もし一人のオリキャラが増えることで、ユウキが生きるルートが生まれるなら   作:葦束良日

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12 ダイシー・カフェ

 

 二〇二五年の一月、ALOでの事件を経てSAOによって仮想世界に囚われていた者達はその全てが現実世界に帰還した。

 それから須郷の逮捕、世界の種子などなどのVR自体の進退にもかかわるすったもんだがあった後、同年の五月、ALO内に新たな高レベルマップ――《浮遊城アインクラッド》が実装された。

 これは多くのSAOプレイヤーやSAOに興味があった者達からの要望によって実現したものであり、この新たなマップの実装は多くのALOプレイヤーたちを歓喜させた。

 

 かつて剣の世界に生きた者達は「あの冒険の続きを」と。その世界を知らない者達は「かの冒険の体験を」と。

 

 事件発生から三年弱。SAOの被害者やその家族でもない大多数の一般プレイヤーにとって、《SAO》の《アインクラッド》とは、一種の伝説的ダンジョンというような扱いなのだった。

 

 その実装が行われる直前。俺たちの仲間内ではある計画が進んでいた。それは、かつてのSAOの仲間たちで集まって打ち上げパーティーをしようというものだ。

 SAO解放の英雄、キリト。その親しい仲間たちを呼んで現実世界で会おう。いわゆるSAOのオフ会である。

 これには全員が賛成した。キリト、リズ、シリカ、エギル、クライン、ユウキ、俺。アルゴは連絡先が分からず参加は無理そうだったが、あとはアインクラッド解放軍の良識派として知られたシンカーやユリエールら、更にはALOで力を貸してくれたリーファなどはOKをくれた。

 これにより近くの開催は確実と思われた。が、しかし。ふとアスナが言った一言により、開催は先に延びることとなっていた。

 

 「ユウキにも来てほしい」と。

 

 ユウキは現在入院中。快方に向かっているとはいえ、いまだ外に出歩くことは禁止されているため、パーティーに直接参加することは出来ない。それを知っていながらの発言だった。

 ALOの中で集まってその話が出た際、ユウキは気を使って「ボクは気にしないよ」と言ったのだが、これに我らが副団長は強硬に反対。曰く、全員そろってこその仲間であり、一緒に喜びを共有してほしいと譲らなかったのだ。

 「それでも自分はSAOに参加してないし……」とユウキが言えば、アスナは「そんなの関係ないわ、私は私を助けてくれたあなたに本当に感謝している。なのに、そんなあなた抜きじゃ心から喜べないでしょう? だから気にしないで、体が治った後に参加してほしい」と言って、ユウキの頭を撫でて笑ったのだった。

 ユウキはその言葉に少しばかり涙ぐみ、頷いた。

 

 後にユウキは俺に「アスナって、少し姉ちゃんに似ている」、そうこぼした。それは単純にアスナの種族がウンディーネだからというようなことでもなく、その心根からしてどこか共通点があるという事なのだろう。

 優しく人を安心させる包容力があるアスナは、確かにランと似ている部分もあるのかもしれない。俺はそんなことを思いつつ、申し訳なさそうにしながらも嬉しそうなユウキの頭を撫でたのだった。

 

 こうして、SAO攻略記念のパーティーは少しだけ時期を遅らせることとなった。その理由を知らせれば誰もが二つ返事で了解を示してくれた。本当にいい仲間を持ったものである。

 

 そうして、俺たちは再びALOでの日常的な冒険に戻った。主にアインクラッドの攻略に重きを置き、「今度こそ第一層から第百層までクリアしてやる」と豪語して剣を振るう日々。

 時には別行動をとり、時には集まって喋り、冒険だけではない過ごし方でもALOを俺たちは心から楽しんでいた。

 その中には様々な出会いがあり、スリーピング・ナイツとのアインクラッド攻略勝負はその最たるものだっただろうが、それは今は置いておこう。

 

