姉さんの外出と入れ違うように鳴った呼鈴。ドアの向こうに居たのは二騎のサーヴァントを従えた遠坂先輩だった。
ほぼ間を置かず間に割って入ったライダーの背中越しにわたしは居住まいを正す。今日二度目の相対。一度目はわたしが誘ったようなものだけど、これは違う。
向けられた杭の先を一瞥し、それでも遠坂先輩は一歩前へ出る。
応じるように私も前に出る。態度から戦う気がないのは目に見えている。ならば遠坂先輩の望みは対話だろう。
「昼間から戦争でもしに来ましたか、遠坂先輩。さっきの話の続きなら喜んでお付き合いしますけど」
「結論だけ言うわ。衛宮君が攫われた。救出に手を貸しなさい」
いつも通りの傲岸な言い草はしかし無神経からではなく、打算と気遣いが入り混じった物だとすぐに知れた。
言葉が足りないのは急いでいるから。
急いでいるのにわたしにそれを告げに来たのは、わたしの戦力への期待よりもわたしがそれを知らず、衛宮先輩の窮地に手助けが出来ない事を憐れんだから。
上から頭を押さえつけるような振る舞いに欠片も躊躇がないのは揺るがない自負故だろうか。
罠ではない。上気した呼吸と額を濡らす汗がそう告げている。
全部分かっているのに。
「…………どうして」
「聞いてる? どうするの?」
それでも語り口だけはゆったりと余裕を以って遠坂先輩は口を開く。
「わたしは遠坂先輩に提示した協定を断られたと思ったのですが」
「そうね。断わった事はちゃんと覚えているわ」
「ではどうして遠坂先輩の同盟者である衛宮先輩をわたしが助けなければならないのですか?」
「貴女が助けたいからよ、桜」
そう。助けたい。
「…………質問を変えます。遠坂先輩は独力で同盟者を助けられないと踏んでわたしに助力を請いに来たのですか?」
「有効な手立てがあるなら採るべきじゃない? まあ物事に絶対は無いけど私一人でも問題無いと思うわ」
強い意志をもつ瞳。わたしはあれが苦手だ。なにか悪いことをしていると責められているような疎外感を感じる。
「行きます。準備は要りません。わたしの我儘で時間を潰してしまったみたいですし」
「サクラ、サツキかゾウケンに連絡をしなくて良いのですか?」
「構わないわ、ライダー。きっと反対されるでしょうから」
姉さんもお爺様もきっとこの状況を使って他陣営の戦力を探り、削ごうとする。それこそ衛宮先輩の命は二の次に。
「……あんた性格悪くなったわね。それで本当に来るのね?」
自分で焚き付けておいて何を言っているのか。
でも炊きつけたのは遠坂先輩だけど、決めたのはわたしだ。
「はい。ですが遠坂先輩の提案に乗ったわけじゃないですから」
「分かってるわ。タクシー呼ばなきゃね。電話借りていいかしら?」
屋敷に入ろうとした遠坂先輩を止める。
「…………時間、無いんですよね? ガレージに行きましょう」
そしてやるならば徹底的に。
中途半端な躊躇が望んだ帰結に綻びを齎すのだと、わたしは良く知っている。
私は只々走っていた。ここ数日で随分と走り回った気がする。無茶なロードワークをしてまで贅肉を落とさなければならないほど不自由な体の作りはしていないし、人並み以上に健康に気を使ったりもしない。
何より走らされている事が腹立たしい。私は強制されることが嫌いなのだ。
ただ四の五の言わずに行動に移したのはハサンから告げられた状況がそうせざるを得ない程に常軌を逸していたからだ。
一度家に寄った為に発生したロスは自分の足で補わなければならない。ガレージは空だった。サイドカーは桜が無断で持ちだしたと考えるべきで状況にも合致する。お陰でタクシーを使う羽目になったのもロスに繋がった。
桜が私の物を無断で使用することは通常考えにくい。一言断る時間さえ惜しいという緊急避難的な利用。さもなくば姉の私物を無断で用いることによって発生する問題を切り捨てて良いと考慮するような心境の変化、あるいは内心を隠す意味を消失したか。
電話に出ないというだけでは判断の材料にならない。
材料がないうちは考えても詮ない事だが、断定はともかく予測はできる。そしてただこうして走っている間は脳味噌の有意義な利用法と言っていいだろう。
『ハサン、そっちはどうなっている?』
『変わらずだ。皐月とて視覚は共有しているだろう?』
先行したハサンは既に桜を捉えている。ただ、状況は道すがら捕捉されていく情報の通り素晴らしく悪い。
やたらと豪奢なエントランスを見下ろす位置に立つ黒い巨人。そしてそれを見上げる三騎のサーヴァント。それぞれのマスター。
だが、そうなった理由が分からない。
衛宮と遠坂だけならばなんら状況に疑問はない。アインツベルンのバーサーカーはどの陣営の目にも明らかな脅威で、現状最大戦力を保有する遠坂達が挑むのは自然な流れだ。
だが、なぜその場に桜がいる?
