もし一人のオリキャラが増えることで、ユウキが生きるルートが生まれるなら 作:葦束良日
二〇二五年一月下旬。ALOはそのサービスを突如停止した。
開発元であり提供を行っていた会社、レクト・プログレスが解体されたためだ。
何故いきなりそんな事態になってしまったのか。その原因は、俺たちも決して無関係ではなく、あのグランド・クエスト攻略こそがALO停止への切っ掛けでもあったのだ。
須郷伸之。ALO開発チームの責任者であり、レクトに所属する研究開発者である。なんとアスナの婚約者でもあったというこの男が、三百人にも上るSAO未帰還者を生み出した元凶であったのだ。
SAO、そしてALO。これらに用いられている茅場晶彦が作り出したフルダイブ技術。須郷はこの技術を用いて、現実から仮想世界に移った意識を監禁し、思うがままに洗脳するという恐ろしい技術を研究していたのだ。
そして、その研究材料――実験体として、SAOの生還者が選ばれた。SAOのサーバーはレクトに安置されていた。そのサーバーを管理している立場を使い、須郷は三百人もの人間の意識を確保することに成功していたのである。
彼にしてみれば、SAOのクリアは待ち望んでいたものだったのだろう。なにせ本来確保が難しいはずの実験体が転がり込んでくるようなものなのだから。
俺たちは、決してそんなことのために二年を費やしてゲームクリアを目指していたわけではない。甚だ腹立たしい話だった。
そうして囚われた中にアスナもいた。須郷との関係を考えれば、アスナだけは須郷が狙って確保した存在なのだろう。そして特別であるがゆえに、隔離していた。そのせいで外部の目に触れ、キリトの目にも入る機会が出来たのだから、それだけは不幸中の幸いだった。
キリトによれば、世界樹の上には何もなく、アスナを閉じ込めた鳥籠と、妖精王オベイロンと名乗る須郷がいたそうだ。
システム管理者という権限をフルに使われ、一時は為す術なく須郷の前に倒されたそうだが、キリトはオベイロンより上位のIDを用いて管理者権限を須郷から剥奪。それによって立場は逆転し、須郷を退け、アスナを助け出したらしい。
しかし、どうもその上位の管理者権限というのはヒースクリフ――茅場晶彦からもらったものだという。なんでも意識だけがサーバーの中にあったとか、本来の意識の残響のようなものとか言っていたらしいが……。
キリト曰く「俺にもよくわからん」だそうだから、まぁ気にしない方がいいのだろう。
ともあれ、その後現実世界でアスナの元へ向かったキリトだったが、それを須郷が襲撃。キリトは怪我を負いながらもどうにか切り抜けたわけだが、須郷は当然傷害と殺人未遂の現行犯で逮捕された。
そして、先に言ったSAO未帰還者略取の件が白日の下に晒されたわけだ。
当然、開発チームは解散。事件の規模と社会性を鑑みてレクトも解体。ALOは言うまでもなくサービス停止となり、俺たちは全く予想もしていない形で翅を奪われたわけだ。
しかし、事はそれだけで終わらなかった。
SAO、ALOと取り返しのつかない大事件が続いたことで、VR世界全てが犯罪の温床になるとして社会から糾弾、迫害されることとなったのである。
いちゲーマーから見ればとんでもない暴挙であったが、しかし倫理的に見れば当然の判断だ。誠に残念であったが、VRMMOはALO以外のタイトルも加速度的に閉鎖に追い込まれていき、仮想世界の存在は数年間の幻で終わるかと思われた。
しかし。キリトが茅場から受け取ったという「あるモノ」がその流れを逆転させた。
《ザ・シード》。
世界の種子、と名付けられたそれは、茅場が作り出したフルダイブ技術。またそれに伴う全感覚仮想世界を作り出し、動かすためのプログラム・パッケージであった。
そのパッケージが手元にあり、そしてそれ相応の機材を用意し、3Dオブジェクトを設計して、プログラムを走らせれば、誰であっても仮想世界を作り出すことが出来る。
