「そういうわけで遠坂先輩とは身のある話ができませんでした」
家でベッドに寝そべっている私に、桜はあらましを語りそう締めくくった。
私の尊大な態度は桜と真面目に取り合う気がないのではなく、単に地獄のように不味い薬湯を飲み干した後遺症のようなものだ。飲んだ後の一時間程度は手足の痺れに悩まされる。
「それは残念だったな。しかしアインツベルンの反応の薄さが気になる。私なら自分の庭で痴話喧嘩などされたら即座に排除するところだ」
桜と遠坂がどれくらいそこにいたのか知らないが、アインツベルンがそもそも城を空けていた可能性も考えるべきか。
夜ならばともかく昼間の外出。いざというときにあの隠匿性の低そうなバーサーカーを衆目に晒さず戦う用意があると見るべきで、魔術師としても相応以上の性能を持ち合わせている事が予想される。
「…………じゃあ姉さんは遠坂の屋敷に蟲を?」
「それと衛宮邸にもな。距離を置いて監視させてる。遠坂は衛宮邸に戻ったぞ。衛宮は外出中だな」
「そう、ですか」
「…………場合によってはだがな、遠坂を殺そうと私は思う。今の内に桜の考えを知っておきたい。お前は遠坂を殺したいか?」
クリティカルな質問だけに桜は目を泳がせ、私がじっとその様を見ていることに気が付いてため息を吐いた。
「…………妬んでいるのかもしれません。でも殺したいと思うほどじゃないんです」
「そうか。じゃあ遠坂がうっかり死んで、つい殺してしまったのが私でもお前は何の感慨も沸かない、と?」
「それは、その…………」
言葉に詰まってしまうのは分からなくもないが、桜の迷いが私の計画の幅を狭めているというのも事実だ。
「その逡巡が私やお前やライダーの負担になり、或いは命を落とす事につながるという事だけは覚えておけ。もちろんわざとやっているならそれで構わないが、その時は桜、お前は私の敵になる」
桜は誰かの庇護がなくては生きていけない小娘ではない。
辛辣な物言いは、それだけ桜を認めていると言うだけの話。それがわからない桜ではないだろう。
「どちらを選んでもいいなんて、本当に姉さんらしいです」
「もちろん桜には私の可愛い妹でいて欲しいんだがな────そうやって縛るとお前、甘えるだろう」
くすくすと笑う桜に一言投げて、身を起こしながら財布を掴み取る。
「お出かけですか?」
察した桜が一歩下って場所を空けてくれた。
「ああ。大判焼きを食べたくなってな。桜も来るか?」
私に付いて部屋を出ようとした桜が足を止めて肩を落とした。
「…………姉さんってたまに間桐っぽいですよね」
心底呆れたような言い草は甚だ心外だし、さり気なく私の前に回って進路を塞いでいるのも気に入らない。
「馬鹿を言え。私は正真正銘の間桐だぞ。ほら、邪魔をするんじゃない」
ぐいぐいと桜を押すが、思いの他強い力で押し返された。
流石に家事をサボっている私とは地力が違う。
「どきません! ついさっきあれだけ遠坂先輩を刺激して、ランサーは相変わらず跋扈しているんですよ? アインツベルンだって城を空けていたなら街を歩いているかもしれないですし危ないです」
「だからこそだ。何の為にヴェルデに行ったと思っている?」
「…………姉さんがマスターではないと強調する為、ですよね?」
そう言っていたじゃないですか、と桜はむくれるがそれでは足りない。
「不十分だな。他の連中に、マスターではない敵陣営の魔術師である私を御しやすい餌と認識させた上で、そんなものが彷徨いている怪しさに戸惑わせるため、なら合格点だが」
「でも、姉さんには身を守る手段が」
「助けを呼んだら来てくれるんだろう? それまでは粘ってみせるさ。それとも見捨るのか?」
「…………それはもちろん助けに行きますけど」
「素直に喜んでおく。まあそう言う事だから大判焼き、買いに行っていいか?」
しぶしぶながら桜は道を空けてくれた。
「大判焼き食べたいだけじゃないんですよね?」
「もちろん」
きっと私は見事な無表情だろう。
「もちろん?」
食い入るような桜の視線を頬に感じる。
「もちろん、それだけじゃないよ」
だからこの嘘はあっさり見抜かれているし、桜とてこれ以上無駄な忠告を続けるまい。どうせ私が言う事を訊くはずないと分かっているはずだからだ。
ただ、針の筵のような視線から逃れ階段にたどり着いた私が気を抜いたのは間違いだったといえる。
