まいづる肉じゃが(仮題)   作:まいちん

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第100話 大切なもののため

そんなこんなで……表面的には比較的平穏なまま、数日の日が流れ去っていく。

 

加賀は相変わらずぼんやりと何かを考えている時間が多くなり、そうかと思えば思い詰めた表情で冷泉をじっと見つめてくる時があった。

「ん? 加賀、どうかしたのか? さっきから俺をじろじろ見て。何か俺に用事なのか? 」

と、冷泉が問いかけると

「ふっ……いいえ、何でもありません。提督の気のせいでしょう。そもそも、何で私があなたを見つめたいといけないのでしょうか。少し、自意識過剰ではなくて? あなたが自分に関して自信を持つことについては否定はしませんが、少し気持ち悪いです」

などと、手厳しい反撃を食らったりしていた。

確かに気のせいだったのかもしれないな……。

 

それにしても……。

 

冷泉は自身の右手をじっと見つめる。そして、拳を握りしめたり開いたりを何度か繰り返してみる。

相変わらず、右腕以外はまったく感覚が戻らないままだ。他の部位については、動かす事どころか、自分とくっついているはずの左腕や胴体、両足が自分のものなのかと疑問に思うほど、何も感じ取れないままなのだ。そして、状況はまるで改善の気配すら感じ取れない。もしかして、この状態がずっと続く事になるのだろうか? そう思った瞬間に、眩暈を感じ、まさに不安でお先真っ暗などんよりとした気分になってしまう。

今でも自分一人では何もできない状態で、歯磨きをすることはできても口をゆすぐことさえできず、当然トイレや風呂も入ることができるはずもなく、常に看護師の世話になりっぱなし状態である。正直、毎日恥ずかしい思いばかりして、辛すぎる。

執務においては右手が動くから資料も見えるし、決裁印も押せる。分厚い書類なら加賀に手伝ってもらってなんとか読むこともできる。けれど一定時間事にトイレに連れて行かれたりするので、時々執務は中断する。

提督の身の回りの世話なら、秘書艦である自分がやると加賀が言い出したけれど、さすがにそこまで艦娘の彼女にさせるわけにもいかないので、全身麻痺においては、呼吸筋麻痺、感染症、床ずれとかの合併症を起こす場合もあり、専門家に管理して貰った方がいいと医師に無理矢理言わせ、丁重にお断りしている。専門でもない、しかも自分の部下であり、年頃の女の子である彼女達にそんな恥ずかしい所を見られたくないのが大きな理由だったけれども。

 

この状況が続くのならば、鎮守府提督の任を解かれて体よく閑職へと追いやられ、頃合いをみてクビにされるのは間違いなさそうだ。

冷泉は意識してやっているわけではないのだが、どういうわけか知らない間に軍の中に敵を作っているようだ。そして、彼らがこの機会を彼らが見逃すわけないだろう。

……そんな訳で、緊急的になんらかの方策を、この麻痺状況を打破できる医学的な方法がないのかを模索せざるを得なかった。

当然、担当医師にも何度も聞いている。

「残念ながら、受傷後24時間の時点で完全麻痺の状態であれば、回復は期待できないと言われています」

と、かなり絶望的な宣告をされている。

「ただ、希望が無いわけではありません。冷泉提督は過去にも危篤状態から復帰していますし、今回の受傷においては、まず助からないと診断されていたのに、ここまで奇跡的に回復されています。これらの事から、提督の回復能力は、もはや常人の基準では計れない希な人だと思っていますので、私が言える事は諦めることなくリハビリや治療を行えば奇跡は起こりうるということです」

そう言ってもらえたのは、冷泉にとっての僥倖であったのかもしれない。

現代の人間の医師では、そこまで言うのが限界なのだろう。

 

そういうことで、艦娘たちの治療担当である乾崎少尉を再び尋ねた。もちろん、ドッグには加賀を連れずに一人で訪れている。

冷泉は、怪我の状況について艦娘たちに極力知られないように気をつけている。特に加賀に知られてしまうと、彼女が罪の意識に苛まれてしまうだろうと思っているからだ。すべては冷泉が勝手にやったことであり、結果についての責任は、決定した冷泉が負うべきであり、加賀を含めた艦娘には何の責任もないのだから……。