 ともあれ、そうして時は過ぎて二〇二五年の十一月。

 この月の半ばに、ついにユウキの退院が決まったのだった。

 

 

 

 

 その日、俺は木綿季の退院に付き添うために病院に足を運んでいた。

 病室を訪れ、退院の為にまとめた荷物などの確認をしていく。部屋の中を見渡し、忘れ物がないかのチェック。

 その際、クローゼットの中に一つ忘れ物があったのだが、それを教えると木綿季は顔を真っ赤にして「わー! わー!」と大慌てで忘れ物を回収した。薄い青色をした手のひら大の布の塊だったのだが……果たしてそれが何であったのかは、突っ込まない方がいいのだろう。

 そうした準備を終えて、一息つく。そして荷物を受け取って両手に持つ。ユウキは遠慮したが、力仕事ぐらいは任せてほしかった。

 そして部屋を出る時、木綿季は感慨深げに部屋の中を一瞥した。

 

「どうした?」

「――ううん、なんでもない。行こっ!」

 

 木綿季はくるりと踵を返して部屋を出ていく。俺も何も言わずにその後を追った。

 ここで何かを言うのは無粋になる。そんな気がしたからだった。

 部屋の外で待っていてくれた倉橋先生に先導されて、俺たちは病院の中を歩く。そして出入り口まで来ると、倉橋先生と、俺も何度もお見舞いに来る中で顔見知りになっていた看護師の人が見送りに来てくれていた。

 本当なら、日本人初のAIDS完治者ということで取材などもあったらしいが、それらはすべて断り、退院日についても年明けになるだろうと伝えてあるらしい。全ては倉橋先生とこの病院の気遣いである。本当にいい病院だと思う。

 そのためここにいるのは木綿季も知る、ごく少数の人だけだ。俺、倉橋先生、看護師の女性が二人。

 驚いたことに、この病院の院長先生も見送りに来てくれていた。白一色の頭の恰幅の良い男性。やはり木綿季が完治した、というのはそれだけ大きなことなのだろう。

 

「これまで長い間、本当にお世話になりました!」

 

 木綿季は満面の笑みを浮かべて、そう見送りに来てくれた人たちに頭を下げた。すっかり背中まで伸びた長い髪が揺れる。横に立つ俺が突っ立っているのも体裁が悪いので、俺も一緒になって頭を下げた。

 それを受けて、倉橋先生は朗らかに笑った。

 

「こちらこそ、感無量です。なかなか治してあげられず、本当に申し訳ない日々だった……けれどそれが報われて、いま木綿季君が笑顔でいてくれることは何よりの喜びです」

 

 その言葉に、誰もが笑って頷いていた。

 看護師の方々も「元気でね」「妹が出来たみたいだったわ」と木綿季と握手を交わし、院長先生も「元気になって本当に良かった。大変なことはあるだろうが、頑張ってください」と笑顔で木綿季のこれからを祈ってくれた。

 それらを受け、木綿季は涙ぐんで笑った。

 

「えっと、皆さん、本当にありがとうございました! 倉橋先生には、これからもお世話になりますけど……」

 

 木綿季がちらりと倉橋先生を見ると、そこには苦笑した先生の姿があった。

 

「はは、僕も妻も木綿季君と暮らすのを心待ちにしていますよ。家で待っていますね」

「はい!」

 

 そう、二人は微笑みをかわしあった。

 

 

 ――木綿季が退院することになった時、困ったのは木綿季を受け入れてくれるところだった。

 彼女は天涯孤独というわけではない。確かに直接の家族は既にこの世にいないが、その親類縁者、親戚筋の人間は何人も存在しているのである。

 しかし、彼らは木綿季たち一家に冷淡だった。両親が死んだ際にも木綿季たち姉妹のことを腫れ物としか扱わず、二人とも先が長くないと知れば、財産である家の権利などを譲れと病院にまでやって来る。

