それは、あり得るかもしれない可能性の話。
昔々、とある古ぼけた本屋に一人の少女が暮らしていました。
沢山の本に囲まれてお店の番をしつつ、少女は毎日本を読み続けていました。
文字通り夢のようなファンタジー。勇ましい英雄の冒険活劇。涙なしにはページが捲れない詩集。そこに全ての本があったわけではないけれど、それでも少女の人生を埋め尽くすには十分すぎる本が溢れていました。
少女はいつも本の世界の中でした。決して現実から逃げているわけではありません。少女にそのつもりはありませんでしたが、しかし周りの目からはきっとそう映っていたのかもしれません。
少女は周りの目を気にすることなく、本を読み続けました。本は少女をありとあらゆる時代と場所へと連れていってくれました。だから少女は寂しいと思うことはありませんでした。
ここが、ずっと少女の居場所でした。
「こんちわー」
ガラガラと引き戸を開けて店内に入る。他店と比べるのはナンセンスだとは思うものの、それでも上手く近代化の波に乗った八神堂と比べるとレトロ感に溢れた古書店である。
さて、迎えに行くという連絡をしておいたのだが店の奥から返事が返ってこない。どうしたのかと店の奥へと足を進めると、探し人はカウンターの向こうでスヤスヤと寝息を立てていた。
「店番とは……」
無防備すぎる。いくらお客さんが来ること自体稀な古書店とはいえ、大乳の黒髪美人が眠りこけている姿はあまりにも無防備すぎる。
「……んっ」
「おぉ……やわらけぇ……」
故にこうして悪戯をすることも出来てしまうのだが、これは俺がこの美人さんの恋人だから許されていることであることは留意してもらいたい。みんなは絶対にしないように。
……何処を触ったかって? 想像にお任せするよ。
「……あれ、私、寝て……」
「寝てたよ。気持ちよさそうに涎垂らしながら」
「っ!?」
ポンヤリと目を覚ました彼女は俺の発言に、普段以上にバッと目を見開いて普段以上にキビキビとした動きで、ゴシゴシと袖で自身の口元を拭った。そしてそれが俺の冗談だったことに気付き「むぅ……!」と睨んでくる。しかしそれが全く怖くなくてすごく可愛い。
「おはよう、文香。可愛い寝顔だったぞ」
「……おはようございます」
俺の可愛い恋人は悪戯されたことに対する怒りと可愛いと褒められたことに対する喜びが入り混じった複雑な表情を赤くしつつ、小さく呟いた。
そんな寝顔の可愛い文香を連れて、俺たちは一度自宅へと帰って来た。文香の実家ではなく、俺の実家である。
「おぉ……」
自宅のリビングに置いてある姿見で、自分の格好を上から下まで見直す。そこに映る自分はいつもと変わらぬ無表情を顔面に引っ付けたまま、着ているのは甚平だった。
「ウチ甚平とかあったんだな」
「俺のお下がりで悪いけどな」
「兄貴がこれ着てるの見たことねーんだけど」
「お前が仕事でいないときに、早苗とのデートで一回着たきりだからな」
「破り捨ててぇ……」
コイツは俺がアイドルとして忙しく働いている間に、童顔大乳美人とデートしてたってのか。腹立たしい。
しかし破り捨てようにも、甚平の生地は意外と丈夫なので素手では破れそうになかった。
「落ち着けって。お前だって、今からとびきりの美人さんな文香ちゃんとデートだろ? 羨ましいこった」
ポンポンと肩を叩かれ宥められる。
……まぁいいだろう。兄貴のお下がりとはいえ折角のデートの衣装を兄貴の血で染めるのも忍びない。命拾いしたな。
「それで、俺の愛しい美人さんはまだ?」
「女の子の支度には時間がかかるのは世の常だぞ。……と言いつつ、もう出来たみたいだな」
廊下からパタパタという足音が聞こえてきたかと思うと、彼女はリビングに入って来た。
「お、お待たせしました……!」
「待ってな、い……」
普段はゆったりとした服に長い髪を背中に流している文香だが、今日の彼女は一味違った。長い黒髪を後頭部で結い上げ、さらには白地に花柄の浴衣姿である。
「ど、どうでしょうか……?」
「……これは困った」
「え、えぇ……!? ど、どこかおかしかったですか……!?」
わたわたと慌てた様子で自分の姿におかしなところがないか探す文香。背中の方を見ようとしてその場をクルクルと回っていた。そんな自分の尻尾を追いかける子犬のような仕草がこれまた愛おしい。
さらに、チラリと真っ白なうなじが見えたことでさらに俺は「なんてこった……」と手で目元を覆う。
「俺の嫁が美人すぎる……!」
「よ、嫁だなんて、そんな……ま、まだ早いです……」
そして『俺の嫁』発言に照れて赤くなる文香がまた可愛い。ちくしょう、IE後のゴタゴタが色々と残ってるから今すぐに入籍出来ないのが口惜しい……!
