まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

119 / 255
第119話 交錯する想い

今更だけど、車椅子に乗った状態で扉を開けるのって相当難しい。ドアノブを持ってドアを前方へと押し出す事が上手くできない。慣れていたら扉を開けながら隙間に車椅子を潜り込ませる事ができるんだろうけど、車椅子がドアに当たってしまう。執務室の扉は割と重厚な造りだから電動椅子の力だけでは押し開けることができないんだ。逆に重みで廊下に押し返されてしまう。

 

「うう……」

いつもだったら、加賀や高雄が開けてくれていたから気にもしていなかったけれど、これは相当に厄介なことだぞ……。

執務室に入ることもできずに、廊下でモタモタしているところを誰かに見られたら目茶苦茶恥ずかしいぞ。加賀なんかに見つかったら鼻で笑われそうだ。「ふふ、……やはり。私がいないと何もできないでしょう?……」って勝ち誇った顔を浮かべる加賀の姿が目に浮かぶ。

 

「くっ、それはいかん! 」

冷泉は焦りながらも何度もドア解放イベントにチャレンジする。何度も何度も。しかし、まともに動くのは右腕のみという己の過酷な状況。ドアすらまともに開けられないという現実に直面し、自分のこれからの未来さえも思いを馳せてしまい、不安になってしまう。

「お、俺は、こんなことすらまともにできないのか。くそっ……こんなんで艦娘達を守れるっていうのか……。うおおお、俺は、俺は……なんて無力なんだ」

絶望に打ちひしがれ、そのまま地面にへたり込みそうになる。

「ははは。そうだ、おれはへたり込むことすらできないんだった。なんて情けない体なんだろう。それすらできないなんて、……な。動けよ、動いてくれよ。なんで言うことを聞いてくれないんだよ」

悔しくて悔しくて、けれどどうすることもできなくて、その無力感で涙が溢れ出しこぼれ落ちそうになる。

この気持ち、一言で言うならば、情けないとしか言いようがない。いつもなら、艦娘の誰かが側にいるからなんとか強がっていたけれど、一人になってこの現実を見せつけられると、やっぱり辛くて我慢できなくなる。とにかく耐えられなくなるのだ。

打ちひしがれて呆然と執務室に立ちはだかる扉を見つめるしかできない冷泉。急に視界が狭まり、暗闇に取り込まれているような錯覚を感じる。

 

しかし、唐突にその扉が開かれる。

「もう! さっきから五月蠅いネー! 」

勢いよく開かれた扉の向こうには、窓から差し込む夕日を背に立つ金剛の姿があった。

「さっきからドアの向こう側でドカドカン五月蠅いし、ドアがちょっと開いたと思ったらすぐに閉まるし。一体、なんなんデスかー! ここは提督の執務室デース。もっと静かにするネー」

怒った顔の金剛がこちらを見る。そして、原因者が冷泉であることに気づくと一瞬凍り付いたような顔をしたが、すぐに

「テートクー、どうしたの? 」

と笑顔で誤魔化す。そして、すぐに冷泉の異変に気づいた。

「どうしたの? テートク。何で泣いているの? 何かあったんデスか」

 

「う、ううん……」

自分が泣いている事を知られた事実に、冷泉は動揺する。慌てて服の袖でそれを拭うと、努めて明るい声を出そうとする。

「な、……何を言ってるんだよ、金剛。俺は泣いてなんていないよ」

 

「そんなこと無いネ。今、凄く辛そうな顔してたよ」

心配そうな顔でこちらを覗き込んでくる。

 

「さっき、外で目にゴミが入った気がしてたんだよなあ。それが原因かもしれないな」

必死に誤魔化そうとする。それが空しい嘘であることは言ってる本人が一番理解しているのだけれど。こんなつまらないことで彼女を心配させるわけにはいかない。

精一杯の作り笑いを浮かべて彼女を見つめる。

 