 藍子がいなくなり木綿季一人となった時も、すぐにやって来て相続手続きの打診をしてきたという。その時はさすがに耐えかねた倉橋先生が追い返したらしい。まったくもって、信用ならない人たちなのだった。

 そのため、木綿季に完治の目途が出ると、彼らの間で木綿季は家に迎えれば家計を圧迫するだけの厄介者となっていた。であるからこそ、当初は施設暮らしという案すら出ていたほどだ。

 しかし、そこで倉橋先生が別の案を持ってきた。

 ある日、覚悟を決めた顔、というのだろうか。真剣な面持ちで、先生はこう切り出したのだ。

 

 ――木綿季君。君さえよければ、僕の娘になってみませんか。

 

 この提案に、それを聞かされた木綿季も俺も驚いたのは言うまでもない。

 現在、倉橋先生は奥さんと二歳になる娘さんとの三人暮らしだという。この病院からほど近い場所に一軒家を持ち、そこで暮らしている。

 先生は奥さんに木綿季のことについては既に話してあり、奥さんは快く了承してくれているという。倉橋先生の稼ぎ的にも十分に余裕があるので心配はないと付け足してもくれた。

 それに、もしよければ名字はそのままにしてもらっても構わないとまで言ってくれる。紺野という名字には今は亡き家族との繋がりがある。どこまでも木綿季のことを考えてくれる本当にいい人だった。

 倉橋先生は考えて欲しい、と言ったが、木綿季の答えは即答だった。

 

 ――はい! よろしくお願いします!

 

 笑顔で告げられたその返事により、退院後の木綿季の去就が決まったのであった。

 そしてこのやり取りの間、俺が非常に居心地の悪い思いをしていたのは言うまでもない。どう見ても俺は部外者だからである。

 病室から出た後でそう話してみたところ、倉橋先生は笑って言った。「君にも聞いてもらいたかったんです、僕の覚悟の証人として」と。

 なるほどそれなら、と俺は納得したのだが、その後に続いた言葉があった。

「それに君は、木綿季君とは他人の関係でなくなるかもしれませんしね」と。

 俺は当然のように、さも何を言っているのかわからないという顔をしてスルーしたのだった。

 

 

 そんなわけで木綿季にとって、退院後に帰る家は倉橋家となったわけだ。それゆえのやり取りの後、倉橋先生は俺のほうを見た。

 

「高谷君。終わり次第、木綿季君を送ってあげてください」

「はい。きちんとお届けします」

 

 俺が約束すると、倉橋先生は「それなら安心です」と言ってニコリと笑った。

 そして俺たちはもう一度頭を下げて、手を振ってくれる病院の人たちに見送られながら横浜港北総合病院を後にした。

 木綿季と並んで外を歩く。入院時の散歩の時とは違う、これからは自由に街にまで足を伸ばすことが出来るという事実に、俺の心にも深い感慨が宿る。

 経過観察のための通院こそ未だ必要だが、それでもこうして彼女が何にも縛られずに外を歩くのは一体何年ぶりのことなのだろうか。

 これまでのことを思えば、本当に胸を打つ感情が去来して目頭が熱くなるようだった。

 その時、ふと隣をゆっくり歩いていた木綿季が振り返る。

 その視線の先には、少しだけ距離が開いたことで全体を見て取ることが出来る白亜の棟。

 これまで何年も自分や家族が過ごしてきた場所。そこをじっと見つめる木綿季の姿がいやに小さく見えて、俺は木綿季の存在を確かめるかのようにその肩にそっと手を乗せた。

 そして、そういえばまだ言っていなかった一言を口にした。

 

「退院おめでとう、木綿季」

 

 木綿季はぴくりと肩を震わせる。そして肩に置かれた俺の手の上から自分のそれを重ねると、

 

「うん……ありがとう、総真」

 

 少しだけ掠れた、けれど嬉しそうな声で、そう答える。

 重なり合った手から伝わる体温が名残惜しく感じて、俺たちはしばらくそのまま佇んでいた。

 