まさに、世界の種子と呼ぶにふさわしいプログラムがザ・シードであった。
これまで、茅場が開発したその技術は当然ながら高いライセンス料を払わなければ利用できなかった。それほど高価なプログラムは大会社であるレクトだから受け持つことが出来た。しかしレクトが潰れたことで、その高額な技術の受け入れ先がなかなか見つからなかったのだ。
まして、社会的な目もある。もう一度莫大な金を払って権利を買い取り、VR世界を運営しようというような会社はなかったのである。
そこで、この世界の種子の登場だ。キリトとエギルはこのパッケージにいかなる危険も存在しないことを様々な伝手を用いて証明。その後、全世界のサーバーに完全権利フリーのソフトとしてアップロードしたのである。
完全無料、ダウンロード制限なし。誰であっても手に入れられるその化物ソフトの登場によって、VRMMOは徐々に息を吹き返し始めた。フルダイブの仮想世界を求める声は、予想以上に多かったのだ。
そして、当然だが須郷が逮捕されたことでSAO未帰還者は全員が無事帰還した。もちろんアスナもその中に含まれており、キリトといつもイチャイチャしている。
このALOでの出来事をきっかけに、キリトとは現実世界でも交流を持つようになった。それもあって、よく一緒にお見舞いにも行ったんだが、俺がいる横で二人だけの世界を作らないでほしい。居心地悪いったらありゃしない。
なので、二度ほど一緒に行ったあとは、行かないようにしている。アスナが元気なのはわかったし、二人の邪魔をしちゃ悪いからな。
とまぁ、そんなわけで。キリトもアスナも。そしてVR世界を取り巻く環境も。納まるべきところに納まったという感じだ。かくして世は事もなし、である。
一つのことを除けば。
*
かつて、グランドクエストを終えた際の別れ際。ユウキは言った。
「ありがとう、ソウマ。ソウマのおかげで、ボクは勇気が出せそうな気がする」
何度も見た快活な笑顔。けれど、その中にどこか決意を滲ませて、ユウキは俺に背を向けた。
「――ボク、頑張ってくるね」
俺がその言葉に対して何かを答えようとした一瞬の間に、小さな背中は光の粒となって消えていた。
あの言葉が、一体どんな意味を持っていたのか。いまや俺に知る術はない。彼女との繋がりは、ALOだけだった。現実世界での連絡先を知らず、そしてALOのサービスが停止した今、彼女に尋ねる方法を俺は失っていた。
結果として、俺の中にはあの謎めいた言葉だけが残り、非常にもやもやとした思いを抱えているのだった。
悩みが吹っ切れたかのような表情をしてはいたが、しかし気になる。悩んでいるなら力になる、とまで言った手前、何かあったと知っていながら何もできないこの状況はもどかしくて仕方がなかった。
また悩んでいないだろうか、困っていないだろうか。あの明るく無邪気な少女を、俺は存外気に入っていたらしい。思い返せばわずか一日程度の短い付き合いであるから変な話かもしれないが、しかしその短い間でも俺たちは十分に友達と呼べる関係になれていたはずだった。
戦闘においては背中を任せられる頼もしい相棒。普段ではこちらまで明るくさせるような闊達な少女。仲間として、友達として、彼女が悩んでいるのならやはり力になってやりたかった。
だというのに、何もできないこの現状。どうにもならない状況にやきもきするしかなかったこの時間も、しかしようやく終わりを迎えることになる。
というのも今日この日、ついにALOが復活するからだ。
ザ・シードが芽吹き始めて、しばらく。今や世界中で様々な個人、中小企業、大企業がVR世界の運営を手掛け始めていた。その発端、先んじて「ALOの復活」を掲げて活動していた企業が、ついにALOの公開にこぎつけたのである。