次の刹那、衝撃を感じたと思うと顔面に何か柔らかく弾力のあるものが押しつけられ、視界が真っ暗になる。冷泉の頭を強く抱きしめる力を感じる。

「テートク、そんな嘘言わなくていいネ。テートクは、無理ばかりしすぎ。いつもいつも肩肘張って強がってばかりじゃ疲れちゃうネ。辛いときは辛いって言って欲しいよ」

すぐ側で金剛の声が聞こえてくる。

そして気づく。自分が彼女に抱きしめられていることに。先ほどから圧迫してくる存在は彼女の胸であることに。

「こ、金剛……」

抵抗しようとしても強く抱きしめられて身動きが取れない。

 

「言って欲しいネ。提督が何で泣いていたか。私だけで構わない。提督はいつも私達を励ましてくれるばかりで、みんなの前だといつも強い存在でいようとしているネ。弱みを見せないように無理ばかりしている。そんなんじゃ、きっと保たないヨ。私なんかじゃ役に立たないかもしれないけど、話すことできっと楽になるはずデス。いつも一緒にいるのに、テートクの事を何にも知らせてもらえないなんて、私も辛いヨ」

彼女の優しさが冷泉を心配する気持ちが伝わってきて、少しうるっと来た。彼女の優しさだけでなく、柔らかく暖かい香りも冷泉に伝わってくる。物理的にそして精神的にも包み込まれる感じで安らぐのを感じる。

 

「そう……だな」

少しくらい弱音を吐いたっていいだろう。冷泉は思った。

冷泉が話してくれることに気づいたのだろう。金剛が冷泉から離れ、こちらの目線に合わせた高さになる。少し距離が近すぎて照れてしまうが仕方ない……か。

「さっき、お前も見ただろう? 俺一人ではドアすらまともに開けられない。それだけじゃない。こんな体になってから、俺は日常生活のほとんどを一人ではできなくなってる。誰かに頼らなければ数日も生きられないだろう。そんな俺が、お前達艦娘を護るなんてできるのかって思ってしまったんだ。お前達に空手形ばっかり切って、はたして約束をはたす事なんてできるんだろうかって。そう思った瞬間、どうしていいか分からなくなってしまったんだ。……そんなこと、最初から分かっているっていうのにな。それを分かった上で何とかしようと決心したっていうのに、ちょっと辛いことがあると気持ちが揺らいでしまうんだ。ははは、何て弱い奴なんだろうな。こんな奴がお前達の司令官をやってるんだから、驚きだ。くそっ」

冷泉は感情の高まりを抑えきれず、自分の膝を力任せに殴りつける。鈍い音がするほどの勢いで殴った右太ももからは何の痛みも感じない。それどころか触れた感覚すらない。殴った右手のほうが痛いくらいだ。

「くそっ」

冷泉は再び呻いてしまう。

 

「テートク」

金剛がこちらをじっと見つめてくる。いつもと違う真剣な顔だ。

「誰だって弱いんデス。それはちっとも恥ずかしい事じゃないネ。私だって加賀だって、扶桑だって明日どうなるかっていつも不安なんだよ。戦場では怖くて怖くて足が震えて仕方ない時だって何度もあったんダヨ。逃げ出したくて仕方ない時もあった。みんな死ぬのが怖いからネ。幾人もの仲間の死を見てきたから、その現実を受け入れたくないのは軍艦としては失格かもしれなけど、こればっかりは仕方ないんだよネ。怖いんだもの。でも、……でもね、テートクがいつも私達の側にいてくれる。近くで励ましてくれる。あなたが私達をきっと護ってくれる。護るって言ってくれた。とても、嬉しかった。あなたがいてくれるから、私は強くあれるんダヨ。たとえどんな運命が待ちかまえていたとしても、テートクが側にいてくれるって思ったら何も怖くないんだ。一人じゃ無理だけど、あなたがいてくれるからがんばれるネ。他の艦娘も同じ気持ちだよ。だから、テートクも信じて欲しいネ」

そう言って、金剛は微笑む。夕日が背後から彼女を照らしだし、まるで後光がさすような神々しさだった。

 

「テートクができない事があったら、その時はみんなで支えるネ。私達を信じて欲しいネ。どんな時だって、私達があなたの側にいるって事を。一人じゃないってことを。あなたが私達の側にいて、護ってくれるように……どんな時だって側にいるから」