「姉さん」
背後から投げ掛けられる場違いに明るい桜の声。
それだけでもう良くない予兆なのはわかりきっている。
「なんだ?」
立ち止まるだけに留めて聞き返す。
「お土産、お願いしますね」
振り返らずとも表情は察せる。
穂群原では笑うと可愛いと言われる桜だが、私にとって桜の笑顔は数少ない恐怖の対象だ。
『そうまでして食べたいか?』
マウント深山までの道すがら、ずっと黙っていたハサンがそんな事を言い出した。
『食べたいさ。女らしい趣味は持ち合わせていないが、甘味で大騒ぎする気持ちだけは分かる』
こんな気性だから雑談するような友達など殆どいないが、どこそこの喫茶店のケーキは旨いとか、駅前のクレープ屋が新作を出しただとかそういう話だけは耳に自然と入ってくる。
あ、いや一人いたか。
聖杯戦争中ということもあり顔を合あわせるのを避けていたが、何かと世話になっている魔女がいるのだった。
ウィッチクラフトを得手とする魔女、沙条綾香。
『好きなのはいいんだが、無茶をされると付き合いきれないぞ。桜としていた話はまるっきり冗談でもないのだろう?』
『囮云々だろう? 当然だ。見てみろ、効果は絶大だぞ』
どう見たってこの辺の住人じゃない女の子。アルビノの特徴を持つその風体は話に聞くアインツベルンのホムンクルスに合致し、なによりハサンの視界から盗み見たバーサーカーのマスターそのものだった。
『戸惑っているのか、あれは?』
『いいや、眼が合っただけだな』
今眼を逸らしても無駄だろう。新しいおもちゃを見つけたかの表情を見るにつけ、下手に刺激するよりは流れに従うべきだ。
「あら、私に何か用かしら?」
今気付いたとでも言いたげにその少女は大仰な仕草とともに私に近寄ってくる。
「まさか。だが、まるっきり無関係でもないからな。道で会ったら挨拶ぐらいはするべきだろう、アインツベルン?」
腰ほどの高さに手をやる。さわり心地のいいフェルトの帽子が指先に触れた。
「この島国では勝手に人の頭に触れたりするのかしら?」
逃げるように身を翻し、アインツベルンはキッと私を睨み付けた。丈が足りないので少しも凄みがない。
「糸くずが付いてたのを取ってやっただけだよ。それで私に何か用なのか?」
「そのつもりはなかったけど、せっかくだから聞きたい事がいくつかあるわ」
少し考えるようにしてアインツベルンはそう言った。
「話せる事なら話してやるが、私も忙しい。歩きながらでいいか?」
「いいけど、何処行くのよ?」
「大判焼き、ああ、この国の甘味なんだが、それを食べようと思ってな。なんなら一つ奢ってやるぞ?」
どうせお土産でいっぱい買わねばならないのだ。最早一つ二つは誤差の範囲だ。
「おいしいよね! 昨日始めて食べたんだ。奢ってくれるなら付いていってあげる」
それに、そわそわしているのが見て取れるアインツベルンの反応は奢り甲斐のあるものだし。
これが桜のように作った物なら大したものだが、さて。
「何よ?」
知らず苦笑いしている自分に気が付く。
「いや、お前の名前を知らないなと思っただけだ」
「…………イリヤスフィールよ。あなたは?」
「皐月だ。間桐皐月」
「サツキね。一つ質問が減っちゃった。わたしをアインツベルンだって分かったのはマキリだからよね?」
ちょこちょこと踊るように私の周りを駆け回りながらイリヤスフィールは勝手に話を進める。
「そういう事だな。そういえば私も気になる事があるぞ。なんだってお前昼間っからこんなトコを歩き回ってる?」
「あら、サツキだってそうじゃない」
「…………私はマスターじゃないからな。お前はマスターだろう?」
振り向いて腰に手を当てイリヤスフィールは声を眉を顰めた。
「なにそれ。普通は逆じゃない? マスターじゃないからサツキは危ないんでしょう? マキリの関係者ならなおさらよ。わたしを見てすぐ逃げなかったのが不思議なくらいだわ」
「はは、私を追い回さなきゃならんような状況の奴等なら恐るるに値しないさ」
「…………程度は兎も角魔術師としては一人前ってことね」
一瞬だけ魔術師の顔をしたイリヤスフィールだが、この程度の確認はそれこそ挨拶代わりだ。私も知らぬ顔で流す。
「それはどうも。聞きたい事ってそれだけか?」
「ええそれだけよ。だってマスターでもないサツキが何を知ってるわけでもないでしょう?」