この企業、なんとALOプレイヤーでもあった幾つかのベンチャー企業の関係者で作られた会社である。彼らはALOを惜しいと思い、レクトからALOの全データをほぼ無料に近い値段で購入。プレイヤーデータ、マップデータ、その他ALOを構成していた全データをそのままにALOの再生を実現したのだ。
とはいえ、一度あのような事件があったゲームである。全データが存在するにもかかわらず公開に時間がかかったのは、問題が何もないこと、また今後の対策などがどうなっているのかなどといった問題への精査があったからだ。
それがついにこのたび終わり、ついにALOは新生することとなったわけだ。
記念すべきザ・シードによる第一号、とはいかなかったが、それでも初に近いビッグタイトルになるわけだ。
今後はALOを皮切りに数十から数百にいたるまで、無料から有料まで、様々な世界が誕生していくことだろう。なんとも心躍る話であった。
っと、今はそんな事よりもするべきことがあった。
俺は時計を見た。時刻は午後三時。かつてALOの定期メンテナンスの終了時刻であったこの時間が、ALO復活の時である。長いメンテナンスの終了、という提供企業からのちょっとしたジョークなのかもしれない。
俺はベッドに寝そべり、アミュスフィアをかぶる。そして目を閉じると、深く深く感覚を研ぎ澄ます。
ALOに接続すれば、フレンドとなっているユウキに連絡を取ることが出来る。ここのところずっと気がかりだった、ユウキの様子を確認したかった。
まだ何か問題を抱えているなら力になるし、もう解決したなら悩みのない笑顔を見せて安心させてほしい。何か問題があると知っているのに何もできない居心地の悪さは、もう勘弁である。
内心で溜め息をつき、俺はアミュスフィアの位置を軽く直す。そして、かつて身を浸し、今もまた手を伸ばしている仮想の異世界――脳裏に浮かぶ妖精たちの楽園へ向けて、意識を飛ばした。
*
アスナ救出の際に使っていたアバター《Souma》の姿そのままでログインした俺は、降り立った場所を見渡して確認する。
かつても最初に見た景色。見覚えのあるこの場所は、インプ族のスタート地点である街で間違いなさそうだった。
とはいえ、あの時とは決定的に違っている点が一つある。
それは、街のいたるところからプレイヤーの歓声が聞こえてくることである。
俺だけではない。みんな待っていたのだ。この世界の復活を。
理由は様々だろう。俺のように誰かと連絡を取りたいがために。あるいは、まだ終わっていない冒険をするために。欲しかった装備を作るために。空を飛びたいがために。そして、ただこの世界を愛しているために。彼らはこうして戻ってくる時を待っていたのだ。心の底から。
絶えない喜びの声、そして待ちきれないとばかりに翅を広げて飛んでいくプレイヤーたち。その誰もが満面の笑みを浮かべて、楽しそうにこの世界を生きていた。
「……そういや、キリトが言ってたな」
茅場晶彦は、アインクラッドという鉄の城が此処ではない何処かに存在すると信じていた、と。
その具現がSAOだったのだと。茅場晶彦にとっての夢。頑なに信じてきた鉄の城が存在する異世界を、茅場は自らの手で作り出した。
それは茅場が夢見た本物ではない。けれど、求めずにはいられなかったのだろう。誰もが妄想と呼んで片付けてしまう、此処ではない何処か。茅場はその存在を信じ続け、しかし結局本物を目にすることは出来なかったわけだが……。
けれど、SAOは本物だったと俺は思う。そして、この世界も。
SAOでは生と死が存在していたがゆえに、まさしく異世界たり得た。ALOではそのシステムはない。けれど……いま俺の目に映る彼らの笑顔、そしてかつて見た涙、怒り。その表情はシステムによって表現されたものかもしれないが、込められた感情だけは本物だ。
だからきっと、この世界だって本物の異世界なのだ。俺たちが、そうだと信じる限り。
