「お邪魔しまーす」
「おや良太郎君、いらっしゃい」
高町家の離れでもある道場へと顔を出すと、何年経っても相変わらず若々しい士郎さんが道着姿でこちらに振り返った。桃子さんの若々しさに隠れているが士郎さんもなかなかにいい意味で年齢が分からなくなる見た目をしている。この人が体力的に下り坂になる未来が全く見えないどころか、自分の方が先に低下するのではないかと本気で思ってしまうほどだ。
「様子を見に来ました。どんな感じですか?」
「なかなかいいよ。普段からトレーニングを積んでいるだけあって基礎はバッチリみたい」
「バッチリですか」
「うん、バッチリ」
士郎さんほどの人が言うのであれば事実なのだろうけど、汗だくになって道場の床に倒れ伏す
とりあえずタイミング的にはバッチリだったようなので、買ってきたスポーツドリンクを手渡すために近寄る。……チッ、透けないシャツか。
「お疲れ、美琴」
「……あ……ありがと……」
身体を起こすことなく弱々しく手を伸ばした美琴は、しかしそれはそれは良い笑顔をしていた。
さて、こうして美琴が士郎さんにしごかれている理由であるが、ご察しの通り俺の手引きである。先日SEMの先生方に相談してたことによりある意味で吹っ切れた俺は、いっそのこと自分の目の届く範囲で美琴に無理なく無茶をしてもらおうと考えたわけだ。
勿論これは俺の独断ではない。美琴自身の意志を確認して、さらに彼女の現在の所属である283プロの天井社長にも一席を設けてもらった。その際の話し合いは数時間にも及んだのだが、そのときに彼の口から語られた話は……まぁ、いずれ話す機会も来ることだろう。
そんな経緯を得て美琴の面倒を真面目に見ることになったわけだが、やっぱり一番最初にすることは皆さんご存じ『基礎能力の向上』である。これはもう『周藤良太郎』というアイドルの根幹を為す要素なので欠かすことは出来ない。
そして美琴は冬馬と同じく『執念にも似た貪欲さ』を持っているため、安心して高町ブートキャンプに送り込んだというわけだ。
「ふぅ……落ち着いた」
休憩らしいので道場の片隅に美琴と並んで座る。
「どうよ、俺や冬馬の基礎を築いた士郎さんの扱きは」
「凄い充実してる」
声の圧が強い。美琴の目がこんなに輝いてるの初めて見た……ここまでくると一種のMなのではないかと勘繰ってしまう。
「良太郎は凄いね、アイドルになる前からこんなトレーニング受けてたんでしょ?」
「流石にアイドルになる前は軽く身体を動かす程度だったよ」
あくまでも『友人の家で軽く身体を動かさせてもらう』という習い事感覚だったのだが、アイドルになることが決まり本格的に身体を鍛えることになってからが
「私も基礎はしっかりとやってるつもりだったんだけど、まだまだだったって思い知らされたよ」
「ここをしっかりやっとくと、後々実践的なレッスンが始まった際に差が出るからな」
いい意味でも悪い意味でも、どちらかというと美琴は脳筋タイプ。身体で覚えるには覚えるまで動き続けるのが最善なのだ。
「生まれ持ったセンスは磨きようがないが、ここはいくらでも磨けるからな」
磨くというか研磨って感じだけど。肉体と共に精神がゴリゴリと削られてく感じで。
「……ありがとう、良太郎」
スポーツドリンクのペットボトルを手で弄びながら、美琴は感謝の言葉を口にした。
「いやなに、頑張ってる同期の、その頑張りに見合うような環境を紹介しただけだ」
「うん、良太郎の期待にも応えられるようにもっと頑張るね」
「いや……」
思わず口にしようとした「無理しすぎないように」という言葉を飲み込む。その無理をさせないようにするのが、今の俺の役目だ。
「……あぁ、頑張れ、応援してる」
そうして応援の言葉を投げかけると、美琴はニコリと微笑んだ。
「……ねーねー、空気を読んで黙ってたんだけど、アタシもそろそろ喋っていい?」
「……チッ」
「良太郎が舌打ちしてるの、初めて見た……」
このまま俺が描写せずにいれば自然消滅するじゃないかと思って敢えて無視してたのに……。
「なんでテメェがここにいるんだよ……玲音」
「ハニーの第二の実家にご挨拶しようと思って」
「マジでやめろよそれ……」
自分でもビックリするぐらい弱々しい声が面白かったらしい玲音は「じょーだんだって」とケラケラ笑った。
「良太郎と同じだよ。みーちゃんのことが気になって様子を見に来たの。本当は少し顔を出すだけのつもりだったんだけど、高町さんが『折角だから上がっていきな』って」
どうしてそんな余計なことをしでかしてくれたんだ士郎さん……。
「いーじゃんいーじゃん、邪魔はしてないんだしさ。良太郎がどんな過酷なトレーニングをしてきたのかも興味あるんだよね」
「企業秘密だ」
「そんな固いこと言わずに、ホラ美琴のこの柔らかい胸に免じて」
「ちょっとれーちゃん、汗でベタついてるんだから触らないでよ」
「そこまで言うのであれば仕方がない。美琴に免じて許してやろう」
「そこまでは言ってないんだけど」
「良太郎、その『美琴に免じて』って台詞に何か隠されてる言葉があるんじゃない?」
業腹ではあるがコイツが美琴の幼馴染であり友人であることは事実なのだ、うん。
「それじゃ、私はそろそろ戻るね」
「えっ」
「頑張ってねー」
無慈悲にも休憩を終えた美琴は立ち上がり、戻って来た士郎さんと共に基礎トレの続きを始めてしまった。……待ってくれ……いやトレーニングの邪魔をするつもりはないんだけど、俺をコイツと二人きりの状況にしたまま行かないでくれ……道場内にいるから厳密には二人きりじゃないんだけど、こいつと肩を並べて座っているこの状況が嫌だ……あっ、テメェ距離を詰めてくるな! 1メートル離れろ1メートル!