すこし瞳を潤ませて見つめてくる彼女は、とても綺麗で、可愛くて……。そんな彼女は冷泉の直ぐ側にいて、手を伸ばせば届く距離にいるわけで。抱きしめそうになる衝動を感じ、必死にその感情を抑えようとする。

 

「こ、金剛……」

じっと彼女の顔を見つめ声を発する。思わず声が掠れてしまう。

 

突然、弾かれたように金剛が立ち上がる。

「さ、さて。これで、もうテートクは大丈夫デスネ! 」

素早く一歩後退して、冷泉との距離を取られてしまう。

両耳を真っ赤にしてモゴモゴした口調で、冷泉に次の言葉を出せないよう、更に金剛が言葉を続ける。

「と、いうわけで湿っぽい話は、もうお終いネー。次の話に行きましょう」

 

「ふ……そうだな」

冷泉もちょうどいい切替のきっかけを貰ったということで、気持ちを切り替えることにした。これ以上、さっきの話題に触れない方が双方にとって良さそうだ。

「じゃ、金剛、お前何してたんだ? 」

話題を切り替えるにしてもあまりに唐突な質問ではあるものの、何もなければ真っ先に訊いたであろう言葉を声に出す。

 

「うーん。それ、ちょっと唐突だけど、まぁ仕方ないネ」

少しだけ不満を残しながらも、金剛もその話題に乗ることにしたようだ。

「実は、テートクを待っていたんだヨ」

 

「ん? 話だったらいつだってできるだろう。……そもそも、今日はお前の姉妹艦である榛名が着任する日だぞ。出迎えに来てると思ってたぞ。彼女もそのつもりだったみたいで、お前がいないことに少しショックを受けてたみたいだけれど」

姉妹艦というのが実際にどういう関係にあるのかは、よく知らない。艦隊これくしょん及びその派生作品では姉妹のように話していたけれど、実際の世界ではどのような関係性なのかは謎だ。

 

「本当はもっと前に話たかったんだけど、テートクには、いっつも加賀が張り付いていたからネ。テートクだけに聞いて欲しかったから、そんな時間が今しか無かったンダヨ。それに、このことは榛名にも聞かれたくない事だからね。で、私がいなかったら、きっと榛名の案内は加賀がすることになるだろうから、……執務室で待っていたら、きっとテートクが一人やってくるって思っていたネ、。騙した訳じゃないけど、榛名には悪かったかもね。でも、こればかりは仕方ないネ。あとで謝っておくから心配いらないネー」

冗談ぽく舌を出して笑ってみせる。……あまり反省はしていないらしい。

 

「やれやれ……だな。そんな事までして俺に話したかった事ってなんだ? 」

呆れたように冷泉が彼女を見た。

 

「うん……えっとね。何をお願いしたかったっていうね、提督には、とにかく榛名に対して優しくしてあげてほしいの」

 

「は? 優しくするってどういうことだ」

突然の話に、唖然とした表情で金剛を見てしまう。彼女の願いの意図するところがまるで分からなかった。

 

「話は、少し前に戻るんだけど……」

少し考え込むような素振りをしながら話し始める。

「榛名が呉鎮守府に旗艦として迎えられる話が来た時、彼女は本当に喜んでいたの。自分みたいな艦娘が旗艦として迎えられるなんて信じられないですって。その時、私は舞鶴鎮守府にすでに配属されていてたけど、旗艦は扶桑で私はNo.2の位置づけだったんだけど。大抜擢に本当に嬉しそうにしている榛名を見て、私もすごく嬉しかった。彼女はもっともっと嬉しかったはずネ。多分、一番幸せだった頃かもしれない。……鎮守府旗艦は、とても責任重大で仕事も多岐にわたるから多忙を極めるけれど、とてもやりがいがあるし、まじめに物事を進める性格の榛名なら、きっとうまく勤められると思っていたネ」

