港に到着すると、沖より港へ近づいて来る艦影が見えていた。
舞鶴鎮守府は舞鶴湾の中にあり、湾は北の日本海に対して「人」の文字の形の湾を形成しており、東と西に別れている。湾内に民間船が利用することは無く、舞鶴鎮守府艦隊がその全てを使用している。また、海に面した1km弱の舞鶴湾の入口は、防波堤および艦船の出入口として建造されたゲートによって封鎖され、深海棲艦の侵入を防止している。
冷泉がいる港は舞鶴湾の東側にある方で、こちらには鎮守府司令部があり、ドックもある。主に主力艦隊となる艦船が係留される目的で使用されており、今は、正規空母加賀、戦艦金剛と扶桑、重巡洋艦高雄および羽黒、そして、軽空母祥鳳が係留されている。巨大な艦船が並ぶその光景はまさに壮観である。
そこに、さらに戦艦榛名が並ぶわけであるから、冷泉もその光景を浮かべて感慨深くなる。
新しくやって来る艦娘を迎えるため、多くの整備員が既に港に集まっており、港は出撃前や帰投した際にも似た賑やかさがあった。
人混みの中には数人の艦娘の姿も見える。彼女達も新しい仲間を出迎えるつもりなのだろう。共に命を預けて戦う戦友となる艦娘だから、気になるのは当然と言えば当然だろう。
やがて数隻のタグボートに曳航されながら、戦艦榛名の巨大な艦影が近づいて来た。ゆっくりと姉妹艦の金剛の隣に確保されたスペースに着岸される。
着岸と同時に係留作業に多くの人が取りかかり、騒々しくなる。
遠巻きに基地職員も見守っている。そんな中、いくつもの車両が近づいて停車すると慌ただしく人が降りてきて、荷物を下ろしたりクレーンを操作したりと作業を始めている。
「外観は金剛と似ているんだなあ」
と当たり前の事を口にする冷泉。
「そうですね。姉妹艦と言われるだけに、艦船に詳しくない人でしたら、彼女たちは同じ形に見えてしまうでしょうね。……一応、補足説明しますと、後部檣楼と主砲形状が違うんですよ」
背後で車椅子を押す加賀の声。説明をしてくれてはいるのであるけれど、さらりと毒を吐いてる。
ちなみに冷泉は首から上は動かすことができるが、あくまで首から上が動くだけであり、後ろを振り返って彼女を見ることはできない。だいたい90度くらいしか見えないわけなのだ。
「ぎぇ?……」
唐突に冷泉は声を上げてしまう。
「どうかしましたか? 何か蛙を踏んだような音がしましたが」
変な声を上げた冷泉を心配してか、加賀が顔を近づけてくる。背後からほのかに漂う加賀の芳香が鼻をくすぐる。
「いや、何というか……。お前が説明してくれた外観上の違いはともかくとして……だな。近くで見ると、彼女たちは、ずいぶんと違うんだな」
と、思わず口に出してしまう。
それは横に並んだ艦が姉妹艦の金剛だから余計に目立ってしまったのだろう。
舞鶴鎮守府の艦は、冷泉の指示で常にきちんと整備されており、良好なコンディションを保っている。本来なら戦闘に影響のない程度の損傷なら放置していると整備員に言われたが、少々の金・資材ならケチケチせずに使って補修するように厳命した。外観も常に見栄えがするように整えるようにとも指示している。
やはり、女の子なのだから、常に綺麗にしておかないといけない。それが艦娘にしてあげられる精一杯の事でしかないのだから。
故にピカピカに磨き上げられ整備された金剛との対比で、姉妹艦であるはずの榛名の、みすぼらしさが一層目立ってしまっていたのだ。
榛名は戦闘によりあちこち損傷しているのにその状況が放置されたままであり、さすがに重要な箇所については補修されているものの、それは適当な鉄板を溶接されたかのように本当に応急処置レベルで放置されていたのだ。おまけに艦はいろんな汚れで黒ずんでいるし、あちこちに錆が目立つ状況。とてもじゃないが鎮守府艦隊の旗艦とは思えないほどの状況で、少し寂しささえ感じてしまった。
「提督、確かに整備は行き届いていないかもしれませんけど、鎮守府にはそれぞれの理由があることを忘れないでください。……彼女がいた呉は過酷な戦場での戦いが日常だと聞いています。故に、資材は貴重。敵は潜水艦が主とした艦隊編成です。当然、対潜水艦能力の高い艦娘を優先的に整備する必要があります。……それ故、たとえ榛名が旗艦であろうとも、優先順位は低くなって当然の事です。榛名は率先して戦場に出ていたと聞いています。戦艦が潜水艦相手に何ができるのかという疑問はありますが、それは彼女の強い希望があったのかもしれません。それはともかく、当然、彼女が敵の最優先撃破目標になるでしょうから、囮として活用されたのかもしれません。囮だけに損傷も多いでしょう。被弾しても彼女は自らの意志と要望によって戦場へと駆り出されたのでしょうね。それゆえ、修理が追いつかずあのような状態になったのかもしれません」