痴話喧嘩染みた一件以来桜は二人から明らかに距離を取っていたし、それ以前にしても桜が遠坂と親密であったとは言いがたい。
あるいは私に伏せて一定の協力関係を築いていた可能性もあるが、そのコネクションは秘すべき類の物で、活用するにしても対象が聖杯戦争の進行では私が把握する桜の人格とずれている。
『俺はどうすればいい? アインツベルンのマスターを殺せばいいのか?』
考えなければならないが、状況は待ってくれない。
『待機。バレそうになったら逃げていい』
『…………妹を疑っているのか』
察しが良すぎるのも困りものだ。
『ああ。偶然ではこの状況は起きない。桜が衛宮か遠坂と聖杯戦争に関して協定を結んでいた可能性。これを排除せぬままアインツベルンに倒れられては困る』
桜が独断で対アインツベルンの協定を遠坂達と結んでいた場合。これはそもそもありえない。そういう協定であるなら間桐に隠す必要はないのだ。
爺様や私に秘した協定であるならば、少なくともその協定を知られれば咎められる類の物と考えるべきだ。
懸念すべきは桜が完全に反旗を翻したという仮定。サーヴァント三騎による間桐の消滅だ。
『なるほど。バーサーカーが斃れるにしても一騎は相打って貰わなければ、ということだな』
『そうだ。とはいえ仮定の話に過ぎない。味方であるかもしれない桜、ライダーは除外しよう。お前のクラスを考えると対象は当然マスター。衛宮は桜がこちら側だった場合を考えると殺せない』
無闇に敵を作らない事こそが最善の手だ。
『遠坂か』
『もしくはアインツベルン。どちらかの陣営が勝利した瞬間を狙え』
足を止め調息する。
制御を蟲に任せているとはいえ、実際に動いているのは私の肉体で、疲労は確実に蓄積している。臨機応変を望むならばあらゆる状況に対応できるだけの自力を持つべきで、そんな理想を望むべくもない今は取りうる最善の状態を作ることこそ唯一の筋道だ。
それに此処から先はアインツベルンの結界の中だ。侵入を察知されるのはうまくない。
少なくとも直後の行動ぐらいは事前に決めてから侵入したい。
携帯を取り出し短縮に掛ける。二回のコールで爺様が出た。
「爺様、状況は掴んでいるか?」
「つつがなくの。何をそんなに慌てておる。いったいどうしたと言うんじゃ皐月?」
隠し切れない上擦った声を嘲笑うような言い草。爺様の声は酷く落ち着いている。
それはそうだろう。最初から最後まで見ていて止めなかったのだ。ならば事態は今もって爺様の掌から漏れ出ること無く進行していることになる。
同時に私と爺様が書いている絵図に大きな差異があることを示していて、それは少なくとも表向き共同歩調を採る私と爺様の間で表面化してはならない事象だ。
満場の一致は必要ないが、互いの思考だけは理解しておかなければ信用は作れない。くだらない疑念が一切を台無しにすることはままあり、それはどちらも望まない事であるはず。
少なくとも爺様は私を理解している。私を嗤うとはそういうことだ。
ただ、私が爺様を理解できていない。それを問題視しないということは私が爺様を疑おうとも爺様には何の問題もないという事になる。
「どうもこうもない。この状況は看過できるものではないだろう?」
「…………らしくないのう。衛宮の小倅がアインツベルンに攫われ、遠坂に請われるまま桜がその救出に助力しておる。ただそれだけのことじゃろう?」
そんなことは知らない。ただこの状況に偶然が割り込む余地が出来たというだけで、状況を許容することとは違う。
私とは違い、少なくとも爺様は桜を縄で縛っておかねばならない立場だ。