 

 

 

「ここ? 総真」

「ああ」

 

 病院を出た俺たちは、そのまま一直線にある場所を目指していた。

 それがここ、東京都台東区御徒町の表通りから外れた一角にある、こじんまりとした雑居ビルの一階にて営業しているバー&カフェ。

 

 その名も、ダイシー・カフェ。

 

 ここはSAOで攻略組に所属しながらも商人として数々のプレイヤーをサポートしてきた黒人プレイヤー、エギルが経営するお店なのである。

 ダークブラウンのウッド調でシックにまとめられた店の外装を、木綿季は興味深げに「へー、ほー」と頭を揺らしながら観察している。

 そのゆらゆら動く頭を片手で抑えて固定させ、俺は「さっさと入るぞー」と促す。木綿季も姿勢を正して、「了解っ」と小さく敬礼。とぼけた仕草に苦笑しながら扉に手を伸ばしたところで、後ろから「あれ?」と聞き慣れた声が耳に入った。

 俺と木綿季、二人揃って振りかえれば、そこには黒髪で女顔の少年が一人。そしてその後ろには、整った容姿の少女が二人控えていた。

 

「和人に明日奈、それに直葉か」

「やっぱり総真か。となると、隣にいるのは……」

 

 和人の視線が横に滑る。俺は頷いた。

 

「お察しの通り、ユウキだよ」

 

 俺が答えると、和人はやっぱりと得心した顔になった後、少し戸惑いを見せている木綿季に向き直った。

 

「こっちでは初めましてだな。俺はキリト、本名は桐ヶ谷和人だ。よろしく、ユウキ」

「キリト!? なるほどー、桐ケ谷和人だからキリトだったんだね。ボクは紺野木綿季だよ、よろしくね!」

 

 ようやく相手の正体がわかって一気に気を緩めた木綿季が、常の明るい笑顔で挨拶を返す。

 すると、今度はキリトの後ろから二人の少女が一歩前に出てきた。

 黒髪を肩口で切り揃えた少女が、まずは口を開く。

 

「わたしはリーファ改め、桐ヶ谷直葉。お兄ちゃんともどもよろしくね」

「うん、よろしくね直葉」

 

 笑みをかわす二人。

 グランドクエスト攻略の時、ずっと一緒に冒険してきた仲だし、ある程度は気心も知れている。ごく自然な態度で対面した直葉との後、今度は長い栗色の髪をなびかせた少女が木綿季の前に立った。

 

「私はアスナ。結城明日奈よ。改めて、あの時は本当にありがとう、木綿季さん」

「あはは、固いよーアスナ。向こうみたいに、呼び捨てでいいから」

「そ、そう? それじゃあ、よろしくね木綿季」

「うん!」

 

 あの事件の後、ALOが復活して明日奈のリハビリがひと段落してからは、木綿季も既に何度も明日奈とはあの世界で一緒に過ごしている。

 その中で明日奈から木綿季に感謝したことは最初に勿論あったが、やはり現実でこうして会ったからにはもう一度しっかり言いたくなったのだろう。その辺りは真面目な明日奈らしい。

 そうして店先で自己紹介を済ませた俺たちだったが、今は十一月。そろそろ長時間外にいるには辛い時期となっていることもあり、俺は「そろそろ中に入ろう」と全員を促す。

 それに揃って首肯が返ってきたのを受けて、俺はドアノブを掴んで、一気にそれを回した。

 

 パーン! 開かれた扉と同時に耳に届いたつんざくような音。俺たちが驚いて固まっていると、店内でこちらに向けて小さな紙製の筒を構えている何人もの人間がいた。今の音の原因は彼らの手にあるそれ、クラッカーだろう。

 木綿季と明日奈、和人は突然のことに驚き顔。しかし直葉が苦笑しているところを見ると、どうも直葉は知っていたようだ。

 俺はすぐに彼らの思惑を察し、呆れと喜びをない交ぜにしたような気持ちで嘆息をこぼした。

 