 

乾崎は相変わらずの誰に見せるのか謎のセクシー路線の衣装で冷泉を迎えてくれた。

艦娘に施す治療は、人類の科学力を越えた未知のテクノロジーによるものがほとんどを占めている。その成分や構造は、最新の人類の科学をもってしても解析がほとんど不可能といわれているらしい。もちろん、全世界的レベルの天才集団を集結させれば、その手がかりぐらいはつかめるのではと想像されたが、現在の日本の置かれた状況から、世界に助けを求める何て事は望むべくもないことである。

 

冷泉の不安の吐露に、彼女はあっさりと答えてくれる。

「神経再生促進剤 新規神経系細胞分化促進剤 神経加速剤、増殖促進剤、脳神経細胞可塑性調節剤、神経新生促進剤等の艦娘側より提供された未知のテクノロジーで作られた薬剤を複合投与すれば、提督の望みはもしかしたら可能かもしれません。ただし、これに人体が耐えられるかの臨床試験などについては、艦娘サイドが了解するわけはありませんでしょうから、未来永劫行う予定はありません。そもそも艦娘という特殊な人と艦のハイブリッド生命体であるからこそ耐えられますが、脆弱な人間の体があんな薬剤を使用して保つわけありませんからね。体が保ったとしても、精神が耐えられないと私は思います。それはともかく、提督の体は、ほぼ完治している状況でありながら、神経系が活動できていないのは何らかの遠因があるのかもしれません。確かに、これらの薬剤を投与するような荒療治といったものが必要なのかもしれませんね。ただし、私にはできません。はっきり言って、今言った薬剤類は劇薬と同じですからそんなものを治療には使えませんからね。お渡しすることはできても、自己責任でお願いします。薬剤については、提督の権限で持ち出しは可能ですから! 」

 

「はあ……、じゃあとりあえず貰っておこうか」

使用する機会が来るかは分からないけれど、使う機会がやってくるかもしれない。そういうことで彼女から渡された薬剤のアンプルと注射器が入ったケースを受け取る。

鎮守府を追い出され、野垂れ死ぬよりはマシかな。最悪は自殺用と考えれば持っていても損はないだろう。

凄くマイナス思考のまま、冷泉はドッグを後にした。

 

 

翌日。

 

ちなみに乾崎少尉から貰った薬剤は貰ったものより小さいケースに入れて、胸ポケットに入れて持っている。いつでも使えるように。

執務室に車椅子を看護師に押されて入っていく。

すでに加賀が冷泉の咳の左側の机に加賀が腰掛けて、書類を見ている。

「おはよう」

 

「おはようございます」

ちらりとこちらを見ると彼女が挨拶を返す。少し元気が無いように見える。

 

「それでは、何かありましたらお呼び下さい」

そう言うと看護師は会釈をすると執務室から出て行く。

 

ページをめくる音、判子を押す音以外聞こえない静かな時間が流れていく。

冷泉は書類に集中する。

鎮守府の経費にかかる支出要求資料。市民団体からの要望苦情および月間対応状況表。鎮守府内の飲食店の新規メニュー申請書。物品購入要求書……等々。雑多な書類とそれに関連する説明資料に目を通していく。必要に応じ、決裁文書の担当者に電話を入れたり、呼び出して説明を求めたり。

鎮守府司令官の仕事は、とにかく多岐にわたっているのである。軽微なものについては、権限を降ろしているので、実際の事務量は軽減されているはずなのだが、それでも忙殺されるほどの量だ。読むだけでも結構時間がかかる。普段なら、冷泉が見る前に誤字脱字、資料の不足や内容の補足については秘書艦が対応することにより、補足説明を求める必要はない。

わりと艦娘って優秀な子ばかりなのである。これはゲームとは違うところだな。彼女たちは遊んでばかりではないのだ。いろいろと助けられている。

しかし、最近の加賀はどうにも集中力が無いようで、誤字脱字すらチェックできずにこちらに回してきているようだ。最も、それ以前に担当者やその上司がそんなところくらい確認しておけという話なんだけれども。

間違い部分に付箋を付けながら、珈琲を飲もうとするが、カップが見あたらない。

そういえば、最近、加賀はお茶も珈琲も入れてくれなくて、自分で入れていたのを思い出す。

「ふー」

ため息が漏れる。……我慢するか。

そして、また時間が流れていく。

 

鼻水をすするような音が聞こえてくる。それも何度も何度も。

ここにいるのは、冷泉と加賀だけである。

 

すると、加賀か?

