ヤンデレの病弱妹に死ぬほど愛されているお兄ちゃんは蒼星石のマスター! 作:雨あられ
「ねぇ、水銀燈?好きな人って、居る?」
「はぁ!?…何いきなり言い出してるのよ。本格的に頭でもおかしくなったんじゃないでしょうね?」
「もう、相変わらずひどいのね水銀燈。ふふ、でもそんな素直じゃない素直なところも好きよ」
めぐはそう言って私を持ち上げると膝の上に乗せてゆっくりと髪を梳き始める。なにを勝手に、と反抗を試みるものの、向こうは意地の悪い笑みを浮べて、嫌なら逃げればいいじゃない、と言い返してくる。本当、嫌なやつ。
「っち」
「ふふ、水銀燈の髪、綺麗ね」
「当たり前でしょう」
「星が流れているみたい」
ゆっくりと、髪が痛まないように優しく髪を手グシで梳いて行くめぐ。本当に調子が狂う。思えば初めてあった時もそうだった。私がいくら脅しても無駄。向こうは天使天使なんてはやし立てて、最終的に無理やり指輪にキスなんかしちゃって…はぁ、もうわけわかんないわよ。
「めぐは」
「うん?」
「めぐはあの人間、お兄様が好きなのでしょう?」
「好きよ、この世で一番。勿論、水銀燈も」
耳もとの髪を掻き分けて、私の耳を優しくなぞる。調子に乗ってるんじゃないかしら。さわさわと耳を触りながら、めぐは言葉を続ける。
「でも私、一目見たときはお兄様が大大大だーいっ嫌いだったのよ。ぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に捨ててしまいたいほどに…ふふふ、意外でしょ?」
「別に」
「もう意地悪ね。ね、お兄様と初めて会った時のこと、聞かせてあげましょうか?」
「興味ないわぁ」
「そ、あれはね、おばあちゃんが死んで、一年くらいたった時かな。あ、私おばあさまも嫌いだったの、皺皺の手、怖いんだもの」
……耳、付いてるのかしら?こちらがどんな返しをしても、向こうは自分のペースに持っていってしまう。それがなんとなく気に喰わなかったが、こちらが睨んでも、向こうは柔らかい笑みを浮べて私の髪を撫でるだけ。…本当、調子が狂う。そんな私を無視してめぐの言葉は続いた。
柿崎めぐは生まれながらにして心臓が悪かった。そして、5歳になろうとしたある日。お医者さんに半年、持つか持たないかと言われたのが始まりだった。
誰もが、私のために泣いてくれた。遠い親戚は勿論、パパもママも、みんながみんなこの病室を訪ねてきて、顔も覚えていない大人や子供が来る、位にしか思っていなかったが大きなぬいぐるみやめずらしいお菓子、様々なお見舞い品を持ってきてくれて、それをもらえることだけは楽しかった。今思うと、あのころは死ぬ、なんて実感があまり無かったのだ。
それから、初めて強い発作に襲われた。すごく、怖かった。呼吸をするたびに、針を吸い込んで胸を貫くような痛みが私を襲う。体が自分のものじゃないと思うくらいしびれて、こみ上げて来る何かが気持ち悪い。嫌でも「死」を理解せねばならなかった。
発作の後、私の前に来る人は、みんながみんな、悲しそうな顔をする人ばかり。死ぬ、と決まっているからこそ、かけられる言葉は昔みたいな頑張れ、でも、きっと治るよ、でもなく。可愛そうに。になった。みんなが、私の死を待つようになった。
同情なんてこれっぽっちも要らなかった。
でも、自分の死によって、その顔も見なくなると思うと少しだけ気が楽になった。パパもママも、毎日私を抱きしめて泣いてくれた。おばあちゃんが、発作が起きたときに皺皺の手で手を握ってくれた。怖かったけど、不思議とあたたかかった。
私が死ぬ予定日が来た。何も考えずに、それが来るのを待った。震える手と、体をママが抱きしめてくれる。しばらくして、発作が起きた。
私が死ぬはずだった日から1週間が経った。発作や痙攣が起きても、死んでいない。何度も死んだ方がマシだと思う痛みを体験したけれども、発作から目が覚めると、パパとママの優しい笑顔がそこにはあった。その後、ぎゅっと抱きしめて、頭を撫でて、髪を梳いてくれるのだ。おばあちゃんも皺皺の顔でしわくちゃに笑った。
しかし、それも長くは続かなかった。
死の宣告から半年が過ぎた。
