結城リトの受難   作:monmo

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第六話

 目が覚めると、凄く心地が良かった。顔の両側を優しい温もりのあるもので挟み混まれている様な、そんな感じ。なんだかよくわからないが、酷く落ち着く。

 このまま二度寝でもしてしまおうか。感覚に身を任せ、そんな事まで考えようとしたその時、俺の思考回路がようやく目覚めた。

 視界は真っ暗。毛布を被ってしまっている様だ。それに、体がやけに動かしにくい。肌からは布団ではない、全く別の感触を感じ取っていた。

 明らかにおかしいこの状況。俺は嫌な予感を背に受けながら、恐る恐る布団から顔を出した。

 

 「……zzz♡」

 

 朝日に照らされた光の中。そこには幸せそうに眠っている、ララの寝顔が俺の目の前にあった。

 

 俺はぎこちなく首を動かし、状況を確認する。彼女は、仰向けで寝ている俺の上へ覆い被さる様に抱き付き、豊満な胸を俺の顔にまんべんなく押し当て、挟み込んでいた。足もしっかりと絡み合わせ、腕は俺の背中を押さえ込んでいる。当然の様に衣服は身に着けていない。これが『結城リト』だったなら、起きた瞬間に気絶して……の無限ループだっただろう。

 

 俺は体を動かしてララの抱擁から抜け出そうとした。しかし、思ったよりもホールドが昨日よりキツく、腕の一本も出せない。どうやら彼女はデビルーク星人の力で俺の体を抱きしめている様だ。

 

 冷や汗が垂れる。感覚と共に、背筋に寒気が走った気がした。考えてみれば、よく潰されなかったものだ。彼等の力は尋常ではない。もし、そのままの力で抱きしめられてしまったら、俺の体は背骨までバキバキに粉砕されていたのではないのだろうか?

 

 俺は溜め息を吐きながら、ぐうぐう寝ているララを見る。俺は昨日の事を踏まえたつもりで、彼女に「ベッドに入ってくるな」と先に告げていた。背骨を折られそうで恐いのは、今気が付いた事(ないと思うけど)。その前までは、一人で眠りたいと言う単純な理由に過ぎなかった。俺の数少ない、休息の場所なのだから。

 とは言っても、昨日今日と言い聞かせたところで、彼女がやめてくれるとは思っていない。現に、今彼女は俺の昨日の宣告を無視して、ベットへと潜り込んできている。が、それでもこっちが根負けするわけにはいかないのだ。毎日こんな調子じゃ、俺は辛い。止めさせる事はできないと思うが、減らす事はできるだろう。一週間に数回……せめて土日に……それまでの辛抱か。

 

 俺はこの世界に来てから、すっかり耐える事に慣れてしまった様だ。

 

 そんな事を考えながら、俺は彼女の寝顔を眺めていた(抜け出せないので、これしかできない)。しばらくすると、「ん〜?」という可愛いらしい声を上げて、彼女の目が開いた。まだ眠たそうな目線は少しの間宙を泳いでいたが、俺と目が合うと嬉しそうに笑った。

 

 「あ……リトおはよ♡」

 

 ふにゃふにゃの眠たそうな声で挨拶してくるララに、思わず口元がにやけてしまいそうになったが、その雑念よりも、待ちくたびれていた本心が勝った。

 俺は寝起きの低い声で、未だにハグを止めようとしないララへ話す。

 

 「なーにが『おはよ』だ。何で俺の部屋で寝てんだよ……」

 

 「えー、だってリトと一緒に寝たかったしー」

 

 何の悪気の無さそうな声で話すララ。まぁ、こんな反応が返って来るのは、ある程度予測していたのだが。欲求に素直すぎのも問題だと思う。

 

 「それにリトだって、私と一緒に寝たいんじゃないの?」

 

 「あぁ?」

 

 一瞬、ララが何を言ったのか、俺にはわからなかった。

 

 別に、こいつと一緒にいて嫌ではない。ただ、彼女とはこれから色んな場所に行き、そして沢山の物事を見せて、教えてあげたいと思っていたから、俺は彼女の傍にいるだけ。別にベッドで一緒に寝る必要はないだろう。教える事なんか……無い。たぶん……