「けど、それじゃあ可哀想だ。旗艦なんだぞ。いや、旗艦だからどうこうっていう問題じゃない。女の子があんな格好じゃ、駄目だ」
「提督の優しさは、私が誰よりも知っていますよ。けれど、提督。舞鶴の子達が恵まれているだけで、とりたてて榛名が冷遇されている訳ではないのですよ。まあ、うちの子達が小綺麗にしてもらえるのが提督のスケベ心のおかげというのはちょっと恥ずかしいですが」
諭すように加賀が言う。そして、余計な事を付け足して、冷泉の心(ガラスの)を抉る。
冷泉は、何とか平静を保ち考える。
けれど、前に見た横須賀の艦娘たちは、軍艦部だけでなく、彼女たちの身なりもみんな小綺麗にしていたと思うんだけどな。その時、榛名とも対面していたけれど、その時はどんな感じだったかは残念ながら記憶にない。艦娘としての榛名は見たけれども、軍艦部の方は見ていないからな。
まあ、あの時は加賀の件でいろいろと身辺が騒々しかったから、そこまで意識は集中なんてできる状態じゃなかったし。それに、彼女はずっと高洲提督に隠れるような感じでいたからな……。他のことまで気が回らなかったといえばそれまでなんだけれど。目が合った冷泉が彼女に笑いかけると、怯えたような表情を浮かべ、目を逸らしたからなあ。あれは少しショックだったことを覚えている。
「そう……なんだろうか? 」
と言い返すしかできない。
「提督が納得できないのでしたら、早速、彼女を入渠させて、満足されるまで修理をさればいいと思いますけど……」
「無論だよ。今すぐにでもそうするよ」
冷泉はすぐに整備担当士官を呼び寄せ、榛名に対する措置を指示した。彼はいつもの事だという感じで「資材があまりないんですけどねえ」とぼやくものの、そのまま駆けて行った。
ふと視線を感じてそちらを見ると、加賀が微妙な表情を浮かべてこちらを見ていた。冷泉のと目があうと、すぐに目を逸らされたが。
どうかしたのか? と声をかけようとすると、
「さあさあ、今回のお客さんが登場ですよ。……きちんとお迎えしてください」
と、加賀に指摘される。軽い衝撃があり、車椅子の向きが変えられる。加賀が向きを変えてくれたのだが、割と乱暴。
文句を言おうとしたが、視界の先に、一人の少女がタラップを降りてくるのを捉え、それ以上の言葉が出てこなかった。
金剛と同じく巫女装束風の着物にミニスカートの少女がゆっくりとタラップを降りて来ている。腰までの長さの黒髪が風になびき、ロングブーツを履いた足がとても長く見える。
冷泉の存在に気づくと、目を大きく見開き驚いたよな表情を浮かべると、慌てたように駆け寄ってきた。
少し息を切らせながら冷泉の前にやってくると、敬礼する。
「私などのために、提督自らわざわざお迎え頂きありがとうございます。呉鎮守府より参りました、榛名です。……これからどうぞよろしくお願いします」
少し緊張気味に自己紹介すると、少し小首をかしげるようにこちらを見ると、ニコリと微笑む。冷泉は彼女の初々しさに思わず頬がゆるんでしまう。
「コホン……」
背後で咳払いが聞こえる。
「提督」
「お、おう。榛名……よく来てくれたね。舞鶴鎮守府司令官の冷泉朝陽だ。前にいた呉鎮守府とは勝手が違うかも知れないけれど、そんなときは何でも訊いてほしい。そして、舞鶴に一日でも早く馴染んで貰いたい。……俺と、俺たちと共に、深海棲艦と戦い、そして勝利しよう」
「はい! この榛名。微力ながら冷泉提督の為に頑張ります」
榛名は、そう言うと深々とお辞儀をする。
「うん」
冷泉は頷く。
なんか、真面目で礼儀正しく控えめな感じはゲームと同じだったので、少し驚きもある。まさに外見と性格は冷泉の理想に近い。正直に言うと凄く嬉しかったりする。そして、意識しないまま、彼女の全身をまじまじと見てしまう。特にエッチな気持ちで見ていたわけではない。
