 

そして、意識を取り戻した時、扶桑は全身が震えている事を感じた。夢でしかないものだったけれど、そのすべてに現実感があった。そして、それが事実であることを何の根拠も無く、確信できてしまっている自分に驚きさえ感じている。

倦怠感や寒気を堪えながら、なんとか体を起こす。

 

……大きな勘違いをしていた事実に、気付いてしまった。

 

消されたと思っていたはずの記憶は、実際には、そうではなかったということだ。扶桑達は、敵勢力によって都合のいいように記憶を改ざんされ利用されていたと思っていたけれど、それは真実ではなかった。そのことを……今、明らかに思い出したのだった。

扶桑達が記憶を失っていたのは記憶を消されたのではなく、むしろその逆で敵勢力による記憶改ざんから護る為に施されたものであることを。万一起こりうるであろう最悪の事態に備え、提督が施したものだったのだ。

 

記憶の遙か奥底に沈められ護られていた記憶は、ある一定時期まで思い出さないように施されていたのだという事実。実際、本来であれば、もう少し先に……いや、もしかすると永遠に封印されるはずであったかもしれないその奇跡が、永末のもたらした薬物により、強制的に引き出されてしまったのだろう。

 

その結果、扶桑は緒沢提督に託された想いに気付かされてしまった。知りたかったはずの真実。求めていた真実。けれど、知るべきでは無かった事を。

 

緒沢提督は艦娘達の轟沈(死)を偽装することにより、日本国の支配下から艦娘を離脱させることに成功していたのだ。しかもその数を計画的に増やしていっていたのだ。それだけではない。沈没を偽装された艦娘達がどこに隠匿されているかさえも思い出してしまった。彼女達は生きていて、今も待機している状態だ。

 

個人が持つにしては、あまりに強大な兵力……。

 

彼の最終目的、それは、日本という国家に反旗を翻す……いや、そんなものではなく、艦娘という存在を生み出したものに対して反逆しようとしていたのだ。深海棲艦ではなく、日本国のために協力してくれている艦娘勢力を討とうとしていた……明確な敵意を持って。

 

どうして彼がそんな大それたことを考えたかは、扶桑は聞かされていなかった。他の艦娘も同様だろう。だから、提督のの真意が何処にあるかなど、想像すらできない。

けれど、そんな事はたいした問題ではなかった。なぜなら、艦娘とは提督の命令に従い、そして戦うことを生き甲斐とするもの【モノ】なのだから。それに扶桑は、ずっとずっと信頼し尊敬していた緒沢提督が仰ることには、きっと間違いなど無く、最終的には正しい事に行き着くのだと盲目的に信じていたのだから。

 

彼の真意も、彼が何を目指し何を成し最終的に何を遂げるつもりであったのか? その来るべき日を迎えること無く、緒沢提督は凶弾に斃れてしまったから、扶桑には、それを知る機会は永遠に訪れなかったのだけれど。

 

「提督……、あなたの意志を私に継げと仰るのですか? 」

思わず問いかけてしまう。そして、同時に途方に暮れてしまう。

「何も分からない自分は、一体どうすればいいのですか? 」

と。

 

しかし……。更なる困惑がある。決定しなければならないことがある。

この秘密を永末に話すべきなのか……。この問題を解決しなければならない。

永末の行動の真意が分からない。彼が明緒沢提督と同じ目的同じ意志を持ち、今は亡き提督の意志を継いでくれる存在であるかすらわからない状況でこの真実を告げること……それは場合によっては緒沢提督への裏切りとなるかもしれないのだから。これは当然の疑問だ。永末は、一度、緒沢提督の同調者として捉えられ、厳しい取り調べを受け、そして、軍を追われたのだ。しかし、そんな過去があったというのに再び戻って来て、鎮守府に出入りできるようになるなんて、どう考えても彼の主義主張に何らかの「変遷」があったとしか考えられない。軍に捕らえられる前までなら、緒沢提督と意志を同じくした同士と思っても良かったけれど、今はそうでない敵側勢力の人間として寝返っていると考えるほうが正しいに決まっている。

 

しかし、そんな冷静な思考をする自分とは真逆に、この事実を伝えれば永末がきっと喜ぶだろうし彼の役に立つのは間違いないと考える自分がいる。緒沢提督の敵であるはずの永末を、次第に好きになっていく自分の心に戸惑う。彼が喜ぶのであれば、できる限りの事をしてあげたいと思う自分。また逆に、かつての思い人への気持ちを捨てることはできない自分が存在することを思い知らされる。