爺様は桜を過小評価している? 馬鹿な。桜は優れた魔術師で爺様もそれは理解している。私の桜に対する優越は単に研鑽に費やした年月の長さと一線を踏み越えた距離、加えて修めた魔術が戦闘向きというだけの、ほんの僅かな差異でしかない。
それこそ状況ひとつで容易く覆る程の些細な物だ。
間桐において桜の意向は無視できない程に大きい。
ならばその意向そのものを押さえつける手札を爺様は持っていると考えるべきで、
「…………止めなかった理由は?」
「元からいなければ腹も据わろうがこうして桜とライダーがおれば頼る。状況に組み込みたくなる。それがふと居なくなったりすれば小娘はどうするかのう?」
そして爺様にそれを語る気は無いらしく返ってくるのは的はずれな回答。
リスクを負ってまで前に出るなど爺様の考える事ではない。用意された建前。こうして私が問うことまで織り込んである。
つまり場当たり的にこの状況に相対している私では事前に思考を巡らせてある爺様に届かないという事。今は折れるしかない。
「爺様の狙いは理解した…………いい機会だから聞いておく。桜の造反は有ると思うか?」
「…………有る無いではなく出来ぬ、というのが儂の見解じゃ。あれは損得の計算が出来ぬ人間ではない」
魔術師としての自己愛、利己主義を指して言っているのならば不十分だ。確かに魔術師たらんとすればするほど歪なほどにそれらに従うのは道理で、慣習として染み付いたそれは最早行動原理に等しい。
桜の魔術師たるを信じるならそこは疑うべきではないが、しかし、桜はその根っこがそもそも欺瞞なのだ。
「爺様がそう言うんならそれでいい。私はどうすべきだろうな?」
問い詰めたとて爺様は答えるまい。ただ、間桐の怪人がそう判断したという事実を評価として受け取っておく。
同時に現状に対処する上で図面を持っていない私の思考より、爺様の考えの方がより練られているのは事実だ。
「珍しいこともあったものじゃ。主が儂に意見を求めるのは久しぶりのことよのう」
「……そんな事は無いと思うが。それで?」
「そのまま見ておれ。すぐ駆けつけられるところにおるのじゃろう?」
中身の無い命令。爺様の考えを探ろうとした意図は見抜かれている。
「結界のぎりぎり外だ、走って二分以内というところか」
無理をすれば一分。どちらにせよ私が走るよりはハサンに指示を出した方が早い。
「それでよい────あまり不安にさせるでない。主がそう揺れては儂の計画もおぼつかぬわ」
カカカと耳障りな笑い声を残して電話はきれた。ハサンの視界では激しい戦闘が行われている。数に利のある遠坂達がやや優勢といった所だが、それでもバーサーカーはイリヤスフィールを守りながら一歩も引かない。
『見ているしかないっていうのは歯がゆいな』
『俺には慣れた感覚だ』
なるほど、機を待つ事。それはアサシンの本分だろう。
頼もしい相方の台詞にどうにか不敵な笑みを作ることが出来たというのに、私はごぽりと血を吐いた。
『生憎だがそうも言ってられなくなりそうだ』
不意に胸を破って生えた赤い穂先を眺め、私の意識は間断した。
飽きたからBADENDで締めた!
わけではないです。短めなのは飽きのせいかもしれませんが。ここで区切るのがちょうどよかったんだよぅと言い訳しておきます。
士郎君は度重なるBADENDを華麗にかわして物語の最後まで行き着きますが、小説という形だとエンディングを複数採るわけには行かないんですね。皐月は類まれなるツキを味方につけてこの有様だと思って頂けると幸いです。