「お前らなぁ……」

「俺たち、遅刻はしてないと思うんだけど」

 

 俺に続いてキリトが言えば、皆の中からひょっこりと短い明るめの黒髪をヘアピンで留めた少女が顔を出す。リズベットこと篠崎里香だ。

 彼女はゲームの中と同じ、にやりと憎めない笑みを浮かべた。

 

「アンタたちには遅い時間を伝えてたのよ。主役は遅れて来るものでしょ?」

「ったく、揃いも揃って」

 

 俺が周りを見渡せば、そこにはしてやったりとばかりに笑う連中ばかりがいる。ものの見事に引っかかったわけだが、そこに不快感は微塵もない。

 和人、明日奈、それに木綿季も楽しそうに笑っている。こちらを歓迎する気持ちが伝わるからこそだろう。まったくもって、得難い仲間たちだった。

 

「ほらほら、アンタらはこっち、こっち」

「わわっ、ちょっと、リズ?」

 

 そして里香はぐいぐいと和人と木綿季を押して、皆の前――ちょうど対面するような形にある一段高い場所に立たせる。いわゆる特等席、ということなのだろう。

 そんな場所に立たされて少し座りが悪そうな二人に向けて、全員が一斉に(俺と明日奈、直葉も素早く渡された)手に持ったクラッカーをもう一度鳴らした。

 同時に、「せーの」と声が響き。

 

「キリト、SAOクリアおめでとう! アーンド、ユウキ退院おめでとーッ!」

 

 直後にダメ押しとばかりに破裂音が鳴り、次いで拍手の音が響き渡る。

 それを向けられている本日の主役である二人は、それぞれ照れ臭そうにしていた。キリトは参ったなとばかりに頭を掻き、木綿季はどうすればいいのかと目を泳がせている。

 それでもその顔には笑みが浮かんでおり、決して嫌がってなどいないことは明らかだ。

 

 こうしてまずは何とも明るく賑やかに、一年越しのSAOクリア記念パーティーは始まったのだった。

 

 

 

 

 バーカウンターに座り、俺はワイワイと話す皆に目を向ける。

 リズ、シリカ、アスナ、シンカー、ユリエール、風林火山メンバーに、リーファ、ユウキ。何度となく世話になったアルゴがいないのが悔やまれるが、SAOやALOを通じて絆を深めた仲間たちが、今こうして現実世界で笑い合っている姿は、やはり感じるものがあった。

 

「マスター。バーボン、ロックで」

 

 隣に座った和人が未成年にあるまじき注文をする。

 それを受けるエギル(本人から俺の名前は言いにくいだろうからエギルでいいと言われている)は、呆れながらも飲み物を用意して和人に出す。口にした和人は、しかめっ面をしている。バーボンではなかったのだろう。当然だ。

 

「エギル、俺もバーボン。もち本物な」

 

 今度は壺井遼太郎――クラインが注文をする。今度は成人している社会人ということもあり、エギルはそのまま注文された品を出し、クラインはそれで美味そうに喉を潤した。

 

「ソウマ、お前はどうする?」

「そうだな……ウーロン茶で」

「ん? お前、成人してなかったか?」

「そうだけど、このあと木綿季を送っていかなきゃならんからな。酔って未成年のエスコートするわけにはいかんだろ」

 

 それはさすがに常識がないってもんだ。

 そう伝えるとエギルは納得したのか、頷いて俺にウーロン茶を注いだグラスを差し出す。

 受け取った俺はそれを口に含み、幾つかのテーブルに分かれて料理に手を出しつつ談笑する彼らを見る。

 自然、俺の視線は木綿季へと向かう。彼女は明日奈の横で何やら話しているようだった。時おり驚いたり、笑ったり、頷いたり。実に楽しそうだった。

 病院の外でこうして過ごしている。今の姿を、ランにも見せてやりたい。ふとそんなことを思った。

 