 

扶桑は頭を何度も振って、心の中で支配力を高めている妄想を追い払おうとする。

 

この世で一番愛しているのは、緒沢提督なのだ。たとえ、彼がいなくなろうとも、その思いは変わらないはず……と。

その気持ちは、偽りのない本当の気持ちだ。

 

しかし、永末に話さずにいたところで、このままどうすればいい? 一体どうなるというのか? ……そんな疑問があるのも事実。

艦娘だけでは、何もできないのは間違いない。緒沢提督が何を考え、何を目指してこんな事をしたかは思い出せない。そもそも知らされていないのかもしれない。それを行う前に、自分たちに伝える前に彼は亡くなってしまったのだから。

 

提督の御遺志が何だったのかは不明だけれども、かつての部下であった永末なら、もしかするとその意志を継いでくれるかも知れないのだ。彼に賭けるしか無い。何の根拠も無く、緒沢提督の側から見れば疑わしいはずの存在に期待してしまう自分。そして、心のどこかですべてを伝えたら彼が喜ぶのではという想いがあったのかもしれない。相手が永末で無ければこんな事を考えたりもしないのだけれど。

 

この事実を伝える事ができれば、永末にとってはこれは功績になる言えよう。そうなれば彼の属する勢力の中で彼の地位も向上しよう。好きな男が出世する事は女にとっても嬉しい事なのだ。役に立つことができるなら、どれほど嬉しい事か。

……いつの間にか、永末の側に立って考えている自分に少し驚く。けれどそれでも構わないと思っている自分。

緒沢提督の事は今でも愛している。けれど、側にいて自分を好いてくれる永末のことも愛してしまっているのだから。おかしいとは思うけれど、不実だとは思うけれど、どうしようもないのだ。……仕方ない。

自分ですらままならない感情と情欲に翻弄されながらも、何を為すべきかは決まっているのだ。自らの感情に従い行動するしかない。そう自分に扶桑は言い聞かせた。

 

 

「大丈夫でしたか? ……あまり無理はしないでください」

部屋から出るなり、心配そうな顔をした永末が駆け寄ってくる。

 

「心配してくれてありがとうございます」

少し体が怠いがだいぶ体調も戻ってきている。なんとか笑顔を見せる。

 

「私は扶桑さんに無理をさせたくないのです。……艦娘の居場所なんてどうでもいい。そんなことを知るために貴方が苦しむ姿なんて見たくはないのです」

こちらをじっと見る彼の顔は本当に苦しんでいるように見える。

「けれど、……けれどすみません。今の私には貴方を護る力が無い。たとえ貴方が苦しむ事になろうとも止めさせる事ができないのです。許してください、こんな無能で無力な私を。貴方の記憶を取り戻す事で消息を絶った艦娘の居場所を知り、それを報告する事で自分の地位を維持しようとするゲスな情けない私を」

彼の瞳からは涙がこぼれ落ちていく。呻くように許してください許してくださいと口走っている。

扶桑は哀れみの瞳で彼を見てしまう。かつて鎮守府においてはナンバー4の地位にあった永末からは想像もできない姿だった。あの頃は自信に溢れ、やがて訪れるであろう栄光の未来を信じていたはずなのに。今やその姿にはかつての彼はいない。どれだけの困難が彼の心を折り、プライドを踏み潰したのだろうか。けれど扶桑はいつしか気付いていたのだ。彼はまだ完全に負けたわけでは無く、決して諦めていない事を。心の深い深い場所にまだ希望を持っていて、逆転のチャンスを待っていることを。

 

「お願いです。今は耐えてください、扶桑さん。きっと、きっと私が貴方を救い出して見せますから。その時まで、希望を捨てないでください。私はきっと貴方を護って見せますから」

涙をぬぐいながら訴えかける永末の瞳の奥には未だ希望の炎があることをはっきりと見た。

 

「はい。私はあなたを信じています」

できる限り優しい笑顔で彼に微笑み返す。自分の笑顔、彼に対する期待がどの程度、永末の心の活力になるかは分からないけれど、自分ができるだけのことは彼にしてあげたいと考えている。

「あなたのお役に立てることは私にとっても望むべき事です。ですから、私をあなたのために役立ててください。そして、私を救ってください」

その言葉を聞いた途端、永末の表情が和らぎそして瞳の奥の炎が力強く燃え上がるのを扶桑は確かに見た。

永末は大きく頷くと、扶桑を強く抱きしめた。

 

その時だけは、扶桑の心から迷いも消えていた。

 

 


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