こちらの世界の榛名がどんな艦娘かは知らない冷泉ではあったが、これまでの経験からゲームの性格をこちらの世界の艦娘も継承しているのはほぼ間違いない。そうなると、榛名も控えめで礼儀正しく、朗らかな女の子であることは間違いない。そんな子なら、きっとみんなと仲良くやれるだろうし、仕事だって戸惑いながらもこなすだろう。

しかし、金剛の表情は曇っている。

「どうかしたのか? 榛名は真面目そうだし、向こうでも任務を全うしていたんだろう? 」

と、思わず問うてしまった。

 

「うん。私もテートクが言うように何の問題も無く過ごしていると思ってた。でも、それほど経たない内に、彼女の置かれた境遇が想像以上に過酷であることを風の噂で聞くようになったネ」

 

「え? どうして」

思わず声を上げてしまう冷泉。

 

「……当初の呉鎮守府の目的は、領域に取り込まれたままの四国の解放、それから太平洋の領域解放へと進撃して行くはずだった。でも、ある時、瀬戸内海海底に唐突に領域へのゲートが発生したの。その発生は、あの関西地区三大都壊滅とほぼ時期が同じで、核攻撃の影響でゲートが発生したのか、ゲートが発生した影響で関西三都で動乱が起こったのかは未だに解明されていないみたいネ。ちょうどその頃、地震が関西地区に多発した影響も関係しているのかもしれないけれど……それは解明されていないネ」

扶桑から聞いていた、大阪・京都・神戸の壊滅と瀬戸内海における深海棲艦の出現と関係があったなんて聞いてなかったから、冷泉は驚きを隠せない。

 

「そして、解放済みだった海域が領域と繋がってしまった事で、そこから現れた潜水艦により、それまで重要な輸送手段とされていた海上輸送は壊滅的な打撃を受け、多大な損害を日本国は受けてしまった。同時に護衛に当たっていた呉鎮守府艦隊にも甚大な損害が生じてしまったネ。敵が潜水艦となったことで、呉鎮守府にいた戦艦、正規空母などでは今後の戦闘の役に立たないため、沈没を免れ損傷で済んでいた艦娘達は余所の鎮守府へと異動させられることになったの。そして、その代わりに他の鎮守府から応援として、対潜水艦戦闘に適した軽巡洋艦、駆逐艦、軽空母が補充された。ほとんど総入れ替えに近いほどの改変が行われた呉鎮守府だけど、そんな中でも、旗艦である榛名だけはその立場上、異動させることもできずに一人取り残されて、活躍の場を奪われたままの日々を送ることとなってしまったネ」

 

「それはあまりに辛いな。寂しいだろうな。けれど、榛名だって余所の鎮守府に異動させれば良かったんじゃないのか? 」

 

「もともと責任感の強い彼女は、自分が何とかしないとって思ったんだろうネ。異動希望を出さなかったの。あの子は根が真面目でおまけに少し頑固なところもあるから、自分で何とかしようと努力に努力を重ねたみたいだけど、対潜水艦能力が皆無な戦艦では、どんなに工夫をしても努力もしても結果は伴わなかったみたい。通常海域なら、対潜水艦ミサイルや様々な武装で攻撃できるケド、敵が現れるのは半領域化した海域のみなの。敵が進軍してくる時には、領域とともに現れるて来るんだから。だから、あらゆるハイテク武装は役に立たなくて、ほぼすべての電子機器が使用不可となるため旧式の兵器で戦うしかなかった」

 

「そんな状況じゃ、戦艦はどうしようもないじゃないか」

 

「そう。彼女は、ただただ大きいだけの標的になるしかない」

辛そうに金剛が呟く。

「それだけじゃないネ。出撃しても被弾するだけで資材を消費するだけの戦艦なんて、ただの役立たずだと陰で言われてたみたい。人間どころか、同僚の艦娘にさえ陰で批判され、心痛める日々が続いていたのは遠くにいた私にも聞こえてきていたネ。榛名がどれだけ心細く辛かっただろうネ。でも、私は何もしてあげられなかったの。彼女の悲しみ辛さを分かっていたけれど、自分は何もできない、ごめんねごめんね。そう思うだけで何もせず、現実から目を逸らすしかできなかったネ」