そして気づいてしまう。瞳は割と大きめだ。肌は透き通るように白い。髪の毛は黒というよりは少し灰色がかっているようだ。肩が露出していて、凄くエッチな感じで、目を逸らそうとしているのに、どうしても吸い寄せられてしまう。胸は金剛よりは小さいのかな……。そんなことを無意識の内に確認してしまう。
そして、背後から何やら冷たい視線を感じる。
「ゴホンゴホン」
冷泉は慌てて咳き込む。
「前にいた鎮守府は戦艦としては厳しい環境だったかもしれないけれど、ここでは本来の戦艦としての責務を果たして貰う事になるから、気持ちを入れ替えてがんばって欲しい」
慌てて誤魔化すように、榛名に語りかける。
「はい! がんばります」
冷泉が何を考えていたか想像もできないのだろうけど、元気に応える榛名。
「うんうん。頼むよ」
満足げに頷く。
「榛名さん……。少しよろしいですか! 」
後方から整備員の声がする。
どうやら、いろいろと事務手続きがあるようだ。
「提督、少しよろしいでしょうか? 」
申し訳なさそうに榛名が問う。
「うん、いいよ。行ってきたらいい。用件が終わるまで待っているから」
「はい、すぐに終わらせますので、少しお待ち下さい」
そう言うと、彼女は駆けていった。
「さて……」
艦の近くで整備員達となにやら話している榛名の姿を見ながら、冷泉は呟いた。
「どうかされましたか? 」
さっき怒ったような気配を感じさせたのに、今は冷静な口調で加賀が問いかけてくる。
「いや、さっきも言ったけど、艦の方は少し薄汚れて、なんか整備不足な感じもする。損傷している箇所も応急処置のみできちんと修繕がされていない。お前が言うように、普段なら暫定措置のままで行くこともあるのかもしれないよ。でも、今回は、余所の鎮守府に異動させるんだぞ。……いわゆる嫁入り準備さえきちんとやってくれなかったのか? 」
と不審がる冷泉。
「はっきりいえば、あまりにみすぼらしくないか? 同じ金剛型なのに、金剛と比較すると
どうみたって装備も貧弱だし、つぎはぎだらけの修理をされているだけで、おまけに薄汚く汚れたままじゃないか。あれじゃあ榛名が可哀相だよ」
「ですから、さっきも言いましたよ。鎮守府には鎮守府の事情があるのです。呉鎮守府の特殊性もあります。あそこは領域解放を行うことがほとんどなく、すでに解放済みのエリアの防衛戦を繰り返すばかりで、そこに報償となるようなものはほとんどありません。戦果があがらなければ当然、資材や資金の獲得も厳しいはずです。経済状況ではうちよりも厳しいのではないのでしょうか。そんな中、出て行く艦娘の為に自由にできるお金など、そうあるものでは無いのでしょう。その辺りは理解してあげないと……」
悟ったように指摘される。
「しかし、お前も気づいただろう? それは艦だけじゃなかった。榛名の格好を見ただろう? 彼女の服装だって、金剛はいつでも真っ白な衣装を着ているのに、榛名のは、なんだか少し黒ずんでいたし、よく見ると襟や裾まわりはほつれていた。自前で治したような、素人作業っぽいツギハギもあった。いくら何でも鎮守府旗艦で、かつ戦艦というのに、あれはないだろい。さすがに服ぐらいなら準備してやれって思うぞ」
「そ、……それは私も思いますが」
どうやら加賀もそれに気づいていたし、冷泉と同じ意見らしい。
「けれど、急な話だったので間に合わなかったのかもしれません。艦の修繕だって、戦力となる駆逐艦や巡洋艦へ回すお金が多くて、戦艦にまで手が回らなかった可能性もありますから」
「まあ、対潜水艦戦では損傷するしか無いからなあ。そこは同情すべき所はあるかもしれないけれど。とにかく、艦の修繕もそうだけれど、彼女の衣装も新調する必要はあるな。その辺りの手配は頼むよ」
「はい、了解しました」
二人がそんな会話をしている内に、榛名が戻ってくる。
「すみません、お待たせしました」
「いや、整備員との話は終わったかな」
「はい。いろいろと整備の話をさせていただきました。それで提督……」
もじもじとした態度を急にする榛名。
「どうかしたのか? 」
「あの、ありがとうございます」
「何の事だろうか」
その問いは榛名と加賀の二人に言ったものだった。
「早速、艦の全面修繕をして頂くということをお伺いしました」
「ああ、それは当然だろう。これからは艦隊戦が予想される。常に万全の状態にしておかないと、大変な事になるからね。しかし、あんな状態のままで置いておいたなんて、高洲提督は何を考えているのやら……」