私は気がついた。誰も、発作から目が覚めても笑ってくれないのだ。それどころか、何処か、その瞳ににごりというか、違和感を覚えた。看護師は悲しそうな顔を見せなくなり、適当なつくり笑いを浮べるようになったし。パパは入院費を稼ぐために仕事に復帰して中々お見舞いに来なくなった。そして、何より
「めぐ、また助かったんだ」
目が覚めて、嫌そうな顔をする母親の顔が。
「…っ」
「めぐ!あなたすごい汗よ?」
はっと我に返る、膝の上に座った水銀燈が珍しく心配そうにこちらを見ている。ふふ、似合わない。
「心配してくれてるの水銀燈?」
「っは、誰が心配なんて」
ぷいっとそっぽを向いてしまう水銀燈。そう、誰も心配なんてしていなかった。あまり、思い出したくない。あの時期が、今思えば一番つらかった。
それから3年経った。本当なら、とっくに死んでたのに、私は生きていた。医者は誰もが匙を投げ、いつ死ぬかを観察しているだけにすぎない。もう誰かの心臓をそのまま移植するくらいしか助からない。なんて言っているのすら聞こえてきた。そんなこと、出来るわけが無い。幼いながらに分かっていた。
パパはあの人と離婚した。原因は私。理由は疲れたから。
発作の回数はいくらか減ったが、それでもあの痛みがなくなったわけではなかった。たまに、発作から目が覚めても、いるのは仏頂面の医者と作り笑いの看護師。たまに、おばあちゃん。
ベッドの上で死を待つだけの娘。それでも、死にたくはなかった。たまに来るパパに会うためにも、いつか治るのではというわずかな希望が。死を拒んだ。
発作のときは、おばあちゃんの歌ってくれる、名前も知らない歌が、いつも私に戦う勇気をくれた。嫌いだったけど、段々と好きになっていった。話してくれる話が、むいてくれる変な味の果物が。歌ってくれる、その歌が。
…しかし、好きになってから、すぐにおばあちゃんは、あっけなく、突然死んでしまった。それから、私に発作が起こっても、手を握ってくれる人は居なくなった。解放されたときに見るのは、薄汚れた天井と、看護師の作り笑いだけだった。
ダレモノゾンデイナイノニ、何で生きているのだろう。
「めぐ、ちょ、やめなさいよ!あなた、調子に乗りすぎよ!」
「えー。折角可愛いのにぃ。見てみて、ほらツインテール!
素敵じゃない?」
手鏡を水銀燈の目の前にかざしてあげると見る見るその白い顔を真っ赤に染めて震えだす。
「はぁ!?こ、ここ、この髪型ってし、真紅のおばかさんと一緒じゃない!冗談じゃないわよ!」
そう言って、止めてあったヘアゴムを部屋の隅っこに投げ飛ばす水銀燈。ふふ、折角可愛くなったのに残念。でも
「やっぱり、水銀燈にはいつもの髪型が一番似合ってるのよね」
そして、8歳の春。中途半端に苦しめられ、生かされて、また苦しめられて。そうじゃないのは、たまに仕事休みにパパが来てくれることだけ。それでも、それだけは楽しみにしていた。たまに買ってきてくれるお土産も、話す事がなくて黙ってしまう姿も、好きだった。
しかし、ある日を境にそのパパでさえも。
「めぐ、会って欲しい人、がいるんだ」
「え?」
「新しい、家族になるかも知れない人だ」
何を言っているか分からなかった。また、あんな思いをしないといけないのか?だったら御免だ。もう、誰も信じたくなかったし、信じて欲しくなかった。私は死ぬだけ、関わりたくない。騙したくない。悲しませたくも、笑わせたくも、呆れさせたくもない。
「会いたくないし、要らない。私はそんな」
「頼むめぐ、一度会ってみてくれ」
ちゃんと断ったのに、パパは私の手を握って頭をなでるだけ。それからほどなくして、その女はここへやって来た。
「私は……です、よろ…ね、めぐちゃん」
言葉が耳に入ってこない。私は認めなかった。
死の直前を何度も経験するうちに、思考や精神だけは小学生に似つかわしくないそれになっていたと思う。パパが「この人」のことを大事に想っていることに、嫉妬していた、そして、恐れていた。もしかしたら、パパでさえも、失くしてしまうかもしれないことを。
仮にこの人が所謂「良い人」でも自分にとってそうとは限らない。実の母がそうであったように。おばあちゃんがそうであったように。