イリヤスフィールの赤い目が妖しく光った。ざらついた意識を意図的に鎮める。
洗脳は珍しくもない魔術だが、魔眼を経験したのは初めてかもしれない。
「それもそうだ。しかし今のは反則じゃないか、イリヤスフィール」
「あら、なんのことかしら」
私がレジストしたのはイリヤスフィールも理解しているだろう。だというのにイリヤスフィールには白々しいほどに悪びれたところはなく、そしてその振る舞いが妙にしっくりくる。
何故か私はこの小さな魔術師を気に入りつつある。
「なあイリヤスフィール、こういうのって聞いちゃいけないんだろうけど、その目って魔眼なのか?」
「…………なんで敵陣営の魔術師にそんな事教えなきゃならないのよ?」
案の定イリヤスフィールは頬を膨らませ不満を表明する。
「魔術師として魔眼には興味がある。モノによっては自動発動だろ? 考えようじゃシングルアクションより早い魔術だ。後天的に高い効果を発揮する魔眼を得るのは困難だというのが、一般の見解だが、研究のし甲斐があるジャンルには違いないだろう?」
「そっか、サツキはまっとうな魔術師なんだ」
イリヤスフィールが羨ましげな顔をしたのは見間違いではあるまい。
「そういうこと。でもあんまり才能はないみたいで、この通りマスター権すら得られなかったけどな」
「悔しそうじゃないのがまた腹立たしいわね」
アインツベルンの魔術は戦闘に向かない。
故にアインツベルンは得意とするホムンクルスの鋳造によって優秀なマスターを創り出す事でその不利を補おうとした。
ホムンクルスとしての寿命に縛られるが故に、イリヤスフィールの余命はそう長くないはずだ。単一機能どころか世の魔術師が羨む程の魔力量を保持し、確固とした自我を持つ奇跡。代償は大きい。
聖杯戦争を勝ち抜くためだけにある彼女には、人並みの一生など元々付加されていないのだろう。
「そういうな。ほら着いたぞ。好きなのを一つ選べ」
「え~、一つだけなの? サツキのケチ」
品書きを眺めて視線を彷徨わせるイリヤスフィールを眺めながら、顔馴染みの店主が楽しげにしている。
「一緒に飲むお茶が無くなってもいいのなら二つ食べてもいいぞ」
「ううう、サツキはホントに意地悪ね。さっきつぶあんは食べたから、今度はクリームにしてみようかしら」
「そうか。じゃあ私は全部二個ずつ貰おう」
「ちょっとなによそれ! 自分ばっかりいっぱい頼んで」
期待通りの反応。ころころと変わる表情は実にからかい甲斐がある。
「これは家族にお土産だ。私はイリヤスフィールと違ってそんなに意地汚くない」
「わたし、サツキのことキライになりそう」
「ほう、お茶はいらないのか」
腕を振り回して悔しがるイリヤスフィールはバーサーカーを伴っていた時とまるで雰囲気が違う。
飲まれぬように、私はそっと唇を咬んだ。
近くの公園のベンチは私のお気に入りのスポットだったのだが、イリヤスフィールの話では衛宮もよく使っているのだそうだ。
昨日ここで衛宮と大判焼きを食べたのだと、イリヤスフィールは嬉しそうに語ってくれた。
「だから私はシロウのお姉ちゃんなんだよ」
「見た感じ妹だけどな。でもそうか、それじゃあお前は衛宮切嗣の娘なわけか」
まるで似ていないのはアインツベルンによる調整の結果だろうか。聖杯のシステム自体は殆どアインツベルンの成果物で出来ている。差し出したものが大きいだけに、アインツベルンの聖杯への執念は他の家よりも強い。
「キリツグを知ってるの?」
ホットミルクを落としかけるほど、イリヤスフィールの反応は大きかった。
「十年前に一度だけ会った。おかげさまで殺されかけたが、なんだ、衛宮切嗣に興味があるのか?」
「…………ええ。だって十年前にわたしを捨てたのよ? 死んじゃったなら兎も角、生きてたんなら会いに来るのが筋じゃない。それに養子まで取って…………」
この子も何かを恨んでいるのか。
「しかし切嗣はもう死んでいる。代わりに衛宮を恨むか?」
「……迷ってるんだ。それを決めるだけの情報すら知らないもの。でもいいの。それは自分で集めるから。わたしはサツキが殺されかけたって話に興味があるな」
「くく、おかしな奴だ。私が逆恨みするとは思わないのか?」
「ううん? だってそんなことしたらサツキは死んじゃうじゃない」
それはサーヴァントがいるからということではない。単純にイリヤスフィールには私に勝っているという自負があるのだ。