「……良太郎も残酷なことするよね」
「は?」
そろそろ俺はお暇しようかなぁとか考えていたら、突然玲音がそんなことを言い出した。
「良太郎ならそういう選択をするだろうなとは思ったよ。君はそういうのを見過ごせないというか見逃せないというか。『きっと良太郎なら美琴のレッスンを見てあげるようになるんだろうな』っていう、そんな予感がした」
「……それで、何が残酷だって言いたい」
「
断言。玲音はなんの躊躇もなくそう言い切った。
「美琴は頑張り屋だし熱意もある。自分自身の体調に無頓着なところがあるから、それを周囲の人間でコントロールしてあげれば、きっと数年もしないうちに『魔王エンジェル』にだって引けを取らないようなトップアイドルに成長する」
――でもそこは
「………………」
「良太郎だって本当は気付いてるんでしょ? 『アタシたちの世界』にはどれだけ努力しても辿り着くことなんて出来ないって」
玲音に視線を向けたくなくて、俺はずっと美琴を見ていた。幸いにもトレーニングに集中している美琴の耳に俺たちの会話が入っているような様子はなかった。……でも士郎さんには聞こえてるんだろうな。
「……夢を見せるのがアイドルの仕事だ」
「それが『絶対に叶わない夢』だったとしても?」
「だったとしても、だ」
見せてしまった以上、俺は責任を取る。そう決めたんだ。
『夢は絶対に叶う』と、『諦めないことが大事だ』と、俺は何度も歌った。
そんな俺を美琴が目標としてくれているというのであれば……美琴が諦めない以上、俺だって諦めない。
「文句あるか?」
「……ないよ」
結局一瞥もしなかったので玲音がどんな表情をしているのか分からない。
しかしその最後の一言を発したそのときは……なんとなく、ホッとした表情をしているような気がした。けれどこれはきっと間違っていると思う。こいつはそんな表情をしない。
「……暑いね、ここ」
「……もう夏だからな、何処だって暑いに決まってるだろ」
もしかして玲音の独り言だったのかもしれないが、思わずそう返事をしてしまった。
後になって気付いたが、それが玲音とした初めての『世間話』だった。それは拍子抜けするぐらい普通過ぎる会話で……しかしそれでも、やっぱりコイツとの会話は苦手である。
(はぁ……りんの胸に癒されたい……)
「……はっ、りょーくんがアタシの胸を求めているような気がする!」
「りん先生がいきなり何か言ってる……?」
「これ、私たちが聞いていいやつか……?」
「とりあえず聞かなかったことにするぅ?」
さて、美琴のレッスンを見る傍らで、かなり大事な事柄も進行していた。
先ほど少し触れたようにもう夏であり、八事務所合同ライブまでなんと残り半年を切っているのだ。
既にライブ開催の告知は済んでおり、そろそろチケットの先行販売も始まろうとしている。ちなみにライブのタイトルとかその辺りはまだナイショである。ライブが始まるときにババーンと大文字の特殊タグマシマシで発表するからお楽しみに。
さて、そんなチケットの先行発売の前にそろそろ決着を付けなければいけないとても重要な事柄が一つだけ残っていた。
……出演アイドルの選抜、である。
・美琴in高町ブートキャンプ
大方の予想通り、美琴育成計画はここから始まる。
・天井社長の過去
多分sideM編で語る内容じゃねぇよなぁ……。
・「アタシもそろそろ喋っていい?」
今後も「実は玲音いるけど良太郎がガン無視してるから描写無し」が微レ存……?
・「りん先生がいきなり何か言ってる……?」
ちらアライズ
なんかまだ女帝様が日本にいますが、基本的に無視してストーリーは進んでいきます。
……さて、そろそろ本腰を入れて出演アイドルを確定するときが来ましたね……。