 

 しかし、彼女から続く言葉は、更に俺を悩ませた。

 

 「リト、私がベッドにはいったら、ギュ〜って抱きしめてきたんだよ♪ だから私もギュ〜って……

 

 嬉しそうに話すララを目の前に「えっ……」と俺は思わず声を漏らした。頭の中で組み立てられていた何かが、ガラガラと音を立てて崩れ落ち、また真っ白になってしまった。

 

 俺は寝起き直後の事を思い返す。あのまどろみの中、自分の腕はどこにあった? 胸の上、枕、布団、シーツ、どれも違う。あれは暖かくて、人の温もりを感じる、触った事のある感触。

 

 思い出した。俺はララを抱きしめて寝ていた様だ。

 

 どうして自分はこんな寝相をしていたのか。それを知るのは、もっと後の話。今の俺は、自分の行動が余りにも不可解で、ただ焦る事しかできなかった。

 

 「どしたのリト? 顔赤いよ。カワイー♡」

 

 そう言ってララは俺の両頬をつねって、引っ張ってくる。彼女の言葉の通り、自分の顔は熱くなっているのを感じる。二度寝する気は、どこかに吹き飛んでいた。

 

 俺は解放された腕でララの肩を掴み、自分の腹筋に力を勢いよく込めた。そして勢い良く、ガバッとベットから起き上がった。

 「ひゃ!」っと驚いた声を上げながら俺を見るララに、ただ一言、不機嫌そうに、赤面を隠す様に「起きるぞ」と言い放った。彼女の緩んだ手足を振りほどき、ベッドから出る。背中から聞こえてくる制止の声も聞かず、部屋から逃げ出そうとドアを開けた。

 

 ガチャ

 

 

 

 「!!」

 

 

 

 そこには、ビクッと小さく跳び上った美柑が、俺の方を見ていた。

 

 「あっ、えっと、その……遅刻するよ…?」

 

 赤らめた顔を直視されたくないのか、顔をちょっとだけ下に向けて話す美柑。しかし、目線はちゃんと俺の方を見ている。その様子は上目遣い以外何のものでもないのだが、悲しいかな。俺はときめく気分にはなれない。

 

 覗かれていた。そんな絶望にも近いモノが、俺の心の中を蹂躙していたのだから……

 

 俺は心の中で、美柑に懺悔した。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 その後は、ララの明るい性格のおかげで話は丸く治まり、俺は苦々しい朝食を食べた後、早めに家を出た。美柑の何とも言えない視線に耐えられなかったのだ。

 

 当然、学校に着いても俺の心は晴れていない。猿山達が挨拶をしてくれたが、それでこの心境などが変わるはずもなく、俺は適当に返事を返すと自分の席に座り、考え込んだ。

 

 なぜ自分はララに抱き付いていたのだろうか。俺は今までそんな寝相をとった事はほとんど(言い切ってしまうと『嘘』になる)ないし、昨日もいつも通り、考え事は山程あったが、落ち着いて眠れる事ができていた。それなのに、今日はあの有り様である。

 横にララが寝ていたから、なのか? それなら昨日の朝の時点で、俺は抱き付いているだろう。

 

 もう一度『結城リト』について考えてみよう。

 彼は、その天性の様な運命により、純情少年にはキツすぎるぐらいのラッキースケベに何度も遭う羽目になる。その後徐々に、彼のスケベ内容はヒートアップ。まるで、体が覚えてしまったか、はたまた内なるモノが目覚めちまったのか、神業の様なToLOVEるへと激化していったのだ。

 

 と言う事はつまり、『俺』と言う存在の有無など関係なく、この体は浸食、または進化してる可能性があるかもしれないのだ。『結城リト』と言う男の、ラッキースケベに……

 

 さすがに大げさだろうか。それでも、じわじわと恐ろしくなってきた俺は、机に突っ伏したまま苦笑いでその思考を止め、別の事を考える事にした。

 

 そもそも、ララの求愛行動が原作よりも濃い。とは言え、俺はこの世界に入ってしまい、史実とは打って変わって違う行動をとったのだから、彼女の態度が変わるのは仕方のない事だと思っていた。

 だが、結果として彼女の態度は、原作よりも強烈なモノになっている。違う行動をとったとは言え、ここまで変わってしまうものなのだろうか?