ぐるぐると視界が回る。酷い吐き気と頭痛。あれから、その女を連れてパパが何回かこの病室を訊ねに来た、その度にご機嫌取りみたいにお菓子やおもちゃを持って来たが、全部投げ返してやった。時には床に叩きつけたり、貰った後ゴミ箱に捨てたり、窓から投げ捨てたり。当然、パパは、そんな私を怒鳴りつけた。しかし、ぶったりはしない。病気だから。どうして、こんな子に育ったのか、なんていっちゃって。育てられた覚えも…無いのに。
そして、あの夏の日に、ついに邂逅を果たす。運命の相手と。
「よ!」
「!」
煩いくらいに鳴く蝉の声を、開け放った窓をみながら聞いていたときだった。突然。小さな顔がにゅっと下から伸びてきたのだ。ここは3階だというのにどうやって。黒い短髪。活気そうな光に満ちた目。日に焼けた浅黒い肌。健康な、普通の男の子。私とは違う。間逆の存在。一瞬でそこまで理解した。
そんな考えをよそに、よじよじと足を窓枠に引っ掛けるとそのまま病室にスタン、と不法侵入し、ガッツポーズをして登頂しきったことを喜ぶ少年。短パンに半袖、ところどころに切り傷やあざを作っているが全然平気そうな顔をしている。
…とてもじゃないが、好きになれない。妬ましい。眩しすぎる。
「誰?」
「俺?俺はお前の兄ちゃんだよ、聞いてないの?」
「兄…ちゃん?」
そんなのは知らない。しかし、何度か考えた事はあった。もし自分に兄がいたらとか。もし妹がいたら…とか。だがそんなものが突然出来るわけがない。向こうはこちらが思考を張り巡らせている間もそんなことはしらないとばかりにキョロキョロとあたりを見回すと次に信じられない一言を発した。
「何か、飲み物ない?すげーのどかわいちゃってさ」
図々しい。
「っぷ、くくくく」
「こ、今度は何よ」
水銀燈の髪をポニーテールにしている途中でお兄様のことを思い出して思わず噴出してしまう。だって
「ふふ、お兄様がね、昔、喉が渇いたっていったから、私、いじわるして点滴の袋をそのまま渡したのよ。くく、そしたら、ガブのみしちゃって。あははははは」
「わ、わけがわからないわよ。何言ってるのよ」
本当、おかしかった。ぶしゃーっと噴出して、なんじゃこりゃあ!なんて言って、冷めた気持ちが一瞬で溶けて、生まれて初めておなかがよじれそうになるほど笑ったのを覚えている。だって、そうでしょ、嫌いな相手が嫌な思いをするのだから、爽快痛快に決まってる。
「ぷはぁ、アレがうわさの点滴か。ぽかりと同じような臭いがするのに超不味いな。ってか、笑いすぎだぞ」
水で口直しをしながら不満そうにこちらを見る少年。こちらはいまだに笑いが収まらないというのに。
「めぐはいっつもあんなの飲んでるのか?」
「だってあれ、飲み物じゃないもの」
「なに?じゃあ何で飲ませたんだよ」
「さぁ」
悪態の一つでもついてさっさと追い返してやろうと思ったのに。口からその言葉が出なかった。私の言葉を聞いて、ますます眉間に皺がよる少年。なんてわかりやすい。
「針をちくっとさして、そこから流し込むの。あの管の先から流し込んで…」
「うおお。まじか、すげえ痛そうだな」
なんて言ってその点滴スタンドを見るためとはいえ、遠慮なくずけずけと私に近づいてくる。さっき私がした仕打ちなんて、なかったかのように。気が付けば、ベッドの隣に立っていた。顔の距離も、近い。
「めぐ、ずっとこんな狭い病室で寝たきりなのか?暇じゃないか?」
「…」
が。流石に、心を許しかけていた相手とはいえ、その一言にはいらっとした。何も知らないくせに、そんな同情を向けるな、何時ものように悪口を言おうとしたとたん。
「なら、俺がこれから毎日遊びに来てやるよ」
話はとてつもない方向へと向かっていった
「見てみて、水銀燈。私もポニーテール。お揃いよ」
「あっそ」
二人で小さな鏡を覗き込むけれど、水銀燈はつれない言葉を吐きかけるだけ。心地良い位に、素直で。素直じゃない。
「ふふふ」
「きゃ!今度は何よ。いい加減にしなさい!」
ぎゅーっと後ろから抱きしめると、可愛い声を上げて、私の回した手を叩く。結構本気ね。ちょっと痛いわ。
不思議な感覚だった。
何かを待つというのは、何ともいえない焦燥感と、期待と不安と、よくわからない感情が混ぜ合わさってくっついてもやもやする。