彼女はまるですべての責任があるように自分を責めている。姉なのに、妹が困っているのに何もしてやれなかった。榛名が彼女に助けを求めていたかもしれないのに、答えることさえできなかったことを。

 

「なあ金剛。でも、それは仕方ないことじゃないのか。だって、鎮守府司令官ですら余所のやり方に口出しするのはタブーとされている事だ。そんな状態なのに、艦娘が余所の鎮守府に口出しなんてできるはずがないだろう。お前が悪い訳じゃない。それに、榛名が呉から出されなかったのは、鎮守府としては彼女を必要としていたのかもしれないだろう」

気休めかも知れないが、そうやって慰めるしかできない。

 

「分からない……。私には全然分からないネ。何で戦力と計算できない榛名が残されたままだったのかは……」

不思議そうに語る金剛。

 

一瞬ではあるが嫌な事が頭の中に浮かんでしまった。

榛名は軍艦としてだけでなく、艦娘としても魅力的だ。それが原因で、まるで薄い本のような理由で確保されていたのでは? などという考えが閃いたのだ。それは唾棄すべき浅ましくおぞましい考えだ。たとえ、役立たずの軍艦だとしても、艦娘としての榛名は、可憐で一途。そんな子を側において愛でようと考える提督もいそうだ。実際、あれほどの美貌を持つ艦娘だから、その欲望を抑えられない提督もいるかもしれない。戦力としては計算せず、夜の生活にのみその価値を見いだす。……艦娘としては最悪の選択だろう。

 

しかし、呉鎮守府の司令官である高洲の顔を思い出し、すぐにそれは無いと断言できた。

何故なら、横須賀鎮守府で出会ったときの彼は、すでに男としては枯れたような雰囲気すら漂わせていた。話した感覚としても、彼にそんなゲスな欲望があるとはとても思えなかったからだ。年齢的には、すでに定年退職してもおかしくない年齢だ。そして、彼から発せられていた雰囲気は、すでに悟りを開いたような感じだった。そんな彼からしたら、艦娘なんかは孫娘みたいなものだろう。

故に、高洲提督が薄汚れた欲望で榛名を囲うとは、冷泉には想像もできなかったのだ。

 

おそらくは、榛名の熱意にほだされて、切り捨てることもできずにずるずると鎮守府に残してしまったのが本音だろうと分析する。

それに現実的な問題も彼の判断を鈍らせたと考える。旗艦である彼女を出すということは、それ相応の理由が必要なのは当然だ。能力不足、対応力不足など、ネガティブな原因がなければ出す事はありえない。どんな理由を見繕っても、世間からの印象は良くない。後々の彼女の立場が悪くなるだけだ。故に何か外的要因が無ければ、自分からは榛名を出すつもりがなかった。出せなかったのだろう。

 

そんな思考を続ける冷泉をよそに、金剛は言葉を続ける。

「榛名はずっと自分を責めてばかりで、あの子は本当は優秀なのに、高い戦闘能力を持っているのにその活躍の場を得ることができずに、ずっと燻ったままだったネ。適材適所なんて事を全く考えずに戦果を上げられない自分の能力不足を責めるばかりで、責任を他に転嫁しない、違うネ、できないその性格のまっすぐさが余計に彼女をずっとずっと苦しめていたと思う。そして、それを誰に指摘されることもなく、相談できる相手も無く、仲間だった艦娘達はみんな先に余所の鎮守府に異動させられていたから、打ち明けられるような仲の良い艦娘も居なくなってしまっていた。……ホント辛かったと思うんダヨネ」

少し潤んだ瞳で冷泉を見つめる金剛。

「だから、……だから提督にお願いするね。榛名は今、自分が新しく着任したこの鎮守府の役に立てるか、みんなに受け入れられるか、とても不安な気持ちだと思うんだネ。ううん、提督ならこんなこと言わなくても分かってくれると思うけど、それでも姉として、どうしてもお願いしておかないといけないって思ったから。……だから、ここで待っていたヨ。今まで榛名に何もしてあげられなかった駄目な姉だけれど、せめてここが彼女にとって居心地の良い場所だって思っ欲しいの。そのために少しでも力になりたい」