この世界で俺たちが経験したことは、決して偽物なんかじゃない。茅場晶彦の夢は、叶っていたのだと俺は思う。鉄の城アインクラッドは実在していた。SAOという異世界の中に。だって、俺たちはあの世界で本当に生きていたのだから。
「――ん?」
ふと、メッセージの着信があることに気がつく。
ALOが復帰したばかりのこの時間に、誰が。
疑問に思いつつメッセージを開いた直後。俺は驚いて目を丸くし、次いで湧き上がる笑みを押し殺すように肩を揺らした。
そして、背中の翅に力を入れて飛び上がる。目指す場所へ向かって。
メッセージには、こうあったのだ。
『ひさしぶり! 会いたいんだけど、大丈夫? 大丈夫なら、世界の真ん中で待ってます!』
差し出し人:ユウキ、と。
*
レクトに代わり、新たなALOの運営者となった企業は、かつて多くのALOプレイヤーの悲願であったものを惜しげもなく解放した。
飛行距離と飛行高度、両者のシステム的限界を全て取り払ったのだ。
ALOプレイヤーがグランドクエスト攻略を切望していたのは、この両者の撤廃こそが目的であった。世界樹の上空には妖精の王が暮らしており、彼の王へと謁見が叶えば、《アルフ》と呼ばれる上位種族へと転生し、自由にどこまでも飛ぶことができるようになる。
どこまでも遠く、もっともっと高く。グランドクエスト攻略の名誉など、彼らにしてみればオマケであった。根源的にプレイヤーが求めていたのは、その一点。「永遠の翼」こそを欲していたのである。
そして今、その悲願は現実のものとなった。俺はインプの街から高く高く上昇し、そして翅を思いっきり震わせると、弾丸のように加速して水平に飛翔する。
翅の震えは徐々に小さくなっていき、空気抵抗を極限まで抑えるために折り畳まれていく。かつては飛行距離の限界が邪魔をしていたが、今はもう関係がない。速度を緩めることなくどこまでも飛べるのだ。
風を切り空を往く感覚の中、俺の心にはかつて感じたことのない満足感と爽快感が広がっていた。
さながら彗星になったようだ、と眼下の山――ルグルー回廊を抱える巨山を見下ろして思いつつ、更に俺は加速した。
ユウキが待っているといった場所。この世界の中心、世界樹。すでに目の前にまで見えている天を貫く巨大な樹は、今やこうして自力で飛んでいける場所になった。
しかし、それでもなお世界樹が持つ神秘性は損なわれていない。手軽に行ける、行けないは関係なく、その巨大にして荘厳な威容は見る者全てが畏怖を抱くに十分な物であった。
「よっ、と」
そんな世界樹の前に設えられた広場に、俺は静かに着地した。ALOで飛んだ時間は二日あるかないかという僅かなものであったが、存外なんとかなるものである。
「しかし……ユウキのやつ、いないな」
辺りを見回しても、それらしきインプの少女の姿は見えなかった。
代わりに、何人かのプレイヤーが思い思いに過ごしている姿は見ることができた。
この世界の代名詞ともいえるメインクエストの舞台でもあったこの場所は、しかしそのクエストが無くなったことで、半ば記念公園じみた観光スポットみたいなものになっているようだった。
グランドクエストに挑んだ際には見えなかったプレイヤーたち。その重要性ゆえに敬遠していたであろうこの場所が、気軽に来られる場所になっているとは感慨深い。またいずれ大きなクエストでも用意してほしいものである。
しかし、困ったな。ここにいないとなると、どこだろうか。世界の真ん中と言っていたから、てっきり世界樹前広場のことだと思っていたのだが……。
「あ」
はたと思いつく。
ひょっとしたら、あそこかもしれない。
ここにいないということは、その可能性は高そうだった。
俺はくるりと踵を返す。かつて立ち向かった場所に背を向けて、脳裏に浮かんだ場所に向かって歩き出した。
グランドクエストに挑戦する直前。俺とユウキは一時的にログアウトしたキリトとリーファを待つ間に、世界樹の周りを少しだけ歩いた。