 

 それと、もうひとつ。美柑の『キャラ』が違っている気がする。原作の小悪魔の様な性格が緩くなっていて、ブラコン……いや、『妹』としての可愛らしさが増した様な気が……

 

 「結城くん、結城くんっ! 今日は君が日直だよ!」

 

 名前も知らない女子に名を呼ばれ、俺は思考の底から戻った。いつの間にか朝のHRが始まっていた様だ。

 『日直』と言われたという事は、どうやら俺が号令をかけないといけないらしい。瞑っていた目を擦り、俺は少し緊張して口を開く。

 

 「きっ、きりーつ」

 

 こんな風に号令をかけるのが一年と数ヶ月ぶりだった俺の声は、酷くキョドった様なモノで、周りの奴らにはクスクスと笑われた。仕方ない。前の高校は号令どころか、挨拶すらまともにしていなかったのだから。

 恥ずかしくなってきた俺は着席するなり机に突っ伏して、再び思考を回転させた。

 

 俺が日直って事は、たぶん今日は原作のあの回である。そう、結城リトと西連寺の仲がリトのラッキースケベによって一歩前進する重要(?)な回だ。更に重要な部分だけストーリーから抜き出して説明すると、転びそうになった西連寺にリトが抱き付く回なのである。

 

 さて、どうしたものか。俺は西連寺とは友達程度の関係を確立させたくて、恋仲になろう気持ちなど毛頭無い。だから、抱き付くToLOVEるなんか起こしたくない、と思っている。

 ただ、彼女はララと親友になるだろうし、そうなると必然的に彼女との面識、対話は増えると思うから、俺もその程度の関係で良いと思っていたのだ。

 

 では、その為にはどうすればいい? 一番ToLOVEるにならず、事が片付くと思うのが、『転んだら助ける』と言う方法。それなら俺は西連寺が素っ転ぶのを、ただ見物してから手を伸ばせば良い。それだけの事だ。

 だが、転ぶと分かっている女の子をそのまま転ばせるのは、『結城リト』や『俺のプライド』以前に『人』としてどうだろう。物事を丸く納めたい気持ちはあるのだが、その為に人を傷つけると言う心ない選択を下せる程、俺は鬼畜にはなれない。

 

 だから考えた。

 

 もしかすると、俺が『結城リト』になった事で、既に転ぶ出来事すら起きないかもしれない。これは、あくまで俺の希望的観測でしかないのだが、『ララの求愛の増量』、『美柑の性格の改変』の事を考えると、一考の価値があったのだ。

 もしそれが駄目だった場合、俺は『転びそうになったら助ける』と言う単純だけれども少々危険な行動をとるしかないと思った。落ち着いて、抱き付かず肩なり腕なり掴むしかない。『結城リト』の体である事を考えても、一番自分の良心の痛まない方法だったのだ。

 

 いつの間にか朝のHRは終わり、周りの奴らはガヤガヤと騒いでいるが、俺の目を向けた先には、ほんの少しだけ頬を赤らめて学級日誌を持った西連寺がいた。もっとも、俺が見た瞬間に彼女は目線を逸らしていたが。

 そのじれったい仕草は、まさに恋をする乙女そのもの。少し可笑しかったのだが、これが自分に向けられているものだと理解していた俺は、それと同時に酷く空しくなった。

 

 俺は、この先自分がどうなってしまうのか、不安で仕方ない。この世界は『結城リト』と言う一人の純情少年によって回り始める筈だった物語であって、『俺』と言う存在は有り得ないのだ。たとえ今こうして、目で、鼻で、耳で感じ取っている現実の世界であっても。

 『ToLOVEる』と言う物語は、純情で、真っ直ぐで、男らしく、ついでに言えば容姿端麗な男、『結城リト』が、幾多数の女子達にちやほやちやほやされていくラブコメディである。

 そんなToLOVEるで満ちている彼の運命を、俺はそれ相当の運命だと思っているし、何よりそれで彼が慌てふためく、時に男らしく振る舞うサマを見ているのが、俺は楽しかったのだ。

 

