俺の意志とは関係なく、体は宙を舞った。
四騎の猛者が互いの主を庇いながらも存分にその武勇を振るう檻にあって、飛び交う礫さえ俺の動きを邪魔できない。
人として生きていた頃は当然、サーヴァントと成った今でさえ自力では不可能な速度で地を駆けながら、これが令呪かとその凄まじさを実感する。
なによりこれだけ走ることに全力を尽くしているのに、隠形に乱れがない。
そこまで意図したものかどうかはともかく、俺をその場に喚び出すのではなく、走って来いなんて命令を下したマスターには信頼で応えるしかあるまい。
状況を把握せぬまま喚び出されるよりは、多少遅れても考える時間と初撃に限るとはいえ速度というアドバンテージを与えてくれたわけだ。
妙に自分を危機に晒したがる皐月の行動を見咎めつつ口には出してこなかった。令呪に期待を置いていたわけではあるまい。これまでも令呪を使えばなお容易く危機から脱する事ができただろうに、彼女はそれを良しとしなかった。
吝嗇か矜持か。今は置こう。
そんな彼女が、今初めてその令呪に訴え俺に助けを求めてきた。状況の悪さは推して知れる。分かっている。
努めて冷静に。
「ランサァアアアアアア!」
肩口から右腕を失い、胸から血を流して地に伏せる主を認め、ランサーへと斬りかかった。
一度の交差にすべての技量を必殺へと傾ける。
ランサーの手数を以ってしても、死につながる一撃を避けてなお次の一撃までに反撃は用意できない。
そう判断したし、事実ランサーはそんな神憑りを成し遂げはしなかった。
突き出された槍に飛び込むように右側面を抜ける。払いへと動きを変えたランサーの槍を撫でるように左手のナイフで捌き、鞘走りの要領でそのままランサーの首へと投擲。
応じたランサーは槍を握る右手で魔槍をしごくようにして短く握り返し、離した左手の甲でナイフを弾いた。死を回避し、なお前に出る俺と槍の丈を合わせる作業を一手のうちに仕込む最善の動き。
ただ、獲物を片手で握り、ナイフを払う際に一瞬そちらに意識を割いた事実は消せない。
引き戻される槍を無理矢理左手で掴んだ。
令呪の後押しが残る体で地を蹴った俺の速度を、なお上回った槍の引きは賞賛に値する。
しかし槍使いが獲物を掴まれてしまえば最早その力は死んだも同然だ。
掴んだ槍に引かれるまま、体勢を崩しながら右手で長剣を引き抜き、そのまま薙ぐ。
これをランサーは脇腹を捨てつつも体を槍に委ねるように大きく躱し、同時に振り上げた右足で槍を握る俺の手を狙ってきた。
足が振り抜かれるよりも早く、振り抜いた剣の勢いに任せて槍の上へと飛び上がる。
結果ランサーによって上へと撃ち出された俺は、前進の勢いと共にランサーの頭上を盗む。
掴み出した投げナイフ全てを出鱈目に放り、見もせずに振りかざされたランサーの槍が幾つかを撃ち落とし、いくつかはその体へと突き立った。
倒れこむように振り仰いだランサーと目が合うが、既に俺は大上段の一撃を用意している。もちろんランサーは受けきるだろう。
ただ、状況は有利だ。傷だらけのランサーと無傷の俺。力量差を埋めきれぬにしても、この先皐月の安全を確保するまでの優位は保てる。
だというのに。どこかに油断があっただろうか。
防御を無視するかのように振り下ろされた剣を無視し、ランサーの槍は俺の腹に狙いをさだめている。
秒を刹那で刻むほどに研ぎ澄まされた意識が、この瞬間に至ってなお加速する。
相打ちは認められない。しかし空中にあって幾許か姿勢を崩しているとはいえ地に構えるランサーの槍は躱せない。
あらゆる手立てが脳髄を駆け巡り、しかしランサーの槍を受けぬ選択肢を拒絶する。
死ななかった、ということでなんとかマスターには妥協してもらうとしよう。
振り下ろされる剣と打ち出される槍は交差すること無く互いの目標を斬り、貫いた。
方や肩から胸まで届く裂傷を。方や左腕を貫かれ獲物にぶら下がっている。
強引に腕を振るうことで槍から逃し、ランサーから距離を取った。
いささかの間断さえなくランサーを見据えたまま応手を打てる体勢を作り直す。続きがあるならばランサーの方が早いのは間違いない。
しかし意識を燃やし尽くすような集中の後だ。膝をつくことこそ無いが、ランサーの傷も戦闘の継続が致命になるもので、俺が恐れた即座の継戦はなかった。