冷泉の話が呉鎮守府の提督の批判に向かいかけた途端、遮るように榛名が声をあげる。
「高洲提督は悪くないのです。提督、それだけは勘違いしないで下さい。……これは私がお願いした事なんです。私みたいな役立たずの艦娘の修理なんかに、貴重な資材を使うのでしたら、巡洋艦や駆逐艦の修理や装備に使ってください、と。だから、提督が悪いわけではないのです。そこだけは誤解しないでください。お願いします。私みたいな役立たずなんて、ほどほどに治しておいても戦力としては影響ありませんでしたから。……どうせデコイとしてしか役に立ちませんから、ね」
前の鎮守府の司令官を庇うように、そして自嘲気味に榛名が語った。
少し、卑屈になっているのかな。そう思わせるような口調だ。
「……分かった。その点についてはこれ以上言及はしない。だけど、お前は今日から、舞鶴鎮守府の艦娘になったんだ。だから、これから先は、司令官たる俺の命令に従って貰うぞ」
「はい」
少し怯えたような瞳で冷泉を見る榛名。
「舞鶴では常に最高の状態で艦を維持してもらう。だから、僅かな損傷であろうとも、修理するし、違和感を感じたらすぐに報告をするように。ほんの小さな損傷が、実は大きな損傷に繋がっていることもあるからな。一人の艦娘のダメージは自分だけのものと絶対に考えるな。お前達は常にチームで戦いに挑んでいる。一人でも万全でなければ、それはみんなに影響し、ひいては全員の命にも関わるのだからな。お前一人の命は、お前一人の物ではない。それだけは忘れないで貰いたい」
そして、冷泉は加賀に指示する。
最優先で榛名の修繕を行うこと。また、武装についても、現在、搭載可能な兵器で上位互換のものがあれば、そちらに換装することを。素人目にも本来なら装備されているはずの武装が取り外されているように見えたからだ。特に領域で使用すると思われる装備については、結構外されている。そんなことでは艦隊戦になったら役に立たないじゃないのだから。
そして、こっそりと次の事も指示する。榛名の衣装を新調すること。身だしなみもみんなでこぎれいにしてやってほしいことを。
榛名は冷泉の言葉に感銘を受けたように瞳を潤ませている。ごく当たり前の事を言ったつもりなのに、彼女の中ではそれはとてつもなく嬉しい事だったようだ。
まあ喜んでくれればそれでいいのだけれど。
満足げに頷く冷泉。
ふと見ると、榛名はキョロキョロし、誰かを捜しているようだ。
「提督、すみません。金剛姉様は、いらっしゃらないのでしょうか? 」
「さっきまでいたはずですが、……何か用事ができたのかもしれませんね」
と加賀が言う。
「そうですか、久しぶりにお会いできると思ったんですが」
少し落ち込んだような声で呟く。
「まあ、すぐに戻ってくるだろう。その時に挨拶すればいいさ」
と答える冷泉。
答えながら、ゲームとの類似点にわりと驚いている。この子は本当に姉様って呼ぶんだなと感心する。そして、また思う。アニメではポンコツぶりを発揮していたが、こちらの世界での、榛名は、まじめすぎて緊張過多なイメージだな。
しかし、本当に金剛は行方不明だ。さっきまでいたような気がしたんだけれど。いないのなら仕方ない。
ふと時計を見ると、だいぶ時間が経過していた。そろそろ仕事に戻らないといけない時間だ。鎮守府提督は多忙なのだから。
「仕方ないな……。鎮守府の案内を、本来なら金剛にしてもらおうと思っていたんだけど、所在不明だったら仕方ないな。加賀……申し訳ないけれど、お願いできるかな」
「あの、一人で大丈夫ですか」
と心配する加賀に大丈夫大丈夫と答え、冷泉は彼女達を送り出した。
「あ、私達もご一緒しますよ」
何人かの艦娘達もやってきた。
歓迎会か何かも準備されているようで、他の艦娘達も榛名たちと一緒に移動していくつもりらしい。
「あ、提督も歓迎会のメンバーに入っていますからね。準備ができたら呼びますから、ちゃんと待っていてくださいよ」
と夕張が振り返りながら叫ぶ。幹事が彼女なのだろうか?
「昨日の晩はだいぶ深酒してたみたいですけど、連チャンでもがんばってくださいよ」
「了解だ。少し仕事を片付けて待ってるよ」
冷泉はそう答えると、電動車椅子を自操させて執務室に戻ることとする。