 もし、『俺』が『結城リト』ではなく、『俺自身』としてこの世界にやって来れたら、俺はどれ程自らの運命を喜んだだろうか。客観的な立場でこの舞台に立ち、悠々と高みの見物を決め込む事ができていたら、どれ程嬉しかっただろうか。

 

 そんな『俺』が、今は『彼』自身になっている。あの時……結城家の家で理解した時は、気が狂ってしまいそうだった。

 

 時間が進む程、只々感じていくのは罪悪感。精神力は人一倍は持っている俺でも、この穴の開いた様な世界に一人で生きるのは、つらい。

 だが、俺は死ぬ訳にはいかなかった。この体は『俺』のものではなく、『彼』のものである。何にも関係ない筈である『彼』を道連れにする様な感覚を、俺は嫌った。

 

 だから、本来生きている筈のない『俺』はこの世界で生きていく為だけの理由をつくる事にした。今、自分に残っているものは、この『ToLOVEる』の史実に沿った知識だけ。それも『俺』と言う存在のお陰で役に立たなくなるであろうものがほとんどになってしまったが、その中には俺の興味を引くものが、少なからずあった。

 

 『ToLOVEる』という物語は明確な終わり方をしていない。まるでまだまだ続くかの様に、華やかな雰囲気を漂わせていた。今になってはもう知る術すら無いのだが、漫画を読み終えた俺はそう感じていた。

 だから、俺は純粋にこの物語の行く末が気になる。『結城リト』という存在の無いこの世界で『彼女達』がどの様な運命を歩んでくのかを俺は見届ける。ただそれだけ。それが、この世界において『俺』のやるべき事だと思ったのだ。

 

 その為に、俺は生きて行きたい。『ToLOVEる』はまだ始まったばかりである。『結城リト』のラッキースケベも気掛かりではあるが、例え残っていたとしても、俺は力の限りそれに抗っていきたいと思う。

 

 そんな決意を硬くしていると、ララが俺の席にやって来た。

 

 「リト、一時間目なぁに?」

 

 「えーっと」

 

 一時間目は音楽。しまった、教室の場所がわからない。無様な俺は、西連寺に頼るしかなかった。

 

 ちなみに……ララの教科書やリコーダー、その他諸々はいつの間にか校長から貰っていたらしい。「洗わずに返して」って言われたものもあるらしいが、俺は「絶対に返すな、ってか渡すな」と彼女に釘を刺した。

 

 この世界に入ってから、俺には暇が無くて困っている。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 時間は大きく進んで放課後、俺と西連寺は教室に残って日直の後始末をしていた。ララには「少し帰るのが遅くなるから」と言って先に帰らせてしまったが、一人で家に帰れただろうか……

 少々不安になりながらも、俺は水の入れ替えた花瓶を持って教室に戻ってきた。

 

 こんな事、俺が『俺』だった頃にやる様な事では絶対にない。どうやら『結城リト』の生活習慣がすっかり身に馴染んでしまった様なのだ。少し大雑把な部分が目立つが。

 

 やはり自分は浸食されているのだと思ったが、別にこれは悪い事ではない。自然を大切にするのは良い心がけなんじゃないかと思ったので、俺は苦笑いをしながら水の滴る花瓶を手で拭い、棚の上に置いた。

 

 西連寺の方を見ると、彼女は先程までペンを動かしていた学級日誌を閉じて、教室の後ろの方へと近付き、近くの窓を開けて風を浴びている。緩い風と共に、薄い夕焼けで変色して見えるカーテンと背中を向けた彼女の髪がなびく。絵になるな、と思った俺はバカだろうか?