私を低く見ていると言うよりも自らの強さを信じているという態度で、だからだろうか、魔術師と対峙する時に感じる不快さは無い。
「その言葉には素直に頷いてやれないが、そうだな、衛宮切嗣と会ったのは間桐の屋敷でだ。いきなり夜中に入り込んできてな。家人が出払っているから私が立ち会ったのだが、いきなり銃で撃たれた」
「なにそれ! キリツグが私のイメージと違う!」
立ち上がって抗議するイリヤスフィールだが、事実なのだからしょうがない。
「嘘じゃないぞ。前髪、こっち側伸ばしてるけど、反対は短いだろ?」
こめかみから流れる一房をつまんでイリヤスフィールに見せる。
「そうね。お洒落でそうしてるのかと思ってたけど…………」
「まさか。このとおり傷が残ってしまってな」
掻き上げた髪の下には頭皮を焼き潰したような傷が見えるはずだ。不恰好に過ぎるし修復は容易かったが、自身への戒めとして残している。
「女の子の顔をどうこうするなんてキリツグさいてー! でもやっぱり戦う時は優しくないんだ。私の前ではいつも優しかったんだよ」
先ほど父への恨みを語った口で、いかに父が自分に甘かったかを自慢する少女。
だから、つい言わなくていいことを口にした。
「…………じゃあ、好きでいてやれよ」
「それは────できないよ」
情にすら理屈を求める魔術師においてイリヤスフィールのそれは最大の矛盾点であり、同時に勘所だ。
「そうか」
己の魔術師たるを揺るがしてまで保持せざるを得ない歪み。
魔術師として振る舞うならば敵対しなければならないが故に、自らを晒したイリヤスフィールの振る舞いはこの場では正しく、しかし私の問いはイリヤスフィールを魔術師に戻してしまった。
イリヤスフィールは下を向いて黙っている。
「日が落ちる前に退散するかな。また機会があったらご馳走しよう。そうだな、次は駅前のクレープ屋はどうだ?」
立ち上がりながらベンチに腰掛けたままのイリヤスフィールに問う。
「うん。その時は絶対だよ!」
浮かべた表情はきっと作り笑いだろう。
魔術師として最後の矜持。この場では争わない、という最初の不文律を遵守する為の社交辞令だ。
「ああ、約束だ」
「またね、サツキ」
「またな、イリヤスフィール」
それっきり、私達はお互いの顔も見ないままにその場で別れた。
残された公園で考える。
『ハサン』
『なんだ?』
『後を追い、可能ならばイリヤスフィールを殺せと命じたらやってくれるか?』
恐らく可能だ。マスターを失ったバーサーカーからの撤退さえハサンならばなんとかするだろう。
最大の敵を排除する筋道としては最善。
『…………命ならば是非もないが』
言っていることとは裏腹にハサンの反対を期待していた私は、だから韜晦など見せるわけにはいかなかった。
ここで躊躇えばこれまで踏みつぶしてきた物へ示しがつかない。
『後を追え。決断は、私がする』
『了解だ、マスター』
なんでもないように消え去ったハサンを見送り、しばし私はそこに留まっていた。
間桐の家とは学校を挟んで反対側、閑静なとでも形容すべき住宅街に中流層が集まって家を立てている一角があり、目的の家はそこにある。
周囲の比較的新しい家とは趣の違う古風な様式で建てられたその家には沙条という表札がかかっている。
インターホンを押してみるが出ない。
勝手に庭を横切り、本格的な家庭菜園を装ったビニールハウスへと足を向ける。
「沙条、いるか?」
ビニールハウスの中に立ち入ることはしない。
魔術師で言うならばそこは工房のようなもので、勝手な真似をすれば身の危険はともかく、相手への無礼になる。
ビニールハウス横の芝に無造作に腰を降ろし、待つことにする。
内部に人の気配はあるので、私に会う気があればそのうち出てくるだろう。
ぼうっと空を眺めながら先ほどのイリヤスフィールとの会話を思い出す。
あれは私以上に歪められている。
自らの根源的欲求と、他者から与えられたオーダーの差異を実感として得られない程に歪められた者。
そういう意味で私とは同種であり、その欺瞞に気付きながら放置している点でも似ている。
鏡を見せられているようで気分が悪い。まして私などよりあれは上等だ。
やはり敵と会話をするべきではなかった。
どうにも気分が良くない。