「そういや、ソウマよぅ。木綿季ちゃんはもう大丈夫なのか?」

 

 横に座ったクラインが尋ねてくる。

 俺はそれに頷いた。

 

「ああ。再発の危険は低いそうだ。まだ経過観察で通院が必要だけど、あくまで念の為とかデータ採集の為という意味が強い」

 

 遺伝子自体が耐性のあるものになっているのだから、余程の事がなければ大丈夫だということだった。

 その言葉を聞いたクラインは、ほっと吐息を漏らした。

 

「そうかぁ……いや、よかった。俺ぁよ、木綿季ちゃんのことをお前から聞いてから、心配でな。俺でも知ってる有名な病気だったしよぉ、本当に良かった、安心したぜ」

 

 クラインは心底そのことを気にしていたようで、その表情にはありありと安堵の色が浮かんでいた。

 和人とエギルも気になっていたのだろう。俺とクラインの会話の後、同じく胸をなでおろしていた。

 不意にクラインがグラスを差し出す。俺は一瞬驚くも、すぐに自らのグラスを掲げた。

 

「前途ある少女の未来に」

「お前、それはクセーよ」

 

 言いつつ、俺たちのグラスは甲高い音を鳴らして交わった。

 うるせー、と拗ねたように言うクラインに苦笑が浮かぶ。

 

「いやー、それにしても壮観だねぇ」

「ん?」

 

 ウーロン茶を口に運んでいると、再びクラインは口を開いた。

 見れば、その視線は女性陣のテーブルに向かっており、鼻の下は伸びていた。またか、と若干呆れる。

 

「SAOの時から思っていたが、美少女ばっかりでよぅ。華やかでいいよなぁ」

「お前、手を出したら犯罪だぞ」

「わぁかってるっつーの。はぁ、出会いが欲しいぜ、俺ぁよ」

「お前も、そのがっつく癖をなくしたらモテると思うけどなぁ。顔は……まぁ、うん。人間性ならすげぇ魅力的だと思うし」

「顔はなんだってんだよぉ、おい」

「好みによるな、と」

「チクショウ!」

 

 クラインがカウンターに突っ伏す。哀れクライン。しかし、同じく俺もダメージを受けている。俺だって決してイケメンというわけではないからな。そういう意味では、女顔とはいっても整った顔をしている和人が羨ましくもある。

 

「な、なんだよ?」

「いや、お前はいいなぁと思ってな」

 

 じっと見つめてやれば、和人はうろたえて、その後首をかしげていた。

 本人は女顔であることを嫌っているらしいからな。隣の芝生は青い、ってことだろうか。あちらがこちらを羨む要素はないように思えるところが悲しいが。

 

「けど、俺に明日奈がいるようにお前には木綿季がいるだろ」

「ん? なんのことだ?」

 

 突然の和人の言葉に、俺は疑問符をつけて返す。

 すると和人は、え、と声を上げた。

 

「何って……彼女がいるから羨ましいって話じゃなかったのか?」

 

 ああ、なるほど。和人は俺とクラインの会話から、俺が発したお前はいいなぁという言葉を彼女持ちへの羨望と受け取ったわけか。

 なるほどなるほど。それで、俺には木綿季がいるから羨ましがるのは筋違いだろうと言うわけか。なるほどなるほど。

 わけがわからないよ。

 

「いや、和人。別に木綿季と俺は付き合ってないからな」

「え、そうなのか?」

 

 そうなのかって、お前。

 

「あっちは十四歳。こっちは二十一歳だぞ。中学生相手に本気にはなれないよ」

 

 俺がそう告げると、和人は頷いた。

 

「ってことは、本気になっちゃいけないって思うほどには好きってことか」

「ぶふっ!」

 