「浴衣の着付けも久々だったけど、ちゃんと出来て良かったー!」
そんな文香の後ろからヒョコッと顔を出した我が家のミニマムマミー。元々美人だった俺の嫁をさらに美人さんにしてくれた立役者である。まさか浴衣の着付けも出来るとは、意外と多芸なお人である。
「ありがとう、母さん」
「ありがとうございます……良子さん……」
「どういたしましてー! それより文香ちゃん、お義母さんでいいよー? 文香ちゃんももう家族なんだからー!」
「……はい、ありがとうございます……お義母様……」
まだ早いと言いつつもノリノリな文香。 早苗ねーちゃんや志希に続く三人目の娘の誕生に、母さんは満面の笑みで頷いた。
さて、どうしてわざわざお互いにこんな格好をしているのか。
その答えは至ってシンプル。近所で行われる七夕の祭りへデートに行こうという話になり、母さんが文香に浴衣を着ることを勧め、文香に合わせて俺もそれらしい格好にしようということになり、兄貴から甚平を借りることになった……というわけだ。
折角のオフなんだから二人でゆっくりしてこいと兄貴たちに見送られ、俺と文香は徒歩でお祭りの会場へとやって来た。この辺りだとそれなりに規模の大きいお祭りなだけあり、既に多くのお客さんで賑わっていた。
「文香」
「はい……」
当然ここは定番の『はぐれるといけないから』をする場面なので、文香に左手を差し伸べると、何も言わずとも意図をくみ取ってくれてソッと右手が乗せられた。
「………………」
「どうかしましたか……?」
「いや、昔は小指を握るぐらいで精一杯だった文香が、こうしてちゃんと手を握ってくれるなんてなぁ……」
「そ、それは……」
俺の揶揄うような言葉に文香は照れたように頬を赤く染め、少しだけ拗ねたように唇を尖らせた。
「……わ、私でも……好きな男の人と手を握りたいって思うことぐらい……あります……」
そしてキュッと握られる左手を、俺はしっかりと握り返す。
「俺も、こうして文香と手を握るような関係になれて嬉しいよ」
「私も、です……」
そうして二人で手を繋ぎながら出店を回る。二十歳を過ぎて数年経つというものの、まだまだ若い胃袋を持つ俺は先ほどから漂ってくるソースの香りの誘惑に抗えそうになかった。
とりあえずたこ焼きを一つ買い、少々行儀が悪いと知りつつも歩きながら食べようとしたのだが……文香と手を繋いでいるので片手しか使えないことに今気づいた。なんとか文香と手を繋いだまま食べる方法はないものか……。
「……良太郎君、爪楊枝を貸してください」
右手にたこ焼きのパックを携えたまま悩んでいると、左側から文香が腕を伸ばしてきた。そしてパックに付いていた爪楊枝を手にすると、それでたこ焼きを一つ持ち上げた。
「ふー……ふー……はい、あーん……」
そのままごく自然な流れで湯気が立つアツアツのたこ焼きに息を吹きかけて冷まし、そのまま俺の口元へと持ってきた。
「……あーん」
まさか文香が自分からそんなことをしてくれるとは思ってもいなかったので、一瞬感極まってしまったが、すぐに我に返って口を開けてたこ焼きを頬張った。まだ少し熱かったものの、これぐらいならば全然食べられる。
「んぐっ……超美味い」
「……ふふっ」
ただそんなたこ焼きの味は、直後の文香の微笑みにより一瞬で忘れ去ってしまった。
「……文香も食べるか?」
「いえ……今は、貴方が美味しそうに食べる姿を見て、胸が一杯ですから」
そんなことを言われてしまうと、俺も胸が一杯でたこ焼きが喉を通らなくなりそうだが、それでも文香が手ずから食べさせてくれるという誘惑には抗えず、また俺は餌を求める雛鳥のように口を開けるのだった。
「花火どうする? 河川敷の方行くか?」
「いえ……これ以上人が多いところに行くと、目が回ってしまいそうですから……」
「なら、ちょっと見づらくても人が少ないところを探すか」
果たしてそんなところが都合よくあるのかという不安もあるものの、文香と手を繋ぎながらまったりと歩き回る。
「っ……!」
「っと、文香もっとこっち」
河川敷周辺ほどの賑わいではないが、それでもまだ十分人は多い。時折ぶつかりようになる文香を手を引き、殆ど抱き寄せるように密着させる。……やわっけぇなぁ……。
「ありがとうございます、良太郎君……」
「なんのなんの」
「やっぱり、話には聞いていましたが、お祭りとは大勢の人がいるのですね……」
「そりゃー……ん?」
文香の発言に引っ掛かりを覚えて首を傾げる。それではまるで……。
「文香、まさかお祭りに来るの初めてとか言わないよな?」
「………………」
「マジか」
文香は小さくコクリと頷いた。まさか二十歳の娘がお祭り未体験とは思わなかった……。
「私は、その、いつも部屋の中でしたから……」
「……そんなことも言ってたっけ」
今更言葉にする必要もないだろうが、鷺沢文香という女性はアイドルである以前に凄まじいまでの愛本家だ。
「初めて会ったとき、周藤良太郎って正直に名乗ったのにアイドルだって気付かなかったぐらい俗世離れした生活してたもんな」
「……その件に関しましては、大変失礼いたしました……」
いや別にいいんだけどさ。逆に新鮮でちょっと嬉しかったぐらいだし。
「でも今日は来てくれたんだな」
「……だって、貴方がいたから」
え?