そしてやがて辿り着いた小さなベンチに腰を下ろして、尋ねられたSAOでのことについて色々話したのを覚えている。
今でも何故ユウキがいきなりあんなことを訊いてきたのかはわからない。俺とキリトがSAO生還者であると推測するのは難しいことではない。けれど、そこから一歩踏み込んで質問してきたユウキには、好奇心以上の何かがあったように思えた。
それが何であるかは……気にならないわけではないが、別段聞いてみようとは思わない。
恐らくは彼女の悩みに関することであったのだろうが、何も言わなかったということは言いたくなかったのだろう。なら、それでよかった。
しかし、彼女のことは気にかかった。悩みの詳細については、知らなくてもいい。けれど、それでユウキが困っているのなら力になりたかった。
とはいえ、あの時からもうだいぶ時間が過ぎた。今も困っているなら力になるが、もうその問題は解決したのかもしれない。一体どうしているのか、それだけが気にかかった。
少し歩いていける先、小さなベンチが視界に映り始める。そこに座って足をぶらぶらさせている小柄なインプの少女。彼女は俺に気付くと、ぱっと笑みを浮かべて立ち上がった。
「ソーマー! ひっさしぶりー!」
ぶんぶんと手を振り、満面の笑みで俺の名前を呼ぶ。
その姿は、俺が知る彼女よりもずっと晴れ晴れとして輝いていた。
――心配の必要はなかったか。
俺は心に広がる安堵と喜びに思わず口の端を持ち上げ、そして呼びかけに応えるべく右手を上げると、同じように振り返した。
*
それから、俺たちは沢山の話をした。俺は俺の現実での生活を話し、ユウキはユウキの現実での話を話した。
とはいっても、何故か彼女の話す話題は偏っていた。どうにも、幼い時分の話が多いような気がしたのだ。
それに、ここ最近の話が滅多に出ない。せいぜいが姉やその仲間とのゲーム体験談ぐらいのものだ。
まるで、今はゲームしかしていないとでもいうかのようだった。その認識が正しいということはないだろうが、少なくとも学校に行っていないのは間違いないと思う。会話の中でそのことは察せられた。
しかしながらこれだけ明るく話しているのだ。不登校、というわけでもなさそうだ。引き籠り、というにも活発すぎる。どうにも彼女のリアルでの状況がつかみにくいが……まぁ、いいか。
リアルへの干渉はタブーである。あっちから言ってくるなら別だが、俺が邪推してもいいことではないだろう。
俺はそう結論付けると、話を続けるユウキの言葉に相槌を打つのだった。
そうして話し始めてから、気がつけば一時間も経っていた。そのことに俺は驚く。特に話し好きではなかったと自分では思っていただけに、なおさらである。
それだけユウキと話している時間は楽しかった。我ながら意外なことだった。
「……こほん」
「ん?」
何やら一拍置いてわざとらしい咳が聞こえた。
訝しんでユウキを見れば、彼女はその表情を爛漫な笑顔から真面目なものにして俺を見ていた。
「話すのに夢中になっちゃって、遅れちゃったけど……。改めて、ありがとうソウマ」
ぺこりと長い黒髪が重力に従って垂れた。
お辞儀をしたのである。俺にお礼を言って。なんでだ。
「いやいや、急にどうした。心当たりがないんだけど」
疑問がそのまま口をつく。俺としては、何のことやらさっぱりだった。
ユウキが顔を上げる。そして、首をぶんぶんと横に振った。
「ソウマにとってはそうかもしれないけど、ボクは凄く助かった。ソウマの言葉でね」
「俺の言葉?」
ユウキは神妙に頷いた。
「ボク、……ボクね。ちょっと色々あって、悩んでたんだ。詳しくは言えないけど、ボクを含めたボクの仲間たちはね、誰もが心の底では望んでいて、けど絶対に叶わないとわかっている願いがあったんだ」