 

 「結城くんってさ……中学の頃もよく教室のお花の手入れしてたよね」

 

 「え? あぁ……」

 

 完全に見とれていた俺に、彼女はどこかで聞いた様な台詞を話してきた。リトの中学時代など全く知らない俺は、無難に肯定するしかない。

 

 「けっこう忘れちゃうんだよね……お水換えるの。でも結城くん、いつもこまめに手入れしてた……」

 

 優しい口調で話す西連寺は、こちら側を向いてはいない。きっと恥ずかしいのであろう。

 だから、俺は気にせず彼女の話し相手になった。

 

 「別に……たいした事じゃない。『いろいろ』あってな……こういうのは慣れてんだ」

 

 『いろいろ』 もし、これが説明できたとしたら、どれだけ気が楽になれるだろうか。そんな事できる訳も無く、俺は小さな嘘をついた。

 

 背中を向けている西連寺が、笑った様な気がした。

 

 「でもね……それは結城くんの優しさだと思うよ……」 

 

 優しく、呼びかける様な西連寺の声。それは本来『俺』ではなく『結城リト』への言葉。

 彼ならなんて返事をするだろうか。ほんの少しだけの間で、俺は彼女への返事を考える。

 

 「……あ……ありがと………」

 

 なんとも無様な返事だったが、俺がそう言ったその瞬間、西連寺は自分が何を言っていたのか気付いた様に、ビクッと体を震わすと、

 

 「ご、ゴメンね! 変な事言っちゃって。私……ゴミ捨ててくる!」

 

 素早く窓を閉め、俺に謝るなり教室から逃げる様に走り出した。途中、ゴミの溜まったゴミ箱を持って。

 

 「あっ、おい!」

 

 意外と速かった西連寺の足に、俺は慌てて彼女を追いかけるが、

 

 ガッ

 

 「あっ!」

 

 唐突に出た声と共に、ドアのレールの部分に足を引っかけ、ガクンと前のめりに傾く西連寺の体。ヤバい、少し距離が足りないと感じた俺は、走っていた足を更に速め、腕を前に出して彼女の転びかけの体、その肩を掴み、そのまま俺の方へと引っ張った。

 

 後はただ西連寺を受け止めれば良い。そのハズだったのだが……

 

 ガッ!

 

 「あ、」

 

 すっかり勢いのついていた俺の足は余計な歩数を増やすと、丁度ソコにつまずき、紙くずがぶち捲かれた廊下へとダイブした。

 

 鈍い音。飛び散るゴミと埃。すっ転んでからようやく気が付いた。俺もレールに足を引っかけた様だ。

 

 「ッ……」

 

 目の前でヒラヒラと舞う紙切れを叩き落としながら、俺は側頭部を抑える。

 

 やっぱり上手くいくワケないか……。そう心の中で思ったのだ

 

 西連寺は俺が何をしたのか、何が起こったのかわからず、少しの間キョトンとしていたが、俺の有り様を見てすぐに行動を起こした。のだが……

 

 「結城くん!大丈夫!?」

 

 

 

 ズルッ!

 

 

 

 「キャっ!!」

 

 「え?」

 

 こんな事ってあるだろうか。

 

 ぶち捲かれた紙切れに足を滑らした西連寺は、前のめりどころか完全に足が地面から離れ、さっきの俺と同じ様にダイブする形になって突っ込んで来た。スローモーションの様にも見えたその光景は、痛めた頭を押さえていた俺には、避ける事ができなかった

 

 ドン! っと体と体がぶつかる音と共に、更にブワッと舞い広がる紙くず。そんな散らかり放題の廊下の中心にいるのは、反射的に出した両手をガッチリ合わせ、お互いに顔の距離を限界ギリギリまで近付けた俺と西連寺。

 

 

 

 「「………………………………」」

 

 

 

 しばし無言になる空間。だが、この状況の中、俺はどんな顔で西連寺を見ているのか、そんな事を考えてしまった。

 

 西連寺はまたもやキョトンとしていたが、今度はその後の反応が違った。彼女は窓から射し込む夕焼け以上に顔を赤くすると、バッと俺から手を放して立ち上がり、俺に背中を向けて大きな声で謝ってきた。

 

 「ゴっ……ゴメンなさい!!」

 

 相当、混乱している様だ。無理もないだろう。不本意とは言え、大好きな人の上に倒れ込んでしまったのだから。

 俺はまだ痛む頭を抑えながら立ち上がり、埃まみれの自分の体と西連寺を見る。

 

 「いや、いい……気にすんな……。それより西連寺……ケガしなかったか?」

 

 「あっ、う、うん! ビックリしたけど……大丈夫!」

 

 今度は素早く俺の方を振り向き、首を振る西連寺。いつもより元気な声で喋る彼女を落ち着かせ、俺はキョロキョロと辺りを見回し、周りの惨事を確認する。

 