 

風邪でも引いているのだろうか? 艦娘でも風邪を引くのかな。そんなことを考える冷泉。そういや、最近、ぼーっとしていたのは、風邪を引いていたせいなんだろう。……それなら納得だなどと勝手に想像をしながら、秘書艦の方をみる。

 

「なんだ、加賀。お前、かぜ……」

冷泉は、言葉の途中で凍り付いてしまった。

 

彼の横に座っている加賀は、少し俯き加減になったまま硬直していた。そして、大きな瞳から大粒の涙をぽたぽたと机に置かれた書類へと落としていたのだ。声を出さないように必死に堪えているものの、体は幽かに震え涙を止めることはできずにいるのだ。

 

「おい、加賀、大丈夫か」

狼狽しながらも冷泉は秘書艦に声をかける。

その声に加賀が顔を上げると、大量の涙が瞳からあふれ、頬を伝い顎へと流れて、机へと落下していく。

 

「ていとく……」

綺麗な顔をくしゃくしゃにして、必死に涙を、泣くことを堪えようとする。何かを言おうとするが言葉にならず、それはただの嗚咽となる。

 

「大丈夫なのか、加賀。しっかりするんだ! どうしたんだ、何があったんだ? 」

冷泉は車椅子を操作し、彼女の方へと移動しようとする。

 

「……て、ていとくぅ。て、提督、お願いでう」

加賀は、必死になって言葉を紡ごうとする。しかし、感情が高ぶり過ぎて声にならず、さらには過呼吸になっているようにさえ見える。

 

「落ち着くんだ、無理をするな、ゆっくりと話せばいいからな」

彼女の左側に回り込み直ぐ側に近づくと、動かせる右手を伸ばして、彼女の背中をゆっくりとさすってやる。

何度か深呼吸をしているのか、加賀の背中が大きく上下する。徐々に落ち着きを取り戻しているのが手のひらを通して分かるような気がする。

 

「提督」

そう言うと、加賀が冷泉を向く。振り向く際に彼女のサイドテールの髪が、冷泉の顔を撫でるほどまでに近づいている事を初めて認識する冷泉。

 

彼女の吐息がかかるほど近い。

 

「お、おう。何だ」

どういう訳か冷泉はどもってしまう。

 

「お願い、お願いです。提督……彼女を、……長門を助けて下さい! お願いします」

目を赤く腫らし、いつものクールな彼女の態度から想像もできないような状況で、加賀は両手で冷泉の腕を掴むと縋るように訴えてきた。

 

冷泉は彼女が何を言っているのか、その意図を理解できず、ただ戸惑うだけだ。

 

長門を助ける? 一体、何から助けるんだろうか。……彼女は横須賀鎮守府の旗艦なんだぞ。めちゃめちゃ強いんだぞ。そんな彼女を助けなければならない状況なんて、どんな危機なんだよ。それに、そもそも、何で加賀が泣きながらそれを頼むんだ? 

冷泉は混乱して、理解力が更に下がる。

 

「……長門は提督に話したら、お前とは絶交だ、もう友達じゃないって言ったけど、そんなのどうでもいい。どうだっていい。一生嫌われたって構わない。私は、彼女を失いたくないのだもの。もう、誰ともお別れするなんてしたくないの! そんなの嫌。……提督お願いです、長門を助けて下さい。お願いします。お願いします! 」

興奮状態の秘書艦の言っている事の半分も理解できないが、それでも分かった事がある。

 

加賀が長門を助けたいということ。助けなければならない状況であること。そして、それができるのは自分しかいないということを。

彼女にとっては友情を失ってでも、それをしなければならないと秘書艦が願っていることも。

それに応えるのは、上司としての責務であることを。


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