皆その願いが叶うことはないとわかっていたから、心に蓋をしていた。触れないようにしていたという。
でもそれがあるからこそ、皆とはより一層強く結びついていたのかもしれないとそうユウキは言った。
しかし。
「……けど、ボクだけが叶っちゃったんだ」
これまではそれで良かったのだろう。けれど、そこからユウキだけが抜けだしてしまった。叶わなかったはずの願いが叶ってしまった。
そのことを知って真っ先に浮かんだ感情は、喜びではなく恐れだったとユウキは言う。
「皆に、どうしても言えなかったんだ。ボクだけがズルをしたみたいで、皆が願って、どうしようもないのに、ボクだけが……。どうしても、皆に会うのが辛くなって。だから、皆から離れてALOに来たんだ」
誰も知らない世界で体を動かしたい。そう思ってまったく異なるタイトルに手を出したのだという。そこで、彼らから逃げたかった、と言わないあたり、ユウキが彼らをどれだけ大切に思っているかが窺えた。
「ALOに来て、よかった。ソウマに会って、キリトやリーファと冒険をして。本当に楽しかった。ここに来たから……ううん、ソウマに会えたから、ボクは皆に向き合う勇気を持てたんだ」
「そんなご大層なことを言った覚えはないんだが……」
何度思い返してもそんな記憶はない。いっそユウキの勘違いではとすら思ってしまう。
しかし、ユウキはそんな俺の思考を否定するように首を振る。
「ソウマにとっては、そうかもしれない。けど、ボクにとってはすごく大切なことだったんだ。……だから、どうしてもお礼が言いたかったんだ」
ユウキは改めて俺と向き直った。そして、頭を下げる。
「ありがとう、ソウマ」
再びユウキの顔が隠れてその艶やかな黒髪だけが視界に映る。
俺としては心当たりがないために、お礼を言われたとしても微妙な気持ちだ。嬉しくないわけではないが、何と返していいのかわからないのである。
どういたしまして、とは身に覚えがないのに言えない。それこそ、とりあえず言っておけ、みたいに適当に返しているかのようで失礼な気がした。
とはいえ、ユウキとしては本当に感謝してくれているのだろう。その気持ちも無碍にはしたくなかった。
だから……そうだな。感謝の気持ちに対して、俺は要求をしようと思う。
感謝しているのなら、要求を呑んでもらおうか、というような感じで。
「ユウキ」
呼びかけると、ユウキは顔を上げた。
神妙な面持ちの彼女に、俺は思いついた要求を突き付けた。
「とりあえず、笑え」
「え?」
きょとんとされた。
いやだから。
「俺としては、覚えがないことで感謝されても困る。けど、感謝してくれてるのはわかるから、まぁ一つぐらい言うことを聞いてくれても罰は当たらないんじゃないか?」
「そ、それは別にいいけど……」
「なら、笑え。その……あれだ。人生、笑う門には福来るって言うだろ。な」
恥ずかしいことを言うものではないな、と実感する。けど、半分以上は本心でもある。
笑っていたほうが絶対にいい。ユウキのイメージは俺の中で、明るく笑っている姿なのだ。
それに、ALOに繋げない間、あの意味深な別れでこっちは気を揉んでいたんだ。笑っていてくれれば、俺としては安心できる。だから、それぐらいの要求は呑んでくれてもいいだろうさ。
と、そんなことを考えていると、ユウキはきょとんとした顔から見る見る目じりが下がっていき。
「あは、あはははは!」
大声を上げて笑い始めた。
「大笑いしろとは言ってないぞ」
「あ、はは……はぁ。ごめん、ごめん。でも、なんていうか、ソウマらしいなぁって思って」
「何がらしいだ。俺たち結局一緒に過ごした時間なんて三日もないだろうに」
初めて出会ったその次の日にグランドクエスト。そのまま別れて、久しぶりに今日会ったのだ。三日どころか二日でも怪しいぐらいである。
けれど、ユウキはあっけらかんと言い放つ。
「そんなの関係ないよー。ボクにとってソウマが大切だっていうのは、過ごした時間とは無関係だからね」