 「派手に散らかったな……」

 

 「そう、だね……」

 

 「片付けるぞ」

 

 「……うん」

 

 彼女は、そう一言頷くと、俺と一緒にゴミを拾い始めてくれた。ただ、捲き散らかった紙くずを拾い集めていたら、俺と西連寺の手が触れてしまい「あっ、ゴメン……」といういらんToLOVEるのせいで更に気まずい雰囲気になってしまったが、彼女の顔はほんのちょっとだけ、嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 ゴミを拾い集め終えた俺達二人は、その後ほとんど喋る事もなく、そのゴミを袋にまとめ、捨てに向かった。なぜ『ほとんど』なのかと言うと、『俺』はこの学校のゴミ捨て場が分からない為、西連寺に「そっちじゃないよ……」と不審な目で言われたから。危なかった。

 

 そんなことはさておき、俺は今猛烈に焦っている。原作を読んでいる人ならわかると思うが。結城リトは西連寺に抱き付いた後、なんやかんやで一緒にゴミ捨てを手伝うという展開なのだが、その展開は漫画に載っていない。つまり、リトがその後どんな行動をしたのか全く分からないのだ。

 まぁ、『結城リト』の事なのだから、内心フィーバー状態になって彼女と嬉しそうにゴミ捨てを手伝っていただろうと思うのだが、俺はそういう事にはならない。なぜなら、俺は西連寺を好きなわけではないし、何よりさっきの原作とは違うToLOVEる(それも色々な意味でかなりキケンな)をしてしまった(っていうか起こった)ので雰囲気的に気まずいからだ。

 

 そんな訳で、満足な会話も起こらないまま、俺達は目的地に到着してしまった。俺はゴミ袋をいかにもゴミ捨て場という佇まいをしたコンクリート製の小屋っぽい所にぶん投げた。別に、投げた所でこの重たい空気が抜けるとは思ってはいない。『なにかしなくてはならない』という思いが行動に現れてしまったのだ。

 俺も随分ガキだな……と息を吐きながらパシパシと手を叩く俺を、西連寺は申し訳無さそうな顔で見ている。顔はまだほんのり赤い。さっきの痴態をまだ引きずっているのか。

 

 荷物がなくなり手ぶらになった俺の後ろを西連寺はついて来る。いい加減、何か話題でも作らなければマズいのだが、こんな時になるほど人は、考えていたり、覚えていた言葉を忘れる。俺も例外ではない。

 俺が徐々に焦りを感じはじめていたそのとき、俺の後ろを歩いていた西連寺が横に並び、俺の方を向いた。顔はほんの少し俯いていたが、目はしっかりと俺の方を見ていた。

 

 「結城くん……ララさんとは、どういう関係なの?」

 

 その言葉に、俺は面食らった。リトはこんな質問をされていたのかと思ったが、瞬時に「それは違う」という答えが出た。原作で『ララ』が学校にやって来るのは、この日の翌日だったから。つまり、これは俺が起こしてしまった、全く新しい『流れ』なのだ。

 

 俺は落ち着いて、話して良い事悪い事を、頭の中で分別していく。ララが宇宙人だとバレた時、周囲の人達はそれをあっさりと受け入れてくれた。だがそれは、もっと後の話。今、本当の事を話しても、西連寺は信じないだろう。

 では、どうしたら良いか、この答えは単純である。嘘などつかず、素直に「本当の事」だけを話せば良い。変にお茶を濁したりなど絶対にしない。彼女は信じてくれるはずだ。

 半ば開き直って、俺はララの事を『半分』話した。『半分』とは当然、彼女が宇宙人だっていう事を除いて話した場合の量。西連寺に口を挟ませる時間は与えない。確信を突かれる様な質問がくるのを恐れたからだ。

 

 ……っていう事。わかった?」

 

 息継く暇もなく、ペラペラと話した俺に驚いているのか、西連寺は目を白黒させて俺の方を見ている。話が終わっている事にも気付いていないのか、呼びかけると、焦った様に目を瞬かせた。どうやら話す事を考えていた様だ。悪い事をした。

 

 「……へぇ、そうなんだ……。じゃあ、結城くんは……ララさんと結婚するの……?」

 