「良太郎君がいたから……私は、一歩踏み出せるんです」
良太郎君はいつも私の手を引いて色々なところへと連れていってくれる。きっと私一人では行こうとすら考えないような場所へと連れていってくれる。
そこは私が本でしか知らなかった世界。本当は心の奥で行きたいと思っていた世界。
「……ありがとうございます、良太郎君」
だからそんな気持ちを、感謝の言葉で伝えようとして……。
「それは違うよ、文香」
「え……」
良太郎君は、首を横に振ってそれを否定した。
「文香は、俺が手を差し伸べる前にアイドルとしての一歩を踏み出したじゃないか」
「それは……」
「それに、こうして恋人になれたのも文香のおかげだよ」
二人で少しだけ喧騒から外れる。花火は見えないけれど、立ち止まっても人の邪魔にならない場所で、良太郎君は真正面から私の両手を握った。
「情けない話、俺は人の好意ってのがよく分からない。誰から好かれてるとか、どれだけ好かれてるとか、そういうのが人一倍疎いんだ。……だから、あの日、文香の告白の言葉で気付くことが出来たんだ」
それはあの月夜の晩。車で家まで送り届けてくれた良太郎君に対して、思わず発してしまった言葉。『月が綺麗ですね』なんて遠回しな言葉を止め、咄嗟に口から漏れ出た私の素直な気持ち。
――貴方が好きです。
「俺の方こそ文香に感謝したい。……あの日、告白してくれてありがとう」
「っ……!」
フワリと、とても優しく、私は良太郎君に抱きしめられた。
「俺が君を
ジワリと視界が滲んだことで、私はようやく自分が泣いていることに気が付いた。
「だからこれからずっと、
花火の音。それは意外に大きくて、きっと普通の会話ならば掻き消されてしまっていた。
しかし良太郎君の腕の中にいる私の耳には、しっかりと彼の言葉が届いていた。
返事をしなければいけないのに、涙が溢れて止まらない。彼の背中に回す腕が振るえて止まらない。
だからせめて、すぐに私の気持ちが彼に伝わるように。
自分の唇を、彼の唇に合わせた。
少女が王子様に出会えたのは、魔法なんかではありませんでした。
それは誰もが持っている小さな力。どれだけ小さくても、振り絞れば誰の手にも等しく与えられる奇跡の力。
『勇気』を出して一歩を踏み出した少女は王子様と結ばれ、そして末永く幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし……。
・何処を触ったかって?
乳だよ(断言
・白地に花柄の浴衣姿
参照:[星祭りの夜]鷺沢文香
・七夕の祭り
季節は気にするな!
・やわっけぇなぁ
乳だよ(天丼
・貴方が好きです。
Lesson216で文香が告白していた世界線。
鷺沢文香十代目シンデレラガール就任おめでとう記念の恋仲○○でした! 遅ればせながらおめでとうございます! 幕張公演楽しみにしてます!
ちなみにこの恋仲○○は三年前に浴衣文香をお迎えした記念にツイッターで公開した短編の加筆修正版です。……手抜きじゃないよ、リサイクルだよ……(震え声
次回からは本編! 夏フェスが終わり、少女たちの新たなる日常が……?
『どうでもいい小話』
シンデレラ10thツアー福岡公演お疲れ様でした! 自分は両日リモート参加でしたが、やっぱりライブはいいね!
……いいか、俺は沖縄に行くからな。絶対現地獲るからな!!!(山下七海さん出演決定!!!