「………………まぁ、仲間だしな」
「うん!」
明るく頷くユウキに他意はないようだった。
よかった。下手したら中学生ぐらいのユウキは、俺より五つか六つは下になる。そういう意味だったらどうしようかと思った。俺の自意識過剰だったようで何よりである。
「けど、本当にありがとう、ソウマ。おかげでボク、皆とちゃんと話し合えた。それで……皆から責められたりするかもってほんのちょっとは覚悟してたんだけど、皆ボクのことを改めて受け入れてくれた。変わらず《スリーピング・ナイツ》の一員だって言ってくれたんだ」
「《スリーピング・ナイツ》? それがさっき言ってた仲間内で作ったっていうギルドの名前か?」
「そうそう。へへ、カッコいいでしょ? 姉ちゃんがつけた名前なんだ!」
「そういや、双子の姉がいるって言ってたっけ」
あれは確か、グランドクエストの前。ちょうどここに着く前の会話だったか。
「そうだよ。二卵性だから、あまり似てないとは言われるんだけどね」
「具体的には?」
「うーんとね……ボクは大雑把だけど姉ちゃんは几帳面だし、ボクよりも姉ちゃんのほうが強いし、あとは姉ちゃんのほうが落ち着いてるとは言われるかなぁ」
「へぇ」
そりゃまた随分と似てないな。少なくとも内面はだいぶ違っていそうだ。それに、ユウキより強いってのはちょっと興味ある。
「それと、怒るとめちゃくちゃ怖いところも違うかな。ボクなんかはわりと流しちゃうんだけど、姉ちゃんは根に持つからさー。お説教癖があるのが玉にキズなんだよね」
「お、おう。そうか」
「すっごく優しいんだけど、そのぶん怒ると怖いんだよね。鬼みたいに角が見えちゃうぐらい」
こんな感じ、と言いながらユウキは両手の人差し指を立てて頭の横にくっつける。その顔は笑っているが……お前の正面にいる俺としては、全く笑えんぞ。
話している間に向こうから歩いてきたプレイヤーが一人、ぴたりと立ち止まっているんですが。
「ところでユウキ」
「ん、なに?」
「……お前の後ろに立っているお姉さんは、お知り合いで?」
「へ?」
くるりとユウキが後ろを向く。そして、「ぴっ!?」と変な声を漏らした。
そこには、笑ってこそいるが明らかに怒った雰囲気を漂わせているウンディーネの少女が一人、座っているユウキを見下ろして立っていたのだ。
「……楽しい楽しいと言うもんだから来てみたけど、確かに随分と楽しいお話をしていたみたいね? ユウキ」
「ね、姉ちゃん……」
俺はプレイヤーネームを確認する。《ラン》、それがこのウンディーネの少女の名前だった。ユウキはそのプレイヤーネームを見て確信したらしい。その表情は見る見る青くなっていった。
彼女は、ユウキと同じく長い髪を手でさっと流す。ウンディーネらしく青く透き通った髪は陽光が反射し、美しいの一言だったが……そんな髪よりも更に青い顔をしているインプの少女のほうが気になって仕方がなかった。
「まったく……ログアウトしたら、覚えてなさいよ」
「りょ、りょーかい」
力なく敬礼したユウキに嘆息をこぼし、そのウンディーネ――プレイヤーネーム《ラン》は俺のほうへと近寄った。
「はじめまして、ですね。ユウキの姉のランといいます。あなたは、ソウマさん?」
「確かに、俺がソウマだけど」
確かめるように呼ばれた問いに答えると、ランは笑顔で頷いた。
「ユウキが先日はお世話になったみたいで。ありがとうございます、ソウマさん」
「いや、俺も楽しかったから。感謝するならこっちもだよ」
実際、俺やキリトがユウキに助けられた面もある。そのため一方的に感謝されるのはおかしな話だと俺が苦笑すれば、目の前の少女は「本当に、ユウキが言うように優しい人なんですね」と言った。
あいつ、何を人に言ってるんだ。恥ずかしい。他人から友人の自分に対する評価を聴くなんて羞恥プレイ以外の何物でもないぞ。