そして彼女は深々と頭を下げる。

「だから、お願いします、提督。私からのお願いを聞いてください。榛名はまじめで優秀な子だから、絶対、うちの鎮守府の役に立てると思います。ただ、これまでの彼女の置かれた立場のせいで、ずっと自分を卑下しつづけ、自らを責め続けいたせいで自信を完全に無くしていると思うの。そんな状態だから、いきなり彼女の能力のすべてを出せるとは思えない。だから、少しだけ猶予して欲しいんです。長い目で榛名を見守ってください。彼女が本来の力を発揮できるまでは少し時間がかかると思うし、上手くいかないことがしばらくは続くと思います。けれど、少しでいいから、見守って欲しいんです。彼女ができない部分は、私がなんとかフォローするから。だから、彼女を見捨てないでください。お願いします」

珍しく真剣な表情、真剣な言葉遣いの金剛を見て、少し驚いてしまう。普段はぼんやりしていてマイペースなのに、こんなに真面目な事も言えるのか。

それだけ妹の事を心配していたわけなんだろうけど。普段の暴走気味の性格の陰にこんなまじめで妹想いな部分もあるんだなと驚く。

そんな金剛の別の一面を見られて、少し嬉しくなる冷泉。

 

「お前は優しいんだな。……大丈夫だよ。そんなの、わかってるさ、安心しろ。榛名の事は悪いようにはしないから」

そう言うと、冷泉は金剛の頭を優しく撫でてやる。

「うん」

嬉しそうに目を閉じて冷泉のされるがままにしている金剛。

 

「けれど、榛名の問題点はメンタルだけじゃないかもしれないぞ」

と、冷泉は一つの不安を口にする。金剛は不安そうに冷泉を見返す。

 

「彼女の状態を、本人も艦も両方なんだけれど、さっき見たんだ。はっきりと言わせて貰うと、とても整備が行き届いた状態とはいえなかった。前の鎮守府での彼女の立場的なものもなんとなくだけど理解したつもりだ。けどな、俺から見たら、あまり大切にされていたとは思えない感じだったよ。加賀が言うには、舞鶴鎮守府の艦娘が特別待遇されているだけで、榛名が別に冷遇されている訳じゃ無いって言ってたけど、例え資材や資金が無かろうとも、もっとやりようがあったはずだと俺は思っている。榛名は自分が望んで修繕を先送りして貰っていたと言っていたけど、それでも、もっとやりようがあったはずだって俺は思っている。実際、あの修繕やメンテナンスは少し酷いな。徹底的に修繕を行うように指示したけれど、きちんと稼働できるまで少し時間がかかるかもしれないよ」

悪意を持って榛名の処遇を行っていたとは思いたくないが、冷泉は少しだけではあるものの、榛名の上司である高洲提督に苛立ちを感じていた。

欲望が枯れたような温厚な雰囲気を醸し出していたけれど、部下の状態に対しては、あまり気が回らない人物なのかもしれない。つまり、単にいい人というだけのタイプなのかもしれないなと感じていた。

戦闘指揮能力については司令官の地位にあるくらいだし、その積み重ねた年齢から来る老獪さを持った策士なのだろうとは思うけれど。

けれど、艦娘に優しくできない奴とは理解しあえないだろうな。最終的な評価はこうだった。

「けれど、艦がドッグに入っている間にうちの子達といろいろ話したりする時間もできるだろうし、それで少しは気分が紛れるかもしれないな。そうなればいいんだけど」

 

「うん。きっと上手く行くと思うヨ。うちの子は良い子ばかりだからネ。それから、テートク、もし必要なら、私に使う資材や資金をその分、榛名に回してあげて欲しいヨ。うちだって裕福な鎮守府じゃないんだからネー。うちが無尽蔵に使えるような資材と資金があるなんて誰も思っていないから。貧乏なのはよく分かってるもんネ」

 