「おい沙条、いるのは解ってるんだから早く出てこい。それとも手が離せないところか?」
普段なら黙って待っているところだが、この落ち着かなさはどうにもならない。
誰かと益体のない会話でもして気を紛らしたかった。
「…………いるけどさー、あんたちょっとはまずいかなーとか考えなかったわけ?」
ごそごそと日除けを払い、私の少ない友人の一人、沙条綾香がビニールハウスから顔をだす。
「マスターは出揃ってるからな。お前は違うだろう?」
先日の会話でほぼ確信していたが、流石に私も裏付けなくマスター候補の家までやってきたりはしない。
ランサーのマスターである可能性は無いと言い切れないが、それならそれで構わない。死ににくいという点で私は優位に立てる。
隣の芝を示すと沙条は大人しく腰を下ろした。
「へえ、もうそんなに進んでるんだ。でもわたしが言ってるのはそういうことじゃなくて、わたしを巻き込まない配慮とかなかったのっていう事よ」
土で汚れた軍手を放りながら、沙条はつまらなそうに私を睨む。
勝手に大判焼きを取り出して食べている。
多めに買っているので問題はないが、一言断るとか無いものか。
「つまらん殺し合いをしていると心が荒むんだ。癒してくれるのが友達甲斐ってやつじゃないのか?」
沈黙。
沙条の顔を盗み見ると、毒でも飲んだような顔をしていた。
「…………………あんたにしては面白い冗談ね。で、ホントのトコは?」
甘えるな、ということだろう。
当然と言える。これは私が解決しなければならない問題だし、その場凌ぎの心の安寧では根本的な解決にならない。
だからできるだけ自然に、
「いつもの薬が切れた」
事務的な話を振る。
「早いわね。あんまりガブガブ飲むと死ぬわよ? あれも毒っちゃ毒なんだから」
待ってなさい、と言いながら沙条は裏手の納屋へと引っ込んだ。
私の言う薬、沙条の言う毒はある種の麻薬と言ってもいい。
とはいえ効能の主眼は人体にはない。薬効の対象は蟲。
そもそもの始まりは沙条の手管を知ろうと持ちかけた共同研究にあった。より支配的な蟲の制御に血道をあげていた私は、間桐の魔術がフォーマルクラフトよりも原始呪術に近いことに注目し、方向性の近いウィッチクラフトからのアプローチを狙ったのだ。
奇しくも菜園の害虫と益虫のより分けに頭を悩ませていた沙条の間に取引は成立し、こうして今でも当時の研究の産物、蟲を惹く薬を沙条から受け取りに来ている。
「ほら、持って行きなさい」
荒縄で縛られた一斤の薬草束がぽんと放られる。
煎じ方は私も把握しているのでそれ以上の説明はない。
「助かるよ」
「………………いっつも言ってるけどよくそんなの飲めるわよね」
沙条は思い出しただけでも苦いと顔を顰めた。
完成当初、味がひどいのは効果がある印だと私を実験台にしたのは沙条だったと記憶している。
「必要とあればなんだってする。五年続けてまだ体にそれらしい影響は出ていないしな」
「質の悪い有害物質って大概年月経過してから影響出てくるじゃない」
「そのときは、まあ」
爺様のごとく、肉体を捨てる選択も考慮に入れておかねばなるまい。
「まあ?」
「うん」
そんなことを言っても詮ないので、適当にごまかす。
「うんじゃないわよ。まあいいけど、あんまりふらふらしてると遠坂に殺されちゃうわよ?」
「なんだ、遠坂と話したのか」
意外だ。いや、沙条とて魔道の家には違いないし、セカンドオーナーである遠坂に上納金を入れているわけだから付き合いが無いわけではないだろうが、普段話をしているところを見たことがない。
「そりゃ誰かさんと違って真っ先に確認に来たわ。マスターじゃないでしょうね、って」
やることがストレートだ。
きっと沙条がマスターだった時のことなんか考えてないに違いない。
「ああ」
「ああって。なんだか上の空ね。具合でも悪いの?」
「いや、遠坂に殺されちゃうわよ、って私を心配してくれてるんだなぁと」
「……………呆れるわね。迷惑だからさっさと被害が出ないうちに決着つけて欲しいだけよ」
沙条の言う事は良くわからない。
「まあ貰うものは貰ったし帰るよ」
「そうして頂戴。生き残ったらまたよろしく」
軽く手を振ってビニールハウスへと戻っていく沙条。
冷たいようで、この距離感は私に取って貴重なもの。
いつもと変わらない友人の態度に幾許か調子を取り戻した私は、家へと戻ることにした。