俺がそんなふうに内心身悶えしていると、不意にランが俺に身を寄せてきた。かなりの密接距離に俺が思わず驚くと、
「……ユウキ、かなり無理をしていたんです。けどこの世界に行って、帰ってきてから、ユウキはまた前のように笑ってくれていました。本当に、ありがとうございます」
囁くような小ささであったが、しかし真剣な声音だった。
ユウキのことを本当に思っているとわかる、その言葉に、俺もまた真剣に返す。
「俺じゃないさ。ユウキには俺のほうこそ助けられた。自分が悩んでいても、俺たちに手を貸してくれた。大した奴だよ」
ランは少しばかり驚いた表情を見せたが、すぐに「自慢の妹ですから」と言って笑った。アバターとはいえ、その笑顔は確かに双子というだけあってユウキの笑顔とよく似ている。
そんなことを思ったその時。
「あー! ね、姉ちゃん近い! 近いよ!」
ユウキが何故かひどく慌てた様子で俺たちを指さして狼狽えていた。
しかしそんなユウキとは対照的に、ランは「あら?」と落ち着いた様子で一言こぼすと、ユウキを見て、俺を見て、もう一度ユウキを見た。
そして変わらず余裕なさ気な妹の姿を確認した後――にんまりと笑う。
直後、顔はユウキに向けたまま、
「えい」
掛け声と共に、更に俺に寄ってきた。
「っ! も、もういいでしょ! 帰ろう、帰るよ! ログアウト!」
瞬時に俺たちの傍までやって来たユウキは、ぐいぐいとランの腕を取って引っ張り始めた。
それに仕方ないとばかりに「はいはい」と言って従い、俺から離れていくラン。その時、片目をつぶって俺に謝ってきたので、俺は苦笑いで肩をすくめた。
「それじゃあ、失礼しますね。ソウマさん」
「もう! ……じゃあね、ソウマ。また一緒に冒険しよう!」
二人はそう言って手を振った。
俺もまた二人に手を振り返しながら……ふと思いついてユウキにメッセージを送る。
長年使い、何度も打った漢字四つの固有名詞である。
すぐさま打ち終えて送信したそれが、ユウキの元に届く。気がついたユウキが訝しみながらもメッセージを開いた。そして、その目を真ん丸に見開き、俺に視線を合わせる。
「ソウマ! これ……!」
プライベートメッセージで送られたそれは、隣のランには見えていないだろう。
俺は笑ってユウキに答えた。
「背中を預けた相棒の名前も知らないんじゃ、格好つかないだろ。ま、友達になった記念ってことで」
不思議と俺はこの少女のことを信頼していた。共に過ごした時間は本当に短いというのに。
この子とはどこかで繋がっている、気がする。そうとしか表現できない、なんとも言葉にはしがたい不思議な感覚であった。
「ボクも――」
さっとユウキが指を空間に走らせる。そして直後、俺の元にもメッセージが届いた。
その中身を確認し、俺は思わず笑みを漏らした。
「それじゃ、また今度な。キリトやリーファも誘って遊びに行こう」
「あはは、いいね! 楽しみにしてる!」
言って、ユウキは満面の笑みを浮かべてランと共にメニューを開いた。その最下部に設置されたボタンを押す間際、俺は彼女に声をかけた。
「じゃあな、木綿季」
「うん! またね、総真!」
ぶんぶんと手を振り、控えめにお辞儀をしたランと共にユウキはログアウトした。
それを見送った俺は、「さて」と呟くとメニューを開く。そしてもう一度メッセージ画面を呼び出した。
「ま、キリトのことだ。あいつも早速ログインしてるだろ」
言って、指を軽快に走らせる。
皆で集まろう。そんなシンプルな誘い文句が空中に躍った。
これにてユウキの悩みについても一応の完結を見たことになります。
ちなみにユウキの姉である藍子は原作において台詞等もないため、ほぼオリジナルに近いキャラになっているかと思います。どうかご了承くださいませ。
あとはまた後日談、あるいはエピローグか。
また更新した際には読んでいただければ幸いです。