「おいおい割とズバッと言うな。まあ間違いではないけれどな。んでも、新たに戦艦を手に入れた事で、作戦展開についてもだいぶ巾ができる。人材が豊富になると、無理な作戦を考えなくてすむから、俺にも艦娘にも有利に働くんだ。余裕ができれば、戦闘も楽になり、領域

解放もスムーズにできるだろう。そうなれば、報奨金的なものも出されるから、そんなに気にする必要はないぞ。今だって、だいぶ当初より余裕が出てきているんだからな。榛名を治すくらい、今の俺にはどうってことないんだぜ」

流石に、戦艦長門を再建造するほどの資金は無理だけど。長門型戦艦が復活すれば、本当に強くなるんだろうなあ。

修繕と建造では使う資材資金の桁が違うから、現状の舞鶴鎮守府の資金力ではまだまだ無理なんだけど。

 

「じゃあ、お願いするネ。榛名は今、自信を無くしていると思うの。だから、まずはそこから始めて、徐々に昔の榛名に戻って貰えたら嬉しい。そのためには、提督にも協力してほしいネー。艦の修繕や改装は資金と資材があればできるけれど、心の修復は人の優しさでなければできないもんね。提督が彼女に優しくしてくれたら、きっと癒やされると思いマース」

 

「俺は艦娘には優しく接しているはずなんだけどなあ。当然、榛名に対してだって同じだよ」

 

「みんなに優しくするのはいいけど、提督の一番は私なんだからネ。まあ、榛名に浮気するのは構わないけど、本気にさせたら駄目なんだからね。テートクは私の旦那さまなんだから」

 

「あ、その言い方って、なんだか島風のニセ物みたいだなあ。……あー、はいはい、わかりましたよ」

 

「あー! ひっどーい。おまけにすっごい適当な言い方、凄く気分悪い~」

冗談ぽく頬を膨らませて怒ってみせる金剛。なんだかんだいいながら、妹の事が心配だったのがよく分かる。いつもは何も考えてない

ような感じでいるけど、やはりお姉さんっぽいところもあるらしい。そんな一面を見て、何だか彼女の新たな一面を知った気分になって

嬉しくなった。

 

「まあ、本気か嘘か分からないけれど、今のお前の言葉は結構嬉しかったぞ」

冗談めかして本音を語る冷泉。何故か金剛は恥ずかしそうに頬を赤らめているけど。

 

榛名も守るし、金剛も俺が守る。

何度も思うけれど、またそんなことを思った。

 

「安心しろ、金剛。過去にどんなことがあったかは分からない。けれど、舞鶴鎮守府に来たからには、榛名は俺の大切な部下だ。

俺のすべてをかけても彼女を護るよ。きっと彼女に笑顔を取り戻させてみせる。二度と悲しい思いはさせない」

 

「か、格好良いネー。テートク、これ以上テートクの事を好きにさせないでえー」

両腕で自らの体を抱きしめるような仕草をし、潤んだ瞳をキラキラさせながらこちらを見つめる金剛。ふざけてやっているであろうその姿も、とにかく可愛いのだ。ああ、どうして俺の周りにはこんな可愛い癖して、俺なんかに好意を隠そうともしない女の子が多いのだろう。本当なら嬉しい事なのに素直に喜べない現実がすぐそこにある。きっと意図せずに与えられた偽りの地位がもたらす福音なんだろう。

またネガティブ思考に填まりそうになる自分を諫める。駄目だ駄目だと必死に気持ちを切り替えようとする。

 

「テートク、何をぶつぶつ言ってるネ? どこか調子悪いの? 大丈夫? 」

不思議そうに、金剛が無防備なまま顔を近づけてくる。

右手を伸ばせば肩に手が回るくらいの近さだ。そのまま引き寄せれば、抱きしめることさえできてしまう距離感。おそらく、さっきはタイミングが悪かったからするりと逃げた金剛だけど、今度は冷泉がそうしても彼女は抵抗しないだろうな。

 

けれど―――。

 

やっぱり、そんなことできない。そんなことしちゃいけない。別の自分がブレーキをかける。

 