昨日、あんなこといっていたが、本当に来るのだろうか。来るわけがない。あんなの思いつきで言っていたことだろう。
兄、ということは、あの女の子供ということだ。死ぬ私の代わりに、たっぷりとお父様の愛を注いでもらえる予定の存在。
初めは敵意を削がれたが、帰って一人になると、とたんに冷静になり憎くて憎くてたまらなくなった。向こうは何不自由のない、普通の少年だ。病室暮らしの私とは住む世界が違う。そして更に羨むことに、お父様と暮らすことだってできる。
なのに
「よ!妹よ、お兄ちゃんが遊びに来たぞ!」
どうして。向こうの笑顔にこんなにも顔がにやついてしまうのか。
「見せてあげましょうか。私の宝物」
「宝物?」
三つ編みの水銀燈を抱えたまま、上半身をひねってベッドの隣にある引き戸を引く。その中にある、小さな小箱。それを見ると、わずかに水銀燈は目に興味の色が宿る。
「宝石でも入ってるの?」
「もっと良いものよ」
「いやぁ、はっはっは本当に落ちちゃうなんてな。俺、骨折初めてだ」
同じ病室、隣同士のベッド。少年の額と腕には包帯がぐるぐると巻かれている。こちらに遊びに来た、5回目くらいのときに。少年は下の階のでっぱりで頭を強打して、着地の際に右腕の骨を折った。そう、窓から通っていた少年が足を滑らせて落ちたのだ。
血は噴出して、うつぶせのまま動かなくなる。そのまま、死んだかと思った。一瞬で嫌なことがさーっと流れ込んできて。発作を起こしながらもナースコールを押して人を呼んだ。必死に窓を指さして。
「めぐが人を呼んでくれなかったら。ちょっと危なかったな」
発作から目を覚ましたら、この通りだ。いくつもの幸運が重なった、奇跡。すぐそこが病院ですぐに手当が出来たのも良かったとか。それでも、笑い飛ばせるような体験じゃなったはずだ。全身打撲に骨折、中々目を覚まさないし。どれだけ、心配したかもしらずに。…心配?私が。
「めぐ、泣いてるのか?」
「え」
泣いてる?私が?涙なんて、おばあちゃんが亡くなったときに一緒においてきたのに。目元に触れると、小さな粒が溢れてきて、とまらない。わからない。
「大丈夫、兄ちゃん、無敵だから。心配かけてごめんな」
気が付くと、少年が隣に立っていて、昔のおばあちゃんみたいに手を握ってくれた。とっても、とっても温かい手。
その日から、少年は、私のお兄様になったのだった。何も無い病室の色が、明るい光で照らされる毎日に。
「おーい、めぐ見舞いに来たぞ」
ノックの音ですぐに分かった。がちゃりと空いたドアから入ってくるのは私の、私だけの、お兄様。いつもついていた寝癖は最近そんなに付いていない。お兄様の家にいる蒼星石のせいだろう。面白くない。けれど、私が嫌えばお兄様はきっと悲しむ。昔の、お父様のように。だから、今は我慢してあげている。
お兄様は昔と違って、窓から入ってこないし、擦り傷も作っていない。肌も随分白くなって、背も大きくなった。けれど、確かに変わってない。それが今日も嬉しくて、笑顔になってしまう。
「って、水銀燈、お前、どうしたんだその髪型」
「ど、どうでもいいでしょう!めぐ!はやく解きなさい」
「ふふふ、可愛いでしょ?三つ編みにしてみたの」
「まぁ、可愛いけど」
水銀燈は照れ隠しなのか、綺麗な黒い羽をわっと広げるとびゅんびゅんとお兄様に向かってそれを飛ばす。それでも、ちっとも当たらないから、わざと狙いは外してるみたい。本気だったら、怒っちゃう。
「どわー!お前、何するんだよ」
「うるさいわね!…めぐ!」
「はいはい。解くからじっとしてね」
一緒に見ていた宝箱を引き出しの中へとしまう。水銀燈は、中身に対しては素直な感想を言った。昔の私も同じことを言った。しょーもないもの。けれど、水銀燈はそのしょーもないものをもらった時の、あのなんとも言い難い気持ちをしらないのだ。そのしょーもないもの一つ一つの記憶も。
ゆっくりと、不機嫌な水銀燈の髪をほどきながら、お兄様と色々なお話をする。その中には、「蒼星石」という名前が出てくるようになった。その頻度はどんどん増えてきて、耳障りなほどだ。いつか、お兄様の心に住み着く前に、「対処」したほうが良いかもしれない。だって。
お兄様は私の、私だけのお兄様だから