 飲んでいたウーロン茶が思わず噴き出る。

 汚いな! と憤る和人に、俺は咳き込みながら詰め寄った。

 

「いやいや、その理屈はおかしいだろ。あくまで俺は一般的にだな……」

「まぁ、お前の気持ちもわかるがな」

 

 不意に横から掛けられた声に、俺の視線はそちらに向く。

 

「エギル……」

「だが、恋愛ってのは感情論だ。これでもかってぐらいに主観的な話だぞ。一般論ってのは通じない。歳の差があろうが、人種が違おうが、惹かれちまうのはしょうがないもんだ」

 

 和人が「かっこいいな、エギル」と茶化せば、エギルは「うっせ」と軽く返す。俺はそんなやり取りも黙って聞いていた。

 

「ま、要するにだ。下手に偽るぐらいなら、素直になれよ。覚えておいて損はないぜ」

「……おう」

 

 あたかも俺の気持ちが木綿季に向いているのは確定であるかのような扱いだったが、そのことについて否定する気にはなれなかった。

 だから俺は言われるがままに受け入れて頷き、そんな俺にエギルはにかっと男らしい笑顔で応えるのだった。

 

 

 

 

「あー、楽しかった!」

 

 オフ会兼SAOクリア記念パーティー兼木綿季の退院祝いが終わって、星が瞬く澄んだ夜空の下を俺と木綿季は並んで歩いていた。

 言葉通りに楽しめたのだろう。肩より少し下にある木綿季の顔は晴れ晴れとした笑顔で、今にもスキップでもしそうなほどだった。

 

 俺はそんな木綿季の姿を見ながら、和人やエギルに言われたことについて考えていた。俺が木綿季のことをどう思っているかについてだ。

 ここだけの話、もし俺の自意識過剰でないとするならば、木綿季は俺のことを憎からず思っているはずだ。恋愛的な好意を持たれていると断言はできないが、少なくともそれに近い感情はあるように思える。

 この年頃の女の子にしては、手を繋いだりといったスキンシップにも抵抗がなく乗り気だし、以前に告白まがいのことを病室で行ってしまった時も驚いて慌ててはいたが嫌がっている様子はなかった。

 あれから既に数か月経っているが、その間にもひょっとしてと思う場面がなかったわけじゃない。

 だから、きっと木綿季はそれに近い感情を俺に対して持ってくれていると思う。たぶん。

 

 対して、俺はどうか。

 こう言っては何だが、俺はこれまでに女性とお付き合いしたことがない。女友達と友達付き合いの中で出かけたことぐらいは数度あるが、それだけだ。デートと呼べることはしているが、恋人関係になったことはない。

 つまり、少々情けないが、女性に対して俺はそれほど免疫がないのだ。

 考えてみて欲しい。そんな俺に対して、木綿季は懐いてくれているのである。手を握れば照れ臭そうに笑ってくれ、俺が病室に顔を出せば嬉しそうに迎えてくれる。俺の話を嫌がらずに聞いてくれ、何かあれば我がことのように親身になってくれる。

 もう一度言うが、俺は女性に免疫がない男である。そんな俺に、明らかに好意的な対応をしてくれているのだ。それも、美少女がである。

 

 ぶっちゃけて言おう、惚れないわけがない。

 

 十四歳という年齢だけが俺を思い留まらせている点であり、もし俺と木綿季の間に歳の差がなければ既に告白していただろうと思う。それほど、俺はいつの間にか木綿季に惹かれていた。

 けれど、十四歳。彼女は未だ結婚も法律で許されないような年齢であり、退院した今、これからは学校にも通うはずだ。つまり中学生。中学生に手を出すのはいけないだろう。

 そんなわけで、俺の思いは表に出すことは決してなく。本気になってはいけないと言い聞かせてここ最近は過ごしているのだ。見事に和人やエギルには見透かされていたわけだが。

 