「だ、大丈夫だよ。金剛が変なこと言うから、少し驚いただけさ」

わき起こる感情を振りほどくように、冷泉は引きつった笑顔でそう答える。

 

「変な事じゃ無いネー。私、わりと本気なんだけどなあ」

彼女はさっと身を退くと、後ろで両手を組んだまま、ニッコリと微笑む。

「まあ今日のところはこれくらいにしておくネー」

 

そうだ。それでいいんだ。この距離感でいいんだ。これ以上近づいたら、きっと何もかも失ってしまうに違いない。このままでいいんだよ。

 

「さて、あんまり遅くなるとみんなが心配するぞ。今日は、榛名の歓迎会があるらしいからな」

 

「そうなの? じゃあ急がないといけないデース。私がテートクの車椅子を押してあげるネ。最大戦速でぶっ飛ばすですヨ」

 

「うわ! やめれ。また死にかけてしまうじゃないか」

怯えたような声を上げる冷泉を無視して、金剛が車椅子を加速させる。

「おあ、おえ、危ない危ない危ない」

無抵抗な冷泉は金剛のなすがままにするしかない。カーブを曲がる度にオーバースピードでコースアウトし、勢い余って何度か壁にぶつかりながらも進んでいく。わりとこの女、わざとやってるんじゃないのか? と彼女の本心を探りたくなる。

きゃっきゃっきゃいいながら間宮のほうへと向かう。

途中、疲れたのか金剛が停止する。

なんとか止まったことでほっとする冷泉。

「はあはあはあ……金剛、いやマジで殺す気かよ。お前、わりと命削りに来てるだろう? 」

 

「そんなことないね。私は常に提督の事だけを考えてるもんね。二人きりになれる時間が少ないから、そんな時間をもらってしまったら、バーニングラーブね」

そう言って車椅子を揺さぶる。激しい振動で揺さぶられると本気で吐きそう。

 

その時、背後から声が聞こえた。

「……なんで、いつもいつも姉様ばかりなの? 」

凍り付くような冷たい声だった。ギョッとして冷泉が車椅子を動かして振り返ると、そこには榛名と加賀がいた。鎮守府の案内を終えたのだろう。

 

「Hey! 榛名ー!! 」

金剛は妹の存在に気づくと冷泉を放置して、駆けだしていく。笑顔で妹の側まで行くとハグして再会を喜んでいる。

 

「まったく……自分勝手に行動ばかりする人なんですから」

呆れたように言いながら加賀が冷泉に近づいてくる。

「自分の司令官を放置して、妹の所に行くなんて……。それなら、最初から迎えに来ればいいのに。……やれやれですね」

そう言うと、彼女は冷泉の車椅子の後ろに回り込む。

「お疲れだったね。榛名へのレクチャーは完了したんだろ? 」

 

「はい。無事鎮守府のシステムをお伝えしましたよ。彼女……真面目な子ですね。些細な事でも本当に真剣に聞いてくれるので、こちらまで緊張してしまいました」

と、答える加賀の声は平坦ではあるものの、榛名に対しては悪い印象は持っていないようだ。

「それにしても同じ姉妹なのに、あそこまで性格が違うんですね」

ぼやくように加賀は言うが、金剛だってわりといろんなことに気を遣ってるんだぞ。けれどそれを言うと金剛に怒られそうなので止めておく。

 

「ところでさ、さっき俺たちを見つけた時、榛名は何か言ってなかったかな? 」

あの凍り付くような言葉は幻聴だったかもしれないと思い、確認のために加賀に問いかける。

 

「いいえ。彼女は何も言っていませんでしたよ。……ふう。提督、あなた、また自意識過剰の発作が起こったんですか? いい加減、精密検査をお受けになった方が良いのかもしれませんね」」

さらりと返され、聞こえたのは自分だけだったことが判明した。余計な事も聞かされて、少しショックを受けたが。

 

あれは、何だったんだろうか。誰の声だったんだろうか。

 

何か嫌な予感しかしないけれど、これ以上原因の究明は無理なんだろうな。

たぶん、幻聴なんだろう。

そう思うことで、さっきのことを意識の隅っこへと追いやるしかできなかった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。