「何故受けなかった?」
深く息を吐くランサーの呼吸を測りながら、短い問いを放る。
ランサーの技量をもってすれば受けに回って不利になるほど完成した一撃ではなかったはずだ。
無論こうして俺は傷を負ったが、ランサーの傷はその比ではない。
この一手が天秤をランサーへ傾ける物ではない事はランサーとて理解しているはずだ。仮令俺を倒したとしても、この後を考えるなら無意味な傷は負うべきではない。
だというのに、
「そっちの方が面白いからさ。全部読み通りみたいな面してたてめぇが最後だけ絵に書いた無表情だったぜ」
楽しくてしょうがないとでも言いたげにランサーは不敵な笑いを浮かべたままそう言い切った。
本心からそう思っているのだろう。ランサーの表情には何の衒いもない。
俺とは別種な思考。英雄と言われるような連中は皆こうなのだろうか。
「…………俺の人生では会わなかった人格像だ。それで? 引いてくれるなら有難いが」
「馬鹿を言え。お前は期待以上だった。ここを逃しちゃもう次は無いだろ。何しろお前のマスターはくたばっちまったんだし」
親指を向けてランサーは自分の背を指した。
ランサーが影になって俺の目には見えないが、そこに皐月が居るのだろう。
ランサーの心得違いを正してやるのは吝かではないが、従者として先にマスターの意向を問わねばなるまい。
『とか言っているぞ、皐月』
『…………もっとこう心配するとか無いのか? こっちは初めての死亡経験にちょっと打ち震えてるっていうのに』
相変わらずの冷めた返事。嘘で塗り固められたマスターの言葉だが、冗談めかしている時は本心を口にしていることが多いのだと推測できる程度にはマスターを眺めてきた。
『それはここを片付けてからだな。ランサーはまだやるって言ってるが、どうするんだ?』
『付き合ってやりたいところだが、私の心臓は止まっている。急ごしらえの蟲じゃ血の巡り方がおかしくてな。おまけに失血がひどい。ご遠慮いただこう』
おおよそ予想通り。無謀に振る舞うマスターだが無謀に無謀を重ねるような行為は取らない。なにより先の攻防で勝敗を決定的にできなかった俺が、この先でランサーに勝利をおさめられるはずもない。
俺のような日陰者と戦い、武人として楽しんでくれたランサーにはまっすぐ答えよう。
「せっかくの申し出だがランサー、マスターは辞退したいそうだ」
「…………マジか」
振り向いたランサー越しにようやくマスターが生きていることを実感した。
土気色の顔で、木によりかかりながらではあるものの、間桐皐月は一人で立っている。不気味に蠕動する左腕と何かが蠢き盛り上がっている胸。本当におかしなマスターで、だから俺は目を離す訳にはいかない。
「不意打ちなんて味な真似をしてくれるじゃないか、ランサー。お前のマスターの趣味か?」
「………………そうだと言ったら?」
「綺礼によろしく伝えてくれ。借りは返す、と」
当たり前のようにマスターはそう返し、だからランサーの無言は明らかに失敗だった。
「マスターが戻って来いと仰せだ…………おい、アサシン。次は決着つけるぞ」
返事はしない。そんなことはマスターが決めることだし、もう一度やれと言われて出来るとも思えない。
ランサーが去ったのを認めてくずおれかけた皐月腕を掴んでを引っ張りおこす。
「もうちょっと扱い方ってものがあるんじゃないか、ハサン?」
乱雑な扱いに抗議の視線を向けてくるが、知ったことじゃない。これに懲りて少しは無謀な真似を控えてくれればいいのだが、きっと皐月は誰かを殺す時、自分の命を天秤にかけるのだろう。
「人間離れしたマスターにはふさわしいと思うが。さておき無事で何よりだ」
「無事、かな」
右肩から先を無くし、得体のしれない物で胸と背を埋めた皐月の様は確かに無事とは言えないかもしれない。
ごごん、と一際大きな音と共に人気のない森にふさわしい静寂を取り戻した城を一瞥し、俺は皐月を担ぎあげた。
戦闘シーンはそのうち書くと言ったな! あれは嘘だ。戦闘シーンが淡白なんじゃなくて、濃い戦闘を書けないんだよド畜生め!
ほんと、読み応えのある戦闘ってどうやって書くんだろう。