 はぁ、と思わず溜め息をつく。

 まさか、一年前にはこんなことになるなんて想像もしていなかった。ユウキと出会ったばかりの時は、単に一緒に行動する仲間というだけだったのに。今ではこれほどまでに俺の中で大きな存在になっているとは、人の関係とは不思議なものである、まったく。

 

「溜め息なんてついて、どうしたの?」

「ん、いや……」

 

 俺の溜め息を聞きとめた木綿季が、下から覗きこむように俺を見上げてくる。

 そんな何気ない仕草にドキッとしつつも、それを悟らせることなく俺は空を見上げた。

 

「月が綺麗だな、と思ってな」

「あ、本当だね」

 

 実際、今日はとても月が澄んで見えるので、我ながらいい誤魔化し方だったと思う。

 薄墨をこぼしたような闇の中に浮かぶ大きな月。星々の明かりが大地を照らす中で、ひときわ大きくこちらを見下ろすそれを、しばらく俺と木綿季は黙って見つめていた。

 

「――死んでもいいわ」

「え?」

 

 ふと耳に届いた言葉に横を見れば、木綿季はすぐに一歩前に飛び出して俺にその表情を見せなかった。

 

「なーんて、ボクには絶対に言えないや! もっともっと、生きたいからね!」

「……ああ、そうだな」

 

 心臓が早鐘のように鳴る。一瞬、そういう意味なのかと思ってしまった。だが、どうやらあの有名なフレーズを持ち出しての雑談に過ぎないようだ。

 俺は胸を撫で下ろして笑おうとして――、

 

「だから、自分の気持ちを伝える時は、きちんと言葉にしたいかな。ちゃんと、わかるようにね」

 

 その続いた言葉に、再び心臓の動きが早くなる。

 木綿季はいま、何を言っているのだろう。そして俺に何を言ってほしいのだろう。

 わからない。わからないが、少なくともこの場を誤魔化すだけのような言葉を言いたくはなかった。せめて自分の本心で、言葉を語りたい。

 そう思い、俺は口を開いた。

 

「――そう、だな。俺も、その時はそうしたいと思う」

 

 きちんと、好きだ、と言葉にしよう。相手にちゃんとわかるように。

 今のように、偶然かの有名な告白シーンをなぞってしまったからといって、それに乗っかるのではなく。

 その時はその時として、きちんと自分で判断して、自分の気持ちを言葉にしたい。

 

 素直な気持ちでそう告げれば、一歩先を行く木綿季は振り返って、嬉しそうに笑った。耳まで真っ赤になったままで。

 そして俺の手を取ると、そのまま再び隣に並ぶ。そして、俺たちが歩む先を指さして俺を見た。

 

「いこ、総真!」

「ああ」

 

 互いに明確に言ったわけではない。けれど、きっと俺たちの気持ちはそういう事なのだろう。

 でも、今はまだこのままで。

 きちんと言うべき時にはこの気持ちを言葉に乗せて伝えるから、今はまだこの曖昧な関係のままでいさせてほしい。木綿季と俺と、それぞれの覚悟がしっかりと定まるその時まで。

 それまではもう少しだけ、このままで。

 

 繋がる手から伝わってくる温もりに俺もまた頬の熱を感じながら、木綿季と一緒に俺は一歩を踏み出した。

 

 

 

 




木綿季はまだ今の自分では足りないと考え、総真は互いの年齢差から一歩踏み出せない。
今の曖昧な関係を選ぶ理由はきっとそんな感じです。

ちなみに最後のワンシーンは夏目漱石の有名な和訳から。
漱石は「I love you」の訳し方を生徒が「我、君を愛す」と答えた際、「日本人はそんな風に言わない、”月が綺麗ですね”としておきなさい」と言ったという逸話から。
「死んでもいいわ」は、二葉亭四迷がロシア文学を訳す際、英語で言う「Yours(あなたに委ねます)」を「死んでもいいわ」と訳したことから。
しばしばセットで使われる、告白とそれをOKする洒落た返しです。

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