 明らかに終点からズレた様な質問だった。どうやら婚約者の話は誰かから聞いているらしい。良かった。下手に嘘なんかついていたら、恐ろしい事になっていたかもしれない。

 

 質問に対しては、もっとも、俺は結婚する気はないので、答えはひとつである。

 

 「しないよ。第一、俺まだ結婚する気ないし……」

 

 「えっ!?」

 

 「えっ?」

 

 この辺で話の内容は混沌としてしまい(西連寺の為に、内容は言わないとする)俺達は再び、元の気まずい雰囲気へと戻ってしまった。ただ、教室に着いて、俺が帰ろうとした時、さっきまでアタフタしていた西連寺が別れ際に「あっ、ありがとう……また明日……」って言いながら俺を見て笑ってくれたのが印象に残った。

 

 何が「ありがとう」だったのだろう。ゴミ捨てを手伝ってくれた事なのか、俺がララの関係について話してくれた事なのか、それはわからない。

 だが、それは別にどうでもいい事で、重要なのは彼女が「ありがとう」と言ってくれた事だと思う。原作とは大いに脱線してしまったが、結果としては良い関係を築けたと思いたい。

 

 そう理解した瞬間、俺の心の中は随分と晴れやかになった。人としての性なのかもしれないが、此所には居ない『結城リト』の為の奉公だと思うと、何だか随分と気が楽になってしまったのだ。

 

 下駄箱から外に出ると、夕日はいつもより綺麗に感じた。そんな事を思いながら、俺は学校の校門を出るとそこには、

 

 「リトー! 待ってたよーー!!」

 

 エメラルドグリーンに近い色をした瞳に、風でなびかれるピンクブロンド。それは彼女以外、誰でもない。

 そう、ララがいたのだ。あの、いつもの笑顔を俺に振り撒きながら。

 

 「ララ……? 帰るの遅いって言ったのに……」

 

 「えへへ、でも……リトと一緒に帰りたかったから……」

 

 ボーゼンとしていた俺に飛び付き、これ以上ないって程嬉しそうな顔をしながら、上目遣いをしてくるララ。そんな彼女を、俺は彼女を振り払……えなかった。「待たなくていい」と言ったのにも関わらず、まるで当たり前の様に俺の事を待ってくれた彼女に、俺の心は酷く晴れ晴れとしたのだ。

 

 『嬉しさ』……なのかもしれない。少なくとも、今の彼女を振り払う事はできなかった。。

 

 俺は考える。ララがリトの事を好きになっていった理由。最初は、ただ単に宇宙に帰りたくないからという彼女の口実だった筈だ。そこから彼の優しさに触れ、ただの口実は本物の事実へと発展を遂げていった。

 

 では、俺の場合は? 今の彼女の恋は一体何なのか。

 

 予めな事を言ってしまうと、はっきりと断定する事はできない。それでも、今俺の隣りで頬擦りをしてくるララの笑顔を見ると、どうやら俺も彼女を本気で惚れさせてしまった様だ。じゃなかったら、本気で好きでもない男の為に、わざわざ校門の前で待ったりなどしない。例え、彼女が天然じゃなかったとしても、尚更の事である。

 

 では、俺はどうすればいい? ララは純粋に……『結城リト』 つまりは、俺のことが好き。そんな彼女を、子供の恋愛の様にあしらってしまっていいのだろうか?

 

 そんな可哀想な話はないだろう。ララが本気で俺が好きだとしても、俺の思い込みだったとしても、彼女を悲しませる事はしたくない。これは『結城リト』になってしまった俺の望みでもあり、彼への贖罪でもあるのだ。何としてでも成さなければならない程の。

 

 他にも色々考えたい事は色々とあった。が、今は目の前にいる彼女にお礼を言いたい。俺の為に待ってくれた彼女に。

 

 「……ありがとな」

 

 不器用な返事が可笑しかったのか、彼女はまた笑い始めた。が、俺の心は広く晴れ晴れとした。悪い気分ではなかった。

 

 その日、ララの願望で俺は彼女と手を繋いで帰った。パァァっと明るくなった彼女の笑顔を、俺は忘れる事ができないかもしれない。


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